11/03/09 01:22:43.13 MTiV1U38
>>356-357及び>>358-359及び>>360
徐福渡来も、後世の伝説ですからね。鮮卑は東漢氏でしょうけど、騎馬文化
自体日本へ流入しとりますよ。出雲は古志(北陸の越の土雲)にゃあ、
武力でも制圧しとるでしょう。武力の制圧あって恋がある。初夜のタブー
は、近現代に至る北陸や東海の習俗ですね。河内物部の時点でも
乗客名簿史料がありません。ほいから、単一遺伝標識じゃあ、ABO血液型
同様、人種の区分は出来ませんよ。
>>363
出雲族が馬じゃのうて牛に乗って北陸の古志を征服しても騎馬民族系の
北方民族に違い無いよ。ほいから、海を馬で渡るわけあるまあに。
山東はチベット羌族系の斉もおったし、近代でも山東馬賊云うたら
満州馬賊と並んで、怖れられとったよ。山東は中国の畑作地域の北方で
あって、南方の稲作民じゃ無いんよ。
馬鹿じゃのう。「鬼神」は中国の道教そのものじゃないか(笑)。
卑弥呼の鬼道は当時の新興派の張魯の道教の影響下にあったんじゃに。
あんた全て江南起源にしたい、朱子学教徒の癖に、道教も江南で発達した
ことも知らんかったんか。北方も江南文化云う電波飛ばしよるくらい
じゃけぇ朱子学狂信者よのう。
399:出土地不明
11/03/09 01:37:24.01 LpLj+v2r
新羅の王や参謀が日本から渡ってきたというのはこれと関係あるだろうな
↓
146年 - 189年 飢餓による倭国大乱(後漢書)
193年6月 倭人が飢えて職を求めて千人も新羅へ渡る。(三国史記)
400:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
11/03/09 01:56:47.56 MTiV1U38
>>363
地乗り航法の時代に江南から直接来れるわけ無いよ。遭難して仕舞う
ルートを選ぶ航海者なんかおらんど。
航海の軸線は石井謙治氏の引用でここにも出とろうに。
URLリンク(inoues.net)
(3)航海ルートの右の方に図が出とるよ。江南は華北より遠い地方じゃ。
明治期鎖国解禁となって、堺の漁師が中国の北京まで行ったが荒海で
危険な江南までは行かんかったんも地乗りで目標の見える地域じゃないと
人は移住出来んことを表しとるよ。
>>364
高顔・狭顔の中央モンゴロイドも、高顔・広顔の北方モンゴロイドも、
北方新モンゴロイドで、江南から東南アジア・オセアニアや縄文人の
低顔形質は古モンゴロイドじゃ。
401:出土地不明
11/03/09 01:59:46.30 Qd9K4uw3
>>400
太平洋のど真ん中にも人間は住んでる。
どうやったんでしょうねぇ。
否定のための否定にしか見えませんよ。
402:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
11/03/09 02:27:44.28 MTiV1U38
>>384
龍信仰なら、モンゴル満州の先紅山文化からあるよ。
>>388
高句麗は隋と戦い勝ったけぇ強いし、唐と挟み撃ちして高句麗を滅ぼした
新羅も唐と戦争して勝ったが、百済と共に白村江で唐に負けた
日本列島人は引き籠り島国の小中華大陸国家になってしもうたけぇ、
現代にも継続する日本の特性をつくってしもうた屈辱よのう。
ほいから高句麗の亡命人は支配層の貴族じゃないか。従五位でも
日本の人口の比率から高いのう。高句麗で奴隷じゃった人間でも
日本じゃあ支配層になれるんじゃないか。
米国で、あなたが何の取り柄も無い人間でもイギリス系だけで、
階級が一ランク上がります云うようなもんじゃのう(笑)。
>>389
過去スレでも云うたよう、海洋風土の朝鮮は『魏志』で楽浪が
辰韓征伐しようと計画した時も、海を渡ってと、同じ朝鮮内でも海を渡って
遠征するんは常識じゃろうに。陸路なんか山に閉ざされ時間がかかるだけ
無駄じゃに、史書もろくに読んどらんネット右翼の脳内じゃあ、海を越える
たぁ、海外遠征と近代概念に思い込むらしい(笑)。
幼稚な云うか歴史音痴も甚だしいのう。
>>395
北方騎馬民族文化を人種概念に還元する処、単一人種、単一民族、
単一言語妄想のYカルトのレイシズムよのう。
『新唐書』回鶻伝でも、古キルギス(黠戞斯、堅昆、結骨)が
赤髪・緑眼の西洋の北方形質であるこたぁ記述に出とることよ。
現代のキルギス人は、カザフ人から分かれたモカンゴロイドが主流で
若干コーカソイド要素を持つ形質で古キルギスたぁ人種も違うわいや。
いちいち、わしが初歩的なことまで説明せにゃあいけんけぇ、
調べて書け云うたんじゃに、まだ、その場の思いつきで書くんを
繰り返しよるんか、つまらんのう。
403:出土地不明
11/03/09 02:53:48.20 m4uMiQKO
鳥の来る方向へ舟を進めれば必然的に九州に着くんじゃないの?
404:36歳ニート
11/03/09 03:04:34.42 zj+MIoIL
橋詰とかって地名が遠くないところにあるんですけどそういうのってやっぱ何かあったんですかねえ?能登半島なんですけど。
405:36歳ニート
11/03/09 03:16:34.03 zj+MIoIL
地名には歴史があるんですよね
406:出土地不明
11/03/09 03:20:55.84 Qd9K4uw3
>>402
>>高句麗は隋と戦い勝ったけぇ強いし
どうやって勝ったかしらんだろ。朝鮮人以外は誇りにしないような勝ち方じゃん。
407:36歳ニート
11/03/09 03:23:36.96 zj+MIoIL
歴史っていうか背景っていうか意味っていうか
そういうの探りながらの勉強なら苦痛じゃないです。
数学も国語も理科も社会も英語も体育もその他も
みんな歴史の勉強。それに気づいたから勉強が楽しくなるかもとです。
408:36歳ニート
11/03/09 03:26:02.70 zj+MIoIL
404<すごく小さい地名です。
409:36歳ニート
11/03/09 03:28:05.44 zj+MIoIL
ヒロシです。
410:36歳ニート
11/03/09 03:42:27.24 zj+MIoIL
ウンコウマー
411:36歳ニート
11/03/09 03:46:09.80 zj+MIoIL
先走りです。気にしないでもらえませんか。早とちりです。橋詰は。
412:出土地不明
11/03/09 08:04:58.85 Po/Uyq7W
>>406
隋軍せめて来る
↓
衆寡敵せず敗北
↓
高句麗王謝る約束して講和、隋帝軍を引く
↓
隋帝「詫びいれるんなら直接こいよ。待ってるぜ」
↓
高句麗王シカト
あとは隋の国庫から金がなくなるまでループ
413:出土地不明
11/03/09 08:09:47.61 Po/Uyq7W
つまり隋帝の人の良さにつけこんで息を吐くように嘘をつきつづけて勝ったということだな
414:出土地不明
11/03/09 08:48:02.62 6bugJXlJ
北方騎馬民族の強さの一部を垣間見た気がする
415:LUNAMASK
11/03/09 10:01:11.67 QqRwlNqJ
>>398 >河内物部の時点でも乗客名簿史料がありません。
参考→「もうひとつの天孫降臨」
URLリンク(inoues.net)
416:出土地不明
11/03/09 10:48:48.05 r7yFiAgG
>>402 >>日本列島人は引き籠り島国の小中華大陸国家になってしもうたけぇ
・・・元寇のあと、報復で倭寇になってシナ・朝鮮沿岸まで出かけていたし、南蛮貿易時代には東南アジアに日本人町まで作っていたがな。
大陸引き篭もりはシナの海禁政策も同じだろう。朝鮮にいたっては半島から出たこともない。
417:36歳ニート
11/03/09 14:56:39.00 zj+MIoIL
この漢字の羅列COOL
418:36歳ニート
11/03/09 15:01:50.15 zj+MIoIL
昔からいたの?馬って。日本にいつから馬がいるのかはっきりさせればいいだけじゃん
419:LUNAMASK
11/03/09 15:38:07.42 QqRwlNqJ
>>398 >>356-357及び>>358-359及び>>360
>徐福渡来も、後世の伝説ですからね。
たしかに、徐福伝説に幻惑されて九州・沖縄の秘めるヒクソス、ヒッタイト、タガール、
タシュトィック文化・秦王国を見逃してはいけませんね。
URLリンク(unkar.org)
ヒクソス・ヒッタイト時代のエジプト・コーカサス文化が遼東テーブル・ドルメン、
華東・半島南西・九州北西南方式支石墓文化として現れており、甕棺墓・鏡も
イラン高原起源である可能性があります。石の舞台で見るような巨石文化的
石室墓は前2世紀、イェニセイ河、継体朝に肥後で始まりますが、コーカソイド
のカターコーム(地下式横穴)墓が隣接します。暦博藤尾慎一郎氏は九州甕棺の
起源を刻目突帯文土器とリンクさせています。この突帯文土器文化と言うのは
黒海北岸からカザフスタン、バイカル、沿海州、日本と続くもので、背後には
ヒッタイト崩壊による製鉄技術の流出があるものと考えます。日本、韓国の
無文、弥生土器、稲作の開始は二次的なものであったのでしょう。
おそらく、秦氏はこの線上にあって原始ユダヤ教と接触したのでしょう。
420:LUNAMASK
11/03/09 16:43:41.62 QqRwlNqJ
>>204 >モンゴリア西部にはシヴェル-オルドス文化圏(銅剣銅矛文化圏の
原郷)
これには更にUlug-Hem文化としてタガール・トカラ文化が入り、これは継体朝
に肥後、磐井として入って来る。このコーカソイドは最終的に沖縄・トカラ列島
に移住するのであろう。
421:36歳ニート
11/03/09 17:52:27.01 zj+MIoIL
漢字プラスカタカナイコールCOOL
422:LUNAMASK
11/03/09 18:37:28.56 QqRwlNqJ
>>420
遼東の北方ドルメンは;
URLリンク(www006.upp.so-net.ne.jp)
この召公封燕の結果であり、他方、全羅道の南方式ドルメンは全羅道・
沖縄から殷・安陽に向かう東夷・海人族が残したのではあるまいか。
或いはその逆もある。いずれにせよこうした海上ルートが存在し、
温帯ジャポニカ種の移転にも寄与した可能性が残る。
423:LUNAMASK
11/03/09 18:43:57.49 QqRwlNqJ
承前
始めて全羅道にドルメンが到来してから1500年も経た後に北疆からミヌシンスク
盆地、中央アジアを経由してドルメンを基盤とする穹窿石室墓が肥後に到来する。
それは北方ドルメンが南方ドルメンに帰還することかもしれない。
424:出土地不明
11/03/09 21:34:47.47 5x1i8cnk
仁徳天皇陵の工期と工費
・工期
-現代工法…2年6ヵ月
-古代工法…15年8ヵ月
・工数
-現代工法…延べ29,000人(1日当たりピーク時60人)
-古代工法…延べ6,807,000人(1日当たりピーク時2,000人)
・工費(試算当時)
-現代工法…20億円
-古代工法…796億円
425:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
11/03/09 22:40:42.65 MTiV1U38
>>396
顔を含めた入墨なら、アイヌ人や極北のイヌイット人にもあるよ。
しかも入墨に入れるんに、顔と身体の区分云う文化的違いなんか
あるんか?
>>399
倭国大乱は九州のことで、倭人が飢えては朝鮮半島内部の移動じゃし、
しかも『三国史記』が2世紀云うても、4世紀になるまで新羅云う国は
無いよ(笑)。中国史書の辰韓の時代じゃ。
まあ三国史記と云い、日本の記紀と云い建国時期を捏造しとるが、
出鱈目国家建国を真に受けるネット右翼は愚かじゃけど。
>>401
島伝いが基本じゃけぇ、太平洋の真ん中へ到達するんは長い年月が
かかったろうのう。ほいでポリネシアンの移動は黒潮を逆流
しとるし、潮の流れに身を任せたら、遭難して戻ってこれんよ。
>>403
思い込みで云うなや。もう一辺>>400をよう読みんさいや。
426:出土地不明
11/03/09 23:07:05.70 9Kc881OM
>>400
しょうもな、
その実験は現代造船は過去の造船・操船術を模倣できなかった
ってだけの事例だろが。
427:出土地不明
11/03/09 23:24:59.23 Po/Uyq7W
また自分に都合の悪いことは軽く見る悪い癖がはじまった
428:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
11/03/09 23:30:29.60 MTiV1U38
>>406-412
また、嫌韓サイトと受け売りか。隋が攻めて来て兵站が伸びた処を包囲殲滅
したんは戦さの常套手段じゃわいや。
>>413
北朝の鮮卑系王朝の隋が人がようて、同じ北方民族の高句麗が悪いじゃの
ゆがんだ考えしとるのう(笑)。
429:出土地不明
11/03/09 23:33:24.33 S85Q2rtU
百済は三韓成敗した倭人が建国した
その証拠に馬韓に入れ墨は居ないが
百済になると入れ墨者が大勢増えている
430:出土地不明
11/03/09 23:34:16.50 Po/Uyq7W
>>428
×隋の人
○隋帝
すり替え乙
431:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
11/03/09 23:46:42.06 MTiV1U38
>>415
偽書である『先代旧事本紀』を挙げられても…。
まあ、採り上げる安本美典氏も、宗教右翼同様神がかってますね。
>>416
元寇への報復云うて、あんた九州人か?ムクリ・コクリ怖れよのう。
倭寇の朝鮮襲撃は、済州島の残留モンゴル人や、朝鮮で賤視された
禾尺、才人らの方が多かったし、後に中国を襲撃した倭寇も
中国人が多かったよ。倭寇はエスニック集団で日本人だけを指した
集団じゃ無あど。
南蛮貿易で平戸の奴隷市場で南蛮人に売り飛ばされた連中が東南アジアの
日本人のほとんどじゃ。秀吉が人身売買禁止にしても、バレずにすりゃあ
分らんけぇのう(笑)。ほいから文禄慶長の役で朝鮮から拉致した連中も
奴隷として南蛮船で海外へ行っとるんじゃが、現地じゃあ日本人を
名乗ったんかのう?
ほいから、日本よりも李氏朝鮮は引き籠りよのう。海洋国家新羅の過去の
栄光は朝鮮から消えさったよ。
432:出土地不明
11/03/09 23:56:44.42 azxahOQj
>>425
倭人の記述に出てくる鯨面分身て理解できてないの?
433:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
11/03/10 00:17:02.64 pMZcwm0l
>>418
馬は古墳時代から。
>>419-420及び>>422
西日本の突帯文土器は、北方系ですが弥生期はお多くの渡来者は無かった
でしょう。秦氏がユダヤ教と接触したかどうかは解りませんね。
トルコ系ハザール族のユダヤ教改宗はもっと後ですから。
ネストリウス派キリスト教やゾロアスター教の影響はあったかも
知れませんね。
オルドス文化に少数コーカソイドがおったにしても、多くはモンゴロイドで
しょう。
全羅道の支石墓も遼寧の影響で形を変えただけじゃと思いますよ。
沖縄からこの時期に人の移動はありませんし、南から北への人の流れは無い
でしょう。
>>426
「幸せ回路」「お花畑」解釈すなや(笑)。現実より幻想の世界へ
閉じこもるなや。
>>429
百済建国は扶余じゃし、百済も日本も入墨を罪人の証しとして軽蔑しとった
よ。
>>430
隋の人も隋帝も北方騎馬民族系。まあ、隋の人の中にも漢人がおったが、
北方民族が南下する前の人口減少と、漢人の江南移住で、華北は
北方民族世界になったけんのう。次の唐も遊牧民的国際化したよ。
中国は宋代以降江南が栄えて、攘夷主義の国粋化して縮んで仕舞うたね。
434:出土地不明
11/03/10 00:26:08.43 3PhN6bXr
海人の安曇、宗像、隼人、他に河内飼部らも入墨しとったのうw
妄想炸裂して時系列を無視して話よるわい
で北方民族に全身に入墨してるのはどこがあるんんだ?
435:出土地不明
11/03/10 05:42:52.64 jyCGLDTE
>>412
そう言うのを白馬青牛は強いというらしい。
他の書き込みもそんなもんじゃろう。
事実無根の思い込み。
自分の思い込みをソース無しで断定する。
436:出土地不明
11/03/10 05:46:09.33 jyCGLDTE
>>428
強いわけではなく、虚偽の降伏と不意打ちを繰り返しただけ。
あんたは強いと言ったんだぜ。
見苦しいな。
嫌韓サイト?
日本の普通の見解ぜよ。
高句麗が強いなんて聞いたこと無い。
高句麗卑怯が通説じゃん。
437:出土地不明
11/03/10 05:50:33.97 jyCGLDTE
>>425
基本?
都合が悪い事実は無視するんですね。
自分の想像力や見識を上回る出来事はなかったことになるんですね。
あんたの限界だわ。
438:出土地不明
11/03/10 08:39:53.66 PvpUHWRp
高句麗は白馬青牛みたいな連中だな。
先祖だから当然かもだが…
439:出土地不明
11/03/10 10:18:31.63 TlzrR13b
>ほいから高句麗の亡命人は支配層の貴族じゃないか。
国が滅びて心身ともにボロボロになった元高句麗の王家や重臣たちが、
日本の天皇に「助けてくれ」ってすがってきて、氏姓をいただいて帰化して「日本人に加えてもらった」んですね。
(あんたの好きな"江南朱子学"も要するに「日本に逃れた宋の亡人たち」が帰化して伝えた文化です)
日本における「天下」というのは実は「日本だけの局地的なもの」ではなく
縄文文化を母体として「中国や半島といった東アジア全体の王朝王家経験者の集合体」が融合したもので、
そこには中東やエジプト、ギリシャ、北欧の文化まで流れており、正真正銘の「天下」そのものです。
>従五位でも日本の人口の比率から高いのう。
「滅亡した高句麗の末裔」が「日本の天皇から従五位を頂いた」のがとてもうれしそうですが、
当時の渡来系貴族の最高位を占めていたのは東漢氏と秦氏で、ついで百済系です。
(高句麗(高麗)はその次の次です)
ちなみに高句麗との争いに滅んだ「隋王家の末裔」まで日本で暮らし遣渤海使になっています。
そして、「日本で高句麗文化が見つかる」のはこれら「滅亡した高句麗の末裔が持ち込んだもの」に過ぎないと言えます。
440:出土地不明
11/03/10 10:20:15.42 mRNDl7jz
>>431 >>済州島の残留モンゴル人
・・・倭寇にモンゴル人までいたとは初耳だ。全員引き揚げたか、平定されたんではなかったか。
441:出土地不明
11/03/10 10:22:28.40 tcA0R8JQ
タンキー(童?)=福建省や台湾等の漢人社会で見られる、シャーマン。
自らが霊媒となって霊魂を憑依させ、農漁業に関する予測や、霊廟の建造や改修の
要不要等様々な事柄に関して、神意を伝える。
シンガポール、マレーシア、インドネシア等の漢人社会でも見られる。
ソース:『獅子の町・海峡の風~マラッカ3国の社会・文化・自然~』
シャーマン(巫女)の北方起源は、無理がある。
というか、シャーマン(巫女)信仰は、世界中どこにでもある。
442:出土地不明
11/03/10 10:36:43.84 TlzrR13b
>顔を含めた入墨なら、アイヌ人や極北のイヌイット人にもあるよ。
アイヌもイヌイットも騎馬民族ではなく水生漁撈狩猟民族。
しかも北方由来なら通常、「毛皮を着る」のが基本だが
アイヌはなぜか「麻布や木綿のびっしり文様が入った袢纏に靴までワラ製」という、
北方由来というより南方由来の服装。
443:出土地不明
11/03/10 10:41:32.27 TlzrR13b
ちなみに、いちおう言っておくが「麻布や木綿が主体」という意味であって
「アイヌは毛皮を一切使わない」という意味ではないよ。
444:出土地不明
11/03/10 10:43:27.59 3PhN6bXr
青牛の何が何でも北方に持っていこうとするやり口は
なんでもかんでもウリナラ起源にしたがるK国とそっくりや
445:出土地不明
11/03/10 11:22:27.86 UF4xUjP/
>>433
>隋の人も隋帝も北方騎馬民族系
人種の傾向じゃなくて個人の性格を問題にしてるんですが
ああ、いつもの分からないふりってやつですね
446:出土地不明
11/03/10 11:23:04.19 TlzrR13b
>>402
>龍信仰なら、モンゴル満州の先紅山文化からあるよ。
それは紅山文化に含まれる。
紅山文化は、遼河流域であり、農業主体でブタ・ニワトリを飼い、大地の女神を崇拝する、典型的な水生夷族の文化をもつ。
モンゴル満州で見つかった龍と言ってるのはその流域の源流である赤峰山付近から見つかった「ブタの頭に蛇の身体をした輪」を龍の原型ではないかといわれているもの。
ちなみに紅山文化では「龍のレリーフ」ではないかと言われるものもあるが、それも「多数の貝殻」を集めて造られた、明らかに水生漁撈民族の文化であって騎馬民族の文化ではない。
北にあればなんでももってくればよいというものではない。
447:出土地不明
11/03/10 11:39:09.16 TlzrR13b
>龍信仰なら、モンゴル満州の先紅山文化からあるよ。
むしろ水生夷族の文化が、4000年前(一説には6500~5000年前)から
「内モンゴルにまで達していた」といえる。
ちなみに女神が見つかった区域は山地であり、祭祀跡はあるが生活跡がなく(もちろんさらに北部にも無く)、
ここは「神を祀る山」であって、生活域はかなり下流域であったと見られている。
448:出土地不明
11/03/10 12:37:15.43 3PhN6bXr
>>425
>顔を含めた入墨なら、アイヌ人や極北のイヌイット人にもあるよ。
アイヌもイヌイットも古モンゴロイドで新北方モンゴロイドと違う
>しかも入墨に入れるんに、顔と身体の区分云う文化的違いなんか
>あるんか?
古代の入墨には信仰や呪いなどいろんな要素があるし
入墨を入れる箇所の違いは同じ海人でも宗像氏、安曇氏、尾形氏らのように
胸や顔または尻といったように出自による違いもある
海人の入墨にはサメに襲われないようになどの呪いの意味もあり
アイヌや沖縄などの縄文系の入墨には信仰の要素が強い
449:36歳ニート
11/03/10 13:14:59.25 IFSklmvU
401 :出土地不明:2011/03/09(水) 01:59:46.30 ID:Qd9K4uw3
>>400
太平洋のど真ん中にも人間は住んでる。
どうやったんでしょうねぇ。
否定のための否定にしか見えませんよ。
馬はいねえんじゃね?
450:出土地不明
11/03/10 13:18:11.10 J2q9FO6y
馬がいるから騎馬民族なら南朝も騎馬民族かな
451:出土地不明
11/03/10 15:13:46.37 mRNDl7jz
>>431 >>南蛮貿易で平戸の奴隷市場で南蛮人に売り飛ばされた連中が東南アジアの
日本人のほとんどじゃ。
・・・奴隷が日本人町を作ったり、山田長政みたいなタイ王室傭兵隊長になったりできるんか?
452:出土地不明
11/03/10 15:15:24.28 TlzrR13b
>>400
>地乗り航法の時代に江南から直接来れるわけ無いよ
殷代の通貨である「貝貨」の材料の「タカラガイ」には奄美大島~沖縄諸島のものが(多く)含まれている。
そして殷代に貝貨を生産していた方国「人方」は、「山東半島南岸部から江南北部」にかけてある国で
明らかに東シナ海を横断している。
(大陸から陸続きにどう行っても沖縄にも奄美大島にもたどり着けはしない)
>航海の軸線は石井謙治氏の引用でここにも出とろうに。
URLリンク(inoues.net)
これは「陸続きにしか行かなかったはず」という前提でこの人が考えただけ。
そもそも「原木をくり抜いて作られた丸木舟」は、
「構造船ではバラバラになるような荒波」を越える性能があるし、基本的に沈まない。
半島ルートが行けなくなった遣唐使が南海ルートをとったのは、急な思い付きではなくて
「昔からルートがあった」から。
しかし構造船で横断しようとするとどうなったかは言うまでもないし、
地元の漁師によると「夏場と冬場ではこのあたりの海流が変わり、往復するには季節を変えなければならないはず」
とのことで、遣唐使がそれを知っていたかも不明。
453:出土地不明
11/03/10 16:33:08.86 tKH23WV1
縄文人は黒潮を横断して八丈島まで航海していた
日本海では南北数千キロを航海していた
これはもはや証明された事実
454:出土地不明
11/03/10 17:50:47.35 mRNDl7jz
>>453 八丈島から縄文土器が出ているのか?
455:出土地不明
11/03/10 18:00:51.74 TlzrR13b
URLリンク(www.ao.jpn.org)
ちなみに沖縄方面では6500~4500年前にはすでに日本(九州)と共通する土器が分布しています。
456:XYZ ◆PH4Mje0jPU
11/03/10 18:32:47.85 6spcS3c6
>>298
返信ありがとうございました。
そうですか。そうしますと、基本的に現在で言う遼寧・内蒙古・河北等の方面
に居た燕の人々が主体だった可能性が高いという事ですね。
では、大雑把な話ですみませんが、仮に現在の朝鮮語につながる言語を
話していた民族と、日本語につながるほうのそれが、もともと居住していた地域を、
地理的な関係で大雑把に言い表すとしますと、満州からモンゴルにかけての地域で、
西に朝鮮語の民族が、東に穢系の日本語の民族が、という位置関係だった
という事でしょうかね…。
457:XYZ ◆PH4Mje0jPU
11/03/10 19:15:01.07 6spcS3c6
>>456
念のため燕や斉の話が出たので、朝鮮語のほうに関しては、
河北や山東などの地域まで含めたほうが好いかな…?
一方の日本語のほうは、弥生式土器は沿海州方面との関わりがあるので、
やはり西方に朝鮮語族、東方に日本語族といった感じだったなのかな~。
458:出土地不明
11/03/10 19:35:47.83 Dgl3JoIk
>>452
そういえばサバニで海が荒れたときは故意に転覆させてそれにつかまって
嵐が去るのを待つという荒業があるんだよな。
現代のサバニは大きすぎてそういうわけにはいかんが。
459:出土地不明
11/03/10 19:45:00.51 TlzrR13b
>地乗り航法の時代に江南から直接来れるわけ無いよ
いかにも発想が陸上民族的なんでおかしく感じる。
陸上民族にとっては「海岸はどんずまり」。(「半島」なんかまさに「袋小路」)
水生民族にとっては「海こそが道」で、陸地でもまず「遡上できる河」がないかを探す。
天体観測が本当に必要なのも、騎馬民族ではなく海洋民族(そして農耕民族)。
460:出土地不明
11/03/10 19:52:34.47 mYyJvDky
白馬青牛的にはStar NavigationやWind Compassは完全否定なんだね
ボロヴゥドゥールのレリーフのアウトリガーをもつ巨大帆船とか普通にありえそうだけど
461:出土地不明
11/03/10 20:06:32.80 TlzrR13b
>衛満朝鮮の連中で漢の楽浪郡支配の頃韓の地に新天地を求めたんが辰韓で楽浪郡に留まったん
が、阿残とも史書から解釈出来ますね。
なんでも朝鮮人と結びつけたがるが、阿残は秦語を話し自分たちは秦帝国の民と称していた。
(阿は秦のことで「秦人の残り」が「阿残」)
一方「阿残が衛満朝鮮人」というのは根拠が何もないあんたの妄想。
なお三皇の「伏義」や「女禍」は「苗族・ヤオ族」系だが、「神農(炎帝)」は姜姓(姜水に居り、因りて以て姓となす)であり
羌族すなわちチベット系と見られる。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
しかし、これは鮮卑族の祖先ではなく「鮮卑族の祖」とされているのは
獣の名をもつ軍団で神農炎帝を破ってまんまと中央の帝「黄帝」を名乗った「軒轅」の方。
462:出土地不明
11/03/10 20:34:47.37 3PhN6bXr
>>461
炎帝と黄帝は共に神農の子で、炎帝の姜姓と黄帝の姫姓は
中国最古の姓。神農は今の西安近辺に天降った神で
同地域出身の羌族の神。苗族の神は神農の子孫の蚩尤
463:出土地不明
11/03/10 20:56:53.13 aKxoGbMq
>>454
八丈島の先史文化
URLリンク(ao.jpn.org)
464:出土地不明
11/03/10 21:07:14.55 aKxoGbMq
湯浜遺跡は、最初に発見された遺跡
土器:いずれも脆く取り上げに苦労するほどで、10個体以上が識別された。器形は厚手の丸底深鉢形土器で、
土器中央胴部に僅かな段が認められる。器面は浅い条痕が認められるが、基本は無文である。
琉球列島、マリアナ先史文化の比較研究を行った。その結果、サイパン島の1点だけが類似していた。
八丈島で二番目に発見された倉輪遺跡
立派な本土の「縄文土器」をもった縄文文化が確認された
土器型式は前期終末~中期初頭 (5,000年前)の所産で、関東・中部地方の土器群を主体にしているが、
そのなかには中部高地、北陸、関西系の土器群も多数認められた
465:出土地不明
11/03/10 21:27:21.96 mRNDl7jz
>>463 ご教示ありがとうござりました。
466:出土地不明
11/03/10 21:38:09.17 aKxoGbMq
(5,000年前)の所産で、関東・中部地方の土器群を主体にしているが、
そのなかには中部高地、北陸、関西系の土器群も多数認められた
->縄文人は、丸木舟でかなりの長距離を渡航できたことになる。(証拠)