09/07/03 00:24:11 pe3PxFKO
>>128
交響曲のあるべき音符はあるべきところにあり、完璧に演奏されたが、コンサートはひどく空虚なものだった。交響曲の苦悶や怒りよりも、うまさを見せつけているようだった。
ニューヨークで再公演されたコンサートを聴いたアンドルー・ポーターは、念入りに釣り合いをとった精巧なオーケストラの魔術が先に立って、スケルツォの戦慄と狂気は二の次になっていると感じた。
ピーター・デイヴィスは「ニューヨーク」誌に、カラヤンのことを「音楽から魂を一掃したレコードカルトの大家」と書いた。
この、カラヤンの音楽のなかの精神性の要素は、絶えず厄介の種だった。