11/01/17 03:06:40
>>12
それは根本が間違った批評である。
「時代の前衛は後代の後衛である」。そして「時代の後衛は後代の凡俗である」
明治を例にとれば、当時は大衆文学として数数え切れない戯作の名残りがあった。それらは、
今の時代では貴方のいうオーソドキシー(≒真っ当さ)を備えた自然主義の前衛よりはるか後ろに溜まっていた。
花袋『蒲団』がいかに当時の文人に衝撃をあたえたかはかりしれない。その当時も貴方に類する批評やは、
おそらくまっとうさは戯作にあると述べていたに違いない。ところが、今では自然主義でなければ小説ではないとでもいう状況。
私は最前衛しか信じない。村上春樹が25年前にもっていた役割と同じだ。