10/12/10 01:07:50
>>85のつづき
>『フィギュアズ』の場合「黄昏」という言葉が歯科医院での麻酔状態の心の動きを指す比喩でもあることが分かる。
そして、『黄昏抜歯』の題名に使われた「黄昏」もまったく同じ意味をもっているのだ。『黄昏抜歯』の文中では「黄昏」という表現は一言も使われていない。
それなのに、題名が『黄昏抜歯』なのは、「黄昏」がそれだけ作中で最重要なキーワードであるからに他ならない。「主人公が治療が終わってすぐに歯科医院を出たら、夕暮れ時でした。
だから題名に黄昏を冠しました。」というのが、万が一、津原氏の言い分だとすれば、あまりにコジツケであり、題名につけた理由として陳腐すぎるだろう。そう、そもそも「黄昏」は題名の頭に君臨しているのだから。
「黄昏抜歯」は初出時「かわたれ抜歯」。「彼は誰?」という地口。
かわたれどきという言葉が、古典ではたそがれ(誰そ彼?)より暗い状態(朝夕問わず)に使われがちなのに比して、
昨今はテレビなどで「未明はかわたれ、夕闇はたそがれ」と称されることが多く、ラストの場面の朝夕に読者が迷いかねないとの指摘から、単行本収録時には「黄昏抜歯」とした。
>現に、『黄昏抜歯』の主人公は歯科医院を出た直後は「咽喉科でもらった鎮痛剤がようやく効いてきたか、 痛みは全く感じなかった。歩みは蒼い闇を泳ぐようで、しかし少女の頃の夕闇はいつもこういう気分だった。」となり、
麻酔の効果が残った「黄昏」状態の心持ちで「少女時代の昔もこのような気分だった」と自分を納得させようとしているのだ。無論、その既視感を誘発したのが心の「黄昏」状態だったことに疑問の余地はない。
<MLTtulB6>が恐らく意図的に省いている文章がある。
「舌先が触れている前歯の裏が、歯石を削がれ、往時の鋭角をとり戻していることが、自分を少女に戻しているのだと感じて、貴重な美しい歯を、陶子は大切に舐めまわした。」
口内の痛みからも罪からも解放された(と一時的に信じている)陶子の意識は、きわめて冴え冴えとしている。麻酔による混沌とは対極の、狂気すれすれの決意に支配されている。