21/12/20 21:41:46.30 h2AfCxCF.net
信長公記→織田徳川軍は一兵も柵から出ず…鉄砲のみで応じ…(武田軍は)無人の如くなる
三河物語→(武田軍指揮官は)みな鉄砲に当たり死ぬ
甲陽軍鑑→大将皆鉄砲にて討死
と、あるから実は長篠合戦はひたすら織田徳川軍が攻められ続けてる。そして防戦一方にも関わらず織田徳川軍は被害ゼロに近く武田軍は甚大な被害を出し続けてるというあべこべな結果。
856:人間七七四年
21/12/22 12:17:08.15 skxDOjPz.net
マリアナの七面鳥撃ち状態か。
それとも台湾沖の大勝利か。
857:人間七七四年
21/12/22 21:17:10.67 XbdCbk/h.net
織田・徳川の用意した鉄砲は最小でも1500丁らしいけど、この戦果を考えると5000はあったと見て良い。
つまり5000で12000を片っ端から射殺した訳で恐らく武田軍が被害を知った時には武田軍は6000人くらいしか残ってなかったろう。
そこから逃げるとなると織田徳川38000に殿が精々1000人くらい、もう虐殺劇よ。
858:人間七七四年
21/12/22 23:14:03.94 hw7PnM0m.net
織田徳川軍が用意した鉄砲は最低でも千丁は越えてるだろうから相当な銃声音が
長時間もなり続けている異常事態なのに勝頼は何の危機感も抱かずに突撃させたんだよなあ
859:人間七七四年
21/12/23 10:16:01.52 xPHCzx5i.net
危機感は抱いたかもしれんが、豊川を渡ってしまい、鳶ケ巣山砦が落ちた時点で
突撃を繰り返す他に選択肢はない。あるとしても、せいぜい、勝頼を早めに
信濃へ落ち延びさせて影武者でごまかすくらい。
860:人間七七四年
21/12/23 14:13:38.21 PKx2IxYv.net
勝頼はまぁ百歩譲って仕方ないとしよう(設楽原は東からの視界がかなり悪いから)
現場で指揮をしてた連中は何を見てたのか。
確かに大将格が次々討死にしてる状況ではあるけど、何故誰も勝頼に戦況報告と退却要請をしないのか。
長篠合戦記だとその話があるけど要請してるのは穴山信君だし…
861:人間七七四年
21/12/23 14:44:31.81 3FS82fKV.net
設楽が原に来てから退却なんて無理
862:人間七七四年
21/12/23 15:05:23.13 /kb98ig/.net
勝頼さんの口減らし作戦だったりして
863:人間七七四年
21/12/23 19:33:39.26 R+9bdeIw.net
退却の判断が早ければまだ三方ヶ原くらいの徳川軍の損害程度で済んだのにな。
あまりにも退却の判断が遅すぎて野戦としてはあり得ない損害を出してしまった
864:人間七七四年
21/12/23 19:41:35.93 h5WQVCbT.net
川を渡ったら危険なのは誰の目にも明らかだから馬場、山県、土屋、内藤は訣別の盃を交わしたんだよなあ
切ない
865:人間七七四年
21/12/23 19:48:11.02 PKx2IxYv.net
設楽原決戦で織田徳川軍を撃滅しないと国力差が開いてる現状勝ち目が無いからね。死を覚悟で戦争するしかない。
とはいえ実は設楽原を押さえられた時点で武田には重傷を負うか致命傷を負うかの選択しかないんだけ�
866:ヌ。
867:人間七七四年
21/12/23 20:39:46.84 h5WQVCbT.net
勝頼に当主の素質がないことは信玄が一番分かってたんだよ
868:人間七七四年
21/12/23 23:17:32.26 CgQqc58G.net
えぇ!?なのに義信殺しちゃったんですかぁ!?
869:人間七七四年
21/12/23 23:50:25.67 0EH+vXYD.net
>>833
その場面はドラマか漫画で見たけど、確実な史料の出典あるの?
都合悪いことを勝頼と跡部、長坂に押し付ける軍鑑史観じゃねーの?
870:人間七七四年
21/12/23 23:59:14.41 h5WQVCbT.net
>>837
戦国時代の合戦で史料残ってるのは珍しいくらい
871:人間七七四年
21/12/24 00:08:32.62 k79PcNRO.net
軍鑑史観などと批判するのは自由だし、史料の捉え方は色々あっていい
自分は軍鑑の細かい史料としての価値はともかくとして、筆者が勝頼とその側近に極めて強い不満を持って軍鑑を書いたことははっきり感じるし、その動機がないとあんな大作にはならないと思う
軍鑑がなくても勝頼の擁護は個人的に無理で理解不能
872:人間七七四年
21/12/24 07:30:01.15 /Qdys3lI.net
甲陽軍鑑は著者によって書いてる事が違ったりするからね
例えば穴山信君も品十四だと戦闘してるけどしない五十二では戦ってないことになってる。
873:人間七七四年
21/12/25 11:39:33.36 TMUz6n62.net
安達閣下のアイタペ作戦か(/ _ ; )
874:人間七七四年
21/12/26 15:57:24.32 HOBrJ4SO.net
ここは菅沼に荒らされてないんだな
875:人間七七四年
22/01/17 11:20:27.51 YsaYWinN.net
鳶ヶ巣山が襲われるとまでは思っていたろうが
まさか碌に防戦出来ず粉砕されるとは思ってなかったろうな…
876:人間七七四年
22/01/19 10:17:28.86 xTf3mlD7.net
長篠というと鉄砲の数が問題になるけど
銃弾や火薬の数や質も問題にするべきやろうね。
歴史探偵でやってたけど、
武田の銃弾は鉛玉ではなく銅銭を潰したものだったらしい。
堺が完全に織田の支配下に組み込まれて、補充に苦労していたのでは
ここまで鉄砲を撃ち続けることができるということ自体想定外だったのでは。
ザ・パシフィックでガダルカナルの飛行場に浸透戦術で入ろうとして機関銃
でなぎ倒された日本軍の死体が累々横たわってるシーンがあるけど、あんな
かんじ。まさかそこまで撃ち続けることができるとは思わなかったんじゃね。
877:人間七七四年
22/01/19 11:37:42.48 gD4WEj7d.net
数千丁の鉄砲を運用してしかも白兵戦に持ち込めないほど連射されるなんて思えないからなぁ
878:人間七七四年
22/01/19 12:17:15.14 U1J3ESYx.net
だから8時間もかかったんだろ
鉄条網の背後に機関銃を張り巡らされたガダルカナルと一緒くたにするとは
アホ丸出しだな
879:人間七七四年
22/01/19 22:17:40.08 4C6bSjZl.net
というか、そもそもの話として、徳川側の三河物語とか、
武田側の甲陽軍鑑とかで、普通に徳川勢が陣地から出て武田勢と戦ってる所とか、
書かれてるように思うけど。
単に織田勢は徳川勢が、山県をはじめとした武田勢主力の軍勢を相手にして、陣地の外とかで戦ってるのを、鉄砲で援護射撃してっただけの話に思うけど。
880:人間七七四年
22/01/19 22:22:02.78 vxCC4Ceb.net
ただシチュエーション的にはほとんど同じなんだよなぁ
馬防柵を倒した先に鉄砲陣が作られてて射殺され続けるっていう
881:人間七七四年
22/01/19 22:29:16.90 4C6bSjZl.net
>>848
>>847に書いたように、徳川は少なくとも、三河物語や甲陽軍鑑を読めば、
陣地の外で戦ってるように思うし、陣地の中に入ったら、普通に鉄砲衆以外の軍勢も戦ってるように思うけど。まさか柵を越えられる時にも、越えられる後にも、
他の軍勢が何もしない、って事は無いように思うけど。
882:人間七七四年
22/01/20 11:17:09.97 El6wD7bJ.net
なにも見ないでうろ覚えだから間違えたらごめんだけど
大久保兄弟が南の端で山県勢と切り結んで膏薬のようにはりついて
と激賞されてるね。
柵に隠れて出てこないので「それでも武士か」と内藤に挑発された
滝川一益が突出して返り討ちにあい、秀吉勢が援護に出て収容した
とか、しかし突出禁止の命令に違反したので信長に叱責されたとか。
織田・徳川で名のある武士は誰も戦死してない。また柵の近くで死
んだ武田の武将も少ない。真田兄くらい?
武田勢は柵を突破できそうで、できない。相手が出てこないから、
何度も攻撃できるんだけど、そのたびに射ち減らされてしまったんじゃね。
山県は早期に戦死するし、部隊を統率する下級指揮官に戦死者が出たと思う。
本陣から派遣された使い番も戦死して、指揮系統が寸断されてしまった。
最終的には鳶巣から酒井忠次の別動隊が退路を完全に立つ動きをしたから
総退却と追撃戦になり、殲滅されたと理解してるけど。
酒井忠次が勲功第一と評価されてるんじゃね。
883:人間七七四年
22/01/20 12:57:26.09 PcUShVNF.net
武田軍の連吾川より西での死者は
真田信綱・昌輝兄弟(鉄砲に当たり重傷を負いそのまま死亡)
土屋昌次(柵を打ち崩そうと突撃し柵に掴みかかったところを射殺)
山県昌景(徳川陣を攻撃中射殺)
名和氏によると大将格がここまで射殺されてる事が設楽原陣の異常な頑強さを示してるとのこと。
884:人間七七四年
22/01/20 14:28:53.92 El6wD7bJ.net
いろいろ教えていただいてありがとうございます
長篠前の勝頼は、高天神城を落とし美濃東部に攻め込んで十八の城を落としたとか
意気軒高たるものがあったと思います。
気になるのは長篠直前に岡崎城の有力家臣であった大須賀弥四郎が謀反の罪で
鋸引きで殺されていること。武田の調略があったかもしれませんし、おそらく
信康事件に発展しています。
一方、三方ヶ原の戦で失態を演じた佐久間信盛の裏切り密約、陰のように軍勢を
見せなかった信長の策略、いろいろな謀略が渦巻いていたと思います。
信玄が死んで将軍が追放され浅井・朝倉が滅ぼされた。勝頼の焦りもあります。
家康も肚のうちもわかりません。武田はオセロゲームみたいに武田に寝返らせよ
うとしてたのでは、その余地があると踏んだのでは。高天神城に織田の援軍は間
に合いませんでした。長篠に援軍が来なければ、考えがあることを信長に言えと
か使者に言ってます。
鉄砲ばかりクローズアップされていますが、注文相撲みたいに死地に大軍を誘導
した前段階の謀略が凄かったとおもいます。ウソの中にホントが混じってるから
信憑性が高くて信じてしまったんじゃないかと。
885:人間七七四年
22/01/21 18:14:13.63 wBKU/rug.net
実際、長篠って袋小路みたいな地形してるから入ったら最期出られん。
とはいえ長篠城は武田に囲まれたら降伏し、徳川に囲まれたら降伏するというかなり軟弱な歴史があったから今度もそうなると勝頼は思ったのかもしれん。
ところがそこには奥平信昌が入ってたんだなぁ。
886:人間七七四年
22/01/29 12:40:51.37 8PNJ82vb.net
>>853
普通に出られると思うけど。
三河物語によると、武田勢主力がいた長篠城�
887:�辺から織田徳川勢のいた設楽まで行くには、 途中の川を渡る為の橋が一つしかなくて、一人ずつでしか移動できない道が数キロくらいに渡って続いていたようだから、 この険路を利用して守るなり、橋を利用して守るなり、橋を壊して撤退するなり、 いくらでもやりようはあったように思うけど。
888:人間七七四年
22/01/29 12:44:55.48 nbNfhidV.net
長篠城を落とせてないから長篠城兵を押さえないと撤退も出来ん。しかも設楽原から長篠は距離僅か6キロ、街道が2つもあるっていう。犠牲無しには逃げられず犠牲があっても逃げられないかもしれない。
更に長篠から武田の拠点まで遠いし。飯田にしろ武節にしろ45キロとかあるんだぜもう無理。
889:人間七七四年
22/01/29 15:01:53.73 8PNJ82vb.net
>>855
だから、>>854にも似た事書いたように、
三河物語を読むと、武田勢主力が展開していた長篠城周辺から織田徳川勢の布陣していた設楽までの道のりには、途中の川を渡る為の橋が一つだけで、移動していくには一人ずつでしか進めない道が数キロくらいに渡って続いていたようなので、この険路と橋を利用して守れば、いくらでも撤退でも防衛でもできたと思うけど。
信長公記を読むと、信長も勝頼が武田勢主力を率いて設楽に来た事を大喜びしてるようだから、信長自身も武田勢の妨害を受けつつ、上記のような険路を移動していくのが厳しいと思ってたからこそ、設楽で陣地を作って守ってたんだと思う。
史実で言えば、設楽でおよそ3倍ほどの軍勢が守る織田徳川の陣地を攻めて決戦して、敗北して、多くの損害を出した後で、撤退しても、勝頼とその一党は撤退出来てるんだから、そもそも設楽に行かないで主力も温存してるんだったら、やりようはいくらもあるように思うけど。
上記のような険路を利用して守るなり、撤退するにしても、上記のような橋を壊して撤退するなり、険路に殿軍を置いて撤退するなりすれば、余裕で撤退や防衛が可能だと思う。
そもそも、武田勢が上記のような険路や橋を利用して、守っていれば、織田徳川勢は、上記のような信長公記においての信長の反応なども考慮すれば、長篠城まで行くのが厳しいと思うので、そのまま対峙していれば、長篠城はやがて兵糧が尽きるなりして、降伏でもするしかないように思う。
>長篠城兵を押さえないと撤退も出来ん。
これって長篠城の軍勢が出撃してきたら、って事?
仮にそうなら、まず長篠に来てた武田勢は甲陽軍鑑によると1万5千くらいいたようだね。
それに対して長篠城の軍勢は、
甲陽軍鑑ではその鉄砲が500程と想定bオていて、奥平bフ軍勢の抑えに鋳シ接的には武田bフ千人程の軍勢b魔トてるようbネので、余裕持bチて武田が千人鋳魔トた、といb、なら、その軍瑞ィ数は総数で500かそこら、ってところだと思うけど、さらにそれまでの戦いで消耗してたはずだから、実際にこの時に動ける数は数百ってところだと思う。
こんな寡兵で、それまでの戦いで消耗していたと仮定しても、1万数千は確実に動けそうな武田勢をどうやって妨害するの、って思うんだけど。
出てきた所を逆襲されて、そのまま城を攻略されそうじゃないかな。
890:人間七七四年
22/01/30 01:00:14.76 H5vvQrxC.net
酒井忠次の鳶ケ巣砦攻撃の別動隊四千が行動を起こす前の
段階での話なの?
891:人間七七四年
22/01/30 09:21:14.61 t0HFxLik.net
そりゃそうよ。
武田からすると敵軍が6キロ先に居るのに拠点まで40キロもあるんだ。まず殿が必要になる。
問題は殿が玉砕戦をしてくれて尚、逃げれるか怪しいってこと。山道を40キロとなると一日は掛かる。追い付かれたら死が見える中これはキツい。
892:人間七七四年
22/01/30 18:03:20.67 PJlbJc+Y.net
>>858
だからさあ、>>856に似た事書いてあるように、設楽から長篠まで行くのが険路で厳しいと思われたからこそ、信長も設楽で陣地作って守ってたんだと思うけど。
それなのに、君がそんな事書いたってしょうがないと思う。
武田にしてみれば、その険路を利用して守ってればいいだけの話でしょ。
そうすれば、やがて長篠城が兵糧がなくなって降伏でもするしかないだけだ�
893:ニ思う。 仮に撤退するにしても、これまた上記837で似た事書いたように、 三河物語を基にすると、武田勢主力がいた長篠城周辺から設楽に行くには、 途中の川を渡るのに橋が一つしかなかったようなので、その橋を壊してから撤退すれば、余裕で撤退可能だと思うけど。 そもそも、武節城より田峰城の方が近いでしょ。
894:人間七七四年
22/01/30 18:09:32.09 t0HFxLik.net
史実だと一万人が死んでくれたお陰で逃げ切れたけどその前に逃げるとなるとなぁ
895:人間七七四年
22/01/30 18:16:19.93 PJlbJc+Y.net
>>860
長篠で武田勢主力が敗北をして、長篠城も既に酒井勢とかに救援されて後方も封じられて、その状況でも普通に勝頼やその他が撤退に成功してるようだけど。
そもそも設楽に行かないなら、
>>856 や >>859 や >>854にも書いたような感じで、防衛するのも撤退するのも余裕で可能なように思うけど。
896:人間七七四年
22/01/30 18:26:16.16 PJlbJc+Y.net
そもそも、織田だって>>856に似た事書いたように、信長公記を基にすると、設楽に勝頼が武田勢主力を率いてやってきた時にやたらと喜んでるように思うから、
武田勢が設楽まで来てくれるか、微妙に思ってたんじゃないの。
武田勢主力が設楽まで来ないなら、織田徳川はそのまま上記837とかにあるような険路を武田勢の妨害を受けながら突破するのが厳しくて、長篠城救援が出来なかったように思うけど、どうなの。
897:人間七七四年
22/01/30 22:21:45.45 6++wdHK/.net
長篠での武田軍には逃げる手段が無い。最短で武節城まで走るとしても40キロでは逃げ切れん。
ちなみに田峯城(本丸だけの山城)は確かにあるがこれは鳳来寺街道を行くのが最短ルートになる。この道は長篠合戦当時は無いので獣道より少しマシな程度だったろうが、問題はこの道どうも川を越えずにも行けたらしい(設楽原から逃走する武田軍が使ってるから)
つまり設楽原に打ってでないとこの最短ルートは敵に奪われる。長篠城の押さえに二千人、別所街道を押さえるのに千人、設楽原突撃隊に二千人、合わせて五千人は見殺しにする必要があるか。
これは大激戦だった川中島合戦を上回る大損害になる…
898:人間七七四年
22/01/31 00:13:29.54 U6+8/Kow.net
>>863
だから、そもそも設楽から長篠城周辺までいく為の道が>>856にも書いたような感じで険路だから、信長も設楽で陣地作って守ってたと思われるのに、君がそんな事書いたってしょうがないと思う。
上記837には撤退が容易に可能な理由とかも書いてあるように思うけど、
なんで君はそうやって都合のよくないように思われる事を、必死に答えないようにして、同じような事を同じように書いてると思しき行動をしてるのか、っていう事に答えて欲しいと思うかな。
899:人間七七四年
22/02/02 07:06:01.39 buGLV0o0.net
信長は岐阜から資材を運び込んでいるからね。既に設楽原決戦の構想は持ってたことになる。
対する武田軍は織田が来る事を考えてなかった。この差がそのまま設楽原決戦の結果になった。
900:人間七七四年
22/02/05 16:33:40.15 AqQf7FIe.net
>>865
>信長は岐阜から資材を運び込んでいる
信長公記読むと、そんな記述なくない?長篠の戦いの経緯を見ても、
>>856とかにも似た事書いたように、
信長は上記837にあるような、設楽から長篠まで行く途中の険路を、
武田勢の妨害を突破しながら移動していくのが厳しいと思ったのか、
設楽に陣地を作成して動かなかったようだけど、このまま織田徳川勢が長篠城周辺まで行けないなら、
長篠城が降伏でもするしかないように思うので、織田は勝利できないんじゃ。
信長公記を基にすると、勝頼が武田勢主力を率いて設楽に来てくれた時の
信長の喜びようからして、信長は勝頼が設楽まで来てくれるとはそんなに思ってなかったんじゃないかと思う。
901:人間七七四年
22/02/05 16:36:14.44 vnZSpThA.net
逃げるにしても城は遠く、籠城するには城が無い
最悪の状況だから決戦を選ぶのはむしろ常識的ですらあった
だからこそ、信長に読まれたわけだが
902:人間七七四年
22/02/05 16:46:27.06 AqQf7FIe.net
>>867
だからさあ、>>856に書いてあるように、当時の地形的状況からすれば、
武田が撤退するのも防衛するのも簡単なように思うけど、
なんでこれに答えないで、そんな事書くのかな、と思うので、
まずは>>861とか>>856とかに書かれてる事に答える事をして欲しいと思うかな。
903:人間七七四年
22/02/05 16:54:53.85 AqQf7FIe.net
>>856
の
>甲陽軍鑑ではその鉄砲が500程と想定bオていて、奥平bフ軍勢の抑えに鋳シ接的には武田bフ千人程の軍勢b魔トてるようbネので、余裕持bチて武田が千人鋳魔トた、といb、その軍瑞ィ数は
904: 今気が付いたけど、なんだこりゃ?なんでこんなひどい文字化けしてるんだろ。 正確には、ここの文章は、 甲陽軍鑑ではその鉄砲が500程と想定されていて、奥平の軍勢の抑えに直接的には武田の千人程の軍勢をあててるようなので、余裕持って武田が千人程置いた、というのなら、その軍勢数は に修正をしておくね。ここまでひどい文字化けになったのは初めてかな。 なんでこんなひどい文字化けになってるんだろ。なんかサーバーに変な事でもあったのかな? 何はともあれ、これで>>856の下の方の文章が分かりやすくなったんじゃないかと思う。 結局の所、この長篠の時の戦略的状況としては、>>861とかにも似たような事を書いたけど、 そもそも武田勢が設楽まで行かないで、長篠城周辺の地形を利用して守っていくなら、もしくは防ぎに使うなら、 >>856とかにも似たような事を書いたように、織田徳川勢がそもそも長篠城を救援することが厳しいと思われるので、 武田勢が長篠城を攻略して戦略的勝利を得るのも、それとも、ここは撤収する、として戦わずに撤収をするのも、 極めて容易な状況だったと思われるかな。 だからこそ、勝頼がなぜ設楽に移動したのか、色々と考察の仕様があるともいえるのかも、と思うけど、 軍鑑とか読むと、勝頼は相当勇敢な性格に思うから、戦いを望んだ、という事でもいい様に思うけど、どうなのかな。 武田ファンとしては、ここで勝頼が戦わないで、戦力を温存していたら、と思うかな。
905:人間七七四年
22/02/06 06:59:51.21 omMdCO6x.net
勝頼スレや信長スレに1日中貼り付いていたのか……
スレが汚染されてる
906:人間七七四年
22/02/06 08:10:32.17 HSPWAQra.net
>>870
別に一日ってわけじゃないけどね。
君のその明らかに偏ってると思しき、信長の異常な持ち上げ、信玄や武田への叩き、に思える論旨に異を唱える人の論旨を、そういう風にレッテル貼りするのはどうかと思う。
907:人間七七四年
22/02/06 08:24:09.29 omMdCO6x.net
勝頼スレだけで30近くもレスしてる基地外は黙っとれ
908:人間七七四年
22/02/06 08:40:55.79 HSPWAQra.net
>>872
それ言ったら、このスレだけの話でも、やたらと信長を異常に持ち上げてると思しき人のレスが、非常に多い様に思うけど、君はそれについて何か言わないの?
僕は昨日休日だったんで、合間にそうしただけの話なんだけど。
909:人間七七四年
22/02/06 08:47:45.15 omMdCO6x.net
黙っとれ
菅沼谷本
910:人間七七四年
22/02/06 08:48:04.87 omMdCO6x.net
黙れ菅沼谷本
911:人間七七四年
22/02/06 09:00:28.32 HSPWAQra.net
>>874 >>875
またその変な菅沼認定してるの、君。
勝頼スレ37とかでも、君がその菅沼認定してる人々が特徴バラバラの複数で、
その矛盾に君がろくに答えられてないように思われる事とか、
菅沼認定厨さんの君がIDコロコロや複数回線で多数を装ってる可能性が高い事とか、平日とかでも一日スレに貼りついていると思しき事とか、
普通に指摘がされてたように思うのに、そんな事を君が書いてもしょうがないように思うけど、どうなの。
912:人間七七四年
22/02/06 13:32:54.98 tZ/cTbAq.net
>>871
そういうのに構うなって
913:人間七七四年
22/02/06 14:30:24.12 UdLVL6+7.net
菅沼現れる所に必ず現れる第三者モード菅沼
914:人間七七四年
22/02/06 19:31:36.20 HSPWAQra.net
>>878
また>>876にあるような感じで、織田厨信玄アンチ菅沼認定厨さんの君は、IDコロコロや複数回線で多数派を装おうとしてるように思うけど、見たところ文体も口調も書いてる事も概ね同じで、
いつものように上記857にあるような感じで、君自身でもろくにその矛盾とかに答えられてないと思しき菅沼認定を特徴の違う複数の人々にしようとしてるように思えるけど、それってただ単に君こと織田厨信玄アンチ菅沼認定厨さんの支持者が、君こと織田厨信玄アンチ菅沼認定厨さんIDコロコロや複数回線以外で、
ろくにいない、って事のように思うけど、どうなの。
915:人間七七四年
22/02/07 01:11:11.59 QyA3sMcS.net
速攻で自演見破られてるw
916:人間七七四年
22/02/07 01:46:03.86 TEqEZQvE.net
>>880
どこが?っていうか、>>876にあるような感じで、>>878っても
917:ろにIDコロコロや複数回線で他人を装ってるだけの君だと思うけど。菅沼認定厨さん。
918:人間七七四年
22/02/07 09:05:43.60 6VI5krF4.net
武田が長篠を囲んだ時点で割と未来は決まってしまったのがなぁ…
織田・徳川軍が強過ぎた。
919:人間七七四年
22/02/07 12:01:07.85 cRStNRso.net
長篠を攻めるという馬鹿げた事をしなかったらどうなっていたかな?
920:人間七七四年
22/02/07 12:06:41.68 AaLgVyxY.net
その場合は被害は遥かに少なかったろう
ただし一万五千もの軍勢を使って成果ゼロという大赤字に耐えられるかという問題もある。そもそも万単位がぶつかって漸く数千人死ぬ時代なんだし。
921:人間七七四年
22/02/07 17:24:17.97 3gEZkqyH.net
>>883
奥三河、東濃、東遠江にちょっかい出し続ける以上、どこかで織田の後詰が間に合って
長篠みたいになるだろう。
922:人間七七四年
22/02/07 17:42:23.60 bjdGJpgV.net
普通に考えればまずは遠江中央を制圧しから西進するしな。
923:人間七七四年
22/02/07 17:53:53.50 jzg5Qqjh.net
掛川だよな
924:人間七七四年
22/02/07 20:57:54.74 cblTijWl.net
74年の秋に掛川を軽く攻めてはいるんだよな
その後天竜川挟んで徳川と対陣して徳川追って浜松に迫って引き上げると
925:人間七七四年
22/02/07 21:19:49.25 AaLgVyxY.net
上杉が敵対してる以上大軍勢で長期間戦闘とか出来んからなぁ
926:人間七七四年
22/02/07 22:11:53.76 Bhc7xv7s.net
北遠江は二俣城。東遠江は諏訪原城。南遠江は高天神城。
掛川城を3方向から囲んで遠江では優位に立ってるのに
どういうわけか不利な吉田城、長篠城に行ってしまい惨敗したんだよね。
927:人間七七四年
22/02/07 22:16:44.15 OmwTiaNk.net
高天神城攻めた時は穴山に包囲は任せて勝頼はもっと西に陣を構えて信長家康を待ってたんだよな
それで信長家康が来なかったから天竜川があると敵が怖気付いて決戦できないと勘違いしたんだろうね
928:人間七七四年
22/02/08 07:16:07.55 pMsc2QJu.net
>>891
もしそれが事実なら勝頼はやはり頭おかしいとしか……
929:人間七七四年
22/02/08 09:20:41.48 ZQfFVtLt.net
>>890
逆に言えば、半包囲しても掛川城には本格的に攻めかかれなかったということでもある。
国力が劣り北にも敵国(上杉)がいるのに、東遠江、北遠江、奥三河、東濃と戦線を
広げ過ぎて、どれも中途半端。
930:人間七七四年
22/02/08 09:45:41.82 pMsc2QJu.net
まるで昔の日本軍を見ているようだ
いたずらに戦線を拡大して自滅した愚かな大日本帝国を
931:人間七七四年
22/02/08 10:53:05.77 iKZD7jrS.net
>>894
だからといって拡大しなかったら
いきなり本土決戦になってたろw
932:人間七七四年
22/02/08 11:18:53.15 pd0vx+8R.net
>>895
領土拡張自体はいいんだよ、戦国時代なんだから。東濃で信長に短期決算を挑むでもなく、
三方ヶ原直後に無理してでも家康を殺すでもなく、三河湾まで南下して徳川領の
東西分断を貫徹するでもなく、掛川に全力投入して遠江を東から削るでもない。
インド洋作戦、珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦とバラバラの戦略方面で立て続けに
攻勢に出て、全て中途半端か負けるかした日本軍と正に同じ。
933:人間七七四年
22/02/08 11:35:00.69 pMsc2QJu.net
拡張するのは確かにいい
ただ信玄も勝頼もちゃんと目的を立てて進攻してたのか物凄く疑問
日本軍みたいに行き当たりばったり感がする
そういや日本軍もトラウトマンをはじめとした和平工作を次々とぶっ壊して、自分らが不利になると急に和睦求めだしたよな。そんな都合のいい和睦なんか受けるわけないのに
934:人間七七四年
22/02/08 11:36:20.02 jybOPlPs.net
上杉や織田が居るから思い切った戦法がとれなかったんじゃないかな。武田軍はどちらかというと野戦決戦志向ではあったし城攻めは不得手ってイメージもあるけど…でもどちらかと言うと北と西に戦線を抱えていて南にだけ戦力を割り振れない、上に痛撃を喰らう訳にもいかないという基礎体力の無さが合わさった結果あの中途半端な攻めになったんじゃないかな。
935:人間七七四年
22/02/08 11:50:46.76 pMsc2QJu.net
>>898
それは言い訳でしかない
日本軍も同じ言い訳よくしてる
936:人間七七四年
22/02/08 12:09:23.82 9Hz4AIF2.net
中華相手の日本は自兵1に対して敵5でイーブンって設定で戦争して実際に勝ってたけど
武田さんは織田徳川2か3に対して武田1でイーブンとか思ってたのかね?
937:人間七七四年
22/02/08 15:16:54.95 iKZD7jrS.net
>>897
トラウトマン工作を拒否したのは
日本軍じゃなくて近衛総理やでw
938:人間七七四年
22/02/08 16:57:09.62 5EF9C1EP.net
日本軍は借金返すために戦争しなければ
いけなかった。だまって大国にへつらっていたら、国民が不満を爆発させて
クーデターが起きてしまいそうだった。
武田軍も似てるわあ
939:人間七七四年
22/02/12 18:30:51.72 JNylF/eT.net
信長は設楽原決戦の為に態々資材を岐阜から運んだらしい。
心構えが違う。
940:人間七七四年
22/02/12 19:13:41.03 EppHufHg.net
そうすればもう戦う前から勝負は決まっていたな
941:人間七七四年
22/03/23 20:56:28.89 QpWIOm/gW
関ヶ原
URLリンク(www.youtube.com)
942:人間七七四年
22/04/16 20:21:29.08 QQM0nK0e.net
武田軍としても勝ち目のある戦術は幾つか取ってたけどその全てが裏目になった。武田軍の戦術は、まず設楽原まで出撃して兵力の少ない敵本陣を叩く。ここで織田・徳川軍は長篠城救援と武田軍包囲の為鳶ヶ巣山を攻撃するだろうしこれは危険を招くがそれにより少ない敵兵力は更に減る。また、敵後方の牛久保城を攻撃して敵に揺さぶりを掛ける。
ところが兵数は巧妙に隠されてた上、鳶ヶ巣山は奇襲により全滅、牛久保城攻撃隊は長篠住民に通報され役目を果たせなかった。
943:人間七七四年
22/04/26 18:56:11.13 /iLallOh.net
これって話聞いて観念的にしか知らなかった時はそういうものかと漠然と思ってたけど、
合戦場が足元ぬかってるとても大合戦するような場所に思えない狭い場所というの分かると、
そこに柵築いて、それ壊そうと狭い場所に密集してくる相手に大量の鉄砲で柵越しに撃ち
かけるって構図じゃ、そりゃ武田の勝ち目皆無だよなというのがよくわかる
歴戦の将たちがこの合戦は無理と反対したというけどまあな
よくやったわあんなもん
状況が具体的に思い浮かぶと勝頼の無能さが想像を絶してたw
944:人間七七四年
22/04/26 21:59:40.52 M2hUlx4w.net
>>353
勝頼が無能なんじゃなくて重臣衆が無能なんだよなぁ
945:人間七七四年
22/05/02 15:03:47 T0DBZ4qn.net
織田・徳川軍が連吾川に沿って柵を立ててる。つまりこの柵を越えたらそこは敵陣であり故にそこに泥濘は存在し得ない。だから「泥で進めないところを撃たれた」というのは史料上かなり怪しい話。
946:人間七七四年
22/05/02 17:13:58 W/K+qq/M.net
進めない必要はないよな
進退が機敏に出来ないってだけで押し出す側はまともに不利受ける
柵にこもって鉄砲撃つ側はさらにやりやすくなるだけだけど
947:人間七七四年
22/05/02 19:24:30 9FleXiMG.net
甲陽軍鑑によると武田軍は序戦で「一戦御味方勝利」と確信してる。それは武田軍が織田・徳川軍を柵に押し込んだからだという。実際榊原家譜や家忠日記にも武田軍が柵を破ったとあるからこれは事実だろう。にも関わらず武田軍は鉄砲の虐殺的弾幕を浴びて負けた。つまり織田徳川軍の敷いた第一柵の後ろに本命の鉄砲隊が存在したことになる。柵から撃たれた、というのは半分しか正解じゃない。
948:人間七七四年
22/05/02 23:03:58 lUQBAEwt.net
つまり、1段目の柵の後ろに広場を設けて、
そこを殺し間(キルゾーン)にしてたと?
1段目の部隊が味方に撃たれるんじゃないか?
さすがにそんなことやってたら、織田・徳川の
足軽大将クラスにも死人が出てるだろ。
雑兵だけで柵を死守しろと言っても聞くわけがない。
949:人間七七四年
22/05/02 23:30:34 mfElJaZB.net
信長が一段目は罠としてたなら問題は無くなる。織田・徳川軍は武田軍の鉄砲射撃に応射すると柵の中に逃走、と見せかけて二段目まで後退した。武田軍は一段目の柵を破壊して白兵戦を演じようとしたところ意外にも無人でそこを鉄砲射撃を雨霰と受けた。そうなると織田・徳川兵がこんな移動をしてることをなぜ武田軍が見逃したかって問題が出来るけど当時の鉄砲は質の悪い有煙火薬を使ってるから一種の煙幕になってたんだろう。また武田軍は次の鉄砲射撃が来るまでに柵を破壊しないといけないから敵軍の動きに注意が行ってなかった。
950:人間七七四年
22/05/03 14:19:07 QmasUTr7.net
>>910
武田軍は第一柵は破ってるから普通なら泥濘の不利は無かったはず。織田徳川兵が第一柵の後ろにいるから陣地は整備されてたろうから。
951:人間七七四年
22/05/05 21:16:16.74 35il7r7P.net
だから設楽原決戦で謎なのは勝頼の采配じゃない。勝頼の選択自体は常識的過ぎるものばかり。問題は何で現地で指揮取ってる指揮官どもが軒並み織田徳川軍の戦術をモロに受けて何ら対策も取ってないのかという点にある。
952:人間七七四年
22/05/05 22:09:47 2Z6Zw+p/.net
結局、日本は戦国時代に至っても、攻撃任務の時は各前線指揮官が
事前の取り決めにしたがって正面の敵を殴るしかできなかったってことだと思う。
レベルの低い軍だとやばいと思ったら統制が崩れるけど、
武田軍は戦闘経験豊富で統制の取れた軍隊だから、
前線指揮官がやばいと思っても、自分の判断で勝手に動くと全体の戦線が
崩れると思って、事前の取り決め通り進軍して、
結果、それまでの常識では被るはずのないレベルの損害を受けてしまったと。
たとえ話廚みたいでやだけど、第1次大戦とかでもやばいとわかってるのに、
事前の訓練・作戦に従って、塹壕+機関銃に横隊突撃かまして
毎日が203高地レベルの損害出してるやん。
953:人間七七四年
22/05/05 23:28:05 aOYrB8X5.net
>>915 >>908
そんな事ないでしょ。
軍鑑でも何人もの重臣が設楽に移動して織田徳川と戦う事に反対してたように思われるし、軍鑑では勝頼がそれに従わずに設楽に移動して戦ってるように思えるから、これで重臣達のせいにするのはどうかと思う。
>>856とかにも似た事書いたけど、信長は、信長公記を読むと、勝頼が主力の軍勢を率いて設楽に来た事を非常に喜んでるように思うから、
>>869にも似た事書いたように、
そもそも設楽に移動さえしないで、長篠城周辺の地形を活用していくなら、武田側は撤退も防衛も極めて容易な状況に思える。
武田側は設楽に移動して戦わない方がいい、というのは、
上記のように信長公記や軍鑑を基にすると、武田側も織田側も共通した認識だったように思うけど、どうなの。
954:人間七七四年
22/05/06 09:55:52 KBBdpFLj.net
設楽原決戦では武田軍は織田・徳川軍の鉄砲に次々と射殺され大将格ですら銃殺されてる。これはかなり異常な事態で戦国時代にはまず他に無い。
武田軍は織田徳川の鉄砲陣に兵を逐次投入していた訳でその指揮を取っていたのは現場指揮官達である。彼等は被害が出ているのに作戦を強行したのだが不思議なことに重臣衆は誰もこれに反対していない。勝頼に撤退や作戦変更を迫ったという話が無いのだ。唯一あるのは穴山信君が「信玄以来の重臣すら死んだ」と撤退を求めたというもの。
つまり重臣衆は兵が死ぬ事を厭わなかったのだ。責任はむしろ彼等にこそある。では何故そんなことになったのか?というのが本題。
955:人間七七四年
22/05/06 12:11:30 dW4JHEh/.net
連吾川から信長家康が当日指揮した場所までは100メートルぐらい?
武田は織田に対して柵のうち二つ破って最後の柵辺りまで迫った、
徳川に対しては一部は三つ目の柵の中にまで切り込んだ、
距離だけでいえば信長家康の数十メートルまで迫ったと言える。
特に家康に対してはあと一息で本陣に攻撃できるように見えてたんじゃないだろうか?
実際にはそこからが城みたいになっているわけだが、距離的には本陣の目前に迫っているわけだし。
956:人間七七四年
22/05/06 17:34:40.51 pzr+Zg6F.net
菅沼遼太くんの臭いがしますね
957:人間七七四年
22/05/06 18:52:49 QlqKZhU7.net
設楽原決戦の異常として織田徳川軍と武田軍の被害に常識外の不均衡がある。織田徳川軍に目立った被害無しに対して武田軍に一万人もの被害が出てる。実際三河方面司令官だった山県昌景から馬場信春、内藤、真田、土屋…と錚々たる顔ぶれが死んでる。こんなのは通常の野戦ではまず有り得ない。しかも彼等は織田徳川軍の最初の柵は突破してるのに。
958:人間七七四年
22/05/06 23:30:51.82 kJD9O3Xs.net
>>921
別におかしくないと思うけど。設楽においての戦いの軍勢数は、
信長側の信長公記を基にしてさえ、織田徳川勢は武田勢の倍近く多いように思われるし、同じく信長公記や軍鑑を読めば、織田徳川勢が守りを固めて武田勢を陣地から迎撃してるように思われるので、
少なくとも倍くらいの軍勢の大軍が、陣地を作って守りを固めて寡兵の攻撃側を迎撃したなら、寡兵の攻撃側の損害数が圧倒的になるのは当たり前に思うけど。
上記のような防衛戦だったから、織田徳川勢は雑兵とかは倒されたけど、武将とかは倒されなかった、っていうだけじゃないかと思う。
959:人間七七四年
22/05/06 23:45:47.32 kJD9O3Xs.net
>>918
さすがにそれは無理な理屈だと思う。
そもそも、勝頼が設楽に移動して、決戦を命令しておいて、
その命令通りに不利な状況で戦い抜いた重臣達のせいにするとか、
無理がありすぎだと思う。
そんな事言うなら、勝頼がさっさと撤退命令出すなり、
そもそも設楽に移動しての決戦をしようとしなければよかっただろうに、と思う。
もともと、重臣達は>>917にあるような感じで、軍鑑では設楽に移動して決戦する事に
反対だったようなのに、それでも設楽に武田勢主力を移動させて決戦させたのが勝頼に思われるのに、
それで重臣達のせいにするのは、どうかと思う。
しかも、信長公記を基にすれば、途中から酒井勢とかが武田勢主力がいない長篠城周辺を制圧したので、
武田勢主力は後方に敵がいる事になって撤退は厳しくなったように思うし、
そもそも勝頼が設楽に移動して陣地守ってる織田徳川勢と決戦しようとしなければ、そんな事にはなってないと思うのに、
これで重臣達のせいにするとか、無理がありすぎに思う。
960:人間七七四年
22/05/06 23:55:06.07 kJD9O3Xs.net
>>923
の
>重臣達は
は
重臣達の多くは、
に訂正をしておこうかな。なんのかんのと、軍鑑読むと長篠で倒された重臣達の多くは、勝頼の命令を守って戦ってるように思われるので、
勝頼に権威がなかったわけでも、重臣達の多くが従ってなかったわけでもないように思うけど。
961:人間七七四年
22/05/06 23:56:52.73 kJD9O3Xs.net
>>920
また菅沼認定してるの、君。
君こと菅沼認定厨さんと思しき人は、そんな認定をするなら、>>876にあるような、菅沼認定の矛盾と思われる事について、
答えて欲しいと思うかな。
962:人間七七四年
22/05/07 11:36:22 Jy1OLdPP.net
長篠での武田軍の戦略は
上策・決戦、中策・撤退、下策・長期戦、となる。
まず長篠城を落とせてないので長篠付近には陣を張れない。長篠に留まると設楽原と長篠城で挟撃される。城攻めでは後詰が来るまでに決着を着けないといけないのはこれが理由。後詰と城兵に挟み撃ちにされる事は死を意味する。また長篠は信濃から遠過ぎて補給も出来ない。つまり最悪糧食が無くなって死亡も有り得る。更に長篠は伊奈街道・別所街道・鳳来寺街道と道があるがこの全部を守らないと武田は危ない。
故に長期戦は不可能。短期に勝負する必要がある。
963:人間七七四年
22/05/07 11:40:24 Jy1OLdPP.net
では上策の決戦と中策の撤退どっちをとるか?まず長篠城から武田の拠点までは遠い。大体40~50キロくらいある。そうなると殿は絶対必要だしその殿は玉砕戦になる。長篠城を押さえないといけないから2000~5000は犠牲になる。しかもそれで織田徳川軍が抑えきれなかったらつまり追撃戦をされたら武田最期の日になる。
決戦なら最悪5000は死ぬが代わりに織田徳川軍にも被害がでる。しかも上手くやれば敵の大将格を倒せるかもしれない。つまりリスクばかりの撤退かリターンもある決戦かの選択。
勝頼は常識的に考えて決戦を選択した。
964:人間七七四年
22/05/08 22:22:53.89 Ue3yMCiE.net
>>927
>しかも上手くやれば敵の大将格を倒せるかもしれない。
全くの想像でしかないが、自分も勝頼はこれを考えたと思う。
大将格というか信長か家康を討ち取ることを。
かもしれない、というよりイチかバチかで討ち取ってやるって気持ちで。
武田勢の凄まじい攻撃ぶりと死にぶりを考えると、なんか腑に落ちる。
965:人間七七四年
22/05/08 22:36:51.41 4XrdBJ3H.net
>>926 >>927
だから、長々と君は書いているように思うけど、そんな事はありえないと思う。
この事については、>>869 >>856に似た事書いてあるように、
もともと地形的状況から、織田徳川勢のいる設楽から、
武田勢主力のいる長篠城周辺まで行くには、三河物語が書いているように、
一人ずつでないと移動が厳しい数キロの道と、途中の川を越えていくために、
一つしかない橋を渡っていくしかなかったようで、
織田徳川もこれを突破して長篠城周辺までいくのが厳しいと思ってたからこそ、
設楽で陣地を作って守ってたんだと思うし、
信長公記でも、勝頼が設楽に武田勢主力を移動させてきた時に、
信長が大喜びしてるんだと思う。
そのまま武田勢主力が長篠城周辺の地形を使って、守っているなら、
織田徳川勢は長篠城を解囲できなくて、飢え死によりは武田に降伏を長篠城兵が選ぶだけに思う。
長篠城兵なんて、史実でも、信長公記や軍鑑とか読むと、酒井勢がやってきて、
鳶ケ巣砦とかを攻略しないと、武田勢の後方を突くどころの話じゃなかったように思われるから、
武田勢主力が設楽に行かないで、長篠城周辺の地形を使って守っているなら、
抑えの武田勢や砦に阻まれて、とても武田勢主力を攻撃するどころの話じゃないように思うけど。
966:人間七七四年
22/05/08 22:39:08.61 K/Vwppjt.net
信長が直々に来ると情報を得た時点で長篠城を落とせてないなら撤退するのが常識。
兵力が上回ってるならともかくどう考えても織田徳川軍より寡兵で更に後詰めで
挟まれるリスクを理解できない勝頼の馬鹿さは氏真以上
967:人間七七四年
22/05/08 22:39:42.02 4XrdBJ3H.net
>>928
>>929にあるような感じで、そもそも、長篠城周辺の地形をうまく使えば、
織田徳川勢は長篠城を解放する事も厳しかったように思うので、
設楽に行かなければよかっただけの話に思う。
968:人間七七四年
22/05/09 09:32:58 gU6wp4c/.net
長篠の地形は防御を難しくしてる。街道が二つあるのにそこに兵を置けない。それで長篠城の存在価値が高まってる。
長篠城を落とせてない以上武田軍に防衛戦は不可能なので決戦か撤退かしかない。仮に防衛線を張ると長篠城と織田徳川軍に挟撃されてしまう。これから逃れるのは前進か後退かしかない。
969:人間七七四年
22/05/09 11:04:17 TvxUUkbF.net
長篠城を包囲しながら周囲の砦を強化して1万5千の全軍で籠もってれば
連合軍は手も足も出なかっただろうね
970:人間七七四年
22/05/09 11:14:01 gU6wp4c/.net
まず長篠は非常に守り難い。中央を伊奈街道、川を挟んで別所街道があるからこの両方を守らないとならない。最悪なのは伊奈街道で川を前にすると長篠城に横っ腹を突かれる自殺的布陣になるから川を渡って有海原に出る必要がある。この部隊は文字通り背水の陣でもし織田徳川軍に攻撃されたら玉砕か攻撃されたら死の長走りを使って渡河するしかない。
また織田徳川軍に鳳来寺街道を進まれるとマズい。鳳来寺街道を使うと大回りだが伊奈街道に出れる。つまり長篠の東、武田軍拠点の裏になる。設楽原を監視中に別働隊に背後を襲われたら武田軍に出来る事は医王寺で全員切腹するぐらいになる。
971:人間七七四年
22/05/09 11:26:07 gU6wp4c/.net
そして地味に問題なのが糧食。武田軍は一万五千も連れてきてしまってる。1日1人1合の米を食うとしてと37俵も必要になる。尤も1日1合の米なんて食べたうちにも入らない。そんなんじゃ逃走兵が続出するだろうから4-5合は渡さないとならん。しかも武田軍は長篠にきて2週間も使ってしまった。もう備蓄は底が見えてきた頃だろう。
こうなると武田軍の打つ手は略奪か補給かしかない。だが略奪しようにも長篠町の周辺には山しかない。住民居住地の設楽原は織田徳川軍に取られてしまった(仮にあっても一万五千もの兵を養えるはずもなかったろうが)。なら補給するしかない。ところが長篠は本国から遠過ぎる。大規模拠点から補給するにしても40キロ以上ある。山道でしかも梅雨時、料金は高く量は低くなる。取り敢えず周囲の城から掻き集めるにしてもいつまで保つか誰にもわからん。
972:人間七七四年
22/05/09 11:38:45 LflYU4Wi.net
そういうことは勝頼でなくとも子供でも事前に分かること
勝頼に根本的な戦略の失敗があったという話になる
973:人間七七四年
22/05/09 11:50:20 xyOmUXnb.net
だから決戦した、って話じゃろ。長期戦は不可能。決戦か撤退かだけど撤退は敵にダメージを与える可能性が限りなく低い。てか下手すりゃ本隊も危ない。対して決戦ならお互いにダメージが出るし上手くいけば敵将を討ち取ることもあり得る。つまり勝頼が決戦を選択したのは無謀でも異常でもなく常識的な戦略判断だった。ところがそれが常識的であったが故に信長・家康に読まれていて結果完璧な対策で粉砕された。
974:人間七七四年
22/05/09 11:58:27 LflYU4Wi.net
つまり不利な状況の決戦をせざるを得なくなったということ
不利な状況に陥ったのは勝頼に戦略的な失敗があったか、不利な状況だと認識していなかったのかのどちらかだろ
通説だと後者だと言われてるが、前者だったとしても勝頼に問題がある
975:人間七七四年
22/05/09 13:24:26 xyOmUXnb.net
そもそも長篠城を攻めた事自体が既に問題だったんだけど不思議とそれを責める声は無い。これは武田軍全体の問題で勝頼云々の話じゃないんだがどうも武田には「織田は弱い。織田は武田を恐れてる」って先入観若しくは妄想があってこれで長篠城を攻めるという軽挙をやった。正直勝頼にどうこうできる問題では無いさ。
976:人間七七四年
22/05/09 13:33:50 18ZLVEWR.net
そもそも長篠城攻めたのが間違いキリッ
不思議と責める声がないキリッ
ないのは間違ってると思ってるお前が間違ってるからじゃないの?という普通に出てくる疑問もこういう知能低いやつには浮かばない
バカというのはこういうもんw
977:人間七七四年
22/05/09 1
978:4:16:43 ID:xyOmUXnb.net
979:人間七七四年
22/05/09 14:58:25 xyOmUXnb.net
ところが武田軍の目論見は全て外れた。まず長篠城は奥平信昌の手によって徹底改修が行われて防御能力が高められていた。更に徳川はここに鉄砲五百挺を配備していて長篠城は針鼠の如き防衛火器を有していた。頼みの綱三好康長は唐突に織田信長に降伏、信長はこれを快く受け入れると長篠救援軍を率いてきてしまった。
そして地味に大きいのは長篠住民。長篠の民は既に武田を見捨てていて(苛政の武田を嫌ったとも)武田に合力するというのは時間稼ぎの大嘘だった。彼らは織田徳川軍が来ると馳せ参じて陣地構築工事に参加した。そしてその情報を一切武田に伝えなかった。結果武田軍は設楽原の情報が全く無いままに決戦の時を迎えてしまった。
980:人間七七四年
22/05/09 18:13:02.51 +Susulqj.net
ちなみに信長が武田軍が出てくるのを喜んで~ってのは牛一のレトリックで信長が「勝頼が出てくるとは思わなかった」訳じゃ無い。まず信長は設楽原陣地に使う資材を岐阜からもってきてる。また、その陣地は単なる柵を巡らせただけじゃなく空堀や銃眼まで置いた本格的な防御陣だった。如何に織田が富んでるとはいえここまでの事をしてる訳で明らかに信長は「武田軍がやってくるところを射殺しよう」と思ってる。
981:人間七七四年
22/05/09 18:25:09.60 LflYU4Wi.net
史料には勝頼は退却したり防衛戦ができたのに決戦してしまったのが敗因と書いてあるからなあ
三文小説を書くのは自由だけど(読むに値しないけど
982:人間七七四年
22/05/09 21:54:43.37 +Susulqj.net
武田方史料の甲陽軍鑑は作者の思想がモロ入っているから信用がおけない。てか甲陽軍鑑内ですら矛盾起こしてるからね。品十四では戦ってると明言されてる穴山信君が品五十二では戦闘せず逃げたことになってたりとか。悪いのは勝頼と側近衆で重臣衆はそれを防ごうとしていたっていう思想を下にしてるから重臣衆に都合の悪い事実は無視されてる弊害だろう。
信長公記に至っては単なる作者の感想で別に軍事的視点から研究してる訳じゃ無い。どう言い繕ったところで長篠から武田の万単位を収容できる拠点まで40キロメートルって事実だけで籠城戦も撤退も不可能と論破出来てしまうし。
983:人間七七四年
22/05/09 23:19:56.08 cT7VQNDz.net
軍鑑否定したところでゼロベースで妄想開始になるだけという
984:人間七七四年
22/05/10 10:53:56 stmsxbek.net
信長が決戦前日に細川藤孝に「敵が険峻な場所に布陣しているから進撃が思うようにならなかったところ
思いがけず(敵の方から前進してきたので)補足できた」って
欣喜雀躍して書き送ってるじゃん
信長の書状も嘘、信長公記も嘘ですか
強固な正面陣地に突撃したことじゃなくて
長篠から進撃したことが間違い
985:人間七七四年
22/05/10 11:
986:49:33 ID:u0N7wjtl.net
987:人間七七四年
22/05/10 12:56:06 YX5kkPTJ.net
>>948
その訳はおかしい
(医王寺山方面の武田軍へ)18日に鉄砲隊を派遣したが、通路が狭く進撃がままならなかった
(その後、その狭い通路を通って武田軍が設楽が原に進撃してきたので)却って包囲殲滅できるようになった
このくらいの意味では?
18日は間違いなく武田は設楽が原にいないからな
988:人間七七四年
22/05/10 15:10:19 u0N7wjtl.net
それだと「擒になり」云々の翻訳が難しくなる(織田の進軍が難しいのに武田軍が擒になる道理は無いし織田軍が擒になっているなら非常に危険な事態となる)
信長は藤孝にポジティブな連絡しかしていない。例えば十五日でも「長篠は堅固に守られて」いると書いている。長篠城は危険との報告があったにも関わらず(鈴木金七の話もあるけど)つまり二十日黒印状もひたすら信長に都合が良いように翻訳すれば良い。つまり敵が難所に居て難渋しているところに鉄砲を射かけたので敵は虜になった、と。
989:人間七七四年
22/05/10 15:17:07 u0N7wjtl.net
設楽原合戦は偶然防御していた織田徳川軍に武田軍が突っ込んだって戦じゃない。信長は最初から連吾川西の陣地で武田軍を殲滅する計画を立ててた。それは岐阜から資材を運んで馬防柵を作った事だけじゃ無く大量の鉄砲、空堀、銃眼といった防衛設備を用意してる事からもわかる。信長は十八日に到着すると極楽寺を本陣としているけどこの極楽寺、連吾川西までを一望出来る。設楽原保存会も「長篠の事を事前に知っていた」事を示唆してるけどここが徳川領って考えれば知らない方がおかしい。
990:人間七七四年
22/05/10 15:23:00 YX5kkPTJ.net
>>950
>それだと「擒になり」云々の翻訳が難しくなる
簡単だよ
20日は早朝に武田軍が設楽が原に進出している
同時に信長の酒井隊の派遣が決まっている
武田軍は退路が難しい
それらを踏まえて虜になったと書状に書いてるわけだ
信長公記の記述ともぴったりで問題がない
991:人間七七四年
22/05/10 17:11:18 4uZjGshl.net
>>952
ということは十八日の攻撃隊は武田軍を前進させようという信長の戦略だったと。まぁそんなところだろうね。
992:人間七七四年
22/05/10 17:57:07.05 YX5kkPTJ.net
>>953
え?
武田を誘き寄せるにしても2日もたっているから違うだろう
織田軍の進撃がままならなかった(18日)→攻撃断念、陣を固める(19日)→手立てを失ったと勝頼が勘違いして進撃(20日)だし
993:人間七七四年
22/05/10 18:26:04.61 OcUGcReo.net
十八日の攻撃隊は不可解な存在。信長公記にも載ってないからかなりの小規模(伝承によれば数百人)。だから長篠城救援が目的ではない。また信長は長篠の地形を熟知してる。これは極楽寺に陣取った事からも明らかで徳川家康がいる事からも察せられる。つまり信長は最初から設楽原に野戦築城を施して戦うつもりだった。これは信長が岐阜から資材を運んできた事からも分かる。織田徳川軍の馬防柵は約3キロそれを三重にしてるからかなりの木材が必要になる。かなりの資金を出してるわけで最初から「武田を設楽原で潰す」と戦略作ってた。
994:人間七七四年
22/05/10 18:33:50.31 OcUGcReo.net
設楽原陣地は十八日に作って十九日に完成した。自前の工兵隊だけでなく長篠住民まで雇った強行軍で間に合わせた。じゃあ十八日の攻撃隊はなんだったのか。これは「武田軍は既に詰んでいて決戦しか選択肢が無い」事を踏まえれば理由が出てくる。つまるところ野戦築城完成までの時間稼ぎ。
信長からすると武田は打って出てくるしか無いんだが完成まで武田が出てこない保証はゼロ。というか織田軍の
995:動きを万が一掴まれていたら即座に出てくる危険性がある。それを防ぐ為少数で攻撃させて武田軍の動きを牽制させた。幸か不幸か武田軍は織田の接近を知らず軍議を十九日に開いてた訳だけど。
996:人間七七四年
22/05/10 18:36:12.21 YX5kkPTJ.net
それはどうだろうね
進撃が困難である以上、防御を固めておくのは普通のこと
固めていたら勝頼がわざわざ出てきた
それをみて信長は絶好の機会だと考えた
何しろ設楽が原から長篠城方面までの間は道が狭く、設楽が原にいったん進撃してしまうと退却が困難
それはまさしく虜である
信長公記や信長書状、甲陽軍鑑を総合的に読んでこうとしか読めない
997:人間七七四年
22/05/10 18:44:38.14 PWqxQwjS.net
>>945
>信長公記に至っては単なる作者の感想で別に軍事的視点から研究してる訳じゃ無い。
ここの部分が大きな間違い
太田牛一が参陣してその感想を信長公記に記したものではない
数多くの諸将から聞き回って几帳面に客観的に残そうと尽力して記録したものであり、長篠あたりからの正確性には戦国時代でも屈指の定評がある
秀吉も家康達のコンセンサスも得て後世に残っている
君なんぞの妄想とは格段の差があることは言うまでもない
998:人間七七四年
22/05/10 19:07:15.02 OcUGcReo.net
>>958
単なる伝聞情報って話だと一気に信用度下がるからなぁ
999:人間七七四年
22/05/10 19:13:25.55 OcUGcReo.net
>>957
件の十五日黒印状には「設楽原に出てきたから」擒だとは書いてないってのがね。信長の作った陣地は三重の馬防柵、空堀、銃眼と単なる防御の域を超えてる。信長には武田が出てくるっていう確信があった事はもう間違い無い。
1000:人間七七四年
22/05/10 19:29:30.61 3PZ+It5D.net
>>960
15日は戦場にもついてないんだから当たり前だ
戦場にも着いてないのに勝頼が出てくるって確信があるとはどんだけ予知者なんだよ
1001:人間七七四年
22/05/10 19:31:59.57 3PZ+It5D.net
>>959
伝聞ってリアルタイムで戦場全て把握できるわけないんだから全ての記録は伝聞です
アンタの気持ち悪い妄想とは比べもんにならん
1002:人間七七四年
22/05/10 21:54:20.00 4uZjGshl.net
二十日黒印状にも「設楽原に出てきたから」とは書いてなくね?
1003:人間七七四年
22/05/10 21:58:15.77 4uZjGshl.net
>>962
だとすると信長公記も甲陽軍鑑並の信用度になるし、実際に戦地にいた奴の自叙伝的な三河物語が最高史料になっちまうぜ…更に言うと太田牛一が長篠にいなかったとなると彼は長篠の地形をほとんど知らない事になる。「鳶ヶ巣山にいたら」ってのが本当にただの感想になってしまう。彼は長篠城がどういう立地にあるのかも良く知らんかった訳で内容としては「メッケルが関ヶ原は西軍が勝つと言った」並の小咄なのか。
1004:人間七七四年
22/05/10 23:30:20.04 9r8CFbP2.net
はいはい、史料を全部否定さえすれば自分の好きな歴史を創作できますよね
1005:人間七七四年
22/05/11 00:16:40.77 8YNjJ0Sg.net
>>963
20日は勝頼が設楽が原に進出している
書状の包囲殲滅できるというのは酒井隊の派遣、武田軍の設楽が原進出が契機
信長公記も武田軍が目の前に来たから千載一遇の機会となっている
的確に書状で細川に状況報告している
1006:人間七七四年
22/05/11 00:24:57.06 QilsWtS/.net
>>964
軍鑑と信長公記では正確性にハッキリ差があるよ。
長篠合戦以後の信長公記の記述はほとんど間違いがないと言われている。
その事実を君は知っていてそんな妄言書いてるのか?
なんで間違いが少ないのかというと、太田牛一の几帳面かつ精力的な取材の賜物よ
そういう貴重な史料に対して君の態度と扱い方は酷すぎ
軍鑑だけならともかく、信長公記まで否定したら何の史料も残らない。
そんな輩が
1007:歴史を語るべきではない。 歴史というより何か粗悪なファンタジー小説でも書いてるのか?
1008:人間七七四年
22/05/11 00:59:13.51 BGAtbI4F.net
15日の書状では
13日岐阜出て14日岡崎、明日出陣
20日の書状は
17日牛久保18日鉄砲隊派遣と細かく日付書いている。
このことから考えて、生け捕りが20日のことなら20日であると書く可能性が高い、
なので生け捕りは18日の出来事だと思う。
折り返しで文章切れてそこで日付が変わってると考えた場合では
難渋と虜は同じ日の出来事になると思う。
1009:人間七七四年
22/05/11 01:04:36.52 8YNjJ0Sg.net
あり得ない
書状で信長は武田軍は要害の地にいると書いているし、進撃もままならないと書いている
信長公記でも勝頼が川を渡ったことが天の与えるところと表現しておりターニングポイントだった
1010:人間七七四年
22/05/11 09:17:50 rSaMNTH3.net
二十日黒印状は「そう読める」というだけで武田軍が要害の地に居るとまでは書いてない。信長は一貫してポジティブな報告をしているのだからこれもポジティブに解釈すれば自然な訳になる。つまり敵は進退もままならない場所にいたので鉄砲を撃ち掛ければ擒になった後は根切りにするだけよ、と。
1011:人間七七四年
22/05/11 09:28:20 8GFFfWZo.net
実は武田軍が信長の戦略に気がつく最後のチャンスが十八日の攻撃にあった。信長は長篠の地形を熟知してる。何しろ長篠を支配する徳川家康が居るから。家康が信長を呼んだ訳で地形という最重要情報を渡さない筈がない。つまり信長が攻撃する時は100%成功する。絶対に「地形に難渋」なんかしない。現実別所街道を使った奇襲攻撃は成功してる。長篠城を救援するならば大軍(何しろ織田徳川10万なのだ)が攻めてくるハズ。なら何故信長は少数の鉄砲隊なんか送り込んで来たのか?というところを突き詰めれば答えは2つ。何時でも追撃出来るぞという脅しか混乱を目的とした陽動か。信長公記にも甲陽軍鑑にも記されてない攻撃だけど武田軍は無視出来ない影響を受けた。
1012:人間七七四年
22/05/11 09:31:02 LyZtESGE.net
>>970
いや、だから信長が武田軍は要害の地にいると書いてるだろ?認めろよ
1013:人間七七四年
22/05/11 09:35:06 Beq4XxpH.net
>>971
>絶対に「地形に難渋」なんかしない。現実別所街道を使った奇襲攻撃は成功してる。
地形を知ってるから攻撃を断念
地形を知ってたところで一騎討ちの道が一里半じゃ進撃が困難なのは変わらん
史実で別所街道は使ってません
酒井隊の派遣は武田軍が設楽が原に進出したから決断されたもの
デタラメだらけだな、君は
1014:人間七七四年
22/05/11 09:42:33 8GFFfWZo.net
もし長篠までの地形に難渋しているならそもそも信長は攻撃隊を出さない。これは常識というもの。更に言うと実はこの攻撃そこまで難渋してなかったはず。というのもこの攻撃隊がどこを攻撃したかは不明だけどおそらく有海原に展開していた武田隊を射撃したんだろう。ということは長篠城は目と鼻の先というところまで侵攻したことになる。難渋どころか順調な攻撃とすら言えよう。この攻撃の戦果は信長公記にも甲陽軍鑑にも載ってないから信長からの命令は「有海原にいる武田軍に射撃したら戻って来い」だったんだろう。最初から陽動作戦だった。
1015:人間七七四年
22/05/11 09:46:27 PWjBjEwQ.net
無理矢理信長を全知全能みたいに褒め殺しする必要なんかない。
信長は当初武田軍への攻撃も視野に入れたが、地形が不利なのですぐ断念して防御を固めた。
城が落ちたら引けばいいし、また武田軍が引いたら取り戻せばよい。信玄の西上作戦依頼何度も繰り返した形だ。城が落ちなければ睨み合って相手の出方を伺おう。
そう考えていたところ望外に武田軍が出てきたので天の与えるところと歓喜し、酒井隊の派遣を即断し包囲殲滅した。
孫子の兵法にいう、戦に大勝することは自分の力だけで成し遂げられるものではない。
敵の油断や過信があって成し遂げられるものである。
一方で負けない戦いをすることは自分の努力だけでできるものである。
信長は敵や地形を見極め、臨機応変に対応したということだ。
1016:人間七七四年
22/05/11 09:47:02 8GFFfWZo.net
>>972
それ故に敵は撤退するのもままならないということよ。必死に「武田軍が前進した」と認識するからおかしな訳になるのだ。自然に解釈すればいい。
「長篠は敵が我々からの攻撃に備えるのも難しい地形なので鉄砲を放てば帰るのも困難であり擒になる。それを機会に根切りにする」
とね。信長は必ずしも正確な報告はしてない。とはいえ彼の報告は確かに十八日と明記してるので全ては十八日のこと。つまり信長は「武田軍の撤退を脅かしてやったから出てきた」と確信していたんじゃないか。これはかなり可能性が高い。
1017:人間七七四年
22/05/11 09:52:46 A5vwEBJp.net
>>975
信長は長篠の地形を熟知してるから「攻撃を断念」なんて事態は絶対に無い。攻撃するからには成功するし失敗しそうなら攻撃しない。また信長は設楽原防御陣の為に大量の資材と多額の資金を使ってる。馬防柵だけで約3キロの設楽原を三重にしている。これを岐阜から運んでいる。しかも空堀に銃眼まで作らせた。とても「長篠で偶然思いついた」ものじゃない。岐阜を出る前にはもう構想は完成していたと言う方が自然。でないとそれこそ信長が全知全能の神になってしまう。
1018:人間七七四年
22/05/11 09:58:37 vXMaTich.net
>>977
18日は鉄砲隊を偵察を兼ねて派遣しただけ
道が狭いから攻撃には芳しくないと判断
柵を用意したとかそんなものは負けない戦いをするのに不可欠だから始めからその作戦ありきではない
1019:人間七七四年
22/05/11 10:00:36 A5vwEBJp.net
>>975
それに信長は「長篠城が落ちたら引けば良い」なんて絶対に考えない。何故なら目の前で長篠城を落とされて勝頼に凱旋されたら織田信長の看板に傷が付く。信長は既に高天神城救援を失敗していてこれが大きな汚点になってた(徳川家康に金塊を渡す程の配慮をしてる)ここで長篠城救援まで失敗すれば信長の名声は地に堕ちる。盟友徳川家康すらも見限るかもしれない。だからここは絶対に負けられんという覚悟があったろう。そんな戦にも関わらず敢えて待ちの戦法を取れるのが織田信長の凄みなのだが。
1020:人間七七四年
22/05/11 10:02:27 NiCX1wbP.net
>>976
細川に包囲殲滅は目前と書いてるんだから20日の状況で間違いない
織田陣地からよく見えない山の奥に篭ってる武田軍を別働隊も派遣していない18日の段階で包囲殲滅できると書くわけないだろ
1021:人間七七四年
22/05/11 10:06:55 A5vwEBJp.net
>>978
信長は十八日に到着すると極楽寺(設楽原を一望出来る絶好のスポット)に陣取ると即座に防御陣を作らせてる(長篠日記等)
この防御陣は三重の柵に空堀、銃眼までを備えた完全な野戦築城だった。これを織田徳川軍は十九日には完成させてる。
偵察をかけてる様子が全く史料に残ってないから何とも言えないけど明らかに最初からこの防御陣で武田を殺すつもりでいる。何しろ三重に陣地構築してるのだからまず野戦するつもりはゼロ。偵察をかけるまでもなく信長は長篠はよくご存知なのだから当たり前なんだけどね。
1022:人間七七四年
22/05/11 10:12:25 A5vwEBJp.net
>>980
二十日黒印状では十七日、十八日と日付まで振ってくれてるじゃろ?だから全ては十八日の事よ。武田軍が前進してきたとも書いてないし。信長は最初から防御陣で武田軍を殲滅する戦略を立てていた。信長は十八日の陽動作戦で武田を防御陣に追い込むつもりだった。その余裕が二十日黒印状には現れている。
「此方(長篠)方面についてはいよいよ存分に任せる段取りがつた」という書き出しからもわかるだろう。これは後詰が到着したら攻城側は攻撃か死を覚悟の撤退戦かという戦争常識を鑑みてもわかる。
1023:人間七七四年
22/05/11 10:15:34 NiCX1wbP.net
>>982
20日に書いてるのに20日の状況書かないわけないだろ
信長公記を素直に読みなさい
1024:人間七七四年
22/05/11 10:41:30 A5vwEBJp.net
二十日黒印状は十七日と十八日の記録でしかない。例えば「武田軍が前進してきた」とか一切記録がされてない。当然と言えば当然なんだけどね。しかもこの黒印状は最初から最後まで信長は「俺の計画通りだ
1025:!」と書いてる。 その自信の根拠これは長篠城の地形を見ればわかる。長篠城周辺は山と川で大軍が展開する余地が無いのだ。長篠城を囲んだ武田軍も有海原や鳶ヶ巣山にも陣取るしか無かった。この3つの陣地は全て川で裂かれているので余程の工事をしてないと連撃が取れない。また逃げ道である伊奈街道と鳳来寺街道はどちらも山道で即座の退却が難しい。正に信長のいう「擒」同然であった。
1026:人間七七四年
22/05/11 10:50:11 NiCX1wbP.net
>>984
信長公記読みなさい
虜なのは勝頼が川を渡ったからだよ
史料を全部否定して自分の妄想にこだわり続けるのもやめなさい
1027:人間七七四年
22/05/11 11:36:24 cxSWjnsH.net
>>985
信長公記には「武田が前進してきて擒になった」とは書かれてないし二十日黒印状にも「武田が前進してきて擒になった」とは書いてないと思うんだが。二十日黒印状には十七日と十八日の記録しかない。つまり信長は十八日の攻撃によって武田軍は擒になったと書いてる。それは信長の視点からでは正しい。退路が無くなったなら打って出るしかないからね。
1028:人間七七四年
22/05/11 11:38:25 cxSWjnsH.net
>>975
信長公記の方が信長全知全能を推しているけどね。神に愛されし男故に武田軍も何故か兵法を無視してやってきて信長の罠に落ちたのだ!って話になるもの。当然そんなはずがない。勝頼も常識で戦略を決定して信長も常識で決定した。信長の戦略の方が強かっただけに過ぎん。
1029:人間七七四年
22/05/11 12:05:58 eJu6IWqj.net
>>980
値切りにしてやるとは前の書状でも書いてるから
実行できるかはともかく包囲殲滅目前とか書くこと自体は別におかしくない、
書状なんて自分が有利だと宣伝するようなものなのだし。
>>983
21日の書状では21日の出来事はちゃんと朝からと書いてるから
20日のことなら20日とわかるように書くだろ。
1030:人間七七四年
22/05/11 12:59:40 NiCX1wbP.net
信長公記には勝頼が川を渡らなければいいのに渡ってきたので天の与えるところと表現
20日の日付で送ってるのに18日までの報告で終わるわけがない
史料を無視する輩はチラシに小説でも書いてればいい
1031:人間七七四年
22/05/11 13:46:37 cxSWjnsH.net
信長は長篠に何をしに行ったのか?というと十五日黒印状が教えてくれる。「軍に負けないかどうかは天の与うるところだが必ず根切りに打ち倒す」つまり信長は長篠城を救いに行ったんじゃない。武田軍を根切り殲滅する為に行った。
ここで重要なのは「根切りとはなんぞや」という点。通常野戦では一千人も死ねば大損害とされる。例えば砥石崩れ、三方ヶ原とか。追撃戦では刀根坂で約四千。万単位がぶつかった川中島ではお互い五千人程の死人が出てる。逆に言えば野戦ではこれだけしか死なない。信長は明らかにそれ以上を狙ってる。そしてそれが現実化した。偶然じゃない。
1032:人間七七四年
22/05/11 14:19:39 NiCX1wbP.net
だから何?
信長のお気持ちと作戦は別物
1033:人間七七四年
22/05/11 14:23:37 NiCX1wbP.net
>>987
>>>975
>信長公記の方が信長全知全能を推しているけどね。神に愛されし男故に武田軍も何故か兵法を無視してやってきて信長の罠に落ちたのだ!って話になるもの。
ならないよ
勝頼が渡らなければいいのに渡ってきたから信長は機会を逃さず痛撃を与えたという話
1034:人間七七四年
22/05/11 14:49:03.61 cxSWjnsH.net
長篠の戦いはよくある「敵の動きに合わせて臨機応変に打ち破った」戦じゃない。信長は最初から設楽原陣地で武田軍を一方的に射殺することを主目標にしていた。この作戦は前提として武田軍が設楽原に来ないといけない。しかも時間が重要で野戦築城が終わるまでに来られたらマズい。信長にとって武田軍が前進してくる事は分かってた。野戦に自信のある武田軍なら絶対に出てくる。ただもし勝頼が臆病風に吹かれて若しくはかなりの自信家で撤退する可能性もあった。信長の予想通りになった訳で天佑神助とはこの事よ。
1035:人間七七四年
22/05/11 15:03:15.76 TkagkBTU.net
名和弓雄は長篠合戦で誤った俗説が信じられてるのは火縄銃への無理解があるとしてたね。現代人は火縄銃を知らない。だから何となく旅順攻略戦の様な「機関銃に向かって万歳突撃」といったイメージを持ってる。ところが火縄銃というのは性能が劣悪で本来野戦で数千人も殺せる兵器じゃなかった。それを主役にした織田信長には戦術の妙がある。
1036:人間七七四年
22/05/11 15:09:02.81 NiCX1wbP.net
>>993
兵を隠して勝頼が設楽が原に進出するのを誘導したという意味ではそうだが、進出してくるかどうかは勝頼次第
「天の与えるところ」とはそういうこと
戦いに大勝するかどうかは相手次第だが、負けないことは自分でコントロールできる
1037:人間七七四年
22/05/11 19:22:29 IRJ3qWAm.net
>>989
20日のことか書いてあるとしたら、
移動しにくいってとこからが20日の内容ってことだろ。
そこで区切るのが一番自然だからね。
1038:人間七七四年
22/05/11 21:48:04.09 NwsTQk16.net
信長は武田を根切りにするつもりで戦術を組んでいた。問題は武田がそれを免れる道があったか?おそらく不可能。当時追撃戦は可能な限り避けねばならない負け戦だった。それに信長の、数時間もの間鉄砲を射撃し続けるという戦術自体が斬新で革命的だった。まず城それもかなり巨大な城でもないと出来ないハズだったわけでそれを可能にした事を読め、というのは酷過ぎる。武田には出来んかったろう。
1039:人間七七四年
22/05/12 00:39:45 2ANT4qQG.net
>>997
>信長は武田を根切りにするつもりで戦術を組んでいた。
根切りしたい気持ちと戦術は別
勝頼が乗らないと根切りできない
例えば織田が接近してすぐ撤退されたら不可能
織田の鉄砲射撃は一向衆の影響で革命的ではない
陣城もどこの大名でもやっている
そもそも鉄砲がなくても自軍の3倍の敵に正面から当たったらいつの時代でも勝ち目は乏しい
なのに勝頼が突撃したのは過信していたか、兵力を見誤ったのかどちらか
どっちにしろ勝頼の失策
1040:人間七七四年
22/05/12 12:08:05.77 YlM6g5/9.net
常識的に見ても後詰が到着した時点で武田軍は決戦するしかない。兵数有利でも負ける撤退戦を同数以上を相手に行う勇気は勝頼に無いから。しかも本国まで約45キロ。一日以上かかる事を考えれば決戦は常識的帰結になる。それで信長に読まれていた。
1041:人間七七四年
22/05/12 15:39:55 KE8AxI4h.net
勘違いされがちだけど長篠は兵力差や物量差の戦争じゃない。僅か四千人の鉄砲隊が一万五千の武田軍を粉砕した訳で尋常の戦争じゃない。信長の戦術の凄まじさがわかる。
1042:人間七七四年
22/05/12 16:26:14 UM+bzwaG.net
戦術はそうだけど武田もなあ
普通途中で諦めそうなもんだけど必勝みたいな軍団になってたせいであそこまでダメージ食らうことになった
川中島なんかも普通ならヤバいと逃げ出しそうなもんだけど尋常じゃない割合の死傷者出しても潰走せず戦い続けて結局相手を戦場から追い出してる
でも柵にこもった鉄砲相手じゃロクに削ることもできず一方的な虐殺でジエンドって感じ
1043:人間七七四年
22/05/12 16:31:29 KE8AxI4h.net
馬場や内藤が撤退を進言してないから武田軍はギリギリまで戦況を知らなかったと思われる。おそらく第一柵を破ってしまった事で自軍が押していると勘違いしてしまった。それが戦力の逐次投入を招いて全滅した。漸く把握した頃にはもうパニックになってたんだろう。
1044:人間七七四年
22/05/12 17:03:30 DYlrGJcL.net
勝頼とその側近に臆病者認定されてそりゃ突撃して死ぬしかない
旧日本軍とかと同じあるあるパターン
1045:人間七七四年
22/05/12 17:11:39 T+NJtLSS.net
実は「勝頼や側近衆に煽られた」って話は江戸時代以後の創作でしか出てこない。武田軍が功名争い(一番槍争い)をして全滅したって説もあるが(こっちの方が自然かもしれない)どちらにせよ武田軍は致命的損害を被るまで撃たれ続けてしまった。
1046:人間七七四年
22/05/12 17:15:00 DYlrGJcL.net
武田側の史料は結局甲陽軍鑑に頼らざるを得ない
信じるかどうかは読む人次第
1047:人間七七四年
22/05/12 17:22:26 T+NJtLSS.net
甲陽軍鑑の初期版だと「勝頼が決戦を決めた、重臣衆は反対した」と書いてあるだけで
1048:何で反対したのか誰が反対したのか等が一切わからない。時代が降ると反対者が馬場信春になるがここから既に内容がうさんくさい(何故か織田軍の構成を馬場が知ってる等)。江戸時代以後の版で勝頼が臆病風に吹かれたかと叱責云々と出てくるけどこれはもう完全な創作である。
1049:人間七七四年
22/05/12 17:31:47 hjOnlidi.net
>>999
後詰めが来た時点で撤退すべき
来た時点ではもう遅くて撤退できないのなら、それでも損害覚悟で撤退するか、接近前に撤退すべき
戦いは出陣した時から始まっているのだ
勝てると確信がある時でないと戦ってはいけないし、敵の動きを把握するのは最低限の義務である
勝敗は戦う前にもう決まっている
把握できなかったから仕方ない?そうではない
敗将の敗因はほとんどの場合、情報不足か油断過信による
勝頼が責任ないとしたら敗将のほぼ全員が責任がないということになる
1050:人間七七四年
22/05/12 17:54:45 DYlrGJcL.net
>>1006
反対の理由なんか書いてなくても想像つく
・武田は織田と戦う予定で出陣していない
・自軍の兵力は3分の1、兵力は読めてなかったにせよ信長がいるのに寡兵だと思うのは頭おかしい
・設楽が原の地形は味方に不利(先に布陣した方が有利なのは常識だし、背水の陣で退路は狭い)
・長篠城は残したまま
反対したのは全員かどうかはともかく、年長者があれこれ反対するのも、威勢の良い者が場を制しがちなのもいつの時代も共通
1051:人間七七四年
22/05/12 18:00:08 KsjBCZtf.net
武田には砥石崩れのトラウマがある。僅か二千の兵に七千の武田軍が蹂躙され、信玄も死にかけた。三分の一の相手でこれなので同数はある長篠の場合危険過ぎた。しかも敵は数百メートル先の長篠城にいるから難易度が高過ぎる。また武田軍拠点まで遠過ぎる。長篠という場所は正に武田軍を捕らえる罠になってる。
1052:人間七七四年
22/05/12 18:05:04 KsjBCZtf.net
>>1008
武田軍が入手していた情報は次の通り。まず織田徳川軍は十万(甲陽軍鑑)。これは信長が三好・本願寺攻めに使っていた兵力なので辻褄は合う。ただし、設楽原は間違っても十万人も入らないし信長は兵力を少なく見せていた(信長公記)。ただし、設楽原に十万人居ないことは信長が十万動員していない事を意味しない。別働隊か更なる後詰か可能性は幾らでもある。そして織田徳川軍は柵を作ってその中に引きこもっている。これは信長が大軍を連れてきていない事を意味している。
1053:人間七七四年
22/05/12 18:06:04 E+0viarv.net
>>1009
そんなに長篠が危険な地形ならそこを攻めたこと自体が勝頼の敗因
それどころか織田徳川が来た時、何の対応できないということだから大チョンボに近い
1054:人間七七四年
22/05/12 18:12:30 KsjBCZtf.net
つまりこれで武田軍の戦術計画が見えてくる。柵があるなら突撃して崩すまで。また武田軍が前進すれば別所街道から鳶ヶ巣山砦が狙われるがそれは織田徳川軍の兵数が裂かれる事を意味する。また長篠には兵三千人これは攻撃の法則で九千人を置いてるのに比する。簡単には落ちない。
設楽原の地形は織田徳川軍の兵力を分散させるし柵を突破すれば後は野戦能力の勝負になる。となれば野戦に強い武田の方が有利。仮に負けるにしても野戦ならお互いに損害が出る(川中島のように)。まさか武田のみ一方的に殺されるなんて事が起きる筈が無いからね…
1055:人間七七四年
22/05/12 18:15:27 5Hc/o1Hz.net
>>1012
いや、それはないわ
勝頼がますます脳筋バカにみえる
1056:人間七七四年
22/05/12 18:17:20 hvxJiuYX.net
>>1010
つまり10万の兵があるのに信長が少ない兵力で来るという極めて不自然な事象を勝頼が信じたってことか?
ますます脳筋だな
1057:人間七七四年
22/05/12 18:18:12 KsjBCZtf.net
てことを鑑みるとどうも重臣衆が反対したって話は胡散臭い。この戦術は「織田は弱い、武田は強い」を心理的前提にしてる。また武田軍の野戦能力に自信が無いと出来ない。
重臣衆と側近衆、どっちがと言われれば重臣衆の方が当て嵌まるだろう。つまり勝頼・重臣衆が決戦派で一門衆・側近衆が撤退派だった可能性が高い。甲陽軍鑑には勝頼の戦いっぷりを馬場信春が褒め称えて信玄がそれを憂いた、って逸話があるけどかなり示唆的だと思う(甲陽軍鑑での馬場の提案が軒並みセンスが悪いのも言ってるのが側近衆だとすりゃ頷ける)
勿論彼らも伊達や酔狂で作戦計画してるんじゃ無く勝利する方策を考えていた結果なのだが。
1058:人間七七四年
22/05/12 18:19:31 KsjBCZtf.net
>>1014
信長には朝倉攻めとかで少ない手勢で進んで後から軍勢が来るって事例がある。武田が知っていたかは不明だがこの事自体は特殊じゃない。
1059:人間七七四年
22/05/12 18:21:12 DYlrGJcL.net
>>1015
説得力全くないな
老臣が反対して若い後継者が無茶するのは現代でも本当によくある話
1060:人間七七四年
22/05/12 18:23:32 DYlrGJcL.net
>>1016
いや、おかしいよ
ちょっと慎重な人なら信長本人が来てるのに寡兵なわけないと疑ってすぐ逃げるから
尾張美濃だけで2万は余裕で徳川合わせたら3万近くにはすぐになるのに
1061:人間七七四年
22/05/12 18:26:43 KsjBCZtf.net
何しろ信長は兵を隠してる。「信長がいるから大軍が」というのは妄想でしか無い。しかも武田には確かめる術が無い。妄想を信じるか信じないかは知能の優劣とは無関係のはなしなんだな。
1062:人間七七四年
22/05/12 18:27:23 OKMWfbbT.net
妄想君は結局のところ勝頼を弁護したいのだろうが、なんだか彼の勝頼像だと勝頼が益々馬鹿に見えて仕方ない
敗者誰にでも適用できる同情論は詭弁に過ぎない
1063:1001
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