天皇はいったいどこから来たのか?at ARCHEOLOGY
天皇はいったいどこから来たのか? - 暇つぶし2ch434:出土地不明
10/11/18 12:28:14 hZg0exJH
>>431
古来から朝鮮の方が強国だったのなら何故より半島に近い対馬は一度も朝鮮領土になったことが無いの?

435:出土地不明
10/11/18 12:33:50 eFujKz5K
>>433
うろ覚え御免。
×阿意等(わいら)
○我為阿(わいあ)
(「阿」が秦帝国を指すらしい)
「三国志魏書」辰韓伝

相呼為徒、有似秦語、故或名之為秦韓
互いを徒と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる
(「徒」も秦語の表現らしい)
「後漢書」辰韓伝

URLリンク(members3.jcom.home.ne.jp)

436:出土地不明
10/11/18 12:47:28 eFujKz5K
ちなみに秦の支配領域の外にある半島東部(後の新羅)に、
一部の秦人が秦帝国の苦役から逃亡して移り住んだのは、
当然「秦帝国が健在」の時代の話。

彼らは「秦からの逃亡者」でありながら、反面「秦人であること」をプライドの拠り所にしていた。
ところがやがて「その拠り所となる秦帝国」が滅亡してしまった。

一方、秦王朝の王侯貴族の末裔たちは、秦の領域からの逃亡を余儀なくされる。
(周代なら逃げる国はいっぱいあったが、皮肉な事に秦の始皇帝が全国制覇してしまったため、秦の領土に逃げ場がなくなった)

木を隠すには森の中。
秦文化を持ち秦語を話す彼らが「どこに身を隠したか(隠すべきか)」は簡単に分かる。



437:出土地不明
10/11/18 13:03:38 eFujKz5K
>>435
互いを徒と呼び
(「徒」も秦語の表現らしい)

「徒」は日本では古くから「つれ」(徒然草のように)と発音するが、
河内を含む関西では「つれ」とは「友達」のことを指す。
(ひょっとすると秦の始皇帝も河内弁で「いてこますど、われ!」とか叫んで全国制覇したかも)

山東半島の神仙「安期生」は「秦の始皇帝」に「蓬莱山(日本のこと)まで迎えに来い」と言い残したといい
また徐福に東の海を渡らせ蓬莱に派遣しようとした。
URLリンク(www.pandaemonium.net)秦の始皇帝陵の地下には、水銀で黄河・長江と山東半島周辺の海が作られており、

始皇帝の棺と兵馬俑の集団は山東半島の東に向かって並んでいる。
秦王家の末裔も、「蓬莱に至る」ことに特別な思いがあったはず。






438:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/19 01:05:05 BOj29XUV
>>432-435及び>>436-437
ほう、誰の妄想近年調査か、具体的研究者とやらを挙げたらどうか?
史記の時代じゃあ、今の山西省も山東になるわ。
朝鮮の倭人について刺青はあるが、下駄までは、話を飛躍し過ぎじゃ
のう。しかも高床式なんか高句麗やシベリアにもある。
どこが南方文化何か?江南儒教朱子学派の工作は幼稚過ぎゃあせんか?
秦人は、遊牧民系の西戎系じゃが、辰韓が楽浪を同胞とする処、
遼寧地域の人間の移住が多かったことを表しとるんじゃないか。
後の古新羅の非漢系北方遊牧民系の古墳文化は、西方的であるが。
秦(ハタ)氏は、古墳期以降の渡来系で、秦韓と関連があるかどうか
解明しとらんよ。
ほいで、最後は伝説の徐福伝説偽書マニアじゃあ、話になるまあ。
>>434
逆に済州島が韓国語じゃったことも、含めて云うとるたぁ、思えん
がのう。しかもあんたは、近代的領土概念で海洋世界を面の
領土農耕社会の概念で捉えとる前提がそもそも可笑しい。

439:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/19 01:09:55 BOj29XUV
>>432
忘れとった。河内は、渡来系西文氏ように西で、大和は西文氏と
同族の渡来系東の文氏(東漢氏)で、山の東で大和に過ぎんよ。

440:出土地不明
10/11/19 10:09:21 3eDnWRX2
>しかも高床式なんか高句麗やシベリアにもある。

「河で禊ぎ」をし「鳥居」や「稲作神事」を行い「高床式建築」を持つ種族がなんで北方系だと思うのか理解できない。もちろん南方系には「河池や湿地帯対応の高床式建築」が発展しているし、臍(ほぞ)組みの技術は河姆渡遺跡からも見つかっている。
「高句麗やシベリアにも高床式と呼べるものがある」ことが何か問題なのか分からない。
「下駄」ではなく「田下駄」(常識で考えて「下駄履いて田んぼに入る奴」はいない)


441:出土地不明
10/11/19 10:16:33 3eDnWRX2

ちなみに「墨子」も「罪人のように顔や体に入れ墨をし、髪は短く裸足である」
とあるが、まさに文身断髪で裸足という「倭人」スタイル。

442:出土地不明
10/11/19 10:29:45 3eDnWRX2
朝鮮史関係の考古学資料(特に初期遺跡分布地図)を見れば発展過程は一目瞭然。

ちなみにコロニーはいくつもの小さな同心円が重なりながら広がる。
そしてその弧は発展してゆく方向に凸になる。
半島開発の場合、南岸および南岸に面する河沿いに近づくほどコロニーが密集しており、
同心円状の弧も明らかに南→北に凸になっている。



443:出土地不明
10/11/19 10:54:30 3eDnWRX2
秦人は最初から西方にいたわけではなく、もともと?(えい)民であり黄河東北の有易氏の末裔
?姓は夏の始祖「禹」の臣であった益易の労苦に報い授けたもので、
禹は益に天下を禅譲しようとしたが、禹の子である啓に帝位を取られた。
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E8%A9%B1)

444:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/19 22:35:38 BOj29XUV
>>440
「鳥居」も満州からインドまで分布しとるよ。稲作は暖かい地方じゃ
ないと無理じゃわいのう。北方渡来系である日本人が、
風土に合せて稲作を作った連中もおっただけのことよ。
>>441
刺青も北方アルタイ地方にもあるよ。倭人スタイルと違い古墳期の
美豆良の髪型、筒袖胡服は明らかに北方民族のスタイルじゃ。
倭人の方が暖かい風土に合せとるのう。
>>442
朝鮮は衛満や楽浪じゃの北方の方が文化成熟度が強い。
遼寧式青銅文化も西北から東南への流れじゃし。
>>443
始祖伝説なら騎馬民族の匈奴でも中原にしよるど。
始祖伝説なんか、源平藤橘の家系偽造と同様じゃに。
仮に、エイ氏が東夷の狩猟牧畜民から西部の牧畜地帯の西戎の地、
西周の地に移住したとしても、西方の牧畜民系の国家であること
にゃあ変わらんよ。
URLリンク(avantdoublier.blogspot.com)
だいたい、中国の歴代王朝で漢、宋、明以外は概ね牧畜・騎馬民族系
の王朝じゃに。

445:出土地不明
10/11/19 23:18:55 3eDnWRX2
>「鳥居」も満州からインドまで分布しとるよ
北はせいぜい満州までということですね。

>北方渡来系である日本人が、風土に合せて稲作を作った連中もおっただけのことよ。
日本の最古の稲作遺跡は九州北部で、舟・鳥飾り・貝輪文化とも合わさった南方系で、北方系ではありませんね。

>倭人の方が暖かい風土に合せとるのう。
裸足文化の北方系など聞いたことがありませんし、貫頭衣も二枚の長い布を中央以外縫い合わせたもので南方系の貫頭衣です。
(前を縫わずに交差させて帯で止めると和服(呉服)の出来上がりです)







446:出土地不明
10/11/19 23:40:57 ++BSCtHU
天皇記て残ってないのですか?

447:出土地不明
10/11/20 03:53:49 rf1xEJD0
それ、漏れが同人で描いてみようと今頑張ってるんだが

448:出土地不明
10/11/20 10:54:47 oKnunjy1
「河川(水生)民族で高床式建築が発展する」のは当然の成り行きだが
「北方系民族に高床式建築が生じる」というのはほとんど考えられない。

しかし「高句麗に高床式がある」のは別に不思議ではない。
伝説では高句麗の始祖とされる「朱蒙」は、解慕漱が河伯の女(娘)「柳花」を孕ませてできた子。
河伯は黄河の主に下流域を支配主であり、山東半島周辺の河川文化種族.
(ちなみに河伯(かはく)は河童、河神(河上)であり、「かっぱ」もここからきていると思われる。なぜ「あの姿の妖怪」にされたかは不明)

朱蒙は、王莽が前漢を倒し「新」を建てたとき
匈奴を攻撃するための出兵を要求されたのを拒否したため
王莽に高句麗を攻められ殺された。




449:出土地不明
10/11/20 11:22:02 oKnunjy1
また、高句麗には漢王朝と同じ「四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)を守り神とする」文化があるが
これも北方系文化ではなく、三皇(天皇・地皇・人皇)の伏義・女禍などを祖先神とする、苗族などの「夷族系」文化。

ちなみに苗族は「シナ人にとっては異民族」であり、伏義・女禍や盤古なども夷族の祖先神。
ところが、漢を建てた「劉邦」は伏義・女禍や盤古などを「自分の種族の祖先神」として崇め、黄帝と戦った神農炎帝の臣「蚩尤(しゆう)」を祀ったという。
つまり劉王家はシナ人ではなく夷族系。
(「シナ人が漢民族」と言いだしたのは日清戦争に負けて日本に学びに来たシナの留学生が「大和民族」をパクッた創作)

450:出土地不明
10/11/20 11:30:43 oKnunjy1
「白虎」とは西方の夷城(重慶の周辺)に建国した巴族の伝説の族長「廩君(りんくん)」のこと。
巴族は弓が上手く舟(恐らくドラゴンボート)を巧みに操り、夷城を拠点とした。
(「夷」は本来「巴族」を指す)
廩君の始祖が伏義であるという。

重慶秦漢代にはこのあたりは「巴蜀」と呼ばれた黄河と長江の上流部であり
ここから黄河や長江を河口に下り東海岸部に住んだ種族は「東夷」と呼ばれ、やはり伏義の末裔。


451:出土地不明
10/11/20 11:40:34 oKnunjy1
朱雀は鳳凰のことであり、「鳳凰」と言えば鳥トーテム部族連合の伝説の族長「少昊(しょうこう)」のこと。
少昊自体のトーテムは玄鳥(燕)であり、様々な鳥部族のトーテムの特徴をあわせ持つシンボルが「鳳凰(朱雀)」

452:出土地不明
10/11/20 11:56:17 oKnunjy1
玄武は「亀の背にある二つ頭の蛇(下半身は繋がっている)」。
夷族神話で蛇と言えば伏義と女禍を指す。
伏義と女禍は、「蛇」をトーテムとする山東半島の泰山付近を根拠地とする族長で神仙。

山東半島は大洪水の際、海にぽっかり浮かぶ「大亀」に例えられ「亀山(亀の背)」とは山東半島のこと。
大洪水で人の世界が水没してたった二人生き残り、人類を再生したとされる。



453:出土地不明
10/11/20 12:04:06 oKnunjy1
「龍」といえば伏義と女禍のトーテムでもある。
伏義(女禍)自身のトーテムは蛇であるが、様々な周辺部族の連合体の族長でもあり
部族連合全体のシンボルとなるトーテムが龍。

「青」は「春」であり「木神」であり「再生」を意味する。
「玄武」が「滅亡寸前に追い込まれた末世」であるのに対し、龍(連合体)として再生した姿が青龍。

(また渤海北岸の河に舟を巧みに操る青龍族がいたともいう)

454:出土地不明
10/11/20 14:39:08 oKnunjy1
玄武については、亀は「長い足」を持っており、蛇は「一匹」で巻きついた姿で表される場合もある。

女禍神話では、
「共工が天下を争って負けた時、不周山に頭をぶつけて洪水を起こし、
女?は、大亀の足で四柱に代え、五色の石で天を補修し、黒竜の体で土地を修復し、芦草の灰で洪水を抑えたとある。
ことから、1匹の蛇であればそれは「女禍」を指すと考えられる。

ちなみに「洪水」という言葉も「共工の起こした大水」からきているという。


455:出土地不明
10/11/20 15:17:31 UfiSusjs
>>448-454
面白い話しを有り難う

456:出土地不明
10/11/20 16:19:14 pcLRV1lk
             _
          .、r'三っ彡彡彡    _
       _r'`r‘'・シァ彡彡彡__∠-‐"⌒ミー、_
   ,-、 ‘ー゙三"ニ=ミ彡 _/∠_て_  _r、    ̄ミ
  ,r',;へ.`y'"~   _∠/ _⊆ニ;;;`ヽ、  ̄_) ノ_    ミ
〃フ~'  ゙(   /~⊂ニ彡;;;;;;;ヾ.  ̄三    ̄\_ミ
. ̄  /二ニ(⊂二ニ~;:-:;;;;_L_   三 _ ,,
   } f~'  \ ̄ミ三ー'_|_|」⊥ゞ.⊆工__ 彡j ,r "
  〃フ     ̄`ー"~     _`フフ_二ニへ\_/彡_,-、
.   ̄          /,二下ャ─"      `ヽへ.__.ゞ-"
    K I R I N 〃フ   `゙ B E E R
              ̄

457:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/21 00:23:43 VHzTK/E7
>>445
残念じゃが、九州北部の甕棺被葬者の人骨は北方渡来形質で
南方系じゃ無いけんのう。(笑)
貫頭衣ポンチョが和服とどこが似とるんな。しかも呉服は後世の言葉じゃ
し、上代の呉服部は、呉≒高句麗か高句麗経由じゃろうに。
古墳期の胡服、筒袖は北方民族の服装じゃけぇ、南方系じゃ
無いわのう。
>>448-449及び>>450-451及び>>452-453
高床式が高句麗やシベリアにもあることは、他スレでも云うとろうに。
URLリンク(www.d4.dion.ne.jp)
高句麗の伝説も扶余東明王が故国から追われる時、魚やスッポンが浮かび
上がって橋が出来て逃れる説話のコピーじゃし、川が多い満州の風土を
反映しとるだけのこと。
高句麗は北方民族と征服した楽浪の漢文化を交えて、胡漢文化じゃし、
高句麗人自体は南ツングース人じゃ。南方誘致しても意味が無あど。

458:出土地不明
10/11/21 00:23:44 lfIkIpZL
>>449
ミャオ族は漢民族じゃね?

YDNA O3
71% ミャオ 
66% 漢民族(華北)
63% シェ 
60% 漢民族(台湾)
53% トゥチャ
52% ヤオ 
40% 朝鮮
33% 漢民族(華南)

459:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/21 00:30:04 VHzTK/E7
>>449
忘れとったのう。東夷たぁ、ユウ婁じゃの北方沿海州まで含む、
漢から見て東におる民族のことよ。
華南~東南アジアの畑作狩猟民の「苗」は、華北から南下したと
しても東夷じゃのうて、南蛮じゃろうに。
ほいから、漢民族自体、北狄、西戎、東夷、南蛮の混合民族で。
漢人種云うんは存在せんよ。

460:出土地不明
10/11/21 04:01:16 JQ2AQwDP
>>449
けけけ!
漢民族は、大和民族より新しい!


461:出土地不明
10/11/21 10:55:48 NRsgY46M
>貫頭衣ポンチョが和服とどこが似とるんな
ポンチョは横折り。貫頭衣は縦折りで二枚の帯を中央以外(前部と後ろ部)で縫い合わせたもの。
しかしそれでは髪飾りや兜をつけていると頭を通せないないので前部を縫わず、交差させて帯で留めるようになった。

>呉≒高句麗
ソースを示して。(九州北部の甕棺被葬者の人骨は北方渡来形質も)
(「百済の○○は元呉の人」とは新撰姓氏録などによく載っているが。)

ちなみに「夫余氏」なら、「呉の夫亥が楚に亡命し、その余子が夫余氏となった」ということで、南方(江南)系。






462:出土地不明
10/11/21 11:18:02 NRsgY46M
「呉の公子の夫概は楚に奔走した。その子に国があり、夫餘を氏とした。今の百済王夫餘氏である。」
(後漢代「風俗通義」)

呉王「闔閭」は将軍「伍子胥」や軍師「孫武(孫子)」とともに大国「楚」と対決しついにBC506に首都を陥落させた。
ところがその留守に弟の「夫概」が呉王を名乗り呉を乗っ取ろうとしたため、闔閭は楚王を討てないまま急ぎ戻ってこれを平定した。
夫概は子を呉に置き去りにして楚に奔走した。その子らが夫余と呼ばれ末裔が百済王となった。

463:出土地不明
10/11/21 11:21:38 NRsgY46M
もし高句麗が夫余氏なら、それは「江南の呉」から行っただけ。
「現地で北方系と混ざった」と考えるのが自然。

464:出土地不明
10/11/21 11:48:40 NRsgY46M
>>458
「漢民族をどう捉えるか」の問題で、漢を建てた「劉」王家は「ミャオ族」か広い意味でミャオ族と祖先が同じ「夷族系」。
しかしそれらは言わば東アジアの先住種族。

自分たちを漢民族と思いこませようとしても「現代シナ人の祖」はもともとは「それとは別種族」で、
「先住種族」はその後「シナの東西南北のへき地」に押し込められ現在「中国少数民族」と呼ばれている。
東海岸に追いやられた先住系は舟が得意で、戦乱の続く大陸から「ついに海を越えた」と考えられる。
(山東半島や江南から縄文土器や糸魚川産ヒスイが発見されており、「すでに縄文人が交易していた」とみられる)


今や混血化が進んでいて、先住系とシナ系は見かけは変わらないが「本質」はやはり異なる。

「先住系」が農工業中心で「品種改良」を重んじる、ある意味「自然科学系」であるのに対し

「シナ系」は遊牧・狩猟中心で「なんでも現地調達」すなわち「作るよりパクる」ことを重んじ、
「いかに狡猾に獲物を騙して罠に誘い込むか」に注力するある意味「人文科学系」。






465:出土地不明
10/11/21 12:15:39 NRsgY46M
>ほいから、漢民族自体、北狄、西戎、東夷、南蛮の混合民族で。

北狄、西戎、東夷、南蛮の区分けは、多彩な種族を方角でひっくるめた、かなり後世のもの。
もともとは夷や羌などの種族で呼ばれていた。
東夷や南蛮も「巴蜀や雲南の夷族」から分かれたもの。
(羌は別系統チベット系)


漢民族(シナ人)は「自分の利益になり大きく見せられるものなら他文化はなんでもパクった」だけで、
内面など不要でハリボテで十分だった。
(現在チベットのポタラ寺院も、チベット僧は入ることが出来ず、かわりに「チベット僧のコスプレをした中共軍人」が「読経のパフォーマンス」をして観光客から金を取ってる)

「大陸先住種族連合のシンボル」であった「天皇(てんこう)」のような存在が本当は必要になる。



466:出土地不明
10/11/21 12:38:55 NRsgY46M
>東明王が故国から追われる時、魚やスッポンが浮かび上がって橋が出来て逃れる説話のコピーじゃし

「語るに落ちる」とは、まさにこの事。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

「北方の索離国」は「東明を殺そうと追いかけた側」で、魚や鼈は「河伯の子孫だから」東明を助けた。
(実際は「魚や鼈のトーテムを持つ河川系部族」が「橋を落とし舟で逃がす」などしたんでしょうけど)

それに「東明の父」の素性が秘されているのに、東明はなぜか百済と同じ「夫余族」と出自が明確。
「河伯系で(北方国の誰より)弓に優れている」というのも夷族そのもの。

URLリンク(ja.wikipedia.org)
あくまで高句麗の王家が「夫余」であって、「高句麗地域にいたツングース系北方人」と「王家」は別種。
(「夫余王および夫余の老人たちは自らを「亡命者」と称しており、夫余がかつて?の地にやってきた外来者であることがわかる。」ともある)

467:出土地不明
10/11/21 13:02:48 NRsgY46M
>高句麗は北方民族と征服した楽浪の漢文化を交えて、胡漢文化じゃし、高句麗人自体は南ツングース人じゃ。南方誘致しても意味が無あど。

整理すると、高句麗は
1)現地人はツングース人
2)かつて東胡(西方のチュルク(トルコ)系あるいはペルシャ系と、それに支配されたツングース(北方人)の混血)の一部であった。
3)高句麗王家はツングースや東胡とは別種の「夫余(江南の呉の末裔)」
でOK?


468:出土地不明
10/11/21 14:21:44 NRsgY46M
高句麗における「四神(東西南北の守り神)」までが「北方系だ」というなら、本来「どういう背景」があるのか説明できるだろうか?

そもそも「変温動物の蛇や亀」が「北の守り神」というだけで、
「南方系だな(少なくとも北方系ではない)」ということは容易に察しがつくと思うのだが。


469:出土地不明
10/11/21 16:20:51 NRsgY46M
「天皇は神であって人ではないのか?」と言えば、本来の意味から言えば「それは正しい」。
しかし天皇はGod(西洋で言う神)とは無関係だし「生物学的に人間ではないのか」と問われれば「人間」。

どういうことかと言えば、

・三皇URLリンク(ja.wikipedia.org)
というように「天皇(三皇)は神(神仙)」。

・というより、ここに「神という言葉(字)のおこり」があるので「天皇(三皇)が神でない」となると「神はない」。
(天皇は三皇の筆頭であり、広い意味で天皇には三皇が含まれる)

・もちろん日本でも八幡神宮の祭神「応神天皇」のように、神社(神を祀るやしろ)で祀られている正真正銘の神。

・三皇のひとり大地の女神「女禍」は、黄土をこねて、はじめて「人」というものを造ったという「神」であり、
これが「人という言葉(字)のおこり」とされており、つまり「神(三皇)」は「人」ではない。
(「最初に丁寧に造った」のが「貴人(貴重な人。貴族)」で「疲れてきたので、泥を縄に吸わせて振り回して飛び散らせて大量生産した」という。)


・西洋の「God」に「神」という訳語を当てたのは「幕末の日本人」であって、それまでは神=Godではなかった。
もちろんそれまで神が「全知全能」や「唯一無二の存在」などと書かれたことはない。


・天の神は本来「天帝」と呼ばれたが、やがて人が帝を名乗り出したので、「帝は人」として「神を皇」で表すようになったのが天皇。
すなわち天皇(天皇大帝)とは天帝のこと。

・「天皇(天帝)」は「天そのもの」ではなく「天意を天下の民に伝える仲介者」であり、「天命によって天下を治める」という「天子」を任命する立場。(いわば神の意を伝える「権威者」である教皇)

470:出土地不明
10/11/21 17:12:00 NRsgY46M
「天子」は、「天」が命じて「成るべくして成った権力者」
実際は「より多くの支持を勝ち取った実力者」に「天皇という権威者が任命」することで「事実を追認」するもの。

(通常は「天皇というゴール」が存在しないので「血で血を洗う権力闘争」が際限なく続く。特に共産思想の「同志」では「完全平等の立場の者」が権力を握り自分たちに命令するわけで、権力闘争は熾烈を極める)

471:出土地不明
10/11/21 17:18:34 NRsgY46M
「天子」とは日本でいう「天下人」であり、「天皇が任命」する。

「政府」でいえば「内閣」。(内閣総理大臣ではない)
議院内閣制は大統領制と違い「内閣」が「国家権力者」であり「内閣不一致」はあってはならない。
「総理大臣」は単に「内閣を総理する」役割の「大臣の一人」に過ぎず、「責任」は総理個人にはなく総辞職として「内閣全体で取る」。

基本的に多数派を勝ち取った政党の党首が、国会の指名を受けて総理大臣になりただちに組閣(内閣を組織)するが、
この時点では新内閣に国家権力は無く前内閣が持ったまま。新総理が「天皇の任命」を受けた瞬間に新内閣に権力が移る。

幕府でいえば将軍。
(海外の反応では皇帝と天皇の区別がつかず、「ショーグンと天皇が同時に存在する」のでかなり混乱しているが、これで正しい)


朝廷でいえば、大臣(おおおみ。臣を統括する)や左大臣、太政大臣、摂政・関白。
蘇我氏は大臣。聖徳太子は推古天皇の摂政。

天皇になる前の「皇太子」は天子(帝)になれるが、平安以降は摂関家がほぼ1年の隙間もなく代行を独占している。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
「天皇位にあるもの」が天子になるためには、退位して「上皇」になる。

「天皇自身が天子になる」のは、基本的に「代わりがいない」「摂関家の専横が過ぎる」「戦の真っ最中」などの緊急避難措置であり「1代限り」。



472:出土地不明
10/11/21 21:46:06 NRsgY46M
特に江戸時代以降などでは、少なくとも庶民は天皇を天子様と呼んでいるし、
日本では天子≒天皇とも言える。

本来は「天下を実際に運用する者」が「天子」であって「それを任せ続ける天皇」は本来の意味では天子とは言えない。
しかし「天下人を任命する」ことこそが「天皇本来の仕事」であって
知ってか知らずかきちんと役目を果たしてきている。



473:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/21 23:17:07 VHzTK/E7
>>460
大和民族の成立は、律令期じゃけぇ、漢民族の方が早いよ。北朝の新漢民族
にしても隋唐にゃあ成立しとる。
>>461
被る貫頭衣と着る和服じゃあ形態が全く違うわいや。妄想すな。
呉は江南じゃのうて高句麗か近辺の可能性が強い。
URLリンク(yumiki.cocolog-nifty.com)
◆呉と高句麗に、応神記の高句麗王の案内で呉に到着した云う呉も
滅んだ江南の呉なんか無いし、仮に高句麗から江南へ行くんが、
地乗り航法で山東半島に近いとしても、華北の方が近い。
まあ、日本の記紀はありもせん呉国や強国の高句麗が朝貢じゃの
嘘吐き物語じゃが、兎も角、高句麗がクレ(句麗)で呉となった可能性が
強いけんのう。広島県呉市の呉も、元来九嶺(クレ)からじゃけんのう。
甕棺の金隈や佐賀東部弥生人も、高顔の北方渡来系ど。
URLリンク(www.museum.kyushu-u.ac.jp)
>>462
「風俗通義」じゃの電波書だけが根拠たぁ。(笑)
しかも、後漢の時代に百済なんか存在しとらんよ。(笑)
あんたも、ファンタジーが好きな妄想家じゃのう。

474:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/21 23:50:34 VHzTK/E7
>>463-464
高句麗も扶余も「江南の呉」とは、ほとんど関連が無い。
ミャオ(苗)族は、中原から見て南蛮であって、東夷じゃ無いよ。
URLリンク(www.geocities.jp)
中国の山地を西南沿いに南下したのに、沿岸や東夷のわけあるまあに。(笑)
とうとう、縄文人江南交易電波まで電波飛ばしよるんか。
狩猟遊牧民は嘘を吐かんし、農耕都市民の狡猾さに比べたらましじゃ。

475:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/22 00:09:19 v15lv2XZ
>>465-466
秦以前の周辺異民族定義のどこが後世なんか?
大陸先住種族なら中国南部や南部少数民族のことで、北アジア、
華北、朝鮮、日本たぁ関系が無いわ。
>>466-467
弓の優れた狩猟民を南方誘致してどうすんなら。
扶余は黒龍江から来た策離国伝説じゃが、確かに扶余はモンゴル
要素が強く、モンゴル文化とツングース文化との混合じゃった
ろう。
高句麗人は、現地被支配層の穢沃祖のツングースと、楽浪の漢人系と
漢化した秦人やトルコ・モンゴル・ツングース・チベット胡族。
支配層は貊系のトルコ・モンゴルを加味したツングース系。
ペルシャ人は直接関与しとらん。
高句麗王家は、支配層である北方貊系と他の胡族との混合。
>>468
四神は高句麗の胡漢文化の内の漢文化の影響に過ぎんよ。

476:出土地不明
10/11/22 12:18:59 z3K9IdWA
>大和民族の成立は、律令期じゃけぇ、漢民族の方が早いよ。北朝の新漢民族
にしても隋唐にゃあ成立しとる。

当時「漢民族」なんて言ってないし、ましてや「全土の民が漢民族」だなんて思ってもいない。
シナの「漢民族」は「大和民族」のパクリ。


>被る貫頭衣と着る和服じゃあ形態が全く違うわいや

それは「貫頭衣」を「布の中央に穴を空けたもの」と勘違いしているから。
URLリンク(lom-sam-nuea.ocnk.net)
のように、南方式貫頭衣は「バスタオル大の2枚の布」で「身体の前部と後部と脇部を縫い合わせた」もの。
すると首が出せる。
ところが苗族のように大きな髪飾りをつけたり、兜などを被っていると頭が通せない。
そこで前部は縫わず開けたままで、
「羽織って左右の布を胸で交差させて帯で留める」という「和服(呉服)の前段階」の形式になる。
「南方だけなら袖なしで十分」だが「北上する」ほどいやでも「腕をカバーする袖」が必要になる。

また「北方系」は「基本が毛皮」なので皮を(背広のように)「身体に合わせて縫い合わせる」文化であるのに対し、
南方系は「反物(同じ幅の布)が基本」でほとんど切り抜かずにあちこち留めるだけで「着物」を形作る。



477:出土地不明
10/11/22 12:29:35 z3K9IdWA
>甕棺の金隈や佐賀東部弥生人も、高顔の北方渡来系ど。
URLリンク(www.geocities.jp)
山口の「土井ヶ浜人」の人骨研究から「山東半島付近からやってきた」可能性が高く、また人骨群は山東半島の方向を向いて埋設されていたとのこと。(「二重構造モデルの渡来人・北方アジア人説を否定した。」とある。)

>大陸先住種族なら中国南部や南部少数民族のことで、北アジア、華北、朝鮮、日本たぁ関系が無いわ。

全くその通り。
「秦と西戎の区別もつかない人」の割にはよくできました。
(若年にも分かるように言えば、「キングダム」というコミックに出てくる「山の民」が西戎なのに、「西方にあるから」と「政の秦国」を「西戎だ」とこの人は主張してるわけです)

問題は、後に北方から侵入し「東アジア先住文化」をパクリまくりながら拡大し、先住種族が「東西南北の山岳部や洪水の多い海辺」に追いやり中央に陣取った「シナ人の祖」にある。
(「周辺を異民族に囲まれてる」というより、中央を「全く異種の民族」が陣取っただけ)


>弓の優れた狩猟民を南方誘致してどうすんなら。

明らかに「高句麗伝説では、北方人より河川種族系の東明(朱蒙)が弓の腕前は上回って」いる。
「東明(朱蒙)」は「弓が上手い河川種族系」というだけで、「夷」と明示されているわけではないが、結局「高句麗王家」が「東夷」であるのは明らか。
「夷」とは「弓の(上手い)人」を表すといい、夷人は水生漁撈狩猟種族。
(ただし夷の弓は騎馬民族の獣用の「短弓」ではなく、倭弓と同じ「上部が長い長弓」で動きの速い鳥や魚を射る)


>四神は高句麗の胡漢文化の内の漢文化の影響に過ぎんよ。

「四神は北方系ではない」ということで了解。
(これは漢王家(劉家)による夷族神信仰)




478:出土地不明
10/11/22 12:39:09 z3K9IdWA
>高句麗がクレ(句麗)で呉となった可能性が強いけんのう。

強いどころか、そもそも「高句麗は東夷」であり、成立も江南の「呉」の方が半島の「高句麗」より明らかに早く、その可能性は無い。(確かに現地人は北方種族(ツングース)だが「王家は東夷文化」)

ごく自然に考えて、呉→高句麗、百済(半島)、呉→呉(日本海軍の基点)。

URLリンク(yumiki.cocolog-nifty.com)
も、倭国が求めていたのはあくまで「呉の織女」。
それが
1)高句麗で得られる→呉から高句麗に織女(呉文化)が渡っていた
2)高句麗経由で得られる→高句麗は呉と通交がある
ということが分かり、むしろ「上記のモデルを補強」するもの。
(応神年代(便宜上270-310)が確定しないと、当時「呉(222-280)があったかなかったか」ははっきり言えないが、無かったなら1))

(シナの東方工作なんかに加担するつもりはないが、解釈上はこちらが正しい)


479:出土地不明
10/11/22 16:58:14 n0GqMa7X
>>1
神武天皇のYDNAは何だと思いますか?

480:出土地不明
10/11/22 21:12:50 n0GqMa7X
藤原不比等て青森系らしいですね。何で?

481:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/22 23:58:55 v15lv2XZ
>>476-477
漢民族の「民族」用語なら大和民族も近代になるじゃないか。
漢民族をいちいち華夏人と呼べ云う必要もあるまいし。
また、貫頭衣を和服と混同しとるんか。
寛衣な華夏から見ても、南蛮や日本の原住民系の服に過ぎん。
しかも、和服は、北方の胡服から、華夏式の影響で変化した
形態で、男子服は袴が後世まで残っとるけぇ違うんよ。
松下氏は、中華マンセーじゃけぇ、中国北部に結び
付けたいけぇ、北アジア云う表現に否定的じゃが、
山東人骨も牧畜地帯の青海人骨も、アジア北部の
集団の新モンゴロイドであることに変わり無いんで。
URLリンク(www.kao-foundation.or.jp)
ここの馬場氏の弥生人表現じゃの色々と問題はあるが、
下の方の17の図に、北アジア人のアジア拡大の図に
あるように、例の山東も北方系ど。まあ今も山東人もじゃが、
山東は畑作地域で戦前は、勇猛な山東馬賊で鳴らしたけんのう。
下の図の日本列島の北アジア人拡散は古墳期じゃけぇ、
早すぎるわいや。

482:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/23 00:39:00 5TOKb/tb
>>477-478
中国人、つまり華夏の漢民族の北部の集団は、北方民族や
日本人、チベット人、朝鮮人に近く、漢民族南部の集団は、
華南少数民族や台湾人、東南アジア人に近いに決まっとるわい。
高句麗のおった満州やユウ婁のおった沿海州も東夷伝に含まれとる
ように、北東アジアの集団は概ね東夷になるんど。
この板の日本人はどっから来た。過去スレでも云うたが、
モンゴルは元寇の時にも長弓を使うとるし、パルティアも
長弓を使うとるんで。騎馬民族は元来短弓と長弓の両方使う
んじゃ。
四神も中央黄色を合わせると五で陰陽五行で、五は北方民族の
組織形態から来た説もある。トルコ・モンゴル系匈奴も
四方に部隊を配置する四神役割があって、馬の色で編成し、
東が青ぶちの馬、南は赤みがかった栗毛馬、西は白馬、北は黒馬と、
東は青龍、南は朱雀、西は白虎、北は玄武で重なっとるよ。
春、夏、秋、冬や木、火、金、水の順番に書いたよ。
黒、冬、水を表す玄武の亀と蛇の合体物は、古代インド思想の
影響説もあるし、インド、パミール、中央アジア経由の可能性が
強いんじゃないか。
江南の呉云うて、春秋の呉か。記紀の書かれた時代は、
日本の国家形成期の奈良時代ど。春秋の呉や三国の呉なんか
じゃのうて、高句麗の句麗(クレ)の可能性が一番高いに
決まっとろうに。
中共の倭人工作に乗りよるんは、あんたら朱子学江南派じゃに。(笑)

483:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/23 00:43:32 5TOKb/tb
>>479
神武天皇なんか実在の人物じゃあ無いよ。韓国人が檀君を実在の
人物と信じるんと同様愚かじゃ。
>>480
藤原不比等は、渡来系田辺史が養育したけぇ、百済系や
鮮卑系の可能性はあるけど、当時蝦夷の地の青森は無いよ。

484:出土地不明
10/11/23 01:01:43 QeFN3Nhl
>>483
聖徳太子は何系だと思われます?

485:出土地不明
10/11/23 01:04:18 2IzvMKKy
わおーわおわおわおー

486:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/23 01:16:21 5TOKb/tb
>>484
聖徳太子も実在の人物かどうか、解りませんね。
仮に実在したとすれば、貴族階級ですから、北方渡来系の
可能性が強いでしょう。何系かまでは特定し難いですけど。

487:出土地不明
10/11/23 02:04:26 yaoR9EqE
厩戸ってなんでそんな名前なんだっけ?

488:出土地不明
10/11/23 08:48:36 30GYdrwc
>>481
漢民族の「民族」用語なら大和民族も近代になるじゃないか。

そうだけど?

日本は江戸時代まで「藩」という「多国連合国家」であって、「統一された国家」ではなかった。
当時は長州人や薩摩人(隼人)のように自分の地域以外は他国人であって、統一された日本人ではなかった。

明治時代になって統一国家「大日本帝国」となり猛烈な勢いで近代化を推進した。
統一された国家の国民として「大和民族」という考え方をもつようになった。

最初鼻で笑っていたシナも日清戦争で敗北すると、日本に大量の留学生を派遣し日本に学ぶようになった。
そして「大和民族」や「大日本帝国」をパクって、「漢民族」、「中華(中国)」という概念を急ごしらえした。


489:出土地不明
10/11/23 08:59:56 30GYdrwc
>また、貫頭衣を和服と混同しとるんか。
なんで「長い襟元を左右たがえる着物」が胡服だと思えるのかわからん。
北方で「襟元開ける」わけないだろに。

それに水生種族では濡れたり水に落ちた時、ただちに着物を脱げる必要がある。
「着物」は帯を解くだけで(あるいは濡れて締まって帯が解けなくても)ただちに褌一丁になることができる。
(褌さえもけがや遭難しても重宝な長布になってる)
胡服とは根本的に発想が異なり、南方系貫頭衣とは同じ方向性の機能。

>しかも、和服は、北方の胡服から、華夏式の影響で変化した
当然有用な異文化は取りこまれるし、様々な文化の影響はある。

490:出土地不明
10/11/23 09:27:16 30GYdrwc
>山東人骨も牧畜地帯の青海人骨も、アジア北部の集団の新モンゴロイドであることに変わり無いんで。

3万年前スンダランド(水位が100mほど低下していた時代に
フィリピン付近にあった大陸部。現在のフィリピン諸島はその山頂部)にいた種族が
水位上昇とともになぜかバイカル湖付近まで北上し、寒冷化の履歴を受け、
その後再び南下して渤海北岸(遼川周辺)から黄河南側(山東半島)まで分布したとされているから
別に不思議ではない。

それは、寒冷化の形成変形を受けているし、今議論している「北方の遊牧狩猟文化民族」とは別系統。
(バイカル湖でも舟を浮かべてチョウザメなどの漁猟狩猟を行っていた)

491:出土地不明
10/11/23 09:36:41 30GYdrwc
×北方で「襟元開ける」わけないだろに。
○北方で「襟元開ける」文化が生じるわけないだろに。

「襟元開ける文化種族が、北上する」ことは十分ありうる。

アイヌも、顔や骨格からも、「毛皮」をほとんどまとわず
「麻布(あさぬの)のバンテン風装束」と「わら靴」のスタイルをみても
元(それほど古くない)南方系なのは明らか。



492:出土地不明
10/11/23 09:46:19 30GYdrwc
「南方系貫頭衣」も「着物」も「フンドシ」も「サラシ」にも共通しているのは
「反物(幅が同じの長い布)でできている」ということ。
(鉢巻きや女性の頭巾も同じ)

北方の胡服などは、背広のように「身体に合わせて裁断し縫い合わせる」もので、
根本的な発想が異なる。

493:出土地不明
10/11/23 09:59:20 30GYdrwc
>騎馬民族は元来短弓と長弓の両方使うんじゃ。
>四神も中央黄色を合わせると五で陰陽五行で、五は北方民族の組織形態から来た説もある。トルコ・モンゴル系匈奴も
四方に部隊を配置する四神役割があって、馬の色で編成し東が青ぶちの馬、南は赤みがかった栗毛馬、西は白馬、北は黒馬と、
東は青龍、南は朱雀、西は白虎、北は玄武で重なっとるよ。春、夏、秋、冬や木、火、金、水の順番に書いたよ。

もちろん「北方種族が夷族などの他文化を取りいれた」とも考えられる。

というよりシナ人半島人の血に「パクっておいて最初からオレのものだったと主張する」DNAが多分に残っているのは明らかで、
すると当然「夷族文化をパクったものなのに、最初からオレ(北方?)の文化と主張する」だろうと考えるのが自然。

494:出土地不明
10/11/23 10:47:43 30GYdrwc
>春秋の呉や三国の呉なんかじゃのうて、高句麗の句麗(クレ)の可能性が一番高いに決まっとろうに。

句麗は九黎であり、蚩尤(しゆう)が黄帝に敗れた時、苗族と黎族に分かれたという。
(ちなみに「蚩尤は阪泉の野に埋められた」といい、「阪泉」は「黄帝泉」別名「黄泉」と呼ばれた「死者の地」)


それに大陸からは見えもしない「東の海の向こうの日の昇る島国にやってきた」のは、どうみても陸上騎馬民族がより水生民族だろうに。

それに三国の呉の記事では、最後の呉王(皇帝)孫皓のとき、晋との天下分け目の戦に敗れた将軍が建業に帰還し、王に「自分に1万隻の艦隊と物資を与えてくれれば打ち破れる」と上奏し受け入れられたが、出発の前日、1万隻の艦隊は物資とともに忽然と消えた。」とある。

ちなみに呉は、孫権の時代から倭(蓬莱)を探していて、艦隊を派遣していたが見つからなかった。
しかし魏が倭(邪馬台国)と通じたことで知られるようになった。

「魏」やその後継「晋」は「男王卑弥弓呼の狗奴國」と争う中邪馬台国の「卑弥呼」やその後継「台与」と通交し人を派遣して支援していたが、台与が使者を使わしたのを最後に、晋とだけでなく大陸の通交が100年もの間ぷっつりと途絶えた。

狗奴國が台与の邪馬台国打ち破ったのかもしれないが、いずれにせよ晋に支援された邪馬台国を打ち破れば晋を敵に回すことになる。
それがなぜできた(した)理由は何だろうか?

呉の艦隊が倭のどこより強くても補給も受けられないままいつまでも戦えない。
邪馬台国が「晋の敵国呉を受け入れる」はずもないが、狗奴國にとってはまさに渡りに船。
晋は使者を送るしかできないから、呉の艦隊には敵わないし、晋(魏)は陸上国で、はるばる日本に渡って呉と艦隊決戦することは考えられない。

495:出土地不明
10/11/23 11:04:24 30GYdrwc
>神武天皇なんか実在の人物じゃあ無いよ。

神武伝説は「三輪巻向に大和朝廷を開いた祟神天皇」の出自を示す祖先神話と考えられる。

「神話の通り」とは考えられないが、「九州(日向)から近畿までやってきた天皇の祖が、誰かいた」ということだろう。

神武伝説でも「東征」ではなく九州から近畿まで戦い続けてきたどころか、舟で瀬戸内海沿いに近畿に向かい
「道中の北九州や吉備などの地域地域に何年何カ月も暮らして知己を深めた」だけ。
しかしそれは「連合王権国家の基礎を築いた」と言える。

「神武らが初めて戦った」のは生駒(当時東大阪は海の底)に上陸して奇襲を受けた反撃であって、
兄をやられて仇を取るどころか舟で紀伊半島を熊野まで迂回している。
(日向の神武には近畿に知り合いは居ないが、熊野はスサノオが移り住んだといい、また徐福伝説の残る地でもあり、ここには「何らかの同系文化」があったと考えられる)

496:出土地不明
10/11/23 14:21:26 AePzmmj4
百済の男のアンダーパンツは
どんなもの? 

1。フンドシ
2。さるまた
3。ブリーフ
4。下着なし。ズボンを直接着用。
5。下着なし。ズボンも無し。ジャケツだけ

497:出土地不明
10/11/23 16:49:35 3Rz0SBdJ
富家の伝承

天皇家で、神武系と崇神系は血族的断絶はないが、内紛によって別の系統から天皇が出た。
渡来した天ノヒボコ族は吉備に移り、スサノオ系のスサ族と同化し始め、天孫族はヒボコ族と政略結婚を進めた。
神武系の天皇家は武烈天皇で血統が絶え、大伴氏・物部氏・ヒボコ族らは中立に近い出雲神族から、古志方面の主張だった継体天皇を立てた。継体系は続く安閑→宣化で王朝が絶えた。

498:出土地不明
10/11/23 16:57:17 3Rz0SBdJ
>>447 コピペ
天皇記における第一世は難波のミカドであり、俗に言われる仁徳天皇である。
したがって、その上にある天皇はこの世には存在しない。上にあるのは、讃王をはじめとする五王である。
454年、穴穂彦がはじめて諸国を統一し、日本天皇一世として即位する。日本史はこれを安康天皇とし、神武天皇の二十代とするが事実ではない。




499:出土地不明
10/11/23 21:56:10 MFziqZs+
2chで論理合戦に負けない方法 

・相手が寝落ちするまで屁理屈で粘る
・人格攻撃を織り交ぜる

500:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/23 22:40:22 5TOKb/tb
>>488-489及び>>490-491及び>>492-493
じゃけぇ、あんたの近代概念を上代に持ち込むんは無意味じゃ。
北方でも、匈奴は左前の襟元を開くスタイルで。だいたい北ユーラシアでも
夏があるんに、毛皮ばっかしの永久凍土地域じゃあるまあに。
3万年前の民族移動なんか、あったんかどうか解らんが、今から3千5百年前
と、紀元後4世紀は世界的な民族移動期じゃったよ。
わしが四神がインド文化の中央アジア経由とゆうたんじゃが、あんたあ、
妄想夷族概念の南方から中原、北方へに還元する処、中華隷属の朱子学
総本山江南崇拝らしい処よのう。(笑)

501:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/23 23:25:55 5TOKb/tb
>>493
ほいから、中国文明は西北から東南の流れじゃし、しかも江南は
華北の漢人が 五胡北方民族に征服され、南下して六朝期に
農業開発して文明化したんじゃ。パクったんは南方系よ。
あんたの儒教朱子学思想の解釈と歴史の事実は違うんで。
>>494
高句麗の句麗を何時の時代まで、妄想概念で遡らせよるんか。
全然違う時代を云うても、徳川家の家系偽装レベルになって
しまうど。朝鮮半島から島伝いに日本列島も徐々に見えて来るし、
古代の地乗り法じゃあ航海の軸線ど。
しかも、弥生期や世界的民族移動期の古墳期、日本へ渡来した連中は
広い意味で航海民に決まっとろう。その侵略航海民要素が強いんは、
北東アジアのツングース系じゃ。
URLリンク(twitter.com)
URLリンク(www.pref.oita.jp)
ちなみに梅棹氏は、上の文の後世の渤海は書いておられん。
穢貊の「ツングース水軍」による日本列島征服説じゃ。
呉や華南の海辺民は、南欧的ポリス的発展はしたけど、
ー後世の華僑の出身地が呉越地方じゃったことからも解ろうがー、
侵略征服王朝的性格に乏しい。逆に、南ツングースは、
海賊から征服王朝性質じゃの北欧のヴァイキング型で、
梅棹氏のツングース≒極東のヴァイキングは、世界史的位置付け
よのう。
あんた、呉が邪馬台国の起源じゃ無いことを強調しよるじゃないか。
邪馬台国は、遠い江南なんか知らんし、華北の魏に隷属した小国に
過ぎんけぇのう。
ほいから呉の艦隊なんか、大型船で、日本の半構造船と違うけぇ、
ますます南方説は不利になりよるじゃないか。(笑)
じゃが、句奴国と呉の関係は、あんたの妄想に過ぎんけど。
ほいから呉の艦隊にしても、船の構造技術が、高句麗より上
じゃったかは、甚だ疑わしい。(笑)

502:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/23 23:48:59 5TOKb/tb
>>494
ほいから、下の対談で梅棹氏が「大陸に手を出したら、ろくなことに
なりません。それは歴史が証明しています。これからは、
海洋国家でいこうということです。」じゃが、あんたら江南派は、
南方誘致大陸派で、北方水軍渡来継続の海洋派と見識が違う
ようじゃ。朱子学派は江南稲作民の大陸思考が好きじゃけんのう。
>>495
祖先神話なんか後世のこじ付けで、どうにもなることじゃし、
九州の日向は渡来系大和民族が蔑視した隼人の地で、大和に征服
された連中じゃし、天孫系たぁ違うよ。日向隼人、大隅隼人、
阿多隼人ら原住民の地じゃ。天孫日向なら筑紫の日向じゃろうに。
瀬戸内海経由の侵攻も当時の記紀の時代概念に過ぎんよ。
渡来系は山陰の方から拡散しとるし。今の瀬戸内地方の住民が
北方渡来系になったんは、中世の交易時代を通じてじゃろうに。

503:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/24 00:07:53 Z6bTb44Y
>>496
高句麗古墳壁画にフンドシが見えることから、百済も1は、
あり得るよ。
>>497
渡来系西文氏の田辺史が皇別になったよう、吉備も天孫も出雲も、
渡来系からの転向で、偽家系図なんか造れるんに。
ここは、家系図信仰者のカルト集団が妄想しよるスレになりよるん
じゃないか。
>>498
倭の五王なんか、日本の記紀に一つも載っとらんじゃない。
伽耶時代の夢から南朝にハッタリぬかしよったに過ぎんよ。
しかも実在で無い伝説上の天皇は長寿云う構造になりよる。(笑)
>>499
そもそも、朱子学南方派の論理自体がスルメ妄想論じゃけぇ
屁理屈に過ぎんよ。わしゃあ人格攻撃喰らうたのう。(笑)
まあ、わしを罵倒する連中も顔の表情を見んけぇ、
好き勝手なことが云えるんじゃろうて。面と向かうて云うたら
わしゃあ、絶対許さんが、ネットじゃけぇ、ネット右翼は平気で
云えるんじゃろうし。

504:出土地不明
10/11/24 00:36:07 JXns7iV4
>>503
南朝と北朝の違いは何なのですか?何故あそこまで争ったのですか?

505:出土地不明
10/11/24 11:04:27 TmPLevqp
琉球神道によると、昔の琉球王は、天孫の長男の家系
西威王が、天孫系の最後の王と言われている。琉球の王は古来より
太陽の子(天照大神の子)の意味合いを持つ、テダコ(太陽の子)と呼ばれた
天皇家の家系は、天孫の弟(山幸彦)の家系である。

506:出土地不明
10/11/24 18:08:38 EDhdaI8S
>>437
秦の始皇帝は河内弁に近いアクセントで中国語だったのでは、もしそうなら。

507:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/25 00:24:45 75fNn4Fe
>>505
家系伝説は、後世の仮託。
>>506
西戎系の秦語は、中国語の可能性は低いよ。

508:出土地不明
10/11/25 11:13:10 kDXjf8TD
たしか百済から渡来して来た一族が
秦氏一族で始皇帝の子孫だとか名乗ってたとか
何かで見た覚えが・・・

509:出土地不明
10/11/25 14:08:46 KL5U+OMI
>わしが四神がインド文化の中央アジア経由とゆうたんじゃが
どこで?

>高句麗古墳壁画にフンドシが見えることから
まず「北方のふんどし文化」を示すべきで、これはむしろ「高句麗に江南(呉)の水生文化が渡った」と見るのが自然。(もちろん百済も)

>妄想夷族概念の南方から中原、北方へに還元する処、
「白虎族」とは「夷城の巴族」であるし、「蛇」や「亀山」も、「鳳凰」も、「龍」も明らかに「夷族のトーテム」であって、「北方文化」ではない。
「高句麗に四神がある」のは不思議ではないが「北方文化」では説明不能。

>九州の日向は渡来系大和民族が蔑視した隼人の地で
「現地の隼人」と「天皇家」が同じとは限らないが、隼人の祖は火照命(ホデリノミコト、ホデリ)であるとされ、ニニギとコノハナノサクヤビメはホデリ、ホスセリ、ホオリの三人の子があり、ホオリの子孫が神武天皇とされている。
天皇は都にわざわざ隼人を呼び寄せ大嘗祭で「隼人舞」が演じられる。

>じゃけぇ、あんたの近代概念を上代に持ち込むんは無意味じゃ。

苗族らが「夷」すなわち「中華の支配の及ばない異民族」と見られていたのは、近代からではなく古代からの話。

>妄想夷族概念の南方から中原、北方へに還元する処

「骨格」などを持ち出すと当然「数千年の話」ではなくなる。

>わしゃあ人格攻撃喰らうたのう。(笑)
「西にあるだけで秦国は西戎」と言いだすのは、さすがに・・・。
「高句麗が北にあるから北方文化」と思い込むのも、さすがに・・・。

510:出土地不明
10/11/25 17:39:32 a6AeWhru
天皇はいったい「どこから」来たのか?

五胡族の独孤伽羅(どこから)さんの子孫だったのだ(爆

511:出土地不明
10/11/25 18:13:10 ggozF+Op
>>432
日本語の方言アクセント・イントネーション
URLリンク(jbbs.livedoor.jp)

512:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/25 23:24:03 75fNn4Fe
>>508
秦氏弓月氏は、百済から来た云うことじゃが、秦氏の秦始皇帝の子孫の
仮託は信憑性が無いね。
>>509
フンドシを南方起源に限定しても意味が無いし、白虎の白色信仰は、
アルタイ・チベットの遊牧民の方じゃし、四神もインド西域経由の
可能性が強い。蛇トーテムに関しては南方じゃが、「東夷」じゃのうて、
「南蛮」よ。「蛮」の「虫」は、蛇のことで。「龍」は皮肉なことに、
あんたらが事大する縄文文明派、長江文明派の安田喜憲氏が
満州内蒙古の紅山文化起源とされて残念じゃのう。(笑)
ほいから、高句麗は北朝の文化影響が強く、百済ほど江南の六朝の
文化影響を受けとらんよ。あんた、ちいたぁ歴史のお勉強でも
したらどうか?

513:63
10/11/25 23:59:27 kDXjf8TD
>琉球神道によると、昔の琉球王は、天孫の長男の家系
>九州の日向は渡来系大和民族が蔑視した隼人の地で

上の二つ見て思い出したんだが
隼人は台湾や琉球の先住民と刺青の紋様などが
酷似してたらしいですな

514:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/26 00:01:34 48b9a0Eq
>>509
ほいから、苗も東夷じゃのうて南蛮じゃ云うたはずじゃ。
隼人舞は異民族たるところで、隼人は、宮門で犬の吼えるまねをやっとった
奴隷に過ぎんよ。
骨格が変る以前に、日本へ渡来した連中は、ほとんど絶滅種で日本民族の
主流じゃ無いわ。
実際馬飼いの秦の興った地は、西戎の地じゃ。高句麗が南方文化云う方が
狂うとるし。
日向宮崎県人の明夜航記氏が書かれとる高千穂と風土記の考察を
挙げてとこう。
URLリンク(yumiki.cocolog-nifty.com)
URLリンク(yumiki.cocolog-nifty.com)
ATLウイルスのように、宮崎県は本土では原住民隼人の残存度が
強いが、主流は支配層の渡来系。官製神話の「後づけ」虚構の面も
あるけど、隼人の地に新羅、秦系の支配層が入植したせいかも知れん。
URLリンク(samuraiworld.web.fc2.com)
大隅の秦氏移住や、薩摩の島津氏も元来惟宗氏(秦氏。後に藤原氏、次には
源氏と偽家系を造ったけど。)じゃけんのう。
ほいから下の方の風土記でも、【日向・逸文】のように、隼人原住民の
酷使と疫病による大量殺戮で、隼人も人口を減らしたろう。
まあ、今の日本人がインデオが如く民族として絶滅に近い打撃を
受けんかったんは、北方渡来系が日本民族の主流になったおかげよのう。

515:出土地不明
10/11/26 00:11:35 n8IAw0go
>琉球神道によると、昔の琉球王は、天孫の長男の家系
>九州の日向は渡来系大和民族が蔑視した隼人の地で
>「現地の隼人」と「天皇家」が同じとは限らないが、隼人の祖は火照命(ホデリノミコト、ホデリ)であるとされ、ニニギとコノハナノサクヤビメはホデリ、ホスセリ、ホオリの三人の子があり、ホオリの子孫が神武天皇とされている。
>天皇は都にわざわざ隼人を呼び寄せ大嘗祭で「隼人舞」が演じられる。

古事記と日本書紀も違うらしいし渡来系の王族と原住民の王族との間で
何かがあったのか勘繰ってしまいますなオカルト的ですまんですがw

516:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/26 00:34:13 48b9a0Eq
>>515
古事記や日本書記は、律令時代に書かれた権力者の編纂で
都合の悪いことは載せんし、日本書記の高句麗まで
属国じゃの大嘘話も、現代なら笑える話じゃが、
日本書記に限らず公文書はオカルト的たぁ云えるのう。
バレる嘘を平気で吐く。(笑)
風土記の方が、郷土の事柄で信憑性が強いけんのう。

517:出土地不明
10/11/26 01:11:40 xMH9e6Zf
>白虎の白色信仰はアルタイ・チベットの遊牧民の方じゃし

「白虎」は実在する「ホワイトタイガー」のことで白信仰とは無関係。
アルタイ・チベットの遊牧民に「白虎」信仰があるの?


>蛇トーテムに関しては南方じゃが、「東夷」じゃのうて、「南蛮」よ。
つまり「蛮夷」。

>満州内蒙古の紅山文化起源とされて残念じゃのう

「女神信仰」で、赤峰でとれる「朱丹」を多用し、「円形や方形の祭祀遺跡」の紅山文化のどこが、北方騎馬民族の文化?
北にあるから?
ブタ、トラ、鳥、龍がモチーフで、石耜・石犁・石鋤などのすき類などの「農具ばかり」でてくるんだけど。
どうみても「遼河を俎上した夷族の文化」じゃないの?

>実際馬飼いの秦の興った地は、西戎の地じゃ

「西戎の地だった」から「秦国は西戎」と?
インディアンの土地だったから白人はインディアンということ?


>日本書記に限らず公文書はオカルト的たぁ云えるのう。

神武伝説も神功皇后伝説も、このまま事実とは言えないが、それがないとつながらないのも事実。

応神天皇も仲哀天皇も海外遠征などしてないが、
半島には倭軍がやってきているし、
応神天皇代や仲哀天皇代(神功天皇代は認められていないので)に様々な渡来人が続々帰化し、
百済は七支刀を贈ってるし、この後倭の五王時代が記録されてるし。

神武なくして九州と近畿がつながらないし、吉備や筑紫、畿内王権の連合過程がつながらない。
(少なくとも九州北部は卑弥呼や台与の勢力下だったが、近畿まで拡大した話も形跡も見当たらないし)


518:出土地不明
10/11/26 01:35:02 3Aro+nuQ
わおーわおーわおー
チベッタン遊牧民には白山信仰があるよー
わおーわおーわおー

519:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/26 02:26:55 48b9a0Eq
>>517
白色信仰の中心は、アルタイ・チベット系じゃ。
URLリンク(www.searchnavi.com)
URLリンク(nierika.web.infoseek.co.jp)
農耕民族の中国人は白色を悲観的に捉える。
URLリンク(www.minpaku.ac.jp)
紅山文化の方形は明らかに北方文化じゃし、「赤峰」のウラン・ハタ
も、地方の特産物にすぎんよ。まあ、遊牧民にも赤を力強い色
として、赤狄もおったし、忌み嫌う黒色をシンボルとした契丹の
カラ(黒)・キタイの例もあるが、一番上のチベット羌系の
黒色派概念に近い力強さで、元来は白色信仰が優先しとるよ。
中国文明は西北から東南へ流入しとるし、秦の兵馬俑の立体的
表現もギリシャ風西方文化の影響じゃし、戦車も西方文化から
よのう。人の移動も。そがん原則を無視して、南方から西北へ
文化が伝わったじゃの妄想しとるけぇ、ネィティブ・アメリカン
(差別語のインディアン)と勘違いしよるんじゃないか。

520:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/26 02:34:03 48b9a0Eq
>>517
倭の五王の記述なんか日本書記に無いど。(笑)
重要な外交事項なら記述に書かにゃあ可笑しかろうに。
倭は朝鮮南端の伽耶にあった方が辻褄が合おうに。
倭を日本とする自体、既に妄想。(笑)
>>518
>>519に、「白と黒の謎を追う」を挙げたよ。

521:出土地不明
10/11/26 02:53:55 n8IAw0go
沖縄人 九州人南下説

琉球開闢(かいびゃく)の神は、アマミキョです。奄美大島(アマミオオシマ)の人々も自分たちをアマミキョの子孫だと称しています。
アマミとは海部(アマベ)の変化形です。キョは人のことです。海人(海の人)をウミンチュといいますが、キョとチュは同根です。アマミキョは、「海部(アマベ)の人」のことです。
URLリンク(aoikuma.com)

日本本土に残るアマミキヨの名前?
阿麻美許曽神社 甘美鏡 その他
URLリンク(www.dai3gen.net)

海部氏の始祖は彦火明命=火照命になるので
>琉球神道によると、昔の琉球王は、天孫の長男の家系
↑の裏づけ(こじつけ?)になるかと



522:出土地不明
10/11/26 03:37:24 n8IAw0go
琉球古字と神代文字

ここで、アッシリア学者にならって解読例の比較を行ってみよう。サンプルはいわゆる神代文字に関心ある者の間では有名なもの、
明治九年の大阪博覧会に出品されていたという石鏡の台座の字である。この石鏡は落合直澄の『日本古代文字考』
(1888)にスケッチが載せられているのだが、その実物がどうなったのか、追跡調査が行われたという話はついぞ聞かない。

さて、石鏡は表裏にそれぞれ不思議な図形があり、その台座には3列各4個、計12個の文字らしきものが刻まれているわけだが、
この文字?について、落合は「読法及ビ文意ハ詳ナラズ」「此器ハ琉球人ノ製ル所カ。字は琉球古体ノ字ナリ」とするのみで解読にはいたっていない。

さて、先に落合直澄がこの12個の文字の解読を避けたことを記したが、実は落合はこの文字とほぼ同様のものが僧・袋中の『琉球神道記』(1605年、刊行は1648年)
にみられることを指摘している。それは占いに用いるため、天人が琉球にもたらしたという十二支の文字である。落合が石鏡の作者を琉球人としたのは、この文字が琉球に伝わったことを知っていたからだった。
落合は『琉球神道記』の十二支文字について、「傍注ハ字形ノ十二支ニ似タルモノアルヲ以テ後世附会セシナルベシ」として、それが十二支であることを否定しようとしたが、そのためかえって、その正解はなにか示せなくなってしまったのである。

URLリンク(www.mars.dti.ne.jp)

523:出土地不明
10/11/26 05:31:09 jgkVldrg
ペトログリフと神代文字
スレリンク(history板)l50

524:出土地不明
10/11/26 12:35:40 Ad4peFio
西方の「白虎」族と「白文化」は直接的には関連は無いし、チベット系はそもそも姜族などの「羌」が基本種族。
「三苗」も苗族などの「夷」そのものではないが、羌から分かれ南方に送られたものとされ、
羌族の祖である「神農氏の炎帝」も羌系と有禍族(禍は「ネ」ではなく「女」編で「女禍」と同じ)との子で、三皇の「伏義・女禍の次の皇」に数えられている。

>忌み嫌う黒色をシンボルとした契丹のカラ(黒)・キタイの例もあるが

有名な帝「堯」は黒(と赤)が基調。

父系(女子供は従属物)文化である北方系がなぜ「女真」族という「女」を名に入れているのか?
夷族系はもともと「母系」であり、農業化が進むと「双系(父系母系)」になるが、基本は「女が集団の中心」で男親は誰だか分からない場合が多い。
姓も「姫」や「女兆」「姜」など、女禍以後三皇五帝から周代に至るまで、「王朝を開いたものの姓」には「女」が含まれる。(ちなみに「倭」にも女が含まれている。

(「家を守るのは女」であり「男は働き蟻・兵隊蟻のようなもの」で、日本でも江戸時代まで男は「通い婚」も珍しくなかった。)

また、西方(四川)の巴族などでは「太古から相撲文化」が始まっているが、女真(後の満州人も)や蒙古(モンゴル)などの相撲文化は比較的新しい。
太古の西方の夷族が東に至って後の東夷を形成した過程で、遼河付近に至った夷族が北上して現地の北方種族と交わったと見るのが自然。

安田喜憲氏の本を読んだなら、紅山文化が「祭殿としての機能があるのみで、生活圏の遺跡がほとんどない」ことに言及しているのに気付いたはず。
「北方から来た」なら「その生活圏がまるごと地上に残る」はずだが、太古にチャイナに海は無く「南方から来た」なら「高山の社」だけは残っても「その生活圏は今は海の底」。









525:出土地不明
10/11/26 13:34:01 WxCjTXU8
こんなに視野狭窄なやつ↑見たことないわ
匈奴-->突厥-->カザフ
URLリンク(www.56.com)
北方モンゴロイドには、古くから相撲があるぜ。しかも日本タイプの
2分10秒ごろ 見てミ?

巴族-->五渓蛮-->テイ族-->土家族
こいつらの先祖はカザフスタンと同根のものもあると思うぞ。

[東夷, 西戎, 北狄, 南蛮]
別に方角だけでは決めてないからw
文化や習俗でグルーピングしてあるので、河北省の「山戎」は
後の匈奴の一部族になるが、その性格から 西戎に分類されとる。

526:出土地不明
10/11/26 15:28:16 Ad4peFio
一応相撲の仲間と呼べるものは世界中にある。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

カザフスタンは知らないがウズベキスタンのムガール王朝時代(紀元前4世紀頃)の格闘技は、相撲というより柔道に近いスタイル。

レスリングのような「1対1の取っ組み合い」としては、世界中で自然発生してもおかしくないが、
力士や相撲となると違ってくる。

中国方面で力士といえば「五丁力士」がでてくるだろうし、
URLリンク(www.scsdaj.gov.cn)
力士像といえば紀元前2000年前の長江文明とされる四川(巴蜀)の三星堆遺跡の「相撲を取る2人の力士像」で、力士かどうかは分からないが上半身裸、裸足で組み合っている。

それに相撲と夷族(南方)系の関係の深さを指摘するのは私だけではない。
URLリンク(www.kmt.co.th)


「四股踏み」は「地の邪気を払う儀式」だし、
少なくとも日本の相撲は「裸足でマワシ一丁の姿」で組み、「塩で清め」「円と方に囲まれた土俵」で行う神事で、明らかに夷族系。
URLリンク(www.bell.jp)

日本の相撲の伝説では、野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹶速(たいまのけはや)が穴師坐兵主(あなしにいますひょうず)神社の近く(現在鳥居がある)で、初めて天覧相撲を行ったことになっているが、穴師坐兵主神社に祀られる兵主神とは「蚩尤(しゆう)」のこと。

527:出土地不明
10/11/26 21:36:25 J9wwVL23
彝←夷、高夷は高彝と同音だとLUNAMASKが言ってたな。
彼がいつもやっている語呂あわせかな?

528:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/26 23:01:51 48b9a0Eq
>>521-522
沖縄人の形成は中世じゃけぇ、九州から南下した人間が
主流じゃったろう。
じゃが、神代文字云うたらオカルトの世界になろうて。
>>524
白は北方民族が神聖とする色じゃ。ほいから四神は方位で
あることも牧畜民的じゃわい。チベット羌族が姜姓を名乗った
者がおっても、姜族はあるまあに。
また家系偽装の中華主義か。チベット羌族は、新モンゴロイドの
北方民族で、苗は華北から南下したとしても、現代古モンゴイドの
南方民族で違うよ。
父系社会じゃったら女が抑圧されるじゃの、どっかのフェミニスト
の受け売りか?遊牧民やツングースも女性や子供を従属物に
しとらんよ。逆に南の河姆渡ような幼児を殺害して子供を食う
越人の習俗は従属物以上じゃのう。(笑)
URLリンク(kohkosai.web.infoseek.co.jp)
「幼児を煮て食う」越社会云うか、水稲稲作社会は、土地に投資
しとる面が強いけぇ、逃げ場の無い人たちが我慢して堪える
悲劇があるけんのう。
逆に、遊牧民やツングースは、赤児殺しの間引きはせんよ。
農耕民が間引きをするんと違い。日本では、西日本の沿岸部
や浄土真宗地域は、赤児殺しの間引きをせんけど、
東日本は赤児殺しの間引きが盛んじゃったのう。

529:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/26 23:44:52 48b9a0Eq
>>524
通い婚は、高句麗や平安貴族に見えるし、実家出産じゃった。
じゃが、河内の渡来系は、田辺史の娘は同系の書首の婚家で
出産しとるし、神話の海神トヨタマビメも山幸彦の子を
夫の住む陸上で産んどるよ。近年まで日本は実家か婚家かで
出産したが、地域によって違うた。
実家出産地域は、九州、近畿東部から北陸、東海や関東や
南奥羽で、近畿西部、中国、四国は少数の例外を除くと
婚家出産地域であり、朝鮮半島では、婚家と実家の
両方があるが、満州族やモンゴル人は婚家出産が
ほとんどじゃ。
女真や蒙古の相撲が新しいじゃのまた電派か。(笑)
安田喜憲氏の民族学知識の乏しさをあんた受け売り
よるけぇ、移動性の強い焼畑狩猟民の苗族を稲作民族に
すり変えたりするんじゃろうのう。
まあ、安田氏の気候変動による民族移動はまともじゃけど。
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
URLリンク(akatonbo-jo.cocolog-nifty.com)
安田氏の牧畜文明と稲作文明、漁撈文明の分け方は民族学知識の
無い処じゃし、漁撈は狩猟と同様狩りじゃし、日本でも
漁撈地域は畑作とセットになっとる。漁撈民は魚群の動向や
大漁、不漁との差じゃの生活感情は、遊牧民に近い。
じゃが安田氏の古墳期に渡来系によってもたらされた疫病(安田氏は
ウシ型結核菌を主な原因とされるが)によって「半数の国民が死ぬ」
は、鋭い指摘をされとるのう。
中国でも黄巾の乱以降、人口減少傾向で、ましてや
中国人より家畜免疫の少ない縄文系はばたばたと死に絶えたろう。

530:出土地不明
10/11/27 00:00:11 lXohzCMP
過去スレで鷹狩りについての話題って出たことあった?
Y-N系統の軌跡と重なってるっぽいんだが、、、

531:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/27 00:05:21 TWlRwDMu
>>524
ほいから、日本の縄文期と同様採集狩猟にあった先紅山文化は、
華北より云うか、南方の河姆渡よりも文化度は低かったろう。
>>525
史記の西南夷列伝のように、チベット羌系でも、農耕狩猟民化
した連中は、「夷」じゃね。羌・テイのテイなんかは。
>>526
また、あんた飛躍電波か。
URLリンク(www4.airnet.ne.jp)
相撲の土俵なんか近世近くの中世にしか遡れんし、土俵なんか
元来無かったよ。土俵が出来ても四角い土俵すらあった処も
あるようじゃ。

532:出土地不明
10/11/27 12:51:26 0rz/xcJE
>白は北方民族が神聖とする色じゃ。

もう少し具体例が欲しい。特に「白虎を神聖視する北方種族」がいたのかいないのか。
(「白虎を神聖視する夷族」として有名なのは「巴族」)

>ほいから四神は方位であることも牧畜民的じゃわい

「方位」は「天体との関係」すなわち「季節」の把握に必要不可欠で、「夏の牧草地と冬の牧草地を往復する」だけの「牧畜」より、
季節にそって「穀物の成長を管理」する「農業」にとってこそ重要であり、より精密に知る必要がある。
(また海洋種族にとっても季節風や潮流の把握は遊牧民族と同じく重要)


>通い婚は、高句麗や平安貴族に見えるし、実家出産じゃった。

「北方文化」では「通い婚」が説明できないが、高句麗が倭と同様に「江南(呉)系文化を持つなら当然」

>神話の海神トヨタマビメも山幸彦の子を夫の住む陸上で産んどるよ

この海神は、どうみても「北方の遊牧騎馬民族文化」ではなく「南方の水生民族文化」。
(産屋を「烏の羽」で作り、しかも「わざと葺き終えない」文化も)
URLリンク(ja.wikipedia.org)

それにトヨタマビメを持ち出すなら、まずその親のコノハナサクヤヒメとニニギを持ち出すべき。
コノハナサクヤヒメは土地の神「大山津見神」の娘であり、ニニギはそこにやってきた来訪者。

ニニギはヒメが「妻」の地で産んだ子らが自分の子ではないのではないかと疑い、ヒメは館に火を放って生んだとされる。北方的な「男性の従属物」とは程遠い行動であり、そもそもここには「姉妹婚」の風習も見られる。


>相撲の土俵なんか近世近くの中世にしか遡れんし、土俵なんか元来無かったよ。土俵が出来ても四角い土俵すらあった処もあるようじゃ。

相撲はもとより南方系文化が随所に見られる「奉納神事」であり、北方系文化には見えない。
そして相撲は「夷族では4000年前から」見られるが、北方系では紀元前2世紀程度までしか(今のところ)見られない。
一種の格闘技としては世界中にあっても、それだけでは「相撲文化のルーツ」とは言えず、どちらかが影響を与えたとすれば「より古い方」である。

また相撲は「角力」ともいうが、もともと「牛同士を角を突き合わせて試合わせたもの」すなわち「闘牛」であり、同様なものとして「闘犬」や「闘鶏」などがあるが、牛、犬、鶏は南方系(倭人)文化にとって「神の使い」であり、これらも本来「神事の一種」と見られる。

533:出土地不明
10/11/27 13:34:00 0rz/xcJE
URLリンク(www4.airnet.ne.jp)
この時点ですでに(天皇や貴族の前なのに)「裸足で褌一丁」の「水生種族スタイル」であることが一発で分かるね。

そもそも相撲の発祥が北方なら「相撲をとる場合だけ、わざわざ(上半身)裸」ということに全く違和感を覚えないのが不思議だ。

ギリシャやローマの古代レスリングも裸だが、
レスリングのルーツではないかと見られているものに古代エジプト時代のヌビア(エチオピアのヌバ族)の古代レスリングがあり、
これが後に古代ギリシャのレスリングの基になったともいう。
URLリンク(translate.google.co.jp)

もちろん北方系ではなく南方系




534:出土地不明
10/11/27 15:16:37 0rz/xcJE
×相撲はもとより南方系文化が随所に見られる「奉納神事」であり、北方系文化には見えない。
○日本の相撲はもとより(南方系文化が随所に見られる)「奉納神事」であり、北方系文化には見えない。

×そして相撲は「夷族では4000年前から」見られるが
○そして相撲文化のルーツらしきものは「夷族では4000年前から」見られるが



535:出土地不明
10/11/27 15:39:04 0FfDnu/Z
>>530
カザフ,キルギスは、アルタイ,モンゴル,ツングースに近くて
タタール,バシコルトのようなサーミに近いものをもっていない
今のウズベクはむしろタジク,イランに近い

Falconry(鷹狩り)の古い記録は2700年前のアッシリアの
古セム語記録であり、現在のイラクであろう
それらはペルシャ地域を経由して、4世紀に東方のアジアにも伝播してきている

536:出土地不明
10/11/27 17:04:09 0rz/xcJE
>>522-523
神代文字と言えば、特に議論の的になるのが 対馬国卜部阿比留(うらべあびる)氏に伝わったという「阿比留文字」。
URLリンク(deliver.vector.co.jp)

一見してハングルとそっくりであり、国語学者山田孝雄などが「ハングルを基本として日本語の音声にあわせ改良を加えられた文字」と主張しているが、特に根拠は見られない。
URLリンク(ja.wikipedia.org)


ハングルが作られたのは1446年の李氏朝鮮第4代国王「世宗」の公布によるもの。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

問題はなぜ世宗がこの時期に「ハングル文字を作る」ことを思い付いたか。

世宗は1418年に即位し、1419年6月17日に倭寇撃退を名目に「対馬を襲撃」した。
一般船舶129隻を焼き払い20隻を奪い、民家1939戸を焼き払い、また104(実録には首級114)の島民を殺害したが、反撃を受けて多大な損害を出し対馬側の和平提案を受け入れて7月3日に巨済島へ全面撤退した。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

その後、世宗は「ハングルの創製」を思い立ち、集賢殿内の新進の学者らに命じて積極的に推し進め1446年に公布した。

ハングル公布は対馬侵略の27年後(それ以来対馬には侵攻していない)

「阿比留文字が先に対馬にあった」なら侵略軍がそれを王に伝え、日本やモンゴルのような固有文字を作りたいと考えていた王が「それを参考にした」可能性は極めて高い。

一方対馬がその後に阿比留文字を創作しなければならない動機は見あたらない。(隣接する敵性国家の言語「ハングル」そのものを知るならともかく)

日本語からみると、阿比留文字は「母音と子音の文字」を決めて、「漢字の偏(へん)と旁(つくり)」のように並べただけの「仮名(片仮名、平仮名)文字」でしかなく、その着想や過程は極めて自然で明快。
(ちなみに日本で仮名(片仮名)が誕生したのは9世紀のこと。)
対馬は「神道発祥の地」とされており「天円地方(地はさらに八方位)のパーツのみ」で文字を作るのも自然な発想。(「U」は半円か)

一方、ハングルは仮名と同様の「表音文字」だが、「偏や旁に相当する三つ以上のパーツ」で構成されており「一段と複雑な仕組み」で作られている。

「阿比留文字を真似てハングルを作った」と考えるのは「時系列からも動機の上からも簡単に説明がつく」が、「その反対」だとすると「根拠に乏しく説明が困難」。

537:出土地不明
10/11/27 18:05:30 0rz/xcJE
>女真や蒙古の相撲が新しいじゃのまた電派か。(笑)

1990年代ころまでは「高句麗というだけで北方文化」と思い込んで思考停止する人が多かったが、四神にしろ歌垣(やふんどしも?)つぶさに検証していくとむしろ北方ではない夷族文化が色濃いことが分かってきたということ。

河北省秦皇島市付近には青竜満族自治県があるが、この辺りは少なくとも漢代頃までは「東夷の地」であり、扶余伝説の「白狼川(遼河上流部)を越えた倭人の地」も近く(中華に反抗する海賊的な)舟を巧みに操る水生種族がいたという。
(日本刀(倭刀)と同じ「反りのある片刃」である柳葉刀(かなり後の青龍刀)の有力な発祥地ともいう)

女真族系のこの満族がいつ頃からこのあたりに居留していたかは分からないが、女真族にも「東夷に近い文化」が見られ、東夷族と女真族の融合体かもしれない。

>漁撈は狩猟と同様狩りじゃし、日本でも漁撈地域は畑作とセットになっとる。漁撈民は魚群の動向や大漁、不漁との差じゃの生活感情は、遊牧民に近い。

日本の場合は「マタギ」のような狩猟であって、「遊牧民」とは程遠い。(大漁、不漁との差じゃのは関係ない)



>まあ、安田氏の気候変動による民族移動はまともじゃけど。
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

そもそも騎馬民族王朝説は江上波夫が1948年のシンポジウムで突然発表した説だが、
今ではこれを支持する学者はほとんどおらず、民主党の「小沢一郎」ぐらいなもの。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

なぜ発表したかはこの関係を見れば一目瞭然。
URLリンク(www.google.co.jp)
ちなみに1948年は北朝鮮建国(つまり日本に対する工作が本格化)した年。

538:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/27 23:51:43 TWlRwDMu
>>532
ツングースは、熊と共に虎信仰も強いど。
米国のウォルター・シュミット氏の農耕民と牧畜民の性格で、
土地に投資しとる農耕民は、簡単に土地を捨て去り他所へ移る
ことが出来んゆえ、支配者に鬱々たる気持ちを持ちながら、
呪術で復讐する形と採るが、牧畜民は支配者が嫌なら他所へ移る
けえ、方位は、どちらの方角に向かうか云う概念は牧畜民に
発達すると大雑把はけど、性格的気質は当たっとるよ。
遊牧民の影響無しに、方位方角概念が発展するわけあるまあに。
通い婚は西方からおそらく中央アジア経由で婿入婚が伝えられる
以前の形態で北方と南方云う以前の問題じゃ。東アジアの文明は
西北から東南に流れるけぇ、古い形態が南方に残るだけのことよ。
高句麗に江南文化なんか乏しいのに、あんた思い込みが強い
処も安田喜憲氏の受け売りか?水辺民族を南方だけに規定する
ところも。(笑)おいおい、北方にゃあ海や河は無いんか?
実に幼稚なことよのう。しかもトヨタマビメの大山積の神も
百済から伝わったもんじゃが、あんたぁら中華江南朱子学派は、
江南誘致するだけじゃろうて。
URLリンク(www.genbu.net)
「百済の國から渡り来まして」よのう。
ほいから、あんた、北方的な「男性の従属物」を繰り返す
思い込み妄想しとるが、北方騎馬民族系は女性や実家の
地位が高いよ。
URLリンク(talkiyanhoninjai.wordpress.com)
URLリンク(www.jinruisi.net)
上の方の・婚姻 農耕民族である「漢族と比べ、家庭内での
女性の地位が高かった。妻の実家の影響力が強い(満族、
モンゴル族に見られる特色)。」
下の方に◆婚姻 も、兄嫁をめとる嫂婚制や姉妹婚も
北方騎馬民族の婚姻型でもある。
あんた、北ユーラシアに何ら知識ものう、偏見と思い込みで
中華主義の朱子学攘夷対象としても、何ら意味が無いんで。

539:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/11/28 00:28:11 lC2VCkgT
>>533-534
鳥信仰は北方騎馬民族に顕著じゃし、奉納相撲まで南方
誘致したがる処、やっぱし、>>536で朱子学派嫌韓ネット右翼で
あることを告白しよるわい。(笑い)あんたの思想背景は、
URLリンク(www.valdes.titech.ac.jp)
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
中華隷属の朱子学の慕夏主義、中朝論の大陸派じゃけぇ、
朱子学ライバルの朝鮮が憎いわけじゃ。(笑)
>>537
東夷自体も、北方民族が多いんに南方誘致も無理があろうに。
倭刀に反りは無いよ。そりゃあ蝦夷の蕨手刀からじゃ。
ほんま朱子学信徒は、知識が無い思い込みで書きよるのう。
騎馬民族支持者なら、米国のレッドヤード氏もAlong with the Horse
ridersはどうなるんかいのう。あんたのネット右翼式の小沢氏嫌いな
処も、既得権保持好きな官僚やマスコミの受け売りか。
ほいから、北朝鮮と江上氏も含め昭和通商人脈は軍部の戦前から
じゃ云うことは、この板や他スレでも云うとることじゃ。
URLリンク(geocities.yahoo.co.jp)
URLリンク(shadow-city.blogzine.jp)
こういうことを云うたら、あんたらのネット右翼の扇動先と
関わってくるわいのう。
今回は、サービスであんたの思想背景まで云うてやったよ。
まあ、わしゃあ、明日から忙しゅうなって、しばし書けん
けぇのう。

540:出土地不明
10/11/28 05:08:11 CjcRzI8s
>>537
YEEEW, 小沢一郎 WWW
日韓併合以来、どんだけ日本人戸籍が売買されて来たんだろ。

>そもそも騎馬民族王朝説は江上波夫が1948年のシンポジウムで突然
>発表した説だが、今ではこれを支持する学者はほとんどおらず、民主党の
>「小沢一郎」ぐらいなもの。

ひゃっほい!江上波夫は、北チョ工作員WWW

541:出土地不明
10/11/28 10:59:29 N34wjM2M
>ツングースは、熊と共に虎信仰も強いど。

なら「白虎」信仰もありそうなものだけど、北方文化では見つかっているのか?

>方位は、どちらの方角に向かうか云う概念は牧畜民に発達すると大雑把はけど、性格的気質は当たっとるよ。 遊牧民の影響無しに、方位方角概念が発展するわけあるまあに。

「よそに移るだけ」の大雑把なものでいいなら、八卦や六四卦の風水や四神のような方位へのこだわりや発展などほとんど無いし、あんたもすでに認めている様に四神も北方文化とは言えない。

>高句麗に江南文化なんか乏しいのに、あんた思い込みが強い

高句麗に「呉の織女」まで求めたって言ったじゃないか?どこが乏しいの?
百済より北方文化との融合が強いだけで、百済同様江南(呉)文化は入っている(とくに王家に)

>北方騎馬民族系は女性や実家の地位が高いよ。

それで、女を中心に男が通う「通い婚」の風習が北方文化のどこに見られるのか?
それに北方系は「男尊女卑」がかなり(ある意味絶対的に)強いと思うが。

そもそも騎馬民族に有名な女首領が誰かいるのか?(神話伝説でもいいから)
夷族系なら「女禍」は「伏義」と対等だし、西方でも塩水の女王や西王母などもいるし。(キングダムの「山の民」まで女首領だったね)
もちろん日本でも天照大神や卑弥呼がいるし、神功皇后(天皇)や推古天皇などの女性天皇もいる。

基本的に、騎馬民族は家財道具ごと女子供を積んで移動し、男が行先や方針を決める父系文化。
水生狩猟民族は男が長期遠猟(漁)する間、村で女が家を守る母系文化。(もちろん男も残留する)
農業化するほど父系母系の「双系化」するが母系が消えるわけではない。

>あんたぁら中華江南朱子学派は、江南誘致するだけじゃろうて。
>今回は、サービスであんたの思想背景まで云うてやったよ。

自分が朱子学派とは知らなかった。(笑)
高句麗に江南(呉)の文化が入ってると指摘しただけなのに。
高句麗が100%の北方文化だと思う方がどうかしている。
(高句麗にフンドシ文化があるのは知らなかったが、フンドシまで北方文化だというのは無理があると思うが。)



542:出土地不明
10/11/28 11:05:04 N34wjM2M
>東夷自体も、北方民族が多いんに南方誘致も無理があろうに。
>おいおい、北方にゃあ海や河は無いんか?

東北の北方種族のエリアに南西から東夷が入って混ざっただけ。

URLリンク(ja.wikipedia.org)
では東夷は夫餘国,高句麗,東沃沮,北沃沮,肅慎氏(?婁),?,韓(三韓),
倭人(倭国),百済国,加羅国,勿吉国(靺鞨),失韋国(室韋),豆莫婁国,
地豆于国,庫莫奚国(奚),契丹国,烏洛侯国,裨離国,養雲国,寇莫汗国,一群国,
新羅,琉求国(流求国),日本国,流鬼とあるが、

URLリンク(ja.wikipedia.org)
の頃の地図でいえば黄緑色以北はまだ東夷のいない「北方種族の地」だったと思う。

この黄緑色エリアが「漢の勢力範囲」であり、このエリアにいてその支配から逃れようとすると押し出されるように自然に「東夷は北方に広がる」ことになる。

URLリンク(ja.wikipedia.org)
の頃には東夷は上記のエリアにまで拡大したと考えられる。

「東夷が高句麗を超えてさらに北方に伸びている状況」なのに「北方文化を誘致してくる」方がよほど無理がある。


>ほいから、北朝鮮と江上氏も含め昭和通商人脈は軍部の戦前からじゃ云うことは、この板や他スレでも云うとることじゃ。

いや江上波夫が騎馬民族王朝説を「北朝鮮建国の年に突然発表した」のは、戦前の軍部とも通商とも関係ないから。
(もっとも結果的に「あの頃の北朝鮮の軍人を鍛えたのが日本軍」だけど)

543:出土地不明
10/11/28 11:08:54 N34wjM2M
URLリンク(www.genbu.net)
「百済の國から渡り来まして」よのう。

「オオヤマツミは山?の末裔」といい、大陸では「山?(さんき、山神=神仙)は嵩岱(すうだい、嵩山・泰山)にあり、海若(かいじゃく、海神=海童(わだつみ))は滄溟(そうめい滄海・溟海)にある」とされる。
山東半島にある泰山(タイシャン)は岱山あるいは太山または大山ともいう。(秦(たい)=岱=太=大。ちなみに山陰の「大山」は「だいせん」と読む)

要するに「大山?神」とは「泰山の神仙」の後裔が山東半島から百済経由で日本に鎮座したもの。(高句麗経由ではない)
コノハナサクヤヒメはその後裔であり天皇の祖先。

シナの皇帝は、王朝を建てる時や節目の時、泰山に登って天帝(後に天皇大帝)を詣り、天命(天帝の命)により天下を治める「天子(天帝の子)」と認められる。
日本では、「天皇の任命」によって「朝廷・幕府・政府の実権者」(言わば「天下人」)となって国家権力を持つことが現在に至るまで行われている。
ちなみに鄧小平によると、党内では現代でも国家主席を皇帝と見なしており、胡錦濤や習近平は次期国家主席と言われるようになると天皇との面会を強く求めた。

544:出土地不明
10/11/28 11:12:12 N34wjM2M
大山祗神は山祗の末裔 

545:出土地不明
10/11/28 11:17:09 N34wjM2M
>倭刀に反りは無いよ。

倭刀 URLリンク(www.gaopu.com)

546:出土地不明
10/11/28 17:01:42 f6VUsFyW
>>421
>百済人は日本でも貴族階級で、
>日本の土着民 たる土蜘蛛や隼人、蝦夷
>のような奴隷でも無いんに。

金髪碧眼のスキタイ人の末裔ならともかく
ションベン臭い穢人がキ族?笑わせるぜ。

547:出土地不明
10/11/28 19:36:19 VnqKqbae
満鉄調査部の学者

548:出土地不明
10/11/29 20:30:42 Gaq8FAxW
消えたシュメール人か?

549:出土地不明
10/11/29 21:11:44 LX2TulEG
「貴人(貴族)」とは、本来「位の高い人」のことではなく「(数が少なく)貴重な人」のこと。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
夷族の祖先神「女禍」が、世界に誰もいないのが寂しくて、黄土(おうど)をこねて人を造った。
最初のうちは丹念に丁寧に造り続けていたが、やがてくたびれてきて、泥を縄に染み込ませて振り回すと、ぞんざいな人が大量に生まれた。
その最初の丁寧に作ったのが貴人と呼ばれた。
(雲南の近くに「貴州」があるが、これは夷の貴人が多くいたからという)




550:出土地不明
10/11/30 13:46:14 rl7KNP2n
>>546
おおっとスキタイ人が金髪碧眼?
本当にそうかな?

551:出土地不明
10/12/01 15:57:53 H/XHWy4x
>>549
面白い話、どうも有り難う。
九リー族の話しも御願い。
何で9なのか。8じゃダメなんですか(笑。

552:出土地不明
10/12/02 01:08:51 iLY9Y1ho
>>532
ウソこけっ!W
四神相応 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
中国を中心に風水の主観では・・
北に、玄武(蒙古)、南に、朱雀(タイ)、西に、白虎(チベッチ)、東に、青龍(日本)だよ。
方位の天使・四大エレメンツ
ユダヤ教・キリスト教の主観だと・・
北に、ガブリエル、南に、ウリエル、西に、ラファエル、東に、ミカエルと成る。

553:出土地不明
10/12/02 01:36:35 hwOLFFSj
>>552
ビミョウに気になったんで

・・・エルの"エル"って何ですか?

554:出土地不明
10/12/02 02:08:31 iLY9Y1ho
俺も、昔調べて、今思い出せなくて、ググった。

エヴァの使徒について疑問に思うのですが? | OKWave
URLリンク(okwave.jp)
大天使メタトロン ~人間として肉体を持った経験のある、子供たちをサポートする大天使~ ヒプノセラピー:神奈川県葉山 スピリチュアルライフ
URLリンク(spiritualife2012.blog86.fc2.com)

555:出土地不明
10/12/02 02:15:40 iLY9Y1ho
>>552の入力ミスした
>西に、白虎(チベッチ)×
チベットなw

556:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/12/04 02:27:14 r9nsog5S
>>540
小沢一郎氏は、日本独立論で左翼やネット右翼の両者から
嫌われて気の毒じゃ思うよ。まあ、日本の右と左も談合お仲間で既得権で
生きとる人間に過ぎんけど。右役と左役を演じよる猿芝居でも、
あんた好きなんか?
>>541
わしゃあ、行く先の方位は遊牧民に発達した概念じゃゆうたはずじゃし、
遊牧民に女性の地位が高いことは、>>538でも挙げたんじゃに、
あんた現実を無視して、思い込み妄想の意見を述べても意味があるまあに。
馬鹿らしい。
騎馬民族説は江上氏以前に陸軍中野学校教授じゃった岡正雄氏の天孫族の
北方騎馬民族起原や戦前の西村真次氏も指摘されとることじゃに。
URLリンク(web.sfc.keio.ac.jp)
騎馬民族説は戦前からの流れで、逆に左翼の方が日本内の段階説で
単一民族論じゃろうに。冷戦後左翼のネット右翼扇動からネット右翼に
左翼史観の単一民族論が高揚しただけのことよ。
戦前の軍部は、各地に工作員を送っとるし、日本国籍すら喪失せにゃあ
いけんかった特務機関の連中は日本に帰れまあ。小野田氏のように
余程要領が良い世渡り上手じゃないとのう。また現地に留まった連中も
おるんじゃに。公文書で証拠が無いじゃの詭弁はいらんよ。
URLリンク(finalvent.cocolog-nifty.com)
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
じゃが、下の方に出とるよう、北朝鮮は、中較ソ連と違い、旧日本軍と
如何にやり口が似とるもんか。阿片麻薬売買、偽札造りにしろ。
ここに書いてあるよう、日本人と朝鮮人の民族的類似性格もあろう。
満州におった大陸浪人や日本の2.26や5.15で粛清された連中が
大陸に残ったが、中共やソ連だけが受け入れ先じゃのうて、
北朝鮮も有力な候補地じゃったし、逆の受け入れが無かった
根拠の方が乏しいけんのう。

557:出土地不明
10/12/04 11:48:23 4XEHi7F8
「上の人」との調整は済んだようですな。

>右役と左役を演じよる猿芝居でも、あんた好きなんか?
それは関係ない。ここで関係あるのは、「今どき江上波夫の説(というより宣伝工作)を持ち出したのが小沢」という「事実」のみ。

>遊牧民に女性の地位が高いことは
違う。
満州やモンゴル(特に南部)は「かつての東夷文化地域」に含まれてる。
また(リンク先が想定してるとみられる)「漢人」はむしろ北方系文化が強いし、そもそも東夷ではない。

「漢人より東夷の方が、女性の地位が高い」のは当たり前。
「北方遊牧民文化」として主張したいなら、せめて「匈奴や鮮卑の子孫」と明らかに分かる種族・地域ででも示すべき。

>北方騎馬民族起原や戦前の西村真次氏も指摘されとることじゃに

日本人は多文化混成民族であって、当然北方文化も含まれているがおよそ主流とは言えない。
(「たとえ1%でもあれば拡大解釈して、それが大勢であるかのように触れまわる輩」がいるだけ)

>ここに書いてあるよう、日本人と朝鮮人の民族的類似性格もあろう

ちなみに朝鮮人と韓人と加羅人、百済人、新羅人、高句麗人はそれぞれ出自の違う別種族。
少なくとも朝鮮人と倭人は明らかに別種。
一方百済王家でも新羅王家でも「倭人が王となった」ことがあるのは記述されている。
また、もともと「未開の半島を南岸から北に向けて開発していた種族」も別種。(おそらく倭人)

もともと「倭人の開発地だったところ」に倭人文化や倭人の遺伝子があるのは当たり前。
「高句麗」には倭人文化そのものは希薄だが呉(江南)文化を通じて共通性がある。


ちなみに戦前戦中のシナは地方の有力者が王のように振る舞っていたし金には不自由せず、
日本を含む外国勢が対価を払ってもほとんど見向きもしなかった。
彼らが要求してくるのはなによりアヘンであり結果的に「アヘンのみが通貨」となっており各国はそれを用意する必要に迫られていた。
(「イギリスの貴族がお茶を楽しむように、日がなアヘンをくゆらせて過ごしたい」という彼らの願望が記録に残っている)

また当時シナ各地の拠点を襲撃して「最もアヘンを集めまくっていた」のが「毛沢東の中国共産党軍」だった。
(通州事件も「通州人が日本人を襲った」とされているが「通州はシナで最も親日的とされていた」だけでなく、
「半島人がアヘン生産をしていた場所」でもあり、事件後アヘンは消え去っていた)


558:出土地不明
10/12/04 12:02:32 4XEHi7F8
北朝鮮の地域は関東軍の守備地域であり、
日本人が築いてきた、「当時東洋一のダムや工業地帯」も半島北部に集中していた。
北朝鮮は日本の残した遺産を強奪すれば、この世の楽園が築けるはずと考えた。

しかし結果は、北朝鮮が運営したので「スクラップ同然の有り様」となり、
一方、焼け野原になり工業地帯がほぼ壊滅した日本は
またたく間に奇跡の経済復興を成し遂げて経済大国になった。

ちなみに現在の日本人に足りないのは危機感だが、目覚めさせるのは簡単で、
白村江でも元寇でも黒船でも「共通の危機」を認識したとたん、
「団結し生まれ変わる」ようにできてる。


559:出土地不明
10/12/04 12:32:07 58CF1jXs
それはもはや過去の話
いつまでもそれが続くなら滅びる国は過去一つもなかったろう

560:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/12/04 23:44:50 r9nsog5S
>>557
>「上の人」との調整たぁ何なら?江上氏の説は、米国でも
同じ学説を唱えられる人らもおるし、江南朱子学派の
ネット右翼じゃあるまいし、宣伝工作なんかされんし、
小沢氏もネット右翼に扇動させよる「日本会議」のような
押し付けがましい国民扇動もされとらんよ。
遊牧民に女性の地位が高いんは、満州・モンゴル南部だけじゃ
のうて内陸アジア・中央アジアに普遍的なもんじゃ。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(www.rui.jp)
上のウィキですら、6中央ユーラシア遊牧民の文化的特徴に、
農耕民に比べて女性の地位が高い ことが出とる。
下の方にもあるよう戦力にもなるけんのう。
漢人は農耕文明じゃし、中国北部は人種的に北方系でも
文化的にゃあ南方の農耕文明じゃ。しかも中国じゃあ、4世紀の
北方民族の南下民族移動期で征服王朝北朝、隋唐は女性の地位が
高かったが、宋代、特に江南に押し込められた南宋時代は
女性の地位が低い。
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E7%8E%8B%E6%9C%9D)
3社会 3.2人々の生活 3.2.1家族 でも、「隋唐代では北方民族の
影響から女性の地位が強く」「宋代となり北方民族の影響が薄れ、
かつ新儒教・朱子学(江南風土化された儒教)の誕生から次第に
女性の地位が下がり」と、あんたら朱子学派が女性の地位云う
んも、自己矛盾しよるわいのう。(笑)

561:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/12/05 00:23:52 VI1TmPOw
>>557
日本人は現代北方新モンゴロイドが主流で縄文系や南方系こそ
少数派じゃに。高句麗にしても、高句麗壁画の人物像も、高顔の
北方形質じゃ。朝鮮人と縄文人は篠田氏の調査でmtDNAじゃあ、
現代日本人以上に近いし、倭人は朝鮮半島系じゃわい。
百済王家は扶余が王族じゃが、倭人が王家になった文献なんか無い
ど。あんた出典を提示してみんさい。新羅の昔氏は、倭の東北タナバ
国じゃし、倭が南朝鮮の加羅地方の東北なら新羅の朝鮮日本海沿い
からと矛盾があるまあに。しかも新羅の支配層は遊牧民的積石木槨墓
人で、金製黄金文化も非中国系の北方騎馬民族文化をダイレクトに
受けとるけぇ、被支配層の奴隷の倭人たぁ関係無あで。
阿片は、イギリスのジャーディン・マセソン商会の密輸~阿片戦争、
旧日本軍の阿片売買と伝統のもんじゃ。
あんた、「日本軍アヘン」「東條英機アヘン」で検索したら
解ろうに。あんた、アヘンを他民族に擦りつけよるネット右翼
ブログに洗脳されとるんか?あんたぁ幼稚過ぎるど。
>>558
北朝鮮のような、旧日本戦時体制と同様な全体主義国家に
楽園なんか造れるわけあるまあ。戦後日本の経済復興は、
英米資本のおかげで、日本人自身だけの成果じゃ無いけんのう。
危機感云うて、また扇動工作か。国民扇動なんかいらん世話よ。
まあ、あんたらネット右翼を扇動する側の新興宗教右翼は、
共産主義国と同様プロパガンダが好きじゃのう。
元寇でも黒船でも近代国民概念の団結なんか無いんじゃけど、
ネット右翼の宣伝による押し付けがましさは、うんざりするわいや。

562:出土地不明
10/12/05 04:12:59 ZiZkkI1q
>>560
「学説」ぷげら!
日本の考古学の成果も日本の古代史も知らず、中国江南の発掘成果も
ナ~んも知らない UCLA キャンパスCommieの Jared Diamond が、
唯一聞きかじったゴミプロパガンダ,江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」
のカケラを使って書いた"Guns,Germs and Steel" の日本関連サワリだけ
が頼り。↓ 

「江上氏の説は、米国でも同じ学説を唱えられる人らもおるし、」

563:出土地不明
10/12/05 17:13:19 ykD4ynXh
ローマはカルタゴの富を奪って帝国建設の足がかりにした。
イギリスが世界帝国になったのは新大陸でスペイン人の銀を強奪し続けたから。
アメリカが世界最大帝国になったのは、現在の中国のような世界の工場となったから。
日本がr

どんな国も強くなる時は大量に外貨が入っている。
その外貨で自国産業を育てて、やがて固陋化して衰退する。
さて、翻って出雲が強国となった理由は?
大和が強国となった理由は?

必ず、その裏には経済基盤があったはずだ。
国内ではなく海外からもたらされた富が。それはなんだろう?




564:出土地不明
10/12/05 17:13:28 eKAQHp/f
>>550
>おおっとスキタイ人が金髪碧眼?
>本当にそうかな?

なんかロシア・アルタイ地方のクルガンの埋葬者の染色体を
解析したところ、碧眼の人がもつ遺伝子OCA2とかいうのが
みつかったらしいよ。

実際、あの近くのモンゴルのKhotonとかいう部族は
金髪碧眼が多いらしい。
Y染色体のハプログループも大半がR1aだとか。

565:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/12/05 23:01:24 scIe/LMd
>>562
>>539でも、米学者のレッドヤード氏を挙げたんじゃに無視すなや。
ネット右翼が好きな岡崎久彦氏もレッドヤード氏について書いとられるわ。
URLリンク(www008.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www008.upp.so-net.ne.jp)
コロンビア大学のレッドヤード氏教授に教えを乞うた処、高句麗、百済、
日本の建国神話の共通から扶余系統で、日本皇室の起源は扶余なりと、
云うことじゃ。ほいから米国の戦前のジャーナリストのエドガー・スノー
氏も日本のヤマトは高句麗から派生した、タタール系としとられるよ。
朝鮮半島だけが騎馬民族説じゃ電波は、ネット右翼のみの妄想電波に
過ぎんことすら解っとらんたぁのう。(笑)

566:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/12/05 23:12:45 scIe/LMd
>>563
鉄製工具なんか伽耶の輸出品じゃし、列島は買う立場じゃったね。
>>564
Y染色体と金髪碧眼遺伝子との関連なんか根拠があるんか?

567:出土地不明
10/12/05 23:23:59 aIpFNNbP
>>566
OCA2はchr15(15番染色体)
22ある常染色体の15番目だそうです。
性染色体ではありません。

568:出土地不明
10/12/05 23:39:33 QNidNtFm
とっくに否定された戦前の学説引っ張り出して何がしたいんだこの馬鹿は

569:出土地不明
10/12/06 04:52:19 GIKW8s6n
アメリカ人先生様の名前なんぞ、いくら出しても馬鹿に変わりなし。
騎馬民族征服王朝説なんぞ、「学説」に偽装したキャンパスコミーの
フジヤマゲイシャに他ならない。こいつら考古学にも日本古代史にも
無知なのに、恥の上塗りに、とっくに否定された騎馬民族王朝説なんぞを
「知識」として出すのは笑止。

570:出土地不明
10/12/06 13:25:21 9E8/sWpM
神武東征も舟
ヤマトタケルも歩きと舟

馬なんてどこにも出てこないなー

571:出土地不明
10/12/06 23:14:53 7v4tcjpo
>>559
いつまでも続くはずはない。
ただ、「戦後」というのは「戦争の決算」ということ。
戦争目的を果たせたのは日本のみ。おまけに建前だったアジアの開放を本当に成し遂げてしまった。

アメリカは大陸から日本を追い出して満州利権やシナ利権を独占するはずが
自分が大陸から追い出される寸前で、かろうじて日本と半島南部に残留した。
ソ連もシナの地域から追い出された。
シナは共産主義の甘い言葉に騙され「人民解放軍と言う名の共産党の私兵」に国を奪われ、数千万人が死んだ。
朝鮮もベトナムもビルマもカンボジアもモンゴルも、アジアの戦争の世紀は日本の戦後に始まり、日本のみが日米同盟の下平和と繁栄を謳歌した。

ちなみに天皇がおられなければ、日本はとっくに共産化され
朝鮮戦争やベトナム戦争、カンボジア、ビルマ、モンゴルそしてソ連と
東アジアのオセロは真っ赤に埋め尽くされるところだった。



572:出土地不明
10/12/07 01:12:48 4EhWie6Y
満州国が対米講和してたらどういう形になっていたんだろう?
マッカーサーは溥儀をどう扱ったんだろうか?

573:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
10/12/07 01:21:58 4SvMaUJP
>>568-569
とっくに否定された云うて、騎馬民族説を否定した学者の系譜でも
挙げたらどうか?
まさか、閉鎖的日本のアカデミズムの学界の権威でもって
否定しよるんか?(笑)
>>570
トルコ・モンゴル系の騎馬民族と云われる説話神話と比較して、
馬が少ない云う結論を出したんか、あんたの洗脳先のネット右翼
ブログに問い合わせしたらどうかいのう。
>>571
日本自体がいまだに米宗主国様の属国じゃに、アジアの解放云うて
具体的にどこない?
アメリカだけじゃのうて、中共も含め、日本を大陸から
追い出しただけじゃに。おいおい朝鮮も現在も軍事独裁国家の
ミャンマー(ビルマ)も、米宗主国様が冷戦時に陣営としただけで、
日本がやったことじゃ無いど。(笑)モンゴルはソ連圏じゃに。
ちなみに、ネット右翼の扇動先は、昭和天皇に戦争責任がある
とする児玉派じゃなかったんか?

574:出土地不明
10/12/07 01:47:52 1BjkyILT
>>573
オマエが騎馬民族の神話も
日本の記紀も読んでない事は
よく分かった


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