08/10/27 02:02:14 SiHv83fW
586 :581:2008/08/27(水) 15:22:55 ID:No+CL+3f
>>583
>じゃ、曼荼羅交響曲もドイツ音楽なんだね?
その理屈から行くと、すっごく強引だけど、そうなるかもね。
(ただし、曼荼羅交響曲がソナタ形式をとっているならば、の話だけど。)
でも、どう考えてもそれはおかしいでしょ?
そもそもヘーゲル流の本質主義的な美学の図式を音楽作品や音楽史にあてはめるのは、
「当時そういう見方が流行しました」程度のものでしかないんだろう。
でも逆に言うと、その程度のものでしかない「交響曲」という冠を、
「曼荼羅~」とか「トゥーランガリラ~」とか、なぜ今でも付けるんだろうとは思う。
19世紀的な交響曲の理念を信奉している訳じゃないだろうに。
「信奉」とまでは行かなくても、「賭け」てはいるのかな。
で、マーラー(とくに第9)はその辺どうなのか、よくわからん。
588 :名無しの笛の踊り:2008/08/27(水) 20:41:45 ID:/4y2wzPD
>>585
まず今ここで話題になっているのは
ドイツロマン主義の諸潮流のうちのひとつについてであって
それをドイツ音楽全体と取り違えてもらっては困る。
次にヘーゲルの史観は人類史を
最終的に完全なるものへ到達するための苦闘の過程ととらえるのであって
すでに神そのものになっているという認識ではない。
でなければそもそも「テーゼとアンチテーゼ」という概念が
生じるはずがないではないか。
最後にマーラーはドイツロマン主義からの膨張逸脱によって
その概念の解体へと導いた人物である。