長篠・設楽原合戦の真実at SENGOKU
長篠・設楽原合戦の真実 - 暇つぶし2ch889:人間七七四年
22/01/29 15:01:53.73 8PNJ82vb.net
>>855
だから、>>854にも似た事書いたように、
三河物語を読むと、武田勢主力が展開していた長篠城周辺から織田徳川勢の布陣していた設楽までの道のりには、途中の川を渡る為の橋が一つだけで、移動していくには一人ずつでしか進めない道が数キロくらいに渡って続いていたようなので、この険路と橋を利用して守れば、いくらでも撤退でも防衛でもできたと思うけど。
信長公記を読むと、信長も勝頼が武田勢主力を率いて設楽に来た事を大喜びしてるようだから、信長自身も武田勢の妨害を受けつつ、上記のような険路を移動していくのが厳しいと思ってたからこそ、設楽で陣地を作って守ってたんだと思う。
史実で言えば、設楽でおよそ3倍ほどの軍勢が守る織田徳川の陣地を攻めて決戦して、敗北して、多くの損害を出した後で、撤退しても、勝頼とその一党は撤退出来てるんだから、そもそも設楽に行かないで主力も温存してるんだったら、やりようはいくらもあるように思うけど。
上記のような険路を利用して守るなり、撤退するにしても、上記のような橋を壊して撤退するなり、険路に殿軍を置いて撤退するなりすれば、余裕で撤退や防衛が可能だと思う。
そもそも、武田勢が上記のような険路や橋を利用して、守っていれば、織田徳川勢は、上記のような信長公記においての信長の反応なども考慮すれば、長篠城まで行くのが厳しいと思うので、そのまま対峙していれば、長篠城はやがて兵糧が尽きるなりして、降伏でもするしかないように思う。
>長篠城兵を押さえないと撤退も出来ん。
これって長篠城の軍勢が出撃してきたら、って事?
仮にそうなら、まず長篠に来てた武田勢は甲陽軍鑑によると1万5千くらいいたようだね。
それに対して長篠城の軍勢は、
甲陽軍鑑ではその鉄砲が500程と想定bオていて、奥平bフ軍勢の抑えに鋳シ接的には武田bフ千人程の軍勢b魔トてるようbネので、余裕持bチて武田が千人鋳魔トた、といb、なら、その軍瑞ィ数は総数で500かそこら、ってところだと思うけど、さらにそれまでの戦いで消耗してたはずだから、実際にこの時に動ける数は数百ってところだと思う。
こんな寡兵で、それまでの戦いで消耗していたと仮定しても、1万数千は確実に動けそうな武田勢をどうやって妨害するの、って思うんだけど。
出てきた所を逆襲されて、そのまま城を攻略されそうじゃないかな。


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