10/12/24 08:28:13
>>253
俺は挙げられた名前の誰でもない。
wikiノートにも津原のサイトにも書き込んだことはないが、
アリの穴の文章と以下のレスを書いたのは俺だ。
36 :吾輩は名無しである:2010/12/14(火) 22:17:23
>>35
>>28を読めば分かる。
大体、津原の「歯に記憶は宿る」は精確に説明されたテーゼでは
とてもない。それなのに、俺の指摘した赤坂真理の作品の同一の
表現や、oshoの発言の「歯に記憶は宿る」との細かな追求(追求
内容が間違っているが)をしたがる奴がいるが、その根拠はなんだ?
『黄昏抜歯』の主人公の独白の「歯に記憶は宿る」は主人公の、
麻酔状態の、その場の思い付きに過ぎない訳で、理由も詳しい
メカニズムへの言及も一切なしだ(説明の結果的な説得力があるか
否かはともかく、赤坂の『最大幅7mm』はずっと、執拗に
言及しているが。)。
それでいて、『黄昏抜歯』の主人公は「歯に記憶は宿る」と、
言い切る訳だが、言い切ってしまった以上、その表現自体において、
赤坂の『最大幅7mm』やoshoの「歯に記憶は宿る」との相違点を
強調するなど、全くのナンセンスだ。それは「後付け」の解釈に
過ぎない。『黄昏抜歯』の中にそんな細かいことを検証する材料は
ほとんどない。
そんなことを問題にするぐらいなら、川上と津原の表現の違いを
見よ。川上のは「意識は、あるいは思考は歯に宿る」だ。前の比較と
対照すれば、津原の表現と川上の表現とは全然、違うと言って良い。
繰り返し言うが、『黄昏抜歯』において「歯に記憶は宿る」は
虚実定かでない、幻想的場面を引き出すための、ほんのちょっとした
小道具に過ぎないのだ。