24/07/31 20:26:42.11 CJGK1yFa.net
実在したかどうかについては諸説あり、島があったとされる場所は湾の最深位置であるとして存在を否定する説、
島ではなく半島だったのではないかとする説、別府市または大分市にあたる位置にあった村だったとする説など、
大分川河口沖の海底に残る地すべり跡から土砂が堆積してできた島が地震による液状化と津波、その後の浸食で消失したとする説など、
研究者によって見解が分かれている。
また、村だったとする説のひとつとして、実在した沖の浜という港町が地震で海没し、後世に瓜生島という別名が付けられたとする説もある。