11/03/04 01:03:21.98 hBvvmKf20
>>30
鬼哭街のノベライズの後書きを転載してみる。
かつて私は、PCソフト版『鬼哭街』のスタッフコメントにおいて、
この作品が活字媒体で展開する可能性を徹底的に否定した。
それが、わずか3年のうちに漸減を完全に覆す形になってしまったことを、平身低頭、皆様にお詫びしたい。
製作者が、常に己の作品の価値を決定できるとは限らない。
不当に貶められることもあれば、逆に予想もしなかった厚遇を受ける事もある。
骨董品などが良い例だ。ただの実用品のつもりで製作した食器や家具が、
ただ歳月を経たというだけで法外な価値を付加されて売り買いされている光景を目にすれば、
作った当の職人は途方にくれるしか無いだろう。
かつての鬼哭街のテキストは、ソフトウェアのパッケージにおける一素材であり
部品でしかなかったいものだった。その認識は今も変わらない。
だが他方で、テキストが単体でも商品として店頭に並べるだけの価値があると判断した人たちもいた。
その価値観を拒絶し続けるだけの確固たる意思を、いつしか私は喪っていた。
根負けである。今となっては、つくづく世の中ってのは悪い冗談で出来てるんだなァと笑うしか他に無い。
しかし、下巻の校正作業も終わりに近づき、結末部分を久々に読み直していた時、自然と耳に蘇ってきたのは―
他でも無い、PCソフト版『鬼哭街』のエンディングテーマである『涙尽鈴音響』の旋律だった。
この本は角川スニーカー文庫というブランド力の威を借りて、全国の書店に置かれる事になるのだろう。
やがては『ファントム』や『ヴェドゴニア』がそうであったように、PCソフト版の出荷本数すら凌駕してしまうかもしれない。
販路が違う。価格が違う。よりマスなメディアである書籍に、エロゲーは決して敵わない。
だが新たにこの本を手に取る方々は、活字と挿絵だけの鬼哭街に触れることになる。
彼らが結末を読み終えるときに、その耳に『涙尽鈴音響』が届くことは、ない。
それを思うと、やるせなさに目頭が熱くなった。あの曲によって『鬼哭街』という物語は完成するというのに。
その事実を忘れ去られたまま、これからの鬼哭街は続いていく。
せめて後書きのこの場を借りて、あの歌の歌詞だけでも紹介させてほしい。
虚淵 玄
以下、涙尽鈴音響の歌詞