11/09/02 05:03:40.37 iVw87LLV0
>>230
以下ウィキペディアからの切り貼り
高畑があまりにも巨額な製作費を費やしたため、宮崎が用意した資金を全て使い果たした挙句、
宮崎の自宅を抵当に入れざるを得ない事態となった。
困惑した宮崎は徳間書店の鈴木敏夫に相談し、『柳川堀割物語』の製作費を回収するには、
新作アニメーション映画を製作しその収入で賄うしかないとの結論に至る。
その後、宮崎と鈴木は新作映画『天空の城ラピュタ』の製作を目指し奔走することになる。
1985年 スタジオジブリ、徳間書店の子会社として発足
1986年「ラピュタ」公開
興行的には振るわなかった。
『火垂るの墓』の原作小説を刊行している新潮社が『火垂るの墓』の出資、
製作に参加することになり、中編2本体制が確立する。
1988年「となりのトトロ」「火垂るの墓」公開
配給収入が5.9億円と公開当時は振るわず、興行的には外れてしまう
(この失敗のおかげで資金回収のために『魔女の宅急便』が製作されることになった)。
1997年 スタジオジブリ、徳間書店に吸収され事業本部として活動
徳間書店→バブル崩壊が引き金となって、
経営が大きく傾いて住友銀行(後の三井住友銀行)の管理下に置かれる。
負債総額は、グループ全体で最大1,300億円に達したともいわれる。
2005年 スタジオジブリ、徳間書店から分離独立