260:人間七七四年
18/06/07 20:53:22.89 +tRdlN+K.net
>>250
自軍の損害無視で突撃かけたからねえ
高遠城のときの織田勢は
台所事情の差よ
261:人間七七四年
18/06/07 21:02:35.59 r5hpvXdq.net
>>251
勝頼は人質となってた奥平氏の妻子含め三人処刑して奥平氏と完全決裂させてるからな
交渉材料に使うために残しておけば良かったのに
>>252
損害無視と言っても武田籠城側の約半分に損害抑えてるんだけどね
それで中規模の城を二日で落城なら上出来でしょう
同じ兵数3千前後の中規模の城で伏見城や長谷堂城も二週間掛かってるし
長谷堂城は二週間経っても落城しなかったけど
262:人間七七四年
18/06/07 23:31:21.89 548WpVUn.net
秀吉・官兵衛のペアなら長篠城をどうやって落とすだろうか?
時間が限られてるから、さすがに兵糧攻めはしないだろうな。
263:人間七七四年
18/06/07 23:48:09.54 +tRdlN+K.net
>>253
ランチェスターの交換則的には10倍のレートの被害だけどね
264:人間七七四年
18/06/08 00:27:58.71 t/9gOsnE.net
>>255
勝頼は高遠城がしばらく持ちこたえるだろうと予測していたが、城は包囲から二日で落ち、
高遠城落城の報を受け、新府城の勝頼や一門、家老衆は慌てふためき、
迎撃準備も整ってないことから新府城放棄して逃げ出してしまったんだけどね
新府城籠城が間に合ったらもっと損害出てたろうなぁ
265:人間七七四年
18/06/08 00:37:35.07 t/9gOsnE.net
>>254
奥平氏の妻子三人を返し、城兵と奥平氏の徳川方の無事帰還を許す代わりに長篠城から退去
飲めなければ妻子を鳥居みたいに目前で処刑すると交渉
徳川の嫁を貰い武田への人質の妻子は離縁されてるから
奥平氏には知らぬ存ぜぬされる可能性が高いが
266:人間七七四年
18/06/08 13:02:54.73 SgtKMnZG.net
鳥居強右衛門の件は明らかに逆効果だよな~。
しない方がよかった。
267:人間七七四年
18/06/08 13:03:59.16 ALIjWdBQ.net
どこまで実話か分からんし
268:人間七七四年
18/06/08 13:59:51.52 SgtKMnZG.net
>>259
何のために作り話を作ったんですかね?
どちら側になんの得がありますかね?
269:人間七七四年
18/06/08 14:25:22.30 24TkiIdN.net
徳川史観的には作り話を事実にしたかったんだろ。
270:人間七七四年
18/06/08 14:43:19.98 SgtKMnZG.net
徳川がその作り話を事実にすり替えるメリットは?
271:人間七七四年
18/06/08 14:50:35.47 SgtKMnZG.net
美談として褒めたたえることで家臣の忠誠心を高めようとする目的だよね。
かといって、作り話となる証拠もないから、
作り話とすることも、作り話。
272:人間七七四年
18/06/08 14:56:30.94 ALIjWdBQ.net
信長記にはなく、三河物語に書かれてる話
処刑されたところまでは事実だろうけど
273:人間七七四年
18/06/08 15:02:45.83 d4nbsP4D.net
どっちにしても勝頼ダメだな~じゃなくて強右衛門スゲーちゅう逸話なだけやな
274:人間七七四年
18/06/08 15:32:04.83 t/9gOsnE.net
鳥居強右衛門の記述は甫庵信長記の次に三河物語でしょ
後、落合左平次道次背旗から実在してるのを否定する学者はいなかった
むしろ実在してるのを前提で落合左平次道次背旗の向きが逆さかどうかを
処刑された状況から学者間で論争起きてたよ
275:人間七七四年
18/06/08 18:57:12.04 FAh0HJB0.net
三河物語って彦左衛門の愚痴日記じゃん
他の資料と整合する部分はそれなりだけど
整合しない部分は眉唾という単体じゃろくに価値のないシロモノや
276:人間七七四年
18/06/08 23:53:16.40 t/9gOsnE.net
鳥居強右衛門は
甫庵信長記
三河物語
落合左平次道次背旗
から実在し功績も学者にも認められてるけどね
277:人間七七四年
18/06/09 00:01:39.66 u5epfAxp.net
甫庵信長記はあれだし、実在してたことと逸話が事実だということはイコールではない
278:人間七七四年
18/06/09 00:13:23.59 bxW4XH0F.net
単体のみで否定しても複数の記述が現存してるし
そもそも功績がないなら甫庵信長記も三河物語にも書かれてないし
落合左平次道次背旗を作られてないでしょ
学者間でも落合左平次道次背の絵の向きが逆さかどうかを処刑される時の磔の状況から論争され
学者でさえ鳥居強右衛門の功績は否定してないからな
279:人間七七四年
18/06/09 09:22:07.87 CseoMvDj.net
まあ問題は脚色の程度がどのぐらいかようわからんことだが
実在はしてたけど実際はたいしたことしてなかった系は山ほどあるし
昔の人間、現実とフィクションの区別つけられる情報リテラシーないからなあ
280:人間七七四年
18/06/09 10:13:02.77 bxW4XH0F.net
>実在はしてたけど実際はたいしたことしてなかった系は山ほどあるし
大名や城主、城代とか有名な大名の息子や侍大将は実績がなくとも名前は出ることはあるが
そこまで有名でもない地方領主だった奥平氏の直臣でもない陪臣の鳥居強右衛門レベルなんて
普通は名前すら歴史に出てこないからな
それが甫庵信長記や三河物語に名前が出て落合左平次道次背旗にまで描かれて賞賛される功績があったのは間違いない
281:人間七七四年
18/06/09 10:20:08.30 u5epfAxp.net
>>272
単に軍使として功績はあったが、捕まって斬られただけかもしれない
282:人間七七四年
18/06/09 10:39:29.71 CseoMvDj.net
それこそ真田十勇士とか尼子十勇士とか実在と架空の境界あやふやな奴は腐るほどおるし
山本勘介みたいに実在はしたっぽいけど実情がようわからんやつもおるし
なんかモデルになった奴はいたっぽいぐらいの認識でええんでないの
283:人間七七四年
18/06/09 11:00:38.30 bxW4XH0F.net
>>273
奥平氏みたいな地方の領主の陪臣の伝令が捕まって切り殺されて
甫庵信長記や三河物語に名前が残り
落合左平次道次背旗にまで描かれるのかって話な
284:人間七七四年
18/06/09 20:32:01.64 y2GhyexJ.net
そんなレベルの創作英雄なんぞゴロゴロしとるやろ
285:人間七七四年
18/06/09 21:14:02.89 bxW4XH0F.net
名ある学者たちが鳥居強右衛門の存在と功績も認め、落合左平次道次背旗の向きが逆さかどうかを
処刑された現状から論争してたのに
根拠も無しに創作だと喚かれてもねぇ…
286:人間七七四年
18/06/09 21:20:03.84 y2GhyexJ.net
同じことしか言えないオウムかなにかかな?
287:人間七七四年
18/06/09 21:23:13.88 bxW4XH0F.net
こんな数人しかいないの分かってる過疎スレで
IDチェンジしまくってるアホに言われたくないわ
288:人間七七四年
18/06/10 04:11:23.77 joSERVgU.net
全く横からで申し訳ないんやけど
落合左平次道次背旗の人物が鳥居強右衛門であると断定した学者と、その断定根拠ってなんでしたん?
私的にも鳥居強右衛門の逸話にはちょっと懐疑的だからその辺り気になりまして
ほら、史学でも再研究が進んだのってほんと最近で、今までは創作逸話なんかで織田信長の評価すらかさ増しされてましたやん?ましてや奥平氏のさらに下の身分の人間の研究が進んでないんじゃないのかという疑問があるんで、その辺りスッキリさせたいんですよね
289:人間七七四年
18/06/10 07:31:49.26 98fva/k2.net
資料を大きな図書館なり見に行ったりしたらいいんでない
290:人間七七四年
18/06/10 19:18:51.93 joSERVgU.net
結局誰もあの絵が鳥居強右衛門だというのはみんながそう言ってるからで
どう断定されてとか知らないんかな
291:人間七七四年
18/06/10 19:27:58.73 2ORWeAuO.net
当代記にこの話はないのかな?
あれは奥平の松平忠明が纏めたものだから、長篠関連はそれなりに信憑性があると思われるが。
292:人間七七四年
18/06/10 22:58:51.79 98fva/k2.net
当代記は信長公記の二次史料で江戸時代に書かれた物
松平忠明が纏めたかも不明
293:人間七七四年
18/06/11 01:06:11.49 r7KW5omB.net
だってお前、裸のおっさんのデフォルメされた絵が誰を描いてるかなんて、どうやって確認するんだよ
遺されてる旗も書き直したもの、と伝わってるんだし、年代比定すら意味がない
強右衛門の功績が嘘だとすると、それまでなんの業績も家柄も伝わっていない人間の一族が、いきなり
奥平家・徳川家で重用される理由がどこにもない。
嘘だと言いたいんなら、まず鳥居家が重用された理由が他に何かあるか調べてみた方がいいんじゃね?
294:人間七七四年
18/06/11 01:15:56.13 vdbGjff0.net
桶狭間も沖田畷も圧倒的劣勢が大逆転してんだから
結果論でしかないわなー
むしろあそこまで死に体だったのによくやったって話だよ
どう足掻いたって信玄が同盟破棄してポックリいったとこから
逆転できるわけねーんだから
あの時点で「詰み」だろもう
295:人間七七四年
18/06/11 03:01:28.29 he/24idT.net
>>285
重用言うたかて確か100石でっしゃろ?で、それまでの石高も不詳
んでそんな強烈なエピソードがあれば太田牛一が書きそうなのにそれがない
逆に史記だかに登場人物と最後磔にされた人間の生死だけ入れ替えたほぼ同じの話があって
強右衛門の話を書いた尾瀬甫庵は儒教大好きで逸話盛る部分も多い
三河物語も割と盛る
となるとまぁ仮説立てても悪くないんちゃう?
もちろん上の人みたいに仮説でごり押しするのもどうかとは思うけど
296:人間七七四年
18/06/11 04:53:59.36 oVX+gjjH.net
>>286
桶狭間も沖田畷も劣勢側が自分達の見知った土地を上手く使って
奇襲や伏兵をしてるからな
勝頼は逆に見知った土地ではないから別動隊に奇襲されるという
もう逆転の余地もない詰み状態なのに決戦を挑んだという
297:クバの化身
18/06/11 11:47:28.61 x/hO+8b0.net
それは、法律資格によく表れている
まことは、問題集しかしない
いや、問題集も、オロサカにしているかもしれない
298:人間七七四年
18/06/11 21:55:09.92 vdbGjff0.net
>>288
今川も尾張の一部を侵略してたし
龍造寺も長らく有馬を下に置いてたし
全く土地勘がなかったわけではなかろう
島津が島原の土地勘あったとも思えない
299:人間七七四年
18/06/11 22:52:58.31 a+Zu2gxN.net
>>288
極端すぎないか?
桶狭間、沖田畷に厳島は戦国三大奇跡だわ
有能な総大将が優勢な軍勢を率いて、よりによって戦場で討ち取られた
劣勢な側が惨敗した刀根坂の義景、長篠の勝頼、山崎の光秀も、戦場からは離脱している
地の利の事例なら、第一次上田合戦、第一次天正伊賀の乱あたりじゃないか
300:人間七七四年
18/06/11 23:07:46.63 oVX+gjjH.net
>>290
地の利を知ってるなら奇襲や伏兵ポイントは理解してるはずだけどね
今川は知ってそうな奴は前線の砦に釘付けになってたし
後方待機してた今川義元が知ってるはずがない
三河方面攻めは雪斎に任せっ放しだったし、
尾張方面まで総大将として義元が大軍率いて来たのは桶狭間が初めてだろう
301:人間七七四年
18/06/11 23:23:29.45 i6zSwoTJ.net
何か、最近戦国板に見えない敵と闘う人湧く様に成ったね。
統失は怖い。
302:人間七七四年
18/06/11 23:29:32.34
303:oVX+gjjH.net
304:人間七七四年
18/06/12 02:43:10.94 UYycmCwd.net
来るの分かってないと大掛かりな陣城作らないと思うんだけど、織田はなんで武田が設楽が原に出張ってくると認識してたん?
聞いてる話武田が大多数の織田勢に対して攻めるのは愚策な訳で、その選択をする可能性低いはずなのに織田は堅固な陣城作ってるよね
それともあの大掛かりさで実は来るとは思ってなかったけど保険の為に作ってましてんって代物なの?
305:人間七七四年
18/06/12 03:58:19.40 fzBCLRC6.net
>>295
信長としては城が落ちたら撤退すればいいだけだから基本的にはやる気がない
306:人間七七四年
18/06/12 05:38:30.04 R+WhUPnh.net
基本的には長篠城包囲戦の後詰めで来てるから長期戦も視野に入れての陣城を構築するのはおかしなことではないけど
307:人間七七四年
18/06/12 06:50:52.20 LXAbQACM.net
城兵と援兵との挟み撃ち、領内での決戦という圧倒的な有利な要素しかないのに織田にやる気無いわけないだろ
ほぼ必勝やぞ
308:人間七七四年
18/06/12 06:59:34.19 BuFlEp02.net
>>296
は?
309:人間七七四年
18/06/12 12:08:15.92 UYycmCwd.net
短期決戦用の陣城だったのか、長陣用の防御拠点だったのかってのが気になりますね
310:人間七七四年
18/06/12 12:44:03.57 6nMk31lJ.net
>>300
そこにあまり違いはないと思うけど
長期で滞在すれば簡易的な櫓や小屋ができ始めるけどそれは長陣した結果であって最初から計画してやるもんでもない
311:人間七七四年
18/06/12 13:11:34.52 K60AdFRr.net
自領だから現地調達できる織田徳川連合と
遠征軍なために兵站を構築しないといけない武田軍じゃ
やっぱ焦りに差が出るわな
312:人間七七四年
18/06/12 13:50:52.48 l99ZR8ro.net
>>302
織田は一応兵站管理はしていたんじゃないか?
三河で織田の万を超える軍兵の現地調達なんて無理だよ。
313:人間七七四年
18/06/12 15:39:16.57 K60AdFRr.net
>>303
高天神城の援軍に間に合わなかった時に家康に兵糧の金をドッサリ渡したって話あった
314:人間七七四年
18/06/12 16:53:07.87 UYycmCwd.net
>>301
なるほど、信長的には別にどっちでもいけるようにとりあえず陣地構築しただけって感じなんすね
なんとなく気になったんですけど、長篠の陣城って他の陣城と違って特殊なように言われることが多い気がするんですけれど
あの陣城って特殊だったんですか?また、もし特殊ならその特殊さはどこからのノウハウなんですかね
315:人間七七四年
18/06/12 19:46:33.41 LXAbQACM.net
そもそも只の一回の戦闘(野戦)で大規模な土木作業を行える人員と金を用意できるのは織田家だけ
316:人間七七四年
18/06/12 21:15:16.32 Ee96WTzT.net
織田軍が遠征する時点で馬防柵の木材やら
大量の鉄砲やら調達してるのはちゃんと裏付けがあるのだから
「はじめから用意していったわけではない」というのは無理があるでしょ
長期戦も踏まえて準備を周到にしていたのは明白。
毎回毎回、長篠レベルの鉄砲の数を徴発しているわけではないのだから
317:人間七七四年
18/06/12 21:44:18.67 ExDK572Z.net
>>305
ノウハウは織田家がこつこつ積み上げたものとしか言いようがない。
今川と戦ってる頃から、敵の城を陣城で包囲して持久戦に持ち込むのは
織田家の基本戦術。
戦国時代に年単位の攻城戦をやったのって、織田家以外には
第二次月山戸田城の時の毛利しか知らん。
318:人間七七四年
18/06/12 22:16:14.88 K60AdFRr.net
信長は高天神城の援軍に間に合わなかったから家康に兵糧等の支度金を大量に置いて行った
家康が事前に米を買い付け、信長援軍の荷が少ないことにより
通常より高速移動が可能になったお陰で長篠は余裕で間に合ったからね
319:人間七七四年
18/06/13 00:48:31.42 1MINvrmU.net
>>305
三河物語より
長篠城籠城戦
長篠城の鉄砲隊に手を焼いていた一方で武田軍は、牛枠に竹束を立て掛け、井楼を組み上げようとしたが、
それに気づいた長篠城方は、これが完成すれば敵の攻撃にさらされ不利になると思い、
大鉄炮を放ち竹束を粉砕した。
このため、武田軍は井楼の構築を諦めざるを得なかった。
>>305
信長公記より
天正6年11月6日「大船に大鉄砲余多これあり」「大将軍の舟と覚しきを、大鉄砲を以って打ち崩し」
天正6年(1578年)時点で大鉄砲を大量に保有してたから
三河物語通りに三年前の長篠でも大鉄砲使ってたんじゃないか?
火縄銃は竹束で防御できるが、その竹束は大鉄砲で粉砕されてしまう
大鉄砲の防ぎ方は長篠当時の武田軍はできたんだろうか?
320:人間七七四年
18/06/13 01:22:42.03 GEHU1yVy.net
お話聞く限り別段陣城の作りに長篠の戦いオンリーの特異なものもなかった感じなんですかね?
321:人間七七四年
18/06/13 02:13:01.86 r03YfC0n.net
なんでや
戦場での素早い土木工事に予算をつける意義が見いだせたやろ
322:人間七七四年
18/06/13 02:46:25.09 o/nfE7bC.net
武田は何を考えて突撃したんだろうか?
仮に織田・徳川連合が陣城を築いていなくても、3万5000対1万5000の野戦。数に差がありすぎるし、勝てても被害が甚大になる可能性は十分にある。
となれば、いったん撤退してまたやり直すのが一番ではないのか、と思うのだが。
323:人間七七四年
18/06/13 08:06:34.24 r92WkffX.net
長篠城抑えられたから挟まれて突撃するしかなかったとか言うけどさ、敗戦撤退の時ちゃんと後退できてるじゃんっていうね
324:人間七七四年
18/06/13 10:30:45.95 F9AGS/SD.net
>>314
長篠城抑えられる前に想定される退路と、実際の退路が違う
325:人間七七四年
18/06/13 11:45:29.50 IS4lGbew.net
ちゃんと後退出来てないから追撃で大損害出てんだろ・・・
326:人間七七四年
18/06/13 12:01:56.28 1MINvrmU.net
織田徳川軍は陣城から出てこないから設楽原に行かずに長篠城攻囲してる時なら退却は間に合うでしょ
長篠城周辺から長野県側の道は狭くて険しいから織田徳川軍が陣城から出てきて追撃に来ても
突出してきた部隊叩けばいいだけだし
むしろ兵力が圧倒的に劣る場合は狭い場所で戦えば不利にならないからね
籠城戦がそもそもその理論だし
327:人間七七四年
18/06/13 21:59:56.20 ocfPisMf.net
>>317
織田徳川は陣城から出て挑発して誘い込んでるんで陣地にこもって何もしてなかったわけではない
あと武田側はここまで無傷で全く損耗していないことが判断を誤らせた
3万の軍勢に1万ちょっとで当たったというのも結果論であって戦場での敵の数はおおよそでしか分からない上に長篠城の救援に織田徳川は相当の援軍を割いたと判断して相手は敵前で兵を割く愚策をおかしたと判断してしまったのかも
いずれにせよ全く損耗してない軍を保持したまま撤退命令出せるか否かが決め手だったんじゃないかな
簡単そうでなかなかできないことではある
328:人間七七四年
18/06/13 23:27:11.88 1MINvrmU.net
>>318
いや退却できるかどうかの話ね
武田軍が退却開始すれば織田徳川は陣城から出るかどうかの判断になるから
追撃しても狭い道なら殿軍も陣城や待ち伏せとかで有利に戦えるし
329:人間七七四年
18/06/14 00:29:36.62 UKABstLv.net
>>319
織田徳川はわざわざ地形を選んで陣城を構築し敵を誘っているのであの場所を離れて野戦するつもりはないし無傷の武田側に対して追撃する意味もないので武田側は簡単に退却できる
そもそも長篠城の救援成功で織田徳川に戦いの主導権は移っているので自分たちに不利な場所にあえて向かわない
330:人間七七四年
18/06/14 07:44:52.96 2Ns3u1K7.net
用意周到に準備して計画的に撤退するのであれば逆撃も有り得るが、
織田の大軍が到着しました逃げましょうじゃ話にならないよ
撤退中に地形利用して大軍と有利に戦う?机上の空論だよ
武田は中入してるし奥平勢が地形に詳しいし
織田主力が出陣したのが確認された時点から退路と各所地形の調査と逆撃の準備はじめないととても被害軽微じゃすまない公算大
331:人間七七四年
18/06/14 07:48:14.33 Prfo0COM.net
そもそもあの辺りの地形に詳しい菅沼正貞を武田は拘禁してるんだから、お話にならない。ああいう場所こそ、地元の人間が役立つのに。
332:人間七七四年
18/06/14 08:54:07.26 q7aw9AGv.net
>>320は織田徳川は陣城から出てこないから退却できる
>>321は陣城から出て追撃してもくるから被害が出る
どっちの論が正しいんだ
333:人間七七四年
18/06/14 10:29:32.67 bUtt6kDA.net
>>323
少なくとも野戦で負けて逃げるより、無傷で逃げ始めたなら、あそこまで将兵が死ぬことは無いと思う。
というか、馬場信春が献策した策なら、あるいははあったのかな?
334:人間七七四年
18/06/14 12:42:27.89 kZdANcbK.net
武田としては、無傷で撤退するのが最善策なんだろうが、そうすると山家衆の動向は史実と同じになるような気がする
そうすると後詰めが来た時点で、武田方は勝つ以外の打開策が無いと状況判断したのかもな
現地に逃げの弾正が居れば違った判断が・・・とはならないかw
335:人間七七四年
18/06/14 12:51:39.42 wSsayRNs.net
>>323
どっちも武田には大きな被害が出る
でも最初から逃げの方がまだましぐらいにはなるってことじゃ
336:人間七七四年
18/06/14 13:08:27.59 FcRR6e7f.net
追撃大好きで追撃で大戦果上げてきた信長相手だからなぁ
337:人間七七四年
18/06/14 15:34:36.87 7DlZFKYp.net
>>323
戦で大量の戦死者を出すのは追撃戦
ましてや敵中から逃げるとなると被害軽微など至難の業
地形の有利不利以前の問題、圧倒的織田の状況有利
織田主力が長篠に到着した時点でまだ勝頼が居たら当然追撃に移るだろう
勝頼が居なかったらどうなるかはわからん
338:人間七七四年
18/06/14 16:56:32.84 M3DzsXMx.net
>>328
ただ無傷の相手の追撃戦というのはほとんど聞かない
織田にとって不気味なのは武田側が全く損耗していないことと隘路での戦いになることで織田徳川は躊躇するだろうね
長篠城を救援して逆包囲の状態に持っていった織田徳川は長期戦にも持ち込める
そこまで見越してか山県と馬場は勝頼に早期の撤退を進言している
339:人間七七四年
18/06/14 18:56:25.78 FcRR6e7f.net
刀根坂や長島とか
340:人間七七四年
18/06/14 20:17:56.39 q7aw9AGv.net
>>328
>>179の地図見ると設楽ケ原で決戦したら織田との
距離が近く逃げられないから被害が出る
史実の退路は長篠城からも退路をふさがれて
北になったんじゃなかった?
設楽原に行かずに織田との距離があって
織田が陣城築いてるうちに夜から撤退準備始めて
最初から東に退路を取って殿を置いてれば
被害はかなり抑えられる
341:んじゃない?
342:人間七七四年
18/06/15 00:39:29.83 Osli/GS4.net
設楽原行く前、川を越えなきゃ普通に撤退出来ただろうな
343:人間七七四年
18/06/15 02:30:39.25 CV2kM4dy.net
長篠城の援軍に軍勢を相当数分けたから敵本陣は手薄と勝頼が誤って判断したとしか考えられない
344:人間七七四年
18/06/15 02:34:37.96 YePh23MD.net
酒井忠次分遣隊による奇襲も川渡ってなければ防げたかな?
酒井隊って武田勝頼の渡河見越しての行動だったんかな?
345:人間七七四年
18/06/15 08:46:45.98 X2pC4Q6I.net
乱破だったり様子の違いで看破されたんじゃね?
346:人間七七四年
18/06/15 09:34:03.37 N89095+6.net
時系列はこうだぞ
武田軍は20日までに滝沢川(寒狭川)を渡り設楽原に進軍
織田徳川連合軍と約2.2kmの距離で対陣
↓
20日の20時前後に酒井忠次が別動隊で出陣
↓
21日の日ノ出から設楽原で本戦が始まる
↓
21日の8時前後に酒井忠次の別動隊が鳶の巣山へ急襲
↓
21日の14時前後まで設楽原本戦は続く
347:人間七七四年
18/06/15 09:56:24.07 N89095+6.net
武田本隊が設楽原まで来ているのを確認してからその日の夜に酒井が別動隊で行った
武田本隊が来なかったら別動隊も編成しないだろ
信長公記見ろよお前ら
348:人間七七四年
18/06/15 13:45:08.56 yvmaiiy/.net
>>313
コヒマの佐藤師団長の心情思えば有る程度はな。
349:人間七七四年
18/06/15 13:45:41.36 93EOYJ5t.net
鳶ヶ巣砦と支砦が奪われたのが決戦の開戦直前
開戦前には別働隊の情報は入っていた武田勝頼の不可解な動きに対して別働隊情報は先に掴んでいた等の憶測が出てきた
事前情報は記録がないのであったともないとも言えない
350:人間七七四年
18/06/15 14:45:45.57 pkVQLKGa.net
なんちゅーか、野戦築城された地に渡河してまで出ていってることと言い、軍の動き読まれて別働隊に奇襲決められてることと言い、あまりにもキレイに死地に飛び込んで行ってますなあ
351:人間七七四年
18/06/15 14:49:09.04 3fLlYkZO.net
信長に何か敵を誘う策略があったとしか思えない。
しかしそれは何なのか?
平山氏などによると「信長が故意に兵力を少なく見せて武田軍を誤魔化した」としているが、信長が直々に来て少なくとも1万なんてことは考えにくい。少なくとも2万。
徳川と合わせたら2万5000。
1万の差なら勝てると誤解したのでしょうか? 織田は弱兵だと思って。
352:人間七七四年
18/06/15 15:16:57.62 N89095+6.net
>>339
>鳶ヶ巣砦と支砦が奪われたのが決戦の開戦直前
信長公記にはっきり日ノ出から設楽原本戦
辰刻に鳶の巣へ攻め上がったと書いてあるから
353:人間七七四年
18/06/15 15:38:05.32 aBTE9/cN.net
URLリンク(www.youtube.com)
時代を超えて受け継がれる
日本人の心意気。
354:人間七七四年
18/06/15 15:49:13.73 aBTE9/cN.net
>>341
信長公記を読むと、信長は軍勢を
段々に配置~要するに分散配置したとある。
これによって、武田側が織田勢の数を
見誤った可能性が高い。
20付の勝頼書状が偉く強気
なのはこのせいじゃないかと思う。
信長公記でも勝頼が長篠城を包囲
したまま動かなければ、
どうしようもなかったと
言う内容があったかと思う。
355:人間七七四年
18/06/16 00:24:57.39 ctDJP76B.net
だから突撃は武田本体を退却させるために退路を作るためにやったんだろ
退却するのに織田徳川の目の前を通過しないといけない
つまり織田徳川軍が前に出て着ないように押し込むのが山県や内藤や真田兄弟の役目
そして馬場は殿と
356:人間七七四年
18/06/16 00:41:47.27 Jq/HzceL.net
>>344
信長公記にあるのは川を前にして長篠城を包囲したままだったら
あそこまで酷い大敗にはならなかっただろうみたいなニュアンス
357:人間七七四年
18/06/16 01:13:58.65 GE+5JIyG.net
攻城中に自軍より多い援軍がきて攻城側が勝った例ってあんの?
358:人間七七四年
18/06/16 02:32:31.87 HpqUlybX.net
>>347
聞いたことがないよ。
むしろ武田は砥石崩れで自軍より遥かに少ない村上軍に手痛い大敗を喫したことがある。
砥石崩れには老臣連中にはまだ経験者もいるはずだから、こんなバカな真似するだろうか。
359:人間七七四年
18/06/16 03:35:33.81 Jq/HzceL.net
>>347
秀吉の中国攻めとかかな、毛利の方がだいたい兵力多かったはず
敵の増援に対しては陣地群で守り固めて、城に対しては付け城築いて包囲して時間かけて落とす
360:人間七七四年
18/06/16 05:41:53.63 vb1KMUwl.net
>>342
信長公記と同じく信頼性の高い大須賀記には「五月二十一日の九ツの始めから八ツ時分まで」 と書いてある
つまり戦闘は午前11時から午後2時頃まででこれと信長公記の記述を合わせて設楽が原の主戦場は明け方から双方小競り合い→武田の本格的な攻撃開始は午前11時開始が通説になっている
このことから武田の総攻撃は鳶ケ巣砦を落とされたことが影響しているとされている
361:人間七七四年
18/06/16 06:19:34.71 GHDnRjxL.net
>>350
>>331-337、>>340-344で言われてるように多くの人の疑問点は
なぜ武田軍は寒狭川を渡って設楽原に向かってしまったという武田勝頼の不可解な動きについての謎じゃね?
設楽原布陣後の突撃と良く混同されるよね
362:人間七七四年
18/06/16 08:22:23.02 6HIb8pNT.net
>>350
違う
砦への攻撃前から総攻撃は決まってた
攻撃する気がないならあそこに陣を敷かないし、合戦前の勝頼の書状も自分から突撃する気満々である
363:人間七七四年
18/06/16 08:46:36.52 vb1KMUwl.net
>>352
違うと言われてもねぇ
そこまで断定するなら論文書いて発表しなよ
364:人間七七四年
18/06/16 08:58:33.24 LBJvVNRi.net
>>351
長篠城の包囲にちゃんと兵を残して移動してるので相手の後詰めがやってきたと知ったら後詰めを叩きに兵を動かすのは定石通りというか特に不自然とは思わないけど
後詰めと戦うか対峙したまま動かないかは別として一定の距離を保って布陣はすると思う
365:人間七七四年
18/06/16 08:59:51.74 LBJvVNRi.net
でも何故あえてその場所かというのは疑問が残るね
信長公記でも勝頼が布陣にヘマしたようなことが書いてあるし
366:人間七七四年
18/06/16 09:04:23.97 GHDnRjxL.net
>>354
敵軍の兵力が二倍以上なのに野戦を挑むというのは定石じゃないけどね
遠征軍だと特に小荷駄や雑兵の比率が高くなるから特に侵攻側は兵力が勝ってないと勝負にならない
367:人間七七四年
18/06/16 09:09:19.10 6HIb8pNT.net
>>353
貴方が通説と書いてることは通説じゃないから
368:人間七七四年
18/06/16 10:07:08.66 H5Co0COw.net
>>356
よく織田の兵は弱くて、武田の兵は強いと聞くんだが。
何かの小説では「武田兵ひとりで織田兵3人を相手にできる」なんてあった。
長篠当時は、本当に両軍兵士の戦闘力はそんなに差があったのかな? また、両軍首脳にこういう認識、特に武田側が甘く見て、兵力差くらい強さで跳ね返せると思ったのかな?
369:人間七七四年
18/06/16 10:08:51.51 vb1KMUwl.net
>>357
はいはい
370:人間七七四年
18/06/16 10:11:48.92 QK+v4eVj.net
>>356
兵力が2倍というのは結果でしか分からないことで開戦前は敵兵力の見積もりは大雑把にしか分からない
織田徳川もあえて隠れた場所に複数の陣を置いたとも書いてあるんで武田はうまく騙されたのかも
371:人間七七四年
18/06/16 10:22:03.54 z0T/rcLF.net
>>360
でも徳川は最低5000はいるだろうし、織田軍は信長が直々に来たことは察知していただろうから、信長直々で1万以下なんて考えられない。
少なくとも1万以上、2万以下は見積もれると思いますが(3万は流石に考えてないかもしれませんが)。
仮に織田を2万、徳川5000と考え、長篠は敵地で地の利が徳川にあるとするなら、やはり無謀すぎませんか? それとも1万の差なら野戦でも勝てると考えたのでしょうか?
372:人間七七四年
18/06/16 10:28:58.04 GHDnRjxL.net
>>358
三方ヶ原の戦いでも武田の兵力は上回ってたし、織田徳川相手に武田側が兵力少数で野戦したのは長篠の戦いが初だよね
明知城の戦いで山県昌景が6000の兵で3万の織田軍を野戦で撃退したって嘘を勝頼が信じたのなら山県の罪深きことよ
373:人間七七四年
18/06/16 10:33:50.77 GHDnRjxL.net
>>360
織田徳川軍が岡崎城から長篠まで何日後に到着しそうだとか
何万の兵力なのかの偵察・情報収集を全くしなかったのなんて有り得るかね
岡崎城から来る途中なんて隠れようがないし
374:人間七七四年
18/06/16 10:40:25.32 6XIjx9+Q.net
>>359
はいはいじゃなくて砦への攻撃前から総攻撃は決まってたのが通説だから
そこのとこ訂正するように
375:人間七七四年
18/06/16 11:17:09.80 GE+5JIyG.net
>>348
逆に少ない援軍が大軍を蹴散らす例なら多数あるよね(勿論失敗した例も多数あるが)
あの前田利家すら佐々成政を末森城の戦いで破ってるし
やっぱ前後の挟み撃ちは強すぎる
>>349
毛利は名前出ると思ってたけど、毛利は水軍内部で混乱(毛利派織田派)がはじまると、
物質か前線に行き渡らなくなってたからなぁー
376:人間七七四年
18/06/16 12:42:33.42 Jq/HzceL.net
>>364
20日付けの勝頼の書状からそこはほぼ確実なんだよな
後方への書状だから多少盛ること考慮しても攻撃する予定だったのはほぼ確実
377:人間七七四年
18/06/16 14:09:24.80 ctDJP76B.net
武田の砦が落とされようがまだ落とされてなかろうが
織田徳川軍の大軍が出現したら川を渡って設楽原で織田徳川軍を抑えないといけない
織田徳川軍が前に出てきたら武田本体、勝頼自体の退路が失われるわけ
そもそも織田徳川軍が出現した時点で長篠城の攻略は失敗なんだよ
2倍の兵力差があって長篠城を攻撃し続けるのとかありえないわけ
砦どうこうより、この時点で武田軍は織田徳川と長篠城とで挟み撃ちにされている状態
そして武田本体の退却には退路が必要。この退路を作るための織田徳川軍への無謀な突撃だったと
378:人間七七四年
18/06/16 14:33:49.61 6XIjx9+Q.net
>>367
勝頼の合戦前の書状や信長記読んでどうしてそういう解釈なるのか全く意味不明
379:人間七七四年
18/06/16 14:37:53.86 Jq/HzceL.net
長篠城の対岸寒狭川越えた有海原は抑えないと長篠城救援されるだろうけど
設楽原まで出る必要性はないだろ
380:人間七七四年
18/06/16 14:41:08.35 3Hi9UxNA.net
>>367
援軍が来た時点で失敗は同意。
だが挟み撃ちにされた、退路の確保はどうかなと思う。
あのあたりは道が狭くて険しい。だから一部隊丸ごと2000くらいは失う覚悟なら信濃に逃げられないこともないと思う。
381:人間七七四年
18/06/16 15:26:58.29 GHDnRjxL.net
>>367
たぶん勘違いしてるんだろうけど元々の退路は長篠城の東だぞ
設楽原まで進軍してしまったために酒井の別動隊に東の退路を塞がれて
仕方なく有海原の北に退路を取っただけ
北は険しい起伏のある山道で甲冑来た1万5千の大軍が殺到してスムーズに通れる退路ではない
382:クバの化身
18/06/17 04:35:21.39 51w7GS5s.net
人の自演がわかるということは、自身の自演もバレている
こんな簡単なことを、まことは、統合失調症のためわからない
383:人間七七四年
18/06/17 07:18:49.95 v8vZT8OY.net
やっぱり戦闘は投石で始まったの?
384:人間七七四年
18/06/17 10:51:37.44 BS8cHWfu.net
>>327-332で言われてたように戦死者が多く大損害が出るのは撤退開始して敵に追撃された時
撤退開始位置が敵軍との距離が近ければ近いほど大損害が出る
>>350が言ってるように
>設楽が原の主戦場は明け方から双方小競り合い
20日では双方2.2kmあった距離が明け方には小競り合いが起こる距離まで詰めてしまっている
この状態ではもう退却しても追撃で大損害になる
どうせ同じ大損害が出るなら信長の首を討ち取って勝つ方に勝頼は賭けたってことでしょ
鳶ヶ巣砦が落ちたから突撃したのではなく、退却すると大損害が出る距離まで詰めてしまっているから突撃するしかない
つまり、最初から突撃する気でいたという>>352が正解
385:人間七七四年
18/06/17 12:09:25.16 LUu97AZH.net
>>374
徳川方が柵から出て戦ったとあるから必ずしも武田方が主体的に間合いを詰めていったとも言えない
挑発に乗ってしまったことも考えられる
一般的な誤解として織田徳川は柵から一歩も出なかったというのがあるが結構柵から出て戦っていたりする
野戦で有利な地形で戦うための挑発行為はこの場合不自然ではない
386:人間七七四年
18/06/17 12:37:11.46 BS8cHWfu.net
>>375
撤退すると追撃されて大損害が出る距離に詰めた時点でもう突撃するしかなかったんで
それで織田徳川軍が武田軍を後ろには退けない距離まで誘き寄せたら
狼煙を上げて酒井に急襲指令
砦の襲撃の報を聞いた勝頼は
勝頼「織田徳川は戦力分散した
そして、設楽原の織田徳川軍を実際に見ると少ないではないか。今こそ好機!」←織田徳川は実際は窪地等に隠して配置して少なく見せていた
武田勝頼が砦が襲撃されて退路がなくなるから突撃したんじゃなく、
砦襲撃による織田徳川の戦力分散(兵を隠してたことによる見た目の兵の少なさ)に騙されて
織田本隊が手薄だと勘違いして好機と見て突撃したのが妥当
387:人間七七四年
18/06/17 12:53:43.79 ns/Ec0Mh.net
歴戦の老臣たちは流石に鳶ノ巣攻撃で、はめられた、あるいは、おかしい、とは思わなかったのだろうか。いくらなんでも、この時点で違和感くらいは感じてそうだが。
388:人間七七四年
18/06/17 13:03:59.27 BS8cHWfu.net
結局の所、撤退すると敵に追撃されて大損害になる距離まで詰めてしまったらどうしようもないでしょ
逆に織田徳川の砦の襲撃はむしろ戦力分散の好機と捉えてたんでしょ
実際武田サイドからは織田徳川軍は少なく見えていたはずだし
信長さえ討ち取ってしまえば後は楽になるという淡い期待をさせるように信長本隊をわざと手薄に見せる
389:人間七七四年
18/06/17 16:01:26.00 0w6aILbA.net
酒井忠次が武田の背後を強襲するにはまた豊川を越えていかないといけないので長篠城の支援はできても主戦場に戻るのは難しい
渡河しても逆に長篠城を奪われかねないリスクが発生する
酒井忠次が奪った鳶ヶ巣砦は長篠城の支援と街道を封鎖する絶好の位置にあるが主戦場から見たら死に駒
390:人間七七四年
18/06/17 16:21:09.15 ns/Ec0Mh.net
>>379
幾ら何でもそれは無理でしょ。
別に酒井は武田の背後を突く必要はない。
武田の退路に待ち伏せしたらいい。奥平というあのあたりの地理に精通したのがいるからできる。
長篠城を奪い返す。元々、1万5000の武田軍が攻めても容易に落とせなかったのに、酒井や奥平がなんの備えも無く城を空にするとか考えにくい。
391:人間七七四年
18/06/17 17:55:04.79 md1/6Lrg.net
URLリンク(www.youtube.com)
時代を超えて受け継がれる
日本人の心意気。
392:人間七七四年
18/06/17 19:43:40.22 md1/6Lrg.net
>>379
信長公記を読むと、
前後から挟撃したことが
はっきり
393:書いてあるけど。
394:人間七七四年
18/06/17 23:39:30.80 98SAl7fp.net
戦争で一番難しいのは退却戦なんだよ
だから殿という生け贄も必要になる
この辺、無視して話してるよね
395:人間七七四年
18/06/17 23:50:58.84 CgLARe2V.net
敵の総兵力がどれくらいかとか
それがどこにどれだけ分散・集中しているかなんて
当時の人間に事細かにわかるわけねーだろ
396:人間七七四年
18/06/18 03:02:47.37 T0NRqLKn.net
>>382
信長公記にそんな記述あるかね?
397:人間七七四年
18/06/18 08:29:44.97 cCx6YLq5.net
>>385
前後より攻め立てという
記述がある。
398:人間七七四年
18/06/18 12:02:25.66 RgYGN7hZ.net
>>384
正確にわかれとは言わないが、ある程度は把握しないといけないのでは?
399:人間七七四年
18/06/18 12:11:44.35 sOvJr5hp.net
>>382
牛一さんがどこまで正確に書いたかは分からないが、元来た経路で敗走する隊もあっただろうし、当然挟撃の形になったのは確かだろうな
400:人間七七四年
18/06/18 13:29:32.84 C6FnFYCa.net
柵を破らないと陣城に到達できない訳だけど、その場合ってただ突撃する以外にどんな攻め方すればいいのに?
401:人間七七四年
18/06/18 13:32:54.40 bVM60UgA.net
>>389
攻めないのが一番。
というか撤退が上策かと。
兵力は敵の方が上。また、城攻めしていて武田軍には疲労がなかったかな、と思うので。
402:人間七七四年
18/06/18 13:50:31.97 n6S3shN/.net
>>386
挟撃の形になったとは思うけど
信長公記にそんな記述ある?
「前後の勢衆を乱し」のこと?
403:人間七七四年
18/06/18 14:00:50.13 Fo/9ShBr.net
>>103
なぁなぁで勢力拡大ってのが意味不明
404:人間七七四年
18/06/18 14:41:13.43 swDMuN06.net
>>389
>>317とか?
405:人間七七四年
18/06/18 18:24:40.62 YZi1kWT/.net
>>393
敵地に突入しながら大軍を率いて山中を退却とか夢でもみてんの?
406:人間七七四年
18/06/18 18:30:16.69 TqpthVNc.net
>>394
武田軍には長篠近辺の地理に詳しい武将もいないし、無理だよな。
407:人間七七四年
18/06/18 18:38:39.71 YZi1kWT/.net
>>395
万単位の軍勢が山中に突入して狭い地形を利用して応戦は流石に(笑)
山中をノロノロ逃げてたら被害拡大する可能性もあ
408:人間七七四年
18/06/18 20:16:02.08 swDMuN06.net
>>394
URLリンク(i.imgur.com)
敵地?設楽原に進んで戦った退路は北だけど
設楽原行く前の退路は長篠城の東で来た道だぞ?
409:人間七七四年
18/06/18 21:18:45.47 BxK0AZCt.net
>>397
奥平がいるからあの辺りは間違いなく敵地だよ。来た道を戻るにしても、地理に明るい奥平がいたら危ない。
410:人間七七四年
18/06/18 21:38:28.61 swDMuN06.net
>>398
奥平氏は三河国作手の豪族だから実際に長篠敗戦後に退路を取った先の北の山道方向のが詳しいよ
東が武田の大軍が来た道なんだから北の山道より圧倒的に退却しやすいんだけどね
実際に来た道と長篠敗戦後の退路が全く違うのを知らないんだろうけど
411:人間七七四年
18/06/18 22:57:30.12 lyVzAh69.net
>>397
これ地理見たら勝頼設楽原に攻め込んだらダメじゃん
速やかに捨て石の後詰め長篠城あたりに置いて
全力撤退しかないだろうに。
まあ日本軍のガ島みたいな状況かな。
攻めきれないのに攻めきって大敗したね
412:人間七七四年
18/06/20 19:09:32.89 DHqnMICd.net
>>391
勝頼が動いた契機の部分に、
前後より攻められ と書かれいる。
戦闘開始時間を日の出とも書いて
いるので、矛盾点あり。
尚、小山田信茂の書状の写し
には本格的な戦闘開始は
正午頃とある。
当時の一次史料から見るに、
武田の本格的攻勢は
背後を取られた事に気づいてから
と見て良いと思う。
413:人間七七四年
18/06/20 21:08:22.88 WQRRLRXY.net
長篠城は勝頼の代になってから家康が僅か2千の兵で5,6日で落としたんだってね。
いくら、補強済の城とはいえ、2万5千で落とせないとはな~。
勝頼も家康が火攻めにして落としたように勝頼も本丸のみになってからは、
同じ手を使えばよかったと思うんだけど。
414:人間七七四年
18/06/20 21:34:05.00 wT56aUFx.net
>>401
背後とられてから陣城に正面突撃とか、勝頼や幹部は正気なの? 普通は犠牲覚悟で逃げるべきでは? 何ならあのあたり一帯に火をかけて撤退するとか。
どうせ犠牲が出るのは避けられない。まだ陣城に正面突撃せずに逃げていたなら、犠牲は史実よりはマシだったのでは?
415:人間七七四年
18/06/20 21:52:19.07 C4naBiHi.net
敵前で逃げたら武田から離れる勢力増えるだけ。
信長と戦うしかない
416:人間七七四年
18/06/20 21:57:31.34 wT56aUFx.net
>>404
信長は金ケ崎でそれをやったけど、巻き返したよ。
417:人間七七四年
18/06/20 22:10:26.83 DRs+kWLp.net
>>403
後世の第三者から見ると逃げの一手なんだが、戦わずに逃げる断を下して、従わせるには信用かカリスマが必要
戦わずに退くことは、家臣達は大出費して出陣して褒美が無い
勝頼に出世払いの信用が無ければわ、勝って凱旋するか、負けて敗走するかの二者択一
戦国乱世は厳しい
つくづく現代日本はイージーモードだと思う
もしもいるなら、神に感謝
418:人間七七四年
18/06/20 22:38:37.95 C4naBiHi.net
>>405
織田のそれは浅井裏切りからの撤退だから
戦略の外の状況になったから逃げるしかない
その後は辛うじで勝ち残れたけどさ。
勝頼は決戦の場を長篠城周辺と決めてきたから
戦うしかないの。それで逃げたら武田内部から隠居勧告されるだけ。
419:人間七七四年
18/06/20 23:54:08.50 azAIVPjk.net
馬場信春の献策はダメなのかな?信長記にも馬場の献策の方が良かったことを感じさせる記述があるが
420:人間七七四年
18/06/21 00:14:32.64 iu5wG77C.net
武田は信玄時代から国人の自立性が強く組織が脆弱なんだよ
だから信虎は追放されるし信玄もクーデターを起こされた
信玄は家臣を信頼しておらず政務は便所に籠ってやっていた
信玄はこういうややこしい家臣団をまとめるために常に戦争に勝利して家臣団を信用を得ていた
信玄でも負ければ家臣に裏切られる
勝頼も父と同じように常勝を義務付けられていた
421:人間七七四年
18/06/21 00:17:30.66 Ijz4iAkN.net
>>409
中世は皆そうだよ
信長さんなんてあの死に様だし
422:人間七七四年
18/06/21 00:28:00.29 9uXWXpR8.net
>>402
違うぞ
長篠城主の菅沼正貞は元々、親家康派で信玄時代にも長篠城攻められても落ちなかった
武田に菅沼の本家が従属してたから本家の説得でやっと開城
今度は家康が長篠城を攻めると正貞は親家康派だったからあっさり開城
あっさり開城したために武田から家康との内通を疑われて拘束
そのまま正貞は武田に疑われ続けて獄中死した
武田の人質になっていた正貞の子は武田滅亡後に家康と面会し帰参を許される
長篠以後にも武田に従属していた三河武士は帰参を許されなかったのに
423:人間七七四年
18/06/21 00:31:46.82 iu5wG77C.net
だから信玄の領国経営が安定していたわけじゃないのね
勝頼は結果失敗したけど、そう無能扱いするほどでもない
武田24将は有�
424:シで、組織は磐石だったと勘違いする奴が多い 信玄の強さは恩賞にあったと言われる 戦最中にも良質な砂金を恩賞として与えていた この恩賞のために兵は死に物狂いで戦う 金山銀山をもっている大名はこれができたから強かった
425:人間七七四年
18/06/21 03:33:51.44 uDdGnwCt.net
簡単に撤退というけど撤退を決断するのはなかなか勇気がいること
ましてや一戦もせずほぼ無傷の軍勢を抱えていて敵とその総大将は目の前
この場合結果的には撤退が最も不利益のない合理的判断なんだけど現場の武将にすれば撤退することによる不利益が非常に大きく見えてしまう
426:人間七七四年
18/06/21 11:35:49.09 PnRx4146.net
当時織田家と武田家の国力差は日に日に開いていた
故に多少不利でも勝頼は決戦を急がざるを得なかった
戦えるうちに打撃を与えておかないと彼我の戦力差は開くばかり
こうした背景からわざと長篠城を落とさず織田を待ったと言う説もあるね
427:人間七七四年
18/06/21 12:34:01.83 XWRtZ8Hw.net
>>414
日に日に開いていた、って。
織田との国力差を考えるなら、まずは徳川家康を潰すことに全力を挙げるべきなのに、上杉謙信とは和睦しないし、東美濃には侵攻するしと、二兎どころか三兎も追ってるんだが。
信長は勢力拡大の意思が明らかなのに、勝頼は何がしたいのかよくわからない。
428:人間七七四年
18/06/21 12:47:37.60 w017WM/A.net
>>414
謙信の七尾城、手取川の戦いのように、長篠城を陥して、織田方に悟らせず、なんてことできなかったからなぁ
つまるところ、武田の新領地政策が拙くて、前線の地元民を味方にすることができなかった
結果、良質な情報も少なく、国衆の調略も上手くいかなかった
429:人間七七四年
18/06/21 13:34:19.46 9uXWXpR8.net
>>414
謙信の手取川みたいにすれば良かっただけだし
敵のが戦力二倍な上に、城囲うのに3000の兵を残して決戦とかアホすぎる
明知城や高天神城が内応で落ちたから長篠でも同じく
二度あることは三度あるで佐久間とかの内通約束を信じた説のがまだ信じられる
430:人間七七四年
18/06/21 13:44:35.63 egBc3VSt.net
>>417
仮に佐久間が寝返っても、そこまで影響あるのかな? 佐久間隊がどれくらいの兵力かは知らないが、5000以上なんてことはないでしょ。
武田の決戦兵力が少なすぎる。せめてあと1万いれば。
431:人間七七四年
18/06/21 13:49:41.01 Pj+TGVRc.net
手取川のようにすればいい( ー`дー´)キリッ
432:人間七七四年
18/06/21 14:07:48.06 9uXWXpR8.net
>>418
大混乱に陥るし陣城の裏から挟撃されるから陣城無効化できる
と普通は考える
何の策も無しに陣城してるところまで行って決戦挑むとか普通はしないわな
信玄時代の宿将もいるのに
433:人間七七四年
18/06/21 14:13:28.64 ZQZg4nxQ.net
>>417
ここで何度も言われているように敵兵力が倍だったというのは結果論であって敵兵力についての流言飛語が飛び交う中で最終的には目視で判断するしかなかった
信長も兵力を巧みに隠してるし
倍の兵力に決戦を挑んだからアホだと後世の人にしか分からない情報で決めつけてはいけない
434:人間七七四年
18/06/21 14:17:24.22 egBc3VSt.net
武田兵と織田兵との実際の戦闘能力の差はあったのかな?武田兵は強くて、織田兵は弱いという。
435:人間七七四年
18/06/21 14:23:13.57 9uXWXpR8.net
>>421
岡崎城から援軍が来るときは隠せないし
それまで偵察、物見などの情報収集しない設定は無理がありすぎる
436:人間七七四年
18/06/21 14:53:11.36 tQbioC5i.net
手取川は上杉側についた一向宗の領土での戦い
長篠は織田側の徳川領での戦いで状況が全く逆
地の利ある側が情報を制しただけだな
437:人間七七四年
18/06/21 14:58:36.85 ZQZg4nxQ.net
>>423
だからこそ攻めを急いだともいえる
岡崎に数万いたとしても、織田が構築した陣城に現在いくら集まってるかは分からない
織田も敵を油断させるために兵力を隠している
ゆえに敵が続々と集まってくる前に敵本陣を叩くと考えるのは不自然ではない
いずれにせよ戦場に敵兵力がどのくらいいるかの判断は目視しかない
438:人間七七四年
18/06/21 15:04:48.32 9uXWXpR8.net
>>424
何か時代を勘違いしてないか?
>>425
集まる前?
だったら信長が18日に到着して陣城築かれる前に総攻撃するだろう
極めて不自然
439:人間七七四年
18/06/21 15:14:42.60 57S7zaEl.net
手取川の戦いなんて織田が戦略目標を失って退却しただけ
実際に織田側の戦死者は下級士卒の1名だけだ
この戦いでもし教訓にすべき点があるとするなら当初の戦略目標を達成できないなら変な欲を出さずに退却する事だ
まぁ長篠の戦いで勝頼が早期に退却したら上杉が宣伝したように織田も鬼の首取ったかのように勝利を宣伝するだろけどな
440:人間七七四年
18/06/21 15:28:43.82 9uXWXpR8.net
>>427
明知城の戦いでも山県昌景が6000の兵で織田2~3万の援軍と野戦して追い払ったという誇大広告はしてたからな
実際は織田は城が落ちたから帰っただけなのに
それも周辺国に対する武田の武名を上げる効果はあるからな
ただ長篠城が落ちなかったからこんな悲惨な目に遭うという
長篠城をわざと落とさなかった説を言ってたのは現代の小説家の伊藤某だからな
歴史学者ですらない
441:人間七七四年
18/06/21 15:35:17.63 tQbioC5i.net
>>426
何か間違ってた?
まあ手取川も誇大広告だろうけど
442:人間七七四年
18/06/21 15:58:50.58 9uXWXpR8.net
>>429
416:人間七七四年 2018/06/21(木) 14:53:11.38 ID:tQbioC5i
手取川は上杉側についた一向宗の領土での戦い
長篠は織田側の徳川領での戦いで状況が全く逆
地の利ある側が情報を制しただけだな
↓
能登畠山家が謙信の介入を嫌い徹底抗戦した
上杉の領土ではない
謙信は一回は攻めたが北条の圧力で謙信は一回撤兵
その間に長続連が城を取り戻す
その後が手取川を言われる二回目の侵攻
能登畠山家=徳川に置き換えても状況は同じ
443:人間七七四年
18/06/21 16:05:39.93 tQbioC5i.net
単に会話が噛み合ってなかっただけか
城じゃなくて戦場の話ね
444:人間七七四年
18/06/21 16:23:33.53 9uXWXpR8.net
戦場も同じだろ
上杉軍=侵攻側
能登畠山家=防衛側
織田軍=防衛側の援軍
七尾城での籠城戦からの織田援軍派遣
長篠の戦い
武田軍=侵攻側
徳川家康配下の奥平氏=防衛側
織田軍=防衛側の援軍
長篠城での籠城戦からの織田援軍派遣
手取川は織田援軍が来る前に七尾城が落ちた
七尾城陥落により織田援軍は戦略目標を失い帰ったから上杉軍勝利
長篠では織田援軍到着までに長篠城が落ちなかった
このために設楽原で総力戦し武田軍は歴史上でも稀な大惨敗した
援軍到着前に城を落とせたのと落とせなかっただけの違いよ
445:人間七七四年
18/06/21 16:46:41.51 KOpvRZfJ.net
>>432
その違いが大きすぎた、としか言えないかと。
446:人間七七四年
18/06/21 20:50:16.58 9uXWXpR8.net
長篠城を落とせなかったのが全ての敗因だね
長篠城を落とせたけどわざと落とさなかったという小説家の戯言を説とするくらいなら
三河物語を根拠にしたほうが100倍マシ
447:人間七七四年
18/06/21 21:03:37.23 +NDdvcj0.net
>>434
仮に馬場が進言した、とされている、長篠城を多少の犠牲者が出るのを覚悟の上で無理押しして落とす。
勝頼本隊は長篠城に留まり、馬場、山縣、内藤ら精鋭が織田、徳川軍と対峙し、長篠城一帯の山間の地形を利用しながら長期戦に持ち込む。
これなら勝てたのかな?
448:人間七七四年
18/06/21 21:34:39.44 9uXWXpR8.net
>>435
信玄時代にも力
449:攻めしても長篠城落ちなかったし 砥石崩れを知っている宿将たちが本当に進言して実行するかは怪しい 明知城も高天神城も無理矢理力攻めで落としたわけ内応で落としてるからね 長篠から撤退案を進言したとされてるのが馬場だからな
450:人間七七四年
18/06/21 23:40:02.83 iu5wG77C.net
>>428
どこも戦争の結果を誇大宣伝するよ
織田とかも酷いだろう
当時の情報伝達手段は商人や僧侶の伝聞を記録したもの
実際の正確な情報なんて、勝てば官軍で勝者のやりたい放題なんだよ
つまり戦争をしたという事実させあれば、あとは情報戦で勝利することも可能
織田が有利なのは、堺を押さえていたこと。堺から全国に織田の力を宣伝することができる
現代でさえ、湾岸戦争やイラク戦争の正確な情報は分からない
日本や世界に伝わる情報はアメリカが流したもの
このアメリカの情報を信じることができるのか?
果たしてアメリカは本当の情報を世界に発信しているのか?
451:人間七七四年
18/06/21 23:52:43.35 cUK4yz/E.net
>>437
勝てば官軍でやりたい放題なら、織田やアメリカが勝者であることは間違いようがない
情報にリアリティを持たせるのは実績だからなぁ
452:人間七七四年
18/06/22 00:04:08.24 VEyvlhfb.net
例えば山県の赤備えは、実際は武田軍の広告塔で宣伝部隊
勝敗が決したあとに敗走する兵に追い討ち掛けるのが仕事
こうして逃げた敵の兵は自国に戻り赤備えの恐怖を伝え
武田はヤバイ強いと宣伝してくれる
そもそも赤備えは鎧や騎馬の割合からして金が掛かっていた
こういう部隊をいきなり戦に投入するとかないわけね
453:人間七七四年
18/06/22 01:11:34.90 bIcyQYHT.net
>>427
>当初の戦略目標を達成できないなら変な欲を出さずに退却する事だ
その辺の割り切りのよさは
金ヶ崎の退陣、明智城救援、高天神城救援の時も同じように発揮されたな
武田は上田原の敗戦後、暫く現地に留まって負けてないと言い張るだの
村上が留守している隙に戸石城攻めて落とせずぐだぐだし続け、戻ってきた村上相手に戸石崩れ
第一次駿河攻めで北条相手に戦い続け最終的に退却だの
損切り苦手だな
454:人間七七四年
18/06/22 03:17:40.01 MwpnbRu5.net
>>434
落とせなくても最初の本陣である鳶ヶ巣砦から動かなければ負けることはなかった
太田牛一は川を渡ったことが敗因と指摘している
長篠城陥落は理想だけどそれを言うなら武田は5万動員すれば勝てたと言ってるようなもの
455:人間七七四年
18/06/22 10:16:56.14 LZ2foYJF.net
>>441
武田が5万も動員できた時期なんて一度もないはずだが。
456:人間七七四年
18/06/22 10:49:11.19 peahxGn/.net
>>440
諦めるとは損切り出来ること
織田はともかく武田程度の国が遠征を発令して「得られる物が何もありませんでした」で済むだろうか?
457:人間七七四年
18/06/22 11:04:56.41 LZ2foYJF.net
>>443
徳川家康も毛利元就も織田信長も勢力が小さい頃にそんなこと何回も経験しているけど。
458:人間七七四年
18/06/22 11:51:45.79 MwpnbRu5.net
>>442
いやそう言う意味じゃなくて理想を言うなら何でも言えるという意味
459:人間七七四年
18/06/22 13:33:43.87 1vLxlCbc.net
>>441
話の流れから>>414に言ってるんでしょ
二行目以降も読めよ
460:人間七七四年
18/06/22 13:45:34.53 xnx4bJbI.net
日に日に開いているからって、焦ったら負けでしょうに。
織田家中で内紛が起きるのを、あるいは織田信長が何かの病気で急死するのを待ち、それまではひたすら守りに徹して内政
461:に力を注ぐ、というのは選択肢にないのかな?
462:人間七七四年
18/06/22 13:51:12.02 VApFwzJY.net
それただ差が開くだけじゃん
463:人間七七四年
18/06/22 14:09:09.04 1vLxlCbc.net
攻めるなら信玄の時みたいに信長包囲網で信長が動けない時に攻めろって話だな
包囲網作らずに単独で攻めても国力が既に違うからすぐに軍勢整えて来る
464:人間七七四年
18/06/22 14:11:37.39 cQAaoykV.net
>>447
信長が急死(急と言えるほど若くはないけれど)しても、すでに後継者の信忠が長じてる万全の体制だしなぁ
本能寺かてあれ親子と官僚団が軒並み消し飛んだからあそこまでの大事になったわけで、そのレベルのラッキーが起きるの待つってのは無理があると思う
465:人間七七四年
18/06/22 14:13:52.60 rvLU11nq.net
よく信忠が生きてたら安泰という人いるけど、いくらお膳立てしても本人の能力伴わなければ内紛勃発とか中世には腐るほどある話
少なくとも家臣の権力争いは始まるよ
466:人間七七四年
18/06/22 14:13:55.95 bIcyQYHT.net
>>443
信長は大勢力になる前から、損切りの決断早かったと思う
道三救援時の道三死亡後の反応、東美濃攻めや、河野島の撤退とか
467:人間七七四年
18/06/22 14:53:22.02 p3MxQeji.net
>>449
だからこそ敵本陣に信長がいると分かって我慢できなかったんじゃないの?
468:人間七七四年
18/06/22 18:02:29.03 1vLxlCbc.net
>>453
話が通じてないみたいだな
469:人間七七四年
18/06/22 21:36:59.66 mLD4+F9U.net
当初から武田の戦略としては、織田と戦う予定だったと思う。
ただし長篠城を落とすと織田は引いてしまうので、
織田をできるだけ引き付けておいて引くに引けない状況を作ってから
落とすつもりだったのでは?
一気に攻めれば落とせるはずなのに、落とすタイミングを狙いすぎて
落とせないまま織田と戦うことになってしまったのかも知れない。
470:人間七七四年
18/06/22 22:50:41.22 1vLxlCbc.net
>>455
なに、そのゲーム脳
471:人間七七四年
18/06/22 23:00:30.55 A0yS/Qgd.net
信長には陣城におびき寄せる餌があったとしか思えない。3万の兵士に鉄砲弾薬、陣城の資材とかなりの資金をかけてるし。引いたりしたらこれらが全部無駄になる。
472:人間七七四年
18/06/22 23:06:24.03 mLD4+F9U.net
>>456
アナタハバカデスカ
473:人間七七四年
18/06/22 23:51:31.55 mLD4+F9U.net
>>456
武田の立場に立って想定を考えれば十分あり得る。
長篠城を攻めれば織田が援軍に来ること→想定内
長篠城を落とせば織田が引くこと→想定内
長篠城が落とせなかったこと=織田の援軍が間に合ったことを意味する。
それ以外の理由で長篠城が落とせないことは想定外
史実→武田は打って出て大敗
理由:織田の兵力が想定外だったこと
つまり武田の長篠城攻略の本当の目的は織田と戦うことだったことも考えられる。
474:人間七七四年
18/06/23 00:13:21.31 JKcia7LN.net
>>459
兵力が想定外なあ。
織田信長が自ら出陣してて2万以下なんてあり得ないと思うんだが。
情報収集以前に、そのくらいの予測は普通はしないか?
仮に織田が2万でも、徳川と合わせたら3万弱。
これで野戦(ほとんど攻城戦)で1万5000の武田が勝つつもりなら、余程自らの強さを過信していたとしか思えない。
475:人間七七四年
18/06/23 00:19:39.95 h12r6wX7.net
>>459
・この時代、城を取ることは最優先
・岡崎城から来ているんだから兵数を隠すことは無理
そして援軍の兵力、後何日で長篠に到着するかの偵察物見等の情報収集しない設定は無理である
・遠征軍なために小荷駄の比率が高く攻城して疲弊しているのにそのあと野戦するのは無謀である
・長篠城は信玄時代に力攻めしても落ちなかった堅城で、その後に家康が改修済み
・長篠城を落とさずに信長と決戦したいがためにわざと長篠城を落とさなかったと言ってるのは
歴史学者でもない小説家の言だからまだ鳥居強右衛門や>>310の三河物語の長篠城を落とそうとしたが落とせなかった説を信じたほうがマシ
・信長と決戦するつもりなら陣城築かれる前に進軍して総攻撃するのが当たり前なのになぜか陣城が完成してから総攻撃したのは不自然
陣城完成した後に佐久間が誰かが内通約定を持ちかけた説のがまだ自然である
476:人間七七四年
18/06/23 00:50:06.86 AF6dlGNu.net
>>461
>>信長と決戦したいがためにわざと長篠城を落とさなかったと言ってるのは
そうではない。織田との戦いを狙っていたとしても優先順位は長篠城を落とすことが大前提だったと思う。
早く落とすと織田軍は引いてしまうので、タイミングを計っていたのではないかということ。
長篠城は一気に攻めれば落ちてた。
勝頼としても信玄が落とせなかった城を落としたとなれば武田内の発言力も増すだろう。
にもかかわらず、時間を要したのは織田との決戦のためで鳥居強右衛門の話は、もし、事実とすれば
予想外に長引いてしまったので武田側のあせりからだろう。
477:人間七七四年
18/06/23 00:59:22.45 h12r6wX7.net
>>462
明知城も高天神城も信長の援軍が来る前に落としてるのに長篠城だけは違うと言っても説得力はないよ
478:人間七七四年
18/06/23 01:04:33.01 etSefuj+.net
>>463
その二つを落としても勢力図に影響与えるには不足だったからこそ今回は決戦を志向したとも言えるじゃん
479:人間七七四年
18/06/23 01:09:01.72 h12r6wX7.net
>鳥居強右衛門の話は、もし、事実とすれば
鳥居の話は疑うくせに歴史学者でもない小説家の戯言は真実と思ってんのか?
480:人間七七四年
18/06/23 01:12:51.50 etSefuj+.net
>>465
鳥居の話は個人的には創作だと思ってる
そもそも射程距離外から声出して聞こえるのか?wって読んだ時思ったわ
481:人間七七四年
18/06/23 01:22:03.60 etSefuj+.net
>>461
>>>459
>・この時代、城を取ることは最優先
遠征につき城一つ落とす程度じゃ全然埒あかないよ
勝頼の頭の中は決戦決戦
>・岡崎城から来ているんだから兵数を隠すことは無理
>そして援軍の兵力、後何日で長篠に到着するかの偵察物見等の情報収集しない設定は無理である
信長記の記述ガン無視?
>・遠征軍なために小荷駄の比率が高く攻城して疲弊しているのにそのあと野戦するのは無謀である
小田原攻め~三増峠に比べたらマシ、だいたい小城だからほとんどは囲んでただけ
>・長篠城は信玄時代に力攻めしても落ちなかった堅城で、
無理すれば落とせる、でも被害は出るのは嫌だから囲んで決戦に挑んだとも考えられる
>歴史学者でもない小説家の言だからまだ鳥居強右衛門や>>310の三河物語の長篠城を落とそうとしたが落とせなかった説を信じたほうがマシ
所詮は限られた史料しかないから歴史学者の肩書きなんかいらないよ
鳥居さんは事実だとしても被害無しで落とせれば、の作戦
被害出せば落とせたかどうかまではわからん
>・信長と決戦するつもりなら陣城築かれる前に進軍して総攻撃するのが当たり前なのになぜか陣城が完成してから総攻撃したのは不自然
長篠城の方に来るかと思ったらずっと後方の設楽が原で陣を敷いたから決戦したい勝頼がわざわざ前に出た
482:人間七七四年
18/06/23 02:04:38.28 jnWw3P1V.net
>>466
磔されたという場所から長篠城の端まで距離にして50メートルちょい城の中心までも100メートルちょいだから川の音が多少煩くても
普通が声ぐらい届くんじゃないか?
山彦とか考えるとキロ単位で声が届いてるんだし
>>467
東三河吉田城攻め75年説採るなら、それなりに遠征していると思う
関東攻めに比べればマシだけど
483:人間七七四年
18/06/23 02:07:02.32 h12r6wX7.net
>>467
>遠征につき城一つ落とす程度じゃ全然埒あかないよ
>勝頼の頭の中は決戦決戦
明知城や高天神城も信長の援軍が来る前に内応で落としてるので、長篠も佐久間の内応で勝てると思ってる進軍したって方が自然
>信長記の記述ガン無視?
>>376の戦力分散で手薄に見せるために隠したって方が妥当
岡崎から兵を隠すのは不可能、そして後何日で到着するのかの偵察しない設定は無理がある
佐久間の内応の約束があれば兵力が劣っていても勝てる勝算が出るので自然である
>小田原攻め~三増峠に比べたらマシ、だいたい小城だからほとんどは囲んでただけ
>無理すれば落とせる、でも被害は出るのは嫌だから囲んで決戦に挑んだとも考えられる
長篠城は信玄期でも力攻めで落とせたことは無く、その後に家康が改修し>>310で鉄砲隊と大鉄砲に阻まれたり、
長篠城は武田の攻撃による損傷が激しく長篠後に廃城になったんだけど?
>所詮は限られた史料しかないから歴史学者の肩書きなんかいらないよ
>鳥居さんは事実だとしても被害無しで落とせれば、の作戦
>被害出せば落とせたかどうかまではわからん
その伊藤某は長篠城は土豪の城だから堅城ではなく、信玄がかつて落としてるから落とせないわけがないと間違った認識してるからな
城は深い水堀と鉄砲隊による防御力は伏見城や大坂城ですぐ落とすのは困難だと証明されてる
そして信玄は力攻めで長篠城は落としてなく説得で開城させている
>長篠城の方に来るかと思ったらずっと後方の設楽が原で陣を敷いたから決戦したい勝頼がわざわざ前に出た
長篠城周辺は道が狭いから決戦はできないのに
勝頼は長篠城周辺で待っていたのは矛盾が生じるが?
484:人間七七四年
18/06/23 02:18:56.09 jnWw3P1V.net
佐久間の内応は不自然すぎるだろ
後の佐久間の追放からの創作だろ
当時の佐久間は織田家トップで信長からの信頼も厚いし、
仮に裏切っても領地が織田領国に分散しているから、
この一戦で織田家崩壊レベルにまでならないと
徳川が武田に併合される間に周りから攻められて領地失うだけで先が無い
>>467
>長篠城の方に来るかと思ったらずっと後方の設楽が原で陣を敷いたから決戦したい勝頼がわざわざ前に出た
織田本隊は後方にいたけど、徳川羽柴丹羽滝川は長篠城近くまで進出して馬防柵築いて陣を敷いてる
485:人間七七四年
18/06/23 02:28:58.90 h12r6wX7.net
>>470
勝頼を誘き寄せるための偽の内応な
明知城や高天神城も内応で落ちたために偽の内応約定を信じてしまった
二度あることは三度あるとね
486:人間七七四年
18/06/23 02:34:16.67 jnWw3P1V.net
>>471
>勝頼を誘き寄せるための偽の内応な
それを理解した上でのレスだったんだが……
明地城や高天神城の時とは裏切る人間の状況が違い過ぎる
佐久間でなく東濃辺りの人間とか徳川家臣が内応なら可能性としてはあり得るので
武田も信じるだろうけど
佐久間じゃ荒唐無稽で武田が信じるとは思えない
487:人間七七四年
18/06/23 02:51:08.05 h12r6wX7.net
>>472
佐久間は三河まで兵糧持ってきたり
現地調査したりして信長に報告してるし
対浅井朝倉の時に信長を激怒させてるのは信長公記にも書かれてるからな
織田の三河&対武田担当だから逆に武田との接点が一番ある
488:人間七七四年
18/06/23 03:58:25.16 qQhLkrvw.net
>>463
高天神は何のこと言ってるのか意味不明。
明知は内応で落としたようなものだから、長篠城とは違うよ。
489:人間七七四年
18/06/23 04:14:44.39 h12r6wX7.net
>>474
高天神城は小笠原の内応で落ちた
明知城も内応
長篠城は信玄時代にも力攻めで落ちてはいない
そして長篠の戦い時の長篠城は家康が改修をしたのに加え
鉄砲隊がおり、城は勝頼に妻子を処刑された奥平が守っている
490:人間七七四年
18/06/23 11:07:05.55 fBRrFwVt.net
岡崎に数万いたとしても一瞬で戦場に集まれないよね
戦国期の街道は東海道でも道幅が狭くてくねくねとした道
東山道も同様だったので信長は安土城下に軍用道路をわざわざ作ったほどだし北条も武蔵攻略のために中原街道を一直線に整備して軍用道路にした
現代や江戸時代の東海道と一緒にすべきではない
武田からしたら長篠城の何キロも手前で進軍を止めた
後詰の救援としてはありえないほど不自然
織田に何らかの問題が起こったとみて隙をつこうとしたことは十分に考えられる
信長は作戦通りだったのかもしれないが
491:人間七七四年
18/06/23 11:46:01.96 HghPXaiM.net
長篠の戦いで陣城に突入したのは阿呆というが擁護出来る点はある
大規模かつ短期にこんな備えを用意した例が過去にない事
第一次大戦すら初期は機関銃を前に正面突撃を命じられた
(これは日露戦争の日本軍の人海白兵突撃で要塞を落とした事を参考にしているが…)
492:人間七七四年
18/06/23 12:54:38.66 h12r6wX7.net
隙を突こうと考えるなら陣城が完成する前に総攻撃するでしょ
陣城がほとんど出来上がった後に隙を付けるわけがない
隙を突くのが目的なら偵察を派遣して陣城出来上がってる報告を受けたら設楽原に向かう途中で引き返すわ
493:人間七七四年
18/06/23 14:34:11.11 sc16gBnk.net
織田の総数を過小評価。で、
陣城から織田をおびき出すのに、
ある程度接近して挑発。
そしたら後ろに回られ退路を
断たれる。ヤバイ、取り敢えず
前の敵を打撃した上で後退すべく
攻撃。三増峠の戦いの再現を
目指したが、火力に粉砕されて
壊滅…というのが実態じゃないかと。
494:人間七七四年
18/06/23 14:36:06.84 sc16gBnk.net
URLリンク(www.youtube....)
時代を超えて受け継がれる
日本人の心意気。
495:人間七七四年
18/06/23 15:28:45.25 RloY0GYy.net
ガタルの一木支隊か旅順の第一次総攻撃やらかしたんだろ。こっちの都合だけで敵さんの言い分は考えずに。
496:人間七七四年
18/06/23 17:00:16.85 qrM+d/jx.net
>>478
長篠城から何キロも西に陣城構築されても脅威と思わないだろ
長篠城の対岸だったらすぐにぶっ壊しに行くけどさ
497:人間七七四年
18/06/23 17:51:13.84 y6BnnDFT.net
>>477
司馬史観乙
乃木軍は第一次総攻撃で正面突撃が機関銃陣地に対して無力と判断し、以降は砲撃とともに塹壕を掘り進める
正攻法に変更した。
大本営は乃木軍に対して時間がかかりすぎると総攻撃を支持したが、乃木はこれを無視。
児玉も同意して、正攻法を続けた結果、攻城砲や空爆が無いことを考えると非常に少ない犠牲で攻略に成功し、
各国とも数年は耐えられるはずのはずの要塞が数か月で陥落したことに驚愕した。
乃木軍への評価が非常に高まった結果、奉天開戦において乃木軍を警戒したクロパトキンは、過剰な戦力をふりむけ
つづけることとなり、日本軍勝利の原因の一つとなった。
日露戦争の観戦武官達は欧州に帰って、歩兵の横隊突撃や騎兵突撃は機関銃に対して無力だと報告したが、
諸国の上層部は辺境の特殊事例だとしてドクトリンを変更しなかった。
その結果、第一次世界大戦において、一日で旅順を上回る被害を各国は蒙ることになった。
498:人間七七四年
18/06/23 18:11:05.33 h12r6wX7.net
>>482
隙を突くならって言ってるだろ
陣城できあがってたなら相手の準備は万端で隙を突けないだろって話な
499:人間七七四年
18/06/23 22:21:40.92 jnWw3P1V.net
>>473
接点があるって言っても領地の問題から佐久間が裏切ってもメリットがほとんどない
一応佐久間の領地は尾張南東だけども武田の間に徳川領あるし
南近江や畿内の利権もある
他の内応した連中みたいに領地の安堵や替え地の用意は不可能に近い
それどころか長篠で武田が勝っても佐久間は領地ほぼ失うような状況
こんなやつが内応言っても信じないだろうって話
前波みたいな例もあるが武田と織田じゃ織田の方がはるかに上だからなー
>>477
有海原の陣城は多分普通に落とせたからその感覚で設楽ヶ原まで出ちゃったとか
>>482
>長篠城の対岸だったらすぐにぶっ壊しに行くけどさ
実際陣地構築されて壊したんじゃ、でそのまま追い込んで行ったら設楽ヶ原まで行ったと
500:人間七七四年
18/06/23 23:03:19.92 h12r6wX7.net
>>485
長篠の戦いの前年に足利義昭より水野信元と徳川家康に
武田勝頼と協力して信長を討伐せよと言う書状が来ているから逆に利用したんだろう
水野はその後に佐久間に武田との内通を報告され処刑されてるからいくらか武田との繋がりは持ってたろうし
佐久間も対浅井朝倉で信長に口答えして激怒させてるからそのことを水野が旨く書けば信用したんじゃないか
明知城も高天神城も内応で落ちたから勝頼も調子に乗ってたろうし
長篠の戦いでも左翼と右翼が同時に動かずに左翼は徳川家康を攻撃したが
佐久間と水野がいる右翼は同時に動いてないし
501:人間七七四年
18/06/25 00:15:15.93 n010Jec3.net
武田は軍議で結論を出すというある意味、当時最も民主的な軍隊だったのかもな。
しかしそれだと時間もかかるし、皆、完璧な情報を持っているわけでもないし、
それぞれの国人領主の都合もあるから混乱しがちでまとまりにくい。
当時はむしろ、信長や謙信のように強い仕切り力のある人間がそのカリスマ力で、
機敏に動いた方が有利だったのかも知れないな。
長篠当時は勝頼にある程度の発言力はあったけど、カリスマとまではいかなくて、
陣城ができる前に攻める策を軍議の雰囲気を押し切ることまではできなかったようだったからね。
信玄でも軍議の大勢を押し切ることができたかどうかは微妙だったと思う。
信玄・勝頼ともに、鶴の一声。とはならなかった。
長篠だけに限らず最終的には、そのことが武田が滅びた原因だと思う。
502:人間七七四年
18/06/25 00:22:48.31 dZbiYUZC.net
>>487
その軍議の様子をなぜおまいが知ってる?
503:人間七七四年
18/06/25 00:31:31.89 /jZQN67R.net
謙信・信長もそんなカリスマないよ
しょっちゅう国人衆だの譜代家臣だの寝返ってたり謀反したりしてんじゃん
大勢力になればなるほど、離反したところで利がないから減ってくるってだけで
1地方の領主レベル(毛利・武田・上杉クラスでも)じゃ
常に国人の機嫌伺いながら軍議するしかないわけで
504:人間七七四年
18/06/25 00:52:34.81 n010Jec3.net
信長や謙信はいちいち軍議やったんでしょうか?
時には、やっただろうけど、特に信長はワンマン社長のイメージがある。
505:人間七七四年
18/06/25 03:27:19.52 /jZQN67R.net
割とマメに国人衆にお手紙出したりしてるよ信長は
それでも松永だの荒木だの別所だの離反されてるわけで
506:人間七七四年
18/06/25 07:36:20.07 70iU/iX/.net
決戦
507:人間七七四年
18/06/25 07:40:44.76 70iU/iX/.net
>>234では勝頼や重臣は撤退したかったが言い出せなかった
>>329では山県や馬場は撤退を進言した
>>406では国衆は褒美貰いたさに交戦を望んだ
>>407では勝頼は決戦を決め、武田内部から撤退したら引退勧告されるくらい決戦を求められた
>>487では軍議で家臣たちは決戦否定してたから行動が遅れた
いい加減、勝頼と武田重臣たちの立ち位置を決めとけよw
508:人間七七四年
18/06/25 08:15:16.50 SBpqCVc1.net
>>493
軍議の様子は後年の編纂物ばかりで、
実際にどの様なやりとりがあったのかは、
推測の世界に過ぎない。
当時の一次史料からはっきり
わかるのは、勝頼自身が非常に
強気であったという事だけだよ。
509:人間七七四年
18/06/25 11:48:38.54 sRwFXB/R.net
>>487
仮に陣城ができる前に攻撃しても、武田軍15000以下で織田、徳川連合は3万8000。こんな絶望的な兵力
510:差でどうやって勝つというの? 作戦もない正面突撃で。 2万3000も兵力差があって、作戦もなくまともにやって勝てるわけないよ。勝頼は戦勝続きで自惚れていたとしか思えない。
511:人間七七四年
18/06/25 11:50:34.87 70iU/iX/.net
>>494
勝頼無能説は有力だろうな
512:人間七七四年
18/06/25 14:55:45.74 hzJmhsh+.net
織田は腐った建物のようなものだ。引戸を一蹴りすれば崩壊する。
513:人間七七四年
18/06/25 17:13:35.18 /jZQN67R.net
>>495
自軍より多いだろうなってのはわかっても
そこまで戦力差があるとか、その率いてきた敵軍がどれだけどこに集まっているかなんて
当時の人間に完璧に把握できるわけない
何も遮蔽物のないだだっぴろい平野に両軍ズラーっと並んで対峙してたとでも思うのか
今川義元だって自称3万という軍を率いてきたが軍を分散して攻略中に本陣正面から急襲されてやられただろ
不利だとしても何の戦果も出さずに撤退するってのは難しいだろ
みんな軍費かけて出陣してきてんだから
ある程度博打になるのは仕方ない
大軍率いていて何の戦果も上げずにリスク考えて引き返すなんて
肥大化した織田家クラスの金銭収入がないと無理
514:人間七七四年
18/06/25 22:10:13.22 xWhJEwXU.net
川中島の戦いだってさ何も得ないで帰ってきたときもあるだろうに、
その時は碁石金で部下を黙らせたのかな?
515:人間七七四年
18/06/25 22:39:06.69 n010Jec3.net
>>498
何の戦果も出さずに撤退するリスクと
実際に戦いを挑んで負けるリスクと、どちらが負担大でしょうか?
例えば案外、三方ヶ原時の家康は負けてでも打って出ないと更に損失が拡大したように
考えられる。
516:人間七七四年
18/06/26 00:43:39.01 XDP4PhTL.net
実際、信玄も信虎追放で担がれただけだった
クーデターで主導したのは武田一族の国人の板垣甘利飯富
当初の信玄はお飾り主君
上田原で板垣甘利が死んでやっと大名として動けるようになった
飯富が義信の側近になったのを見ても武田の組織がどういうものかよくわかるだろう
こういう武田で勝頼はどの程度、発言力があって政治をできたのか?
軍義は勝頼どうこうじゃなくて決戦派と撤退派で揉めていたと思われる
要は戦争の最中でも派閥争いをしていた
これはよく話されている内容でしょう
517:人間七七四年
18/06/26 01:33:05.78 EArGTvzo.net
>>501
その話でいくと勝頼の頃には板垣飯富は粛清して、甘利は代替わりで弱体化してるから武田家当主の力は強かったということにならないか?
そう考えると軍議について跡部、長坂対その他で意見が分かれて、勝頼の意向が強いから決戦に行ったというのはそれほど違和感がない
518:人間七七四年
18/06/26 01:52:22.99 PGLt+g+n.net
>>500
当時の勝頼は特にそこまで追い詰められていなかったので、
普通に古府中に撤退していれば問題なかった。
519:人間七七四年
18/06/26 03:07:17.78 PGLt+g+n.net
>>500
三方ヶ原時の家康は戦わなければ崩壊していたと思う。
長篠時の武田はそこまでではなかった。むしろ信玄時代より勢いはあったということだが、
負けたあとの落差が酷過ぎなんだよな。
もう、ほとんど完敗で命からがら古府中に逃げ込んだようだからな。
520:人間七七四年
18/06/26 06:42:01.72 rhzhm77Y.net
勝頼は信玄が落とせなかった高天神城を落として調子乗ってたって話もあったな
書状にも突撃する気満々だったし
討って出ないと崩壊するとか考えずに勝頼はただの猪武者なだけだったでしょう
521:人間七七四年
18/06/26 07:37:52.72 VdiHP5QZ.net
>>505
高天神城を落として調子に乗った、は甲陽軍鑑の記録です。この際に高坂昌信が「これは滅亡の兆し」と述べたとも書かれています。
これが事実なら、勝頼がイケイケだった甲陽軍鑑の記録は信頼性があることになります。
522:人間七七四年
18/06/26 07:56:40.62 rhzhm77Y.net
>>506
一次史料の書状で勝頼がイケイケだったのは事実なんだよなぁ
523:人間七七四年
18/06/26 08:50:29.18 Xg44fbbI.net
>>507
5月20日の書状ですね。
確かにあれはどちらかといえばイケイケ。
ただ気になるのは、勝頼がイケイケなら、家臣が反対してもそれを押さえられるくらい当主として権力が強かった、と理解していいのでしょうか?
524:人間七七四年
18/06/26 08:54:02.22 K8J11rZI.net
>>500
三方ヶ原では、家康は家臣・国衆への領地安堵の実力が試された。
長篠での勝頼は家臣・国衆への褒美を与える能力が試された。
525:人間七七四年
18/06/26 09:00:58.38 85or7Ssd.net
家康の場合は、家臣も武田になびいても冷や飯食い間違いないしむしろ尖兵として織田と戦わさせられた今川時代に戻るの間違いないし、家臣は家康支えるのに必死だよ
526:人間七七四年
18/06/26 09:12:40.39 K8J11rZI.net
>>500
三方ヶ原では、家康は家臣・国衆への領地安堵の実力が試された。
長篠での勝頼は家臣・国衆への褒美を与える能力が試された。
527:人間七七四年
18/06/26 19:42:22.72 PGLt+g+n.net
織田の援軍が間に合って長篠城を落とせなかったが、
それで、もし武田が退却していたら、
武田、或いは勝頼にどのくらいのマイナスがあっただろうか?
528:人間七七四年
18/06/26 20:26:34.73 rhzhm77Y.net
北条や徳川との戦いも決戦は避け、お互いに対峙しては兵を引くの繰り返ししてるからな
武田軍は退くと崩壊するみたいに妄想してる人がいるだけ
529:人間七七四年
18/06/26 20:39:00.94 85or7Ssd.net
武田は、勝頼は置物ですから。
530:人間七七四年
18/06/26 20:41:48.80 rhzhm77Y.net
>>514
勝頼が長篠の戦いにイケイケだったのは書状から確定してますから
531:人間七七四年
18/06/26 21:26:19.84 exvSi4QL.net
>>512
1540年に尼子晴久が吉田郡山城の戦いで吉田郡山城を落とせず、大内義隆の後詰のために敗れた時くらいの被害じゃないかな?
532:人間七七四年
18/06/26 21:41:05.32 PGLt+g+n.net
>>513
対峙してるだけで両軍引き上げるのは引き分け。
城落とせなくて、援軍が来たから引くのは逃げたも同然。
影響は逃げたけど負けではない。くらいのマイナスなのか、
それとも1万5千で城を落とせなかったから事実上の負けくらいのマイナスなのか。
533:人間七七四年
18/06/26 22:04:55.55 rhzhm77Y.net
>>517
長篠直後に城を徳川に何個も落とされてるけど崩壊しなかったけどな
それなのに退くだけで崩壊するとか滑稽すぎるw
534:人間七七四年
18/06/26 22:14:43.48 8C/ailRv.net
信長「勝頼は俺を見ただけで逃げ出したクソ雑魚www」
公家衆「まじかよ!日記に書いとこ、武田はクソ雑魚wwっと、地方大名にも武田はクソ雑魚って手紙書いとくか」
後世の俺ら「武田(勝頼)はクソ雑魚」
ってなりそうだけどな
535:人間七七四年
18/06/26 22:17:58.39 rhzhm77Y.net
>>519
長篠の大敗での当時の武田の糞雑魚っぷりより評価下がることはないと思うよw
536:人間七七四年
18/06/26 23:19:06.18 n9Ugkyt5.net
>>516
たしかに天文9年の吉田郡山城の戦いは参考になるかもね
吉田郡山城を囲んで小競り合いしながら後詰めに出てくる大内との決戦を狙っていたようだし
この前NHKでやってた千田さんと資料館の人が陣地を探索してたけど尼子が想像以上に大規模だった可能性が指摘されてた
尼子大内間の戦争が各地で繰り広げられてたのと同様に足助や美濃方面でも攻防があったから織田武田両軍が主力の割り振り方によっては決戦が起きなかったかもしれない
でも実際は両軍とも主力をぶつけて決戦する気満々だったし実際に決戦になった
漫画だけどセンゴクの長篠編で信長と勝頼が決戦を望んでる書状�
537:タべて紹介してたのは素晴らしいと思った
538:人間七七四年
18/06/27 00:06:51.21 DHgF8s9b.net
URLリンク(i.imgur.com)
設楽原まで行ったから織田徳川軍との距離が近く逃げられないから被害が出た
そして史実の退路は長篠城からも退路をふさがれて北になったからさらに被害が出た
設楽原に行かずに織田との距離があって織田が陣城築いてるうちに
武田は夜から撤退準備始めて最初から東に退路を取って来た道を帰っていれば余裕で退却できた
539:人間七七四年
18/06/27 00:22:24.99 tgPN0qTT.net
第4次川中島も実際は上杉軍が退却を開始したが霧のせいで方向を間違えて下山して
武田軍と偶然遭遇しの大事故の可能性もある
両軍大混乱に陥ったから信玄と謙信の一騎討ちは本当にあった可能性が高い
長篠・設楽原も両軍、実際は戦う気がなかった可能性もあるよ
川中島も実際は不慮の事故だったのを、創作して戦国随一の名勝負になった
長篠も織田は戦闘を避け威嚇程度で終わらせるはずだったとか
武田軍も実際、戦う意思があったのか?
日本に限らす中世の戦争は一つのミスの大事故のせいで起きたものが多い
540:人間七七四年
18/06/27 00:25:33.82 tgPN0qTT.net
退路は北だろう
だから武田軍は勝頼本体を安全に退却させるために
織田徳川が前進してこないように押し込む必要があった
要は退路を作るための突撃の可能性も高い
541:人間七七四年
18/06/27 00:27:43.32 rNwMGtTU.net
いいや、長篠は信長も勝頼も書状で戦う気あるの明らかだよ
具体的には信長は酒井別働隊により包囲殲滅することを書状で書いているし、勝頼はこちらから決戦挑むと書いていて実際そうなった
542:人間七七四年
18/06/27 00:34:03.94 rNwMGtTU.net
>>524
すぐ撤退するなら東からさっさと撤退出来る
追撃があるというなら長篠城の辺りにある砦に殿を置けば何の問題もない
そうしなかったのは言うまでもなく勝頼が決戦を志向したからだ
543:人間七七四年
18/06/27 00:48:06.78 DHgF8s9b.net
>>524
退路は東だぞ
北の退路は険しい山道で大軍が殺到して退却できる道ではない
544:人間七七四年
18/06/27 06:53:43.92 CGNA+xSi.net
>>518
文章をよく読めよ。
>>517は引いたら崩壊するなんていってない。
退却した場合の影響はどうかを言ってる。
例えば、退却したら、織田・徳川・ひょっとしたら奥平も加わって追い打ちをかけて
こないとも限らない。
追撃戦で武田にある程度の被害がでたら、武田は負けたと風評される可能性もある。
信長のことだから手取川の時よりも過大に風評されるかもしれない。
545:人間七七四年
18/06/27 06:56:50.27 CGNA+xSi.net
それと勝頼の求心力がどれくらい低下するのか。
城も落とせず逃げてしまったわけだからね。
546:人間七七四年
18/06/27 10:50:34.52 w+WMrPnT.net
>>529
尼子晴久が吉田郡山城攻めに失敗して出雲に逃げ帰った結果。
安芸武田氏は尼子晴久の支援を受けられなくなり、大内義隆と毛利元就に攻められて滅亡。
しんがりを務めた尼子久幸が戦死。
安芸、石見、備後の国衆の大半が大内義隆に寝返る。
ということになっている。
これを一列にするなら、
三河の国衆が徳川家に寝返る。
東美濃の国衆も動揺し、寝返る可能性大。
遠州方面は不明。寝返りも多少はあるか?
長篠から撤退する際、しんがりを犠牲にする必要がある。つまり幹部武将数名と、2000から3000の死傷者が出るのは覚悟しないといけない。
これくらいかな?
547:人間七七四年
18/06/27 13:10:21.06 DHgF8s9b.net
>>530
>>522をよく読�
548:ンなさい ・設楽原で被害が出たのは織田徳川軍との距離が近かったため ・本来の東の退路を塞がれ、挟撃される形となり退路が北の険しい山道になったため 織田徳川は陣城築いていて距離を詰めて来ない上に長篠周辺は道が狭いので守りやすい 信長公記にも設楽原に来なければ信長はどうしようもできなかったと言われる 距離は十分にある 一応言っておくが吉田郡山城の戦いは両軍お互いを攻撃しあって距離を詰めていたからな そして雪に退路を阻まれてたのもある 設楽原と同じ状況な
549:人間七七四年
18/06/27 13:25:35.94 w+WMrPnT.net
>>531
いくら夜でも、1万5000の大人数が隠密裏に撤退なんかできますか?
そもそも長篠城に押さえすら残さず撤退なんかできますか?
しんがりを置かずに撤退できますか?
距離があるとはいえ、無傷で撤退ができるとは思えません。
550:人間七七四年
18/06/27 13:30:52.88 +7oaapb7.net
>>532
織田は設楽が原から動こうとしてなかったし、山で大軍の移動は無理
追撃するかも怪しいし、砦に殿置けば撤退は余裕でしょう
551:人間七七四年
18/06/27 13:42:54.65 DHgF8s9b.net
>>532
長篠城周辺は狭く大軍で戦えないから設楽原という拓けた場所に信長が陣城築いたのももう忘れたのか
そして勝頼が設楽原にこなければ信長はどうしようもできなかったと信長公記にも言われてたのも忘れたのか?
552:人間七七四年
18/06/27 13:55:23.20 DHgF8s9b.net
>ひょっとしたら奥平も加わって追い打ちをかけて
>こないとも限らない。
>そもそも長篠城に押さえすら残さず撤退なんかできますか?
長谷堂城の戦いでは撤退する上杉軍を籠城側の最上軍が追撃したら返り討ちにあった話を知らないのかな?
数百しかない奥平の兵が追撃したら返り討ちだろう
むしろ追撃してきた奥平をそれで戦死させれば長篠城を落とせる可能性すらある
553:人間七七四年
18/06/27 15:03:55.43 JVJttnpV.net
明らかに劣勢だからこそ目の前に敵の総大将が戦場に出てきて陣を築き始めたら主戦派の強行意見が通るものだよ
554:人間七七四年
18/06/27 16:44:54.48 CGNA+xSi.net
>>535
奥平が単独で追撃できるわけないだろ。
織田・徳川に加わってと書いてあるだろう。
申し訳程度で50~100人くらいかもしれないしれないけどな
555:人間七七四年
18/06/27 17:34:27.43 +7yht7Vl.net
>>531
>織田徳川は陣城築いていて距離を詰めて来ない上
何度か書かれてるけど信長公記によるなら織田徳川は距離詰めてきてる。
織田徳川全軍が設楽原でずっと待ってたわけじゃないぞ
556:人間七七四年
18/06/27 19:44:19.37 DHgF8s9b.net
>>537
>>とりあえず>>522見ろ
長篠城周辺は狭く織田徳川の大軍がいきなりワープはできないだろ?
>>538
誘き寄せるために行ったのか河を渡らず交戦記録も無いけどな
信長公記をいうなら河を渡らず設楽原に行かなければ
信長はどうすることもできなかったと言うのも考えなさい
大軍を活かせるのが設楽原しかなかったんだから
557:人間七七四年
18/06/27 19:58:24.43 tnYZl+Pd.net
信長って刀根坂で朝倉を自ら追撃して壊滅させたノウハウがあるけど。
刀根坂もそんなに広くないけどあのざまだし。
そもそも、長篠周辺は敵地。それに大軍の利を生かせられないのは武田側も同じ。
織田、徳川が追撃してきたら、武田側はやはりしんがり部隊と他の部隊との連絡がとれるのかなあ。
攻める方と守る方の違いもあるし。
558:人間七七四年
18/06/27 20:12:57.76 /7P6piwE.net
そもそも援軍と城兵に挟まれた時点で武田が有利な戦場を選ぶ事は殆ど不可能
古今東西敗北必至の負けフラグ
救援軍が攻城軍の兵的劣勢を覆す例なら数多くあるが、
攻城軍の2倍の援軍が到着して攻城軍が勝利した例があったら教えてくれ
備中高松城水攻めはなしね
あれは城側が打って出れないから
559:人間七七四年
18/06/27 20:20:20.36 DHgF8s9b.net
>>540
刀根坂の戦死者数は誇大だけどね
しかも最初から風雨に紛れて信長自らが追撃することを目的に進軍して距離を詰めてるから
長篠の時の信長は陣城築いてそこから動かなかったから長篠とは全�
560:ュ違うんだけどな
561:人間七七四年
18/06/27 20:21:13.07 /7P6piwE.net
>>540
逃げるって事は兵卒は壊走するから士卒が踏みとどまって指揮して戦う
そうなると踏みとどまる士卒はどうしても戦死率が跳ね上がる
つまり武士階級の損耗が著しく増える
長篠の戦いは士卒の戦死率が尋常じゃない
例えば山縣戦死とみれば山縣を護衛していた武士階級も壊滅したと見るべきでその損耗は尋常ではない
562:人間七七四年
18/06/27 20:21:34.50 tnYZl+Pd.net
>>541
武田軍ってそもそも、砥石城で自軍の3分の1の村上軍に手痛い敗北しているんだよね。城側と後詰に挟まれた形になると兵力に関係なく、精神的な圧力が大きいのかなあ。
563:人間七七四年
18/06/27 21:05:25.73 +7yht7Vl.net
>>539
勝頼の書状と信長公記の記述から単純に考えるなら
対岸の有海原に布陣していた織田徳川軍を設楽原まで押し詰めていった、になるから
普通に戦いはあったんじゃないか?
564:人間七七四年
18/06/27 21:30:28.69 DHgF8s9b.net
>>545
たぶん勘違いしてるんだろうが
信長公記にも先陣は徳川家康が務め、ころみつ坂上の弾正山に陣を取った
ころみつ坂は設楽原と有海原の間な
対岸ですらない
565:人間七七四年
18/06/27 21:33:04.45 nynTRyq6.net
有海原をどことするかだな、狭い意味なら長篠城対岸だけど、有海原周辺とするともう少し後方も含む
566:人間七七四年
18/06/27 21:36:31.63 +7yht7Vl.net
>>547
有海原に打ち上げって書くぐらいだし
設楽原からは抜けてるんじゃ?
567:人間七七四年
18/06/27 21:37:26.51 DHgF8s9b.net
>>547
ころみつ坂は現存するからその上の山だからもう場所は限られてる
568:人間七七四年
18/06/27 21:43:29.07 wrcUFA/g.net
>>535
長谷堂って全然返り討ちになってないぞ。上杉は兵隊溶かしまくって、なんとか逃げただけ。
義光が撃たれたのは流れ弾に近い。
で、その後、上杉が何もできずに逃げ出した庄内地方を丸々最上が占領したわけだ。
569:人間七七四年
18/06/27 21:45:42.41 nynTRyq6.net
>>548
まあ勝頼に打ち向かいだから設楽が原よりは長篠城近くまで行っていたと考える方が自然だとは思うが
570:人間七七四年
18/06/27 21:46:29.40 JnCLIWgn.net
>>550
敵中で敗走してる相手に譜代にろくにダメージ与えれない時点で朝倉義景並の無能追撃だぞ
571:人間七七四年
18/06/27 21:54:56.29 DHgF8s9b.net
>>550
追撃したが最上にも損害が出て最終的には籠城戦が帳消しになる失態だぞ
殿軍の直江が称賛されるぐらいに
572:人間七七四年
18/06/27 22:02:34.66 tnYZl+Pd.net
>>552
兵力差を考えよう。
上杉は2万。最上は6000。
これで追撃してるんだから、敵の首脳は逃げれるだろう。
しかも会津にはまだ無傷の数万もいたし。
573:人間七七四年
18/06/27 22:05:19.19 h6byMNMK.net
じゃあ勝頼はどこで織田徳川有利な状況で戦えたのかな?
せっかく織田本人が出張ってきたこの時こそ、乾坤一擲の勝負だったはず。
574:人間七七四年
18/06/27 22:13:16.84 d1I1kFgO.net
長篠の戦いを決断した勝頼を批判するなら、
織田徳川連合(北条も含む)と、どこで決断出来たか
ご提示くださいませ。
575:人間七七四年
18/06/27 22:25:33.99 rNwMGtTU.net
小牧長久手の戦いの家康みたいに基本守りを固める
576:人間七七四年
18/06/28 00:11:21.00 rTpM5HjD.net
三増峠の戦いは一応は武田軍による小田原城攻城失敗からの甲斐への撤退
北条の後詰軍による追撃戦だからそれを参考にするのが良いんじゃね?
山県とか当時の重臣が生きてるなら可能
577:人間七七四年
18/06/28 02:35:20.38 oj5or28S.net
>>489
しかし、織田軍・上杉軍で、もし設楽原での穴山のような行動は絶対に許されないでしょ。
徳川でも許されない。
その他にも勝手に戦線離脱した隊もあった。
実は勝頼は武田内でも舐められていたのかもしれない。
仕切り力・カリスマ力は信長・謙信・家康に遠く及ばなかったのかもな。
578:人間七七四年
18/06/28 16:11:15.43 ryN4v0TX.net
だからこそ劣勢でも決戦に傾くものだよ人間というものは
579:人間七七四年
18/06/28 20:45:45.23 mljD4Ny6.net
>>556 決戦を徹底的に避けて、精強な武田軍という抑止力を維持するのも戦略。
580:人間七七四年
18/06/28 21:13:39.76 j0ve3VDX.net
そもそも長篠城を攻める必要があったのか?
平地の多い遠江方面から攻勢をかけるべきだった。
確かに長篠城奥平は武田から徳川に寝返ったが、武田方の国衆を守るなら国衆の城に援軍を置いておけば良かっただけ。
遠江方面で戦えば徳川も奥三河に兵を出せないし。
581:人間七七四年
18/06/28 21:24:05.42 XaJfgrwx.net
>>554
しかも籠城戦に至るまでの間、各地で小競り合いをしてじわじわ痛めつけられた後の6000だからな。
関ヶ原でけりがついたといっても、兵力を背景に和平交渉してから帰ればいいのに、
ビビっちまって庄内地方を投げ出した直江さん、さすがパネェっすwww
582:人間七七四年
18/06/28 21:24:33.99 oxDt6yP+.net
長篠は一応遠江北三河に通じる交通の要所
583:人間七七四年
18/06/28 21:57:17.05 rTpM5HjD.net
>>563
さっさと兵を退いたのはむしろナイス判断じゃね?
兵をいつまでも残して圧力掛けてると
結城秀康と最上の心証が悪くなって潰されてたかもしれない
速攻で秀康に謝罪し、家康に許しを得るためにはごねては心証が悪くなる
584:人間七七四年
18/06/29 00:19:49.19 Sr2B/zQE.net
織田兵が武田兵より弱いというのはあるのかな?
585:人間七七四年
18/06/29 16:43:19.88 aPSLQ9cr.net
>>566
あるのは貧富の差から生じる意識の差
勝たなきゃ明日から苦しい思いする甲信兵と日本屈指の豊かな土地を持つ濃尾兵では当然意識の違いはでる
当然気候の違いに対しては強弱でるだろうな
586:人間七七四年
18/06/29 19:42:20.75 qPzay8O/.net
だからって、15000が38000に野戦を挑むとか、あまりに相手を見くびっているとしか思えんな。
それと今日は長篠合戦の日だな。
587:人間七七四年
18/06/29 19:45:21.78 IriLwqe/.net
おまえらの人生の長篠の戦いは勝利出来そうか?
588:人間七七四年
18/06/29 19:52:28.97 2vCbKkwU.net
雨が降っていたから設楽原に進軍したけど
設楽原に着いたら雨が止んだという晴れ男勝頼