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四十年勤め上げた會社を退職し早二十年、何やら張り合いの無い日々を送る内、大學生 の孫に「退屈しのぎに遣って見たまへ」と
勸められたアンサ×アンサ。當初は「こんな電腦なぞなぞ、何たる幼稚加減」と莫迦にしてゐたものの、 遣つて見ると存外に面白ひ。
華やかな色彩の髪と目を持つうら若き乙女に「負ケナヒヨー」と何度と無く罵られるにつけ、食ふや食はずやで慌しく過ぎ去つた學生時代が自ずと思ひ返され、
「戰爭さえ無ければ、小生もこのやうな青春が送れたやも知れぬ」 と獨りごちることも屡々。
すつかり虜となつた今では、孫の部屋から極彩色の公式ムックなる書物をせしめては書齋に篭もり存分に「回収」を堪能する毎日を送つている。
「B3」なるリーグに進出した際には、彼之大戦の折憎っくき鬼畜米英製B29に対して桜花による出撃訓練を重ねた日々が
走馬燈の如く脳裏を過ぎり、大日本帝国臣民の嘗ての過酷な運命に落涙し、臺所で葱を刻む家内に「かような理不盡が許されて
いいものか!」と 熱辯を振るって呆れられる始末。年甲斐もない、とはこのことと後で赤面すること ^しきり。
下手の横好きとはいえ「繼續は力なり」の言葉通り、最近では誤ブラの回避やダイブにも慣れ、「好きこそものの上手なれ」を座右の銘として
早押し修練に勵んでおる次第。
同年代の友人達が癡呆や重い病に惱まされるなか、老いて尚矍鑠として王子大會に向かえるのも、ひとえにアンサ×アンサのおかげかと思えば、再三に渡る
「糞ダイブ野郎!」の罵り文句も、何やら「まだまだ若いな」と言われているようで愉快極まりない。
ひとつ間違えれば自らが乗り込んでいた機體と同じ名前を持つコテハンに出會える日を樂しみにしつつ、今日もデスプレヱに向かう。