09/09/17 10:30:25 ERl/HQhP
「選手個人個人が自分の成績を出せば、それは結果チームの為になる」
これが、リトルリーグ・高校野球とチームプレーを強いられ
チームプレーを評価されながら育ってくる日本野球人の持てる価値観の限界。
チームプレーで自分をアピールできるのなら、それは個人プレーの一形態に過ぎないというもっともな考え。
それに対して
強制があまりない環境でチームプレーを自ら選ぶ選手の言動をみてると、チームプレーの本来の意味合いがわかってくる。
実際、自分自身、ジーターの次のコメントを聞いたときには目からウロコだった。
32打席無安打中のファンから受けたブーイングをどう思うかのインタビューで
「当然だ。僕のプレーがどうでもいいなら(良くても悪くても同じように支持してくれるようなファンなら)、
チームプレーなどしようと思わないよ」
要するに、ジーターにとって「勝利」がモチベーションになるのは、
ファンやチームメートと大勢で勝利の満足を共有できるからという極単純でわかり易い理由。
考えてみれば、個人が受ける賞賛につきものの妬みややっかみもなく、純粋に喜び合えるという点では幸福感はより大きい。
自分を犠牲にするとかそんな大そうな事でもなく、自分も喜ぶためにやっているに過ぎない。
ファンやマスコミから異常にチヤホヤ持ち上げられながらチームメートに嫉妬されずチームをまとめるという奇跡を起こせたのは、
ジーターがこの態度を貫いていたから。