09/05/15 06:21:07 wjEeZd2x
178さんの言うとおり、これといった決定的な証拠はないのだが、
最後の三曲に関してはまとめて通して演奏されることが
意図されていたのではないかと、私は思っています。
その根拠とは:①40番にクラリネット入りの第二稿が存在する。
しかも改訂の実態が、第一項のオーボエパートをクラリネットに移した程度の
かなりの急ぎ仕事であり、実際のコンサートが迫っていたためであると思われる。
②三曲の配列が、「序奏付フラット系―短調―壮大なコーダ付ハ長調」というふうに
いかにも三曲まとめて一つの大きなまとまりを作り出すようになっている。
このことから、実際にまとめて演奏されることを想定していたか、
少なくとも三曲まとめて出版することが意図されていたことがうかがえる。
③ハイドンのロンドン(ザロモン)交響曲群などの例でわかるように、当時
交響曲をコンサートの中心にすえる傾向が、ようやくヨーロッパに根付いてきた。