三島由紀夫Part40at BOOK
三島由紀夫Part40 - 暇つぶし2ch2:吾輩は名無しである
10/12/02 00:04:05
>>1
乙です。ありがとう

3:吾輩は名無しである
10/12/02 00:36:51
前スレが荒れてきちゃってたから

4:吾輩は名無しである
10/12/02 03:05:51
おちんちん

5:吾輩は名無しである
10/12/02 05:14:49
このスレはコピペ禁止にしよう。

6:吾輩は名無しである
10/12/02 05:26:10
絹と明察を再読したけど、
円熟した人間描写が光る読み応えある大人の小説だね。
もっと評価されるべき。

7:吾輩は名無しである
10/12/02 05:49:01
>>4
出たな!おちんちんマン!

8:吾輩は名無しである
10/12/02 10:38:11
あまり言及されない「宴のあと」も、引き込まれる人物描写で面白い。

9:吾輩は名無しである
10/12/02 12:28:18
絹と明察と宴のあとは対になる作品。
ヒトラーとサドと同じように、男と女の話として。

10:吾輩は名無しである
10/12/02 17:46:24
紀子さんと威一郎さんはどんな道を歩まれたの?

11:佃煮マニア
10/12/02 19:25:27
>>前スレ978
唯物論をぜんぜん知らない低能オーバーヒートネットストーカー自演魔のマテリアリスト(o`.´o)さんといったらないですよ。
私に論破され「降参です。大東亜戦争の唯物論的イデオロギー革命についてご教授願います」と懇願したあげく、
私が理路整然と説明すればそれをパクッて、さもはじめから知っていたかのように振る舞う厚かましさはどうですか。
盗人猛々しいとはこのことですよね。このIDストーカーは狸さんの文体もパクッているパクリ魔です。
それが>>976「未央子の荒れは完全な盗作で症ね~(笑) 誤字と(笑)の多用でパクリとはねぇ~(笑) 」なぞと、
ストーカーのパクリ魔が人の事を盗人呼ばわりという、餓鬼道の亡者による妄言としか思えない発言をする始末です。
しかも、唯物論者を名のるくせに哲学的ゾンビという、唯物論にたいする有名な反論も知らないらしい。
そして哲学的ゾンビを私が論破すれば、低能オーバーヒートストーカー(o`.´o)さんは、古本屋で万引きした小さな国語辞書を引いて、
国語辞書に「唯物論の対義語は唯識論」とでも見つけたのか、哲学的ゾンビを「それは唯識論でしょう」などと、
愚にもつかない勘違いをおこして、恥の上塗りをするのです。恥ずかしくて見てられませんね!
唯識論とは自分の八識からなる心的作用しか頼れるものはないとする大乗仏教由来のの東洋思想で、
哲学的ゾンビはオーストラリアのデビット・チャーマーズが提案したクオリアについての思考実験であり、両者はまったく違います。
西洋哲学と東洋哲学の区別すらつかずに「戦争はゾンビが尾個こ士たので笑止ねえ~(笑)」なぞと狸さんと私のパクリをして
開き直るのが精一杯なんですね。こうして、またしても低能オーバーヒートストーカー(o`.´o)さんは私に論破されたのです。

12:吾輩は名無しである
10/12/02 20:00:35
>>10
紀子さんは外交官と結婚して、威一郎さんは銀座で母親と宝石店をやってたらしいです。
現在は何の仕事かは不明ですが、「三島由紀夫映画論集成」の編集や「春の雪」の映画スタッフに加わってたようです。

13:吾輩は名無しである
10/12/03 08:47:53
>>12
ありがとうございます
威一郎さんは独身なのかな

14:吾輩は名無しである
10/12/03 10:51:08
>>13
どうなんだろうね。
村松英子は現在も彼を「いっちゃん」と呼んで親交があるようですが、そのへんのことは書いてませんね。

15:吾輩は名無しである
10/12/03 15:11:07
開館25周年記念特別展
川端康成と三島由紀夫 伝統へ、世界へ 関連イベント

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とき…12月7日(日) 13:00~14:30まで
ところ…鎌倉文学館 講座室
講師…十二代目結城孫三郎(結城座代表)、松本修(演出家、劇団MODE主宰)
事前申込制 12月1日 午前9時から電話受付。先着順。

www.kamakurabungaku.com/

16:吾輩は名無しである
10/12/04 10:33:50
Yukio Mishima
URLリンク(www.youtube.com)

Golgatha: - Death in Honor - dedicated
URLリンク(www.youtube.com)

17:吾輩は名無しである
10/12/04 23:08:31
三島お気に入りの伊豆のマドレーヌって食べたいな。
ネットで買えないかな。

18:吾輩は名無しである
10/12/04 23:57:38
買えるみたい。
URLリンク(www.geocities.jp)

19:吾輩は名無しである
10/12/05 00:26:59
レモンケーキおいしそう。

20:吾輩は名無しである
10/12/05 17:20:43
これは誓って柄谷の受け売りではないと、
最初に断った上で言うのだが、三島は基本的に
劇作家であり、小説は一作も書いていないのでは
ないか?

コヤノの受け売りになるが、小説は思想を表現するためのもの
ではないのだ。

21:吾輩は名無しである
10/12/05 17:36:34
>>20
書いてます。人の受け売りでなく自分自身で読みましょう。

22:吾輩は名無しである
10/12/05 19:33:14
小谷野(笑)

23:吾輩は名無しである
10/12/05 21:54:14
>>18
バターを使用していないマドレーヌって!

24:吾輩は名無しである
10/12/05 22:25:30
マーガリン、ショートニング(トランス脂肪)代用だったら買いたくない。

25:吾輩は名無しである
10/12/05 23:14:34
バターのあの芳香があってこそマドレーヌなのにね。
バターなしでそんなにおいしく作れるものなんでしょうかね。


26:吾輩は名無しである
10/12/05 23:49:05
和菓子っぽいのかもね。

27:吾輩は名無しである
10/12/05 23:59:14
chromeでみると日新堂のサイトが文字化けするな。
おれだけかな。

28:吾輩は名無しである
10/12/06 00:04:00
まあ、こと味覚に関しては三島は必ずしも信用ならないからな。
自分でもいっているが。子どもの味覚のままだったかも。
林房雄に、諦めないで本当の美味いものを食い続ければいずれそれでなくてはならなくなるって励まされたって。



29:吾輩は名無しである
10/12/06 10:50:29
子供の味覚なら、尚更バター風味を求めると思うけどね。

30:吾輩は名無しである
10/12/06 11:04:22
鳩山の親と三島がお互いの名前を、子供に付けたというのは作り話らしいです。

31:吾輩は名無しである
10/12/07 02:26:31
二十歳越えて太宰治とか三島由紀夫に傾倒していたら
精神的に大人になれなかったってことだ

32:吾輩は名無しである
10/12/07 09:56:37
逆に十代には難解な内容ですけどね。

33:吾輩は名無しである
10/12/07 10:05:17
>>31
そうやってムキになってる人の方が大人気ない。

34:吾輩は名無しである
10/12/07 12:40:06
校訂みると「女神」の初出では、周伍(朝子の父)が拳銃で俊二を殺してしまうストーリーになってますね。
これはこれで面白いのに何故削ったのかな。

35:吾輩は名無しである
10/12/07 13:11:41
自称大人なひとは、司馬遼太郎や吉川英治の歴史小説を読むんでしょ。
ちっともうらやましくないけどな。


36:マグナ ◆i.K3ZM.pZo
10/12/07 13:15:52
おいチワワ。お前は相変わらず内容のないレスしかかけんな。

37:吾輩は名無しである
10/12/07 13:45:32
三島はともかく太宰はまさに10代のための小説だと思います。
太宰に傾倒するのはほとんどが10代のうちでしょう。
30過ぎて改めて読み直すと10代の頃とは違った味わいがあるんですが。
三島は作品によりますね。
中学生でも自分なりに理解することはできるだろうし。
太宰と違って傾倒というより、なんかすごいな、と圧倒されるような感じかもしれませんね。


38:マグナ ◆i.K3ZM.pZo
10/12/07 13:52:18
十代には難解だろうか。チワワは大人になってから三島に嵌まったクチだろう。だから三島肯定がすさまじい訳だが。
三島が上げる古典とかは三島経由で最小限しか読まず、自分の糧にしていないところなどから、大人になってファンになった人間だと分かる。
かぶれるのは十代で済ましておくべきだ。読書量を誇れない俺でも主要作の半分ぐらいは若い内に読んだ。太宰も芥川も十代でだ。

39:吾輩は名無しである
10/12/07 14:28:40
大人気ない威張る糞コテ

40:吾輩は名無しである
10/12/07 15:28:52
コピペやくだらん文学論争は別のスレでやってほしい。
もっと作品本位で語り合うほうがいい。

41:吾輩は名無しである
10/12/07 17:31:47
>>40
能書きはいいからテメエがまずやれ。

42:吾輩は名無しである
10/12/07 17:41:56
珍太郎迷走中

・都内のPTA団体などが3日、都青少年健全育成条例改正案の成立を求める要望書を都に提出した。
 石原慎太郎知事は「子供だけじゃなくて、テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ。日本は
 野放図になり過ぎている。使命感を持ってやります」と応じた。

 要望したのは、都小学校PTA協議会(都小P、加盟248校)▽都私立中学校高等学校父母の会
 中央連合会(同246校)など5団体。都小Pの新谷珠恵会長が「児童を性的対象にすることが
 野放し状態。子供を健やかに育てるため、社会の力を借りないと環境整備できない」と説明した。

 一方、学者や評論家らは改正案への反対を訴えて都庁で記者会見した。藤本由香里明治大准教授は
 「時代物やSF漫画のキャラクターにも現代日本の刑罰を適用するのか。現実とフィクションを区別しない
 危険な発想だ」と強調した。
 児童文学者の山中恒さんは「日本の官僚は拡大解釈にたけている」と危惧した。
 URLリンク(mainichi.jp)

43:吾輩は名無しである
10/12/07 18:28:09
>>41
やれ、ではなく、やってほしくないことを書いたのです。とりあえず。
そういう喧嘩腰もごめんですな。

44:吾輩は名無しである
10/12/07 19:09:20
>>43
そういうあなたのような仕切り荒らしが一番迷惑です。

45:吾輩は名無しである
10/12/07 19:13:50
>>43
他人にああだこうだ注文つける前に、有言実行で作品本位でお願いします。

46:吾輩は名無しである
10/12/07 19:45:54
マドレーヌのお店の方が書いた「三島由紀夫の来た夏」、評判いいですね。

47:吾輩は名無しである
10/12/07 21:54:10
>>44>>45
あなたち専用のスレでやってくださいってだけ。
コピペとくだらん罵り合いは。

48:吾輩は名無しである
10/12/07 21:59:27
>>47
おまえがうざすぎる、来んな。

49:吾輩は名無しである
10/12/07 22:06:03
>>47
コピペもないうちからガクプル怯えてくだらない罵りするのはやめましょう。

50:吾輩は名無しである
10/12/07 22:10:38
>>47
早く作品について語れば?

51:吾輩は名無しである
10/12/07 22:48:13
>>47
校訂みると「女神」の初出では、周伍(朝子の父)が拳銃で俊二を殺してしまうストーリーになってますね。
これはこれで面白いのに何故削ったのかな?

52:吾輩は名無しである
10/12/07 23:41:57
持丸博氏1 三島由紀夫氏没後40年 展示・出版記念講演会(抜粋1)
URLリンク(www.youtube.com)

53:吾輩は名無しである
10/12/08 10:38:04
話は違うが歌舞伎の市川海老蔵の記者会見をテレビ見ててなんとなく
楯の会の制服をイメージして合わせてしまった。
彼はそれほど三島に似てるとは言えないが、ただなんとなく想像してしまった。
また歌舞伎という伝統的な家に生まれてもいまやあのような不祥事を
起してしまうような伝統芸能という「品格」の危機は、相撲も含めて
日本が自身の文化に対する社会的地位と言うのを失ってしまったという
現状があると、どこかそんな風に感じるのです。
そしてその元凶は言うまでも無く、戦後のアメリカと言う非伝統自由主義文化
という理念に基づく帝国主義による植民地化である訳です。

54:吾輩は名無しである
10/12/08 12:05:47
アメリカ占領軍の目的は日本の文化を形骸化して活気や毒気をなくすことだったんだよ。
相撲力士や歌舞伎役者に喧嘩一つしない清潔を求めるのもおかしなことだと思う。
三島が「日本の文化をしめ殺すのは、石鹸でよく洗った手だ」と言ってたように。
石原慎太郎が無意識にやろうとしてる規制も、なかばそれに類したもののような気がする。本人にはそのつもりはないんだろうけれどね。

55:吾輩は名無しである
10/12/08 14:11:34
>>54
もちろんそうした事もあると思いますが、伝統やその家がグローバル
資本主義の鍋の上で料理されることで、計画経済が自由化により崩壊
してしまうのとに同じく、従来引き継いできた社会的基盤や権利を失い
伝統社会自体が軽視されると言うのも同時に怖いと思うのです。
柔道がそうであるように、スポーツ化された武術などすでに武術ではなく
「時代」という言い訳によって流され文化の地位と形質は劣化していくのです。
これはある種の文化革命的な作用で、三島由紀夫もその事については
言及されていたと思います。

日本の柔道よりもブラジルのグレーシー柔術のほうがより日本の柔術に
近い武士の精神を持っていたり、焼き物に関しても国内よりも外国に輸出した
貴重品のほうが残っているなど、とにかくいろんなケースに当てはまります。
そしてこの事は天皇にも同じことが言えるわけです。

56:吾輩は名無しである
10/12/08 14:28:48
続きます。

私は昔の日本と言うのは良くは知りませんが、相撲であれ歌舞伎であれ
昔は社会における文化的な厚い地位もあり、ただ現在の伝統に地位が
無いと言う事ではありませんが社会的信頼と言ったものがあったと思います。
裏でケンカ事やヤクザ事をしていながらも昔の彼等には品格があったりした
のではありませんか?(品格と言うよりも、伝統を背負うと言う責任感のようなものが・・・)

野球で言えば、もっと分かりやすいとおもいますが坂東や長嶋や王という様な
当時の社会において国民からどのような目で見られていたのかと思うと、今では
見れない光景であると私は思うのです。
地域というか、ファンと一体となって日本人選手が日本人の国民と共に
厚い信頼と情熱で結ばれるようなことは、自由主義の商売上最近は特に無くなりました。

三島も企業防衛と言われていたと思いますが、企業であれ伝統であれ政治であれ
今の日本のそうした事情とは、金銭やあらゆる都合によりコロコロと変わるような
主権無き文化時代と言うのが到来してるようにおもえますね。

57:吾輩は名無しである
10/12/08 15:53:11
てゆうかそもそも、マトモな神経してりゃあ(自国の)伝統芸能なんて
観ようとは思わないんじゃないか?w 穢らわしくて。

58:吾輩は名無しである
10/12/08 15:54:49
うん。たかだか芸能(でもゲージュツ?でもなんでも)ごときと、
ひととしての原理・原則と。

恥を知れと。

59:吾輩は名無しである
10/12/08 16:06:19
死ね。ひとり残らず死んでしまえ。それなんで? とは思えないやつら。世界に。
馬鹿は嫌いだ。


60:吾輩は名無しである
10/12/08 16:52:45
>>56
昨今は個人主義合理主義が行き過ぎてきたんだろうね。結局それは自らの首をしめるというパラドックスとは知らずに。

61:吾輩は名無しである
10/12/08 16:59:19
>>57-59
脳障害お大事に。

62:マグナ ◆i.K3ZM.pZo
10/12/08 17:15:01
おい、チワワ。短い台詞で逃げるのは止めろ。>>56がわざわざ長文で書いているのだから、もう少しまともなこと返答をするべきだw

63:吾輩は名無しである
10/12/08 17:26:30
あくまでも、「生活」だろうよ、守られるべきもの。その日常を。平和こそ。
権威ではなくて。

…が、それがばkryにはwwwwww

何を云えと?w これ以上に。あほらしい
馬鹿共が。

64:吾輩は名無しである
10/12/09 00:07:21
出版予定らしいです。

思想と文学に命を懸けて 三島由紀夫とわたし/ 山崎行太郎

65:吾輩は名無しである
10/12/09 10:51:22
海老蔵と三島さん顔が似てるってわけじゃないけど被りますよね。

66:吾輩は名無しである
10/12/09 10:57:40
>>63
池沼乙

67:吾輩は名無しである
10/12/09 11:16:07
>>65
生まれ変わりかしら。

68:吾輩は名無しである
10/12/09 12:02:57
三島さんてイケメンて訳じゃないけどかっこいい
男前って感じかな

69:吾輩は名無しである
10/12/09 13:00:04
村田英雄の「闘魂」ってどんな歌なんだろ。
三島由紀夫が好きだったらしく、自決の朝に村田英雄に「紅白歌合戦出場決定おめでとう」電話したほどとか。

70:吾輩は名無しである
10/12/09 14:49:42
>>54
僕は保守思想家としての三島しか知らないんだけど、文士としての三島の考えはまったく違うのでしょうか?
異質な文化と文化の高次元での融合、つまり西洋文明と東洋文明の融合が三島の本質なら
皮肉にも敗戦によって達成されたと思う。
西洋と東洋のどちらにも属さず、ただどこか日本らしい何かを残しながら常に新しい影響を
受けファンタジックに変わり続ける・・・・。
ソレが三島のいう日本と言う国の文化の本質なら、僕は今の日本でも文句は無いですよ。
今の日本は満州国に代わり自由に文化を謳歌し、事実上の東洋のアメリカになりつつある。
もう昔では考えられなかったぐらいに伝統に縛られず新しい日本文化が生まれている。

本当は三島が望んでいたものがそれであると言うなら、自分は保守思想の探求は
あきらめて「伝統が」と言わずに自由に日本文化の営みを理解したいと思うけどね。
あと石原知事は昔のようなモラルや価値を求めてる。

71:吾輩は名無しである
10/12/09 16:52:02
>>70
三島の求めた文化はギリシャやローマ、日本の雅、尚武的な大胆かつ優美な文化であって、
戦後のアメリカ的文化ではないです。
石原慎太郎については私の見方では、彼はアメリカ人的な近代合理主義で、日本の保守じゃないと思う。

72:吾輩は名無しである
10/12/09 17:05:09
>三島の求めた文化はギリシャやローマ、日本の雅、尚武的な大胆かつ優美な文化であって、
>戦後のアメリカ的文化ではないです。

なるほど、それはつまりヨーロッパ的な日本というのを待望していたと?
>石原慎太郎については私の見方では、彼はアメリカ人的な近代合理主義で、日本の保守じゃないと思う。

ちょっとそこの見解はもう少し聞きたい。
僕はちがうのではないかと思うけどね。
まあちょいと合理的な人だろけどむしろ社会主義者に近いと思う。

73:吾輩は名無しである
10/12/09 17:35:48
>>72
あんまり社会主義って感じは受けないね。
大東亜戦争時代の右翼は、アジア主義っぽいような社会主義的側面もあったようですが、そういう流れでもなさそうな感じがします。

74:吾輩は名無しである
10/12/09 17:39:44

三島由紀夫って
「どや顔」の元祖だよね~


75:吾輩は名無しである
10/12/09 17:56:30
女性にはもてたのかな?

76:吾輩は名無しである
10/12/09 19:20:32
>>75
女性からのファンレターは多かったらしいよ。でも結婚したとたんにパッタリなくなったとそうです。

77:吾輩は名無しである
10/12/09 19:56:57
>>76
そうですか。
奥さん綺麗な人だったんでしょうね。

78:吾輩は名無しである
10/12/09 20:21:33
>>77
写真みると小柄で丸顔の可愛い系の猫顔ね。
猫やハムスター、栗鼠好きの三島らしく「可愛いなあ」目線で小さな花嫁を見てます。

79:吾輩は名無しである
10/12/09 21:02:04
>>78
へえ意外。細面の日本的な美人が好きそうな気がしてた。
可愛い系が好みなのですねw

80:猫 ◆m0yPyqc5MQ
10/12/09 21:03:49
また遊女の話か…きもいな、アジアンは

81:吾輩は名無しである
10/12/09 22:29:44
尖閣戦争―米中はさみ撃ちにあった日本(祥伝社新書223)
(2010/10/30)
西尾幹二青木直人

82:マグナ ◆i.K3ZM.pZo
10/12/10 00:47:29
チワワの語りはつまらないんだよな。引き出しが広い奴なら、性格の悪くても面白いことをいう。チワワは根が単純で善良なんだろうが、発言はくだらない代物だろ。

83:吾輩は名無しである
10/12/10 15:07:40
ユーミンが三島の市ヶ谷演説を生で見ていたとは初耳だったわ。

84:吾輩は名無しである
10/12/10 18:18:18
>>83
ユーミンが見てたってホントなのかw
意外だな~。

85:吾輩は名無しである
10/12/10 19:39:11
>>84
ユーミン15歳のとき、将来の夫となる松任谷正隆が市ヶ谷の音楽事務所(風都市)に
給料貰いに行って、事務所のドアを出たときちょうど市ヶ谷バルコニーで演説中の
三島由紀夫が見えたらしい。そのときの光景は鮮明に覚えると語ってます。(元出典:松本隆対談集、ぴあ2005年)

86:吾輩は名無しである
10/12/10 19:44:32
書き足りなかったわ。
>>85に加筆
将来の夫となる松任谷正隆が市ヶ谷の音楽事務所(風都市)に
給料貰いに行くのをたまたま一緒について行って、~

でした。

87:吾輩は名無しである
10/12/11 16:34:31
森田青年は実に明るい笑顔を持った、礼儀正しい好青年で、寡黙ではあったが、内に秘めた何物かが、澄んだ
彼の瞳から輝き出ていた。初対面の時、彼と何を話したのかは覚えてないが彼の無邪気で、しかも落着いた物腰、
時折り真白い歯をみせて人なつっこく笑った顔のすがすがしさが印象に残っている。
当時、日学同は出来たばかりの頃で、学生運動といっても、二、三人を除いて、皆んな不馴れな活動家達だった。
(中略)パーティーでは、学生達から主に私の著作への質問があり、明治維新のことなどを話し合った。
森田青年は、真剣な眼つきで、聞き耳を立てていた。(中略)
それから、左翼の学生運動が急激に活発になり、それと並行して民族派の学生運動も次第に成長していった。
この期間、日学同も急速に発展したので、彼らは忙しかったのだろう、しばらく森田君の顔を見なかった。
次に会ったのは、私の記憶が正しければ、翌四十三年五月の連休に、日学同が主催した理論合宿の席だった。
(中略)話題は政治と文学、核、憲法問題から、ナショナリズム論へと発展し、楽しく緊張した時間であった。
学生諸君は、真剣にノートしながら、聞き入っていた。森田君は私たち講師席から見て、左端の一番前の席で
黙って聞いていた。
(中略)次に会ったのは、同じ年の八月下旬に伊豆多賀の旅館を借りて開催した日学同の幹部合宿に私が講師に
呼ばれて行った時だった。この時も、他の学生と違って森田君はほとんど質問もせず、何かを思いつめた表情で
一点を凝視していた。しかし、休憩時間には、一番はしゃいで大声で笑っていたのも森田青年であった。今、
手元にある記念写真を見ると、この合宿には、小川正洋君など、後で「楯の会」の会員となった学生が数人
まじっている。
そのあと、数回、森田君は日学同の諸君と、一緒に家に遊びに来た。彼が、日学同をやめて「楯の会」の幹部に
なってから彼と会ったのは、国立劇場の屋上で開かれた「楯の会」パレードの時だけだった。
「君はこんど隊長になったそうだね」と私が言うと
「いやあ……」と頭をかいて、はずかしそうに笑った。本当に好青年であった。

林房雄「森田必勝君の追想」より

88:吾輩は名無しである
10/12/11 16:35:24
三島、森田の両君は、桜の花のように、満開の時を待つことなく自ら散った。まことに見事な最期だった。
三島君も森田君も、満開と同時に始まる日本の衰弱と頽廃に我慢できなかった。戦後日本のいつわりの平和と
繁栄―平和憲法、経済大国、福祉社会、非武装中立という、与野党合作の大きな嘘の上にあぐらをかきつつ、
破滅の淵に向って大きな地すべりを始めている日本の実状を敏感に予感し、予見して、怒り、憂いつづけてきたのだ。
二人の烈士の、やむにやまれぬ憂国の諫死は、失われゆく本来の日本、この美しい―美しくあるべき日本
という国を、「エコノミック・アニマル」と「フリー・ライダー」(ただ乗り屋)の醜悪な巣窟にかえて、祖国を
破滅の淵への地すべりさせている「精神的老人たち」の惰眠をさまし、日本の地すべりそのものをくいとめる
最初で最後の、貴重で有効な人柱である、と確信している。
彼等の愛国の至情に発した留魂の行為―何の直接的効果を求めず、身を殺して魂と志を後世に残すという目的は
完全に達せられた。
あの事件は、全日本人の魂をゆり動かした。とりわけ若い世代は―彼らには敗戦の
ショックが無いから、人生に於て最初の衝撃を受けた。(中略)
森田青年が、四十四年二月まで所属していた日学同は、「新民族主義」を掲げて、左翼学生運動と鋭く対立してきた。
憲法改正、自主防衛、失地回復による、日本本来の姿の回復をめざす彼らの運動は、左翼学生のふりまく俗悪化し、
反動化したマルクス主義の毒ガスにおかされた学園にひるがえる鮮烈で、鮮明な旗である。森田君の論文と演説は、
今日の民族派学生運動の、苦闘の体験からにじみ出てきたものである。彼の捨身と留魂の行動は新民族派学生運動を
大きく飛躍増大させた。その事実を、私はこの目で見ている。
森田君よ、安らかに眠れ。君の志をつぐ若者の数は老人たちの予想を越えて多い。君の童顔と微笑と澄んだ瞳を、
すでに老齢の私も決して忘れない。

林房雄「森田必勝君の追想」より

89:吾輩は名無しである
10/12/11 17:07:03
松浦寿輝って、橋本治と崔洋一を合わせたようなブサイクな顔してるね。お笑いの藤本にも似てる。
小説家の顔じゃないね。

90:吾輩は名無しである
10/12/11 17:24:43
URLリンク(caprice.blog63.fc2.com)

「夜郎自大」という表現を石原に対して用いているのは、俵孝太郎さんだけではない。佐野眞一さんが書いた
『てっぺん野郎-本人も知らなかった石原慎太郎』にも、石原を「夜郎自大」だと批判する箇所がある。
それは、三島由紀夫と石原の確執を描いた部分である。
この本によると、石原は、一方で三島由紀夫を崇拝するような文章を書いておきながら、三島との交友を回想した
『三島由紀夫との日蝕』などの中で、三島の生来の運動神経のなさや、ボディビルで促成栽培した人工的な肉体などを
容赦なくカリカチュアして、不必要なほど辛辣に笑いものにしているそうだ。
この『三島由紀夫との日蝕』の中で、ナント石原は、本当は三島は政治家になりたかったのだが、自分に先を
越されてしまったのでずいぶんむくれていた、佐野眞一さんの表現を借りれば、『自分に政界入りの先を越されて
しまったから、三島は世をはかなんで自決した、といっているのも同然』の書き方をしているという。
実際にはどうだったかというと、佐野さんは辻井喬(セゾングループの実質的オーナーだった堤清二のペンネーム)の
述懐を紹介している。それによると、佐藤栄作が三島に政界入りを誘ったが、三島には政界入りする気はなく、
佐藤の無礼な勧誘の言葉に怒り狂った三島は、『もう、あんた(佐藤)とは会わない』と言ったという。
つまり、石原の文章は石原の勝手な妄想に過ぎないのである。佐野さんは、以下のように書いている。

91:吾輩は名無しである
10/12/11 17:27:14
三島の政界進出話に関しては、自分に都合のいい推論だけで重ねた慎太郎の述懐より、辻井氏の語る一連の証言の方が、
三島のプライドの高さから見ても、ずっと真実に近いように思われた。

それにしても、三島の名誉を貶してまで自分の政界進出を合理化しようとする慎太郎の精神構造は、子供っぽさを
超えて不気味である。
慎太郎の論理の特徴は、自己を正当化するためなら、事実を自分の都合のいいようにねじまげても構わないと
考える我田引水と夜郎自大の習性が、随所ににじみでていることである。
(佐野眞一 『てっぺん野郎-本人も知らなかった石原慎太郎』=講談社、2003年=より)

92:吾輩は名無しである
10/12/11 17:49:46
このスレの人は戦後のアメリカ文化による支配をどう見てる?
例えば今の韓国を見ると分かるけど、まあ属国とは文化の
押し売りを受け入れると言う事ではあるんだろう。
いまの韓国や日本の都会人や新興文化と言うのはほとんど
アメリカ文化の亜種で、それにより社会が支配されている。
俺にはそう言う都会の日本や韓国は無気味に見える。
韓国なんて不思議で、不思議と言うかなんというか戦前の
日本みたいに二十の文化構造があるからアメリカ文化に
浄化され1層しか持たない今の日本人である俺から見ると
不思議におもえると言う事なんだろうけど、韓国は日本よりも
ずっとアメリカ化してるのに民族と言うのも同時に強く保ってる。
むしろモダニズムの思想も日本より朝鮮のほうがずっと戦前の
風味が強く残っている。


ただ、おれはこれは明治時代とかの日本に割と近いものなんじゃ
ないかと思うわけで、それを踏まえるともしも南北の朝鮮が統一
されたとしたら極東アジアには日本中国以外に大きな大国となる
国家の基礎が誕生し、これは朝鮮がかつての日本帝国のような
ポジションに今後なっていく可能性もあるのではないかと危惧している。
そしてもしそれが現実になり、今後のアメリカ支配から朝鮮による支配
に変わったとしたらね・・・・・・・

93:吾輩は名無しである
10/12/11 20:42:40
>>92
南北統一直後は経済的に成長低下するかもしれないですが、その後は脅威になるかもしれませんね。
やっぱり核保有しとかないと。

94:吾輩は名無しである
10/12/12 02:54:53
三島がハラキリに失敗してたら海老さんみたいな記者会見したんだろうな。

95:吾輩は名無しである
10/12/12 03:00:22
三島の性格は確かにしょうもないが文学は本物

96:吾輩は名無しである
10/12/12 08:49:02
しょうもなくないよ、自分の美学を通しただけ

97:吾輩は名無しである
10/12/12 10:13:56
しょうもないのは石原慎太郎。はっきり言ってもう死んだ方がいい。

98:吾輩は名無しである
10/12/12 10:29:12
石原の話はそろそろやめていいか?
それよりも戦後日本における民族防衛の失敗を三島はあの世でどう見てるのかな?


99:吾輩は名無しである
10/12/12 11:02:08
民族防衛どころか領土防衛もままならない現状にビックリ、ってところでは。

100:吾輩は名無しである
10/12/12 14:39:17
>>98
石原乙

101:吾輩は名無しである
10/12/12 15:54:44
>>99
しかも三島の夢見たような日本というのは、少なく見積もっても
このあと100年間は実現しそうにないだろう。
そして戦後の世界では、三島が夢見たような国家体制と言うのは
皮肉にも主として社会主義国やイスラム原理主義(宗教社会主義)
においてでしか実現されなかったという皮肉。

三島由紀夫と言う男の保守思想家・文士としての評価やある程度
の記録は後世には残るだろうが、三島と言う男の目指した日本国の
夢は実現されそうに無い。

これをどう考えるべきか。
良いのか、悪いのか。

102:吾輩は名無しである
10/12/12 16:14:05
まず
あの強欲禿鷹アメリカが
自国の莫大な戦費と国民を犠牲にして
日本生意気だぞ!ゴッチンで
終わるわけがないと考えないと・・・


103:吾輩は名無しである
10/12/12 17:16:05
>>101
三島の理想は男性的国家だけど、イスラム教的な女性抑圧社会とはちょっと違うと思う。
ああいう宗教は日本のたおやめ文化や、かかあ天下文化とはやっぱり異質な感じだし。

104:吾輩は名無しである
10/12/12 18:47:09
>>103
ええ、イスラムの女性抑圧社会とはまるで違いますね。
三島が目指したのはヨーロッパの帝國的な気骨ある社会でしょう。


105:吾輩は名無しである
10/12/12 19:47:54
それにしても大正時代の女学生の格好は良いですよね

URLリンク(rnavi.ndl.go.jp)
URLリンク(blogimg.goo.ne.jp)
URLリンク(image.space.rakuten.co.jp)

106:吾輩は名無しである
10/12/12 19:53:46
あとこちら、大河ドラマ「坂の上の雲」にて菅野美穂。
URLリンク(tvde.web.infoseek.co.jp)

昔の女性は、龍馬の姉といい強い印象が多くあります。

107:吾輩は名無しである
10/12/12 19:57:53
明治時代くらいが日本の華だったのかもね。

108:吾輩は名無しである
10/12/13 10:23:09
金閣寺って何度読んでも素晴らしいね。

109:吾輩は名無しである
10/12/13 15:46:10
放送スケジュール
2010/12/16 10:00~11:48 の放送内容 洋画★シネフィル・イマジカ.
午後の曳航
三島由紀夫の同名小説の映画化。英国の港町に住む少年と未亡人の母親の前に1人の男が現れたことで広がる葛藤の波紋。
サラ・マイルズ、クリス・クリストファーソン出演。

110:吾輩は名無しである
10/12/13 15:47:29
放送スケジュール
2010/12/17 15:00~16:50 の放送内容 NHK h.
BSベスト・オブ・ベスト HV特集「熱情と静寂のオペラ~指揮者・大野和士の挑戦」
ワーグナーの「タンホイザー」と三島由紀夫の「班女」(細川俊夫作曲)。
二つのオペラに新たな表現で挑む指揮者・大野和士が、ピアノの弾き語りで自らの創作の秘密を紹介。
ヨーロッパで絶大な人気を誇る日本人指揮者・大野和士が、2つの新演出オペラに挑戦した。
自ら音楽監督を務めるヨーロッパ屈指の歌劇場、ベルギーのモネ劇場で上演したワーグナーの「タンホイザー」と
フランスのエクサンプロバンス音楽祭で上演した創作オペラ、三島由紀夫作、細川俊夫作曲の「斑女」である。
ヨーロッパで花開いた43歳の気鋭指揮者が、2つの舞台をどのように作り上げていくのか、3か月の創作の日々を追う。
出演 【語り】女優…檀ふみ

111:吾輩は名無しである
10/12/13 15:54:04
放送スケジュール
2010/12/19 26:00~28:00 の放送内容 日本映画専門チャンネル.
金閣寺
~ATG・アーカイヴ~(1976年・112分) 監督:高林陽一 出演:篠田三郎/横光勝彦
★少年の頃から金閣を憧憬してきた青年を描く三島由紀夫原作小説の映画化。

112:吾輩は名無しである
10/12/14 19:37:37
三島って自分をゲイだと思っていたんですか?
二十歳?

113:吾輩は名無しである
10/12/14 19:43:26
>>112
ごめんなさい。
正しくはいつまで男性しか愛せないと思っていたのですか?

114:吾輩は名無しである
10/12/14 20:00:04
本当のところは本人にしか分からないわけだし、
あまり実のある質問とは思えないが、私見を言えば、
「自分は男しか愛せない」と思っていた「時期」は、
三島にはないと思う。瞬間的にそう思ったことは
あるかも知れない。しかし、一定の幅をもって、
持続的にそう思っていた時期があるとは思えない。

115:吾輩は名無しである
10/12/14 20:43:09
>>114
誰かに女を紹介されたって無かったですっけ?
その時に女性も愛せることを知ったみたいなことを聞いたことがあったんだけど、
別の人か、気のせいか……。

116:吾輩は名無しである
10/12/14 20:56:50
>>113
学習院時代、友人のお姉さんに片思いして相手にされなかったシャイボーイだっただけで、
男しか愛せないとは思ってはなかったと思う。

117:吾輩は名無しである
10/12/14 21:15:13
>>116
仮面の告白とかの同性愛気質は平岡公威ではなく作家三島由紀夫の物って事でしょうか?
妻が同性愛関係を厳しく叱咤したというのは本当?

118:吾輩は名無しである
10/12/14 23:41:46
>>117
紀平悌子という佐々淳行の姉が三島から貰ったラブレターを、世間に公開したとき奥さんが訴えたらしいので、
同性、異性に関係なく三島に色目を使う人は嫌だったんだと思う。
映画Mishimaも美輪明宏との挿話が嫌だったらしいし、憂国の出演女優にも嫉妬して映画憂国も快く思わなかったそうです。

119:吾輩は名無しである
10/12/14 23:49:18
>>117
同性愛気質があったのはエッセイなどにも書かれてるので本当だと思いますが、
同級生の妹と真剣に恋愛してたことも事実なので、仮面の告白は脚色混じりのものです。

120:吾輩は名無しである
10/12/14 23:50:20
三島が可愛がってた猫にも嫉妬したとかいうねw
三島夫妻は仲がよかったのか悪かったのかわからない。


121:吾輩は名無しである
10/12/15 00:04:48
からっ風野郎で若尾文子との濃厚なラブシーンも奥さんの大反対で取りやめになったらしいしよ。
結婚も最初父親が断ろうとしたら、三島と結婚できないなら死ぬと脅して説得したとか。


122:吾輩は名無しである
10/12/15 00:21:30
お見合いだったよね?
有名人が見合結婚というのもかなり珍しいよね。
奥さんは三島のファンだったのかな?

123:吾輩は名無しである
10/12/15 00:36:58
隠れファンだったのかもね。

124:吾輩は名無しである
10/12/16 00:44:03
一方が有名人なら、お見合いというより面接みたいなものでしょうね。

125:吾輩は名無しである
10/12/16 00:59:26
美智子さんには断られてしまったんだんだってね。

126:吾輩は名無しである
10/12/16 02:48:30
>>118>>119
ありがとうございました!

127:■哀■切■か■つ■峻■烈■な■儚■い■命■の■熟■女■モ■コ■
10/12/16 12:23:25
クリスマスイヴの日、ペイヴメントでモコとアントニオは再会した(*)
お互いの元気な姿を確かめ、いたわるように抱き合った☆
過ぎ去った愛の時が2人の胸に去来した(*)((ξ))((υ))
モコとアントニオは大学の創作クラスで机をならべて勉強していたが*
政治活動に熱中するモコと それに興味を示さないアントニオの生き方は
まったく違っていた☆ やがて、2人は卒業し、各方面に散っていった☆
プロレスファンのクリスマス会場で モコとアントニオは 偶然、再会した☆
しかし アントニオはアンチモコ派の特攻隊員になっていた*
だが 2人は急速に親しくなり、(*)((φ)) (*)((δ))
アパートの1室で愛の生活を始めるようになったが(*)((ξ))
モコの政治への興味は尽きず、(*)((δ))
反アンチモコ派運動の積極的な活動家として活躍し始めた((υ))
けれど アントニオは そんなことに興味を持たなかった(*)((δ))
やがて…アントニオはリバプールの化石になった!!((ο))((φ))
ツトムは テキサスのアンモナイトになった!!((δ))((ξ))
哀切かつ峻烈な「命」の物語…!☆ 透明な絶望と輝ける闇の希望・・ *
透明な愛と都会のアーバンな孤独… !((ξ))強く儚いモコ・・・ !☆
鮮烈にして 不確かなモコ!((υ)) * (*)((ξ))  *
モコは若いころは学生運動に夢中になっていたの(*)((δ))
「アンチモコ派 反対!」「アンチモコ派 撲滅!」「アンチモコ派 殲滅!」
と書かれたプラカードをもってデモ行進をしていたのヨ(*)((Φ))
でも モコはアンチモコ派のアントニオに恋をしてしまったの(*)((ψ))
そして モコはアントニオと結婚したの(*)((ξ))
でも アントニオの汚いやり方に嫌気が差してきたの(*)((φ))
それで モコはアントニオが主催したセレブパーティーの会場を
突然 抜け出して 「アンチモコ派 反対!」「アンチモコ派 撲滅!」
と書かれたプラカードをもって 走り出したのヨ(*)((ο))
雪のふりしきる街路樹をモコは「アンチモコ派 反対!」(*)((δ))
と 叫んで ビラまきを始めたのヨ(*)そんなモコの顔は 輝いていた!*

128:吾輩は名無しである
10/12/16 15:54:26
>>125
それ本当なの?

129:吾輩は名無しである
10/12/16 17:38:49
三島由紀夫の本質↓         .ノ′    } 〕    ,ノ           .゙'┬′   .,ノ
                  ノ      } ゙l、   」′           .,/′   .,ノ _,,y
    .,v─ーv_         〕      〕 .|  .il゙            《 ._   .,,l(ノ^ノ
   ,i(厂  _,,,从vy      .,i「      .》;ト-v,|l′          _,ノ゙|.ミ,.゙'=,/┴y/
   l  ,zll^゙″  ゙ミ    .ノ       .il|′アll!           .>‐〕 \ _><
   《 il|′     フーv,_ .,i″       ||}ーvrリ、             ¨'‐.`   {
    \《 ヽ     .゙li ._¨''ーv,,_     .》′  ゙゙ミ| ,r′                }
      \ ,゙r_    lア'    .゙⌒>-vzト    .ミノ′                 〕
       .゙'=ミ:┐  .「      ./ .^〃     :、_ リ                   .}
         ゙\ア'   .--  ,,ノ|    、    ゙ミ}                   :ト
           ゙^ー、,,,¨ -   ''¨.─   :!.,   リ                   ノ
              〔^ー-v、,,,_,:     i゙「   }                  .,l゙
              l!     .´゙フ'ーv .,y    ]                  '゙ミ
              |     ,/゙ .ミ;.´.‐    .]                   ミ,
              |     ノ′ ヽ      〔                   ミ
              }    }     ′    }                   {
              .|    .ミ     .<     〔                    〕
              .{     \,_   _》、    .{                    .}
              {      ¨^^¨′¨'ー-v-r《 

130:吾輩は名無しである
10/12/16 17:41:06
>>128
元楯の会会員の村上という人の本によると、そうらしいことになってます。

131:吾輩は名無しである
10/12/16 23:00:59
今、BS hiで村田英雄特集やってるけど三島由紀夫がご贔屓だったのがわかる。

132:吾輩は名無しである
10/12/17 16:38:47
>>130
家柄で言うと奥様の杉山家と美智子さんの正田家は同じくらいなんでしょうか?

133:吾輩は名無しである
10/12/17 19:29:10
>>132
正田家の方が世俗的には出世した実業家一族です。

134:吾輩は名無しである
10/12/18 08:55:50
>>133
ありがとうございました。

135:吾輩は名無しである
10/12/18 10:56:01
今回の石原都知事の規制の件、三島だったらなんていってたの?

136:吾輩は名無しである
10/12/18 11:30:21
>>135
三島は基本的には言論統制、表現統制には反対のようですが、現在のようなあまりにも好き勝手な野放しな状態は
やっぱり好ましいとは思わないかもしれませんね。
ただ三島は「国家権力が人の顔(芸術表現)の良し悪しを言うのは遠慮がちにすべきだ」と言ってますから、
その規制は、業界側の自主規制などが好ましいと思うんじゃないでしょうか。

137:吾輩は名無しである
10/12/18 11:47:36
あと、一連の石原慎太郎の「役に立たないからだめ」的な発言には異を唱えると思います。
三島は、文学とか芸術は「お国の役に立たないってこと」をはっきりさせておかないといけないと言ってますね。

138:吾輩は名無しである
10/12/18 13:21:40
東京バレエ団が「三島由紀夫」への追悼バレエを上演します。

12月18日&19日@東京文化会館
振付:モーリス・ベジャール

初演の際は教育テレビで放送された傑作です。
故モーリス・ベジャール氏は「六世歌右衛門」を追悼するバレエも作ってます。

139:吾輩は名無しである
10/12/19 02:29:44
三島由紀夫という作家を考えたとき
その人生の軌跡と詳細、記述のすべてを辿ると
わたしには、恐るべき完全主義で痩我慢な理想家という印象をぬぐえない。
たとえば小林秀雄全集を読めば、わたしたちは
小林の思想の変遷という前後の矛盾に容易に行きあたる。
ところが三島のは首尾一貫、どこを切っても矛盾のない金太郎飴なのである。
あやういところはすべて強引に観念と行動の巧緻な使い分けによって、必ず
どこかで合理化されている。(略)まるで本人が編纂した人生設計の書物を読むような
味気なさである。しかしわたしたちはこのような人工的、不自然な作為の跡を、
いかにそれが強い意志と気力によってささえられたものであろうともまともな思想家の
産物と同一視してはならない。それが作為的であればあればあるほど、人間本来の
自己矛盾・あからさまな生の正体を見出す反証を求めたくなるのだから。(後略)

140:吾輩は名無しである
10/12/19 02:41:32
>>137
三島の代弁おまえにできんのか、アホが

141:吾輩は名無しである
10/12/19 11:43:28
>>139
なにその、石原慎太郎じみた駄評。嫉妬丸出しですね。

142:吾輩は名無しである
10/12/19 11:50:32
>>139
その批評自体が人工的で作為的だよ。
なにか変な凝り固まった印象しか持てない人が書いた稚拙な批評って感じ。

143:吾輩は名無しである
10/12/19 12:02:33
>>140
三島は、文学や芸術は「お国の役に立つためのものじゃない」と言ってますから、
石原のような、役に立たないからダメみたいな合理主義とは全く真逆な考えです。

144:吾輩は名無しである
10/12/19 18:02:14
>>143
「お国の役に立つ」文学や芸術なんてあるかな、と思ったらありましたね。
火野葦平は戦争勃発後の国民的大ベストセラー作家
その後も「お国のため」に数多の国策文学が生まれました。

これら後の「戦犯文学」について、三島はどのようにコメントしていますか?
三島は概ね軍国少年でしたが、戦後、いつの時期に言及しましたか?

知らなければスルーで結構です。


145:吾輩は名無しである
10/12/19 19:22:22
>>144
…戦後の変節の早さ、かりにも「一国一城の主」が、女みたいに「私はだまされてゐた」と言ひ出すのを見ては、
私はいはゆる文化人知識人の性根を見たやうな気がしたのである。
大体、文化人や知識人と名乗るだけの人間が「だまされてゐた」では通るまい。この種の人たちは、十中八九、
口ほどにもないお人よしで、実際にだまされてゐたのかもしれないが、それを言はないで、だまされてゐたままの
自分の形を押し通すだけの自負がなかつたのか。思想的弾圧のはげしさは言語を絶してゐたかもしれないが、
いくら割り引いてみても、知識人文化人のたよりなさの印象はのこるのである。
変節防止のために相互監視をやつたらどうか。言論の自由を守るとは、結局自分を守ることだといふのでは情けない。
「われわれの考へる言論の自由」といふものを本当に信じ、それを守り抜くためには、一人一人ばらばらでは、
はなはだたよりなかつた前歴があるから、今度は二度と引き返せぬやうに、相互監視でもやつて変節を
防止しなければ、第一、われわれの言論を信じてくれる読者各位に対して申し訳ないではないか。十年もつといふ
宣伝で買つた洗濯機が、三日でこはれてしまつては、商業道徳に反するではないか。
大体、文化人知識人などといふものは、弱い立場なのである。社会的地位もあいまいで、非常の場合に力で
押して来られたら一トたまりもない。幸ひ今は平和な時代で、大きな顔をしてゐられるが、われわれが大きい顔を
してゐられるから、平和がありがたい、といふのでは、材木が売れるから地震がありがたい、といふ材木屋の
考へと同じである。

三島由紀夫「フィルターのすす払ひ―日本文化会議発足に寄せて」より(昭和43年)

146:吾輩は名無しである
10/12/19 19:24:02
世論なるものの作られ方自体にも、相当怪しいところがあるのである。子供にだつて、シュークリームと
あんころもちの二つを選ばせれば、どちらがうまいか、自分の意見を決めることができるが、シュークリームだけを
与へつづければ、世界中でシュークリームほどうまいものはないと思ふやうになる。
今、日教組がとなへてゐる「教育の自由」とは、シュークリームだけを与へる教育の自由なのである。
ジャーナリズムの有力な傾向も、公正に見せかけた「選択の自由の排除」であつて、われわれは言論を通じて、
公正な選択の場を何とか確保しようと努めてゐるにすぎない。
現代政治の特徴は何事も世論のフィルターを濾過されねばならぬことであらうが、そのフィルターにくつついた
煤の煤払ひをしなければ世論自体が意味をなさぬ。かくも強力なフィルターが、煤のおかげで、ひたすら被害者、
被圧迫者を装つて、フィルターの濾過を拒んでゐるやうな状況は、不健全であるのみならず、フィルターの
権威を落すものであると考へられる。
かくてわれわれは、手に手に帚を持つて、煤払ひの戦ひに乗り出したといふわけなのである。

三島由紀夫「フィルターのすす払ひ―日本文化会議発足に寄せて」より

147:吾輩は名無しである
10/12/19 21:22:47
>>146
読んだことのある文章です
私が問題にしたかったのは「時期」なんですね
なるほど三島は「憂国」以前からこのような考え方を沈潜し抱いていました
それが三島の金太郎飴たる所以なのです
しかし「私はだまされてゐた」と指弾された文学者、知識人
昭和43年当時においてはとっくに断罪され尾羽打ち枯らしていたのです
まったく三島が極右化の装いを呈する口実に利用されたものでしかなかった
三島事件のとき、そのアクロニズムが嘘くさいと捉えらた根拠にもなっているのです
これが三島の本当の敵は内なる自身の中に在った心理的な、孤独なものではなかったか
と早くから囁かれた根拠です
三島の自死の理由はほとんど全集のうちでのみ完結し外部には何ら発展性を与えない
虚妄だった正体が、ここからも窺えます。

148:吾輩は名無しである
10/12/19 21:43:22
>>147
すまない、それはどういうことですか?
私はそうは思いませんがね。
確かに動機としてそういう事もあったのでしょうが
三島の自決は孤独とは程遠いものだと感じます。


149:吾輩は名無しである
10/12/19 23:14:42
>>148
それらの三島の論のどこが極右なのかさっぱりわかりませんね。
それに三島は戦後すぐの二十歳前後にも同じようなことを言ってますよ。あなたがそれを知らないだけで。
むしろ右翼から左翼へ世の中が変節したからずっと芯が変わらなかった三島が右翼にみえただけの話。
あなたみたいな、まるで石原慎太郎が最近の三島特集で書いてたような薄っぺらいこと言ってもしょうがないでしょう。
何一つろくに詳しく知らないくせに。

150:吾輩は名無しである
10/12/19 23:44:03
>>147
「私はだまされてゐた」と言って戦後左翼的になった文化人は別に断罪されてないんじゃないの。吉本隆明など。
むしろ断罪されたのは保田與重郎のような変節しなかった人でしょ。

151:吾輩は名無しである
10/12/20 00:14:29
うん、あまりにも「らしく」て、笑ってしまう。
―そこに人間は居ない。ただ観客があるだけで。

152:吾輩は名無しである
10/12/20 02:16:41
>>148以下
私は昭和40年という時代の思潮をしらべたことがあって
すでに転向左翼も転向右翼も一部やり玉に上がっていた
当時の古本をみるとわかりやすい
いつの時代にも慧眼はあるものだとおもった
二十歳前後の三島の書き残した手紙を熟読すると
とんでもなく内容が幼稚で、同世代の一般の旧制高校や帝大生と比べても酷い、
単純というより幼稚。内的混乱をひたかくした表面上の演技かと読めるほど...。

盾の会をもくろんだ当初、小林秀雄にリークして諫めてらおうとした友人の行為が
三島の逆鱗に触れた逸話がある。尋常な怒りでなかったという。

三島の書物からどこまでエクスキュースを読むかは各人の自由だろう
信ずれば、その思想は一貫している。退屈なまでに
いっぽう信じなければ、面白い。一時代を必死に駆けたユニークな人だと感ずる

153:吾輩は名無しである
10/12/20 06:16:00
おまいらはじめて読んだ三島の小説は何だった?
俺は金閣寺

154:吾輩は名無しである
10/12/20 06:47:34
三島作品で初めて読んだのが「不道徳教育講座」で、
小説として最初に読んだのは「午後の曳航」

155:吾輩は名無しである
10/12/20 08:52:44
ロイと鏡子は読むべきですか?

156:吾輩は名無しである
10/12/20 09:20:56
>>152
幼稚どころか後年に通じる立派な内容です。それから、民兵防衛隊を目論んだときは、知人の誰にも三島は話してません。
村松が小林に相談したのはもう三島が死ぬ間際の時期の話。
いい加減なデタラメ言わないでね、ろくに知りもしないで上っ面老害バカが。都庁からお疲れでした。

157:吾輩は名無しである
10/12/20 09:24:00
>>155
たいしたことは書いてなかったから、どっちでもいいかと。

158:吾輩は名無しである
10/12/20 11:37:39
「仲間」は傑作ミステリー

159:吾輩は名無しである
10/12/20 12:10:46
>>157
わかりました。

160:吾輩は名無しである
10/12/20 13:21:42
>>152
将来三島の影響で国粋的な政治家が出てきて、かつヒトラーのごとく国家を
扇動し支配するような時が来たとしたら、あんたはどうするんだ?

161:吾輩は名無しである
10/12/20 20:47:06
三島由紀夫の文章って句読点が多いな。俺は谷崎の春琴抄くらいで十分だと思うんだ。

162:吾輩は名無しである
10/12/20 20:54:57
それはない

163:吾輩は名無しである
10/12/20 21:38:33
>>156
どういうところが立派なんでしょうか
おしえてください


>村松が小林に相談したのはもう三島が死ぬ間際の時期の話。
>いい加減なデタラメ言わないでね、ろくに知りもしないで上っ面バカが。

村松剛「三島由紀夫の世界」より
自衛隊入隊が決まり、出発に先立ち、ささやかな会を三島のために開こうと、
新潮社の菅原國隆に村松剛は相談した。ジャーナリズムにはいっさいそのことを
秘密にしていた三島だったが、「奔馬」の連載を担当していた菅原氏には打ち明けていた。
(中略)
翌日、菅原氏から村松に電話がかかってきて、だれか三島さんの暴走を止められる
人はいないかねえ、と相談がもちかけられ、先輩の小林秀雄に頼んでみる、という結論になった。
一度自衛隊から帰宅した三島を菅原氏は鎌倉に誘い、小林秀雄に会わせた。
あせってはいけない、とのようなことを小林秀雄から三島はいわれ、その翌日、
村松に三島は電話をした。「けしからんよ、菅原は、変な小細工を弄して。
小林さんをつかって俺を抑えようとした」と怒りの声だった。

三島は新潮社に対してその編集者とはこれ以上のつながりを打ち切りたいと警告した。


>>160
だいじょぶ、私が未然にふせぎますから
チワワさんはそのための尊い犠牲です(笑)

164:吾輩は名無しである
10/12/20 21:39:40
三島を指導したボディビルコーチの鈴木智雄
「自由が丘の私のジムに週2回、通ってこられるようになりました。
1回、1時間程度の練習を2年ぐらいつづけられました。
私のところをやめたあとも10年間つづけたそうで、
その意志の強さには敬服しますが、三島さんの目的は、
肉体の表面を美しく見せるにはどうしたらいいかといったものだけで、
体育の本質には迫らず、本物を追求する精神はなかったようです」


165:吾輩は名無しである
10/12/20 21:41:07
兵役検査には父の梓の作為があった。筋骨隆々とした田舎の青年たちの間に混じれば、
実際よりずっと貧弱に見え、丙種くらいになるかもしれないという父親の思惑に従って、
平岡家の原籍がある岡山県にまで出向いて徴兵検査を受けた。
青年の矜持はまるで放り出されたようなものだった。
三島は兵役検査に不合格だったことが深く傷ついていたのだ。
同時に敗戦直前までの戦争中の時代、この世の中はどうせ終わるという、
世界終末観に深くとらわれていた。
その終末観は、昭和28年の短編小説『急停車』のなかで
「あんなに甘い、あんなに感傷的な、あんなに浪漫的な、あんなに日当たりのいい」
ときはなかったと書き、「戦争は純然たる『抒情的な』思い出であった。
甘いものを先に食べると、後で食べるものの酸っぱさが倍加されるように
、戦争が終わって以来、彼の個人的体験には本当の喜びというものがなかった」
と主人公に言わせている。
戦後、乗馬などという貴族趣味から、荒々しいボディビル、ボクシング、剣道へ進むのも、
兵役検査に甲種不合格の烙印を押されたという屈辱の反動である。
(「三島由紀夫はいかにして日本回帰したのか」宮崎正弘)

166:吾輩は名無しである
10/12/20 22:30:14
チワワって戦中の旗振り坊やのレベルで三島を尊敬してんだな。

167:吾輩は名無しである
10/12/20 23:36:00
>>163
その(中略)の間は何なんですか?
それじゃあ「翌日」がどの日の翌日か不明ですけどね。偏向捏造にもとれますよ。ご苦労さまでした。

168:吾輩は名無しである
10/12/20 23:47:16
ああ~チワワ得意の目糞鼻糞w
無知がバレバレで大変ねwww

それより質問です。宮崎正弘とはどんな人でしょう。

169:吾輩は名無しである
10/12/20 23:47:22
>>165
その宮崎さんの記述は勘違いによる間違いですから。
三島は徴兵検査に合格してます。
いざ入隊する前の入営検査の健康診断で結核を疑われて帰郷になったんですけどね。

ろくに知りもしないから、間違いの本からひいてきた人のblogから、さらに真に受けてコピペして恥さらしましたね(笑)

170:吾輩は名無しである
10/12/20 23:51:57
なんでまたそんな見えすいた嘘で逃げんの?
「兵役検査」と書いてんのに曲解してさ、クズ

さあ、宮崎正弘とはどんな人でしょう。

171:吾輩は名無しである
10/12/20 23:56:00
>>163
その本持ってるけど、たしか菅原や村松が小林秀雄に相談したのは、もう市ヶ谷事件に近い時期のことだったと思うよ。
明日もう一度見てみるけど。

172:吾輩は名無しである
10/12/20 23:57:51
宮崎の引用に反論できんのそれだけ?
かわいそうな信者だね(笑)

おまえは三島を穢してるんだよクズ

173:吾輩は名無しである
10/12/21 00:02:40
>>170
だから 「兵役検査」は合格してるんだよ。
その何ヶ月か後の入隊時の健康診断で帰郷になったわけだから、宮崎さんの記述は正しくないの。

174:吾輩は名無しである
10/12/21 00:03:09
>>171
素直に読み落としたと言えんのかクズ
俺はそれを指摘したんだよ
言い訳するくらいならレスすんなボケェ



175:吾輩は名無しである
10/12/21 00:09:05
>>174
あんたは実際その本の全文自分で読んでないんでしょ。
(中略)の間に何が書いてあるか言ってみなよ。

176:吾輩は名無しである
10/12/21 00:09:15
「徴兵検査」→「赤紙」→「兵役検査」

177:吾輩は名無しである
10/12/21 00:10:59
>>175
実は前に引用したので省略したのですよw
残念でしたね

178:吾輩は名無しである
10/12/21 00:17:05
三島は徴兵検査に、第2乙種合格しています。これは公式記録。

宮崎氏の甲種不合格というのは勘違いによる凡ミスですよ。

179:吾輩は名無しである
10/12/21 00:21:38
>>177
捏造を誤魔化さなくていいから。
村松が小林秀雄に相談したのは、三島がサンケイ新聞に、例の有名な「果たし得ていない…」を書いた後のことだよ。

180:吾輩は名無しである
10/12/21 00:22:59
いいから村松の本よみなおせカス野郎

181:吾輩は名無しである
10/12/21 00:25:28
>>180
捏造を指摘され涙目ジジイ(笑)

182:吾輩は名無しである
10/12/21 00:30:16
「甲種合格」は勲章みたいなものですよ

「甲種不合格」はそれ以下てこと

なにいってんだかこのオッチャンw

183:吾輩は名無しである
10/12/21 00:32:04
左翼は三島の記憶を人々から極力小さくしたいのと、今後の日本で
三島イズムが運動レベルにならないように必死だな。

184:吾輩は名無しである
10/12/21 00:37:54
>>182
そんなことどうでもいいんだよ。徴兵検査にはとにかく第2乙種でも「合格」してるわけだから合格ってこと。

185:吾輩は名無しである
10/12/21 00:39:21
三島由紀夫が「精神的クーデター」を狙うかのごとく憂国の諫死をとげてから、早や四十年の歳月が流れた。
あの驚天動地の衝撃は日本の思想界、言論界に強烈な影響を与えた。事件直後のテレビニュースにでた林房雄は、
「正気の狂気」と比喩した。藤田東湖の正気の歌を思い出す人も多かった。中曽根防衛長官が「狂ったのか」と
発言したことに対して「はじめから終わりまで正気だった」と林は二重の意味を込めたのだ。正気(せいき)を
正気(しょうき)と呼ぶのは戦後である。
新保祐司の比喩によれば、「美の世界から三島は或る日、『正気』に選択されて『義』に向かった」という。
正気とは領土とか人民の危機レベルではなく、磯部浅一は「正気の危機」だと言った。吉田松陰は大和魂と言ったが、
どれもこれも外国人には分からない。いまの日本は「日本人」の顔をした外国人が多いから吉田松陰も三島も
分からない。西郷さんも乃木将軍もわからない。
三島事件直後に江藤淳は小林秀雄と『諸君』での対談で「(三島さんは)単に老衰しただけじゃありませんか」
と言い、小林が「それなら君は堺事件をどうおもうか」と、日本の歴史にはときに訳が分からないことがおきる
のであり、それが歴史だという意味のことを言った。
戦争は悲劇であり、悲惨というレベルだけで戦争を総括するのは錯誤でしかなく、崇高という感覚が
“狂気の正気”となる。石原慎太郎には、これが分からないらしい。なぜか、石原は三島となるとムキになって
矮小化したがるからだ。
戦後の日本は戦争を悲惨とだけ捉え、人間主義、自己実現だけとなって、他者実現、崇高さが失われた。
義と美との距離は前者がユダヤー欧英に強く、後者はギリシア、ローマなど南欧に流れた。デビュー直後は
ギリシャに憧れた三島は明らかに美をもとめていた。そして歳月が流れ、正気が三島を選択した。
正気は50年、100年に一度、突発するのが日本の歴史であり、三島事件は乃木希典の殉死で日本中が
わなわなと震えて感動した事件以来かもしれない。精神においては特攻隊以来であろう。

宮崎正弘「ミシマのいない平成元禄」より

186:吾輩は名無しである
10/12/21 00:41:36
さて筆者自身、学生運動を担っていた時代、三島由紀夫、林房雄、村松剛らの指導を仰いでいた。三島は筆者らが
出していた民族派理論誌「日本学生新聞」の創刊号に祝辞を寄せてくれ「天窓を開く快挙」と期待を表明し、
また全日本学生国防会議(森田必勝が議長)の結成大会に駆けつけて万歳三唱をしてくれた。その後、森田が
楯の会専従となり、あの事件へと突っ走ることになる。直後の追悼会は池袋の豊島公会堂に入りきれず、会場前の
公園に数万のファンが押し寄せた。しかし三島事件以後、日本の精神的堕落、知的頽廃はますます進行するばかりだ。
まさに「芭蕉も近松もいない昭和元禄」と三島が書いたが、その「三島もいない平成元禄」になった。
国益を考えない政治家がままごと政治をおこない、そのリーダーシップの劣化は官界におよび、ちっぽけな汚職が
はびこり、財界には侍が不在となり左翼論壇は滅びたはずなのに失業互助組合のような媒体と支援団体でかろうじて
息をつなぎ、偏向マスコミの売国的言論を維持している。
三島由紀夫は「生命より大事なものがある」と精神的クーデターを企て、日本の文化伝統の尊さを日本人に
覚醒させようとした。しかし「自分の行為は五十年後、百年後でし

187:吾輩は名無しである
10/12/21 01:29:36
そんな宮崎正弘が書いた>>165の文から
あなたが兵役云々の言葉尻で逃げようとしている前段の要旨に
私はつなげて書いてきたわけですが
宮崎正弘がかいた「屈辱の反動」をあなたはみとめるのですね
そこだけを拡大解釈して、とあなたは思うでしょう
しかし私の真の意見はちがうのです
そこはまだ明らかにはしません(長くなるので)
宮崎の他の意見はもはや類型化してるとさえ感じます
たとえば私は、村松の本も、彼が癌に犯され余命が知れていたことを
常に意識して読みました。私はそういう読み手なのです。
三島は非常にいかがわしい。そこに興味があって、間違っても神秘化は
しない。そして神秘化を促すあらゆる意見をこばみます。
三島をつまらなく限定する意見だからです。

188:吾輩は名無しである
10/12/21 09:18:41
>>187
宮崎氏の言ってるようなことは三島本人が自分で「太陽と鉄」で言ってることでしょ。
なにを珍しがってんだか。バカじゃないの、あんたは(笑)

189:吾輩は名無しである
10/12/21 09:59:24
>>188
誰も神秘化なんかしてないけどね。三島の遺した提言は極めて現実的なものだし、
あんたみたいな石原もどきや、ブサヨがああだこうだと嫉妬にまみれてチンケな分析もどきをして悦に入って
偉そうに評論家きどりすることなんか全部、三島は覚悟した上で、後世に遺しておかなきゃいけないと思ってやったことなんだから、
あんたみたいな腑抜けの古びた解釈なんかどうでもいいことなんだよ。

190:吾輩は名無しである
10/12/21 10:58:20
>>187
つまらない限定しているのはおまえなんだが

191:吾輩は名無しである
10/12/21 11:37:42
というか、>>187の「神秘化」は使い方を間違えてるんじゃないかな。
これでは末尾3行が意味不明。「神格化」なら意味が通じるが。
ま、>>189の言うように、誰も神秘化や神格化はしてないんだが、
187氏には、三島を擁護する意見はすべてそう見えるんだろう。

192:吾輩は名無しである
10/12/21 11:44:51
石原のような国家主義者と言うのは、本来なら三島の考えに共感して
文化伝統に基づく民族主義的な国家像と言うのを抱かなければならんはず
であるが、そうじゃないからんね。

193:吾輩は名無しである
10/12/21 13:18:58
武田泰淳
「彼の場合は、小説と現実が一致しているわけですね。普通は、実際にできないことを
小説でやると考えるのですが、彼の場合は、完全に一致していたように思います。
(略)彼の文学のなかに死とエロチシズムは密着しているわけですから、
死とエロチシズムを密着させるという美学はいいが、そうすると、いつ自分が死ぬかと
いうことを決めなければならない。普通、作家というものは、行動と作品が一致しない
からこそ作品が出てくるというふうに、鴎外、漱石からずっと続いていると思う。
だが三島さんの場合には、いつでもできそうになっているわけですね。
切腹の小説を書いても切腹しないのが建前なのだが、彼は逆で、切腹の映画をやった
からには切腹するのであるという固定観念が彼の中にあったと思う」
(朝日新聞 昭和45年11月26日)

194:吾輩は名無しである
10/12/21 15:45:32
私と彼とは文体もちがい、政治思想も逆でしたが、私は彼の動機の純粋性を一回も疑ったことはありません。
(中略)最近の彼は、私など好きでなかったかもしれないが、そんなことは一向にかまいません。むしろ、
彼に嫌われるやりかたで、私は、彼を好きのままでいてやりたいと思います。

武田泰淳
週刊現代増刊・三島由紀夫緊急特集号のコメントより

195:吾輩は名無しである
10/12/21 15:46:26
息つくひまなき刻苦勉励の一生が、ここに完結しました。疾走する長距離ランナーの孤独な肉体と精神が
蹴たてていった土埃、その息づかいが、私たちの頭上に舞い上り、そして舞い下りています。あなたの忍耐と、
あなたの決断。あなたの憎悪と、あなたの愛情が。そしてあなたの哄笑と、あなたの沈黙が、私たちのあいだに
ただよい、私たちをおさえつけています。それは美的というよりは、何かしら道徳的なものです。あなたが
「不道徳教室講座」を発表したとき、私は「こんなに生真じめな努力家が、不道徳になぞなれるわけがないでは
ないか」と直感したものですが、あなたには生まれながらにして、道徳ぬきにして生きて行く生は、生ではないと
信じる素質がそなわっていたのではないでしょうか。あなたを恍惚とさせようとする「美」を押しのけるようにして、
「道徳」はたえずあなたをしばりつけようとしていた。それは、あなたが肉体の効能を意識しはじめた瞬間から、
あなたに猛訓練を求めました。いや、文章をつづりはじめた瞬間から、あなたの文体(つまりは精神)を、
きびしい緊張の城塞とし道場としたのです。

武田泰淳「三島の死ののちに」より

196:吾輩は名無しである
10/12/21 16:04:15
ヴァレリーもいってるように、作家というのは、作品の原因でなくて、作品の結果ですからね。自己に不可避性を
課したり、必然性を課したりするのは、なかば、作品の結果です。ですけれども、そういう結果は、ぼくはむしろ、
自分の“運命”として甘受したほうがいいと思います。それを避けたりなんかするよりも、むしろ、自分の
望んだことなんですから……。生活が芸術の原理によって規制されれば、芸術家として、こんな本望はない。
ぼくの生き方がいかに無為にみえようと、ばかばかしくみえようと、気違いじみてみえようと、それはけっきょく、
自分の作品が累積されたことからくる必然的な結果でしょう。ところがそれは、太宰治のような意味とは、
違うわけです。ぼくは芸術と生活の法則を、完全に分けて、出発したんだ。しかし、その芸術の結果が、生活に
ある必然を命ずれば、それは実は芸術の結果ではなくて、運命なのだ。というふうに考える。
それはあたかも、戦争中、ぼくが運命というものを切実に感じたのと同じように、感ずる。つまり、運命を
清算するといいましょうか。そういうふうにしなければ、生きられない。運命を感じてない人間なんて、
ナメクジかナマコみたいに、気味が悪い。
…「新潮」の二月号に西尾幹二さんがとてもいい評論を書いている。芸術と生活の二元論というものを、私が
どういうふうに扱ったか、だれがどういうふうに扱ったかについて書いている。日本でいちばん理解しにくい考えは、
それなんですよね。それで、作品と生活との相関関係ということが、私小説の根本理念ですから、その相関関係を
断ち切ることは、絶対できない。私の場合は、作品における告白ももちろん重要ですけれども、実は告白自体が
フィクションになる。作品の世界は、さっきも申し上げたように、かくあるべき人生の姿ですからね。もし、
自分が作品に影響されてかくあるべき人生を実現できれば、こんないいことはないわけですけれども、逆に
そうなれないというのが、人生でしょ。

三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より

197:吾輩は名無しである
10/12/21 16:05:56
そうなれないことが人生で、それでは、そうなれない人生をもっと問題にして、どうにもならんことを小説に
書けばいいではないか、という考え方も出てくると思う。しかし、ぼくは、それは絶対やりたくないですね。
死んでも、やりたくない。そういうことを書く作家というのが、きらいなのです。小島信夫の「抱擁家族」などと
いうのは、そうならない人生を一生懸命書いているわけです。そうなれない怨念を書くのが文学だとは、ぼくは
決して信じたくない。
文学というのは、あくまで、そうなるべき世界を実現するものだと信じている。告白といいますけれども、
告白も、かくあるべきだ、こうなりたいんだ、けれども、こうならなかったという、それを語るのが、告白であって、
告白と願望との関係は、ひと筋なわではゆかないと思いますよ。人はいつでも、告白するとき、うそをついて、
願望を織り込んでしまうと思うのです。

三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より

198:吾輩は名無しである
10/12/21 16:12:28
遠藤浩一『福田恒存と三島由紀夫』について(宮崎正弘)
三島の自決を聞いた福田は「わからない。私には永遠にわからない」
と発言したと当時の東京新聞が報じ、週刊誌が「名言(迷言)として伝えた。
評者は、その後、福田の真意を確かめたくていたところ、
おりからの福田恒在全集の三島論が納められているのを発見した。
(直後にわからない、わからないと新聞に答えた氏は)「もし三島の死と
その周囲の実情を詳しく知っていたなら、かはいそうだとおもったであろう、
自衛隊員を前にして自分の所信を披瀝しても、つひに誰一人立とうとする者もいなかった。
もちろん、それも彼の予想のうちに入っていた、というより、彼の予定通りといふべきであろう。
あとは死ぬことだけだ、そうなったときの三島の心中を思うと、いまでも目に涙を禁じ得ない。
が、そうかといって、彼の死を「憂国」と結びつける考えかたは、私は採らない。
なるほど私は「憂国忌」の、たしか「顧問」とかいう有名無実の「役員」の中に名を連ねてはいるが、
毎年「憂国忌」の来るたびにそれをみて困ったことだと思っている(中略)。
二十年近くも(憂国忌を)続けて行われるとなると必ずしも慰霊の意味だけとは言えなくなる」
(中略)「憂国忌の名はふさわしくない。おそらく主催者側も同じように悩み、
その継続を重荷に感じているのではなかろうか」と言う。
福田氏の推論が正しいか、どうか。おそらく間違いであろう。
三島は「自分の行為は五十年後、百年後でなければ分からない」と、
その営為をむしろ後世の再評価に賭けた。
ともかく、この短い文章だけが、三島事件から十八年後、昭和六十三年に初めてかかれた
「三島事件」への福田氏の感想である。
「福田恒存在全集」第六巻の「覚え書き」として、つまり全集の購読者用に書き下ろされた
覚え書きにさりげなく記されたので、評者(宮崎)もしばし気がつかなかった。

199:吾輩は名無しである
10/12/21 16:13:54
遠藤浩一氏も、やはりこの箇所を捉え直し、次のように総括している。
「わからなかったがゆえに、冷静な福田の口から、感情的な言葉が迸ったのでは
なかっただろうか(中略)、三島という対象を突き放しているわけではない。
三十数年来の知己を、わかりたい、嫌いたくないと思えばこそ、こうした言葉が思わず
飛び出したのである。そこに福田恒在の三島由紀夫に対する哀惜が滲み出ている」
「三島由紀夫はリアリズムを、フィクションをフィクションとして受け入れるための
消極的約束事をして、徹底して扱った。そこに比類のない存在感を発揮する作家だった。
そのことを逸速く見抜いたのが福田恒在だった。三島の文壇へのデビュー作『仮面の告白」の
解説で福田は、『三島由紀夫は無から有を生む手品師』
『比喩的なレトリックが軽快な一回転とともに、虚を真実にすり替える』と評価した」
 本書はありきたりの作品論や文学論を超えて、ふたりを思想家として捉えているので
ダイナミックな戦後日本論になっている。

200:吾輩は名無しである
10/12/21 16:17:41
最後の対談 古林尚 昭和45年11月16日
古林は「この次のお仕事の予定は?」ときくと、三島は「ほんとうになんにもないんです。
予定がないんですよ。演劇に手をつけたかったが、これも役者が思いどおりに動いてくれない。
やりたいことはやりつくした感じもするが、しかし、ほんとうに、なんにも、予定がない」
あれほどさびそうな顔をする沈痛で、痛々しい三島はみたことがないと古林はいう。
古林は励ましの言葉をかけたが、三島はしみじみ述懐を口にした。
「私は、十代の思想に立ちもどってしまった。“敗戦より妹の死のほうが、ショックだった”
と書いたのはウソで、敗戦は非常にショックだった。どうしていいのかわからなかった。
政治のことはわからないので、芸術至上主義に逃げ、そこから古典主義に移行し、行き詰まると、
十代の思想にかえったのです。・・・いまではまったくおさえがきかなくなって、
どうしようもない」と三島は苦笑いをした。古林に三島は、死を覚悟した“遺言”を伝えたのだ。

古林は三島の青年時代、軍隊で入隊できなかった原因である虚弱体質について思うのだった。
『青年時代に三島が入隊生活を送らなかったのは彼にとってたいへん不幸なことだった。
彼はわがまま坊ちゃんのまま、大人になってしまったところがある。「こうありたい」ことと、
「こうである」こととが、かんたんに短絡してしまう。観念的な思考が先行して、現実と結びつかない。
もし、兵隊生活を送っていて、意地の悪いいじめられ方でもされていたら、
あの三島とは別の三島が誕生していたことだろう。彼に必要だったのは敗者の実感である。
・・・だがそれはないものねだりというものだ。
彼はロココ風の贅沢な家に住んで、西欧文化を満喫しながら、一方では日本文化の伝統を称揚とした。
その食い違いを是正するための努力が、いっそう彼を観念的な思弁の高みに飛翔させた。
三島はよく文武両道を口にした。作家三島と武人三島を統一したいという念願は、要するに、
この矛盾を統一したいとの、彼なりの必死の努力だったのである』
それにしても、もうひとつの別のやり方はなかったものであろうか、と古林は口惜しく思うのであった。

201:吾輩は名無しである
10/12/21 16:21:26
兵役検査は広義では徴兵検査も入営検査も指す。
兵役検査の過程の入営の段階で三島は不合格
その前の徴兵検査で「甲種」に不合格、以上。
それから宮崎の書いたものからアホ信者の都合のいいものだけチョイスすんな
なにが「太陽と鉄」だw退屈極まる三島ペッタンコ野郎が
三島に吸着して寄生して、ドクズニートの浅ましい性根を肥やしてるだけだろ
コンビニで働け、オナニーやめろ
福田はもちろん宮崎も古林も、ナマの三島と接触し、その生の実態にアプローチしようとしてるんだよ
三島をそのまんま受け入れて2チャンに丸投げすることにどんな意義がある?
距離をとり、相対化し、テメエの頭でかんがえたことを書きやがれ
受け売りの解説はいいかげんにさらしやがれ

と罵倒してから切り出すが(笑)
神秘化って、「まやかし」の意味を含む
ものすごく乱暴にいうと
三島自身、この「まやかし」をファルスとして演出した気味があるのね。
つまりどこまで真剣だったかは自分でも謎にしたかった、と
三島の哄笑はまず切実顔の信者の上に降って来るってわけよ(笑)
>>196>>197をよく読もう(笑)

202:吾輩は名無しである
10/12/21 16:32:36
>>201
都合のいいものだけチョイスして、恣意的に編集して拡大してるのはあんたでしょう。
遠藤さんや、宮崎さんの本はあんたの変な解釈と全然違いますから。
私が貼った>>196>>197をよく読むべきはあんたでしょうよ。

203:吾輩は名無しである
10/12/21 16:33:46
>>198
ちなみに、その「わからない。私には永遠にわからない」という言葉は、新聞記者によって部分的に切りとられて編集されたものだと、
福田本人が後に述べてます。

204:吾輩は名無しである
10/12/21 16:39:34
>>196>>197
は金太郎飴三島の面目躍如
で、この時点でだいぶ意識化されてるんだけど
これだけじゃ俺の掌のうえに乗っちゃうし
三島自身、ものたりなかったと思うのよ

>>202
おまえの知能におさまってしまう三島ってつまらんと思わんかね(笑)
もっとどえりゃーせんことせにゃならん
て腹さすったりなんかして
まったく面白い人だねえ(笑)
拍手拍手

205:吾輩は名無しである
10/12/21 16:48:50
>>203
だから?
それ書いて何が言いたいの?

206:吾輩は名無しである
10/12/21 16:54:19
>>204
あんたが言ってることなんか、とっくに通過してるんだよ。バカじゃないの、珍しがって。
自身の思想なり美学なり遺言を後世に残すために、演出するのは当たり前。
それにコンプレックスやいろんな体験によって三島の物事の見方や思想が生まれたわけだから、
別にまやかしでも何でもないでしょ。他人があれこれ言ってることなんか全部三島自身が晒してること。
半可通が珍しがってお疲れでした。

207:吾輩は名無しである
10/12/21 16:55:02
働けチワワ
俺今日は非番な

208:吾輩は名無しである
10/12/21 16:55:50
>>198
三島を可哀想だと多くの人が思っていただろうけど、その時点で
日本と言うのはすでに民族・文化的な幸福(降伏)状態にあったのだろうな。
だが三島の理念は今後の日本で大いに受け入れられていく可能性が高い。
そのとき始めて三島の死という物が報われるのだろうと思う。

209:吾輩は名無しである
10/12/21 17:04:51
>>206
俺はまだ殆ど何もいってないんだが。。
「他人があれこれ言ってることなんか全部三島自身が晒してること」
ひゃ~でたぁ~(笑)
三島とあなたのあいだに他者はいないと(笑)

210:吾輩は名無しである
10/12/21 17:31:14
>>208
いやね、それにしちゃ終戦前の三島てみじめすぎない?
戦後だってコソコソ後づけしてたっしょ
四十年頃からいきなり噴火してもさぁ~
ま、思想家としては永遠にオタクのアイドルっしょ
自己満足のパロディーっす
作家としてだけは超面白いぞ、うん
なんだこのバカは、て永遠に珍重されますぞ

211:吾輩は名無しである
10/12/21 17:39:51
>>210
噴火する必要のない時期に噴火するわけないでしょうよ。
ろくに知りもしないで、ネットで部分拾いのとんちんかんバカ晒しでしたね。
もっと自分自身で三島の著書や対談を読みな。

212:吾輩は名無しである
10/12/21 17:43:06
>>210
コソコソ後づけして偏向、捏造解釈してんのはあんたみたいなブサヨ。
三島の基本思想や美意識はずっと一貫してますから。残念でした。

213:吾輩は名無しである
10/12/21 17:47:46
お尋ねします。
死の直前に開かれた池袋東武百貨店の三島由紀夫展の内容や様子を出来るだけ詳しく知りたいのです。
当時のカタログ以外で資料となる書籍がありましたら教えて下さい。

214:吾輩は名無しである
10/12/21 17:52:45
>>211
どう考えても自己噴火だなぁ…
あなたは自分自身のアタマで考えようね
ノビシロなさすぎ、笑っちゃうのよ
>>212
だから金太郎飴ってずっと評価してんじゃん

215:吾輩は名無しである
10/12/21 17:55:40
>>213
ホラホラ、ちわわ
こういうのにレスすんのだけがおまえの存在意義なんだからさ、はやくしろよ
知らんの?

216:吾輩は名無しである
10/12/21 18:04:05
>>214
金太郎飴じゃないけどね。基本思想は一貫してるけど、その現れ方は繊細で優雅なものから尚武に変わってますから。
頭悪そうだね、あんたは。

217:吾輩は名無しである
10/12/21 18:07:55
>>213
「四つの河」の文章は全集に掲載されてますよ。

218:吾輩は名無しである
10/12/21 18:08:36
いいから有名な池袋東武百貨店こたえるのを優先しろよ
おまえが頭わるいのもうバレバレなんだからさあ

219:吾輩は名無しである
10/12/21 18:11:10
詳しくていってんだろボケェ

220:吾輩は名無しである
10/12/21 18:11:54
>>213
カタログ以下の内容や様子は、さまざまな三島関連本の小さなそれぞれの記述くらいしかないかもしれませんね。
纏めた資料は私も知りません。

221:吾輩は名無しである
10/12/21 18:15:03
>>219
自分が答えられもしないくせに威張るんじゃないよ。金太郎飴とか無知晒しバカが。

222:吾輩は名無しである
10/12/21 18:22:18
この展示会にかんするコメントいくつかあったろが
なんでおまえそういうのにゾンザイなんだよ
変な性格だよなあまったくよぉー

223:吾輩は名無しである
10/12/21 18:26:13
おらおらさっさと検索してあげなよ~

224:吾輩は名無しである
10/12/21 20:02:33
>>222
おみゃあが教えりゃあええがな(河村たかし風に

225:吾輩は名無しである
10/12/22 04:15:02
三島は、肉体と行動をひとくくりにし、「書物」すなわち「書くこと」とは相容れないのだ
と述べている。この意識が彼をして『豊穣の海』以後は書かなくてもよい、書くことがない
と感じさせたのだろうと思います。しかしながら、彼が「男らしい行動」の比喩としてあげ
ている密林の河が「鰐、ピラニア、敵の部落からの毒矢」に満ちていると書かれているのは、
なんとあっけらかんと少年そのもののような書きぶりでしょうか。彼にとって「行動」とは
『少年ケニア』のジャングルの河を渡ることなのか、と思わせる比喩です。華麗な形容句が
三島文学の神髄とされていたのに、生涯最後を飾る「三島由紀夫の半生」の比喩が
少年ケニアのジャングル!

市ヶ谷自衛隊のバルコニーで演説する三島の姿が、どこか道化じみた滑稽さを感じさせ、
バルコニー前に集められた自衛隊員たちが三島の「国家の行く末を案じる演説」を見ながら
けらけら笑っているのは、このせいだったかと納得しました。
三島が必死に「行動」によって渡っている河には、鰐やピラニアや毒矢が満ちている。
ジャングルクルーズにうってつけの日に、三島は河を渡ろうとしたのでしたが、その河は、
1970年に世界史的大問題であったベトナムのジャングルにあるのではなく、
カルフォルニア・ディズニーランドのジャングルクルーズだったと感じさせます。

226:吾輩は名無しである
10/12/22 09:05:22
三島があの政治思想―象徴天皇制や現行憲法批判―に至った経緯を知りたいのですが、
何かいい文献はありませんか?

227:吾輩は名無しである
10/12/22 09:59:30
>>225
複雑な社会機構や政治システムのなかで複雑な文明人ぶって生きてるようでも、男の行動の基本原理はそういうもんでしょ。
そんなことも解らないあんたがバカなだけの話。

>>226
三島本人の著書や書簡を全部読めばいいんだよ。他人のフィルターがかかった関連本なんか読む前にね。

228:吾輩は名無しである
10/12/22 10:06:40
>>225
その当時の平和ボケたちの方が非現実で、三島の訴えの方が極めて世界的にまっとうなものだけどね。

229:吾輩は名無しである
10/12/22 10:10:43
>>226
ちなみに、三島は天皇象徴制は否定してませんよ。

230:吾輩は名無しである
10/12/22 10:27:31
>>225
でも三島のそうした理念ってすごく大事なんだよな。

>>228
非現実と言うより、社会に支配される側と言うのは常に革新的な何かを求めてるものだよ。
新しいイデオロギーをね。
あの敗戦で大衆は民主主義と共産主義のイデオロギーに傾倒してしまった。
それもまた現実。
若者は共産主義を掲げ、しかし三島は天皇主義を掲げた。
面白いのは今完全に逆になってるという事。


231:吾輩は名無しである
10/12/22 11:57:06
16歳の学習院の集合写真の三島由紀夫、ひときわ目の綺麗な美少年ですね。
周りの面々と比べると貴公子が一人混じってるようです。

232:吾輩は名無しである
10/12/22 12:13:41
三島は男性よりも女性からのほうがやっぱりファンは多かったんでしょうか?

233:吾輩は名無しである
10/12/22 15:07:33
男性雑誌の人気投票で一位だったらしいよ。

234:吾輩は名無しである
10/12/22 16:49:23
>>233
いや、男性としてももちろん憧れるよ。
だけど女性にはもっと三島は人気だったんじゃないか?
日本文学のスターだと思う。

235:吾輩は名無しである
10/12/22 19:46:36
倍賞美津子は楯の会パレード応援に駆けつけてたそうだから、ファンだったんだろうね。

236:吾輩は名無しである
10/12/22 23:35:01
>>227
だったらお前もそうすればいい
パソのまえでくすぶりつづけるより行動しろ
三島の言を正しいとすればお前の醜さはいったい何だ!
「複雑な文明」「男の行動の基本原理」
こんな借りモノのことばがお前自身と何の関係がある
恥を知れ、棚に上げるのもいいかげんにしろ
まずは働け!

>>226
作家を知るには遠望し、相対化して、自己の頭でかんがえることです
227のような救いようのないアホ信者を観察してみましょう
私は、松本健一『司馬遼太郎が発見した日本』をおすすめします
以下、解説のひとつをご紹介いたします。

237:吾輩は名無しである
10/12/22 23:45:16
 1970年11月25日に三島由紀夫は「盾の会」のメンバーと自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入し、
「天皇陛下万歳!」と叫んで割腹自殺した事件がいわゆる三島由紀夫事件である。
 一方司馬さんのこの「街道をゆく」の連載が始まったのは1971年1月1日号からで、
当然この連載の原稿は前年の11月か12月の初めではないかと松本さんは推測されている。
ということは、この三島由紀夫事件が「街道をゆく」の執筆に何らかの影響を与えているのではないか
というのである。
 その根拠として松本さんは三島由紀夫が自決してからすぐ「異常な三島事件に接して」という
三島由紀夫を痛烈に批判した文章を書いていることをあげている。
 三島由紀夫は昭和天皇が戦後「人間宣言」をして天皇が神でなくなってしまった日本を問題視した。
三島にとって気概を持った美しい日本の象徴は天皇であるべきであって、だから自分は天皇が神で
あることを信じ、天皇陛下万歳と叫んで死んでいくんだとした。
松本さんは三島由紀夫は天皇原理主義だったというのである。
 それを司馬さんは「私が考えている日本とは違う」ということを批判文章で言い表したというのである。
司馬さんは思想に淫してはいけないし、あるいは思想のために死ぬことはあってはならない。
たとえ仮にその思想が一時支持されても、所詮一種の「狂気」でしか支えられないものだというのである。
 司馬さんは三島由紀夫の思想を「美」に置き換えた方がわかりやすいとし、三島が求める「美」が
戦後日本にはなくなってしまったから、自衛隊員にその絶対的な価値(天皇)の復権を促した。
 司馬さんが求める日本とは、三島が言う天皇が神である社会でもないし、高度成長期の「豊かな社会」
でもない。松本さんは司馬さんは「日本人が長い歴史をかけて歩いてつくってきた『道』や『土(くに)』
に、そうしたモノ(づくりの文化)に詩を、いや『美しい日本』を見出しているのである」という。
 つまりある意味この『街道をゆく』は三島が求める日本の美に対してのアンチテーゼであったのでは
ないかというのである。
そしてそれがこの『街道をゆく』の執筆の動機の一つであったのではないかというのである。

238:吾輩は名無しである
10/12/23 00:00:19
あと、三島の言う天皇が神の社会と言うのは右翼の言う天皇が現人神であると言うのとはまた違うんだよな。

239:吾輩は名無しである
10/12/23 00:00:23
>>225
市ヶ谷駐と・ん・地

たしかに間が抜けてるなあ…(笑)

240:吾輩は名無しである
10/12/23 00:02:44
アホ信者たちに松本健一はムリな話だw

241:吾輩は名無しである
10/12/23 00:07:51
松本健一なんて幼稚で浅い本しかない人でしょ。
いかにも三島ビジネスで便乗本で金儲けしようとしてるのが見え見えの、タイトル負けしてる本しか書いてないけどね。
本当の三島研究第一人者の松本徹さんと大違い。

242:吾輩は名無しである
10/12/23 00:13:06
>>234
特別イケメンってわけじゃないのに何か華があるオーラをかもしだしてるというか、
特に学習院のときの顔は色白のせいか、他の同級生のなかで一番品があって色香があるね。
私がもし、そのときのリアル平岡公威くんに通学時にバスや電車で出会ったら、恋してたかもしれない。

243:吾輩は名無しである
10/12/23 00:18:55
>>237
でも司馬も晩年は三島由紀夫と同じような憂国になっていってたらしいよ。

244:吾輩は名無しである
10/12/23 00:22:57
>>241
憂国忌発起人はやめとこう
松本健一の何を読みましたか、ちわわさん(笑)

245:吾輩は名無しである
10/12/23 00:31:26
松本健一なんて三流物書きに図式的に比較され語られることは、司馬にも三島にも迷惑な話でしょ。
作家のジャンルも違うし、そもそも司馬は三島作品を読んでなかったわけだし、三島も創られた時代小説に興味なかっただろうし。

246:吾輩は名無しである
10/12/23 00:38:23
>>244
三島便乗のつまんない本、二冊読んだよ。
三島をダシにしてるだけで、中味は三島とたいして関係ない、つまんない内容だったわ。


247:吾輩は名無しである
10/12/23 00:44:33
電車の中で三島の文庫本よんでるやついたんだよ
もうナイーヴすぎてダサくて目をそむけたね
いまの時代、太宰のほうがまだしも救いがあるよ
なんかこう、ひとまえに三島をさらすってさあ…
バカの標識みたいだよホント
なーんか、こう
「信じてんすか、おたくぅ」て訊きたいてか
恥ずかしいんすけどォ、かんべんしてよ、て感じ

248:吾輩は名無しである
10/12/23 00:48:50
>>246
題名調べたなら書けよ(笑)
松本健一にとってダシにする価値しかないのは偶然にもいえてるぞ。

249:吾輩は名無しである
10/12/23 01:00:16
>>247
いちいち、人が読んでる本で、そこまで妄想めぐらすあんたがナイーブなバカでしょ。
三島の本読んでるからって、三島ファンとも限らないし。

250:吾輩は名無しである
10/12/23 01:02:40
松本健一は三島を否定も肯定もしてないからな
タイトルにかかげたのは1冊しか知らんが

251:吾輩は名無しである
10/12/23 01:05:33
>>248
題名なんかいちいち覚えてないわ、中味が薄っぺらで。
ダシにするしか価値もないものに頼らなきゃ、本も書けないなら尚更三流ってことですね。

252:吾輩は名無しである
10/12/23 01:11:08
ここに来るアンチって必ずsageとageで連投するね。いくらキャラ変えても同じ(笑)

253:吾輩は名無しである
10/12/23 01:20:59
>>250
あ、チワワは三島をハッキリ否定されないと退屈なのよ
客観的に三島がどうこうてことには興味ない人だから
たとえば三島初心者がここにカキコするでしょ、興味本位で謙虚に
たちまち噛みつくんだ(笑)おまえは知らん、と

あとタイトル本は3冊ある、視野が広いよね

254:吾輩は名無しである
10/12/23 01:35:33
>>253
松本健一は、客観的に三島がどうこうてことまで書いてないよ。
三島の天皇論を参考に出して、松本健一自身の歴史上の自説を書いてるだけで、別に三島論じゃないから。


255:吾輩は名無しである
10/12/23 01:41:21
>>253
客観的に書いてる本なんてないからね。客観のつもりになってるだけで。

256:吾輩は名無しである
10/12/23 01:41:37
あのー、どこが反論なんですか?

257:吾輩は名無しである
10/12/23 01:45:06
あ、距離をおいて冷静に、という真意がわかんないわけか

258:吾輩は名無しである
10/12/23 01:47:17
ブサヨの特徴

客観的、世間では、というまやかしで自分の主観をあたかも正しいかのように偏向、捏造する。
崔洋一も、「客観的」を連呼しながら火病起こしてたよ(笑)
姜尚中も似た論法。

259:吾輩は名無しである
10/12/23 01:56:14
>>225のネタ元
「行動の河」三島
「肉体の河は、行動の河を自然にひらいた。女の肉体ならそんなことはあるまい。
男の肉体は、その本然の性質と機能によって、人を否応なしに、行動の河へ連れてゆく。
もっとも怖ろしい密林の河。鰐がをり、ピラニアがをり、敵の部落からは毒矢が飛んで来る。
この河と書物の河とは正面衝突をする。いくら「文武両道」などと云ってみても、
本当の文武両道が成立つのは、死の瞬間にしかないだらう。しかし、この行動の河には、
書物の河の知らぬ涙があり血があり汗がある。言葉を介しない魂の触れ合ひがある。
それだけにもっとも危険な河はこの河であり、人々が寄って来ないのも尤もだ。
この河は農耕のための灌漑のやさしさも持たない。富も平和ももたらさない。安息も与へない。
……ただ、男である以上は、どうしてもこの河の誘惑に勝つことはできないのである。」

鰐、ピラニア、毒矢、…カッコイイなぁ(笑)

260:吾輩は名無しである
10/12/23 02:00:49
>>259
同期の桜、唐獅子牡丹へカウントダウンだなw

261:吾輩は名無しである
10/12/23 02:03:23
ブサヨの特徴
自演

262:吾輩は名無しである
10/12/23 02:09:53
それでもその単純さこそが、幹部候補生たちを三島にとって重要なものにしたのだとでも考えないかぎりは、
三島ほど複雑な人間がかくも単純な青年たちのためになぜ多くの時間を割いたかを理解することはむずかしい
とジョン・ネイスンはいう。
青年たちは三島を「純真だ」「少年みたいだ」「ぼくらがするのと同じことを楽しんで、
大笑いするのが好きだった」と表現するが、三島は青年たちといっしょのとき、ほかのところでは決して
できないような対等さでふるまうように心がけていたらしい。たぶん三島は自意識だの懐疑だの、
そして自分を脅して最後の行動から隔てている恐怖だのから自由になり、自分を単純で動かされやすい人間に
するために、楯の会を用いていたのかもしれないとネイスンは推測する。

しかしこのようなネイスンの推測はどこまであたっているのかはわからない。
なぜなら村松剛の評伝にはこう書かれているからである。
『若者たちが三島の家に出入りするようになってから、ある日村松にこんなことをいった。
「若い者が来たらこっちはどてらかなんか羽織って玄関に出て、おう来たか、まあ上れ、
・・・そういってほしいのだろうなあ、あいつらは・・・。それがおれには、できないんだよ」
できたらそうしてやりたい、という口調だった。
村松剛はそれをきいて唖然としたのだった。磊落を衒うこういう泥臭さを
三島はなによりも嫌っていたはずだからである。』

263:吾輩は名無しである
10/12/23 02:20:05
>>262
それも、それぞれの主観でしょ。

264:吾輩は名無しである
10/12/23 02:22:07
盾の会の連中、だんだんでかい態度に変わってるらしいぞw

265:吾輩は名無しである
10/12/23 02:24:28
>>263
あなたの主観→三島の書いたもん→そんだけ(笑)

266:吾輩は名無しである
10/12/23 02:27:44
日本国の本質は帝国主義にある。
この世界で本物の皇帝を君主として頂いているのは日本だけ。
それだけは、例え三島の追い求めた日本というものが
実現されなくとも取り戻さなくてはならない。

267:吾輩は名無しである
10/12/23 02:27:46
三島由紀夫の憂国による割腹自殺は、敗戦に際し国体護持を念じてピストル自殺をとげた蓮田善明の影響だろう
……とは、由紀夫の少年時代のシンパだった富士正晴氏をはじめ、大久保典夫氏その他の推量である。晩年の
由紀夫に、蓮田善明伝の序を頂戴するという特別のかかわりを持った私は、あながちその推量を否定しえない。
(中略)善明が由紀夫を「われわれ自身の年少者」という親愛な言葉で呼び「悠久な日本の歴史の請し子」と
仰望をしたのは、まだ由紀夫が学習院中等科五年生の昭和十六年九月だった。(中略)
「われわれ自身の年少者」という愛称と、正体をわざと明かさぬ思わせぶりな語韻のどこかには、まるで
お稚児さんにでも寄せるような愛情がぬくぬくと感じられる。まことこの日頃、由紀夫を伴い、林富士馬氏と
一緒に善明を尋ねたことがある富士正晴氏は、帰りに善明がわざわざ駅まで見送ってくると、まるで恋人が
別れの際にするような別れたくないといった感情を、あらわに由紀夫に示したのを見ている。
又、由紀夫の方も、「花ざかりの森」を発表したのを契機に、たびたび寄稿を許され、あまつさえ同人の集まり
にも出席を認められた。そして同人の(略)栗山理一氏に対しては大人のシニシズムを感応しているが、特に
善明には「烈火の如き談論風発ぶり」に、男らしさと頼もしさを感じたのだった。
当時、由紀夫は十七歳、善明は三十八歳だった。善明は由紀夫の十七歳に、己の十七歳を回想したであろう。
善明も人一倍に早熟だったからだ。彼は中学の学友丸山学と刊行した回覧誌『護謨樹』に、すでに次のような
老成した人生観を述べていた。(引用略)
敗戦で自決した覚悟の決然さの萌芽は、すでにこの少年の日にできていたのである。この善明の悟達は、
十五歳の歳一年間、肋膜炎で瀕死の床にあった経験から、死を凝視める習慣がついたものだった。

小高根二郎「善明と由紀夫の黙契」より

268:吾輩は名無しである
10/12/23 02:28:53
(中略)善明の「死から帰納した生涯」と由紀夫の「椿事待望」の早熟な資質は、やがて「死もて文化を描く」
という夭折憧憬につながるのだ。換言すれば、それは「大津皇子」と「聖セバスチャン」の邂逅―殉難の
讃仰なのである。
大津皇子は朱鳥元年(六八六)父天武天皇が崩御してから一ヶ月も経たぬうちに決起を思い立った。(中略)
「『予はかかる時代の人は若くして死なねばならないのではないかと思ふ。……然うして死ぬことが今日の
自分の文化だと知つてゐる』(大津皇子論)
この蓮田氏の書いた数行は、今も私の心にこびりついて離れない。死ぬことが文化だ、といふ考への、或る
時代の青年の心を襲つた稲妻のやうな美しさから、今日なほ私がのがれることができない…(略)」
(三島由紀夫「蓮田善明とその死」序)
由紀夫の決起への啓示は、ここに発していたのかもしれない。
(中略)
元旦の夜、楯の会と浪漫劇場のごく親しい人々が三島邸に集まったとのことだ。(略)談たまたま亡霊談義に
なるや、(略)由紀夫の左肩のあたり、顎紐を掛け刀を差した濃緑の影が佇んでいるのを、丸山明宏氏が
発見したということだ。「あッ!誰か貴方に憑いてます」と丸山氏が注意すると、由紀夫は真顔になって、
「甘粕か?」と問い、たて続けに二三の姓名を上げ、最後に二・二六事件の磯部の名をあげた由である。
同席の村松英子さんは丸山氏に亡霊を追払ってくれと要請した。すると由紀夫は笑って、『豊饒の海』が
書けなくなるから止めてくれといったという。
私はこの記事を読んで冷水を浴びたように慄然とした。丸山氏の記憶せぬ二三の姓名の中に、間違いなく善明の
名も入っていたはずだからだ。と、いうのは、その日頃、由紀夫は拙著『蓮田善明とその死』の序を執筆して
いたか、執筆すべく構想をしていたからだ。

小高根二郎「善明と由紀夫の黙契」より

269:吾輩は名無しである
10/12/23 02:31:25
執筆にあたって彼は、当然シンガポール近くのゴム林に眠っている善明を想起し、その霊を呼んだろう。(略)
そういえば善明は前にも海を渡って帰ってきた。昭和二十年八月十九日、敗戦の責任を天皇に帰し、皇軍の
前途を誹謗し、日本精神の壊滅を説いた職業軍人・上條大佐をピストルで射殺し、かえす筒先で己がコメカミを
射抜いて果てた善明は、その時の完全軍装の姿で熊本県は植木町の留守宅に帰ってきた。明け近く、青蚊帳を
透かし、縁の外に佇んでいる夫をみつけた敏子さんは、「おかえりなさい」と挨拶した。善明は佇んだままだった。
「どうなさいました。お入りなさいまし」というと、前にくずおれるように姿はかき消えた。
その善明が、由紀夫の決起を知って帰ってこぬはずはない。
二人の合言葉は、『英霊』の「などてすめろぎは人間となりたまひし」であったはずだ。そう、私が夢想し
思量するのも、或いは絶作『豊饒の海』の輪廻転生の示唆なのかもしれない。

小高根二郎「善明と由紀夫の黙契」より

270:吾輩は名無しである
10/12/23 02:33:08
朝までやってろw

271:吾輩は名無しである
10/12/23 02:34:48
今の世では時代おくれのあの思想は、いつも私の生きる糧だつた。天皇陛下への絶対の愛、
日本人としての絶対の矜り、理窟はどうあらうと、私は五郎さんの肉体を抱きしめるやうに、
あの人の思想を抱きしめて来たんだわ。弱りかかる心、現実を知つて利巧に妥協的になり
かかる心を抑へて、いつも私は心の底からアメリカを憎んでゐた。(中略)私は五郎さんを
殺した屈辱的な敗戦を決して忘れなかつた。それ以後、私は一度もアメリカに負けなかつた
自信がある。

三島由紀夫「恋の都」より


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