09/11/15 06:45:45
外国人参政権について前からいってるけど、ハワイがどうやって アメに組み込まれたかも知らんのか!
URLリンク(awfuljapan.livedoor.biz)
#以下引用
参考資料
ハワイ併合問題再検討
ジョン・T・モーガンの膨張論と人種統治政策を中心として
URLリンク(m-repo.lib.meiji.ac.jp)
(前略:6~7ページ目)
ハワイ市民権の変遷はハワイの西洋化の流れを受けた1840年の憲法成立に始まった。
その後,各政権の権力構造と白人組織の勢力均衡が,ハワイでの参政権付与条件に影響を与えた。
40年憲法でハワイ王朝は立憲君主制国家となったが,近代憲法としては不十分であったため
1852年に憲法を改正した。この新憲法は有権者をハワイに在住する全男性市民とし,
大幅に市民権を拡大した。1864 年憲法では王権と内閣の強化がおこなわれ,参政権付与に
制限が設けられた。有権者は読み書きが出来ることに加え,ある程度の不動産を所有していることを
条件としたのであった。その後,ハワイ人有権者が増大したため,1874年に64年憲法を改正し,
再び土地所有を条件としない成年男子普通選挙制へと戻している25)。
カラカウア王は治世の前半期この憲法を保護したが,後半になると白人社会に依存しない
ハワイ人国家の強化を望んだため,白人秘密結社や武装集団は白人に有利な新憲法の制定を強制し,
1887年憲法を成立させた。これは64年憲法を修正したもので,新憲法に従うことを宣誓すれば
欧米生まれの外国人居住者にも選挙権が認められるようになった。その一方で,87年憲法は
選挙権資格に資産条件を再び付加し,その内容を厳しくしたので,ハワイ全人口の約三分の二が
有権者から排除された。そのほとんどは大多数のハワイ人とほとんど全ての東洋人であった。