長篠・設楽原合戦の真実at SENGOKU
長篠・設楽原合戦の真実 - 暇つぶし2ch2:人間七七四年
16/11/13 03:07:35.09 6wnR8y6D.net
鉄砲の三段撃ちって本当はどういう方法だったのですか?

3:人間七七四年
16/11/14 17:30:56.07 qKHhBKnu.net
鉄砲の三段撃ちは狙撃手と弾を込める人と渡す人に役割が分担されていた

4:人間七七四年
16/11/14 22:32:15.48 MN+JquFY.net
渡す人楽すぎだろ

5:人間七七四年
16/11/14 23:20:54.32 hvlzefMQ.net
鉄砲の三段撃ちは無かったんだよ

6:人間七七四年
16/11/15 00:28:45.75 YeXG8l4V.net
渡す人は弾を込める人から狙撃手に、狙撃手から弾を込める人にと往復するから意外と大変と見た。
特に両方から同時に渡された場合はどっちを先に取るか、そしてどっちに先に渡すか迷う。

7:人間七七四年
16/11/15 01:10:56.30 2up2FY+w.net
寒狭川渡ったのが謎
しかも長篠城も落ちてないのに

8:人間七七四年
16/11/15 06:04:19.05 20U5pbPu.net
三段撃ちと後の立花宗茂隊の�


9:″№ヘどっちが速いのだろう



10:人間七七四年
16/11/15 06:43:43.96 7gU/4cZ4.net
だから三段撃ちは無かったってのが最近の見解

11:人間七七四年
16/11/15 14:51:17.67 /l5Qb0mg.net
三段撃ち=大斉射が三回
こんな気がしてきた。
仮に弾篭めが終わった1000丁×3回の発射間隔の短い斉射が有ったら
当時だと大混乱すると思うぞ。

12:人間七七四年
16/11/16 05:18:15.38 YMxRHDHV.net
どうしてそこまでして通説を曲げようとするのか

13:人間七七四年
16/11/16 11:49:55.48 lK0hIMbv.net
昨日スカパーで信長対勝頼やってたけど、そもそも騎馬隊すら無かったのではないか?って説もある
大量の鉄砲で打ち掛けられたら、馬は錯乱して逃げ惑い、白兵戦になってたと
それに信長公記にも鉄砲五百丁の記述しかなく、本当に三百丁あったかも疑問

14:人間七七四年
16/11/16 11:50:27.25 lK0hIMbv.net
あっ、三千ね

15:人間七七四年
16/11/16 12:58:45.50 BBi3lBhA.net
武田にもそれなりに鉄砲があったから大混乱を起こしたとは考えにくい。
多少はあったとは思うけど。
再三言われている様に、数に劣る武田が防御陣地で守る多数の連合軍に突っ込んで、攻め崩せず敗走。
更に追撃を受けて多数の死傷者を出したってのが現実的。
長篠で武田の取れる選択肢は、長篠城を強引に落すか、包囲される前に逃げるかだとは思う。
そもそも決戦するには遅すぎるて速すぎる。

16:人間七七四年
16/11/17 21:16:44.69 t52YiZng.net
三段撃ちの三段とは「柵」「堀」「土塁」のことです

17:人間七七四年
16/11/18 00:13:50.92 8xWXpGXe.net
なるほど、上手いな

18:人間七七四年
16/11/19 23:16:51.57 kyIXRPD+.net
鉄砲隊を三隊に分けて全員が順番というよりも、特に狙撃手のエキスパートは大切なので「狙撃手」「渡す人」「弾を込める人」の三隊に役割分担されていたと思う。
むしろそう考えるほうが自然だと思う。

19:人間七七四年
16/11/20 08:02:02.39 W+naGWap.net
戦国時代の鉄砲に狙撃できるほどの命中精度はない
だから数撃ちゃ当たる集団運用

20:人間七七四年
16/11/20 09:51:21.24 oniIHhFK.net
火薬量も適当、弾丸も円形
まぁ当たらんな

21:人間七七四年
16/11/20 21:31:52.56 I84t+AzN.net
長篠・設楽原の戦いで討ち死にした武田軍の主な武将。
山県昌景、内藤昌豊、馬場信春、真田信綱、真田昌輝、原昌胤、原盛胤、土屋昌続、土屋直規、安中景繁、望月信永、米倉丹後守。
武田軍まぬけ過ぎる。

22:人間七七四年
16/11/21 16:57:49.30 N05GWt+f.net
>>18
雑賀衆のゲリラ戦術とかもあるし熟練の兵は狙撃してたと思うよ

23:人間七七四年
16/11/21 17:57:19.41 FGP6kSag.net
眉唾物

24:人間七七四年
16/11/21 23:27:34.99 16t1bV10.net
戦国日本の火縄銃はタイムラグが少なく狙撃に向いている「瞬発式火縄銃」だよ

25:人間七七四年
16/11/22 01:07:09.61 Hf1XWSnr.net
そういう問題ではない
ライフリングもない、粗末な工作精度の原始的な滑空砲から
いいかげんな球形の弾丸をテキトーな火薬量で撃ち出すのが火縄銃
その命中精度は推して知るべし

26:人間七七四年
16/11/22 18:52:38.85 j4rHAahI.net
>>23
頭大丈夫?

27:人間七七四年
16/11/22 21:19:57.39 NzRrdnq7.net
日本の火縄銃は命中率重視だったはず
少なくとも欧州ほど数撃ちゃ当たるではなかったはず

28:人間七七四年
16/11/22 21:32:19.39 NzRrdnq7.net
島津の場合は3発中1発以上あてないと切腹だったらしいから島津の名手はそれなりの命中精度だったと思われる

29:人間七七四年
16/11/23 06:37:33.46 IZvUZXSP.net
ヒント距離
狙撃というのは一般に遠距離射撃を指すが
字的な意味は「狙い撃つ」で距離は関係ない
五メートル程度の近接射撃で狙い撃っても当たれば狙撃成功

30:人間七七四年
16/11/23 06:48:21.24 lrMWz9ru.net
勝負の決め手は別に鉄砲でもないし

31:人間七七四年
16/11/23 12:21:01.30 PqE6A6yN.net
たんなる柵じゃなくて、けっこう本格的な砦をつくったんだよね
ふつーに攻城戦になった そうなりゃ守るほうが有利だし、
使用武器は飛び道具中心になる 明らかに不利なのに攻めた勝頼が悪い

32:人間七七四年
16/11/23 14:31:51.06 htarP4up.net
火縄銃は敵の突撃の勢いを削ぐのに使われた
また1発を弾込めしている間に敵はだいたい100mぐらい進む
そう考えると野戦の場合は引きつけて狙い撃つが基本だったと思うけどな
あと籠城戦でも物資に限りがあるからやはり狙い撃つというのが基本だと思う

33:人間七七四年
16/11/23 18:21:54.03 0bDCj9ym.net
>>27
ブラック大名だな
切腹させずに槍隊かなんかに配置転換すればいいだろ
そんな了見だから秀吉に楯突いたりバカな事を起こすんだよ

34:人間七七四年
16/11/23 19:44:02.74 Itwwgjhw.net
罰といってもアナルに大根突っ込まれる程度だろ

35:人間七七四年
16/11/24 01:21:37.68 67gvRJ3N.net
敵が万全の防御態勢で鉄砲構えて待ってるのに騎馬隊で突撃する武田軍アホだよな

36:人間七七四年
16/11/24 01:35:39.70 6Ar8SgZ6.net
数が少ないと思ったって言い訳はやばすぎる

37:人間七七四年
16/11/24 03:41:54.96 G2WcBDHD.net
歴史とは勝者が書き換えるもの
実際はどうだったか分からない件

38:人間七七四年
16/11/24 03:45:32.59 xCVHXXs0.net
>>34
武田騎馬隊なんてものは創作

39:人間七七四年
16/11/24 11:45:49.15 O+i0JT58.net
勝頼さんはちゃんと孫子お勉強しなかったのかな?

40:人間七七四年
16/11/24 15:47:11.09 c+f2h8NU.net
圧倒的大勢力が小勢力相手に策謀の限りを尽くして勝利した戦い

41:人間七七四年
16/11/24 19:10:03.47 /pQWXQpY.net
1万5千で城に籠る3万5千を攻めて負けた戦い

42:人間七七四年
16/11/24 19:14:42.43 6Ar8SgZ6.net
長篠城落として篭城したらどうなるの?

43:人間七七四年
16/11/24 19:36:00.30 /pQWXQpY.net
長篠城に1万5千は入らん 定員オーバー

44:人間七七四年
16/11/25 02:38:25.96 MlkqZo3I.net
>>37
なぜお前はそう考えたほうが普通の一般的通説を曲げようとするのか。
相当な捻くれ者だな。

45:人間七七四年
16/11/26 19:51:59.54 tbMyb1Gh.net
>>43
お前は右向いてなさいって言われたらずっと右向いてるタイプやね?w
最近の研究では武田の騎馬隊は無かったってなってるんだけどw

46:人間七七四年
16/11/27 01:04:24.94 4umU3H2V.net
実際は,武田方武将の多くは戦死地点から
追撃戦で討たれたらしい,て説もあるけど。

47:人間七七四年
16/11/27 02:48:16.44 6btTAbKJ.net
ほとんどは殿として撤退中に討たれたらしいね
勝頼さん重鎮を軽んじ過ぎ

48:人間七七四年
16/11/27 03:27:33.03 pQ7bszGF.net
>これ以後武田氏の勢力は急速に衰え、1582年(天正10年)滅亡を招いた。
領土は拡張してんだけど

49:人間七七四年
16/11/27 04:04:48.03 WORLixD5.net
戦線を拡大し過ぎると補給が続かない。
朝鮮出兵、太平洋戦争も同じ。
これは伝統的な日本人の癖で同じ過ちを繰り返す。

50:人間七七四年
16/11/27 09:57:08.47 NxQqWsbo.net
結局、甲斐信濃は貧しい土地だと言うのが原点だよね?
尾張美濃や相模武蔵だと、ある程度戦線は拡大できるんだから

51:人間七七四年
16/11/27 10:56:58.37 WiM9HlS0.net
配られたカードで勝負するしかない

52:人間七七四年
16/11/30 23:24:28.74 DZj0vNSE.net
設楽が原の真実は、穴山梅雪などが動かなかったから
勝頼と梅雪の主導権争いにより、実際半分くらいの軍勢で戦った、いわば関ヶ原の戦いみたいなものだったからだよ

53:人間七七四年
16/12/03 16:27:43.83 Wp3Ddm/k.net
>>7
元々武田側が織田軍叩きたかったからでそ
その前どこだったか家康の城落とした時は、落とすの早かったから救援きた織田軍が帰っちゃったから
今度は引っ張りこもうと攻城遅らせたし織田との合戦も進んで出ていった
実際長篠城攻防みるとあっという間に押し込んでるのにそこから手が緩んでる
後詰怖ければ被害が少々出ようがむしろピッチ上げて落とすところをのんびり織田軍がつくまで待ってた
ぐらいだから戦えば勝つと信じてたんだろな
まあ直接戦う機会作れず織田の膨張を隔靴掻痒で見てたろうからもうここしかないって感じは良く分かる

54:人間七七四年
16/12/03 18:44:25.33 T+YJaZVS.net
国人衆の集まりの組織なのにその重鎮達を軽んじてる時点で負け
勝頼さんの元では人は城になれない

55:人間七七四年
16/12/03 19:29:54.29 Hkr8nGw8.net
戦の時期がダメ
織田の戦力分散させれない

56:人間七七四年
16/12/04 06:29:03.23 psGpeUSn.net
>>53
其れは信玄の責任

57:人間七七四年
16/12/10 14:02:26.14 24r2BXGs.net
永禄10年(1567年)の武田の軍法で
騎馬武者の装備について言及があるんだけど、その中で
それまで騎馬武者の装備で面頬とか兜とかの装備がまちまち
(装備してなかったり、兜を笠で代用したりとか)で
見た目が悪いから兜や面頬の装備を徹底しろって信玄が言ってんだけど
「弓や鉄砲を馬上で使うものに関しては面頬の装備は随意とする」ってわざわざ書いてて
少なからず武田の騎馬武者には槍だけじゃなく
馬上で弓や鉄砲を使う者がいたのかもしれない・・・
大坂の陣における騎馬鉄砲隊がもしかすると規模は小さいがいたのかも・・・って
平山優の本に書いてあった

58:人間七七四年
16/12/10 14:17:23.33 24r2BXGs.net
>>44
>武田の騎馬隊はなかった
・武田の軍役帳による騎馬の割合は北条より少ないが上杉よりは遥かに多い
・馬の運用は西低東高であり、鉄砲中心の敵と戦い続けてきた織田軍は
本格的な馬の運用を有する東国大名との決戦は初であり
十分に「騎馬」を危険視していたからこそ、ただの柵でなく「馬防柵」を作った。
・時代劇のように戦の緒戦でワーッと集団隊形で突っ込むような騎馬隊はなかったが
足軽や鉄砲衆との連携上、騎馬武者が敵の乱れに乗じて敵を混乱させるべく
「ここぞ」という時に乗り込む事は多々あった。
(基本、序盤は騎馬衆は控えていて、勝負どころで運用された。馬が疲れるから)
撤退や追撃などの限られた運用しかされなかったわけではない。
・騎馬は指揮官クラスのみが乗っていたので、それを集団として運用することはない
そんなことしたら指揮官いなくなっちゃうだろという否定説があるが
士官クラスだけでなく牢人衆や下っ端も結構馬乗ってた事は軍役帳からわかっている。
だってさ。同じく平山優の著書より

59:人間七七四年
16/12/10 16:32:47.36 24r2BXGs.net
あとフロイスが「日本人は下馬して戦う」って書いてるけど
フロイスが主に見た合戦は中央や西国大名の合戦であって
東国ではまた騎馬の運用も違っただろうし
実際騎馬武者が東国では状況に応じて下馬しないまま
(当然、徒歩武者などを引き連れてだけど)
とっこんだ記録はたくさんあるってさ

60:人間七七四年
16/12/10 16:45:17.34 24r2BXGs.net
つまり
鉄砲戦術(新兵器・革新)と騎馬戦術(旧兵器・保守)の単純な勝負という話ではなく
このあとの時代の合戦でも、織田軍の戦いでも
(柵などを設けて待ち構える)鉄砲に対する突撃という戦法は
ごく当たり前に正攻法として存在し、まま突撃部隊が鉄砲隊を打ち破る事もあった事などから
特に愚策というわけではない。
(信長も少数精鋭部隊で本願寺の鉄砲衆を撃破したりとか結構よくやってる)
はじめから武田と織田徳川連合軍に兵力差があったのと
武田の足並みが揃ってなかった事が原因かと思われる。
信長が周到にこの戦にかけて準備してたってのもあるね。
局地戦での勝敗でいえば武田側が勝つ目もないわけではなかった

61:人間七七四年
16/12/13 17:14:30.13 ZJuc4JSO.net
馬に乗ったまま鉄砲をぶっ放したら、馬が驚いてしまうよ。
馬に乗ったままヤリが精一杯だな。馬上から弓を使う武者もいるが、技量がいる。

62:人間七七四年
16/12/13 19:24:31.81 9gyfr88+.net
部隊としては運用できないだろうけど
個人でそういう後先考えないで鉄砲もつ奴がいたんでしょ。
じゃなきゃわざわざ弓鉄砲を使う者は面頬つけなくてもよし、と書かないだろうし

63:人間七七四年
16/12/14 04:45:27.86 CRFkic2y.net
>>59
勝頼と穴山梅雪の主導権争いもあり、実際戦った兵も少なかったからね

64:人間七七四年
16/12/14 12:36:40.24 c7mObSgS.net
武田は過信しすぎだよな
あれ柵に正面から向かわないで、南から迂回して西の背後から回り込むように仕掛ければ
防壁のはずの柵が退路断って織田徳川壊滅させられたと思うわ
護ってくれるはずの柵が後ろにある事を認識したら織田軍が踏ん張れるとはとても思えない
瓦解して負い討ちに大損害食らいそう
徳川が少しは踏ん張るかもしれないけど、所詮領内荒らす武田相手に逃げ回ってた軍だし
とても支えられるとは思えない、もし踏ん張ればそれだけ損害増しちゃうって有様で全滅の
憂き目もありそう

65:人間七七四年
16/12/14 13:14:33.38 RmdAtMJX.net
梅雪はそんなに勝頼が気にくわないのにクーデターでも起こさなかったんやな
勝頼は基盤盤石とは言えなかったし仲が悪い一味もいたようだからその気になれば行けたやろ

66:人間七七四年
16/12/14 19:39:05.06 omp5mEbk.net
信長が酒井隊に大量の鉄砲を持たせて迂回させたのを啄木鳥戦法だと思ったんじゃない?
上杉は武田を抜けなかったけど、武田なら織田を抜けると考えたとか

67:人間七七四年
16/12/15 02:06:07.26 LkgNuSNY.net
あと決戦前に羽柴・丹羽隊が先遣として武田を挑発してて
これを見た武田軍は「織田の援軍は大軍って聞いてたけど意外と少なくね?」と油断したらしい。
んで有利な地形を捨てて、織田の待ち構える場所へ誘い出され
そこでもさらに窪地などに兵を潜めて少なく見せていた織田を侮り
「これはいけるかも」と思って周辺国衆に今回の合戦は大勝利!的な書状を撒いてるので
織田と武田の諜報能力の差ってのもあるかもしれない。
織田は武田を恐過ぎるくらい恐れて万端の準備をしいて挑んだのに対し
武田は甘い見積もりで「勝てるかも」くらいの意気込みでたいした準備なく決戦に挑んだ感ある

68:人間七七四年
16/12/15 19:16:13.84 1y/L3cwp.net
織田側も今回はことごとく討ち果たす予定www
って宣言してるしそんなもんやろ

69:人間七七四年
17/01/10 09:50:45.18 z8soNdBH.net
勝頼は「敵は手立てに困って引きこもってるからこちらから攻めて殲滅するつもりだよ」
信長「敵はわざわざ前進してきて包囲殲滅し易くなったから大勝利間違いなし」
勝頼の方が普通に状況判断が甘い

70:赤岡 龍男
17/02/18 01:07:37.67 RAqUtYcOu
長篠合戦 やはり武田の騎馬武者は脅威だった。武田の鉄砲の弾を通さない重甲冑を馬に乗せていた、
重甲冑が数倍の織田•徳川の鉄砲隊に乗り込めば他もなだれ込み負けなしだった、
だから織田•徳川は対策に柵を設けた。

71:赤岡 龍男
17/02/18 01:09:52.65 RAqUtYcOu
掲示板でもディすられてすぐダメになるメンタルプロテクター低い人より、
へっちゃらのメンタルプロテクター高い人が手強いのと、何となく似ている。

72:人間七七四年
17/03/10 15:25:23.70 1DpuDJck.net
織田は柵作って大軍の利点の一気の押し出しが出来なくなってるんだから、武田は柵無い南に回って横から攻撃掛けりゃいいんじゃないの
なんでわざわざ策壊してまで正面攻撃にこだわったんだか謎だ

73:人間七七四年
17/03/11 19:17:08.89 9A1sXcTw.net
半包囲されてたから

74:人間七七四年
17/03/14 12:31:41.58 l54comFd.net
迂回したら一気に押し出しで終わるからだろ

75:人間七七四年
17/03/14 22:33:32.62 ZRXcYvCJ.net
地図みろや

76:人間七七四年
17/03/21 21:00:21.45 EzUPzu8x.net
織田が出てこないから武田から攻めてるのに織田が出てきて終わるとか凄いなw

77:人間七七四年
17/04/30 20:56:08.27 XB7Eg3SB.net
織田の勝因は、馬防柵と相手より3倍近い兵力を集めたこと。
馬防柵については、甲陽軍鑑に戦というよりも城攻めのようだったという記述が残っている。
それでも、武田軍は果敢にせめ、徳川の記録では馬防柵三段のうち二段まで破られたとある。
しかし、結局は織田・徳川軍の数的優位に圧倒された。
武田の猛将のうち、馬防柵近辺で打ち取られたのは内藤修理だけで、あとは追撃戦途上のもの。
ともあれ、鉄砲が主役の戦いではなかった。

78:人間七七四年
17/05/01 02:58:32.89 s7fp1BSq.net
なんか甲陽軍鑑じゃ重臣連中は反対したのに勝頼が連戦連勝で驕って攻撃させた事になってるけど
実際は重臣連中もやる気満々だったんだろうな
ここで織田徳川連合軍撃破すればもう徳川方の豪族は離反しまくるだろうし新しい知行地ゲットのチャンスだもんなぁ

79:人間七七四年
17/05/01 04:59:36.72 TKNqCd9A.net
やる気まんまんっというかやらんとまずい。
朝倉浅井滅亡
本願寺半包囲、長島壊滅
越前の反織田派は内部分裂を起こして機能しない
信玄の上洛詐欺も大概やったし、この状況下で戦わないで帰るとどうなるか予想してみ?
武田の威信は地に落ちるで(σω≡)ホジホジ
まぁ実際戦わないで帰ってれば、後に上杉や毛利が参戦してきて、もっと良い状況で決戦出来たけど、それを言うのは酷だな。
しかし戦うにしても長島が生きてる間にしないと戦力差が大きすぎる。

80:人間七七四年
17/05/01 11:17:34.23 Rvs0ErTv.net
陣城作っておびき寄せて発砲するを繰り返して勝ったんでしょ

81:人間七七四年
17/05/01 14:53:53.50 A4otXSsp.net
>>76
小幡も馬防柵付近で死んでね

82:人間七七四年
17/05/01 16:17:33.59 rY9gwRao.net
長島が信長に攻められてる時に
のんびり高天神城攻撃してたんだっけか?

83:人間七七四年
17/05/02 02:28:13.66 Q0ERLPPV.net
地理的にも長島は尾張に近いし、ここで反織田勢力が抗戦する意義はでかい。
長島一向一揆の規模は質はともかくとし、数は多いため、武田が東から圧迫すれば、
もっといい条件で織田と戦えたし、或いは長島を戦略的に救うことも出来たかもしれない。
長篠の戦いは、長篠城を落とせず、長篠城の囲みは破られ、しかも武田軍より多い援軍が来援した時点で余程の事がない限り勝てんやろ。
っか、攻城軍より多い援軍かきて攻城側が勝った事例てどらくらいあんの?
逆なら
郡山城の戦い
毛利約1万援軍大内1万 対 尼子約3万
末森城の戦い
城約3千援軍約3千 対 佐々勢約1万5千
とか挙げたら数多あるけど、その上攻城軍を上回る援軍がきたら絶望的じゃん。

84:人間七七四年
17/05/02 02:52:11.27 1X83yg1G.net
設楽が原で武田軍の前面に配備されてた兵力って2万程度らしい
残りの1万以上は丘の後ろで待機
1.5倍程度ならなんとかなると思っても不思議ではないな

85:人間七七四年
17/05/02 02:59:28.04 Q0ERLPPV.net
前後挟まれてる時点で武田も全軍が正面と対峙出来るとはとても思えないのですが…

86:人間七七四年
17/05/02 04:37:59.62 661kNDKG.net
信長、敵に見えないように3万を上手く埋伏させる( 敵がたへ見えざる様に、段々に御人数三万ばかり立て置かる)
勝頼「思ったより少なくね?さては度重なる軍役で愛想つかされたな?チャンス!(←まちがい)」有海原に出ていってしまう
信長、鳶ヶ巣山を強襲して後方を抑える
勝頼「おいおいやべぇ! 突撃しかない!」→悲劇

87:人間七七四年
17/05/02 11:50:43.86 pqNClP0p.net
結局この時の勝頼の取るべき方法って
1 退却する
2 長篠城を一刻も早く落とす
の二択だよね?
後詰めにきた武田の倍の大軍が何も出来ずに丘に柵作って出てこず
長篠城は落ちましたなんてことになったら戦で負けるのと同じくらい徳川はダメージ被る

88:人間七七四年
17/05/02 18:01:10.77 Q0ERLPPV.net
2は無理と思われる。
まず、援軍が到着した時点で長篠城を落とす事は不可能に近い。
犠牲を省みない総攻撃を行えば落とせるかもしれんが、それじゃ今度は援軍の織田と戦えない。
長篠城落としても、それに見合うメリットが殆どない。
収容不能な小城・敵中孤立・戦略的に有利にならない等。
とにかく落とせなかった時点で直ぐに退くしかないよ。
武田の威信も地位も名誉も吹っ飛ぶかもしれんけど。

89:人間七七四年
17/05/02 19:11:08.36 xn1ykq4U.net
徳川は遠江や駿河で城攻めしてる時
武田の後詰めが来るとすぐに逃げてたよね?
別に徳川の維新用いも名誉も吹っ飛ばなかったけど

90:人間七七四年
17/05/02 19:15:38.14 xn1ykq4U.net
そもそも1万5000しか動員しなかった時点で武田は織田の来援を想定していない
徳川相手ならこれで十分という判断
織田が来た時点で退却だよなぁ

91:人間七七四年
17/05/02 19:24:06.74 L92wBa7H.net
信長公記の後知恵論の鳶ヶ巣山に本陣を置いて睨み合いしながら長篠落とすが正解だろうな

92:人間七七四年
17/05/02 19:55:01.49 661kNDKG.net
「長篠城攻囲に攻め手を七首残して、別途1万5千であるみ原に向かった」って書いてあるから、
少なくとももっと多く動員してただろう。「七首」がいくらかが問題なんだが、
「七首」は別働隊酒井軍4千+長篠城の兵士に挟まれてあっさり敗走したようだから、4000よりは少ないと見ていいんかな
ちなみに研究者の谷口克広は2000ほどとしてる。どっからきた数字なんだろう

93:人間七七四年
17/05/02 20:37:14.63 Q0ERLPPV.net
>>88
徳川は別に戦略的な背景がないから、敗走しても別に問題ないやろ。
武田は反織田勢力として活動してるのに、中央の戦いに全く寄与してない。
寄与してないばかりか、信玄の中央圧迫は完全に失敗した。
その上、戦わず逃げたらそりゃ織田軍は中央で宣伝工作するやろうなぁ。
ここで戦わないで逃げるのは長島に続き、越前一向一揆も見捨てたと言われかねないし。
まぁ、それを覚悟しても逃げなんけど。

94:人間七七四年
17/05/02 23:07:10.75 v/dPVzZt.net
>>88
そら武田の方が格上だもの徳川(当時)よりは
弱い方が逃げたって地位も名誉も糞もないだろ

95:人間七七四年
17/06/10 11:59:19.85 rwU8I0zWn
酒井隊派遣を聞いて「鉄砲千丁?ってことは相当の大軍やな!それなら川中島方式でいけるやろ!で正面攻撃をかけたんでは」

96:人間七七四年
17/07/09 17:54:24.98 3jyRN7T7.net
織田って戦略的に動いていたんですかね?
トップの信長は戦略を部下に示したことが一度でもあるんでしょうか?
宣伝もなにも、信長様は何を考えておられるんだろ?レベルで最後まで終始していたのではないか。
身分不相応に人々が国家天下を語り始めるのは江戸幕府成立以後じゃねえか?

97:人間七七四年
17/07/09 18:17:05.57 mLN36yMp.net
第二次織田包囲網を耐えきった後は戦略的に天下統一事業進めてる気がするけどな

98:人間七七四年
17/07/09 19:33:25.60 3jyRN7T7.net
信長が戦国時代の次の世界を具体的に描いていたかどうか、皆目判らない。子供が右往左往しているぐらいだから、赤の他人に至っては何聞いていないのだろう。
金閣を建てた義満と同じぐらいの、一時的な覇者止まりの器である可能性も否定できない。
だから、信長を中世社会の中の近代的な人物の代表であるかのように扱うのは飛躍だと思う。

99:人間七七四年
17/07/12 00:31:16.22 CBo4MGBQ.net
戦略とか大層なものではなく、並外れたバイタリティと部下の酷使が強さの秘訣

100:人間七七四年
17/07/12 08:56:53.06 5hzl6uPe.net
やっぱ経済力じゃね? 首都圏押えてたし
じゃあ三好はなんですぐ追い出されたんだってことになるけど

101:人間七七四年
17/07/12 10:34:45.27 58k7IWgg.net
三好の基盤は四国方面(阿波)だから
もともと忠誠の薄い連中も多いし(丹波方面など)
信長が上洛狙った頃には内部抗争でボロボロだったし

102:人間七七四年
17/07/13 10:52:35.28 qxJqH4C/.net
信長は従わない一族とか国人領主とか滅ぼして
子飼いの部下が多いってのはあるね

103:人間七七四年
17/07/13 16:25:54.58 HNGJ4OMR.net
>>101
別に多くないと思う

104:人間七七四年
17/07/13 16:35:58.82 lP7TVQMi.net
なぁなぁで勢力拡大した訳じゃないから、新規に採用した武将は多いのは確か

105:人間七七四年
17/07/13 17:18:48.98 0RyU5hvH.net
なぁなぁで勢力拡大してるけど、そのなぁなぁ勢を強引に家臣扱いする(美濃三人衆も信長の直属軍団、ゆうたら旗本にされた)
だからトラブルも多い

106:人間七七四年
17/07/13 17:23:07.56 HNGJ4OMR.net
>>103
武田と比べて多いかというと全然そうは思わない

107:人間七七四年
17/07/13 20:07:59.71 xplPD4A+.net


108:人間七七四年
17/07/14 07:54:59.06 Bp6/vLBa.net
信長並みの面積を制覇した毛利とか武田と部下の配置や出場を比べると明らかだと思う。
武田の軍制は、小隊とか中隊の概念の一歩手前まで来ていたと言う。変化というか、進歩の具合が色々だ。

109:人間七七四年
17/07/14 08:40:41.64 60nCSKjF.net
武田は長篠で部隊指揮官レベルが軒並み戦死して
軍隊としてのレベルが大幅低下
仕方なく勝頼は鉄砲の装備比率を上げて射撃戦重視へ
それで北条相手に有利に戦進めてたんだから成果はあったんだろう

110:人間七七四年
17/07/14 18:37:04.03 NtW2F3Pv.net
長篠古戦場をゆっくり散歩したが古いお地蔵さんや石の卒塔婆が乱立してるな特に柳田や竹広辺りに
やはりあの当時のものなのかね?地形も細い道沿いに田んぼや段差があったりあの場所はかなり戦国当時のままなんだろうな

111:人間七七四年
17/07/14 18:41:27.46 A2DHwSoJ.net
なんか今でも鉄砲玉が出るらしいからなー
すげー話だわ

112:人間七七四年
17/07/14 18:47:48.50 AM1nweTB.net
>>110
マジで?ちょっと行ってくるわ

113:人間七七四年
17/07/24 17:33:09.96 sovFu3g2.net
これまで長篠城址と設楽原合わせて60個程度しか見つかってないから
鉄砲の大量使用の事実に疑問もついてるくらいだけどね
それ以上のまとまった量が出たら大発見だよ

114:人間七七四年
17/07/24 19:34:20.14 E3zvDDzg.net
ちょい前まで15個とか言ってたのにずいぶん増えたな

115:人間七七四年
17/07/24 20:08:30.58 JRV714XF.net
じゃあ今から鉄砲弾埋めて掘り返したら歴史に名が残るな!

116:人間七七四年
17/07/24 21:25:02.26 mLm1FfSA.net
見つかってないのは拾ってたからだら
鉛は溶かせばまた使えるんでーよ侍さんの体に埋まっとる鉛もえぐりだしたぐらいだにゃ

117:人間七七四年
17/07/24 21:46:46.38 oN9vPKIC.net
西南戦争の田原坂でも薩摩軍が弾丸拾って溶かして再利用してた話は有名だな

118:人間七七四年
17/07/24 22:35:15.29 E3zvDDzg.net
柔らかい鉛玉は使用されると基本形残らないからな。その上錆びて白い石のようになるからまず気が付かない
長篠じゃなくても合戦場じゃそう出土するもんじゃない

119:人間七七四年
17/10/04 01:36:58.86 G5cHTRRu.net
武田の幹部級死にすぎだろ
なんであんなに討ち死にしたんだ

120:人間七七四年
17/10/04 05:42:47.92 nCg/p3dQ.net
退却路が険しく橋はあるわ長篠城の横を通らにゃならんわでがっつり追撃受けたから

121:人間七七四年
17/10/13 14:40:02.69 G5C2PbSd.net
武田は裏切った奥平の征伐が目的だったのだから、織田徳川連合軍が7キロも離れた設楽原で陣地構築してる時にさっさと長篠城落として奥平の首取って意気揚々と引き上げれば、大軍動員して長篠城救援を果たせなかった織田徳川の面目は丸潰れで、武田の面子は立ったのにね。
織田徳川連合軍が寄せてきたら、寒狭川を防衛ラインに対峙すれば渡河する危険を冒すのは織田徳川連合軍で十分防衛出来たと思うのに何でわざわざ長篠城残して寒狭川渡って陣地構築した設楽原に行っちゃったんだろうね?

122:人間七七四年
17/10/13 21:25:47.44 oseRpgmw.net
織田に大打撃与えないと差が開く一方だから

123:人間七七四年
17/10/13 23:10:06.35 hxaav+8k.net
引き上げる→奪いかえされ逃げ出した扱い
対峙→おそらく補給に不安
戦う→敵のが大軍
詰んでるな

124:人間七七四年
17/10/20 17:12:35.28 iYB4FgTH4
勝頼が長篠で退却をして4000の酒井の隊を撃退して退却路を作っておくべきだったんだ。誰だってミスはある。

125:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
17/10/22 11:41:59.19 3ekJSNrF.net
>>120
城を落とすまで黙って織田徳川が見ているとは思えない(後詰に来てるんだし相手の方が兵多いんだし)
力攻めで落としたら落としたでそれなりに被害は出るわけで、その後追撃されたり奪還しに来られた場合不利
だったら兵がいるうちに決戦
持久戦やるほど兵站や兵糧に余裕がない
こんな感じ

126:人間七七四年
17/10/26 16:03:12.42 GfN1o4YFz
ほいほいがころんでとしぬとかじさつでとか で すとーきんぐはんざいおわりなら

くじょられないとおもうよ

127:人間七七四年
2017/1


128:1/05(日) 12:07:01.52 ID:YuYhMvaie



129:人間七七四年
17/12/06 22:05:21.84 lapVU5RC.net
例の三段打ちって桃山の頃はポピュラーな戦術になったのかな?

130:人間七七四年
18/01/16 02:18:59.80 iV2cRMTq.net
何で4万の織田徳川に1万2千程度の兵力で攻撃したんだ?
奇襲が失敗したとかそういうことじゃないの?

131:人間七七四年
18/01/16 04:37:56.52 s1HkaEkt.net
簡単な砦つくって立てこもってたら攻めてきたんで鉄砲で追い返しただけ
勝手に全滅した

132:人間七七四年
18/01/19 20:31:59.40 N/qqGj7d.net
>>128
ようわからんが退路ふさがれたから一か八かで突撃するしか選択肢なかったみたな説はある
あと戦国時代に敵の実数なんて分かりようがないからねえ
現代みたいにどこそこに敵がどんだけいるとかリアルタイムで分かるわけじゃないから

133:人間七七四年
18/01/23 10:33:09.49 YWO76GUI.net
>>130
岐阜から行軍してくる信長軍の行動は異常に遅く
勝頼陣営は十分その部隊を把握できる余裕があったはず
実際信玄時代から乱波を多く使用していた武田軍であるから
信長軍の兵力を把握できなかった説は信憑性が薄いな

134:人間七七四年
18/01/28 23:22:56.18 +tMNt9St.net
確か小勢の羽柴・丹羽隊とかが挑発して引き寄せたとか
主力を織田が潜めていたので前面に出ていた一部を全軍と勘違いして兵力を読み違えたとか
逃走路の砦を奇襲で落とされ決戦せざるを得なかったとか
ほぼ全軍を率いてきているのに一戦も交えず引き返しては指揮が保てなかったとか
いろいろ武田側の都合説がある

135:人間七七四年
18/01/30 21:44:58.89 SnBK1QdZ.net
勝頼の最大のミスは、信長の全軍集中を許したことだろう。
信玄が三方ヶ原で勝った時は、複数の反信長勢力を煽り、信長の兵力を
分散させ、自軍への集中を巧みに避けた。
石山本願寺、越前本願寺勢力を暴れまわらせることが出来ないなら、
信長と戦うべきではなかった。

136:人間七七四年
18/01/30 21:48:17.75 SnBK1QdZ.net
>>47
長篠で武田勝頼がゾンビ大名になった。
しかし、それがばれたら舐められる。
だから、必死で攻勢に出て、劣勢を誤魔化そうとした。
しかし、ごまかしは効かず、長篠以降織田は論外、徳川相手もずっと
劣勢だった。(長篠前は少なくとも徳川相手には劣勢ではなかった。)

137:人間七七四年
18/02/02 21:48:46.97 Z8EhlW2J.net
まあ長篠から滅亡までは7年は間あるし
その間、北条相手には勝ったりしてたしそこまで死に体でもなかったけどね
致命的だったのは御館の後に組んだ景勝がクソの役にも立たんかったこと

138:人間七七四年
18/02/02 23:16:21.15 O6Gz6jj6.net
上杉も御館の乱の論功行賞でしくじって内乱起こさなければ少しは役に立ったかなぁ

139:人間七七四年
18/02/03 01:47:21.74 aZU+Ne86.net
>>135
7年ある理由は、織田と徳川に生かされたから。
武田は両者の力をもってすれば瞬殺可能だったが、武田滅亡後旧武田領に
列強が雪崩れ込み騒乱状態になることを織田も徳川も恐れた。特に、織田は
当時石山本願寺と全面


140:戦争をしており、生産力が低い上に列強に囲まれて 守りに向かない武田領を構っている余裕はどこにもなかった。 実際に、信長死後この地域は騒乱状態になっている。 (平山優「天正壬午の乱」に詳しい。) それならば武田勝頼をゾンビ大名のまま生かした方がマシだと戦略的判断が 織田と徳川によりなされた。 出兵は言い訳にならない。>>134で述べたが、武田勝頼がゾンビ大名である ことを隠し、周囲に舐められないために出兵しなければならないという悪循環に 陥っただけ。



141:人間七七四年
18/02/03 05:11:16.18 o0YsX5z2.net
当時の織田・徳川には甲信を治めるだけの実力が無かったってことか

142:人間七七四年
18/02/03 09:10:18.97 aZU+Ne86.net
>>138
一面だけ見ればね。
とは言え、近畿を攻略中に、生産性の低く、かつ周囲に北条、上杉と
いう列強がいる甲信にマンパワーを裂くことは、賢明ではなかっただろう。
逆に言えば、近畿を平定すると、すぐさま電撃的に武田を滅ぼしている。
そのころまでには、北条とは一定の関係が築けたし、上杉は滅亡寸前に
追いやっていたし、加賀本願寺は滅亡したし。
ついでに忘れていた。
>>136
上杉景勝は、精強な織田軍団によって滅亡寸前まで追い詰められていた。
とてもじゃないが、武田を構っている余裕はなかった。
最も、その時期になると織田も武田を滅ぼしたけどね。

143:人間七七四年
18/02/03 09:12:54.49 aZU+Ne86.net
>>139 に書いた通り、全ては織田・徳川連合軍の事情であって、
武田勝頼の事情はどうでもいい。つまり、武田勝頼はその程度の
存在に長篠の惨敗によって落ちた、ということだ。

144:人間七七四年
18/02/06 22:19:21.77 Fq8CqWd5.net
単に信長に余裕がなかっただけって話でしょ
毛利・本願寺・上杉に囲まれた77年あたりはわりときつかったし
離反も相次いだしねえ
天王寺のときに信長が流れ矢で逝ってたら勝頼もワンチャンあったかもね

145:人間七七四年
18/02/08 23:00:43.07 niyyrO/F.net
>>141
畿内に比べて、生産性が低いくせに交通の要地である(=周囲から
狙われる)甲信をわざわざ取る必要がどこにあるのか。優先順位から
して信長は当然のことをしたまで。
あと、1577年なんて、1570-73年に比べれば大したことないよ。
あの頃の信長はマジでヤバかったからな。
毛利、本願寺は確かに抵抗したが、常にあちら側の方が守勢だった。
上杉謙信を過大評価する人も絶えないが、あれは上杉謙信が豪雨で
襲撃するという、鉄砲隊が強力な信長に対し「この方法でしか勝てない」
方法で勝ったまで。もちろん、それ自体は謙信の軍神の名を辱めない
業績だが、言い換えれば劣勢なのは謙信の方だった。
確かに天王寺は信長は勝負に賭けたが、信長とはそういう人物で、
果断な点が魅力だしね。(逆を言うと、隙は多い。多くの暗殺者にそれを
突かれているし、明智光秀にも隙を見せてやられた。)

146:人間七七四年
18/02/14 10:19:23.18 5XmhZdWY.net
織田はともかく徳川は長篠後でも単体で武田を滅ぼせる程、兵力差なかったろ
織田が多方面戦略やってて、かつ北条らも絡めた同時侵攻を画策していたからこそ
7年あったわけで。徳川の意向がどうこうとか関係なく
織田-武田の事情だろ

147:人間七七四年
18/02/14 10:49:51.75 88M4juNt.net
徳川は織田っていう強力なスポンサーが居るから農繁期とか関係なく嫌がらせの出兵を繰り返す事が


148:出来る 武田はこれに付き合うほど国力を消耗する この差



149:人間七七四年
18/02/14 11:16:06.68 g57B2Ety.net
>>143
量だけならね。質は長篠で目を覆いたくなるほど下がっているよ。
長篠の戦いで1万5千の兵の1万以上失い、重臣の殆どを失い、確かに
一だけは新たな補充をかけたが、将兵の質の低下は目を覆うばかり。
しかも、無理に動員をかけて重税を引いて領民に恨まれ、滅亡時に
織田に悉く内応される原因となった。
徳川も織田に慎重な対処を求め、大きな戦線の展開は禁じられていた。
だから、持ったように見えただけ。御館の乱で、北条との信頼関係の
破壊を見計らって絶好のタイミングで徳川が武田を攻めたのがその象徴。
内容的にはゾンビ企業ならぬゾンビ大名の典型だわな。
>織田-武田の事情だろ
誰も武田の事情なんて考慮していない。ゾンビ代表の悲哀というやつだ。
すべては織田一人の事情。

150:人間七七四年
18/02/16 00:21:44.17 LJ10BERv.net
>>139 に書いた通り、全ては織田・徳川連合軍の事情であって
んじゃあ徳川は関係ないよな コロコロ言う事帰るな雑魚が

151:人間七七四年
18/03/20 23:27:32.02 G36ajVa1.net
長篠行ってみた
感想は・・・
ここは死地だということ
山に囲まれ起伏の間に強固な柵と
鉄砲
狭い盆地に小さい川
ここで戦って命があるとは
とても思えなかった・・・
なぜ武田勝よりは戦い挑んだのか?

152:人間七七四年
18/03/27 05:08:13.55 4okMOQrT.net
>>145
長篠で1万以上を失うとは??

153:人間七七四年
18/03/29 22:07:15.34 TE98hsuf.net
>>148
本当の意味で武田は長篠で壊滅したからね。
世界史的にはこういった壊滅した勢力は殆ど例外なくそのまま滅んでいる。
武田勝頼みたいに、7年近くもゾンビとして存続する(厳密には信長の都合に
よって存続させられる)例は殆どない。

154:人間七七四年
18/03/31 11:02:19.30 khPpzdGV.net
人的損失や疲弊による軍役拒否などで
「事実上」死に体だったっていうのはわかるけど
長篠以降も領土拡大はやってんだし
武田戦死1万は信長公記の盛り話じゃないのか
壊滅という程、兵が死に絶える前に普通は撤退するだろ

155:人間七七四年
18/03/31 11:05:03.16 khPpzdGV.net
今川だって桶狭間で事実上壊滅と言えるような人的損害を受けているけど
氏真が徳川武田相手に9年も生き残ってるんですけど
ほとんど無い?の

156:人間七七四年
18/03/31 11:06:04.55 khPpzdGV.net
ゾンビゾンビ言ってるアホは主張がコロコロ変わるから
わけわからん

157:人間七七四年
18/03/31 12:09:16.46 YR1MJGu4.net
氏真って勝頼のように拡大させていたっけか?
よくも持たせたものだとは感心するけど

158:人間七七四年
18/03/31 15:31:13.75 z3uoQTu5.net
ゾンビくんはただの荒らしだろ

159:人間七七四年
18/03/31 19:35:50.88 L2JLSndD.net
菅原に始まりゾンビ君やらねえやら、武田関係は何故か変な奴を引き寄せてしまうな

160:人間七七四年
18/05/12 06:23:48.36 zhegj/dHf
当時は武田軍の幹部は織田・徳川の軍を多く見積もっても2万人ぐらいにしかいないと思っていたらしい。それに加えて佐久間の裏切りを上乗せをすれば武田軍の9千人でも対抗できた。

161:人間七七四年
18/05/21 07:59:20.00 lkGMMlEmd
創価学会公明党は
大阪の仲間健二
に対する集団ストーカー行為を止めろ
日常生活で付きまとうな

創価学会信者を動員した集団ストーカー行為止めろ
表と裏の顔の違い
やっていることの下劣さ
恥を知れ
穴開けてない 言いがかり 
バイト先に信者の動員
平成の魔女裁判

162:人間七七四年
18/05/25 19:11:39.10 6/K4K2tE.net
行って見て分かった、
設楽原は野原のイメージあるけど、実際は全然違う。
崖ばかりの山と谷しかない。
200メール先の相手陣地奥なんて、全く見えない。
とてもとても、騎馬武者が縦横無尽に走れる場所ではない。
織田、徳川は、長城という城を築き長期戦に備え、
武田は、短期決着の合戦をしようとしたが、実は城攻めをさせられてしまったようなもの。
鉄砲とか、騎馬とか無関係に、
戦いに対する認識が武田軍は、時代遅れ。
あと武田の武将の戦死場所をみると、攻撃中に戦死したより、
退却中、しんがり中に死んだ武将ばかりだ。
あの山県昌景も、退却中だろみたいな崖の登り坂にある。
実際の戦闘時間は短かったんじゃなかろうか?
すぐに退却戦に移って、予想外にそこから損害が大きくなっている。
つまり、山と谷ばかりで、退却中にも道に迷うような地形の影響が大きいと思われる。

163:クバの化身
18/05/26 07:09:36.28 +YcolTLn.net
自演を注意してくれる親切な者もおらず、みな
まことの前から、去って逝った

164:人間七七四年
18/05/27 03:39:49.51 PqLftQ6y.net
そら戦中より退却中の方が負傷者・死亡者多いのは当たり前の話じゃろが

165:人間七七四年
18/05/27 23:33:34.10 4PkmjDyd.net
戦死者の大半は追撃戦で出るものだからねえ

166:人間七七四年
18/05/28 01:13:05.81 tKleg34p.net
>>150
残念だが盛ってはいないと思う。武田の将が二度と再起不能の言える
壊滅状態に陥っているんだから、兵の被害も甚大と見るのが自然。
将だけ壊滅して、兵が壊滅していないとは、かなり考えにくい。
武田が撤退できなかったのは、周囲悉く包囲され袋叩きにあったから。
包囲殲滅戦こそが長篠の本質であり、武田は再起不能の状態となり
事実上滅亡し、ゾンビ大名として以後7年間周囲に腐臭を放った。

167:人間七七四年
18/05/28 07:45:44.24 homQuwcC.net
となると新兵と敗残兵の寄せ集めに周りの大名はやられていたって、情けないことになるんだが
そんなん、侵入を許さずに撃退せいと

168:人間七七四年
18/05/28 11:51:08.73 zUX6KUPo.net
地形からすると、確かに3方向からの包囲戦が展開された可能性がある。
さらに、現在でも分かりにくい地形は、昔はもっと森林だらけで、東西南北さえ迷うはず。
攻撃される方向から逃げるしかなく、ただただ田峯城、武節城の難所へ逃げるしかなかったのではないか?
田峯城の謀反で入城拒否にあい、それがまた損害を大きくした可能性もある。
では、なぜ豊川を渡り、設楽原にノコノコ出てきたのか?それが一番の問題。
もっと後方の豊川の崖を防衛ラインに出来なかったのだろうか、という疑問だけが残る。
①挑発されて出てきた?
②信玄の命日の関係で、虚勢を張った?
③織田、徳川軍の実数を見誤った?
④鳶ヶ巣山砦が落ち、一発勝負に出た?(でも落城前に豊川を渡っている)
配陣し突撃を順番に繰り返している時点で、それなりの戦術を有していたと思うが、
後世の人間からすると、豊川を渡るという、その戦法、戦術がまったく理解できない。

169:人間七七四年
18/05/28 12:42:16.20 aVuayXd8.net
>>164
素直に考えれば、織田・徳川方の実数を見誤った可能性が高いだろう。
例え猪武者の愚将でも、倍以上の相手に正面攻撃はしない。
複数の内通予定者や、地元民からガセ情報をつかまされたのと、伊勢・長島の後で、中核部隊は消耗していると思い込みがあったのか。
どちらにせよ、長篠に出陣した重臣の過半数は、彼我の戦力比を誤認したと思う。
そうでなければ、長篠後に、勝頼体制が揺らぐ罵倒合戦と粛清の嵐があったはず。
それが無かったということは、死んだ宿将も逃げた一門も、自分の失態を自覚していたということかな。

170:人間七七四年
18/05/28 14:33:47.67 zUX6KUPo.net
>>165
確かに武田軍は、物見斥候の能力が弱い印象がある。
武田は、過去信玄の時代から、コツコツ地道に勝ちを拾って積み重ねては、
ドカーンと大負けする戦をたまにする。
そういう軍の組織でもあるが、もう少し敵軍の情報を正確に得ていれば、
大敗、また大損害を出さずに済んだのではないか?と思える戦がある。
例えば、川中島、上田原、設楽原も含めて、負けるときは、大物武将が戦死するほど、なぜか大損害。

171:人間七七四年
18/05/28 15:29:48.67 nVE2dplM.net
>>166
武田の忍軍団は優秀ではなく、ポンコツだったのか

172:人間七七四年
18/05/28 19:39:35.92 CjO8kngX.net
>>166
検証長篠合戦だかで平山優先生が言及してたと思うんだけど
武田家は軍功の評価点の3番目だかに大きいポイントとして
劣勢でもその場に留まり戦うこと、があったはず
多少押し込まれてもこの軍功のおかげで諸将が粘ってくれるってメリットもあるんだろうけど
デメリットとして粘りすぎて死にやすいってのがあったのかもしれない

173:人間七七四年
18/05/28 19:54:49.38 PkxW1R01.net
甲斐の武士はスーパー脳筋だからすぐ死ぬ
人国誌にもあそこにおかしいと書いてあるな

174:人間七七四年
18/05/28 20:01:39.23 iCu95XX5.net
ちょうど今NHK「ファミリーヒストリー」で、長篠合戦図屏風で山県昌景の首抱えてる兵士が
志村けんのご先祖らしいということをやってた
元々志村という苗字は山梨に多い苗字だけど

175:人間七七四年
18/05/28 20:10:49.59 nVE2dplM.net
志村と言えば最上家の重臣 志村光安がいたからあの辺かと思ってた

176:人間七七四年
18/05/28 20:50:50.38 Kziune8M.net
映画「影武者」のように短時間で終わったわけではない

177:人間七七四年
18/05/29 10:36:49.90 FJ5sD2jo.net
>>158
設楽原はそこそこ拓けてたでしょ
今行くと第二東名やらで様変わりしているけど
長篠城周辺は崖と林と山口で本当に狭いけど

178:人間七七四年
18/05/29 15:21:29.96 EMHYwOzg.net
まーたゾンビゾンビ言うアホがわいてるわ

179:人間七七四年
18/05/29 15:49:38.75 rKrknDv9.net
甲斐では日本住血吸虫症が蔓延していて、誰が何時死んでもおかしくないんで
刹那的な気風だったというね。

180:人間七七四年
18/05/29 17:45:06.93 dnikFmTZ.net
一応念のため言えば、日本住吸血虫の生息地域は甲府だけじゃなく
利根川下流域とか広島片山地区、筑後川中下流域などわりとあって
その中で最大なのが甲府盆地ってことだからね?

181:人間七七四年
18/05/29 18:48:33.69 ciLYC9Um.net
>>176
利根川下流ってどこだろうと思ったら相馬(守谷)や対岸の印旛のあたりか
もっと下流のうちら辺では聞いたことなかったからずっと不思議だった

182:人間七七四年
18/05/29 21:38:16.84 0A0HUm2c.net
地方病は韮崎市あたりがメッカなんだろ?
田畑耕したらしぬんだから気性に影響するわな

183:人間七七四年
18/05/29 22:23:10.35 FJ5sD2jo.net
URLリンク(i.imgur.com)
宇利川、豊川下流は断崖絶壁
設楽原と有海原の間は小さい丘と坂だったな
薄緑の所はほぼ拓けていた
今は第二東名のせいで見通しが悪くなっちゃってるけど

184:人間七七四年
18/05/30 09:28:42.23 +Ao99Frv.net
>>179
絵じゃ分らんだろがw
実際に行けば分かる、行きもしないで講釈ばかり垂れられても、何の意味もないんだよ。
先の見通しの悪い場所だし、
たとえ君の言う通り拓けていたとしても、武田軍がノコノコ豊川を渡る意味をさがしているんだよ。
人の上げ足だけをとるだけの愚問を繰り返し、ゾンビゾンビ言ってるのは、もしかして君か?

185:人間七七四年
18/05/30 10:32:31.61 nznBBMT7.net
まあ、実際に行ったとことろで
当時にワープでもしない限り
実際に陣を構えた場所だとか動員人数だとか
合戦の推移だのはわかんないけどね
定説通りに動いていたかなんて誰もわかんないんだから

186:人間七七四年
18/05/30 11:10:36.91 pMV6a0YX.net
>>180
俺は行ったぞ
第二東名が出来る前と出来た後に二回ね
設楽原は拓けていた
設楽原と有海原の間の小高い丘から見通せるはずなんだよな

187:人間七七四年
18/05/30 12:59:32.66 klr8VM7g.net
>>182
年季が入っているな。
しかし地形が分かっても、武田勢が渡河した理由は解らん、というか解せん。

188:人間七七四年
18/05/30 13:31:24.48 pMV6a0YX.net
>>183
佐久間内通云々を信じてしまったか
織田徳川連合がこちらに攻めて来ずに野戦築城してるの見て
精強な部隊では無く、雑兵などで水増ししてる烏合の衆だと勘違いしたか

189:人間七七四年
18/05/30 18:26:50.82 d5HGaS1R.net
一万五千で防衛側三万を相手にするって無謀だよな

190:人間七七四年
18/05/31 00:13:00.43 esSn8yr8.net
長篠城で狭所による鉄砲隊の鉄壁さを味わってるから
長篠城周辺の狭い場所より騎馬を上手く使いこなせて
回り込める設楽原での戦のが有利と見たんじゃない?

191:人間七七四年
18/05/31 12:48:11.55 QsLz+sKe.net
>>186
それな。
東美濃の明知城他攻略の際に、山県が五千くらいの手勢で五倍以上の織田勢を、追い散らした経験があった。
自領の城の後詰めでさえその様なら、三河の山城の後詰めも、やる気無しという思い込みもあったかもな。
あと、本願寺が焚きつけた可能性も。
長島では信長の庶兄他、一門に死人が出るほど打撃を受けた。信長を討つのは今だ、とかね。
実際は織田勢が本願寺に向かないようにするのが、顕如の狙いだろうが、時間が経てば織田勢は今より大きくなるのは確実だから、勝頼がこれに乗ったかもしれない。

192:人間七七四年
18/05/31 13:16:15.06 esSn8yr8.net
>>187
それは信長公記では存在してなかったんじゃなかったっけ
ただ単に城が落ちたから引き返しただけで
高天神城も落ちたから織田の援軍は引き返した

193:人間七七四年
18/05/31 17:06:23.46 QaW0rZvH.net
援軍が間に合わず帰る→大勝したぜ!と宣伝する
いつものパターン

194:人間七七四年
18/05/31 17:42:54.94 4S2sB8Lc.net
>>183
渡河しないと長篠城包囲が崩れるからじゃ

195:人間七七四年
18/06/02 21:51:13.50 dzYA0M8v.net
武田が長篠城落として、山岳戦に持ち込んでも、
関ケ原時の本戦の山中の戦いで短時間で東軍が圧勝したように、
武田勢は大敗し、一気に古府中まで攻められる可能性もある。

196:人間七七四年
18/06/02 23:46:38.91 05yp2WFJ.net
1万5千で3万以上相手にしたから仕方がないじゃなくて
こういう状況にされた時点で武田の完敗なわけよ
父信玄は常に相手より有利な状況で戦おうとした
戦争ってのは実際に戦う前から始まっている
いかに相手より有利な状況を作りだせるか?
出来なかった時点で武田の大敗北なわけで、この状況でこうしたら勝てたってのは無意味

197:人間七七四年
18/06/03 16:44:12.78 twRggm2t.net
桶狭間もあるし、
真田なんて大軍を相手に翻弄してるし、
ゲリラ戦もある。夜討・朝駈けetc。
でも、真田領内ならともかく、そもそも穴山の領内でやることになるから、
山岳戦なんて器用なこと、できないと思うけどね。

198:人間七七四年
18/06/03 18:08:52.47 3mbJqYrr.net
>>192
じゃあ指くわえて滅ぶのを座して待つしかないな
圧倒的な兵力差・物量差はどうにもならんもの

199:人間七七四年
18/06/03 19:52:31.10 y+siCsvQ.net
>>191
長篠城が落ちてれば織田は明知城や高天神城みたいに引き返すだけでしょ
長篠城が落ちたらという仮定より
長篠城が落ちなかったら退却すべきだった

200:人間七七四年
18/06/03 23:17:44.33 okNUqqUC.net
>>194
家康さん見習いなさい

201:人間七七四年
18/06/03 23:24:29.21 twRggm2t.net
>>195
3万以上の大群を擁して、城が落ちたからといって
引き返すかなぁ~

202:人間七七四年
18/06/03 23:39:40.03 GLiF5dFj.net
>>194
信長は勢力がまだ弱小のころ武田相手には徹底して下手に出て
献上品を送りまくって武田のご機嫌を取っていた
そして立場が逆転すると徹底して武田に圧力をかけ続けたと
じっさいに戦うだけが戦争じゃないんだよ
そもそも戦争とは外交の延長といわれる
まず経済戦争をして他国と外交交渉をしてここで相手が従わなかったら最終手段として戦争で
色黒をつけると
つまり、長篠はこういう状況な時点で戦う前から武田の敗北は決していた

203:人間七七四年
18/06/03 23:47:00.09 y+siCsvQ.net
>>197
明知城も高天神城も2~3万の軍で援軍に行ったが
城が落ちたから引き返したのも知らないのか
手取川の戦いも援軍に行く城が落ちたのを知って柴田軍4万は撤退したんやで

204:人間七七四年
18/06/04 13:23:59.91 3Gm17oP/.net
>>196
家康だって本能寺がなければどうなっていたことやら
>>198
じゃあ信玄が同盟破棄した時点でどうにもならないんだから
勝頼はどうにもし難いわな

205:人間七七四年
18/06/04 15:43:20.41 by89lk+q.net
>>200
確かに信玄が織田のケツ蹴り上げて怒り狂ったタイミングで勝頼に後継回ってきたのが最大にきついわ
織田揺るがすなら確かにあのタイミングで織田攻めるしかなかったとは言え、信玄の死ぬタイミングが悪すぎるよね
しかも浅井朝倉には信玄の死バレてなかったけど肝心の織田徳川にバレてたっぽいのもかなりつらい

206:人間七七四年
18/06/04 17:00:50.54 QkC2EVz1.net
>>199
確かにそうなんだけど、高天神に続き、今回も間に合わなかったら徳川はキレる可能性がある。
信長自らも来てるし、城が落ち、引き返す時の撤退戦になったら徳川が殿を受け持つことになるだろうから、織田・徳川の信頼関係は悪化すると思う。
それを回避するために、長篠城が落ちても武田攻めを続行したと思う。

207:人間七七四年
18/06/04 18:19:04.31 Jb9LjW+2.net
>>202
援軍に来て貰う立場の徳川がキレるのか
大体援軍に来る場合は遠征軍みたいに装備や兵糧などを十分に持ち合わせてない
援軍に間に合わずに城を落とされると士気が落ちるし
作戦的に不利で長期戦ができないから帰るんだよ
長篠で武田をフルボッコにした後の信長は敗走した勝頼を追い武田領まで追わずに帰っている
それに撤退戦が起きるってことは信長は設楽原に到着してるってことか?
野戦築城してるそこに殿軍すれば余裕で退却できるでしょ
信長は長篠城が落ちる気配が無かったから悠々と野戦築城しだしたんだろうけどね

208:人間七七四年
18/06/04 20:10:42.20 QkC2EVz1.net
>>203
冷静過ぎるご意見ありがとうございます。
姉川で、家康は信長に加勢してガチで戦ってる。
高天神で援軍が間に合わなかった時点で、
徳川内では武田と組んだ方がいいんじゃないかくらいの
意見も少なくなかったようだ。
さすがに家康はそこまでは、考えなかっただろうけどね。
ただ、長篠城が落ちたら、周辺豪族は一気に武田になびくので、
その前に武田をある程度、叩かないと徳川は一気に不利になる。
それと、野戦築城してるそこに殿軍すれば余裕って、甘すぎ。
長篠前の武田は武田最強。家康はまた三方ヶ原みたいなめにあいかねない。
長篠城が落ちることは、徳川にとっては、死活問題。
家康は信長軍の撤退には強く反対するだろうね。

209:人間七七四年
18/06/04 20:16:12.43 Jb9LjW+2.net
>>204
>それと、野戦築城してるそこに殿軍すれば余裕って、甘すぎ。
>長篠前の武田は武田最強。
長篠でフルボッコにあった武田軍でそれを言われてもなぁ
むしろ織田を甘く見ているのでは?
実際、武田軍は長篠城を落とせなかったのだから

210:人間七七四年
18/06/04 20:27:45.00 jNIxcErl.net
武田は最悪のタイミングで裏切ったって言われてるけど最悪って程でもないでしょ
むかつくタイミングではあるけど

211:人間七七四年
18/06/04 20:30:32.42 QkC2EVz1.net
>>205
よく読めよ。
殿は徳川。

212:人間七七四年
18/06/04 20:47:33.19 Jb9LjW+2.net
>>207
長篠城も徳川軍だけど信長から鉄砲貸し与えられてたし
鳥居の別動隊は武田の長篠城包囲軍を壊滅させたわけだけどね
長篠城の鉄砲隊に苦戦して落とせずになかった武田軍が長篠城を落とすって話が絵空事だよね
織田の大軍が来たら作戦失敗で武田は退却するべきってのが>>195なわけで

213:人間七七四年
18/06/04 23:10:01.31 Jb9LjW+2.net
訂正
>鳥居の別動隊は武田の長篠城包囲軍を壊滅させたわけだけどね
>長篠城の鉄砲隊に苦戦して落とせずになかった武田軍
酒井の別動隊は武田の長篠城包囲軍を壊滅させたわけだけどね
長篠城の鉄砲隊に苦戦して落とせなかった武田軍
長篠の後の武田軍は格下だと思ってた徳川相手にさえ総力決戦を避けるようになってたからね

214:人間七七四年
18/06/06 00:01:18.92 PPzMzQKx.net
長篠城はもう2,3日もあれば落とせただろうから惜しいんだよね。絵空事でもないよ。
もし落とせたらという仮定の話。
織田勢が退却するならそのまま野戦築城の所に徳川の殿軍を布陣しても
徳川勢だけなら8000(武田の約半分)くらいしかいないので武田にはかなわないだろう。
信長がどれくらい兵を残してくれるかにもよるし、馬房柵が十分かにもよる。
織田勢の全軍が退却し、馬房柵も史実の半分くらいしか出来てなかったら、
家康はまた、三方ヶ原のようなめにあってもおかしくないということ。

215:人間七七四年
18/06/06 00:13:34.13 qpTv2I9B.net
>>210
>長篠城はもう2,3日もあれば落とせただろうから惜しいんだよね。

長篠城が全く落ちる気配が無かったから勝頼は鳥居強右衛門に
織田の援軍は来ないと伝え開城させようとして失敗して
逆に士気を上げてしまったんだけどね
そんなすぐ落ちるなら鳥居強右衛門と下手な交渉もせず、長篠城包囲軍に3000も残し設楽原まで進軍しないわな
信長だって長篠城が落ちないと見て悠々と野戦築城しだす始末だし

216:人間七七四年
18/06/06 00:24:53.94 PPzMzQKx.net
>>211
鳥居強右衛門などシカトして城攻めに専念すれば案外、城は落とせたという説もあるからな~。

217:人間七七四年
18/06/06 00:25:34.


218:08 ID:eHkQBW96.net



219:人間七七四年
18/06/06 00:32:47.93 qpTv2I9B.net
>>212-213
二、三日で本当に長篠城を落とせたなら
長篠城落としてから3000の包囲軍とに分ける戦力分散もせずに
総力戦するのが普通だよね
重臣どころか家臣でもない鳥居強右衛門と直接交渉してなんとか開城させようとしてるし
すぐ落ちるなら信長も野戦築城せずにすぐに長篠城救援に向かうだろうし
悠々と野戦築城してる時点で二、三日で落とせたというのは矛盾だらけ

220:人間七七四年
18/06/06 00:44:53.48 eHkQBW96.net
>>214
あと2、3日で落ちる状況でもそうでなくても強右衛門には同じことやらせるんだから貴方の言うことには根拠がない
何故なら一人でも無駄な犠牲は出さない方がいいから降伏勧めるのは当然のことだから

221:人間七七四年
18/06/06 00:48:46.08 PPzMzQKx.net
>>214
そこが武田の未熟なところなんですよ。
総力を挙げて長篠城を落とし、
連合軍の出方を見ればよかったものを、
あせっちゃったのかな~。
勝頼はまだ、若かったんだろうな~。

222:人間七七四年
18/06/06 00:49:59.85 qpTv2I9B.net
>>215
俺は>>214で根拠は言ったが、二、三日で落ちると言ってる奴の根拠が全くないんだけどね

223:人間七七四年
18/06/06 00:51:35.18 PPzMzQKx.net
むしろ、強右衛門を捕らえてそのままにしておいたら、場内の士気もそのままだし、
早く落とせたと思う。

224:人間七七四年
18/06/06 00:52:47.98 qpTv2I9B.net
>>216
信玄時代からの宿将がたくさんいるのにそれらの意見を勝頼が無視しているなら
長篠城も落とせるわけがなく、織田徳川連合には何をやっても100%勝てないわな

225:人間七七四年
18/06/06 01:01:39.98 PPzMzQKx.net
城が、もう2,3日で落ちる根拠ね。
長篠城は残るは本丸だけ。
城兵は多くても500名以下。
対し武田軍は1万5千以上。

226:人間七七四年
18/06/06 01:06:35.76 eHkQBW96.net
勝頼が長篠城1つなんかより信長との決戦を志向してたのは明らか
更に、勝頼は信長は戦意がなく、高天神城の時みたく長篠城落としたら撤退してしまうと考えてた可能性はある
実際長篠城落として信長に撤退されたら勝頼は困る、城を1つ1つ落としていくのは楽ではないから

227:人間七七四年
18/06/06 01:11:36.70 qpTv2I9B.net
>>220
長篠城は最初から500くらい入れない小城
行ったことないのか?
本丸は断崖絶壁と堀に囲まれた鉄壁
信玄時代にも長篠城を力攻めしたが、力攻めで落とせずに当時の長篠城主の主筋から開城せよと言われ開城した堅城
最初から500の籠城兵で一万五千の武田軍を足止めしてたんだぜ?
ちなみに信玄時代の力攻めで落ちなかった長篠城を徳川家康が水堀のある城へと改修し
信長が200丁の鉄砲を貸し与えてるんだぜ?

228:人間七七四年
18/06/06 01:20:02.93 qpTv2I9B.net
>>221
>実際長篠城落として信長に撤退されたら勝頼は困る
鳥居強右衛門に直接交渉して開城させようとしてた時点で矛盾してますぜ
しかも3000の長篠城包囲軍を残してる時点で
長篠城を無力化もできずに奥平らも最後追撃に加わってるしw
普通な長篠城側を無力化させて包囲軍3000という戦力分散もせずに設楽原決戦に回せるようにするんだけどね
根拠もない矛盾だらけ

229:人間七七四年
18/06/06 01:26:51.43 PPzMzQKx.net
>>222
実際は500もいなかったってことですね。
なら、短期決戦で360度、あらゆる方角から総攻めすれば被害は増えるけど落ちるはず。
むしろ、短期決戦の総攻めじゃないと落ちない。

230:人間七七四年
18/06/06 01:32:48.51 qpTv2I9B.net
>>224
信玄時代にも力攻めで落ちなかったのが長篠城
そこから徳川家康が水堀のある城へと改修し、鉄砲隊を完備したのが長篠の戦い時の長篠城
>なら、短期決戦で360度、あらゆる方角から総攻めすれば被害は増えるけど落ちるはず。
周囲は断崖絶壁と水堀に囲われてたのが本丸
長篠城見に行ったことがないのが丸分かりですな

231:人間七七四年
18/06/06 02:18:31.91 PPzMzQKx.net
行ったことないけどね。
長篠城は1万5千で落とすには余りにも小さい城と言われていた。
長篠城は、援軍が無ければ落ちていた。だからこそ援軍を呼んだ。
残すは本丸のみで残るは2,3百の残兵程度なら、もう2,3日で落ちると考えるのが妥当。
確かに長篠城は�


232:V然の要害で改修済の城だが、例えば、深夜に川に多くの梯子を立てて兵に支えさせて 登らすことくらいできるだろ。 武田にも鉄砲隊はいたし、援護射撃くらいはできるだろ。 あるいは弓矢で援護くらいはできるだろう。 残るは、本丸のみで、たった2、3百の兵に1万5千以上の大軍 で攻めれば、もう2,3日で落ちるレベル。



233:人間七七四年
18/06/06 03:31:22.36 qpTv2I9B.net
>>226
>深夜に川に多くの梯子を立てて兵に支えさせて
>登らすことくらいできるだろ
断崖絶壁でもかなりの高さの断崖絶壁を降りる → 川を泳ぐ → 断崖絶壁を昇るっていう手順が必要な難所

>武田にも鉄砲隊はいたし、援護射撃くらいはできるだろ。
鉄砲はあっても関東は火薬の材料が手に入りにくい
そして命中率が非常に悪かったから近距離で使ってた
しかも籠城で城の防御があるから尚更当てにくい
>1万5千以上の大軍で攻めれば
小さい城だからこそ攻撃側も少ない兵でしか攻撃できない
しかも断崖絶壁
1万5千以上の兵が全員同時に攻撃できるとかアホな事を言ってないよね?w

234:人間七七四年
18/06/06 11:42:26.37 xoVxtTd+.net
まあ城攻めのセオリー無視して
後詰めきても攻め続けてれば
長篠城落とせたし野戦で大敗することも無かったかもな。

235:人間七七四年
18/06/06 11:50:18.38 vq4UmJS0.net
本丸に火矢打ちまくるとかどうだろう?
ま、長篠城がどういう状態だろうと勝頼は馬鹿って結論にしかならないな

236:人間七七四年
18/06/06 14:20:51.42 qpTv2I9B.net
5月14日夜、鳥居強右衛門は長篠城を抜け出す
5月15日午後、鳥居が岡崎城に到着
5月16日の早朝、鳥居は長篠城目前で捕縛される
※鳥居は数日で援軍が来ると長篠城側に伝え処刑される
5月18日に織田徳川連合が設楽原に到着
捕縛した鳥居の情報から数日で援軍が来ることは確実に分かってたのに
織田徳川連合の兵力を調べる物見偵察を全くしなかったなら勝頼は既にセオリーから外れた暗愚なんだよな
逆に物見偵察して兵力が倍以上なのを知りつつ、長篠城包囲軍に3000を残す兵力分散して
総力戦を挑んだ暗愚なら武田が滅ぶのも必然
どっちにしろ暗愚の評価は避けられない

237:人間七七四年
18/06/06 17:41:25.05 4Uf2YoUO.net
>>230
勝頼が暗愚でも、さすがに物見は出したろうし、少なくとも自軍が劣勢なのも分かっていたんじゃないか?
山県、内藤、馬場等は健在なんだから
勝頼、というか武田がおかしいのは、優勢な相手に決戦を挑んだこと
ゲーム脳でもおかしいと思う状況なんだがな

238:人間七七四年
18/06/06 19:30:38.91 xoVxtTd+.net
決戦の場求めてた説は信憑性高いのかな?

239:人間七七四年
18/06/06 19:54:43.28 qpTv2I9B.net
>>231-232
一番可能性高いのは佐久間か誰かの内応説だな
勝頼が当主になってからの対織田徳川の明知城の戦いや高天神城の戦いも内応で落としてるし
二回連続で内応で城を落とせたんだから
長篠での戦いも調子こいて内応の約束を信じてしまったのかもしれない
内応の約束があれば多少劣勢でも総力戦はするだろうし
野戦築城も背後から突かれたら無意味になるし

240:人間七七四年
18/06/06 21:36:30.23 P7omz3/b.net
>>233
その説は有名だけど、それが事実なら武田を嵌めたご本人が大手柄を吹聴しているんじゃないか?
元々、徳川との後詰め決戦を志向していたと思う
織田の援軍も三方ヶ原並みの規模と皮算用
しかし、援軍の規模が予想外
撤退するか、当初の作戦?通りにするかで、悪手を選択した
誰も撤退を言い出したくないのだが、ホントに誰も言い出さなくて、勝頼・重臣とも当惑したまま運命の設楽原へ…

241:人間七七四年
18/06/06 21:52:06.88 qpTv2I9B.net
>>234
野戦は兵力がダイレクトに響く上に
二倍以上の織田徳川連合が野戦築城している所に無策に突っ込


242:むのは 当時でも態々殺されにいくようなもんで馬鹿すぎるでしょ 兵力数は内応で大混乱にして挟み撃ちにすれば兵力数が劣っていても戦えるし 内応があれば野戦築城も無力化できるから勝算は出てくる 信玄時代の宿将がいるのに兵力も敵が二倍以上&野戦築城している所に 無策で突っ込むのはどう考えても有り得ない



243:人間七七四年
18/06/06 21:59:23.62 PPzMzQKx.net
>>227
30倍以上の兵力差なんだから、戦い方なんて沢山ある。
その他にも、例えば、日夜、休む隙を与えず昼夜を問わず多方面から攻めまくる。
城内の兵に一切の休みを与えないようにする。
一方、武田方は、徳川方の30倍以上の兵力があれば、休憩もできるし、
仮眠をとらせてもいいだろう。
城内の兵を絶えず生死の関わる緊迫した状態で戦い続けさせるわけだから、
体力的にも精神的にも弱るだろう。
もって3日。弱ったところを見て総攻めをしてもいい。

244:人間七七四年
18/06/06 22:03:17.19 qpTv2I9B.net
>>236
5月8日辺りから攻城してそれでも実際は落とせなかったんだけどね
21日には長篠城から奥平らが城から出撃して武田軍を追撃するくらい元気だったというw

245:人間七七四年
18/06/07 01:31:34.84 548WpVUn.net
残るは、本丸だけになってからの話

246:人間七七四年
18/06/07 03:23:11.36 548WpVUn.net
>>236
武田は秀吉と違ってそんな器用な戦はできないよ

247:人間七七四年
18/06/07 06:14:38.23 szh+gnfw.net
武田みたいな貧乏国が被害省みない人海戦術なんて出来るわけないだろ
織田でも無理だったし、小牧長久手以降の秀吉位の力でようやくゴリ押しが可能になったんやぞ

248:人間七七四年
18/06/07 12:18:10.27 zMvGgci8.net
>>240
例外が一つ。
高遠城攻めで無茶した若造がいた。
あれで三万の軍勢率いた総大将。
猪勝頼を笑えねー

249:人間七七四年
18/06/07 13:47:10.26 s+rVs/KG.net
まぁ力攻めすれば~とか簡単に言うのは間違ってるわな

250:人間七七四年
18/06/07 14:17:50.35 ia82W5J8.net
>>241
信忠の力攻めの速攻はいい例でしょ
逆にあれでもたついてた方が印象悪いは

251:人間七七四年
18/06/07 14:19:59.67 kgUhiMZ6.net
流れ弾に当たって死んでたら

252:人間七七四年
18/06/07 16:12:10.34 r5hpvXdq.net
信玄も無茶して砥石崩れ起こしてるな

253:人間七七四年
18/06/07 16:42:44.39 Knsequww.net
ほんとの大喬見たことある?
URLリンク(goo.gl)

254:人間七七四年
18/06/07 18:17:06.63 zMvGgci8.net
>>244
信忠がこの時流れ弾に当たって死んだら、ドラ息子と評され、勝頼未満の扱いに
実際は、フロイスだったかな?
信忠は英雄ではなかったが、英雄の息子として申し分ない最期
父に殉じたからこそ、実績の割に高く評価されている

255:人間七七四年
18/06/07 19:22:26.80 +tRdlN+K.net
いやあそこは殉じてはいかんでしょ
擁護できない馬鹿息子
ちゃんと逃げ延びて親父の仇討たんと
親父に殉じて自分も死んだせいで猿に乗っ取りくらったんじゃないですか

256:人間七七四年
18/06/07 19:26:03.60 uNDN0ySB.net
結局、信長が貴公子に育てちゃったんじゃないの

257:人間七七四年
18/06/07 20:06:53.11 r5hpvXdq.net
>>241
3万の織田軍に対して3千の武田軍が高遠城籠城し
包囲から二日で落城させた信忠と
1万5千の武田軍に対して5百の徳川軍が長篠城籠城し
包囲から二週間経っても落城できなかった勝頼とを比べちゃうのかー

258:人間七七四年
18/06/07 20:32:52.62 NkeyvQiB.net
武田攻めは一方的な狩みたいなもんやしなぁ
武田が終わったらいよいよ手柄をたてる場所が限定されてくるから


259:織田側もある意味必死 援軍も期待出来ない、ただ死ぬのみの武田と持ちこたえればなんとかなるかもしれない奥平を比べるなのもどうかな? っと擁護してみる



260:人間七七四年
18/06/07 20:53:22.89 +tRdlN+K.net
>>250
自軍の損害無視で突撃かけたからねえ
高遠城のときの織田勢は
台所事情の差よ

261:人間七七四年
18/06/07 21:02:35.59 r5hpvXdq.net
>>251
勝頼は人質となってた奥平氏の妻子含め三人処刑して奥平氏と完全決裂させてるからな
交渉材料に使うために残しておけば良かったのに
>>252
損害無視と言っても武田籠城側の約半分に損害抑えてるんだけどね
それで中規模の城を二日で落城なら上出来でしょう
同じ兵数3千前後の中規模の城で伏見城や長谷堂城も二週間掛かってるし
長谷堂城は二週間経っても落城しなかったけど

262:人間七七四年
18/06/07 23:31:21.89 548WpVUn.net
秀吉・官兵衛のペアなら長篠城をどうやって落とすだろうか?
時間が限られてるから、さすがに兵糧攻めはしないだろうな。

263:人間七七四年
18/06/07 23:48:09.54 +tRdlN+K.net
>>253
ランチェスターの交換則的には10倍のレートの被害だけどね

264:人間七七四年
18/06/08 00:27:58.71 t/9gOsnE.net
>>255
勝頼は高遠城がしばらく持ちこたえるだろうと予測していたが、城は包囲から二日で落ち、
高遠城落城の報を受け、新府城の勝頼や一門、家老衆は慌てふためき、
迎撃準備も整ってないことから新府城放棄して逃げ出してしまったんだけどね
新府城籠城が間に合ったらもっと損害出てたろうなぁ

265:人間七七四年
18/06/08 00:37:35.07 t/9gOsnE.net
>>254
奥平氏の妻子三人を返し、城兵と奥平氏の徳川方の無事帰還を許す代わりに長篠城から退去
飲めなければ妻子を鳥居みたいに目前で処刑すると交渉
徳川の嫁を貰い武田への人質の妻子は離縁されてるから
奥平氏には知らぬ存ぜぬされる可能性が高いが

266:人間七七四年
18/06/08 13:02:54.73 SgtKMnZG.net
鳥居強右衛門の件は明らかに逆効果だよな~。
しない方がよかった。

267:人間七七四年
18/06/08 13:03:59.16 ALIjWdBQ.net
どこまで実話か分からんし

268:人間七七四年
18/06/08 13:59:51.52 SgtKMnZG.net
>>259
何のために作り話を作ったんですかね?
どちら側になんの得がありますかね?

269:人間七七四年
18/06/08 14:25:22.30 24TkiIdN.net
徳川史観的には作り話を事実にしたかったんだろ。

270:人間七七四年
18/06/08 14:43:19.98 SgtKMnZG.net
徳川がその作り話を事実にすり替えるメリットは?

271:人間七七四年
18/06/08 14:50:35.47 SgtKMnZG.net
美談として褒めたたえることで家臣の忠誠心を高めようとする目的だよね。
かといって、作り話となる証拠もないから、
作り話とすることも、作り話。

272:人間七七四年
18/06/08 14:56:30.94 ALIjWdBQ.net
信長記にはなく、三河物語に書かれてる話
処刑されたところまでは事実だろうけど

273:人間七七四年
18/06/08 15:02:45.83 d4nbsP4D.net
どっちにしても勝頼ダメだな~じゃなくて強右衛門スゲーちゅう逸話なだけやな

274:人間七七四年
18/06/08 15:32:04.83 t/9gOsnE.net
鳥居強右衛門の記述は甫庵信長記の次に三河物語でしょ
後、落合左平次道次背旗から実在してるのを否定する学者はいなかった
むしろ実在してるのを前提で落合左平次道次背旗の向きが逆さかどうかを
処刑された状況から学者間で論争起きてたよ

275:人間七七四年
18/06/08 18:57:12.04 FAh0HJB0.net
三河物語って彦左衛門の愚痴日記じゃん
他の資料と整合する部分はそれなりだけど
整合しない部分は眉唾という単体じゃろくに価値のないシロモノや

276:人間七七四年
18/06/08 23:53:16.40 t/9gOsnE.net
鳥居強右衛門は
甫庵信長記
三河物語
落合左平次道次背旗
から実在し功績も学者にも認められてるけどね

277:人間七七四年
18/06/09 00:01:39.66 u5epfAxp.net
甫庵信長記はあれだし、実在してたことと逸話が事実だということはイコールではない

278:人間七七四年
18/06/09 00:13:23.59 bxW4XH0F.net
単体のみで否定しても複数の記述が現存してるし
そもそも功績がないなら甫庵信長記も三河物語にも書かれてないし
落合左平次道次背旗を作られてないでしょ
学者間でも落合左平次道次背の絵の向きが逆さかどうかを処刑される時の磔の状況から論争され
学者でさえ鳥居強右衛門の功績は否定してないからな

279:人間七七四年
18/06/09 09:22:07.87 CseoMvDj.net
まあ問題は脚色の程度がどのぐらいかようわからんことだが
実在はしてたけど実際はたいしたことしてなかった系は山ほどあるし
昔の人間、現実とフィクションの区別つけられる情報リテラシーないからなあ

280:人間七七四年
18/06/09 10:13:02.77 bxW4XH0F.net
>実在はしてたけど実際はたいしたことしてなかった系は山ほどあるし
大名や城主、城代とか有名な大名の息子や侍大将は実績がなくとも名前は出ることはあるが
そこまで有名でもない地方領主だった奥平氏の直臣でもない陪臣の鳥居強右衛門レベルなんて
普通は名前すら歴史に出てこないからな
それが甫庵信長記や三河物語に名前が出て落合左平次道次背旗にまで描かれて賞賛される功績があったのは間違いない

281:人間七七四年
18/06/09 10:20:08.30 u5epfAxp.net
>>272
単に軍使として功績はあったが、捕まって斬られただけかもしれない

282:人間七七四年
18/06/09 10:39:29.71 CseoMvDj.net
それこそ真田十勇士とか尼子十勇士とか実在と架空の境界あやふやな奴は腐るほどおるし
山本勘介みたいに実在はしたっぽいけど実情がようわからんやつもおるし
なんかモデルになった奴はいたっぽいぐらいの認識でええんでないの

283:人間七七四年
18/06/09 11:00:38.30 bxW4XH0F.net
>>273
奥平氏みたいな地方の領主の陪臣の伝令が捕まって切り殺されて
甫庵信長記や三河物語に名前が残り
落合左平次道次背旗にまで描かれるのかって話な

284:人間七七四年
18/06/09 20:32:01.64 y2GhyexJ.net
そんなレベルの創作英雄なんぞゴロゴロしとるやろ

285:人間七七四年
18/06/09 21:14:02.89 bxW4XH0F.net
名ある学者たちが鳥居強右衛門の存在と功績も認め、落合左平次道次背旗の向きが逆さかどうかを
処刑された現状から論争してたのに
根拠も無しに創作だと喚かれてもねぇ…

286:人間七七四年
18/06/09 21:20:03.84 y2GhyexJ.net
同じことしか言えないオウムかなにかかな?

287:人間七七四年
18/06/09 21:23:13.88 bxW4XH0F.net
こんな数人しかいないの分かってる過疎スレで
IDチェンジしまくってるアホに言われたくないわ

288:人間七七四年
18/06/10 04:11:23.77 joSERVgU.net
全く横からで申し訳ないんやけど
落合左平次道次背旗の人物が鳥居強右衛門であると断定した学者と、その断定根拠ってなんでしたん?
私的にも鳥居強右衛門の逸話にはちょっと懐疑的だからその辺り気になりまして
ほら、史学でも再研究が進んだのってほんと最近で、今までは創作逸話なんかで織田信長の評価すらかさ増しされてましたやん?ましてや奥平氏のさらに下の身分の人間の研究が進んでないんじゃないのかという疑問があるんで、その辺りスッキリさせたいんですよね

289:人間七七四年
18/06/10 07:31:49.26 98fva/k2.net
資料を大きな図書館なり見に行ったりしたらいいんでない

290:人間七七四年
18/06/10 19:18:51.93 joSERVgU.net
結局誰もあの絵が鳥居強右衛門だというのはみんながそう言ってるからで
どう断定されてとか知らないんかな

291:人間七七四年
18/06/10 19:27:58.73 2ORWeAuO.net
当代記にこの話はないのかな?
あれは奥平の松平忠明が纏めたものだから、長篠関連はそれなりに信憑性があると思われるが。

292:人間七七四年
18/06/10 22:58:51.79 98fva/k2.net
当代記は信長公記の二次史料で江戸時代に書かれた物
松平忠明が纏めたかも不明

293:人間七七四年
18/06/11 01:06:11.49 r7KW5omB.net
だってお前、裸のおっさんのデフォルメされた絵が誰を描いてるかなんて、どうやって確認するんだよ
遺されてる旗も書き直したもの、と伝わってるんだし、年代比定すら意味がない
強右衛門の功績が嘘だとすると、それまでなんの業績も家柄も伝わっていない人間の一族が、いきなり
奥平家・徳川家で重用される理由がどこにもない。
嘘だと言いたいんなら、まず鳥居家が重用された理由が他に何かあるか調べてみた方がいいんじゃね?

294:人間七七四年
18/06/11 01:15:56.13 vdbGjff0.net
桶狭間も沖田畷も圧倒的劣勢が大逆転してんだから
結果論でしかないわなー
むしろあそこまで死に体だったのによくやったって話だよ
どう足掻いたって信玄が同盟破棄してポックリいったとこから
逆転できるわけねーんだから
あの時点で「詰み」だろもう

295:人間七七四年
18/06/11 03:01:28.29 he/24idT.net
>>285
重用言うたかて確か100石でっしゃろ?で、それまでの石高も不詳
んでそんな強烈なエピソードがあれば太田牛一が書きそうなのにそれがない
逆に史記だかに登場人物と最後磔にされた人間の生死だけ入れ替えたほぼ同じの話があって
強右衛門の話を書いた尾瀬甫庵は儒教大好きで逸話盛る部分も多い
三河物語も割と盛る
となるとまぁ仮説立てても悪くないんちゃう?
もちろん上の人みたいに仮説でごり押しするのもどうかとは思うけど

296:人間七七四年
18/06/11 04:53:59.36 oVX+gjjH.net
>>286
桶狭間も沖田畷も劣勢側が自分達の見知った土地を上手く使って
奇襲や伏兵をしてるからな
勝頼は逆に見知った土地ではないから別動隊に奇襲されるという
もう逆転の余地もない詰み状態なのに決戦を挑んだという

297:クバの化身
18/06/11 11:47:28.61 x/hO+8b0.net
それは、法律資格によく表れている
まことは、問題集しかしない
いや、問題集も、オロサカにしているかもしれない

298:人間七七四年
18/06/11 21:55:09.92 vdbGjff0.net
>>288
今川も尾張の一部を侵略してたし
龍造寺も長らく有馬を下に置いてたし
全く土地勘がなかったわけではなかろう
島津が島原の土地勘あったとも思えない

299:人間七七四年
18/06/11 22:52:58.31 a+Zu2gxN.net
>>288
極端すぎないか?
桶狭間、沖田畷に厳島は戦国三大奇跡だわ
有能な総大将が優勢な軍勢を率いて、よりによって戦場で討ち取られた
劣勢な側が惨敗した刀根坂の義景、長篠の勝頼、山崎の光秀も、戦場からは離脱している
地の利の事例なら、第一次上田合戦、第一次天正伊賀の乱あたりじゃないか

300:人間七七四年
18/06/11 23:07:46.63 oVX+gjjH.net
>>290
地の利を知ってるなら奇襲や伏兵ポイントは理解してるはずだけどね
今川は知ってそうな奴は前線の砦に釘付けになってたし
後方待機してた今川義元が知ってるはずがない
三河方面攻めは雪斎に任せっ放しだったし、
尾張方面まで総大将として義元が大軍率いて来たのは桶狭間が初めてだろう

301:人間七七四年
18/06/11 23:23:29.45 i6zSwoTJ.net
何か、最近戦国板に見えない敵と闘う人湧く様に成ったね。
統失は怖い。

302:人間七七四年
18/06/11 23:29:32.34


303:oVX+gjjH.net



304:人間七七四年
18/06/12 02:43:10.94 UYycmCwd.net
来るの分かってないと大掛かりな陣城作らないと思うんだけど、織田はなんで武田が設楽が原に出張ってくると認識してたん?
聞いてる話武田が大多数の織田勢に対して攻めるのは愚策な訳で、その選択をする可能性低いはずなのに織田は堅固な陣城作ってるよね
それともあの大掛かりさで実は来るとは思ってなかったけど保険の為に作ってましてんって代物なの?

305:人間七七四年
18/06/12 03:58:19.40 fzBCLRC6.net
>>295
信長としては城が落ちたら撤退すればいいだけだから基本的にはやる気がない

306:人間七七四年
18/06/12 05:38:30.04 R+WhUPnh.net
基本的には長篠城包囲戦の後詰めで来てるから長期戦も視野に入れての陣城を構築するのはおかしなことではないけど

307:人間七七四年
18/06/12 06:50:52.20 LXAbQACM.net
城兵と援兵との挟み撃ち、領内での決戦という圧倒的な有利な要素しかないのに織田にやる気無いわけないだろ
ほぼ必勝やぞ

308:人間七七四年
18/06/12 06:59:34.19 BuFlEp02.net
>>296
は?

309:人間七七四年
18/06/12 12:08:15.92 UYycmCwd.net
短期決戦用の陣城だったのか、長陣用の防御拠点だったのかってのが気になりますね

310:人間七七四年
18/06/12 12:44:03.57 6nMk31lJ.net
>>300
そこにあまり違いはないと思うけど
長期で滞在すれば簡易的な櫓や小屋ができ始めるけどそれは長陣した結果であって最初から計画してやるもんでもない

311:人間七七四年
18/06/12 13:11:34.52 K60AdFRr.net
自領だから現地調達できる織田徳川連合と
遠征軍なために兵站を構築しないといけない武田軍じゃ
やっぱ焦りに差が出るわな

312:人間七七四年
18/06/12 13:50:52.48 l99ZR8ro.net
>>302
織田は一応兵站管理はしていたんじゃないか?
三河で織田の万を超える軍兵の現地調達なんて無理だよ。

313:人間七七四年
18/06/12 15:39:16.57 K60AdFRr.net
>>303
高天神城の援軍に間に合わなかった時に家康に兵糧の金をドッサリ渡したって話あった

314:人間七七四年
18/06/12 16:53:07.87 UYycmCwd.net
>>301
なるほど、信長的には別にどっちでもいけるようにとりあえず陣地構築しただけって感じなんすね
なんとなく気になったんですけど、長篠の陣城って他の陣城と違って特殊なように言われることが多い気がするんですけれど
あの陣城って特殊だったんですか?また、もし特殊ならその特殊さはどこからのノウハウなんですかね

315:人間七七四年
18/06/12 19:46:33.41 LXAbQACM.net
そもそも只の一回の戦闘(野戦)で大規模な土木作業を行える人員と金を用意できるのは織田家だけ

316:人間七七四年
18/06/12 21:15:16.32 Ee96WTzT.net
織田軍が遠征する時点で馬防柵の木材やら
大量の鉄砲やら調達してるのはちゃんと裏付けがあるのだから
「はじめから用意していったわけではない」というのは無理があるでしょ
長期戦も踏まえて準備を周到にしていたのは明白。
毎回毎回、長篠レベルの鉄砲の数を徴発しているわけではないのだから

317:人間七七四年
18/06/12 21:44:18.67 ExDK572Z.net
>>305
ノウハウは織田家がこつこつ積み上げたものとしか言いようがない。
今川と戦ってる頃から、敵の城を陣城で包囲して持久戦に持ち込むのは
織田家の基本戦術。
戦国時代に年単位の攻城戦をやったのって、織田家以外には
第二次月山戸田城の時の毛利しか知らん。

318:人間七七四年
18/06/12 22:16:14.88 K60AdFRr.net
信長は高天神城の援軍に間に合わなかったから家康に兵糧等の支度金を大量に置いて行った
家康が事前に米を買い付け、信長援軍の荷が少ないことにより
通常より高速移動が可能になったお陰で長篠は余裕で間に合ったからね

319:人間七七四年
18/06/13 00:48:31.42 1MINvrmU.net
>>305
三河物語より
長篠城籠城戦
長篠城の鉄砲隊に手を焼いていた一方で武田軍は、牛枠に竹束を立て掛け、井楼を組み上げようとしたが、
それに気づいた長篠城方は、これが完成すれば敵の攻撃にさらされ不利になると思い、
大鉄炮を放ち竹束を粉砕した。
このため、武田軍は井楼の構築を諦めざるを得なかった。

>>305
信長公記より
天正6年11月6日「大船に大鉄砲余多これあり」「大将軍の舟と覚しきを、大鉄砲を以って打ち崩し」
天正6年(1578年)時点で大鉄砲を大量に保有してたから
三河物語通りに三年前の長篠でも大鉄砲使ってたんじゃないか?
火縄銃は竹束で防御できるが、その竹束は大鉄砲で粉砕されてしまう
大鉄砲の防ぎ方は長篠当時の武田軍はできたんだろうか?

320:人間七七四年
18/06/13 01:22:42.03 GEHU1yVy.net
お話聞く限り別段陣城の作りに長篠の戦いオンリーの特異なものもなかった感じなんですかね?

321:人間七七四年
18/06/13 02:13:01.86 r03YfC0n.net
なんでや
戦場での素早い土木工事に予算をつける意義が見いだせたやろ

322:人間七七四年
18/06/13 02:46:25.09 o/nfE7bC.net
武田は何を考えて突撃したんだろうか?
仮に織田・徳川連合が陣城を築いていなくても、3万5000対1万5000の野戦。数に差がありすぎるし、勝てても被害が甚大になる可能性は十分にある。
となれば、いったん撤退してまたやり直すのが一番ではないのか、と思うのだが。

323:人間七七四年
18/06/13 08:06:34.24 r92WkffX.net
長篠城抑えられたから挟まれて突撃するしかなかったとか言うけどさ、敗戦撤退の時ちゃんと後退できてるじゃんっていうね

324:人間七七四年
18/06/13 10:30:45.95 F9AGS/SD.net
>>314
長篠城抑えられる前に想定される退路と、実際の退路が違う

325:人間七七四年
18/06/13 11:45:29.50 IS4lGbew.net
ちゃんと後退出来てないから追撃で大損害出てんだろ・・・

326:人間七七四年
18/06/13 12:01:56.28 1MINvrmU.net
織田徳川軍は陣城から出てこないから設楽原に行かずに長篠城攻囲してる時なら退却は間に合うでしょ
長篠城周辺から長野県側の道は狭くて険しいから織田徳川軍が陣城から出てきて追撃に来ても
突出してきた部隊叩けばいいだけだし
むしろ兵力が圧倒的に劣る場合は狭い場所で戦えば不利にならないからね
籠城戦がそもそもその理論だし

327:人間七七四年
18/06/13 21:59:56.20 ocfPisMf.net
>>317
織田徳川は陣城から出て挑発して誘い込んでるんで陣地にこもって何もしてなかったわけではない
あと武田側はここまで無傷で全く損耗していないことが判断を誤らせた
3万の軍勢に1万ちょっとで当たったというのも結果論であって戦場での敵の数はおおよそでしか分からない上に長篠城の救援に織田徳川は相当の援軍を割いたと判断して相手は敵前で兵を割く愚策をおかしたと判断してしまったのかも
いずれにせよ全く損耗してない軍を保持したまま撤退命令出せるか否かが決め手だったんじゃないかな
簡単そうでなかなかできないことではある

328:人間七七四年
18/06/13 23:27:11.88 1MINvrmU.net
>>318
いや退却できるかどうかの話ね
武田軍が退却開始すれば織田徳川は陣城から出るかどうかの判断になるから
追撃しても狭い道なら殿軍も陣城や待ち伏せとかで有利に戦えるし

329:人間七七四年
18/06/14 00:29:36.62 UKABstLv.net
>>319
織田徳川はわざわざ地形を選んで陣城を構築し敵を誘っているのであの場所を離れて野戦するつもりはないし無傷の武田側に対して追撃する意味もないので武田側は簡単に退却できる
そもそも長篠城の救援成功で織田徳川に戦いの主導権は移っているので自分たちに不利な場所にあえて向かわない

330:人間七七四年
18/06/14 07:44:52.96 2Ns3u1K7.net
用意周到に準備して計画的に撤退するのであれば逆撃も有り得るが、
織田の大軍が到着しました逃げましょうじゃ話にならないよ
撤退中に地形利用して大軍と有利に戦う?机上の空論だよ
武田は中入してるし奥平勢が地形に詳しいし
織田主力が出陣したのが確認された時点から退路と各所地形の調査と逆撃の準備はじめないととても被害軽微じゃすまない公算大

331:人間七七四年
18/06/14 07:48:14.33 Prfo0COM.net
そもそもあの辺りの地形に詳しい菅沼正貞を武田は拘禁してるんだから、お話にならない。ああいう場所こそ、地元の人間が役立つのに。

332:人間七七四年
18/06/14 08:54:07.26 q7aw9AGv.net
>>320は織田徳川は陣城から出てこないから退却できる
>>321は陣城から出て追撃してもくるから被害が出る
どっちの論が正しいんだ

333:人間七七四年
18/06/14 10:29:32.67 bUtt6kDA.net
>>323
少なくとも野戦で負けて逃げるより、無傷で逃げ始めたなら、あそこまで将兵が死ぬことは無いと思う。
というか、馬場信春が献策した策なら、あるいははあったのかな?

334:人間七七四年
18/06/14 12:42:27.89 kZdANcbK.net
武田としては、無傷で撤退するのが最善策なんだろうが、そうすると山家衆の動向は史実と同じになるような気がする
そうすると後詰めが来た時点で、武田方は勝つ以外の打開策が無いと状況判断したのかもな
現地に逃げの弾正が居れば違った判断が・・・とはならないかw

335:人間七七四年
18/06/14 12:51:39.42 wSsayRNs.net
>>323
どっちも武田には大きな被害が出る
でも最初から逃げの方がまだましぐらいにはなるってことじゃ

336:人間七七四年
18/06/14 13:08:27.59 FcRR6e7f.net
追撃大好きで追撃で大戦果上げてきた信長相手だからなぁ

337:人間七七四年
18/06/14 15:34:36.87 7DlZFKYp.net
>>323
戦で大量の戦死者を出すのは追撃戦
ましてや敵中から逃げるとなると被害軽微など至難の業
地形の有利不利以前の問題、圧倒的織田の状況有利
織田主力が長篠に到着した時点でまだ勝頼が居たら当然追撃に移るだろう
勝頼が居なかったらどうなるかはわからん

338:人間七七四年
18/06/14 16:56:32.84 M3DzsXMx.net
>>328
ただ無傷の相手の追撃戦というのはほとんど聞かない
織田にとって不気味なのは武田側が全く損耗していないことと隘路での戦いになることで織田徳川は躊躇するだろうね
長篠城を救援して逆包囲の状態に持っていった織田徳川は長期戦にも持ち込める
そこまで見越してか山県と馬場は勝頼に早期の撤退を進言している

339:人間七七四年
18/06/14 18:56:25.78 FcRR6e7f.net
刀根坂や長島とか

340:人間七七四年
18/06/14 20:17:56.39 q7aw9AGv.net
>>328
>>179の地図見ると設楽ケ原で決戦したら織田との
距離が近く逃げられないから被害が出る
史実の退路は長篠城からも退路をふさがれて
北になったんじゃなかった?
設楽原に行かずに織田との距離があって
織田が陣城築いてるうちに夜から撤退準備始めて
最初から東に退路を取って殿を置いてれば
被害はかなり抑えられる


341:んじゃない?



342:人間七七四年
18/06/15 00:39:29.83 Osli/GS4.net
設楽原行く前、川を越えなきゃ普通に撤退出来ただろうな

343:人間七七四年
18/06/15 02:30:39.25 CV2kM4dy.net
長篠城の援軍に軍勢を相当数分けたから敵本陣は手薄と勝頼が誤って判断したとしか考えられない

344:人間七七四年
18/06/15 02:34:37.96 YePh23MD.net
酒井忠次分遣隊による奇襲も川渡ってなければ防げたかな?
酒井隊って武田勝頼の渡河見越しての行動だったんかな?

345:人間七七四年
18/06/15 08:46:45.98 X2pC4Q6I.net
乱破だったり様子の違いで看破されたんじゃね?

346:人間七七四年
18/06/15 09:34:03.37 N89095+6.net
時系列はこうだぞ
武田軍は20日までに滝沢川(寒狭川)を渡り設楽原に進軍
織田徳川連合軍と約2.2kmの距離で対陣
 ↓
20日の20時前後に酒井忠次が別動隊で出陣
 ↓
21日の日ノ出から設楽原で本戦が始まる
 ↓
21日の8時前後に酒井忠次の別動隊が鳶の巣山へ急襲
 ↓
21日の14時前後まで設楽原本戦は続く

347:人間七七四年
18/06/15 09:56:24.07 N89095+6.net
武田本隊が設楽原まで来ているのを確認してからその日の夜に酒井が別動隊で行った
武田本隊が来なかったら別動隊も編成しないだろ
信長公記見ろよお前ら

348:人間七七四年
18/06/15 13:45:08.56 yvmaiiy/.net
>>313
コヒマの佐藤師団長の心情思えば有る程度はな。

349:人間七七四年
18/06/15 13:45:41.36 93EOYJ5t.net
鳶ヶ巣砦と支砦が奪われたのが決戦の開戦直前
開戦前には別働隊の情報は入っていた武田勝頼の不可解な動きに対して別働隊情報は先に掴んでいた等の憶測が出てきた
事前情報は記録がないのであったともないとも言えない

350:人間七七四年
18/06/15 14:45:45.57 pkVQLKGa.net
なんちゅーか、野戦築城された地に渡河してまで出ていってることと言い、軍の動き読まれて別働隊に奇襲決められてることと言い、あまりにもキレイに死地に飛び込んで行ってますなあ

351:人間七七四年
18/06/15 14:49:09.04 3fLlYkZO.net
信長に何か敵を誘う策略があったとしか思えない。
しかしそれは何なのか?
平山氏などによると「信長が故意に兵力を少なく見せて武田軍を誤魔化した」としているが、信長が直々に来て少なくとも1万なんてことは考えにくい。少なくとも2万。
徳川と合わせたら2万5000。
1万の差なら勝てると誤解したのでしょうか? 織田は弱兵だと思って。

352:人間七七四年
18/06/15 15:16:57.62 N89095+6.net
>>339
>鳶ヶ巣砦と支砦が奪われたのが決戦の開戦直前
信長公記にはっきり日ノ出から設楽原本戦
辰刻に鳶の巣へ攻め上がったと書いてあるから

353:人間七七四年
18/06/15 15:38:05.32 aBTE9/cN.net
URLリンク(www.youtube.com)
時代を超えて受け継がれる
日本人の心意気。

354:人間七七四年
18/06/15 15:49:13.73 aBTE9/cN.net
>>341
信長公記を読むと、信長は軍勢を
段々に配置~要するに分散配置したとある。
これによって、武田側が織田勢の数を
見誤った可能性が高い。
20付の勝頼書状が偉く強気
なのはこのせいじゃないかと思う。
信長公記でも勝頼が長篠城を包囲
したまま動かなければ、
どうしようもなかったと
言う内容があったかと思う。

355:人間七七四年
18/06/16 00:24:57.39 ctDJP76B.net
だから突撃は武田本体を退却させるために退路を作るためにやったんだろ
退却するのに織田徳川の目の前を通過しないといけない
つまり織田徳川軍が前に出て着ないように押し込むのが山県や内藤や真田兄弟の役目
そして馬場は殿と

356:人間七七四年
18/06/16 00:41:47.27 Jq/HzceL.net
>>344
信長公記にあるのは川を前にして長篠城を包囲したままだったら
あそこまで酷い大敗にはならなかっただろうみたいなニュアンス

357:人間七七四年
18/06/16 01:13:58.65 GE+5JIyG.net
攻城中に自軍より多い援軍がきて攻城側が勝った例ってあんの?

358:人間七七四年
18/06/16 02:32:31.87 HpqUlybX.net
>>347
聞いたことがないよ。
むしろ武田は砥石崩れで自軍より遥かに少ない村上軍に手痛い大敗を喫したことがある。
砥石崩れには老臣連中にはまだ経験者もいるはずだから、こんなバカな真似するだろうか。

359:人間七七四年
18/06/16 03:35:33.81 Jq/HzceL.net
>>347
秀吉の中国攻めとかかな、毛利の方がだいたい兵力多かったはず
敵の増援に対しては陣地群で守り固めて、城に対しては付け城築いて包囲して時間かけて落とす

360:人間七七四年
18/06/16 05:41:53.63 vb1KMUwl.net
>>342
信長公記と同じく信頼性の高い大須賀記には「五月二十一日の九ツの始めから八ツ時分まで」 と書いてある
つまり戦闘は午前11時から午後2時頃まででこれと信長公記の記述を合わせて設楽が原の主戦場は明け方から双方小競り合い→武田の本格的な攻撃開始は午前11時開始が通説になっている
このことから武田の総攻撃は鳶ケ巣砦を落とされたことが影響しているとされている

361:人間七七四年
18/06/16 06:19:34.71 GHDnRjxL.net
>>350
>>331-337、>>340-344で言われてるように多くの人の疑問点は
なぜ武田軍は寒狭川を渡って設楽原に向かってしまったという武田勝頼の不可解な動きについての謎じゃね?
設楽原布陣後の突撃と良く混同されるよね

362:人間七七四年
18/06/16 08:22:23.02 6HIb8pNT.net
>>350
違う
砦への攻撃前から総攻撃は決まってた
攻撃する気がないならあそこに陣を敷かないし、合戦前の勝頼の書状も自分から突撃する気満々である

363:人間七七四年
18/06/16 08:46:36.52 vb1KMUwl.net
>>352
違うと言われてもねぇ
そこまで断定するなら論文書いて発表しなよ

364:人間七七四年
18/06/16 08:58:33.24 LBJvVNRi.net
>>351
長篠城の包囲にちゃんと兵を残して移動してるので相手の後詰めがやってきたと知ったら後詰めを叩きに兵を動かすのは定石通りというか特に不自然とは思わないけど
後詰めと戦うか対峙したまま動かないかは別として一定の距離を保って布陣はすると思う

365:人間七七四年
18/06/16 08:59:51.74 LBJvVNRi.net
でも何故あえてその場所かというのは疑問が残るね
信長公記でも勝頼が布陣にヘマしたようなことが書いてあるし

366:人間七七四年
18/06/16 09:04:23.97 GHDnRjxL.net
>>354
敵軍の兵力が二倍以上なのに野戦を挑むというのは定石じゃないけどね
遠征軍だと特に小荷駄や雑兵の比率が高くなるから特に侵攻側は兵力が勝ってないと勝負にならない

367:人間七七四年
18/06/16 09:09:19.10 6HIb8pNT.net
>>353
貴方が通説と書いてることは通説じゃないから

368:人間七七四年
18/06/16 10:07:08.66 H5Co0COw.net
>>356
よく織田の兵は弱くて、武田の兵は強いと聞くんだが。
何かの小説では「武田兵ひとりで織田兵3人を相手にできる」なんてあった。
長篠当時は、本当に両軍兵士の戦闘力はそんなに差があったのかな? また、両軍首脳にこういう認識、特に武田側が甘く見て、兵力差くらい強さで跳ね返せると思ったのかな?

369:人間七七四年
18/06/16 10:08:51.51 vb1KMUwl.net
>>357
はいはい

370:人間七七四年
18/06/16 10:11:48.92 QK+v4eVj.net
>>356
兵力が2倍というのは結果でしか分からないことで開戦前は敵兵力の見積もりは大雑把にしか分からない
織田徳川もあえて隠れた場所に複数の陣を置いたとも書いてあるんで武田はうまく騙されたのかも

371:人間七七四年
18/06/16 10:22:03.54 z0T/rcLF.net
>>360
でも徳川は最低5000はいるだろうし、織田軍は信長が直々に来たことは察知していただろうから、信長直々で1万以下なんて考えられない。
少なくとも1万以上、2万以下は見積もれると思いますが(3万は流石に考えてないかもしれませんが)。
仮に織田を2万、徳川5000と考え、長篠は敵地で地の利が徳川にあるとするなら、やはり無謀すぎませんか? それとも1万の差なら野戦でも勝てると考えたのでしょうか?

372:人間七七四年
18/06/16 10:28:58.04 GHDnRjxL.net
>>358
三方ヶ原の戦いでも武田の兵力は上回ってたし、織田徳川相手に武田側が兵力少数で野戦したのは長篠の戦いが初だよね
明知城の戦いで山県昌景が6000の兵で3万の織田軍を野戦で撃退したって嘘を勝頼が信じたのなら山県の罪深きことよ

373:人間七七四年
18/06/16 10:33:50.77 GHDnRjxL.net
>>360
織田徳川軍が岡崎城から長篠まで何日後に到着しそうだとか
何万の兵力なのかの偵察・情報収集を全くしなかったのなんて有り得るかね
岡崎城から来る途中なんて隠れようがないし

374:人間七七四年
18/06/16 10:40:25.32 6XIjx9+Q.net
>>359
はいはいじゃなくて砦への攻撃前から総攻撃は決まってたのが通説だから
そこのとこ訂正するように

375:人間七七四年
18/06/16 11:17:09.80 GE+5JIyG.net
>>348
逆に少ない援軍が大軍を蹴散らす例なら多数あるよね(勿論失敗した例も多数あるが)
あの前田利家すら佐々成政を末森城の戦いで破ってるし
やっぱ前後の挟み撃ちは強すぎる
>>349
毛利は名前出ると思ってたけど、毛利は水軍内部で混乱(毛利派織田派)がはじまると、
物質か前線に行き渡らなくなってたからなぁー

376:人間七七四年
18/06/16 12:42:33.42 Jq/HzceL.net
>>364
20日付けの勝頼の書状からそこはほぼ確実なんだよな
後方への書状だから多少盛ること考慮しても攻撃する予定だったのはほぼ確実


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