18/06/21 23:52:43.35 cUK4yz/E.net
>>437
勝てば官軍でやりたい放題なら、織田やアメリカが勝者であることは間違いようがない
情報にリアリティを持たせるのは実績だからなぁ
452:人間七七四年
18/06/22 00:04:08.24 VEyvlhfb.net
例えば山県の赤備えは、実際は武田軍の広告塔で宣伝部隊
勝敗が決したあとに敗走する兵に追い討ち掛けるのが仕事
こうして逃げた敵の兵は自国に戻り赤備えの恐怖を伝え
武田はヤバイ強いと宣伝してくれる
そもそも赤備えは鎧や騎馬の割合からして金が掛かっていた
こういう部隊をいきなり戦に投入するとかないわけね
453:人間七七四年
18/06/22 01:11:34.90 bIcyQYHT.net
>>427
>当初の戦略目標を達成できないなら変な欲を出さずに退却する事だ
その辺の割り切りのよさは
金ヶ崎の退陣、明智城救援、高天神城救援の時も同じように発揮されたな
武田は上田原の敗戦後、暫く現地に留まって負けてないと言い張るだの
村上が留守している隙に戸石城攻めて落とせずぐだぐだし続け、戻ってきた村上相手に戸石崩れ
第一次駿河攻めで北条相手に戦い続け最終的に退却だの
損切り苦手だな
454:人間七七四年
18/06/22 03:17:40.01 MwpnbRu5.net
>>434
落とせなくても最初の本陣である鳶ヶ巣砦から動かなければ負けることはなかった
太田牛一は川を渡ったことが敗因と指摘している
長篠城陥落は理想だけどそれを言うなら武田は5万動員すれば勝てたと言ってるようなもの
455:人間七七四年
18/06/22 10:16:56.14 LZ2foYJF.net
>>441
武田が5万も動員できた時期なんて一度もないはずだが。
456:人間七七四年
18/06/22 10:49:11.19 peahxGn/.net
>>440
諦めるとは損切り出来ること
織田はともかく武田程度の国が遠征を発令して「得られる物が何もありませんでした」で済むだろうか?
457:人間七七四年
18/06/22 11:04:56.41 LZ2foYJF.net
>>443
徳川家康も毛利元就も織田信長も勢力が小さい頃にそんなこと何回も経験しているけど。
458:人間七七四年
18/06/22 11:51:45.79 MwpnbRu5.net
>>442
いやそう言う意味じゃなくて理想を言うなら何でも言えるという意味
459:人間七七四年
18/06/22 13:33:43.87 1vLxlCbc.net
>>441
話の流れから>>414に言ってるんでしょ
二行目以降も読めよ
460:人間七七四年
18/06/22 13:45:34.53 xnx4bJbI.net
日に日に開いているからって、焦ったら負けでしょうに。
織田家中で内紛が起きるのを、あるいは織田信長が何かの病気で急死するのを待ち、それまではひたすら守りに徹して内政
461:に力を注ぐ、というのは選択肢にないのかな?
462:人間七七四年
18/06/22 13:51:12.02 VApFwzJY.net
それただ差が開くだけじゃん
463:人間七七四年
18/06/22 14:09:09.04 1vLxlCbc.net
攻めるなら信玄の時みたいに信長包囲網で信長が動けない時に攻めろって話だな
包囲網作らずに単独で攻めても国力が既に違うからすぐに軍勢整えて来る
464:人間七七四年
18/06/22 14:11:37.39 cQAaoykV.net
>>447
信長が急死(急と言えるほど若くはないけれど)しても、すでに後継者の信忠が長じてる万全の体制だしなぁ
本能寺かてあれ親子と官僚団が軒並み消し飛んだからあそこまでの大事になったわけで、そのレベルのラッキーが起きるの待つってのは無理があると思う
465:人間七七四年
18/06/22 14:13:52.60 rvLU11nq.net
よく信忠が生きてたら安泰という人いるけど、いくらお膳立てしても本人の能力伴わなければ内紛勃発とか中世には腐るほどある話
少なくとも家臣の権力争いは始まるよ
466:人間七七四年
18/06/22 14:13:55.95 bIcyQYHT.net
>>443
信長は大勢力になる前から、損切りの決断早かったと思う
道三救援時の道三死亡後の反応、東美濃攻めや、河野島の撤退とか
467:人間七七四年
18/06/22 14:53:22.02 p3MxQeji.net
>>449
だからこそ敵本陣に信長がいると分かって我慢できなかったんじゃないの?
468:人間七七四年
18/06/22 18:02:29.03 1vLxlCbc.net
>>453
話が通じてないみたいだな
469:人間七七四年
18/06/22 21:36:59.66 mLD4+F9U.net
当初から武田の戦略としては、織田と戦う予定だったと思う。
ただし長篠城を落とすと織田は引いてしまうので、
織田をできるだけ引き付けておいて引くに引けない状況を作ってから
落とすつもりだったのでは?
一気に攻めれば落とせるはずなのに、落とすタイミングを狙いすぎて
落とせないまま織田と戦うことになってしまったのかも知れない。
470:人間七七四年
18/06/22 22:50:41.22 1vLxlCbc.net
>>455
なに、そのゲーム脳
471:人間七七四年
18/06/22 23:00:30.55 A0yS/Qgd.net
信長には陣城におびき寄せる餌があったとしか思えない。3万の兵士に鉄砲弾薬、陣城の資材とかなりの資金をかけてるし。引いたりしたらこれらが全部無駄になる。
472:人間七七四年
18/06/22 23:06:24.03 mLD4+F9U.net
>>456
アナタハバカデスカ
473:人間七七四年
18/06/22 23:51:31.55 mLD4+F9U.net
>>456
武田の立場に立って想定を考えれば十分あり得る。
長篠城を攻めれば織田が援軍に来ること→想定内
長篠城を落とせば織田が引くこと→想定内
長篠城が落とせなかったこと=織田の援軍が間に合ったことを意味する。
それ以外の理由で長篠城が落とせないことは想定外
史実→武田は打って出て大敗
理由:織田の兵力が想定外だったこと
つまり武田の長篠城攻略の本当の目的は織田と戦うことだったことも考えられる。
474:人間七七四年
18/06/23 00:13:21.31 JKcia7LN.net
>>459
兵力が想定外なあ。
織田信長が自ら出陣してて2万以下なんてあり得ないと思うんだが。
情報収集以前に、そのくらいの予測は普通はしないか?
仮に織田が2万でも、徳川と合わせたら3万弱。
これで野戦(ほとんど攻城戦)で1万5000の武田が勝つつもりなら、余程自らの強さを過信していたとしか思えない。
475:人間七七四年
18/06/23 00:19:39.95 h12r6wX7.net
>>459
・この時代、城を取ることは最優先
・岡崎城から来ているんだから兵数を隠すことは無理
そして援軍の兵力、後何日で長篠に到着するかの偵察物見等の情報収集しない設定は無理である
・遠征軍なために小荷駄の比率が高く攻城して疲弊しているのにそのあと野戦するのは無謀である
・長篠城は信玄時代に力攻めしても落ちなかった堅城で、その後に家康が改修済み
・長篠城を落とさずに信長と決戦したいがためにわざと長篠城を落とさなかったと言ってるのは
歴史学者でもない小説家の言だからまだ鳥居強右衛門や>>310の三河物語の長篠城を落とそうとしたが落とせなかった説を信じたほうがマシ
・信長と決戦するつもりなら陣城築かれる前に進軍して総攻撃するのが当たり前なのになぜか陣城が完成してから総攻撃したのは不自然
陣城完成した後に佐久間が誰かが内通約定を持ちかけた説のがまだ自然である
476:人間七七四年
18/06/23 00:50:06.86 AF6dlGNu.net
>>461
>>信長と決戦したいがためにわざと長篠城を落とさなかったと言ってるのは
そうではない。織田との戦いを狙っていたとしても優先順位は長篠城を落とすことが大前提だったと思う。
早く落とすと織田軍は引いてしまうので、タイミングを計っていたのではないかということ。
長篠城は一気に攻めれば落ちてた。
勝頼としても信玄が落とせなかった城を落としたとなれば武田内の発言力も増すだろう。
にもかかわらず、時間を要したのは織田との決戦のためで鳥居強右衛門の話は、もし、事実とすれば
予想外に長引いてしまったので武田側のあせりからだろう。
477:人間七七四年
18/06/23 00:59:22.45 h12r6wX7.net
>>462
明知城も高天神城も信長の援軍が来る前に落としてるのに長篠城だけは違うと言っても説得力はないよ
478:人間七七四年
18/06/23 01:04:33.01 etSefuj+.net
>>463
その二つを落としても勢力図に影響与えるには不足だったからこそ今回は決戦を志向したとも言えるじゃん
479:人間七七四年
18/06/23 01:09:01.72 h12r6wX7.net
>鳥居強右衛門の話は、もし、事実とすれば
鳥居の話は疑うくせに歴史学者でもない小説家の戯言は真実と思ってんのか?
480:人間七七四年
18/06/23 01:12:51.50 etSefuj+.net
>>465
鳥居の話は個人的には創作だと思ってる
そもそも射程距離外から声出して聞こえるのか?wって読んだ時思ったわ
481:人間七七四年
18/06/23 01:22:03.60 etSefuj+.net
>>461
>>>459
>・この時代、城を取ることは最優先
遠征につき城一つ落とす程度じゃ全然埒あかないよ
勝頼の頭の中は決戦決戦
>・岡崎城から来ているんだから兵数を隠すことは無理
>そして援軍の兵力、後何日で長篠に到着するかの偵察物見等の情報収集しない設定は無理である
信長記の記述ガン無視?
>・遠征軍なために小荷駄の比率が高く攻城して疲弊しているのにそのあと野戦するのは無謀である
小田原攻め~三増峠に比べたらマシ、だいたい小城だからほとんどは囲んでただけ
>・長篠城は信玄時代に力攻めしても落ちなかった堅城で、
無理すれば落とせる、でも被害は出るのは嫌だから囲んで決戦に挑んだとも考えられる
>歴史学者でもない小説家の言だからまだ鳥居強右衛門や>>310の三河物語の長篠城を落とそうとしたが落とせなかった説を信じたほうがマシ
所詮は限られた史料しかないから歴史学者の肩書きなんかいらないよ
鳥居さんは事実だとしても被害無しで落とせれば、の作戦
被害出せば落とせたかどうかまではわからん
>・信長と決戦するつもりなら陣城築かれる前に進軍して総攻撃するのが当たり前なのになぜか陣城が完成してから総攻撃したのは不自然
長篠城の方に来るかと思ったらずっと後方の設楽が原で陣を敷いたから決戦したい勝頼がわざわざ前に出た
482:人間七七四年
18/06/23 02:04:38.28 jnWw3P1V.net
>>466
磔されたという場所から長篠城の端まで距離にして50メートルちょい城の中心までも100メートルちょいだから川の音が多少煩くても
普通が声ぐらい届くんじゃないか?
山彦とか考えるとキロ単位で声が届いてるんだし
>>467
東三河吉田城攻め75年説採るなら、それなりに遠征していると思う
関東攻めに比べればマシだけど
483:人間七七四年
18/06/23 02:07:02.32 h12r6wX7.net
>>467
>遠征につき城一つ落とす程度じゃ全然埒あかないよ
>勝頼の頭の中は決戦決戦
明知城や高天神城も信長の援軍が来る前に内応で落としてるので、長篠も佐久間の内応で勝てると思ってる進軍したって方が自然
>信長記の記述ガン無視?
>>376の戦力分散で手薄に見せるために隠したって方が妥当
岡崎から兵を隠すのは不可能、そして後何日で到着するのかの偵察しない設定は無理がある
佐久間の内応の約束があれば兵力が劣っていても勝てる勝算が出るので自然である
>小田原攻め~三増峠に比べたらマシ、だいたい小城だからほとんどは囲んでただけ
>無理すれば落とせる、でも被害は出るのは嫌だから囲んで決戦に挑んだとも考えられる
長篠城は信玄期でも力攻めで落とせたことは無く、その後に家康が改修し>>310で鉄砲隊と大鉄砲に阻まれたり、
長篠城は武田の攻撃による損傷が激しく長篠後に廃城になったんだけど?
>所詮は限られた史料しかないから歴史学者の肩書きなんかいらないよ
>鳥居さんは事実だとしても被害無しで落とせれば、の作戦
>被害出せば落とせたかどうかまではわからん
その伊藤某は長篠城は土豪の城だから堅城ではなく、信玄がかつて落としてるから落とせないわけがないと間違った認識してるからな
城は深い水堀と鉄砲隊による防御力は伏見城や大坂城ですぐ落とすのは困難だと証明されてる
そして信玄は力攻めで長篠城は落としてなく説得で開城させている
>長篠城の方に来るかと思ったらずっと後方の設楽が原で陣を敷いたから決戦したい勝頼がわざわざ前に出た
長篠城周辺は道が狭いから決戦はできないのに
勝頼は長篠城周辺で待っていたのは矛盾が生じるが?
484:人間七七四年
18/06/23 02:18:56.09 jnWw3P1V.net
佐久間の内応は不自然すぎるだろ
後の佐久間の追放からの創作だろ
当時の佐久間は織田家トップで信長からの信頼も厚いし、
仮に裏切っても領地が織田領国に分散しているから、
この一戦で織田家崩壊レベルにまでならないと
徳川が武田に併合される間に周りから攻められて領地失うだけで先が無い
>>467
>長篠城の方に来るかと思ったらずっと後方の設楽が原で陣を敷いたから決戦したい勝頼がわざわざ前に出た
織田本隊は後方にいたけど、徳川羽柴丹羽滝川は長篠城近くまで進出して馬防柵築いて陣を敷いてる
485:人間七七四年
18/06/23 02:28:58.90 h12r6wX7.net
>>470
勝頼を誘き寄せるための偽の内応な
明知城や高天神城も内応で落ちたために偽の内応約定を信じてしまった
二度あることは三度あるとね
486:人間七七四年
18/06/23 02:34:16.67 jnWw3P1V.net
>>471
>勝頼を誘き寄せるための偽の内応な
それを理解した上でのレスだったんだが……
明地城や高天神城の時とは裏切る人間の状況が違い過ぎる
佐久間でなく東濃辺りの人間とか徳川家臣が内応なら可能性としてはあり得るので
武田も信じるだろうけど
佐久間じゃ荒唐無稽で武田が信じるとは思えない
487:人間七七四年
18/06/23 02:51:08.05 h12r6wX7.net
>>472
佐久間は三河まで兵糧持ってきたり
現地調査したりして信長に報告してるし
対浅井朝倉の時に信長を激怒させてるのは信長公記にも書かれてるからな
織田の三河&対武田担当だから逆に武田との接点が一番ある
488:人間七七四年
18/06/23 03:58:25.16 qQhLkrvw.net
>>463
高天神は何のこと言ってるのか意味不明。
明知は内応で落としたようなものだから、長篠城とは違うよ。
489:人間七七四年
18/06/23 04:14:44.39 h12r6wX7.net
>>474
高天神城は小笠原の内応で落ちた
明知城も内応
長篠城は信玄時代にも力攻めで落ちてはいない
そして長篠の戦い時の長篠城は家康が改修をしたのに加え
鉄砲隊がおり、城は勝頼に妻子を処刑された奥平が守っている
490:人間七七四年
18/06/23 11:07:05.55 fBRrFwVt.net
岡崎に数万いたとしても一瞬で戦場に集まれないよね
戦国期の街道は東海道でも道幅が狭くてくねくねとした道
東山道も同様だったので信長は安土城下に軍用道路をわざわざ作ったほどだし北条も武蔵攻略のために中原街道を一直線に整備して軍用道路にした
現代や江戸時代の東海道と一緒にすべきではない
武田からしたら長篠城の何キロも手前で進軍を止めた
後詰の救援としてはありえないほど不自然
織田に何らかの問題が起こったとみて隙をつこうとしたことは十分に考えられる
信長は作戦通りだったのかもしれないが
491:人間七七四年
18/06/23 11:46:01.96 HghPXaiM.net
長篠の戦いで陣城に突入したのは阿呆というが擁護出来る点はある
大規模かつ短期にこんな備えを用意した例が過去にない事
第一次大戦すら初期は機関銃を前に正面突撃を命じられた
(これは日露戦争の日本軍の人海白兵突撃で要塞を落とした事を参考にしているが…)
492:人間七七四年
18/06/23 12:54:38.66 h12r6wX7.net
隙を突こうと考えるなら陣城が完成する前に総攻撃するでしょ
陣城がほとんど出来上がった後に隙を付けるわけがない
隙を突くのが目的なら偵察を派遣して陣城出来上がってる報告を受けたら設楽原に向かう途中で引き返すわ
493:人間七七四年
18/06/23 14:34:11.11 sc16gBnk.net
織田の総数を過小評価。で、
陣城から織田をおびき出すのに、
ある程度接近して挑発。
そしたら後ろに回られ退路を
断たれる。ヤバイ、取り敢えず
前の敵を打撃した上で後退すべく
攻撃。三増峠の戦いの再現を
目指したが、火力に粉砕されて
壊滅…というのが実態じゃないかと。
494:人間七七四年
18/06/23 14:36:06.84 sc16gBnk.net
URLリンク(www.youtube....)
時代を超えて受け継がれる
日本人の心意気。
495:人間七七四年
18/06/23 15:28:45.25 RloY0GYy.net
ガタルの一木支隊か旅順の第一次総攻撃やらかしたんだろ。こっちの都合だけで敵さんの言い分は考えずに。
496:人間七七四年
18/06/23 17:00:16.85 qrM+d/jx.net
>>478
長篠城から何キロも西に陣城構築されても脅威と思わないだろ
長篠城の対岸だったらすぐにぶっ壊しに行くけどさ
497:人間七七四年
18/06/23 17:51:13.84 y6BnnDFT.net
>>477
司馬史観乙
乃木軍は第一次総攻撃で正面突撃が機関銃陣地に対して無力と判断し、以降は砲撃とともに塹壕を掘り進める
正攻法に変更した。
大本営は乃木軍に対して時間がかかりすぎると総攻撃を支持したが、乃木はこれを無視。
児玉も同意して、正攻法を続けた結果、攻城砲や空爆が無いことを考えると非常に少ない犠牲で攻略に成功し、
各国とも数年は耐えられるはずのはずの要塞が数か月で陥落したことに驚愕した。
乃木軍への評価が非常に高まった結果、奉天開戦において乃木軍を警戒したクロパトキンは、過剰な戦力をふりむけ
つづけることとなり、日本軍勝利の原因の一つとなった。
日露戦争の観戦武官達は欧州に帰って、歩兵の横隊突撃や騎兵突撃は機関銃に対して無力だと報告したが、
諸国の上層部は辺境の特殊事例だとしてドクトリンを変更しなかった。
その結果、第一次世界大戦において、一日で旅順を上回る被害を各国は蒙ることになった。
498:人間七七四年
18/06/23 18:11:05.33 h12r6wX7.net
>>482
隙を突くならって言ってるだろ
陣城できあがってたなら相手の準備は万端で隙を突けないだろって話な
499:人間七七四年
18/06/23 22:21:40.92 jnWw3P1V.net
>>473
接点があるって言っても領地の問題から佐久間が裏切ってもメリットがほとんどない
一応佐久間の領地は尾張南東だけども武田の間に徳川領あるし
南近江や畿内の利権もある
他の内応した連中みたいに領地の安堵や替え地の用意は不可能に近い
それどころか長篠で武田が勝っても佐久間は領地ほぼ失うような状況
こんなやつが内応言っても信じないだろうって話
前波みたいな例もあるが武田と織田じゃ織田の方がはるかに上だからなー
>>477
有海原の陣城は多分普通に落とせたからその感覚で設楽ヶ原まで出ちゃったとか
>>482
>長篠城の対岸だったらすぐにぶっ壊しに行くけどさ
実際陣地構築されて壊したんじゃ、でそのまま追い込んで行ったら設楽ヶ原まで行ったと
500:人間七七四年
18/06/23 23:03:19.92 h12r6wX7.net
>>485
長篠の戦いの前年に足利義昭より水野信元と徳川家康に
武田勝頼と協力して信長を討伐せよと言う書状が来ているから逆に利用したんだろう
水野はその後に佐久間に武田との内通を報告され処刑されてるからいくらか武田との繋がりは持ってたろうし
佐久間も対浅井朝倉で信長に口答えして激怒させてるからそのことを水野が旨く書けば信用したんじゃないか
明知城も高天神城も内応で落ちたから勝頼も調子に乗ってたろうし
長篠の戦いでも左翼と右翼が同時に動かずに左翼は徳川家康を攻撃したが
佐久間と水野がいる右翼は同時に動いてないし
501:人間七七四年
18/06/25 00:15:15.93 n010Jec3.net
武田は軍議で結論を出すというある意味、当時最も民主的な軍隊だったのかもな。
しかしそれだと時間もかかるし、皆、完璧な情報を持っているわけでもないし、
それぞれの国人領主の都合もあるから混乱しがちでまとまりにくい。
当時はむしろ、信長や謙信のように強い仕切り力のある人間がそのカリスマ力で、
機敏に動いた方が有利だったのかも知れないな。
長篠当時は勝頼にある程度の発言力はあったけど、カリスマとまではいかなくて、
陣城ができる前に攻める策を軍議の雰囲気を押し切ることまではできなかったようだったからね。
信玄でも軍議の大勢を押し切ることができたかどうかは微妙だったと思う。
信玄・勝頼ともに、鶴の一声。とはならなかった。
長篠だけに限らず最終的には、そのことが武田が滅びた原因だと思う。
502:人間七七四年
18/06/25 00:22:48.31 dZbiYUZC.net
>>487
その軍議の様子をなぜおまいが知ってる?
503:人間七七四年
18/06/25 00:31:31.89 /jZQN67R.net
謙信・信長もそんなカリスマないよ
しょっちゅう国人衆だの譜代家臣だの寝返ってたり謀反したりしてんじゃん
大勢力になればなるほど、離反したところで利がないから減ってくるってだけで
1地方の領主レベル(毛利・武田・上杉クラスでも)じゃ
常に国人の機嫌伺いながら軍議するしかないわけで
504:人間七七四年
18/06/25 00:52:34.81 n010Jec3.net
信長や謙信はいちいち軍議やったんでしょうか?
時には、やっただろうけど、特に信長はワンマン社長のイメージがある。
505:人間七七四年
18/06/25 03:27:19.52 /jZQN67R.net
割とマメに国人衆にお手紙出したりしてるよ信長は
それでも松永だの荒木だの別所だの離反されてるわけで
506:人間七七四年
18/06/25 07:36:20.07 70iU/iX/.net
決戦
507:人間七七四年
18/06/25 07:40:44.76 70iU/iX/.net
>>234では勝頼や重臣は撤退したかったが言い出せなかった
>>329では山県や馬場は撤退を進言した
>>406では国衆は褒美貰いたさに交戦を望んだ
>>407では勝頼は決戦を決め、武田内部から撤退したら引退勧告されるくらい決戦を求められた
>>487では軍議で家臣たちは決戦否定してたから行動が遅れた
いい加減、勝頼と武田重臣たちの立ち位置を決めとけよw
508:人間七七四年
18/06/25 08:15:16.50 SBpqCVc1.net
>>493
軍議の様子は後年の編纂物ばかりで、
実際にどの様なやりとりがあったのかは、
推測の世界に過ぎない。
当時の一次史料からはっきり
わかるのは、勝頼自身が非常に
強気であったという事だけだよ。
509:人間七七四年
18/06/25 11:48:38.54 sRwFXB/R.net
>>487
仮に陣城ができる前に攻撃しても、武田軍15000以下で織田、徳川連合は3万8000。こんな絶望的な兵力
510:差でどうやって勝つというの? 作戦もない正面突撃で。 2万3000も兵力差があって、作戦もなくまともにやって勝てるわけないよ。勝頼は戦勝続きで自惚れていたとしか思えない。
511:人間七七四年
18/06/25 11:50:34.87 70iU/iX/.net
>>494
勝頼無能説は有力だろうな
512:人間七七四年
18/06/25 14:55:45.74 hzJmhsh+.net
織田は腐った建物のようなものだ。引戸を一蹴りすれば崩壊する。
513:人間七七四年
18/06/25 17:13:35.18 /jZQN67R.net
>>495
自軍より多いだろうなってのはわかっても
そこまで戦力差があるとか、その率いてきた敵軍がどれだけどこに集まっているかなんて
当時の人間に完璧に把握できるわけない
何も遮蔽物のないだだっぴろい平野に両軍ズラーっと並んで対峙してたとでも思うのか
今川義元だって自称3万という軍を率いてきたが軍を分散して攻略中に本陣正面から急襲されてやられただろ
不利だとしても何の戦果も出さずに撤退するってのは難しいだろ
みんな軍費かけて出陣してきてんだから
ある程度博打になるのは仕方ない
大軍率いていて何の戦果も上げずにリスク考えて引き返すなんて
肥大化した織田家クラスの金銭収入がないと無理
514:人間七七四年
18/06/25 22:10:13.22 xWhJEwXU.net
川中島の戦いだってさ何も得ないで帰ってきたときもあるだろうに、
その時は碁石金で部下を黙らせたのかな?
515:人間七七四年
18/06/25 22:39:06.69 n010Jec3.net
>>498
何の戦果も出さずに撤退するリスクと
実際に戦いを挑んで負けるリスクと、どちらが負担大でしょうか?
例えば案外、三方ヶ原時の家康は負けてでも打って出ないと更に損失が拡大したように
考えられる。
516:人間七七四年
18/06/26 00:43:39.01 XDP4PhTL.net
実際、信玄も信虎追放で担がれただけだった
クーデターで主導したのは武田一族の国人の板垣甘利飯富
当初の信玄はお飾り主君
上田原で板垣甘利が死んでやっと大名として動けるようになった
飯富が義信の側近になったのを見ても武田の組織がどういうものかよくわかるだろう
こういう武田で勝頼はどの程度、発言力があって政治をできたのか?
軍義は勝頼どうこうじゃなくて決戦派と撤退派で揉めていたと思われる
要は戦争の最中でも派閥争いをしていた
これはよく話されている内容でしょう
517:人間七七四年
18/06/26 01:33:05.78 EArGTvzo.net
>>501
その話でいくと勝頼の頃には板垣飯富は粛清して、甘利は代替わりで弱体化してるから武田家当主の力は強かったということにならないか?
そう考えると軍議について跡部、長坂対その他で意見が分かれて、勝頼の意向が強いから決戦に行ったというのはそれほど違和感がない
518:人間七七四年
18/06/26 01:52:22.99 PGLt+g+n.net
>>500
当時の勝頼は特にそこまで追い詰められていなかったので、
普通に古府中に撤退していれば問題なかった。
519:人間七七四年
18/06/26 03:07:17.78 PGLt+g+n.net
>>500
三方ヶ原時の家康は戦わなければ崩壊していたと思う。
長篠時の武田はそこまでではなかった。むしろ信玄時代より勢いはあったということだが、
負けたあとの落差が酷過ぎなんだよな。
もう、ほとんど完敗で命からがら古府中に逃げ込んだようだからな。
520:人間七七四年
18/06/26 06:42:01.72 rhzhm77Y.net
勝頼は信玄が落とせなかった高天神城を落として調子乗ってたって話もあったな
書状にも突撃する気満々だったし
討って出ないと崩壊するとか考えずに勝頼はただの猪武者なだけだったでしょう
521:人間七七四年
18/06/26 07:37:52.72 VdiHP5QZ.net
>>505
高天神城を落として調子に乗った、は甲陽軍鑑の記録です。この際に高坂昌信が「これは滅亡の兆し」と述べたとも書かれています。
これが事実なら、勝頼がイケイケだった甲陽軍鑑の記録は信頼性があることになります。
522:人間七七四年
18/06/26 07:56:40.62 rhzhm77Y.net
>>506
一次史料の書状で勝頼がイケイケだったのは事実なんだよなぁ
523:人間七七四年
18/06/26 08:50:29.18 Xg44fbbI.net
>>507
5月20日の書状ですね。
確かにあれはどちらかといえばイケイケ。
ただ気になるのは、勝頼がイケイケなら、家臣が反対してもそれを押さえられるくらい当主として権力が強かった、と理解していいのでしょうか?
524:人間七七四年
18/06/26 08:54:02.22 K8J11rZI.net
>>500
三方ヶ原では、家康は家臣・国衆への領地安堵の実力が試された。
長篠での勝頼は家臣・国衆への褒美を与える能力が試された。
525:人間七七四年
18/06/26 09:00:58.38 85or7Ssd.net
家康の場合は、家臣も武田になびいても冷や飯食い間違いないしむしろ尖兵として織田と戦わさせられた今川時代に戻るの間違いないし、家臣は家康支えるのに必死だよ
526:人間七七四年
18/06/26 09:12:40.39 K8J11rZI.net
>>500
三方ヶ原では、家康は家臣・国衆への領地安堵の実力が試された。
長篠での勝頼は家臣・国衆への褒美を与える能力が試された。
527:人間七七四年
18/06/26 19:42:22.72 PGLt+g+n.net
織田の援軍が間に合って長篠城を落とせなかったが、
それで、もし武田が退却していたら、
武田、或いは勝頼にどのくらいのマイナスがあっただろうか?
528:人間七七四年
18/06/26 20:26:34.73 rhzhm77Y.net
北条や徳川との戦いも決戦は避け、お互いに対峙しては兵を引くの繰り返ししてるからな
武田軍は退くと崩壊するみたいに妄想してる人がいるだけ
529:人間七七四年
18/06/26 20:39:00.94 85or7Ssd.net
武田は、勝頼は置物ですから。
530:人間七七四年
18/06/26 20:41:48.80 rhzhm77Y.net
>>514
勝頼が長篠の戦いにイケイケだったのは書状から確定してますから
531:人間七七四年
18/06/26 21:26:19.84 exvSi4QL.net
>>512
1540年に尼子晴久が吉田郡山城の戦いで吉田郡山城を落とせず、大内義隆の後詰のために敗れた時くらいの被害じゃないかな?
532:人間七七四年
18/06/26 21:41:05.32 PGLt+g+n.net
>>513
対峙してるだけで両軍引き上げるのは引き分け。
城落とせなくて、援軍が来たから引くのは逃げたも同然。
影響は逃げたけど負けではない。くらいのマイナスなのか、
それとも1万5千で城を落とせなかったから事実上の負けくらいのマイナスなのか。
533:人間七七四年
18/06/26 22:04:55.55 rhzhm77Y.net
>>517
長篠直後に城を徳川に何個も落とされてるけど崩壊しなかったけどな
それなのに退くだけで崩壊するとか滑稽すぎるw
534:人間七七四年
18/06/26 22:14:43.48 8C/ailRv.net
信長「勝頼は俺を見ただけで逃げ出したクソ雑魚www」
公家衆「まじかよ!日記に書いとこ、武田はクソ雑魚wwっと、地方大名にも武田はクソ雑魚って手紙書いとくか」
後世の俺ら「武田(勝頼)はクソ雑魚」
ってなりそうだけどな
535:人間七七四年
18/06/26 22:17:58.39 rhzhm77Y.net
>>519
長篠の大敗での当時の武田の糞雑魚っぷりより評価下がることはないと思うよw
536:人間七七四年
18/06/26 23:19:06.18 n9Ugkyt5.net
>>516
たしかに天文9年の吉田郡山城の戦いは参考になるかもね
吉田郡山城を囲んで小競り合いしながら後詰めに出てくる大内との決戦を狙っていたようだし
この前NHKでやってた千田さんと資料館の人が陣地を探索してたけど尼子が想像以上に大規模だった可能性が指摘されてた
尼子大内間の戦争が各地で繰り広げられてたのと同様に足助や美濃方面でも攻防があったから織田武田両軍が主力の割り振り方によっては決戦が起きなかったかもしれない
でも実際は両軍とも主力をぶつけて決戦する気満々だったし実際に決戦になった
漫画だけどセンゴクの長篠編で信長と勝頼が決戦を望んでる書状�
537:タべて紹介してたのは素晴らしいと思った
538:人間七七四年
18/06/27 00:06:51.21 DHgF8s9b.net
URLリンク(i.imgur.com)
設楽原まで行ったから織田徳川軍との距離が近く逃げられないから被害が出た
そして史実の退路は長篠城からも退路をふさがれて北になったからさらに被害が出た
設楽原に行かずに織田との距離があって織田が陣城築いてるうちに
武田は夜から撤退準備始めて最初から東に退路を取って来た道を帰っていれば余裕で退却できた
539:人間七七四年
18/06/27 00:22:24.99 tgPN0qTT.net
第4次川中島も実際は上杉軍が退却を開始したが霧のせいで方向を間違えて下山して
武田軍と偶然遭遇しの大事故の可能性もある
両軍大混乱に陥ったから信玄と謙信の一騎討ちは本当にあった可能性が高い
長篠・設楽原も両軍、実際は戦う気がなかった可能性もあるよ
川中島も実際は不慮の事故だったのを、創作して戦国随一の名勝負になった
長篠も織田は戦闘を避け威嚇程度で終わらせるはずだったとか
武田軍も実際、戦う意思があったのか?
日本に限らす中世の戦争は一つのミスの大事故のせいで起きたものが多い
540:人間七七四年
18/06/27 00:25:33.82 tgPN0qTT.net
退路は北だろう
だから武田軍は勝頼本体を安全に退却させるために
織田徳川が前進してこないように押し込む必要があった
要は退路を作るための突撃の可能性も高い
541:人間七七四年
18/06/27 00:27:43.32 rNwMGtTU.net
いいや、長篠は信長も勝頼も書状で戦う気あるの明らかだよ
具体的には信長は酒井別働隊により包囲殲滅することを書状で書いているし、勝頼はこちらから決戦挑むと書いていて実際そうなった
542:人間七七四年
18/06/27 00:34:03.94 rNwMGtTU.net
>>524
すぐ撤退するなら東からさっさと撤退出来る
追撃があるというなら長篠城の辺りにある砦に殿を置けば何の問題もない
そうしなかったのは言うまでもなく勝頼が決戦を志向したからだ
543:人間七七四年
18/06/27 00:48:06.78 DHgF8s9b.net
>>524
退路は東だぞ
北の退路は険しい山道で大軍が殺到して退却できる道ではない
544:人間七七四年
18/06/27 06:53:43.92 CGNA+xSi.net
>>518
文章をよく読めよ。
>>517は引いたら崩壊するなんていってない。
退却した場合の影響はどうかを言ってる。
例えば、退却したら、織田・徳川・ひょっとしたら奥平も加わって追い打ちをかけて
こないとも限らない。
追撃戦で武田にある程度の被害がでたら、武田は負けたと風評される可能性もある。
信長のことだから手取川の時よりも過大に風評されるかもしれない。
545:人間七七四年
18/06/27 06:56:50.27 CGNA+xSi.net
それと勝頼の求心力がどれくらい低下するのか。
城も落とせず逃げてしまったわけだからね。
546:人間七七四年
18/06/27 10:50:34.52 w+WMrPnT.net
>>529
尼子晴久が吉田郡山城攻めに失敗して出雲に逃げ帰った結果。
安芸武田氏は尼子晴久の支援を受けられなくなり、大内義隆と毛利元就に攻められて滅亡。
しんがりを務めた尼子久幸が戦死。
安芸、石見、備後の国衆の大半が大内義隆に寝返る。
ということになっている。
これを一列にするなら、
三河の国衆が徳川家に寝返る。
東美濃の国衆も動揺し、寝返る可能性大。
遠州方面は不明。寝返りも多少はあるか?
長篠から撤退する際、しんがりを犠牲にする必要がある。つまり幹部武将数名と、2000から3000の死傷者が出るのは覚悟しないといけない。
これくらいかな?
547:人間七七四年
18/06/27 13:10:21.06 DHgF8s9b.net
>>530
>>522をよく読�
548:ンなさい ・設楽原で被害が出たのは織田徳川軍との距離が近かったため ・本来の東の退路を塞がれ、挟撃される形となり退路が北の険しい山道になったため 織田徳川は陣城築いていて距離を詰めて来ない上に長篠周辺は道が狭いので守りやすい 信長公記にも設楽原に来なければ信長はどうしようもできなかったと言われる 距離は十分にある 一応言っておくが吉田郡山城の戦いは両軍お互いを攻撃しあって距離を詰めていたからな そして雪に退路を阻まれてたのもある 設楽原と同じ状況な
549:人間七七四年
18/06/27 13:25:35.94 w+WMrPnT.net
>>531
いくら夜でも、1万5000の大人数が隠密裏に撤退なんかできますか?
そもそも長篠城に押さえすら残さず撤退なんかできますか?
しんがりを置かずに撤退できますか?
距離があるとはいえ、無傷で撤退ができるとは思えません。
550:人間七七四年
18/06/27 13:30:52.88 +7oaapb7.net
>>532
織田は設楽が原から動こうとしてなかったし、山で大軍の移動は無理
追撃するかも怪しいし、砦に殿置けば撤退は余裕でしょう
551:人間七七四年
18/06/27 13:42:54.65 DHgF8s9b.net
>>532
長篠城周辺は狭く大軍で戦えないから設楽原という拓けた場所に信長が陣城築いたのももう忘れたのか
そして勝頼が設楽原にこなければ信長はどうしようもできなかったと信長公記にも言われてたのも忘れたのか?
552:人間七七四年
18/06/27 13:55:23.20 DHgF8s9b.net
>ひょっとしたら奥平も加わって追い打ちをかけて
>こないとも限らない。
>そもそも長篠城に押さえすら残さず撤退なんかできますか?
長谷堂城の戦いでは撤退する上杉軍を籠城側の最上軍が追撃したら返り討ちにあった話を知らないのかな?
数百しかない奥平の兵が追撃したら返り討ちだろう
むしろ追撃してきた奥平をそれで戦死させれば長篠城を落とせる可能性すらある
553:人間七七四年
18/06/27 15:03:55.43 JVJttnpV.net
明らかに劣勢だからこそ目の前に敵の総大将が戦場に出てきて陣を築き始めたら主戦派の強行意見が通るものだよ
554:人間七七四年
18/06/27 16:44:54.48 CGNA+xSi.net
>>535
奥平が単独で追撃できるわけないだろ。
織田・徳川に加わってと書いてあるだろう。
申し訳程度で50~100人くらいかもしれないしれないけどな
555:人間七七四年
18/06/27 17:34:27.43 +7yht7Vl.net
>>531
>織田徳川は陣城築いていて距離を詰めて来ない上
何度か書かれてるけど信長公記によるなら織田徳川は距離詰めてきてる。
織田徳川全軍が設楽原でずっと待ってたわけじゃないぞ
556:人間七七四年
18/06/27 19:44:19.37 DHgF8s9b.net
>>537
>>とりあえず>>522見ろ
長篠城周辺は狭く織田徳川の大軍がいきなりワープはできないだろ?
>>538
誘き寄せるために行ったのか河を渡らず交戦記録も無いけどな
信長公記をいうなら河を渡らず設楽原に行かなければ
信長はどうすることもできなかったと言うのも考えなさい
大軍を活かせるのが設楽原しかなかったんだから
557:人間七七四年
18/06/27 19:58:24.43 tnYZl+Pd.net
信長って刀根坂で朝倉を自ら追撃して壊滅させたノウハウがあるけど。
刀根坂もそんなに広くないけどあのざまだし。
そもそも、長篠周辺は敵地。それに大軍の利を生かせられないのは武田側も同じ。
織田、徳川が追撃してきたら、武田側はやはりしんがり部隊と他の部隊との連絡がとれるのかなあ。
攻める方と守る方の違いもあるし。
558:人間七七四年
18/06/27 20:12:57.76 /7P6piwE.net
そもそも援軍と城兵に挟まれた時点で武田が有利な戦場を選ぶ事は殆ど不可能
古今東西敗北必至の負けフラグ
救援軍が攻城軍の兵的劣勢を覆す例なら数多くあるが、
攻城軍の2倍の援軍が到着して攻城軍が勝利した例があったら教えてくれ
備中高松城水攻めはなしね
あれは城側が打って出れないから
559:人間七七四年
18/06/27 20:20:20.36 DHgF8s9b.net
>>540
刀根坂の戦死者数は誇大だけどね
しかも最初から風雨に紛れて信長自らが追撃することを目的に進軍して距離を詰めてるから
長篠の時の信長は陣城築いてそこから動かなかったから長篠とは全�
560:ュ違うんだけどな
561:人間七七四年
18/06/27 20:21:13.07 /7P6piwE.net
>>540
逃げるって事は兵卒は壊走するから士卒が踏みとどまって指揮して戦う
そうなると踏みとどまる士卒はどうしても戦死率が跳ね上がる
つまり武士階級の損耗が著しく増える
長篠の戦いは士卒の戦死率が尋常じゃない
例えば山縣戦死とみれば山縣を護衛していた武士階級も壊滅したと見るべきでその損耗は尋常ではない
562:人間七七四年
18/06/27 20:21:34.50 tnYZl+Pd.net
>>541
武田軍ってそもそも、砥石城で自軍の3分の1の村上軍に手痛い敗北しているんだよね。城側と後詰に挟まれた形になると兵力に関係なく、精神的な圧力が大きいのかなあ。
563:人間七七四年
18/06/27 21:05:25.73 +7yht7Vl.net
>>539
勝頼の書状と信長公記の記述から単純に考えるなら
対岸の有海原に布陣していた織田徳川軍を設楽原まで押し詰めていった、になるから
普通に戦いはあったんじゃないか?
564:人間七七四年
18/06/27 21:30:28.69 DHgF8s9b.net
>>545
たぶん勘違いしてるんだろうが
信長公記にも先陣は徳川家康が務め、ころみつ坂上の弾正山に陣を取った
ころみつ坂は設楽原と有海原の間な
対岸ですらない
565:人間七七四年
18/06/27 21:33:04.45 nynTRyq6.net
有海原をどことするかだな、狭い意味なら長篠城対岸だけど、有海原周辺とするともう少し後方も含む
566:人間七七四年
18/06/27 21:36:31.63 +7yht7Vl.net
>>547
有海原に打ち上げって書くぐらいだし
設楽原からは抜けてるんじゃ?
567:人間七七四年
18/06/27 21:37:26.51 DHgF8s9b.net
>>547
ころみつ坂は現存するからその上の山だからもう場所は限られてる
568:人間七七四年
18/06/27 21:43:29.07 wrcUFA/g.net
>>535
長谷堂って全然返り討ちになってないぞ。上杉は兵隊溶かしまくって、なんとか逃げただけ。
義光が撃たれたのは流れ弾に近い。
で、その後、上杉が何もできずに逃げ出した庄内地方を丸々最上が占領したわけだ。
569:人間七七四年
18/06/27 21:45:42.41 nynTRyq6.net
>>548
まあ勝頼に打ち向かいだから設楽が原よりは長篠城近くまで行っていたと考える方が自然だとは思うが
570:人間七七四年
18/06/27 21:46:29.40 JnCLIWgn.net
>>550
敵中で敗走してる相手に譜代にろくにダメージ与えれない時点で朝倉義景並の無能追撃だぞ
571:人間七七四年
18/06/27 21:54:56.29 DHgF8s9b.net
>>550
追撃したが最上にも損害が出て最終的には籠城戦が帳消しになる失態だぞ
殿軍の直江が称賛されるぐらいに
572:人間七七四年
18/06/27 22:02:34.66 tnYZl+Pd.net
>>552
兵力差を考えよう。
上杉は2万。最上は6000。
これで追撃してるんだから、敵の首脳は逃げれるだろう。
しかも会津にはまだ無傷の数万もいたし。
573:人間七七四年
18/06/27 22:05:19.19 h6byMNMK.net
じゃあ勝頼はどこで織田徳川有利な状況で戦えたのかな?
せっかく織田本人が出張ってきたこの時こそ、乾坤一擲の勝負だったはず。
574:人間七七四年
18/06/27 22:13:16.84 d1I1kFgO.net
長篠の戦いを決断した勝頼を批判するなら、
織田徳川連合(北条も含む)と、どこで決断出来たか
ご提示くださいませ。
575:人間七七四年
18/06/27 22:25:33.99 rNwMGtTU.net
小牧長久手の戦いの家康みたいに基本守りを固める
576:人間七七四年
18/06/28 00:11:21.00 rTpM5HjD.net
三増峠の戦いは一応は武田軍による小田原城攻城失敗からの甲斐への撤退
北条の後詰軍による追撃戦だからそれを参考にするのが良いんじゃね?
山県とか当時の重臣が生きてるなら可能
577:人間七七四年
18/06/28 02:35:20.38 oj5or28S.net
>>489
しかし、織田軍・上杉軍で、もし設楽原での穴山のような行動は絶対に許されないでしょ。
徳川でも許されない。
その他にも勝手に戦線離脱した隊もあった。
実は勝頼は武田内でも舐められていたのかもしれない。
仕切り力・カリスマ力は信長・謙信・家康に遠く及ばなかったのかもな。
578:人間七七四年
18/06/28 16:11:15.43 ryN4v0TX.net
だからこそ劣勢でも決戦に傾くものだよ人間というものは
579:人間七七四年
18/06/28 20:45:45.23 mljD4Ny6.net
>>556 決戦を徹底的に避けて、精強な武田軍という抑止力を維持するのも戦略。
580:人間七七四年
18/06/28 21:13:39.76 j0ve3VDX.net
そもそも長篠城を攻める必要があったのか?
平地の多い遠江方面から攻勢をかけるべきだった。
確かに長篠城奥平は武田から徳川に寝返ったが、武田方の国衆を守るなら国衆の城に援軍を置いておけば良かっただけ。
遠江方面で戦えば徳川も奥三河に兵を出せないし。
581:人間七七四年
18/06/28 21:24:05.42 XaJfgrwx.net
>>554
しかも籠城戦に至るまでの間、各地で小競り合いをしてじわじわ痛めつけられた後の6000だからな。
関ヶ原でけりがついたといっても、兵力を背景に和平交渉してから帰ればいいのに、
ビビっちまって庄内地方を投げ出した直江さん、さすがパネェっすwww
582:人間七七四年
18/06/28 21:24:33.99 oxDt6yP+.net
長篠は一応遠江北三河に通じる交通の要所
583:人間七七四年
18/06/28 21:57:17.05 rTpM5HjD.net
>>563
さっさと兵を退いたのはむしろナイス判断じゃね?
兵をいつまでも残して圧力掛けてると
結城秀康と最上の心証が悪くなって潰されてたかもしれない
速攻で秀康に謝罪し、家康に許しを得るためにはごねては心証が悪くなる
584:人間七七四年
18/06/29 00:19:49.19 Sr2B/zQE.net
織田兵が武田兵より弱いというのはあるのかな?
585:人間七七四年
18/06/29 16:43:19.88 aPSLQ9cr.net
>>566
あるのは貧富の差から生じる意識の差
勝たなきゃ明日から苦しい思いする甲信兵と日本屈指の豊かな土地を持つ濃尾兵では当然意識の違いはでる
当然気候の違いに対しては強弱でるだろうな
586:人間七七四年
18/06/29 19:42:20.75 qPzay8O/.net
だからって、15000が38000に野戦を挑むとか、あまりに相手を見くびっているとしか思えんな。
それと今日は長篠合戦の日だな。
587:人間七七四年
18/06/29 19:45:21.78 IriLwqe/.net
おまえらの人生の長篠の戦いは勝利出来そうか?
588:人間七七四年
18/06/29 19:52:28.97 2vCbKkwU.net
雨が降っていたから設楽原に進軍したけど
設楽原に着いたら雨が止んだという晴れ男勝頼
589:人間七七四年
18/06/29 20:09:41.06 Ui7PcWtL.net
>>559
勝頼は武田の後をついで、まだ2年くらいしか経ってない。
ベテラン社長の信長・家康・謙信と比べるのは可哀そう。
590:人間七七四年
18/06/29 20:20:38.90 gO+JJxwI.net
もし雨が降ってたら武田は勝てた?
591:人間七七四年
18/06/29 20:53:42.80 2vCbKkwU.net
>>572
兵数が違うので…
むしろ設楽原は田んぼとかあったらしいんで
むしろ雨が降ってぬかるんでいたのも敗因の説も
592:人間七七四年
18/06/29 21:38:05.91 JdKslDW3.net
>>539
>>545
今は決戦の日より前に有海原で織田先陣と武田で戦いが起こったが通説では?
593:人間七七四年
18/06/29 21:50:53.68 6lChl/uO.net
秀吉が負けたから信長公記には有海原まで進出したことは書かれても、そこからどう撤退したかは書かれてないとか読んだ記憶あるな。
594:人間七七四年
18/06/30 00:13:05.70 sqh8wSky.net
>>574
どこの通説だよ
ころみつ坂の上の山に陣取って長篠城籠城兵に援軍が来たことを知らせたのが通説でしょ
深入りして交戦して退却したなら追撃されて死傷者多数どころか名ある武将が討ち取られても仕方ない
信長公記には長篠の戦いよって織田徳川軍は大利を得て、
味方の損害を出すことなくしてこれほどまでに完璧に強敵を打ち砕いた例はかつてなく、
その武勇は冥加の至りと書いてあるだけ
595:人間七七四年
18/06/30 10:36:57.84 MLyr3zth.net
>>576
20世紀かよ
596:人間七七四年
18/06/30 14:11:32.01 CgKoprbQ.net
>>576
信長公記には有海原に布陣してることが書かれてるから一度読んでみ
597:人間七七四年
18/06/30 14:25:41.41 sqh8wSky.net
>>576-577
先陣はコロミツ坂の上の山に家康が陣を取るって書かれて
コロミツ坂は一応有海原な
当時は有海原をどこまでの範囲で呼んだか分からんが
コロミツ坂の上の山に「先陣は」家康って確定してるんだよ
598:人間七七四年
18/06/30 15:09:14.28 BiXFZQ/8.net
上でも書いたが有海原はあの辺一帯も含むことある
599:人間七七四年
18/06/30 15:10:50.71 j9nHac6t.net
>>579
その後に滝川らが有海原に押し出しって書いてるだろが
600:人間七七四年
18/06/30 15:16:49.79 sqh8wSky.net
>>581
有海原の位置を根本的に間違ってるんだろうな
現地の地図が乗ってるサイトちょっと探してくるから待ってろ
601:人間七七四年
18/06/30 15:24:28.32 sqh8wSky.net
>>581
URLリンク(www.geocities.jp)
これな
設楽原と思ってる下一帯まで有海原だ
有海原に討ち出てと言っても有海原は設楽原決戦場に近い
602:人間七七四年
18/06/30 15:42:42.71 sqh8wSky.net
有海原に押し出し=設楽原から有海原の入り口に差し掛かる
先陣は家康なんだから先陣の意味を知ってるなら家康の前に出ると思うわけないよね
603:人間七七四年
18/06/30 16:20:55.58 czaQgkHu.net
長篠の敗戦でもし、内藤、馬場、山縣の大幹部が生きていたなら、武田家は立て直しができて穴山や信豊ごときが幅をきかすことも無かったのだろうか?
604:人間七七四年
18/06/30 16:36:08.81 iBX8YXxD.net
少なくとも山縣が生きてれば、穴山が後釜ではなくなるならなぁ
馬場はすぐ寿命を迎えそうだが
605:人間七七四年
18/06/30 16:46:38.18 6R/pFG6V.net
>>583
コロミツ坂が有海原に含まれるなら、わざわざ有海原に押し出すとは書かないんじゃないか?
606:人間七七四年
18/06/30 16:47:14.22 /IoZ6zOJ.net
馬場さんは嫡男とその子も含めて3代みな討死したという説あるのよね
山縣も嫡男(三枝からの養子)が討死
ほんとどうしようもない敗戦
607:人間七七四年
18/06/30 16:51:23.36 sqh8wSky.net
>>587
>>584読んで
先陣の意味を調べなさい
608:人間七七四年
18/06/30 17:07:43.81 o7wxqQs/.net
>>583
この地図だと家康が布陣したコロミツ坂が長篠城対岸だけど、コロミツ坂も現在とは名前違うんだっけ?
609:人間七七四年
18/06/30 17:33:23.40 sqh8wSky.net
>>590
君が現地に行ってないから分からないかもしれないが
信長公記にも書いてあるように有海原は、左手は鳳来寺山から西に太山が連なり、また右手は鳶の巣山から西に続く深山
と書いてあるように有海原は山が連なっている所で
山と山の間の低い丘みたいなところがころみつ坂だ
現地に行ってみれば武田軍から見えない理由がよく分かる
ボイントになってるころみつ坂の場所が坂下な
普通に考えて坂がそんなポイントの範囲なわけないのも分からんか?
610:人間七七四年
18/06/30 18:07:32.98 8rIHutlR.net
重臣の一族郎党が踏みとどまって戦わないとどうしようもない敗戦敗走なのに○○が生きてたらとか虚しいだけやろ
主君のために殿努めて死ぬのも名誉だったしな
山縣や馬場、内藤等が帰ってきても割と虚しいだけやろ
611:穴山や小山田みたいにならない保証なんてどこにもないぞ
612:人間七七四年
18/06/30 18:27:01.55 es3ziRZ8.net
誰か参加する人いるか?
URLリンク(second-academy.com)
613:人間七七四年
18/06/30 18:56:38.66 es3ziRZ8.net
>>574
それ今どうなってるんだろ?
90年代後半から10年ぐらいはよく見かけたが
数年前に出た平山氏の長篠本は長篠に到るまでのことは一切言及しないで
決戦当日に絞った本だったが(武田が弾薬や弾の確保に苦労していたとか書かれてる本)
>>583
最低でも設楽原の陣地群から誰かが出撃ぐらいはしてるはず
出ないと武田側の記録の陣地に追い詰めたとはならないだろうから
>>590
原文は○○山のたつみつ坂だったと思う
決戦時その山に信長が移動しているから
当時同じ名前の山が近所に二つあったとかでもない限り
現在のコロミツ坂とは別
614:人間七七四年
18/06/30 19:00:44.14 es3ziRZ8.net
>>585
>>586
大幹部が大量に死んで、しかも徳川織田はすぐさま反撃に出ているという状況で
後釜を悠長に選んだり育てたりするような時間なかったろうし
直轄領増やすとかよりも、多少のデメリットがあろうと
さっさと後釜用意して備えないとって感じだったかもしれないしな
615:人間七七四年
18/06/30 19:23:15.72 YRttNN+F.net
>>593
上の説明と講義1回分使ってるからいわゆる鳥居強右衛門の磔像はどっちが上かって最近議論になってたからその話をするんだろうな
史料編纂所の人でもあるし信長公記の定本を刊行しようとしてる金子さんだからおすすめ
616:人間七七四年
18/06/30 19:36:55.31 sqh8wSky.net
>>594
いや、ころみつ坂で合ってるよ
交戦記録がないのに交戦したはもっと有り得ないけどね
しかも交戦するくらいの距離を詰めて武田軍が追撃したならかなり死傷者が出てるはずなのに記録がない
長篠城側籠城兵に援軍が来たことを知らせるためコロミツ坂の上に家康が陣を取り知らせたってのが通説ね
>追い詰めたとはならないだろうから
勝頼の書状
然らば長篠の地取詰候のところ、信長・家康後詰として出張候といえども、さし指たる儀もなく対陣に及び候。
敵手立ての術を失い、一段逼迫の体に候の条、無二に彼の陣へ乗り懸り、信長・家康両敵共、この度本意を達すべき儀、案の内に候。
↓訳
しからば、家康の長篠城を包囲したところ、信長と家康が後詰としてやってきたが、これというほどの事もなく対陣している。
しかし敵は手段に窮して縮こまっている有様であるから、一気に彼の陣へ突撃し、信長・家康の討ち取ることもたやすかろう。
追い詰めた?対陣して織田徳川が手段に窮して縮こまっているように見えるからこっちから攻撃したるわ!
って話だろ?
どこに敵を撃破して追撃したって書いてあるんだ?
617:人間七七四年
18/06/30 20:23:46.85 o7wxqQs/.net
>>594
> >>574
> それ今どうなってるんだろ?
> 90年代後半から10年ぐらいはよく見かけたが
細川宛の手紙の解釈で解釈間違いがあったとかの時のか?
この間、と言っても五年以上前だと思うが
歴史群像では織田の先陣が攻撃しに行った
ことになっていたが
論文ではそもそもその辺に言及したのがまずないような
618:人間七七四年
18/07/01 00:30:05.54 gQgDQcPw.net
その辺ってアレだろ
信長公記や書状などの資料無視して織田徳川連合軍に戦死者6000人出て
織田徳川連合軍は辛勝だったというとんでも論が出てた頃だな
どこで織田徳川連合に戦死者がそんなに出たんだよって話になったら
設楽原決戦前に野戦して織田徳川連合軍が6000人討ち取られたっていう長篠日記�
619:セったか 武田軍も退却するときに前が詰まり、後続の者が長刀で前を行く味方の首を処ね倒していって被害が拡大したとか 例の荒らしの菅沼だかがゴリ押ししてきた怪しい出典ソース 武田で1万、織田徳川連合6000人の計1万6000人の屍が設楽原を埋め尽くしてたのかと 内容をほとんどの人に笑われて相手にされてなかったな それを今でも断片的に拾ってくる奴がまだいるってことかw
620:人間七七四年
18/07/01 01:04:09.39 p4I3fFjl.net
>>599
っか、信長勢6000人死んで士卒の戦死0は流石にやばい
どんな戦い方したらそうなるんや
指揮官が余程臆病で兵卒が脳筋突撃なのか?
621:人間七七四年
18/07/01 06:51:41.73 4xihXSc1.net
>>600
織田、徳川がそんなに戦死したなら、あり得るのは陣城から出てきた時だと思うが、そんなに戦死するものかな?
622:人間七七四年
18/07/01 08:37:10.39 G4k2+wyN.net
>>599
18日に小競り合いだかそれなりに戦闘があっただかは
もっと前じゃなかった?
菅沼はここ十年ぐらいのことだし。
623:人間七七四年
18/07/01 13:08:06.98 gQgDQcPw.net
>>602
その菅沼が長篠日記で6000人の戦死者があったという野戦を証明しようとしても見付からず
決戦当日の突撃前の日の出からの小競り合いを
その決戦日の前の野戦のことと捏造しようとして叩かれて
今に至る、と
624:人間七七四年
18/07/01 14:00:00.01 CUw+VVsp.net
>>602
菅沼なら、【信玄】武田氏総合スレッド【勝頼】にいるけど? あそこで暴れてるぞ相変わらず。
625:人間七七四年
18/07/01 21:10:14.20 gQgDQcPw.net
長篠の戦いは織田徳川連合が辛勝説(織田徳川連合6000人討ち死)
設楽原決戦は無かった説
武田騎馬隊は無かった説
長篠城をわざと落とさなかった説
etc…
どれも戦国ブームに乗じて本を売るためにろくに調べないで出鱈目吹いて回ってた時代だから
黒歴史として無かったことにしても良い
626:人間七七四年
18/07/01 21:20:01.34 JqRkpr55.net
長篠で死んだ織田・徳川方の指揮官クラスの武将って1人もいないの?
627:人間七七四年
18/07/01 21:33:14.71 VFgBti4z.net
>>606
松平伊忠(松平家忠の父親)が酒井忠次の別働隊に参加して、逆に討ち死にしている。それくらいじゃなかったかな?
628:人間七七四年
18/07/02 05:16:36.93 ihVFVV3J.net
じゃあ織田・徳川で砦奇襲部隊だった酒井隊くらいなのか激戦と呼べるような戦いをしていたのは
あとは楽勝&一方的だった、と
629:人間七七四年
18/07/02 07:07:27.47 3djvfyqW.net
山家三方衆の家譜では奇襲攻撃を受けた武田方は、それでも善戦し、
鳶ヶ巣山砦では武田信実らと酒井軍が砦を奪い合い、
武田信実らは砦を三度奪い返したが四度目の防衛戦で討死
武田信実討死で長篠城包囲軍は瓦解し、乗本から久間方面に逃げようとした兵たちは
樋田、伊原で待ち伏せていた設楽貞通の軍勢に討ち取られた
長篠城から突出した奥平信昌の城兵数百は、松平景忠らとともに敗残兵を追撃して内金で戦い、大野まで追った
松平伊忠は退却する武田軍を追ったが深入りしすぎ、小山田昌行から猛反撃を受けて戦死
630:人間七七四年
18/07/02 18:24:31.37 wztIioSB.net
>>609
硫黄島の戦いで摺鉢山を奪い合いしてるやつみたいだな
有名なアメリカが旗立ててる写真のやつ
631:人間七七四年
18/07/02 23:40:02.80 xVvHb5hl.net
長篠日記とか信じてるのか…
6000人の死者とか信じてるのか…
632:人間七七四年
18/07/02 23:42:19.
633:40 ID:xVvHb5hl.net
634:人間七七四年
18/07/03 12:33:17.84 QFBYTuzN.net
>>594
武田の記録ではなく細川あての鉄砲放手の間違いのやつじゃないのか?
635:人間七七四年
18/07/03 23:31:29.81 qop0klfi.net
>>574
資料がないから通説で通そうとしても通説にはならないんだよな
636:大戦略好き
18/07/13 19:31:35.97 gVYlxcNAS
設楽原に展開した織田徳川連合軍2万と武田軍実数6000人が
衝突をして人数の微妙な武田軍が8時間も善戦が出来たのは
鉄砲対策の鉄板の盾があったからでありそれにもかかわらず
武田の宿将が多く討死をしたのは織田徳川の鉄砲隊が馬に乗ってい
る大将ばかり狙っていたからである
637:機動戦士ガンダム好き
18/07/13 19:34:56.48 gVYlxcNAS
設楽原合戦での武田軍の多くの死者は約1千人ほどとそれほど
多くないものだがその多くは織田徳川軍の予想の超えた柵の
効果であり人数の多さのために善戦をしていたものの撤退を
せずにはいられなかった
638:機動戦士ガンダム好き
18/07/13 19:38:40.65 gVYlxcNAS
その撤退を始めた武田軍を見て手柄を立てていない織田徳川軍の
将兵がここぞとばかり逃げる武田軍の騎乗の宿将を狙って
追いかけまわしたのが原因で武田軍の宿将の多くが打ち取られた
639:人間七七四年
18/07/31 13:40:15.76 xOGEBbHS.net
実際、何人死んだんだろうね。
640:人間七七四年
18/08/08 22:46:06.84 F6XUufGV.net
>>618
織田、徳川連合軍は7千、武田軍は15000ぐらいと言われている。
武田軍はこの戦いで事実上滅亡している。
641:人間七七四年
18/08/08 23:30:12.92 vaH/t3Z+.net
武田軍15000人と言われてるのに15000人死んじゃったのか
642:人間七七四年
18/08/08 23:45:15.91 5uqwKD0p.net
武田軍の死者は1000人で退却戦の時に集中しているという
643:人間七七四年
18/08/09 13:38:59.25 qai5NBjr.net
>>620
ワロタ
644:人間七七四年
18/08/09 19:08:14.22 TkwMRqC4.net
全軍の一割程度やろ
問題は武士階級が大量に戦死したことやろ
645:人間七七四年
18/08/10 11:28:20.67 CQFeS8vJ.net
我先にと逃げ出すのは末端の兵士で
現場に踏みとどまってなんとかしようとするのが指揮官だからな
646:人間七七四年
18/08/10 12:16:39.89 0jNqMaTi.net
関ヶ原では、指揮官クラスの武将の大半を秀忠軍につけ、家康自らは旗本ばかりひきつれてきたため指揮をとる武将が不足していて困っていた。
このように、兵がたくさんいても総大将の下に指揮官がいないと戦の遂行が困難になる
武田軍は、兵卒の戦死が1000人で済んでも、指揮官の大半が戦死してしまっては、今後武田軍をどう動かすかという難題にぶつかるのである
647:人間七七四年
18/08/11 10:17:59.82 DZ3iUKEC.net
困っていた。って根拠あるの?
648:人間七七四年
18/08/11 16:13:19.76 iqvZcdzF.net
>>619
事実上滅亡しているとか
自分の印象だけでさも事実かのように言ってないで、ちゃんと学識のある研究者の本とか読んでから判断しなよ
貴方は無知を晒してるだけだからさ
649:人間七七四年
18/08/18 22:44:56.99 VLUoJWeO.net
>>627
事実上滅亡したではないか。
武田がゾンビと化したことで、信長は東部戦線を殆ど省みる必要が
なくなったからな。そして、武田勝頼は二度と信長を脅かすことは
なかった。長篠以前は家康に優勢だったが、その後は家康相手にも
劣勢→撤退を繰り返し、やがて高天神城が孤立し包囲されることになる。
それにも、満足に援兵を送れなかった。
ゾンビ大名そのものではないか。武田が事実上長いので滅亡したと
言ってどこが間違っているんだ?
言っておくが、北条相手に上野を荒らした、などという恥ずかしいことは
言わないように。北条氏政は父も認めた愚将で、ゾンビ武田家にも劣る
カスだったからだ。
650:人間七七四年
18/08/18 22:54:49.21 VLUoJWeO.net
もう一つ、大賀(大岡)弥四郎と言えば外国(武田勝頼)と通謀して武力を
行使させた例として、日本の刑法で外患誘致罪の判例に今でも使われ、
刑法を習ったもので知らなければ潜りと言われる程の有名人だが、
この外患誘致罪の共犯、築山が処分される機会を待っていた。
信長は家康に築山の処罰を命じたのも、武田が衰えきっており、徳川家の
武田派を粛清して、徳川家が混乱しても、東部戦線で何ら影響がないと
判断したからだ。つまり、武田家は信長にそこまで「舐められて」いたのだ。
その証拠としての信康事件が発生している。
余談だが、信康が処分されたのは、外患誘致という刑法の最高犯罪を行った
母親を知っていながら処分できなかった、いわゆる「マキャベリズムの欠如」
が理由だ。
651:人間七七四年
18/08/18 23:47:07.63 yRPtpvrE.net
出たなゾンビくん
菅沼に次いで二番目くらいに有名人
「武田氏滅亡」平山優
くらいは読んでるんだよね
関東派兵以外でも御館の乱でキーパーソンになっていたり軍事力としては相当な規模を残してるんだけどね
敗戦で失ったものとしては経済的な損失の方が大きい
652:人間七七四年
18/08/19 00:11:04.76 qYbn2N5C.net
>>630
残念だが長篠の戦いで、武田家は将兵ともにほぼ壊滅しているよ。
で、長篠後、ゾンビと化した武田勝頼が何をしたかというと、将については
代替わりをさせ、経験値の低い若造に後を継がせ、兵については無理な
徴兵をおこなった。
しかし、上手くいくはずがなく、量で見繕っても質では目を覆わんばかりの
酷いものだった。二度と長篠前の勢いを取り戻すことはなかったし、二度と
信長を脅かすこともなかった。
更にこの無理が領内の怨嗟を招き、1582年には信長の協力者が後を
絶たなかった。
内容はボロボロだったんだよ。
結論として、強豪大名としての武田家は長篠で終わったんだよ。
武田家が7年間も持ったのは、畿内平定を果たしていない信長にとって、
生産性の低い武田領の戦略的価値は畿内より低く、優先順位が低かった、
それだけ。
武田勝頼は信長の都合によって7年間生かされていたに過ぎなかったんだよ。
653:人間七七四年
18/08/19 00:20:23.56 qYbn2N5C.net
信長がゾンビ大名と化した武田勝頼を生かした理由はもう一つある。
長篠後の武田勝頼を滅ぼすことは可能だったが(信長はもちろんのこと、
家康独力でも多分可能だった)、あえてしなかった理由は、武田勝頼を
滅ぼした隙に北条や上杉が乱入し、旧武田領がカオスになることを信長は
予見し、それならゾンビでも武田勝頼を存続させて、周辺勢力を牽制させ
時間稼ぎをした方が、畿内をまだ鎮めていない信長にとっては好都合だ、
という判断だ。
武田勝頼は信長の予想通り、恐らくは信長が全く期待していなかったほど
までに北条と上杉相手に善戦した。
畿内で苦戦していた信長にとって、信長に操られたマリオネットであることも
自覚しない哀れな武田勝頼の善戦は、物凄くうれしい誤算だっただろう。
654:人間七七四年
18/08/19 12:40:36.79 SbdMb23Z.net
信長に力がなかったってことでしょ
655:人間七七四年
18/08/19 19:50:05.47 6MObZTYK.net
>>633
戦略的理由と言って欲しいな。
信長が武田を滅ぼさなかったのは、戦略的に下策だったからで、
「武田を滅ぼす力」単体で検証すると、長篠以降は余裕であったからね。
656:人間七七四年
18/08/19 19:53:06.71 1QSlno3y.net
ゾンビくんキター
657:MCJ好き
18/08/21 05:38:21.63 i3cVjOu65
信長も設楽原の戦いでたくさんの部下を死なせているので
軍事費を大量に消費をしていましたですし何しろ信長は
6男の御坊丸を人質にとられているのであまり勝頼を
怒らせたくなかったのだが現状でしょうね^^;
658:人間七七四年
18/08/21 19:41:31.62 tj8nnv6Q.net
何処までも続くループ 終わらない稚拙なループ
いつでも武田はゾンビ 終わらない武田ゾンビ
659:人間七七四年
18/08/21 23:15:14.55 IqW2a4uA.net
>>188
信長が武田と戦いたくなくて城落ち期待してあり得ないほどゆっくり行軍してたんでしょ?
で、行きはのんびりだったのに落ちたと聞いたら速攻で引き返したとかだったはずw
長篠城も、織田と戦いたい武田が落とすと帰っちゃうから伸ばしたって話も有力らしいし
初期にかなりの所に追い詰めていながらその後の攻略は相当遅いらしいよね
660:人間七七四年
18/08/22 00:49:33.72 Nhg8OVvM.net
武田が生かされた理由は流石にゾンビ君が的を得てるぞ…残念ながらな
信長が後年手紙に書いてるけど関東地方なんて「つまらない土地」なんだよ
中央への影響力も皆無、その上徳川相手に一進一退となれば武田なんぞに出兵する意味がない
661:人間七七四年
18/08/22 06:40:15.64 VkUTI/Lj.net
>>638
>長篠城も、織田と戦いたい武田が落とすと帰っちゃうから伸ばしたって話も有力らしいし
ゾンビ君のがまだ正解なんだよな
>>461あたりから読みなおして
662:人間七七四年
18/08/24 18:48:27.52 oID/sfD6.net
>>632
言い方変えれば信長は武田を攻める余裕がなかっただけ。素直に解釈しろよ。
663:人間七七四年
18/08/24 18:50:17.21 oID/sfD6.net
>>631
単に平山さんの本程度でこんなくだらない決めつけはつまらないな。若造って言うけどいい歳だぞ(笑)
664:人間七七四年
18/08/25 17:39:24.57 b5emLdyn.net
首脳陣がもう老将といっていい年代ばかりで
次世代が継いだだけだからな
>>641
散々多方面戦略やっといて武田だけ後回しでいいやって
都合のいい解釈だな。
過去の戦略を見ても、最晩年までは
敵を絞るために和睦・停戦なんでもありで
一部の敵を後回しにして、その間に弱いとこから各個撃破なんて
何度も信長やってるだろ
弱体化したとはいえ、ほっとけば多少は盛り返すんだから
武田を追い込む余力があったらやってるよ
それをするにはまだ他に敵もいるし時期尚早と思ったから
万全を期したんだろ。ああ見えて信長慎重派だから
665:人間七七四年
18/08/25 18:46:26.20 9+yG7zOY.net
織田が本気で武田攻めればもっとはやく滅ぼせただろうけど
畿内の方が重要だからな
666:人間七七四年
18/08/25 22:24:11.30 7NFqqNrH.net
>>643
>散々多方面戦略やっといて武田だけ後回しでいいやって
>都合のいい解釈だな。
武田は長篠で壊滅した。主要な将と連れてきた万の兵が90%以上
屍となり、信濃に戻ったのは数えるほどしかいなかった。
こ�
667:アまで徹底的に壊滅すると、もう反抗する力はなく、家康単独で 十分と判断したんだろ。その判断は間違えていないし。 ご都合守護どころか、実に合理的な判断だ。 >弱体化したとはいえ、ほっとけば多少は盛り返すんだから >武田を追い込む余力があったらやってるよ 盛り返さなかったけどね。長篠で華麗に壊滅して、再起不能となり、 二度と信長と刃を向けることが出来なかった。 家康の相手が精一杯(それも劣勢)。 そんな時に北条を敵に回すなどの「多方面作戦」を愚かにもやって しまったのが武田勝頼の方だ。
668:人間七七四年
18/08/25 22:25:33.14 7NFqqNrH.net
何度も言うが、武田勝頼は長篠で事実上滅亡し、ゾンビ大名と
なったという事実を抜きにして、何も語ることは出来ない。
669:人間七七四年
18/08/25 22:26:48.31 lH7umDtV.net
ゾンビ大名ってなに
670:人間七七四年
18/08/25 22:31:13.71 7NFqqNrH.net
>>647
[ゾンビ企業]
経営が破綻しているにもかかわらず、銀行や政府機関の支援によって
存続している企業・会社のことである。(Wikipedia)
[ゾンビ大名]
既に壊滅して存続できない状態なのに、周辺の地政学的事情により
生かされている大名のこと。長篠以降の武田勝頼が典型。
671:人間七七四年
18/08/25 22:49:51.29 lH7umDtV.net
ふーん。つまんない造語だね
672:人間七七四年
18/08/26 02:04:09.73 ubDmRqbA.net
頭の弱いのが必死に頑張ったのにそれは気の毒すぎる
673:人間七七四年
18/08/26 15:13:04.99 a4Qr6AhX.net
>>645
その90%以上というのは具体的にはどういった史料に基づいた情報なのですか?
根拠はありますか?
674:人間七七四年
18/08/26 15:20:39.74 kc4RYPft.net
【24マラソン、2000万】 障害者はタダ働き <世界教師マiトレーヤ「偽善暴く」> 芸能人はボロ儲け
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675:人間七七四年
18/08/26 15:47:38.01 3I8nYXxe.net
>>651
一応軍鑑に優秀な武士の内99パーセントだか98パーセント死んだってのはあるな
676:人間七七四年
18/08/26 20:12:51.40 dkzYOdBm.net
>>653
わかりやすい嘘をつくなよ
677:人間七七四年
18/08/26 20:19:34.32 dkzYOdBm.net
>>648
それ説明になってないよ
壊滅してないし存続できているから前提条件からして間違っている
678:人間七七四年
18/08/26 20:52:25.80 ejgaxCJz.net
>>653
長篠の合戦が載っている甲陽軍鑑品第五十三を見ても該当する箇所がわからなかった
すまないが原文引いてもらっていいかな?
まさか大形とか悉くってところを98だか99%なんて自分基準で読み替えているなんてことはないよね?
679:人間七七四年
18/08/26 22:54:20.64 f0iCavqu.net
>>656
菅沼かよw
680:人間七七四年
18/08/26 23:39:44.63 dkzYOdBm.net
>>656
98だか99%を表現する言葉がないのにそんなこと言ってるからふざけてるのは一目瞭然
真面目に相手するだけ無駄だよ
681:人間七七四年
18/08/27 07:29:50.08 PYMCsEbb.net
総兵力500の小城なんか1週間で落とせよ
そして裏切り者奥平一族の首を獄門台にならべてさっさと帰国すりゃよかったんだ
682:人間七七四年
18/08/27 08:00:43.53 TUX9I4hD.net
1600年になっても鉄砲配置して徹底抗戦されると小城小兵力でも容易に落とせない
勿論勝頼には被害覚悟で力攻めする覚悟も国力もない
それこそある程度天下の定まった秀吉時代から被害覚悟の力攻めが多様される様になった
683:人間七七四年
18/08/27 08:01:29.29 GydnMjnC.net
この流れなら言える
積翠寺
684:人間七七四年
18/08/27 12:46:08.87 ztByvmAq.net
>>660
被害覚悟の力攻めした伏見城の戦いは死傷者2~3000人程出て2週間近く掛かって大損害だった上に
4万の軍勢も2週間足止めされたんだけどね
685:人間七七四年
18/08/27 13:57:24.45 doG41TDA.net
>>415
だから徳川に絞って攻め立てたじゃん
徳川は単独で武田と当たるつもりなかったから織田を呼んだわけで
和睦も相手あってのことだし、色々と情勢無視してるな
686:人間七七四年
18/08/27 14:06:44.43 doG41TDA.net
>>628
このゾンビくんは北条の汁かけ飯の逸話とか、信康事件のこととか昔からの俗説をいまだに事実と勘違いしているようなレベルだからゾンビの件も含めて説得力ゼロだな
てかゾンビって言いたいだけだろ
687:人間七七四年
18/08/27 19:16:54.12 SKOKM3+2.net
>>660
信州上田城を落とせず足止めを食らって関が原に遅参したアホもいたね
688:人間七七四年
18/08/27 20:59:36.23 TUX9I4hD.net
あれは別に上田城関係なく間に合わないよね
689:人間七七四年
18/08/27 23:31:28.28 +NV0Q0S5.net
>>665
あいつは馬鹿息子だからな
690:人間七七四年
18/08/28 06:44:24.91 Eu2YndcG.net
大坂の陣にダッシュで駆けつけたのはしょーもない阿呆だけど関ヶ原の遅参は運が無かっただけでしょ
流石にあれは誰がやっても遅参する
691:人間七七四年
18/08/28 11:11:57.68 aqk6CT4y.net
素通りしてりゃ間に合うじゃん
真田に背後襲われるのが怖いなら応分の人数残せばいいだけの話
1/10も残せばお釣り来るんじゃないの
692:人間七七四年
18/08/28 16:31:20.60 Fuqvup5I.net
おいおい遅参しまくりの島津さんを貶すのはやめてさしあげろ
693:人間七七四年
18/08/28 18:25:08.15 5YGZfylO.net
家臣がゆうこと聞かないからしょーがねーじゃん?
694:人間七七四年
18/08/29 08:41:53.41 8C31Ewun.net
それじゃあ島津ダメ大名じゃん
695:人間七七四年
18/08/29 18:40:40.47 EWJ4T+8q.net
>>645
>万の兵が90%以上屍となり
ここで読むのやめてもよかったんだが…ツッコミどころ多過ぎなので
>ここまで徹底的に壊滅すると、もう反抗する力はなく、家康単独で十分と判断したんだろ
9割壊滅して立ち直れない武田に長篠後も武田を滅ぼすどころか
ちょいちょい城落とされてる徳川はどんだけ雑魚なの?
>盛り返さなかったけどね
信長と真正面から決戦するような体力はないが
徳川単体ならやれてるやんけ
9割壊滅して徳川とどっこいの戦いできるなら徳川はどれだけ(以下略
>北条を敵に回すなどの「多方面作戦」を
結果論であって、上杉が北条より同盟者として期待できると踏んだのは仕方がない
敵対してる織田徳川と友好関係にある北条なんて当てにできないだろ
どっちみち織田徳川が存命な限り、北条とは遅かれ早かれ敵対しとるわ
696:人間七七四年
18/08/29 23:40:38.25 UrwhShYc.net
>>673
横からで悪いが
1578年8月19日、勝頼と景勝は起請文を交わす
・北条勢の信濃通過をさせない
・景勝と縁組を行う
・景勝・景虎の和平が理由なく破綻したら和睦破棄する
※景虎自害後もなぜか勝頼は景勝支援
↓
1578年9月下旬、景勝は上杉領の妻有城を武田氏に譲渡
妻有城は坂戸城と信濃を結ぶ位置にあり、
妻有城を廻り武田勢と北条勢を交戦させることを画策
8月19日の起請文に北条勢を通過させないことを約束させたために
北条勢は坂戸城を落としてから入越せざるを得なくなり、
上杉側も坂戸城に兵を集結するだけで良くなった
↓
上杉憲政が景虎の嫡男・道満丸を連れて和議を申し出て御館から出てきた所を切られ死亡
景勝「急に出てきたから敵かと思って切っちゃったわ、ごめんごめん」
↓
1579年3月24日 景虎が自害し御館の乱が景勝の勝利で終結
景勝は勝頼に上野(沼田・厩橋等)と北信濃の旧上杉領を譲る
※沼田城は後北条氏に制圧されてます
後北条氏に取られてるのに武田に譲るというミラクルな話術で
武田と北条を交戦させることに成功し、甲相同盟を決裂させる
むしろ内乱でボロボロの上杉なんて敵にして放って置いても攻めて来れないし
勝頼は景勝に上手いように使われただけでしょ
697:人間七七四年
18/08/29 23:49:49.23 UrwhShYc.net
>>673
>敵対してる織田徳川と友好関係にある北条なんて当てにできないだろ
あとこれも間違ってる
1572年の信玄の西上作戦に北条は2000~3000の兵を送っている
織田徳川とは友好関係ではなかった
御館の乱後の甲相同盟破綻してから武田に攻められたから織田徳川を頼った
698:人間七七四年
18/08/30 04:56:54.83 ChkDDv1y.net
>>674
横からすまんが内乱で国力は低下したがこの時点ではまだ景勝には期待できたのでは…
問題は景勝のくそみたいな戦後処理に問題があると思うけど…
新発田とかわざと反乱起こさせたような処遇してるし
699:人間七七四年
18/08/30 07:36:04.45 f6yHy6WL.net
>>676
いや内乱で二つに割れてんのに期待できるわけない
むしろ領地を勝頼に餌としてやったらスゲー食い付いただけって話だな
700:人間七七四年
18/08/31 22:25:51.91 uJl+TPKf.net
>>656
品40石水寺物語の方だろう、
剛の武士百の内九十八ってやつ。
701:人間七七四年
18/09/01 07:30:50.90 8epK8Dxw.net
>>673
>9割壊滅して立ち直れない武田に長篠後も武田を滅ぼすどころか
>ちょいちょい城落とされてる徳川はどんだけ雑魚なの?
日本もレイテ沖海戦でほぼ終わったが、その後も単独の戦闘で
稀にアメリカに勝っている。そういう例外を過大に着目するのは
感心せん。
>信長と真正面から決戦するような体力はないが
>徳川単体ならやれてるやんけ
>9割壊滅して徳川とどっこいの戦いできるなら徳川はどれだけ(以下略
やれてないけどね。徳川がやれているように見えたのは、徳川が手抜き
していただけ。それも信長の、戦線を動かしてはならないという意向によりね。
(だから、武田勝頼は信長のマリオネットだと言っているのだ)
御館の乱で武田をわざと絶妙のタイミングで撤退に追い込んだり、駿河に
徳川軍が侵攻しても全く抵抗できなかったり(それも高天神城健在の時に)、
そういう例も数え切れない。
>結果論であって、上杉が北条より同盟者として期待できると踏んだのは仕方がない
ここまで頭が悪いとは思わなかった。いいか、上杉景虎が越後を継いだら、
信長以外の隣接国は盤石となる。信長相手に専念できる。どうせできるのは
ゲリラ戦ぐらいだろうがね。それでも、北条を敵に回すより何倍もマシ。
702:人間七七四年
18/09/01 07:37:06.56 8epK8Dxw.net
どうせ信康事件の話も出るだろうから言っておく。
信康事件は信康と築山が武田と内通し、信長の圧力によりこの両名が
除かれた事件として有名だが、築山が武田と内通し
703:たのは大賀弥四郎 事件の時だ。これは、今でも外患誘致罪の凡例として使用されており、 大賀弥四郎が武田勝頼の軍隊を招き入れ、東三河が大混乱に陥り 信長の介入→長篠の戦いに直結している。 信長はこれを忘れなかった。築山が大賀弥四郎事件に関わっていたことを 立証し、信康事件に関わっていた、又は知っていて放置したことを立証し、 両名を死に追いやった。決して長篠後のゾンビ化した武田勝頼と内通して いたわけではない。
704:人間七七四年
18/09/01 07:39:43.15 8epK8Dxw.net
誤)信康事件に関わっていた、又は知っていて放置した
正)信康が事件に関わっていた、又は知っていて放置した
705:人間七七四年
18/09/01 10:54:47.39 yDMb871A.net
言いたいことは分かるがそこまで信長が万能とは思えないのだが…
説としては面白いのだが
706:人間七七四年
18/09/02 06:18:23.47 Si67d6Jt.net
家康「お前の娘婿腹切らせるけどいいかな」
信長「お前んちの問題だし、好きにしなよ」
みたいな手紙あるって聞いたことあるけど勘違いだったかな
まあ岡崎派と浜松派の対立に武田が介入してくる心配が
無くなったから、と考えれば矛盾ともいえないか
707:人間七七四年
18/09/03 18:32:29.78 xIahe1Is.net
日本の戦国期の戦いで9割死ぬのはありえないでしょ、実際は3~5割位じゃないかな。9割なら勝頼も討死してるはず。3~5割でもかなりエグい負け方だよ。
私見だけど武田家滅亡はやはり長篠の敗戦に
よる国人支配の弱体化だと思いますよ。
詳しくはながくなるから省略で。
708:人間七七四年
18/09/04 05:54:15.98 D7UqDEVp.net
第二次世界大戦みたいに機関銃や爆弾がありゃ別だけどな
わーって逃げられたら全員捕まえて殺すなんて無理難題だよな
709:人間七七四年
18/09/05 00:33:09.96 6hC5pxcN.net
戦国期は1割戦死したらほぼ壊滅だよ
負傷者は数倍いるわけだし
710:人間七七四年
18/09/05 16:42:27.86 qsTvXdae.net
戦する度にそんなに死亡者がいたら国力が持たない
711:人間七七四年
18/09/07 22:47:25.21 8S+pxGkT.net
前は外交で織田方に様々な勢力を造反させていろいろな奴をけしかけたがその時は織田は出てこないで
武田も織田方に深く進攻できる余裕がなかった
信玄が途中で死んだりで
決戦を強いられなかった
織田の方からわざわざ出てきたら多少数が不利でも決戦を選択は十二分にありえることだな
まだやれると思っていたから決戦になった
織田は長篠の前はここで万が一決戦に負けたら後がなくなるからとにかく避けていた
十分に包囲網を破って始めて武田との決戦をを覚悟して望んだのが長篠
それでも慎重に陣地構築して攻めて来るのを待った
全てを読みきれている神はいないからこそ
全面決戦が成り立つのであって後知恵言ってる奴が馬鹿
織田徳川が三万率いて自分達の境界線に乗り込んで来たのだから
決戦をしたくなるのは普通で決戦の前には長篠城や砦の攻防は些事
主戦場で押しきれば全て終わり、勝ち
互いが噛み合うから決戦になるだけでそうでないなら距離を取って逃げるだけ
大軍率いてにらみあったが何事もないでどっちか撤退とかよくある話
数が不利だから戦うのが愚かなら桶狭間はじめ信長の人生さえ全否定
主力を動員して退却の効きにくい狭い所で武田に決戦をさせ、
武田の猛攻をしのぎきった織田がうまくやったというだけ
712:人間七七四年
18/09/07 23:48:33.33 MU4fqe6A.net
>>688
>織田は長篠の前はここで万が一決戦に負けたら後がなくなるからとにかく避けていた
713: 明知城や高天神城が内応で想定より早く落ちたから引き返しただけだよ 長篠城は絶対に徳川を裏切らない奥平を入れたし 高天神城の援軍に間に合わなかったのを信長が学習して 佐久間に事前に三河に兵糧を大量に運ばせて現地調査もさせてたから 岐阜から想定より信長が早く来て長篠の戦いに至る
714:人間七七四年
18/09/10 14:08:22.90 9/pNElqR.net
ゾンビくんは長篠で武田の9割が壊滅とか言ってる時点で
何を言おうが「都合の良いように話を盛るやつなんだな」って感想しかない
715:人間七七四年
18/09/10 15:06:52.91 Z/j9u6eS.net
武田軍を1万5千と過程して9割戦死は1万3千5百人
5月20日夜~21日野戦で大敗して追撃されたり山狩りされたりもしたろうが、織田軍が機関銃でも使わない限り有り得ない
刀槍弓火縄銃でそんなに殺害できるわけが無い
武田軍が全員栄養失調のゴミなら話は別だが
716:人間七七四年
18/09/19 15:45:37.24 S/lupTnW.net
>>34
佐久間信盛の偽りの裏切りを信じてしまった説あるで
717:小早川秀秋
18/09/22 22:26:58.83 B/SsNTzn.net
1武将の裏切りで圧倒的兵力差がひっくり返るなんて事を想定して
戦をはじめるのがアホなんだよ
718:人間七七四年
18/09/24 08:30:09.95 nICerYkQ.net
無敵幻想に酔ってたんやなあ ド素人みたいな大失敗やで
719:くすの木ロード
18/09/30 21:03:05.12 NH/aS0g4e
すでに穴山梅雪が裏切っていたからしゃあない
720:人間七七四年
18/11/05 15:28:12.21 2TYG60Vq.net
近日中に米墨国境付近にて長篠の合戦が再現される模様
721:人間七七四年
18/11/19 14:11:20.37 eI8cGJkmp
勝頼が勝ってたらどうなってたんだろうね
妄想するだけで楽しい
722:くすの木ロード
18/11/20 19:15:36.55 vAd4f7TJ.net
そもそも織田徳川連合軍が4万人~7万人はいたという説が濃厚だと思うぞ
だから2万人集めるのがやっとだった武田軍がまけたんじゃないかな?
723:人間七七四年
18/11/20 19:35:38.21 /32vpPHK.net
普通に武田の記述にも「物量の差」「大軍に挑んだのが失策」って書いてあるからな
724:人間七七四年
18/11/20 20:08:44.48 LAaGV5ML.net
>>698
織田も武田ももっと少ないが有力だよ
設楽原にそんな大軍展開できないのが理由
725:人間七七四年
18/11/20 20:16:10.78 ZjcBQhdj.net
それ本気で言ってるのか
726:人間七七四年
18/11/20 20:29:54.59 LAaGV5ML.net
現地行ったことあるか?
北の山から南の川までクッソ狭い
4万どころか1万人でさえ入るかどうか
727:人間七七四年
18/11/21 02:40:05.00 w9oWvx5F.net
何も全軍が設楽原に展開する訳じゃないだろ
728:人間七七四年
18/11/21 09:39:10.63 SIkBfGyV.net
大軍が来ると分かったので集結する前に叩こうと思ったら予想以上に集結してたんだろ
729:人間七七四年
18/11/21 18:51:15.91 TLin2nqr.net
設楽原の戦いの時期は6月下旬のために雨が降っていたために
織田徳川連合軍が鉄砲隊3000丁のうち3分の1しか使えない
と踏んでいたのに合戦開始直後に雨がやんで武田軍は引くにも
引けない状態だったらしいです。
730:人間七七四年
18/11/21 23:52:27.11 3rqpB7+3.net
>>702
こいつ武田軍の兵士だろ
731:人間七七四年
18/11/22 10:49:24.06 764Npbh3.net
ワラタw
732:人間七七四年
18/11/22 23:24:43.93 KJKUqyXs.net
>>706
長坂釣閑斎かもしれん
733:人間七七四年
18/11/23 11:55:48.19 qVgA4h4a.net
武田重臣老害説。勝頼逃がすという大義名分を得て
信玄公を追って滅びの美学を求めた気がする。
戦場で散るのが本懐。武士道は散り方に拘るからね
734:人間七七四年
18/12/09 15:02:32.60 Ml/W0umc.net
織田の甲州征伐のときの寝返り祭を思えば、
武田家臣にそんな上等な美学はない
735:人間七七四年
18/12/09 20:55:18.93 McFXCQvy.net
長篠生き残り勢にはそういう美学が無かったか、あってもその美学を貫けない理由があっただけなのでは?
信玄を追って滅びの美学を求める必要がなかった、だから生き残ったのでは?
736:人間七七四年
19/01/30 00:29:39.02 UBNpWzRW.net
長篠城
URLリンク(kusanomido.com)
737:人間七七四年
19/02/17 21:11:07.99 yoDFKPMA.net
この戦いで佐久間が6000~7000、滝川が3000、
水野が3000、柴田が5000とか率いてたってよく見るけど
丹羽や羽柴ってどのくらい率いてたんだろうか?
信忠や信雄、信長自身もある程度率いてるはずだけど、各部隊が何人率いてたんだろ
738:人間七七四年
19/02/18 12:06:09.83 7bod0SZm.net
石高から考えるなら秀吉は3000~5000
長秀は2000~3000
信雄は3000~5000ってとこか?
739:人間七七四年
19/02/18 12:25:22.69 kN04tIz1.net
奥平、菅沼(笑)ら奥三河の豪族衆にとっては、武田にも徳川にも顔色窺わねばならず、合戦の際は犠牲の多い先鋒を引き受けねばならず、一族が敵味方に別れて戦うことになったから、早々に決着を付けてもらうのは重要な関心事だったと存じます。
740:人間七七四年
19/02/19 10:32:07.15 V6E99mkn.net
>>714
丹羽と羽柴は小勢だったって説もあるので3千以下かもしれませんね
羽柴隊は山に布陣してる説と前線で滝川や佐久間の隣だったりとよくわからない
更に不明なのは柴田勝家の名があったり無かったりで参戦してたのかどうかすら不明
織田家総勢3万で酒井隊に2千付けてるので残り2万8千
佐久間が6千、水野信元が3千、滝川も3千として、鉄砲奉行5人が少なくとも1千
これで残り1万5千
丹羽と羽柴が2千ずつでも残り1万1千
柴田が5千も率いてたら信長、信忠、信雄で合わせて6千か
もしかしてこの頃の退き佐久間って最盛期?
741:人間七七四年
19/02/19 11:14:25.81 jcN/lRoi.net
しかしながら我らほど立派な家臣をお持ちになることもありますまい
742:人間七七四年
19/02/25 20:02:27.25 fqgctanx.net
相変わらず馬鹿しかいないんだな、人気の武田関連のスレなのに
織田による武田征伐(1582)の頃の武田はすでに死に体であり崩壊寸前だっただけ、だから10万以上の軍で攻められても対応する力もその気もなかっただけ
743:人間七七四年
19/02/25 21:23:36.70 q3B7Qtkn.net
なぜ武田成敗?
長篠の戦いのスレなのに
744:人間七七四年
19/02/26 00:01:23.32 qJ0fUvzt.net
>>718
スレチのバカの代表がきたぞw
745:人間七七四年
19/05/18 18:52:30.80
武田軍は穴山梅雪が2000人率いてきているのにも関わらず500人しか戦闘に参加しなかったので実質武田軍が1万人で織田徳川軍を相手に8時間も休憩をせずに戦ったのはすごいかと思いますb
746:内藤昌豊
19/07/07 19:06:29.05 M/xwtgWND
長篠は、地獄じゃった
747:人間七七四年
19/07/15 09:49:45.07 DWiCM
748:Em8.net
749:人間七七四年
20/01/27 22:01:01 gebDCx1Y.net
URLリンク(i.imgur.com)
750:人間七七四年
20/01/28 20:18:19 lZUD59x0.net
>>723
まあ、それそのものだろうね。
本当に、アジア太平洋戦争の日本軍そのものの戦い方をしているわ、
武田勝頼は。まあ、どっちも最低な戦い方に違いないがね。
751:人間七七四年
20/01/28 23:26:21 EJm6NuyP.net
さすがにそれは武田をバカにしすぎな気もするが
752:人間七七四年
20/02/03 22:38:41 oUy7O6HA.net
勝頼は信長が認めていた男やぞ
753:人間七七四年
20/02/04 19:25:57.40
武田軍の死者が8000人ぐらいに対し織田徳川連合軍
の死者が6000人だったらしいです。
つまり織田徳川連合軍4万2000人のうち6000人
しんでも3万6000人以上が残るのに対して
武田軍は1万5000人に対して死者が8000人なので
7000人しか残らないのでいい勝負をしているのに
もかかわらず負けたように見えるだけかとおもいまする
754:人間七七四年
20/02/09 11:23:46.84 +bs0Tpt/.net
雲のジュウザぐらいの活躍はして欲しかったけどな
一発でやられたから風のヒューイくらいか
755:人間七七四年
20/02/17 20:09:12 sS7MiCl9.net
旅順の白襷隊とかガタルの一木支隊の突撃と同じことやらかしたんだろ。
756:人間七七四年
20/02/18 16:41:03 z9aY2vc7.net
こいつみたいな無知も自覚してない知能低いゴミが実在するの見るとなんか気の毒になる
757:人間七七四年
20/02/21 00:36:13 nE0zf9wb.net
>>724
す、吸いたい
758:人間七七四年
20/02/21 05:20:31.61
ウィキペアで調べなおしたら織田徳川連合軍の死者が60人ぐらい
に対して武田軍の死者が8000人ぐらいだな
759:人間七七四年
20/02/21 21:33:10 Tz8TcvjD.net
>>726
全然。アジア太平洋戦争への反省が足りないからそんなことを言う。
武田の滅び方が滅び方があまりにもアジア太平洋戦争とそっくりだから、
日本人のある程度強い人が失敗して滅びる黄金パターンと言っていいよ。
武田勝頼も、アジア太平洋戦争の大日本帝国も。
760:人間七七四年
20/02/22 23:27:33.43 A6eUn5gU.net
アジア太平洋戦争とは…
761:人間七七四年
20/03/01 10:36:23 t+/18pY1.net
未だに戦争への反省とかすげぇなw
762:人間七七四年
20/03/02 21:44:12 bjPGzPaB.net
>>736
日本人である以上は、アジア太平洋戦争を反省し続けなければならない。
なぜなら、アジア太平洋戦争は日本人の欠点の見本市であり、日本人の
反面教師として極めて重要な教材であるからだ。
763:人間七七四年
20/03/02 21:51:13 bjPGzPaB.net
あと、(私もそうだが)自分が生まれてないから関係ないよ、はなしね。
アジア太平洋戦争は、日本人に永遠に背負わされた十字架だから。
だから、経験の有無は関係なく、反省の必要があるんだよ。
764:人間七七四年
20/03/03 18:18:49.22 eIMkK58P.net
直接経験の有無さえ関係ないならいっそ日本人以外も全部地球人のこととして反省したらいいんじゃね
なんで日本人で縛る必要あんの?お前さんもナチスとかルワンダとか文化大革命とか毎日反省しとけよ
765:人間七七四年
20/03/03 18:35:19 ZRWmCqox.net
どんな民族だって過去のことなんか、生きている世代がいなくなればそんなことあったなあ程度だって
過去の失敗を教訓としていかすのはありだけど、いたずらに負を強調して引きずり続けたら絶対によくない
少し前に昔
766:の日本人は凄かった、日本人はやれば出来るんだって感じの動画が持てはやされていたけど、教育が
767:人間七七四年
20/03/03 18:44:21 iLbpAwRk.net
途中で送っちゃったよ
戦後教育が失敗して日本人の誇りが失われた証なんじゃないのかね
件の動画が礼賛は、植民地化された日本人が悲惨な現実から麻薬で過去の栄光に逃避してるアニメがあったけど、それを思い出して悲しくなった
768:人間七七四年
20/03/04 21:24:15 fR7i7tSZ.net
>>739
日本人だけが反省する宿命を持つって何度言ったら判るんだ?
アジア太平洋戦争は、繰り返すが日本人の欠点の見本市だ。
日本人の悪い性質が重なったが故に、あのような失敗をしたのだ。
アメリカ人、欧州人、アフリカ人などはああいう失敗をせず、別の
失敗をする。それは、性質が違うからだ。
もし、縛られたくなければアメリカ人になれよ。アメリカの歴史は
栄光に満ち溢れているぞ。
>>740-741
難しいかもしれないが、私はアジア太平洋戦争の教訓は子孫にずっと
引き継がれるべきだし、引きずり続けるべきだと思う。なぜなら、
これも繰り返しになるが、日本人が暴走し失敗したらああなる、の典型に
満ち溢れているからだ。自虐も間違えたら悪影響だが、正しい自虐は
立派な教訓になるし、同じ失敗を繰り返してはいけない、という戒めにもなる。
それに、アジア太平洋戦争と同じ失敗をしている、と自信をもって人に
教訓を言えるようになれば、それは別の意味で誇りになると思うぞ。
769:人間七七四年
20/03/05 14:19:39 1eY/U4Nb.net
>>742
あ、それキミ差別やわ
日本人にだけ反省するチャンスを与えて同じ地球人仲間のはずの他国人には与えんやなんて
反省したら立派な人間になれるんやろ?
キミ、どえらい差別主義者やなぁ
770:人間七七四年
20/03/05 18:52:15 9BbP7/7z.net
自虐に正しいも悪いもないやろ
自虐教育の反動でネオナチみたいな勢力を作りたいのかな?
771:人間七七四年
20/03/06 12:38:05 sG003X2u.net
>>742
なるほど、これが悪影響かw
772:人間七七四年
20/03/07 00:21:43 KGw+qFt/.net
思うに長篠の塹壕掘は遺跡から明らかだけど、鉄砲隊は簡易な屋根と櫓を作って、上から射撃したんじゃないか。
当時の気象条件では雨が想定できたので、あらかじめ塹壕と櫓は作ることは想定していたはず。そしてその簡易櫓から雨を気にすることもなく列になって上から射撃をした。
その櫓の鉄砲隊が三列に作られていたから三段という語源ではないか。
773:人間七七四年
20/03/07 00:28:48 KGw+qFt/.net
恐らく鉄砲櫓が野戦で設置されたのは初めてなんじゃないか。当時の絵巻物にそれが描写されていないから鉄砲隊は柵のところで列をなしたとみなされたのではないか。
馬房柵だけではなく、鉄砲櫓こそ長篠合戦の大きな起点ではないか。
774:人間七七四年
20/03/07 11:59:51 sPdE3E6w.net
史料に無く証明できないこと言われてもな
775:人間七七四年
20/03/07 13:05:01.35 vbGeg8rT.net
鉄砲櫓がズラリと並んでるところにはさすがに突撃せんだろ
776:人間七七四年
20/03/07 14:39:32 IK6emDMj.net
俺ならするけど?
777:人間七七四年
20/03/07 15:58:01 HqIj16SO.net
乃木「ダメ?」
778:人間七七四年
20/03/07 18:06:53.59 rkLCkXKD.net
そもそも一次史料に三段撃ちという表現はない
小瀬甫庵が鉄砲の数を3千丁とし(先行する信長公記は1千丁)
千丁づつ放ち一段づつ入れ替わりと書いてるのを
後世読んだ人が作った造語に過ぎない
なので実際に戦場で何かが三段になってのが
その名で�
779:ナきたというのは成り立たない
780:人間七七四年
20/03/07 18:45:16.35 89gTwsXd.net
一段づつ入れ違いなのは、それは鉄砲櫓だからこそ可能だったのではないか。三段とはいかなくても高見櫓から撃つことで入れ違いに撃つことが可能ではないか。
塹壕と柵とトーチカ的な鉄砲櫓が随所に設置されていた、そのことを経験したことのない勝頼は突然攻撃しか突破できないと思ったのではないか。
千人でも三千人でもその鉄砲隊を有効に活用するには、櫓から撃つしかない。その櫓からの攻撃に勝頼はなす術もなかったのではないか。
その櫓の話が三段撃ちに変容したのではないか。