22/06/17 14:30:50 j3q7MVnF0.net
今年の2月に発売された「鎌倉幕府はなぜ滅びたのか」では「増鏡」など北朝側の書物が新田を下げてるだけで実際は足利から独立としていた
「南朝の忠臣新田氏という戦前の評価が新田氏を過大視しているとしても、それを否定して新田氏を足利氏の庶流とする評価は落としすぎである。
鎌倉幕府は、新田氏と足利氏をそれぞれ独立した御家人として扱っている。鎌倉幕府が足利氏に軍勢催促を行っても、新田氏は足利氏の一族として出陣していない。
新田氏は上野国御家人として守護の指揮下に入り、足利氏は源家一門の高家として軍勢催促を行う時は大将軍に指名される。
「増鏡」や室町幕府の視点で書かれた書物は光厳天皇を正統とし、南朝方の新田氏を足利氏の庶流とする。
本書は、新田義貞の挙兵を新田氏の判断による行動として記述していく。」