11/05/10 08:56:42.56 CT8+qo6B
>>779
弥生人と古代江南人の遺伝子は完全一致しているんじゃなかったっけ?
791:LUNAMASK
11/05/10 09:07:22.42 PRMRNYUe
>>761-763 白山信仰を持つ犬戎を白山犬戎(炎黄族之大敵)とし、秦系を稲荷犬戎
とすると、白山犬戎は甘粛から吉林省にかけて展開、稲荷犬戎は陝西省を中心に華北
・遼寧方面へと展開していた。夫与・百済・倭奴国・投馬国は白山犬戎、稲荷犬戎は趙
・燕・楽浪/漢四郡に雌伏しつつ南下した。秦大津父が鈴鹿で遭遇した狼の闘争とは
白山犬戎と稲荷犬戎の抗争だと思います。
稲荷犬戎は中原インサイダー、ユダヤ人が政権インサイダーとなるのとよく似たパター
ンでは。
792:LUNAMASK
11/05/10 09:15:52.98 PRMRNYUe
>>774
>過去スレでも何回も云いましたが、『後漢書』では、「奴国は倭国の
>最南界」ですから、北九州の奴国が最も南で、倭国は朝鮮との境に
>多数存在したと当時の中国人は考えとったんです。鮮卑に拉致された
>倭人国を含めると満州、朝鮮半島、九州北部の水辺民です。
>それらを四世紀の民族移動期に支配したんが扶余勢力でしょう。
どうも後漢・曹魏の倭認識は現状把握が遅い、お役所仕事の感をいなめない。
しかし、倭人は呉の太白の子孫ではないかなんていう直観は鋭い。
実際、狗奴国なんかは白山犬戎で、邪馬台国は浙江省・江蘇省の移民
だったんでしょう。
793:出土地不明
11/05/10 09:42:34.76 p2F84NPo
>>774
んー、いいんじゃねえの?青牛がそう思うなら
係数をいじって「宝くじの当たり金で生活する方法」とか実践すればぁ?
794:出土地不明
11/05/10 10:42:09.25 MfWqaclr
日本人の起源
URLリンク(www.geocities.jp)
ここ全部読んだ。面白かった。
795:出土地不明
11/05/10 11:41:26.52 pLQHhq1+
わぉ~わぉ~わぉ~
>>792
LUNAMASK:2010/10/30(土) 12:15:03 ID:In1rvOwy
春秋末に始皇帝が中国を統一。不老長寿の仙薬を求めて徐福船団を東方に派遣する。
その中に朱を収集する越人、見る銅鐸のデザインを行った工人、徐福の子孫である華人がいた。
越人は鋳鉄に関しては最先端技術を持っていた。船団は山東半島の対岸楽浪に到着。徐福隊員は
韓国南西部忠清道(錦江)に植民した。しかし、漢四郡設置により、徐福系集団は次第に日本に流れる。
彼らの多くは吉野ヶ里に到着した。
しかし、それは最後ではなく、紀元後に起こった沃沮系の委奴国建国の後を追うように九州に上陸、
倭面土国を樹立した。四国方面への丹砂探鉱活動を開始する。
吉備には伽耶の突厥系が入り込むが、徐福系は別に帆立貝古墳を始める。
796:出土地不明
11/05/10 11:46:15.63 pLQHhq1+
わぉ~わぉ~わぉ~
>>795
LUNAMASK:2010/10/30(土) 16:08:35 ID:In1rvOwy
他方、多数の生口を献上したものの、鏡乃至は金印受領の記録のない倭面土国王帥升が
半世紀後に朝貢している。これは
URLリンク(yamatai.cside.com)←この右の方、中・広型銅剣・銅矛・銅戈分布圏
と見て間違いない。左の方が金印委奴国に当たる。志賀海神社の方だ。であるから、右は倭面土国となる。
そして、呉越系・邪馬台国系はこの右側の方であり、渡来後、中央構造体で丹砂採掘を行い、吉備、大和へと移動。
先住銅鐸民族と婚姻関係を結ぶものと見られる。どうでしょう。
797:出土地不明
11/05/10 11:48:34.24 pLQHhq1+
わぉ~わぉ~わぉ~
>>792
LUNAMASK:2010/10/30(土) 16:15:26 ID:In1rvOwy
倭面土国・徐福系(後に秦王国となる豊前に立地)は外交・通訳には長けてはいあるものの、前漢末、
司馬遷によって徐福が書きたてられ、どうしても徐福出自を公言できる立場にはなかった。
強いて言うならば自分たちは呉太白の末裔、夏后少康の末裔程度であったと主張すること程度であった
ということでしょうか
798:間違いあれば訂正願います
11/05/10 11:55:54.90 dc1uHPyj
東シナ海大陸棚に居た大和言葉を話すアスカ人が世界初稲作を開始する。
やがて氷河期が終わり、アスカ人は東西に避難する。
東に避難したアスカ人はそのまま日本人の祖となる。
西の大陸に避難したアスカ人は長江流域でも稲作を始め、世界初文字を造り、世界初文明を興す。
西のアスカ人は夏、殷、周を建国し、文字を甲骨文字に改良する。
大陸でも更に東西に分裂し、西に進んだアスカ人はインド大陸でインダス文明を興し後にドラヴィダ人と呼ばれる。
東に進んだアスカ人は呉、越、楚、斉、新羅、百済、古代朝鮮、そして漢を建国し、黄河文明を興す。
やがて華夏人や北の野蛮人に追い込まれ、少数の西アスカ人は日本列島に渡り、東西アスカ人が再会する。
799:出土地不明
11/05/10 12:02:03.05 pLQHhq1+
わぉ~わぉ~わぉ~わぉ~
>>795-797
>>658
つまり金官加耶に巴形銅器を持参して半島へ再進出し里帰りしたのは
呉越系・邪馬台国系から発展した倭面土国・徐福系ということですね
よって4世紀に騎馬民族が伽耶に南下する以前に半島に最上陸していたとしても
矛盾は全くないわけです
この倭面土国・徐福系が倭の五王につながり、北九州と朝鮮半島南部を統一した
邪馬台国の末裔、南方系天孫族の正体ですね!!
800:LUNAMASK
11/05/10 12:15:05.88 PRMRNYUe
>>796
>そして、呉越系・邪馬台国系はこの右側の方であり、渡来後、中央構造体で丹砂
>採掘を行い、吉備、大和へと移動。
-----------------------------------------------------------------
これは読みが浅かった。訂正します。
-----------------------------------------------------------------
呉越・邪馬台国系はこの中広とほとんどといっていいほど無関係。強いて言うなら
大阪湾型銅戈(これってどうも河内物部臭い)が関係しているが、それって神武の
敵となっている。呉越系邪馬台国は土着の銅鐸文化の中に入り込む「見る銅鐸」
工人として吉野ヶ里方面から入って来ると言うコースではないでしょうかね。
801:LUNAMASK
11/05/10 12:32:39.75 PRMRNYUe
>>799
●巴形青銅器はゲルマン文化で盾飾りとして出現する以外には伽耶-九州-東海
辺りしか出土しない。ゲルマン文化のセグネル形状は卍、逆卍同様太陽を意味し
ます。
●徐福系は秦の奴隷のような存在で脱走兵的なものだと思います。
●伽耶にインドスキタイから姫が降嫁したにせよ、単に通商使節が到来した
程度のことか、あるいは、首露王遺跡から見るに、原始仏教ミッショナリー的
なものであったのかも。
●九州の海賊が伽耶を襲う程度のことこそあれ、弥生後期にそれ以上の
ことは考えられない。
●神功皇后の三韓征伐は、その後に怒涛の如き騎馬民族の渡来を招く
外交活動ではなかったでしょうか。
802:出土地不明
11/05/10 12:53:24.37 pLQHhq1+
わぉ~わぉ~わぉ~わぉ~
>>801
>>794で紹介されている「日本人の起源」では
空白の4世紀に倭が高句麗と対等する強国として半島を席捲する様子が描かれていますね!!
URLリンク(www.geocities.jp)
>2~3世紀の墳墓群が中心の良洞里遺跡から出土した倭系の遺物は、小型?製鏡や中広形銅矛など、
>弥生後期の北部九州で製作されたとみられるものが少なくない。
>ところが同じ金海の大成洞遺跡や、釜山東の東?(とうね)の福泉洞遺跡の4世紀代の墳墓群からは、
>倭系の遺物として、巴形銅器や碧玉製石製品・筒型銅器など、いずれも畿内のヤマトを中心に分布しているものが出土した。
>これらの考古学的証拠から4世紀はヤマト王権が内政はもちろんのこと、外交・交易までその権力を掌中に収め、
>倭国に於ける支配権を確立した時代であったということが出来るだろう。
>さらに敷衍すれば、この時代は、ヤマトの勢力(王権)が列島主要部の政治的統合が実現した勢いを持って、
>朝鮮半島にまで政治的・帝国主義的介入を企図した世紀であったということも出来るだろう。
803:LUNAMASK
11/05/10 13:49:44.34 PRMRNYUe
>>802
「皇帝の冊封をうけたわが国は、中国からは遠く偏って、外臣としてその藩屏となっ
ている国であります。
昔からわが祖先は、みずから甲冑をつらぬき、山川を跋渉し、安んじる日もなく、東は
毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、北のかた海を渡って、
平らげること九十五国に及び、強大な一国家を作りあげました。
王道はのびのびとゆきわたり、領土は広くひろがり、中国の威ははるか遠くにも及ぶ
ようになりました。」倭王武上表
こうした倭の拡大はやはり、渡来する騎馬民族を臣下に入れたためでしょうね。
804:出土地不明
11/05/10 15:42:19.54 pLQHhq1+
わぉ~わぉ~わぉ~
>>800
LUNAMASK:2010/11/03(水) 15:05:57 ID:LIHiq52Z
URLリンク(www.okunomasao.com)
末房論文からは2期の異形銅器と3期以降が徐福であることが読み取れる。重要なことは徐福到来の
1世紀前から細形銅剣を伴う東胡系、すなわち、地祇/沃沮・穢集団が到来していること。
即ち、徐福集団が天孫集団であるということ。
LUNAMASK:2010/11/03(水) 15:44:05 ID:LIHiq52Z
URLリンク(www.yu-ji.com)
↑この図の九州銅戈が物部であり、それ以前に出雲から銅鐸圏に入り小銅鐸から、聞く銅鐸が開始されていた処、
これ銅鐸圏に入り見る銅鐸が開始された。そして、天孫本陣は最後に銅鏡・銅矛と共に銅鐸圏に入り、
古墳時代が始まる・・・という展開。
805:出土地不明
11/05/10 15:45:59.93 pLQHhq1+
わぉ~わぉ~わぉ~
>>803
>こうした倭の拡大はやはり、渡来する騎馬民族を臣下に入れたためでしょうね。
倭が渡来する北方騎馬民族を臣下に入れたのと、支配されたのとでは、ずいぶん史実が異なりますね!!
806:LUNAMASK
11/05/10 16:12:45.13 PRMRNYUe
>>804
>末房論文からは2期の異形銅器と3期以降が徐福であることが読み取れる。
>重要なことは徐福到来の1世紀前から細形銅剣を伴う東胡系、すなわち、地祇
>/沃沮・穢集団が到来していること。
-------------------------------------------------
>即ち、徐福集団が天孫集団であるということ。←これは間違いですね。
ごめんなさい。まー、その時々で上位集団であることはあったかもね。
807:LUNAMASK
11/05/10 16:15:55.57 PRMRNYUe
>>805
やはり、臣下に入れたんでしょうね。日本は支配されるにしては広すぎる。
特に、水辺系と言う連中は白山山戎でもあり、手ごわい。
808:LUNAMASK
11/05/10 16:19:37.56 PRMRNYUe
徐福系統が神主をやって当るとすれば三神山思想程度でしょうか。
三島神社ですね。それに引き換え神功皇后は日本一の八幡様です。
天照顔負けですね。
809:LUNAMASK
11/05/10 16:25:49.93 PRMRNYUe
これは神功皇后と言う一人の女性が偉かったのではなく、それを取り巻く
建内宿禰集団と言うのが実際を牛耳っていた。おそらくこれが広型青銅武器
英彦山倭面土国あたりの出身ではないかと思います。
810:LUNAMASK
11/05/10 16:40:02.89 PRMRNYUe
>>808
実際のシベリア・スキタイ・パンテオンの最高神はTabitiという火の女神、これが
なまって諏訪大社の「八坂刀売」に収まっているようです。シベリア・スキタイは
拝火教の影響下で七福神を形成するが、アフラ・マツダは別格に祀る。
これがホムタ(ブリャート語Hormusta 百済系善光寺では本田様とされる)で
神功はその母とされ、それを象徴するのが世界樹である七支刀、大嘗祭で
使用されるのが、角杯。
811:LUNAMASK
11/05/10 16:44:04.62 PRMRNYUe
つまり、AD372年の百済から神功に七枝刀が贈呈された時点で神功は三韓・倭の
最高神の位にのぼったことになります。
812:出土地不明
11/05/10 17:12:24.21 9/Rnacj8
>>月光仮面
福井県の新羅神社(1)
若狭地方の森羅神社
若狭地方は北九州・山陰・北陸などの地域と同様に日本海沿岸の古代日本の先進的地域であった。
若狭(ワカサ)の語源は、朝鮮語のワカソ(往き来)であるともいわれている。 弥生時代の水稲は朝鮮半島から直接に伝来したものであろう。
若狭地方は敦賀市から小浜市に渡る若狭湾に面した地方である。 湾内には敦賀半島、中外海半島、大島半島をはじめ数多くの入江や島が存在し、西隣は丹後国である。
当地方も新羅・加耶系氏族に係る伝承や伝説が多く、神社の祭祀氏族としては、 秦(はた)氏(朝鮮語のパタは海の意で、
渡来海人であろう)が圧倒的に多い。 秦氏については古代中国の秦氏の移民説や加羅氏族説など、異説が多い。
当地の神社で新羅神社と標記される神社は現存しないが、 標記の方法を変えて新羅(しらぎ)信仰を今に伝えている神社がいくつか残っている。
敦賀市の「白城(しらぎ)神社」(所在地・白木)、 「信露貴彦(しろきひこ)神社」(沓見(くつみ))、 小浜市の「白石(しらいし)神社」(下根来(しもねごり))などである。
これらに 加え「気比(けひ)神社」「角鹿神社」「須可麻(すがま)神社」なども 新羅・加羅系の氏族が祖神を祭ったといわれている。
当地方は応神天皇や継体天皇とのつながりが強い地方であり、 いわゆる古代三王朝の内、二王朝、即ち応神王朝(応神―武烈)・継体王朝(継体―現在)が、
越前・若狭地方と関係している。両王朝共に新羅・加羅等と係わりが深かったであろう。
継体天皇は近江で生まれたが、越前で育っており、越前・若狭・近江などを含んだ地域は一つの文化圏といえる。
この時代、敦賀と大和の間を結ぶ重要な交通路である琵琶湖西岸には三尾氏、東岸には息長氏が勢力をもっていた。
URLリンク(www.shiga-miidera.or.jp)
813:出土地不明
11/05/10 18:11:46.32 pLQHhq1+
わぉ~わぉ~わぉ~
>>809
どうやら「英彦山倭面土国」が半島に再進出して三韓・倭を統一したようですね!!
果たしてのこの「英彦山倭面土国」が列島でどのように国家形成されたのかが
スレタイの「日本人どこから来たんだ?」に大きく関わるような気がします~
過去の>>795-796の説では邪馬台国が奴国等を吸収して拡大し、「倭面土国」として
半島南部を併合していったようにも受け取れますね
この説を強く支持します!!!
814:出土地不明
11/05/10 18:19:17.91 pLQHhq1+
わぉ~わぉ~わぉ~
>>812
これによると「古代三王朝の内、二王朝、即ち応神王朝(応神―武烈)・継体王朝(継体―現在)が、
越前・若狭地方と関係している。両王朝共に新羅・加羅等と係わりが深かった」のですね!!
つまり応神朝の「英彦山倭面土国」が>>810でいう百済系(扶余)というよりも
>>812では新羅・加羅系となりますね~
815:出土地不明
11/05/10 18:33:54.24 pLQHhq1+
わぉ~わぉ~わぉ~
>>806,809
細形銅剣を伴う東胡系・奴国と広型青銅武器・英彦山倭面土国の闘争は
海幸・山幸の闘いとして記紀に記録されている
とすれば、安曇海人族水辺系と山戎族の闘いであり、>>812も考慮すると
この北陸地方の瀬織津姫、白山山戎というのは新羅・加羅系なんじゃないかな!?
816:出土地不明
11/05/10 20:43:25.19 j0zmVt3j
小舟の文化ってどこからやってきたんですか?
水辺の人=白山信仰の人=橋の下の人=湿地の人
=小舟の人=小魚や自生の稲を取る人
なんじゃないかって思えるんですが。
817:出土地不明
11/05/10 20:46:58.44 5I3JP4y4
D遺伝子は東南アジア経由だろう。
そこで遅れた連中の生き残りがアンダマン島人。
818:出土地不明
11/05/10 21:11:59.61 j0zmVt3j
ネグリトは水辺の人ではないみたいですが
819:出土地不明
11/05/10 22:54:09.98 KBlczmsh
◆鵜飼(うかい) 【UKAI】
日本の鵜飼は中国よりも古い。
鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。
隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。
確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
820:出土地不明
11/05/10 22:58:37.63 KBlczmsh
しかも鵜飼は満州や朝鮮半島にも見られる。
満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
URLリンク(www.kc-wk.com)
日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
URLリンク(www.han.org)
821:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
11/05/10 23:31:46.62 PU7/CTZI
>>777
クラシカルな統計学じゃろうと、初期数値を決めるんは個人の主観じゃ
けぇ、何通りにもレトリックが使えるわいのう(笑)。
>>779
騎馬民族説の確証云うて何なら?あらゆる全ての歴史学説に確証なんか
あるわけあるまあが、幼稚なことを云う。騎馬民族説云うか南ツングース族
が本土日本を征服した可能性が極めて高いだけのことよ。
>>780
長江に黄河ほどの文明は無かったよ。ほいで甲骨は牧畜民の文化で、
元来農耕民のもんじゃ無いよ。殷の支配層が牧畜民族じゃけぇ甲骨文字が
出たんよ。
>>785-786
鮮卑族が中国の李氏を自称したり、日本でも徳川氏が藤原氏や源氏を自称
したんと同様与太話。列島の倭の卑弥呼は公孫氏の後裔にもなっとる
のう(笑)。
>>790
江南の沿岸部と山東に近い畑作地域の徐国なら、江南人云うより華北人
に近いし、江南全体じゃのうてごく一部を抽出した江南派学者らの
レトリック手法じゃ云う意図と思惑を読まにゃあ。
>>792
誰が直観何ですか(笑)。家系偽装の自称なんは、卑弥呼の公孫氏でも
そうですよ。しかも呉に近隣の地域でも無いことから出鱈目じゃと
バレとるでしょう。
>>793
学者が宝くじの元締じゃあるまあし、馬鹿げなことを云うとるのう。
>>794
そのブログで面白いんは、図が示されたり、江南派中橋氏の弥生人口増
レトリックに近代の増加を挙げとるんも隠さず出しとるけぇ良心的じゃが、
ブログ主の歴史無知は負の部分じゃのう。
822:出土地不明
11/05/10 23:51:29.32 8xWbXuy5
>>790
おう、そうだった、そうだった。
確かに古代江南人骨の遺伝子は弥生人骨と完全一致していたな。
古 代 江 南 人 骨 し か 調 査 し な い 、
古 代 江 南 人 骨 の デ ー タ し か な い 調 査 結 果 で な ( 爆
823:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
11/05/11 00:12:09.21 q/pBrsyl
>>798
日本だけ特別の国と民族とする「夜郎自大症」の鎖国主義妄想。
朱子学の慕夏主義が中朝論となる水戸学の神話ストーリーそものもじゃ
のう(笑)。ネット右翼ブログばっかし見よるけぇ、
ゆがんだ妄想論が出てくるんじゃないか。
>>802
4世紀に高句麗と対抗出来る勢力は伽耶の北方木槨墓人の軍事集団以外
存在せんよ。しかも、列島の倭は一世紀前まで漢の直属隷属じゃった
んに軍事力なんかあるはずも無い。四世紀にヤマト王権なんかも存在し
とらんよ。
>>803
過去スレでも云いましたが、その倭王とは伽耶勢力のことですよ。
ヤマトとは全く関係がありません。日本書紀に宋書云々の記述は
ありません。自国主権要求の外交文書ですから載るはずですけど
ねえ(笑)。つまり、倭と唐時代に出来た日本たぁ関連が無いんですよ。
>>794で云うたよう、>>802でもブログ主の歴史無知と、>>798の
夜郎自大症は、戦前の神風神国同様、現代でも学者に宿って
おります。渡来する騎馬民族が戦の弱い農耕民族に支配されるわけも
無いですし、四世紀以降世界的に北方民族が南下征服して国家を造った
わけです。日本だけ例外云う夜郎自大症なんか、世界史に通用しません。
縄文系のような採集狩猟民は農耕民に圧迫され、農耕民は牧畜民、
騎馬民族に支配されるんが歴史の普遍です。
>>805
騎馬民族が臣下じゃの、世界史を知らん非常識な見識。
824:出土地不明
11/05/11 00:18:02.72 mP4B4Hsg
蕃族の蕃子ちゃんがおいしくいただきます
/¨>、
厶/wwゝ ╋┓ ━┓¨
. 丿 ,l|` w´ル ┛ ┛ ツ
ヽ、,ノリ⊃⌒ ミ )
_ノ Z ( ´Д`) 農耕民族は奴隷にされました
゙~'ヘ(⊃ )⊃
⊂〈__人}
(ノ
825:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
11/05/11 00:56:43.98 SyB41SFU
>>807
広い云うたぁ細長い日本ですが、渡来形質が東北まで及んでます。
形質人類学からも古墳期以降渡来系が拡散し支配して行ったんは
明らかなことですよ。
>>811
七枝刀の年号すら南朝のもんか百済のもんかも解読出来てませんし、
神功皇后とも年代が違います。倭・韓の最高神なら中国の
文献にでてもええですが、そがん記事はありませんよ。
>>813
夜郎自大症の妄想は何時まで続くんかいのう(笑)。
日本は普通の国で神風の国じゃ無いんじゃに。
どうも、このスレは神がかったオカルト板になりよるのう。
826:出土地不明
11/05/11 01:08:20.89 cZQgFB7/
>>825
形質で支配者が決まるなら東アジア全土は万里の北から来た人種の支配領域だな。
827:出土地不明
11/05/11 01:41:25.73 YJdw+lj0
白馬鹿牛が
青息吐息で死にかけてるなw
828:LUNAMASK
11/05/11 10:27:18.89 gFTHrjfh
>>813 (1) 細形銅剣(新井宏氏楽毅説)、安曇海人族 (銅鏡埋納慣習なし)
(2) 金印を受けた倭奴国は箱式石棺墓以前からの伊都国(前漢鏡)
(3) 広型青銅武器(広形銅矛、広形銅戈)
URLリンク(yamatai.cside.com)
>>814
●琵琶型銅剣→「英彦山倭面土国」
□細形銅剣▲支石墓 英文wiki古朝鮮
URLリンク(upload.wikimedia.org)
新羅・加羅というより、楽浪
>>815 この北陸地方の瀬織津姫、白山山戎というのは新羅・加羅系ではなく、楽浪系
更に言えば綏遠・オルドス・パジリク・タガールのスキタイ文化へとつながる。
829:LUNAMASK
11/05/11 10:36:34.95 gFTHrjfh
>>821 >>792 船頭を観察していたんでしょう。
>>823 >>803 高句麗好太王碑文に反します。
>>825 >>807 東北まで来ると騎馬民族もホイトですよ。
>>811 >倭・韓の最高神なら中国の文献にでてもええですが、そがん記事はありま
>せんよ。
軍事同盟だから、そんなにばれたら困ります。
830:LUNAMASK
11/05/11 10:44:52.15 gFTHrjfh
>>828
>>815 >この北陸地方の瀬織津姫、白山山戎というのは新羅・加羅系ではなく、楽浪系
>更に言えば綏遠・オルドス・パジリク・タガールのスキタイ文化へとつながる。
失礼、楽浪と言うよりは吉林の長白山西麓方面から江原道に入ってきた感じですね。
831:LUNAMASK
11/05/11 10:49:22.62 gFTHrjfh
>>812 この新羅と言う範囲は江原道を含むものと考えると合点がゆく。
832:出土地不明
11/05/11 11:25:26.38 0K/C2MYn
現代朝鮮人はエヴェンキ族の子孫
833:出土地不明
11/05/11 11:29:11.06 0K/C2MYn
>>823
■倭人は5種類いた。
古代に『倭人』と呼ばれた民族は、日本列島人だけではなかった。
倭人とは、まず第一に、シナ大陸南部に住んでいた漁労=農耕民族のことであり、さらに黄海に突き出た山東半島、
同じく黄海に面するカラ半島西海岸地方および南部地方、そして古代日本列島に住んでいた漁労=農耕民族のことである。
これらの『倭人』は、人種的にも、民族的にも同族であった。
倭人は、同じ言語を話していた。それが古代の黄海沿岸地方および日本列島の公用語であった『倭語』であり、
我々日本人が話している『日本語』は、この『倭語』が発展した言語である。
古代日本人は倭語を話していた。新羅人も久多良人(馬韓人)も、百済人(楽浪人)も倭語を話していた。
古代の倭人は、大別すると次の5種類であった。シナ大陸南部の呉系倭人。山東半島の山東系倭人。
楽浪地方(現在の平安道および黄海道)の楽浪系倭人。カラ半島南部の加羅系倭人(新羅人および久多良人)。
そして、日本列島の日本系倭人。
彼らは同族であり、同じ言語を話し、同じ文化を共有していたのである。
834:出土地不明
11/05/11 11:36:56.51 QjWdBkNe
わぉ~わぉ~わぉ~わぉ~
>>828
URLリンク(yamatai.cside.com)
上記HPでは
「細形銅剣、細形銅矛、細形銅戈は北部九州の海岸に近い地域に分布する。
広型銅矛、広形銅戈は少し南側の内陸部に分布する。」とし
「細型と広型の青銅武器の分布の違いから推測すると、細型の青銅武器を用いていた奴国が、
南方に新しくおきた新興の邪馬台国によって滅ぼされ、その際、奴国王の金印は、
志賀島に隠匿されるに至ったのであろう。」とあります!!
つまり(3) 広型青銅武器(広形銅矛、広形銅戈)すなわち●琵琶型銅剣文化人を含む
新興の邪馬台国が、奴国を下して「英彦山倭面土国」へと拡大発展し、半島南部に再上陸して
倭・三韓を統一したということになりますね!!
835:出土地不明
11/05/11 11:45:24.05 0K/C2MYn
日本人は沖縄あたりを中心に住んでいた
氷河期の終焉と共に東西に避難する様に別れた
これが倭語を話す倭人が、日本列島、中国大陸、朝鮮半島に居た理由であり朝鮮半島に古墳がある理由
少なくとも、巴、蜀、夏、殷、周、楚、呉、越、斉、百済、新羅、等を建国したのは倭語を話す倭人
倭人は氷河期の終焉と共に西に逃げ、巴蜀人として巴蜀文字を造り、長江文明を創造した後、
夏、殷、周などを建国し、意思の疎通の為に自分達が使用してきた巴蜀文字を甲骨文字に改良。
倭人(日本人)がすんなり漢字を受け入れる事ができた理由は、倭人が漢字を造ったから。
巴蜀文字→甲骨文字→漢字→平仮名片仮名
この流れは全て倭人が造り上げた。
836:LUNAMASK
11/05/11 11:58:00.37 gFTHrjfh
>>834
●倭奴国は出雲系で、素盞嗚命が馬生贄慣習・牧畜畑作慣習をもっており、農耕原
住民がこれを糾弾する形で出雲に放逐される。
●英彦山倭面土国は銅鐸圏と姻戚関係を結び近畿進出を図るが、神武の嫡子が
謀殺されて以来、邪馬台国では混戦が続き、吉備津彦系卑弥呼が共立される。
●卑弥呼の後続政権は四道将軍政策で倭国拡大を図るが、九州南部で苦戦。
●この時英彦山倭面土国というか、筑後川勢力と言うか、建内宿禰勢力が神功政権を
バックアップ、応神朝が開始される。これは同時に沖ノ島制海権が大和王権の手中に
入ったことも意味する。
●九州の平定は伽耶の倭の地位が安定、向上し、百済・新羅を傘下に収めることに
なる。
こんなところでしょうか。
837:出土地不明
11/05/11 12:11:35.55 0K/C2MYn
楽浪海中に倭人あり
呉越同舟、楚越同舟
呉=越=楚
中国=中原=黄河流域中流
殷=東夷
838:出土地不明
11/05/11 12:28:57.58 QjWdBkNe
わぉ~わぉ~わぉ~わぉ~
>>834
つまり邪馬台国と英彦山倭面土国すなわち応神朝(神功皇后)は
同じ王統で繋がっていることになりますね!!
>>828
この●琵琶型銅剣→「新興邪馬台国」→「英彦山倭面土国」の出自ですが
URLリンク(upload.wikimedia.org)
の●琵琶型銅剣の分布からみても、扶余・高句麗・百済系とは異なりますね!!
839:LUNAMASK
11/05/11 12:33:10.78 gFTHrjfh
>>834 >半島南部に再上陸して倭・三韓を統一したということになりますね!!
三韓にしてみれば次第に構成を強める高句麗の脅威のもとで国家独立を
図るためには倭という切り札は不可欠であった。と同時に王族にしてみれば
高句麗に滅ぼされた際に逃げ先を確保しておく必要があった。他方倭政権
は熊襲の反乱に手を焼いていた。ならば、三韓兵員を熊襲制圧にあてて
三韓を倭の保護領とするというのは一石二鳥の奇策であったが、神功は
さらに余勢を借りて大和の反乱勢力まで鎮圧してしまったということですかね。
840:LUNAMASK
11/05/11 12:35:57.85 gFTHrjfh
>>838
神功に付いては天日矛(新羅・琵琶型)との関連が言われています。
夫与の細型とは違うと言うことになります。
841:LUNAMASK
11/05/11 12:43:46.01 gFTHrjfh
天上地上を統しめす、息長帯比売↓
URLリンク(upload.wikimedia.org)
842:LUNAMASK
11/05/11 13:14:35.48 gFTHrjfh
>>840 神功と新羅 URLリンク(kawasaky.at.webry.info)
843:出土地不明
11/05/11 13:15:12.41 YJdw+lj0
URLリンク(ja.wikipedia.org)倭・倭人関連の中国文献
「論衡」によれば
>「周時天下太平 倭人來獻鬯草」(異虚篇第一八)
>周の時、天下太平にして、倭人来たりて暢草を献ず
>「成王時 越裳獻雉 倭人貢鬯」(恢国篇第五八)
>成王の時、越裳は雉を献じ、倭人は暢草を貢ず
>王充の時代には倭人は古く周代から大陸との関わりを持ち、
>倭国から海を渡って周に朝貢していたと考えられていた事が分かる。
844:出土地不明
11/05/11 13:16:34.93 QjWdBkNe
わぉ~わぉ~わぉ~
>>840
つまり日本の国家形成において王統を掌握した「邪馬台国」→「英彦山倭面土国」→「応神朝」は
「細型」の扶余系南ツングース族(騎馬民族)とは異なる「新羅・琵琶型」の民族ということですね!!
845:出土地不明
11/05/11 13:27:14.04 QjWdBkNe
わぉ~わぉ~わぉ~
>>839
見方を変えれば、列島で海幸(細型)VS山幸(琵琶型)を制した山幸が
半島南部を緩衝地帯として手中に収めて、海幸(南ツングース族)の大国である高句麗との
一大決戦にのぞんだというのが、応神朝と倭の五王の時代であったということでしょう。
(明治維新後、南下するロシアとの決戦に備えて、半島を独立国にしたのと同じです。)
高句麗と、倭すなわち大和との決戦は歴史的必然といえます。
それをまとめあげたのが、邪馬台国の歴代最強の卑弥呼、神功皇后だったということですね!!
URLリンク(upload.wikimedia.org)
846:LUNAMASK
11/05/11 13:36:44.94 gFTHrjfh
>>844 日本は多民族国家で信仰にもいろいろあります。
諏訪 賀茂 熊野 ・・・総合
春日 鹿島・香取 出雲・氷川 祇園 金毘羅/三輪 ・・・細形銅剣・夫与系
高良 宗像 宇佐 厳島 住吉 愛宕 秋葉 恵比寿・戎 ・・・神功系
稲荷 白山 天神 山王・日吉・御岳権現・・・犬戎・匈奴・チュルク系
>>845 両リーグ、両院というかいろいろだった。万世一系の考えは最近でしょう。
847:出土地不明
11/05/11 13:51:54.95 QjWdBkNe
わぉ~わぉ~わぉ~わぉ~
>>846
この考え方でいくと、日本(倭)が南ツングース族(北方騎馬民族)に支配された
というのも史実に反していることになりますね!!
848:出土地不明
11/05/11 14:03:59.40 QjWdBkNe
わぉ~わぉ~わぉ~
>>842
URLリンク(kawasaky.at.webry.info)
これによると新羅の解脱王は、倭の多婆那国すなわち丹波国で生まれたとあり
歴代最強の卑弥呼、神功皇后と同族ということになりますね!!
849:LUNAMASK
11/05/11 14:05:04.10 gFTHrjfh
>>847
日本にはアジア・アフリカにおける欧米人の原住民支配といった構造が存在した
ことはなかった。ただ、彝族における奴隷制度に似たものは山椒大夫などで
その片鱗が窺え、古代において存在したことがわかりますね。
850:LUNAMASK
11/05/11 14:08:57.41 gFTHrjfh
>>848 浦島伝説とも関係ありますかね。
851:LUNAMASK
11/05/11 14:19:59.01 gFTHrjfh
>>846
伊勢神宮は推古天皇が神功皇后的なものを基本にして築き上げた皇祖神社
ですが、これ以後にこれほどの神社はなく、日本を代表する神社ですね。
世界遺産クラスだがなー。
852:LUNAMASK
11/05/11 14:28:57.83 gFTHrjfh
↑失礼、持統天皇でした。
853:出土地不明
11/05/11 14:30:45.89 QjWdBkNe
わぉ~わぉ~わぉ~
>>846>>851
日本の王統の多くを担い皇祖神に位置づけられる、夫与系でも犬戎系でもない
「新羅・琵琶型」の神功系民族とは、一体どこから来たのでしょう?
これが「日本人どこから来たんだ」に対する解答ですね!!
854:LUNAMASK
11/05/11 14:43:44.27 gFTHrjfh
>>853
URLリンク(www.okunomasao.com)
朝鮮半島南部の青銅器編年図沈奉謹 1990年
① BC450年-BC300年 遼寧式銅剣
② BC300年-BC200年 細形銅剣 多鈕粗文鏡 異形銅器 小銅鐸
③ BC200年-BC100年
前期 細形銅剣 細形無文銅矛銅戈 多鈕細文鏡 有肩斧 鈴類
後期 有文銅矛銅戈 長鋒銅戈 前漢前期鏡
④ BC100年-0年 前漢後半鏡 末期細形銅剣 変形細形銅戈 車馬具 鉄器
⑤ 0年-AD100年 細形銅剣 変形細形銅剣 変形銅矛 後漢鏡 細形銅剣文化
⑥ AD100年-AD200年
-------------------------------------------------------------------
URLリンク(upload.wikimedia.org)
この図で春川、高霊あたりにBC450年-BC300年 遼寧式銅剣が入るのがこの
天孫でしょうね。これはその後細型銅剣によって抑え込まれているようですが。
855:出土地不明
11/05/11 15:08:27.58 QjWdBkNe
わぉ~わぉ~わぉ~
>>853
>>794で紹介されている「日本人の起源」によれば
URLリンク(www.geocities.jp)
2~3世紀の墳墓群が中心の良洞里遺跡から、弥生後期の北部九州で製作された中広形銅矛などが
「倭系遺物」として出土していますね!!
856:出土地不明
11/05/11 15:15:24.84 QjWdBkNe
わぉ~わぉ~わぉ~
>>854
URLリンク(upload.wikimedia.org)
この分布からすると、「新羅・琵琶型」の神功系民族は再上陸したものを除くと
半島起源ではないということですね!!
857:LUNAMASK
11/05/11 15:16:22.21 gFTHrjfh
>>855
倭人伝でも拘邪韓國は倭国北岸、とか、倭の載斯烏越を呼ぶとか、日本の
海外公館の存在を示唆する表現はありますね。
858:LUNAMASK
11/05/11 15:18:20.08 gFTHrjfh
>>856
そうですね。逆に、朝鮮式細形銅剣は朝鮮で生まれたものですね。
もちろん、北方に祖形はありますが。
859:LUNAMASK
11/05/11 15:25:52.00 gFTHrjfh
>>854
BC300年 燕秦開将軍 東胡制圧、遼寧青銅器文化人・天孫の春川・高霊への移動。
その後この天孫は新羅に入る。おそらくこの東胡は綏遠の山戎が主体では。
BC284年 燕楽毅の斉制圧と東胡の殷青銅器入手、北扶余の辰韓向け南下開始。
その後この北扶余は百済となる。
860:LUNAMASK
11/05/11 15:36:18.40 gFTHrjfh
>>858
この時代から日本の弥生後期に当たる高句麗卒本城時代にかけて満州と日本間
の日本海沿岸ルートでの民族移動には漢四郡の規制はそれほど及ばなかった
のではなかろうか。
861:たぶんこれが答え
11/05/11 15:38:20.99 0K/C2MYn
琉球(南西諸島)でD系統の倭人が誕生する
氷河期の終焉と共に避難し、東アジア沿岸に倭人は居住する
中国大陸に渡った一部の倭人は長江文明を興し、拡散する
一部は海南島へ、一部は大洪水によりチベット山岳地帯へ、一部は古代中国人として、一部は古代朝鮮半島人として、
古代中国大陸沿岸の倭人、古代朝鮮半島人、日本列島人は倭語で交流を続ける。
台湾原住民と琉球にいる倭人にも交流があった。
結論
日本人と台湾原住民と古代中国人と古代朝鮮人は同種族。
862:出土地不明
11/05/11 16:18:54.07 QjWdBkNe
わぉ~わぉ~わぉ~
>>859
URLリンク(yamatai.cside.com)
に燕と東胡とL群細型銅剣との関係が解説されていますね
一方、A群琵琶型は原材料が異なるとされています
863:出土地不明
11/05/11 16:36:09.35 bm9c2MdK
ようするに、昔の日本人は最強の部族が集まった連合体だったと
864:出土地不明
11/05/11 16:57:19.10 0K/C2MYn
縄文人は北方から来たけど既に滅んだ
アイヌ人は4~6世紀に樺太から日本列島に入ってきた
今の日本人の原型はスンダランドで造られた
日本人はスンダランドから来たのが正解
865:LUNAMASK
11/05/11 16:58:20.88 gFTHrjfh
>>862
L殷銅
細形銅剣、細形銅矛、細形銅戈、多鈕細文鏡、初期の銅鐸など、最も古い時期の青
銅器のデータはこの直線に乗る。BC100~AD180年ごろか。 従来、「直線L」に乗
る鉛を、朝鮮半島産としていたが、韓国慶尚大学招聘教授の新井宏氏の研究によっ
て、商(殷)周時代の鉛であることが次第に明らかになってきた。
新井宏氏は次のような根拠から、商周期の鉛は、燕の将軍・楽毅(がくき)が「斉」から
奪った宝物類が原料であるとする。
『史記』の「楽毅列伝」によると、BC284年に燕の昭王が、楚と三晋(趙、魏、韓)と秦
と連携して、斉の都の臨澑(りんし)を陥落させた時に、燕の将軍の楽毅が斉の宝物類
を根こそぎ奪って昭王のもとに送り届けたとされる。
[これは盧綰・衛満が漢を離反したことにより燕の銅資源の入手が不可能になったこと
を意味するものかも]
A燕銅
甕棺から出土する前漢鏡、邪馬台国時代のものと思われる小形製鏡第Ⅱ型の鏡、
広形銅矛、広形銅戈、近畿式・三遠式銅鐸など。弥生時代の国産青銅器はこの領域
に入る。年代は前200年~300年ごろで、華北産の鉛である。
B徐州銅
三角縁神獣鏡をはじめ、古墳から出土する青銅器の大部分はこの領域にはいる。西暦
300年~400年ごろ築造された前方後円墳から出土する。華中・華南産の鉛である。
866:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
11/05/11 17:08:49.09 SyB41SFU
>>829
過去スレで何回も云うとりますが、広開土王碑文の倭は伽耶勢力の
ことですよ。列島のことじゃ無いんです。
東北の蝦夷の支配層も渡来系でしょう。後の蝦夷の親分奥州藤原氏の形質が
渡来系じゃったことも前にも云いましたね。
軍事同盟ならバレるでしょうに(笑)。
>>832
ネット右翼だけが、妄想しとる珍説よのう。
>>833
中国大陸南部に倭人なんかおらんよ。倭語云う概念なんか妄想よ。
倭が単一言語云う根拠は全く無い。
>>834-847及び>>848-855
志賀島が倭国の最南端じゃった可能性を無視してものう。
史実はあんたの妄想オカルト論たぁ違うんよ(笑)。
多婆那が丹波じゃのネット右翼の妄想語呂合わせそのものじゃないか。
「倭系遺物」云う表現も、倭を列島にしたい夜郎自大症の電波学者の
使うレトリックよ。
867:出土地不明
11/05/11 17:44:16.14 JeK7t9Zc
>>821
統計学で初期数値ってなんだ?
そんな用語あったっけ?
どういう文脈で使うの?
868:出土地不明
11/05/11 17:54:20.77 QjWdBkNe
わぉ~わぉ~わぉ~
>>859
URLリンク(upload.wikimedia.org)
この分布からすると、A群琵琶型=山幸=天孫族は遼河流域に集中していますね!!
>LUNAMASK:2010/09/29(水) 09:43:22 ID:JwZW9qVo
>山幸vs海幸=天孫vs地祇= O-M122 vs O2b= 遼河文明vs山東龍山文化
>こうした深い民族・文化対立があるんでしょうね。
869:出土地不明
11/05/11 18:07:59.49 QjWdBkNe
わぉ~わぉ~わぉ~
>>853
これがファイナルアンサーかな!!
↓
182 :LUNAMASK:2010/10/28(木) 12:14:51 ID:D2aRqutw
>URLリンク(www.yu-ji.com)
>↑この図における
>平形銅剣→吉備→出雲・・・東胡系
>銅戈↓・・・信州で出土のものは呉越系が裏日本に入ったことを示すのかも。
>大阪湾型銅戈→見る銅鐸・・・呉越
>銅矛→天日矛・・・呉越
>こうした形での呉越系の近畿到来が考えられます。そして、この勢力が銅鏡文化に切り替わる。
870:出土地不明
11/05/11 18:43:08.16 QjWdBkNe
わぉ~わぉ~わぉ~
>>862
ファイナルアンサーその2
↓
>LUNAMASK:2010/11/19(金) 16:50:58 ID:NdtJVB9G
>URLリンク(yamatai.cside.com)
>燕から衛氏朝鮮に青銅器資源を搬入したのは盧綰東胡族であり、
>これが倭奴国・出雲に細形銅剣を持ち込んだのだろう。
871:出土地不明
11/05/11 18:45:51.58 QjWdBkNe
わぉ~わぉ~わぉ~
>>869
ファイナルアンサーその3
↓
LUNAMASK:2010/11/19(金) 11:24:02 ID:NdtJVB9G
>広型青銅武器が天孫(含物部)、細型青銅武器が地祇(出雲)で、天孫第1波は
>URLリンク(www.yu-ji.com) 鴫沢遊児の古代史推理 考古資料
>銅戈と共に東進、これが見る銅鐸に関与したのではなかろうか。
872:出土地不明
11/05/11 19:32:00.26 0K/C2MYn
航海技術が無ければ海を渡れない。
だから、北方から来た、今の朝鮮人や中国人やモンゴル人が海を渡って来たというのは有り得ない。
4~6世紀に樺太から陸路で来たアイヌ人が蝦夷と呼ばれていたと思う。
ちなみに、五胡十六国時代に中国大陸に居たのは倭人。
(五胡の「胡」は異民族という意味)
そして、三国時代の魏も倭人の国。
だから、邪馬台国に金印を送り対等に扱った。
中国と朝鮮の歴史は倭人が造り上げ、倭人がいなくなると中華文明は見る陰を失った。
873:出土地不明
11/05/11 20:45:19.98 V/k5gxjU
日本最古の石器って東京中山谷遺跡の不定形剥片石器だっけ
その次の局部磨製石斧が日本最古にして世界最古だったな
874:出土地不明
11/05/11 21:34:48.19 /H1eZH6E
Han ChineseのY-chromosomeの分布
20 April 2011
The updated tree of Haplogroup O and the frequencies of its subgroups in Han Chinese population
URLリンク(209.85.48.16)
URLリンク(ranhaer.com)
O2bが南方の漢民族にあるな
まぁ日本でO2bなんぞ7%のマイノリティだけど
875:出土地不明
11/05/11 22:03:24.88 1wvgyHLv
YDNA-D2の謎が解けないかぎり、
日本人がどこから来たのか結論は出ない。
各自、妄想の書き合いだ、
この謎から目を背けたがる者が、一番のペテン師。
北からだろうが、南からだろうが、半島からだろうが、
何処からでも良いが、だれが、謎を解くのだろうか。
876:出土地不明
11/05/11 22:12:40.40 cZQgFB7/
中国がYーD系ストーカーだからなチベットにしろ、東シナ海にしろ。危なくて歴史ロマンも語れん。
877:出土地不明
11/05/11 22:15:27.52 mP4B4Hsg
五胡十六国の素性は、蕃子ちゃんです
/¨>、
厶/wwゝ ╋┓ ━┓¨
. 丿 ,l|` w´ル ┛ ┛ ツ
ヽ、,ノリ⊃⌒ ミ )
_ノ Z ( ´Д`) 『晋書』の時代は、『論衡』より具体的じゃよ
゙~'ヘ(⊃ )⊃
⊂〈__人}
(ノ
878:出土地不明
11/05/11 22:59:06.14 M50u99jc
>>875
D2の古い分岐系統P37.1が最も多いのはアイヌなのでシベリアから北海道でしょうね
P37.1は九州には0%なので半島からではないでしょう
879:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
11/05/11 23:09:38.59 SyB41SFU
>>835
また、倭人の架空妄想か。
>>836
漢の奴隷の奴国と出雲は全く関係ありませんし、九州の平定は
豊後の秦氏の大隅平定でずっと後でしょう。
>>837
楚はヤオ苗系文化で戦さが強いが稲作農耕民の呉越は山地狩猟民の
山越の苗文化人を除いて戦争に弱いし、地域基盤も違う。
ましてや倭は全く別物よ。
>>839-842
再上陸云う根拠は全くありません。民族移動は大陸から半島へ。
半島から西日本へ。西日本から逃げ場の無い東日本へです。
それが世界史なんですよ。
夜郎自大症のネット右翼ブログを挙げられても。
>>843
論衡自体、倭の地理を書いとらんのに、妄想してもつまらん。
倭国から海を渡る記述は無あが、黄海か黄河か長江かはたまたどっかの湖か
解らんじゃないか。
>>856
琵琶型青銅剣は遼寧地方からじぇゃし、新羅の支配層である積石木槨墓人
以前の被支配民の文化じゃし、あんた妄想でピンボケしとるよ。
880:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
11/05/11 23:31:54.74 SyB41SFU
>>857
倭国最南端が金印出土の志賀島として、韓国の慶尚南道沿岸から、
慶尚南道多島海、対馬、志賀島迄が後漢や魏書の倭国の位置に
なる云う解釈ですか?まあ倭は水辺民で時代によって異族でも
水辺民の生活様式で倭に分類されたんが正しいでしょうね。
>>858
遼寧式なんですよ。
>>861
倭人概念と精度の低いY染色体は全く関係無あし、倭人の多民族じゃが水辺
生活様式で韓人と区分された云うほうがリアルじゃろう。
朝鮮に住む倭人は韓語民で倭語云う概念なんか無あよ。
沖縄は本土日本人から圧迫されたし、北上どころか本土人が沖縄へ
南下しとるんが歴史事実じゃ。
台湾人は南方系で、日本人や朝鮮人、満州族、華北人の北方系と
全く違うんは、>>404-424でも云うたはずじゃが。
>>863
ネット右翼による、戦さの弱い呉越が日本へ移住した珍説なら、
最弱の部族の集りになろうで(笑)。
>>864
本土日本人のほとんどはシノドントで、スンダ南方系は少数派じゃ。
881:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
11/05/11 23:52:16.86 SyB41SFU
>>867
最初に前提条件つまり主観で想定する数値のことじゃが、
何で知らんのんか?
>>869
呉越系が裏日本へ入った根拠は全く無あよ。
>>872
対馬海峡は地乗り航法で島伝いに渡れるが、対岸の見えん東シナ海が
無理じゃのう。おいおい、漢が付いとる奴国のどこが対等なんなら?
実際、生口(奴隷)を献上しとるじゃないか。わりゃ、歴史を捏造すなや。
>>875
「精度の低い単一標識だけで日本人の起源を妄想するY染色体編」云うスレ
を、生物学板でもオカルト板でも立てりゃあええのに、何で考古学板で
妄想カルト論を云うとるんな、可笑しげなのう。
882:出土地不明
11/05/12 00:20:45.28 gMlqmAbH
今さら江南サギにダマされてくれるバカってまだいるの?w
883:出土地不明
11/05/12 00:25:48.51 jkD9wZPo
>>866
アテルイが渡来系なわけないだろ
884:出土地不明
11/05/12 01:07:06.32 LgnyXGyL
>>881
>最初に前提条件つまり主観で想定する数値のことじゃが、
>何で知らんのんか?
いい加減な嘘ついて知ったかぶりすんなよ無学の徒
885:出土地不明
11/05/12 01:44:14.76 ZieB0cLp
>>744
遅レスだが、
>騎馬民族説のどこが破綻しとるんか?騎馬民族説を否定するんなら、
>南ツングースも騎馬民族じゃ無いことになろうが。
これだけはないです。日本は完全に北アジアと人種が違うが、
だからといってあなたの持論の軸の4世紀以降に北方遊牧民族が南下して、
農耕民族を席巻したとの論は、陸続きの大陸・半島においては強力に成り立つ。
だから日本は騎馬民族と関係がないが、南ツングースは遊牧民・狩猟民の完全な末裔。
886:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
11/05/12 02:00:35.57 WbPFJH0S
>>883
アテルイの人骨なんか存在せんよ。後世の奥州藤原氏や、
古墳期の東北まで北方渡来形質の拡散からどっちが可能性が
強いか解ろうに。
>>884
わしの文のどこが嘘か具体的に云うてみい。
>>885
北アジア云うたぁ、日本人は中央蒙古型で北方グループに
属するこたぁ、>>404-424で云うたはずじゃ。
陸続きじゃ無い英国も北欧のゲルマンが支配したし、
ユーラシア世界的普遍の現象よ。日本が南ツングースに支配
されんかったら、日本の近代化は無かったのう。東南アジアか
オセアニアの段階じゃったろう。縄文人だけなら、
ネイティブ・アメリカン同様、白人の支配する国で、自国語すら
しゃべってなかろうて。日本の近代化は南ツングース族の
おかげよのう(笑)。あんたら、世界的普遍を考えん夜郎自大症は、
歴史無知じゃけぇ、つまらんよ。
887:出土地不明
11/05/12 03:05:38.24 +N+liwX5
要は、ネトウヨ諸氏が嫌う朝鮮韓国が間にいるから南ツングース説を容認できないんだね。
888:出土地不明
11/05/12 03:33:48.32 TK2gbeWG
ネトウヨってなに?
889:出土地不明
11/05/12 06:26:16.41 WWOE5BM+
東アジアは皆モンゴロイドの南下で出来てる国ばっかなのに
朝鮮経由で来たとなるとやれ朝鮮人とルーツが似てるのは嫌だwとか
漢族とルーツが似てるのは嫌だwとかと駄々こねてるだけだよ
でそういう自分達が典型的なモンゴロイド面した関西人とかねww
890:出土地不明
11/05/12 06:41:59.78 4jLIZBSN
>>889
観てくれの面が新モンゴロイド顔でもシベリア出身とは限らんのよ。少量の北方民族の血で東アジア全体の形質を支配出来る。
白人の脱色より人類が環境で獲得した大収穫物。
891:出土地不明
11/05/12 07:04:02.96 jkD9wZPo
>>886
古墳時代に渡来系が進出したのは東北南部までだろうが
892:出土地不明
11/05/12 07:56:20.33 JVkKsvln
>>889
すごい足りない知識だなw
ベトナムラオスチベットにそれは当てはまらない
同様に日本にも当てはまらない
日本は平野が少ないからベトナムより占領が難しいぞ
朝鮮には当てはまるな、ただし高句麗と李氏朝鮮に
李氏朝鮮のダメ政治は北方蛮族そのもの
日本で焼肉や粉ものは、庶民それも下層の食生活だよ
博多大阪は粉もの好きがだ京都まで到達していない
893:出土地不明
11/05/12 08:05:36.81 MaqQhVr4
>>889の理屈じゃモンゴロイド面のエスキモーも南下したんでしょうかねえ?w
894:LUNAMASK
11/05/12 10:38:11.34 jBHsXq1D
>>866 >>879 >>880
>民族移動は大陸から半島へ。 半島から西日本へ。西日本から逃げ場の無い東日本
へです。 それ>が世界史なんですよ。
文化も、民族移動も、水は高きから低きに、お天気は西から東にというように流れる。
それはその通り。否定はできません。しかし、西から来たのは匈奴の敗残兵です。
日本には日本なりのしきたり習慣があった。がんばろう、日本!
895:出土地不明
11/05/12 10:49:58.18 hzIXEQCm
◆高床式建物(たかゆかしきたてもの) 【TAKAYUKASHIKI-TATEMONO】
長江江南の高床式建物は、5000年前には既に「木骨泥墻」(もっこつでいのう)に
取って代わられていた。
>私が見たものでは高床建物を出す遺跡は右の二つだけで、あとは全部「木骨泥墻」を
>出すものでした。陰湘城がすでに述べたように木骨泥墻ですし、その東にある
>石家河遺跡がやはり木骨泥墻です。この遺跡は陰湘城と同じように環濠集落なのですが、
>はるかに巨大です。壕の長径は1.5キロメートルに達します。これはもう村というより
>都市だとされています。時代は石家河文化時代(前2600~2000年)です。
>右の情報を横並べにしてみると、次のようになります。
>
> ①河姆渡第3~第4期(前5000~前4000年)
> ロングハウス式高床建物
> ②屈家岺期(前3000~前2600年)
> 木骨泥墻・環濠村
> ③石家河期(前2600~前2000年)
> 木骨泥墻・環濠都市
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