二重公儀論について考察するat SENGOKU
二重公儀論について考察する - 暇つぶし2ch2:人間七七四年
16/08/31 11:09:26.50 4LGUqGSJ.net
私自身の考えをいえば、ちょっと豊臣家を過大評価しているかなって思います

3:人間七七四年
16/08/31 17:05:31.22 ZiHhzPMV.net
徳川家康が征夷大将軍として命じたことは、片桐且元は恐縮して承っていたので完全なる一元的徳川公儀政体と解すべきである

4:人間七七四年
16/08/31 23:36:12.98 3TlTmNQ1.net
笠谷和比古が「関ヶ原合戦と大坂の陣」で挙げてる二重公儀体制の意義の八項目は
一、秀頼に対する諸大名の伺候の礼
二、勅使・公家衆の大坂参向
三、慶長期の伊勢国絵図の記載
四、大坂方給人知行地の西国広域分布
五、秀頼への普請役賦課の回避
六、慶長十一年の江戸城普請における豊臣奉行人の介在
七、二条城の会見における礼遇
八、慶長十六年の三ヵ条誓詞
だろう

5:人間七七四年
16/09/01 11:18:23.28 66wbY43n.net
 
池田糞作のキチガイカルトが政治活動・公明党!
キチガイの集まり・創価学会・公明党!
人殺しの殺人鬼が政治活動・創価学会・公明党!
池田大作・人殺しの殺人鬼・創価学会・公明党!
あやかりドチンピラの池田糞作・創価学会・公明党!

6:人間七七四年
16/09/01 15:17:19.45 BEgVC1/E.net
慶長五年に九条兼孝が関白に還任した事によって
秀頼の関白就任の可能性はまだあったにせよ
豊臣家の者が代々継いでいくと言う前提は
崩されちゃったしな

7:人間七七四年
16/09/01 17:51:05.70 4GdNAwXV.net
二重公儀論に反対する側の論拠を列記してくれ

8:人間七七四年
16/09/02 02:11:58.77 q430+IBD.net
秀頼にはこんな城下町や特産物を作りたいという考えくらいあったの?

9:人間七七四年
16/09/02 11:57:51.66 crT20gK1.net
秀頼の時代に道頓堀の開鑿工事が進められている。豊臣政権の認可の下に。
大阪の難波、ミナミの繁栄はその結果と言える。

 

10:人間七七四年
16/09/02 15:14:18.71 Wsa//APG.net
>>9
これ出典の江戸時代の「諸由緒」には「公儀」としかなく、また大坂の港の管理を板倉勝重が行っていた点から、
江戸幕府が開削を命じた可能性が高い

11:人間七七四年
16/09/02 15:18:13.37 Wsa//APG.net
追記、ただし「安井系譜」には豊臣家に命じられてとあるが、
この中の安井道頓は実在しないと、道頓堀裁判で確認されている
URLリンク(crd.ndl.go.jp)

12:人間七七四年
16/09/02 22:00:17.01 ftxWEGGq.net
>>7
そもそも反対側の代表的研究家って誰?

13:人間七七四年
16/09/03 00:11:09.97 2A9k2eU2.net
>>11
正しくは「成安道頓」。彼が豊臣政権の認可を受けて開鑿していたのだが、大坂の陣が始まると、
彼は大坂城に籠城して戦い、豊臣家に殉じて戦死してしまった。
そこで戦後、彼の親類の安井氏が事業を引き継いで完成させた。
戦後に大坂城主となった松平忠明は道頓の功績を顕彰して、この開鑿運河を「道頓堀」と命名したということだそうだ。
  

14:人間七七四年
16/09/03 09:49:17.89 FU/W1YDW.net
>>13
豊臣政権が命じ道頓らが私費で開削したというのは『安井家譜』が出典で、安井道頓を安井九兵衛の兄としているが、
これは道頓堀裁判で事実ではないとされている
そして『諸由緒』では開削を申し出たのは「公儀」とあり、また当時は道頓堀ではなく南堀川としている
この辺から道頓堀開削を命じたのは江戸幕府の可能性が高い

15:人間七七四年
16/09/03 12:03:07.20 xHHqU2gg.net
>>7
二重公儀論への反論根拠・・ 
ないらしい(笑
     

16:人間七七四年
16/09/03 13:26:13.99 FU/W1YDW.net
>>15
片桐且元署名の史料は、果たしてそれが豊臣家の指示か、江戸幕府の指示かという根本的な疑問がある

17:人間七七四年
16/09/03 20:16:52.14 S/dy38+E.net
>>3
慶長16年の二条城会見では、秀頼が上座(御成りの間)で家康は下座だったというけど、どうなのよ。
   

18:人間七七四年
16/09/03 20:34:55.91 FU/W1YDW.net
>>17
先に秀頼が御成の間に入り、後に家康が入ったということなのだが

19:人間七七四年
16/09/04 00:15:19.64 3L3EYZt/.net
>>18
あとから入ってきた家康が座ったのは下段の平間

20:人間七七四年
16/09/04 08:11:57.40 8R23367m.net
>>19
それは客を主人が出迎える際のしきたり
秀頼が強く固持して家康が上座に登ったようだが

21:人間七七四年
16/09/04 10:53:04.72 NMwMA6W8.net
笠谷和比古・黒田慶一著『豊臣大坂城』で引用された『当代記』
の「慶長十六年三月二十七・二十八日の条」によれば、
「(三月)廿八日辰刻、秀頼公入洛、則家康公の御所二條ぇ御越、
家康公庭上迄出給、秀頼公慇懃礼謝し給、家康公座中ぇ入給後、
秀頼公庭上より座中へ上給、先秀頼公を御成之間ぇ入申、其後
家康公有出御、互の可有御礼之旨、家康公曰ト云共、秀頼公
堅有斟酌、家康公を御成之間ぇ奉出し、秀頼公遂礼給(後略)」

22:21
16/09/04 11:01:54.09 NMwMA6W8.net
これを笠谷は、「秀頼を御成之間に出した上で平間(下座)の
家康が互いの礼(両敬)を提案した」と読んでいる、
ただ、『先秀頼公を御成之間ぇ入申、其後、家康公有出御、
互いの可有御礼之旨』と平間の家康が平間の秀頼に提案した
とも読める(?)ので要注意。

23:21
16/09/04 12:16:43.55 NMwMA6W8.net
参考論文:徳川家康の征夷大将軍任官と慶長期の国制 笠谷和比古
URLリンク(publications.nichibun.ac.jp)

24:人間七七四年
16/09/05 00:28:09.91 +6MWTCi9.net
>>22
無理なのでは
『当代記』には「先秀頼公を御成之間ぇ入申」とあるから、秀頼が「御成の間」に通されて、そこに座したことは疑問の余地なし。
また「秀頼公堅有斟酌、家康公を御成之間ぇ奉出し」とあるから、家康が最初は御成りの間にはいなかった。つまり平間であったことがわかる。
笠谷氏の『豊臣大坂城』や『歴史の虚像を衝く』に、両者の座配と、その動きが図示されて解説されている。

25:人間七七四年
16/09/05 08:17:07.60 cxWk/KwA.net
>>24
家康が客を迎える主人として下座に座ろうとしたら、上座の秀頼がそれを誇示して、
家康が上座になったとある
普通に儀礼的な話で、特に秀頼が主君だからという訳ではないかと
精々、信長自身が家康に膳を出した安土饗応時の信長と家康の関係でしょう

26:人間七七四年
16/09/05 09:49:33.99 rGsv5URc.net
普通には、秀頼は家康に呼びつけられて、臣下の礼をとらされたということになっているけど、
この件はどうなの
  
  

27:人間七七四年
16/09/05 10:43:12.44 Wc5Yrd2t.net
大御所は秀頼が現実を踏まえて二条城に赴き、しかも主計頭や紀伊守が蒼くなって止めようとしていた膳物を平然と平らげたところに、
並々ならぬ器量を見てとり、却って目の黒いうちに大坂方を潰さねばならぬと決意したのだ

28:人間七七四年
16/09/05 10:48:45.97 cxWk/KwA.net
秀頼の上洛を万民が喜んだという記述をどう受け取るかで、評価が異なると思う

29:人間七七四年
16/09/05 10:49:14.49 cxWk/KwA.net
>>27
一から十まで逸話

30:人間七七四年
16/09/05 20:54:44.42 zE3sCI50.net
「御成りの間」の意味が分かってないな。
これは単なる客間、応接間とは異なる特別貴賓室。
「御成りの間」に通されるのは主君、ないし主君クラスの者でしかない。

31:人間七七四年
16/09/05 23:53:32.53 jXOobMAH.net
>>28
大衆受けするのと政治家として権力、権威があるのかは別物だろう

32:人間七七四年
16/09/06 08:42:56.42 90sKRwNY.net
>>31
いや、秀頼が上洛したのを、秀頼人気とみるか、家康に臣従したことで平和が続くことを喜んだとみるか

33:人間七七四年
16/09/06 20:38:01.72 4bJxUMhD.net
家康が将軍就任後は家康自身が秀頼に伺候する事がなくなって
秀忠が将軍就任後は大名達が秀頼に伺候する事がなくなったって言うからね
勅使や公家が参向しているって言っても肝心の大名たちがそれではね

34:人間七七四年
16/09/06 21:58:22.32 OLxydTEv.net
しかし秀頼が、将軍秀忠に伺候するというのは無いのでは

35:人間七七四年
16/09/06 22:03:13.14 OLxydTEv.net
しかも家康とこへ行ったら、臣下どころか主君のような待遇を受けている

36:人間七七四年
16/09/07 14:52:24.71 vOwxAB4r.net
二重公儀ってどうしても豊臣だけは秀吉の方針を踏襲した全国的な内政や独自の外交を行えた状態だと思っちゃう

37:人間七七四年
16/09/07 15:08:20.35 S/NHHTqP.net
将軍就任以降、ごみずのお天皇せんその儀以外で家康が宮中に参内したことはあるか?

38:人間七七四年
16/09/08 09:27:13.49 jsRllr94.net
>>37
何が問題なの?

39:人間七七四年
16/09/08 12:49:25.90 BDBURq32.net
>>37
慶長10・11・19年、元和1年に参内している

40:人間七七四年
16/09/09 01:10:33.46 BxmHZmUP.net
二重公儀論に反対する側から、有力な議論とか資料とか何か出ない?
   

41:人間七七四年
16/09/09 01:35:14.59 tEujRKgy.net
史料が無いのが証拠
二重公儀というほど公儀としての仕事はしてない。後半は全くしてない。って感じかと
気を付けないといけない事は二重公儀否定派は二重公儀自体を批判しているのではなく過大評価を否定してるというところ
よく使われたのある時期(将軍就任等)を境に豊臣が一大名に転落したという表現を行き過ぎとして批判するのはうなずけるが
大坂の陣直前まで公儀性を有したという評価については異議申し上げるといったところ

42:人間七七四年
16/09/09 02:27:57.31 1pM8Ym0A.net
徳川の考えであれこれやってるのを「豊臣は徳川と対等以上だった」ことにするのが二重公儀論

43:人間七七四年
16/09/09 04:27:09.61 eGoni70k.net
大坂の陣は対等な最終決戦だったと考えていいんだよね?

44:人間七七四年
16/09/09 08:43:14.80 wql9I+5B.net
大坂の陣は徳川「おめー何したいの」だからなw
満州事変後の日本を見る列強みたいな感じ

45:人間七七四年
16/09/09 12:29:52.74 R1e8KnfB.net
全国の大名 VS 浪人の決戦だろ
豊臣側にまともな大名がいないのに対等は無いな

46:人間七七四年
16/09/09 14:46:28.91 fVtAfSGi.net
>>45
加藤清正とか豊臣につきそうな大名たちが相次いで死んだから、ヤスは戦争を仕掛けたんだろう。
死ぬ二年前まで豊臣滅亡に踏み切れなかったのは、豊臣の存在が大きかったことの裏返し。
   

47:人間七七四年
16/09/09 15:01:16.99 f4OcRIU2.net
豊臣恩顧の大名なんて全員家康のケツの穴
を喜んで舐めてる状態だったろ

48:人間七七四年
16/09/09 15:40:22.08 Za6wgsAr.net
>>47
家康「俺の尻をなめろ」

49:人間七七四年
16/09/09 15:44:24.18 4RGYX3U1.net
二重公儀論というのは、京都を境に東国と西国とに分けて統治する東西分治の棲み分け論のことだろう。

50:人間七七四年
16/09/09 19:04:05.71 ynrVWtCm.net
関ヶ原も大坂も毛利がヘタれたというか自重したことがアレなんだよね

51:人間七七四年
16/09/09 22:32:11.64 f4OcRIU2.net
>>50
そういえば幕末も毛利の殿様はそうせい侯
よばれてあの時点でできるせいいっぱいの
保身をしたな

52:人間七七四年
16/09/10 00:16:58.50 mhN+75zl.net
>>51
ドラマで毛利輝元と毛利敬親は同じ役者でできる(笑)

53:人間七七四年
16/09/10 09:19:03.29 U3nCzB04.net
家康が豊臣に対して扱いが慎重過ぎたから、変な論が出てくるんだろう
是が非でも豊臣を滅亡させる気ならもっと早くやったろう
家康当時としては大分高齢だったんだから

54:人間七七四年
16/09/10 09:27:56.67 H6iZcwCC.net
まぁ、とうに死んでいて不思議でなかったよな

55:人間七七四年
16/09/11 08:38:29.08 uUOoA3T5.net
豊臣を潰せるぐらい権力基盤が安定したのが家康最晩年だったという見方もできるわけで

56:人間七七四年
16/09/11 10:01:34.26 dqcWqygg.net
豊臣大名をふくむ全国の大名が幕府の法令に従うという服従誓約をするのが、ようやく1611年になってから。
家康と秀頼の二条城会見を経て、はじめて幕府の権力が豊臣家を上回る

57:人間七七四年
16/09/11 10:48:41.05 C6IO7pRy.net
大坂の陣まで加藤清正が生きていたって豊臣につくわけないじゃん
徳川頼宣の護衛をしていた二条城の対面の時だって秀頼からの饗応の誘いを断わっている

58:人間七七四年
16/09/11 11:30:07.21 9LzvtvjL.net
age

59:人間七七四年
16/09/11 11:37:40.42 9LzvtvjL.net
頼宣は秀頼のお出迎えのために家康から伏見まで派遣されただけ。

60:人間七七四年
16/09/11 12:07:42.03 Wx6RNrkO.net
浅野幸長も二条城の会見の時は、婿になる徳川義直の御供をしている

61:人間七七四年
16/09/11 12:34:46.81 yIhycm7o.net
義直も頼宣も、秀頼の身の安全を保証するための人質だろう

62:人間七七四年
16/09/11 12:48:40.38 wCcCxENR.net
清正も幸長も秀頼の護衛。だいたい清正が、秀頼の身は絶対に護るといって淀殿を説得して実現した二条城会見だろ。
その清正が秀頼の護衛をしないなどといったら、会見が成り立つはずがない。

63:人間七七四年
16/09/12 21:37:47.59 7uB3hzwD.net
そもそも淀殿が清正や幸長の必死の説得により
秀頼の上洛を承知したとか、清正が終始秀頼の側を
離れなかったって話は何が出典なんだ?
清正が頼宣の幸長が義直の御供をしてたのは
忠興の書状や慶長見聞録案紙にあるけど

64:人間七七四年
16/09/12 22:28:41.40 VlC0Q83V.net
俺の妄想だけどあかんのか?

65:人間七七四年
16/09/13 13:53:43.81 UilexIiO.net
清正や幸長が秀頼の護衛しなかったら、秀頼の身の安全は誰が護ってくれるのだ。
そんな危ない所に行けるはずがないだろうが。

66:人間七七四年
16/09/13 14:00:20.56 Y8ZcBngP.net
徳川のために秀頼を説得する方便だな
身の安全を保障するから徳川の下であることを認めろという降伏勧告だ

67:人間七七四年
16/09/13 14:43:58.81 nWsMlksb.net
>>65
で、秀頼や淀殿がそう考えたという史料は?

68:人間七七四年
16/09/13 15:47:37.04 VXjvx+WQ.net
>>66
降伏? 降伏した人間が主君の座す「御成りの間」にすわるのか

69:人間七七四年
16/09/13 16:07:15.36 nWsMlksb.net
>>68
御成りの間に通されたけど最終的に秀頼は空気読んで臣下の礼とったじゃん

70:人間七七四年
16/09/13 16:21:47.02 VXjvx+WQ.net
>>69
臣下の礼? 翌月の三ケ条誓詞にも秀頼は入ってない。依然として特別待遇
家康も先は長くないだろうから、適当に頭下げとけといったところか

71:人間七七四年
16/09/13 18:18:37.62 mfS0DR+O.net
臣下の礼はとっていない適当に頭下げただけと言っても、お前以外は皆徳川に服従している状況で
そんな態度とっても自己満足以上のものは得られないんじゃないかい?

72:人間七七四年
16/09/13 18:20:24.68 fZCyZgMd.net
正直、豊臣家は自分達にしか通用しない論理で、特別扱いが永遠に続くと思い込んでいたからな

73:人間七七四年
16/09/13 19:23:48.46 qu8wRKHx.net
家康が死んでしまった時、あの秀忠で天下は持つの?
無理なのでは。
  

74:人間七七四年
16/09/13 20:33:59.66 mfS0DR+O.net
あの秀頼で秀忠に対抗できると?
無理なのでは。

75:人間七七四年
16/09/13 21:17:44.96 9CReuxyP.net
秀忠ではとても持たないと思ったから、大坂の陣を仕掛けざるをえなかったということでしょう

76:人間七七四年
16/09/13 21:18:30.82 fZCyZgMd.net
>>75
別に徳川家は仕掛けていない
勝手に豊臣がキレただけ

77:人間七七四年
16/09/13 21:50:18.57 9CReuxyP.net
≫76
キレた、って何のこと?

78:人間七七四年
16/09/13 23:12:09.58 fZCyZgMd.net
>>77
徳川への臣従を求める徳川家に両属する片桐且元を殺害しようとして果たせず追放
その上で浪人を集めて籠城の準備

79:人間七七四年
16/09/14 00:00:26.18 rGbaG9kz.net
豊臣内で起こっていたのは、片桐を追放するということ。徳川と戦争することなどは考えていない。

80:人間七七四年
16/09/14 00:14:00.19 kYrS2Ysn.net
片桐は追放するにしても徳川の意見も聞かずにやったら攻められても文句言えない

81:人間七七四年
16/09/14 00:44:26.27 A9UETIJ1.net
>>80
これが家康の理屈だな。何でもいいから、とにかく豊臣に対して戦争を仕掛けて潰すことしか考えてない。
   

82:人間七七四年
16/09/14 00:48:57.42 kYrS2Ysn.net
家康の勝手な理屈と突っぱねる権威ももう残ってない段階だもの

83:人間七七四年
16/09/14 04:58:06.99 Tq7HWdEM.net
秀忠は糞将軍、秀頼が関白となって天下を治めるべき
でも家康には逆らえないよ~家康死んでたら秀頼についてたのに~って大名は誰なの?

84:人間七七四年
16/09/14 06:37:28.66 UA5pkqc/.net
3万の大軍をもちながら上田城一つ落とせず、天下分け目の一戦にも遅刻するようなアホに従うやつ、徳川譜代以外どこにおるか(笑

85:人間七七四年
16/09/14 09:39:28.70 FuhxBmWs.net
>>81
両属しているとは言え、自身の家臣を勝手に殺されかけ、追放されたら、
封建制の根幹に関わることでしょ

86:人間七七四年
16/09/14 09:40:09.50 FuhxBmWs.net
>>84
第二次上田合戦はありませんし、攻める前に家康から上洛命令が下りました

87:人間七七四年
16/09/14 10:03:27.47 nvduV/q2.net
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88:人間七七四年
16/09/14 11:22:02.30 hk3iF5VH.net
さっさと攻撃開始しないでグズグズしているからでしょう

89:人間七七四年
16/09/14 11:58:49.32 FuhxBmWs.net
>>88
そういうレベル以前で6日に上田へ着いて、8日に上洛命令が届いた

90:人間七七四年
16/09/14 12:37:47.32 0aJbpUGI.net
>>89
その間、たんぼの稲刈りやってただけか(笑)

91:人間七七四年
16/09/14 13:19:04.93 FuhxBmWs.net
>>90
そこで(笑)を入れるのがあなたの無知
数万の大軍が攻城戦をするのには、それなりの段取りが必要なのだから

92:人間七七四年
16/09/14 13:31:10.35 OXe+i99w.net
忠の部隊は9月2日には小諸に着陣してる。それで8日まで上田城に対して
何の攻撃もしてないって。グズにもほどがある。

93:人間七七四年
16/09/14 16:29:52.81 VbokHOqJ.net
砥石城攻めてたりしてなかったっけ?

94:人間七七四年
16/09/14 16:43:16.64 FuhxBmWs.net
>>92
3日に秀忠が上田に到着したら昌幸が頭を剃って降伏を申し出たが、
4日にそれは嘘と返答したので、5日に上田へ出陣した訳
で、6日は刈田を発端とした小競り合いをしたとされる

95:人間七七四年
16/09/14 17:08:20.43 IWBbBjWa.net
>>93
それは単なる真田の出来レース

96:人間七七四年
16/09/14 17:12:23.01 IWBbBjWa.net
>>94
要するに、真田にいいようにされてるだけ(笑

97:人間七七四年
16/09/14 17:38:42.31 FuhxBmWs.net
>>96
というより程度の低い詐術を真田が行っただけ
あのまま順当に行けば上田城は落ちただろうし
で、昌幸への厳罰はそういう程度の低い騙しも
含まれたと思うので、自業自得

98:人間七七四年
16/09/14 18:17:49.02 Vg9KXzb+.net
いくら秀忠を貶めても引きこもりの秀頼よかいいだろw

99:人間七七四年
16/09/14 18:30:42.14 IWBbBjWa.net
そんな真田に翻弄されてるだけだからグズいと言われてしかたない

100:人間七七四年
16/09/14 18:31:43.66 IWBbBjWa.net
そんな真田に翻弄されてるだけだからグズいと言われてしかたない

101:人間七七四年
16/09/14 18:54:26.16 Vg9KXzb+.net
二重公儀論も元々は豊臣家は関ヶ原以降65万石の大名に落ちぶれたといった説への反論みたいなもので
ある程度は理解できるんだけど、そのような特別な地位を維持しておきながら滅ぼされるまでの間特に何もせず
にいた秀頼の無能が目立つだけではないか?

102:人間七七四年
16/09/14 20:06:37.86 ERqEljfq.net
秀頼は別に問題はない。秀忠のグズふり無能ぶりは上田城攻めだけに止まらない。
そのあとが、もっとひどい。
家康の使者がようやく届いて、西軍との対決が迫っているから上田をほっといて上方へ急げと言う命令を受けたにもかかわらず、
まだ上田攻めに未練たらたらで、いっこうに上方に急ぐ気配が見えない。
小諸に実に三日も滞留してる。
そのあともチンタラチンタラの行軍で、下諏訪までまた三日もかかっている。
真田が追撃してくるのを恐れて迂回道をとってるらしいのだけれど。
こんなていたらくだから関ヶ原に遅れるのは当たり前。グズを重ねたあげくドジとなるということ。
   

103:人間七七四年
16/09/14 20:10:58.29 tMxbKag/.net
はいはい

104:人間七七四年
16/09/14 21:03:53.40 FuhxBmWs.net
>>102
そりゃ急に上洛となれば、最低でも中一日は必要

105:人間七七四年
16/09/14 21:41:00.07 ERqEljfq.net
三万も軍勢がいるんだから、一万を上田に対する備えとして残して、
さっさと行けばいいものを、このお粗末ぶりだ。
この秀忠部隊のチンタラぶりに愛想つかして、先鋒の榊原康政はさっさと本道を西へいってしまったとさ。
もはや譜代武将からもバカにされてる秀忠

106:人間七七四年
16/09/14 22:40:59.63 FuhxBmWs.net
>>105
三万は信濃の大名も含んだ数だから、森忠政を初め一万は残っただろうな
榊原云々は『岩淵夜話』が出典だから話半分だね

107:人間七七四年
16/09/15 00:17:30.26 X9W75nMn.net
秀忠部隊がちんたらちんたら行軍してるのは、進行日程から明らか。
東西決戦間近という知らせが既に入っているというのに、このていたらく。
まったく状況判断ができてない。
グズ、ドジと言われても仕方なかろう。実際、グズを重ねてドジ踏んでるのだから。

108:人間七七四年
16/09/15 00:36:56.59 qJlLdBuA.net
秀吉・秀頼信者落ち着け
秀忠が戦下手だったとしても天下万民に法の遵守を徹底させ室町中期以来の秩序を回復させた有能な政治家だぞ
天下が治ったにも関わらず己が欲望を最優先させ本来なら暗殺されても仕方がない悪政をした秀吉や時代の流れを読む力が皆無の秀頼とはこの時点で天地の差
教祖がガイジなら信者もガイジだし学者もガイジ
やはり豊臣宗家は滅んで正解
聡明な関白殿下を無実の罪で屠った時から豊臣の運命は決まった

109:人間七七四年
16/09/15 01:13:19.04 i7ILuy2F.net
秀忠を無能扱いして秀頼age必死な豊臣信者がいるみたいだけど
当時の記録を見ると、豊臣方は諸大名から御母堂新政、秀頼乳飲み子
扱いされてたみたいだが、当時の諸大名が乳飲み子扱いさててる秀頼に
一族の存続託す気にならないから諸大名は徳川方に付いたんだろう

110:人間七七四年
16/09/15 01:45:28.69 X9W75nMn.net
慶長10年に秀頼が右大臣に昇進した時、上杉景勝や島津家久たちは大坂城に赴いて慶賀の御挨拶をしているが、
それは大変目出度く結構なことであったと、当時の関係者の書状に記されている。

111:人間七七四年
16/09/15 08:48:38.52 lG2GTlV1.net
>>108
秀忠が優秀なのは認めるが秀吉より有能とか言っちゃうのはなー
秀忠も大坂の虐殺や理不尽な改易の嵐と秀吉と同等レベルには暴君だぞ

112:人間七七四年
16/09/15 10:34:00.99 ljzaodZ7.net
秀忠は私意の無い公平な暴君だからな
自分の子や従兄弟にも遠慮しない

113:人間七七四年
16/09/15 10:48:57.41 ljzaodZ7.net
>>107
峠越えだ遅いのは当然だし、むしろ家康からは早すぎる行軍で軍列を乱したことを叱られている

114:人間七七四年
16/09/15 12:53:25.49 0iyHhcjb.net
>>113
遅いのは峠道だからではない、真田の追撃を恐れてう回路を使ってウネウネ進んでいるから。
3万の軍勢があって、真田の追撃を恐れるか、フツー
それも秀忠が馬鹿にされている理由なんだが、実は最後にきわめつけのアホが待っている。
これが家康の怒りをかった最大理由
ちんたら行軍の秀忠部隊だったけれど、赤坂方面にいる藤堂高虎あたりから、
「何やってるの、戦いが始まっちゃうよ」という知らせを9月14日頃に受けて、
ようやく現状が理解できて(ここまで理解できていなかったというのが無能の証明)
青ざめて、険しい木曽路に入る頃から特急行進に転換する。
急げ急げ! 遅れたらお父ちゃんに怒られるよとばかりに、ふっとばしてやってくるのだが、
当然、合戦は終わったあとの祭り。 で、家康の怒りを買って、ついてくるな顔も見たくないをやられるのだが理由はこうだ。
後先考えずに、木曽路を特急でふっとばしてきたから3万の軍勢の大半は置き去りだ。
自分の他には側近の少勢だろう。そんなんでやって来て、関ケ原合戦がもし西軍勝利となっていたらどうなる。
家康がアウトだけでなく、秀忠までがおあつらえむきの餌食になってしまっただろう。
このアホさ加減を、こっぴどく叱られたというわけ。
これで秀忠は、グズ、ドジ、アホの無能三冠王を達成してしまった。
こんな人間についていこうという武将なんかいると思う?
   


115:人間七七四年
16/09/15 13:56:43.40 IiyYXfGg.net
父親の七回忌にも十三回忌にも顔を出さず城に籠りきりで、新恩を呉れるわけでもなく、
それでいて親父の時代の事持ち出してくる奴の味方になる奴がいる?
実際諸大名で味方に付いたのは一人もいなかったわけだし

116:人間七七四年
16/09/15 14:33:25.95 i7ILuy2F.net
そもそも大名にしてみれば領土をくれ、
それを安堵してくれる力がある側に付くのが
当然だよな

117:人間七七四年
16/09/15 14:44:21.32 A9AvE8Lx.net
議論の筋が違うのでは。
現実の大阪の陣の話しをしているのではなく、
家康が既に死んでしまっていた時、
諸大名は秀忠と秀頼の、どちらを選んだかというシミュレーションの話ではないかと。

118:人間七七四年
16/09/15 17:26:50.25 ljzaodZ7.net
>>114
家康江戸出陣と同じ日に秀忠へ即時上洛命令が発せられたから、関ヶ原の合流は当初から家康は考えていない

119:人間七七四年
16/09/15 17:40:05.94 A9AvE8Lx.net
>>118
?? どういうこと

120:人間七七四年
16/09/15 17:43:48.07 jlnkLTd9.net
秀頼の評価は関係なく、秀忠が凡愚なので付いて行く大名はいないと言うなら、
秀頼の生死に関わらず、家康が死んだあと離反すればいいんだよ。
実際はどうだったのかな?

121:人間七七四年
16/09/15 18:28:46.76 npD91afX.net
>>120
それが政治の面白いところ。秀頼か秀忠かという選択になると、徳川方では危機感をもって秀忠ではもたない、誰か代わりをといって秀康だ、忠吉だ、忠輝だという、秀忠降ろしが起こる。
ところが秀頼という徳川にとっての脅威が消滅してしまうと、秀忠でもまぁいいかとなって安定政権となる。このメカニズムは今も昔も同じ

122:人間七七四年
16/09/15 18:33:13.25 ljzaodZ7.net
>>119
家康が江戸を出陣する日に、上田にいる秀忠へ上洛を命じる書状を出して、
それを秀忠が受け取り上洛して、関ヶ原で家康と合流できると思う

123:人間七七四年
16/09/15 19:53:46.47 xLC9jEgk.net
>>121
小説設定持ってくるのやめよ? >秀忠おろし

124:人間七七四年
16/09/15 20:00:51.46 VgfE6ApO.net
>>122
できないとして、どうなるということ?

125:人間七七四年
16/09/15 20:09:21.19 ljzaodZ7.net
>>124
家康が秀忠を遅参で叱責することはあり得ない
実際に叱責の理由は無理に急いたことによる軍列の乱れ

126:人間七七四年
16/09/15 20:09:35.48 xElO37f2.net
二重公儀まったく関係なくなってるなwどうでもいいけど

127:人間七七四年
16/09/15 20:39:07.92 E69hzUas.net
家康が関ヶ原合戦のあと、早く死んでしまっていたとしたら、秀頼の政権が支配したかどうかという話だから、いいのでないの。

128:人間七七四年
16/09/15 21:03:46.96 jlnkLTd9.net
秀忠はクズしか言ってなかったでしょ?
家康が早死すれば秀頼に天下が戻ってくるほど他の大名は甘くないのではないか?
クズ秀忠には従えない大名が徳川に反旗を翻すなら第2次関ヶ原になるか応仁の乱の再来か、秀頼が収めることができれば
豊臣政権は維持できるだろうが、そんな器量があればそもそも滅ぼされる事もなかっただろうなと思う。

129:人間七七四年
16/09/15 22:36:27.44 ORs9tcSs.net
>>122
家康は秀忠に関ケ原へ来るようにとは言ってない。関ケ原は結果として選ばれた決戦場。
家康が赤坂にいる同盟の豊臣武将たちに充てた手紙では、秀忠は9月9日頃に美濃国に到着するだろうと予測している。
秀忠の部隊は中山道を西へ進んでいるから、上洛進軍すれば中山道の赤坂で東海道方面軍および家康軍と自動的に合流するようになっている。
その合流に失敗したのは、第一に家康の秀忠への使者が川止めで大幅に遅れたこと。
第二に、上田攻めは中止して上洛を急げと指令しているのに、秀忠部隊が上田攻めに未練たらたらで急速西上を怠ったから。

130:人間七七四年
16/09/16 09:57:06.31 a3yEwCqN.net
>>129
川止め云々は事実では無いし、秀忠もグズグズしていない急な上洛命令と側面に敵がいる点、
山越えを考えれば十分速い

131:人間七七四年
16/09/16 12:44:15.52 4L3lxXqS.net
>>130
徳川幕府の資料はウソをついてると?! (`Δ´)

132:人間七七四年
16/09/16 16:07:45.57 a3yEwCqN.net
>>131
ウソというより江戸後期の編纂だから色々と怪しくなっている

133:人間七七四年
16/09/16 17:01:38.56 7bDoxhKo.net
>>130
なぜ、事実でないと言える

134:人間七七四年
16/09/16 17:26:31.57 a3yEwCqN.net
>>133
その川止めにあったという史料は、8月29日に上洛命令が江戸を発したとあるが、
実際は9月1日に出た

135:人間七七四年
16/09/16 19:21:20.15 WZOoow59.net
>>134
江戸から上田まで、なぜ使者が8日もかかるんだ

136:人間七七四年
16/09/16 19:41:41.99 a3yEwCqN.net
>>135
理由は知らんが、他の岐阜城の戦いの戦況報告も江戸の家康と小諸の秀忠との
到着時間を検討したら、江戸から小諸まで7日との結果が出た

137:人間七七四年
16/09/16 20:41:40.45 FaHDPfTq.net
川止めを喰らってるからだろう。

138:人間七七四年
16/09/16 21:14:40.46 a3yEwCqN.net
毎度毎度、同じ期間の川止めを食らっているのはどうかと

139:人間七七四年
16/09/16 21:35:50.82 /ifppQZb.net
ここは二重公儀論のスレなんで上田合戦についてはこっちでやってくれないかな
第二次上田合戦の真実
スレリンク(sengoku板)

140:人間七七四年
16/09/16 23:10:28.17 3/dqvGJa.net
加藤・福島健在で家康死亡ということになっていたら
秀忠がはたして大坂攻めを決断できたかというと難しかったんではないかと
千姫との間の子供が元服したら血筋の正当性では家光以上になるし
ややこしいことになったでしょうねー
大坂城には国家予算レベルの蓄財が残されてるし

141:人間七七四年
16/09/18 21:07:10.75 Oy/pR4h7.net
豊臣信者は仮定の話ばかりだね
実際に豊臣家は公儀として
徳川家と並ぶだけの権威や諸大名への影響力を
持っていたかを考えるスレなのに

142:人間七七四年
16/09/18 21:53:50.99 E/n6NYtb.net
信者とかレッテル貼り鬱陶しい
力関係では徳川>>豊臣でも
豊臣家には依然として公儀としての体裁が残っていたから
力づくで滅ぼすしかなくて
大坂の陣になったんでしょ?
牢人衆も地位回復の望みを持って参加していたということも
その傍証になってるんじゃないの?

143:人間七七四年
16/09/18 22:07:09.33 LO11/7ef.net
>>142
豊臣家の公儀としての体裁ねぇ
過去の遺産を除けば、本当にあったか疑問なのだが

144:人間七七四年
16/09/18 22:11:06.80 ezdCRMo0.net
>>142
秀頼が幕府に対して謀反を起こしたから大坂の陣になったんだけど

145:人間七七四年
16/09/18 22:16:56.26 Oy/pR4h7.net
>>142
諸大名の誰か一人でも味方したなら兎も角
行き場を失った牢人達が味方したから公儀として
体裁があると言われてもねぇ

146:人間七七四年
16/09/19 00:02:52.96 cOV9q+XN.net
>>142
末期の豊臣信者ってこう他人がああしたのは豊臣が凄いからだーってばっかだな
この手の人間は滅ぼさず細々残してても豊臣には影響力あるから完全に潰すのが怖かったんだと言ってる

147:人間七七四年
16/09/19 00:05:18.03 gLkwfnPE.net
二重公儀って日本のトップは家康だけど、前の将軍徳川家康が偉いのか?豊臣政権の実質トップ、大老徳川家康が偉いのか?って話なのかと思ってたよ。

148:人間七七四年
16/09/19 02:08:15.82 U040ed/Q.net
豊臣家が徳川家を相対化できる権威を持っていたかどうかといえば
yesになると言って差し支えないんじゃないの?
戦の結果豊臣家が惨敗しただけで
権力ってのは流動的だから

149:人間七七四年
16/09/19 04:05:34.52 Nz7T593L.net
>>145
大坂の陣で豊臣秀頼に味方する大名が一人もなかったということが、徳川絶対論者の根拠になってるようだけど、
だったらナセ゜清正や幸長が死ぬまで大坂攻めを始められなかったかの疑問を説明しなければならなくなるよ。

150:人間七七四年
16/09/19 06:03:02.83 bHbVksiZ.net
徳川権力を押さえこめるその二人は一体何者なんだ

151:人間七七四年
16/09/19 07:36:13.81 mZ5CQ3+c.net
家康が一番恐れた男、加藤清正と浅野幸長(一人とは言っていない)

152:人間七七四年
16/09/19 09:25:59.59 fNSqAbO4.net
家康が清正や幸長が死ぬのを待っていたっていう人がいるけど、結果を見れば家康がその二人より長生きだったわけだが
家康の方がずっと高齢なんだから、二人が死ぬのを待っている間に自分が死んだらどうすんだって話になると思うけど

153:人間七七四年
16/09/19 09:51:38.93 zzTuZ5XS.net
>>149
だから徳川が大坂攻めを始めたんじゃなくて豊臣が謀反を起こしたんだって

154:人間七七四年
16/09/19 12:14:07.07 +WSmlVaH.net
そう。大阪の陣が起こったのはあくまで豊臣秀頼が徳川大名である片桐且元を
攻めたのが原因。徳川が起こしたもではない。

155:人間七七四年
16/09/19 14:52:01.02 lHczS9HM.net
>>154
片桐は茨木城に引きこもっただけ。
それも七手組頭速水の忠告によったもの。
それをいきなり大阪攻めだから。
チョーゴマの藤堂高虎でさえ「早すぎる」といって制止してるほど。
なりふり構わぬゴリ押し戦争

156:人間七七四年
16/09/19 14:56:38.36 wHVLDAmk.net
>>155
その前に暗殺されかけた

157:人間七七四年
16/09/19 14:58:42.15 zzTuZ5XS.net
>>155
そもそも茨木城に引きこもったのが強硬派が大坂城内で且元を暗殺せんとしたためだし、
秀頼は且元追放令を出しその後茨木城攻めを行う構えまで見せている
幕臣でもあり幕府との折衝役だった且元を追放したから大坂方は謀反と見なされたんだよ

158:人間七七四年
16/09/19 18:31:28.02 DzjVDZ49.net
殺す殺さない以前に緊迫時の国交断絶は宣戦布告と一緒
窓口追放でもう話し合いはしないとなれば戦争しかないからね

159:人間七七四年
16/09/19 18:36:24.28 3ekAxbOT.net
チョーゴマの藤堂高虎でさえ、フライングと言ってのに(笑)

160:人間七七四年
16/09/19 18:52:26.53 jxD1SSzA.net
平山優の「真田信繁」に拠れば当時の大名間で相手国との取次をしてた重臣を
当主が排除したり誅殺する事は相手国に立ちする開戦宣言を意味し
かつて秀吉が主筋である信雄と開戦に至ったのは信雄が秀吉との取次をしていた
三重臣を信雄が誅殺した事が契機だったとある
ところで高虎が早すぎると制止した話って何が根拠?

161:人間七七四年
16/09/19 19:27:04.44 J89wXeka.net
徳川が豊臣に戦争をしかけようと思ったら、それまでにもいくらでもあったはず。
関ケ原合戦のあとでも、
秀忠が将軍就任した時、祝いに来るよういったのに拒絶したことでも、
駿府城が丸焼けになって家康があやうく焼け死にになりそうになったときで。
要するに、清正や幸長が健在な限り家康は手が出せなかったということ。
   

162:人間七七四年
16/09/19 19:57:06.79 zzTuZ5XS.net
>>161
戦争を仕掛ける気がなかっただけなんだよなあ

163:人間七七四年
16/09/19 20:02:08.88 wHVLDAmk.net
>>161
先ずその「徳川は最初から豊臣家を潰す気満々」という認識の再検討を求める

164:人間七七四年
16/09/19 21:19:29.52 jxD1SSzA.net
家康が是が非でも豊臣を滅ぼす気だったなら冬の陣で講和せず攻め滅ぼせば良かったし
あるいは夏の陣の前、国替えや牢人達の追放などの条件を持ち出さず
講和の違約をせめて有無を言わさず滅亡させれば良かった
家康が求めていたのは豊臣の臣従であって滅亡ではないから、わざわざ諸大名が訝るほどの
手間をかけている
家康が清正や幸長に何か気にするものがあったとしたら、むしろこの二人ならば秀頼が
徳川に臣従する様に説得してくれるのではないかという期待だろう
ところで高虎が制止した話の出典はどうしたの

165:人間七七四年
16/09/19 21:36:06.68 U040ed/Q.net
ぶっちゃけ家康って秀吉に比べたら戦績では月とスッポンぐらいの差があったわけで
大坂の陣で豊臣家を滅ぼしたことでなんとか天下人としての格好がついた形なんだよね
つまりそういうことだ

166:人間七七四年
16/09/19 21:38:47.64 wHVLDAmk.net
>>165
はいはいワロスワロス

167:人間七七四年
16/09/19 21:49:09.83 2aYvHRsH.net
>>162
で、加藤清正や浅野幸長たちが死んだら急にやるきになった

168:人間七七四年
16/09/19 22:31:50.12 zzTuZ5XS.net
話通じねえなこのルーパチage野郎

169:人間七七四年
16/09/19 22:53:33.79 DzjVDZ49.net
話通じたら負けを認めるしかなくなるからな。ずっと耳ふさいでるよw

170:人間七七四年
16/09/20 00:24:44.21 gTN/V2QY.net
大体、この種の論争的テーマの場合、勝敗のメルクマールになるのは、相手方をののしる悪態スレの数に反比例するという原則

171:人間七七四年
16/09/20 01:48:01.77 RC5SuA2v.net
つまりそういうことだっていうのは
なんだかんだいっても真に戦国を終わらすには
戦で最終勝者になるしかなかたんじゃないのってことなんだけどね
関ヶ原は豊臣の家老としての戦いに過ぎなかったけど
大坂の陣で豊臣を超越して名実共に真の天下人となりえたと

172:人間七七四年
16/09/20 01:50:43.65 khk/a5wJ.net
>>171
戦国は秀吉の生前にとっくに終わってるわけだが

173:人間七七四年
16/09/20 02:38:31.97 fBVET21D.net
唐入りはなかったことになっているのかな?

174:人間七七四年
16/09/24 17:05:00.11 OHF2Z+x9.net
後水尾天皇践祚の儀、所司代板倉勝重より、大御所様御臨席を伝奏したところ、朝家には痛くお慶びになったため、
大御所は久々に入洛の運びとなり、豊臣秀頼に対し、践祚の儀には出なくても良いから二条城に挨拶に来いと下命し、織田有楽や浅野幸長、加藤清正らの説得を諒とし、上洛し、家康と対面した。
家康は、加藤清正や浅野幸長が蒼くなって止めるのも気にせず、家康側が用意した膳物に箸をつけた度胸、並びに、秀頼上洛の際、自然発生的に沸き起こった秀頼に対する熱狂的な歓迎は、家康に、強い衝撃を与え、
目の黒いうちに豊家殲滅を謀らねば、徳川の天下は危ういことを、深く認識するに至ったのである。
また、大坂夏の陣後、豊臣時代の盛り土や石垣など縄張りを全く一新し、白亜の徳川大坂城を築きしは、
大坂町民に対し、徳川が作成した大坂の象徴を見せつけることで、豊家の時代は去ったことを視角で分からせんとした証左にほかならない。
このようにして、1620年時点での築城最新技術の粋を結集した徳川大坂城こそ、新たな再建対象として予算に計上すべき時期にきたのであった
(完)

175:人間七七四年
16/09/24 19:12:09.93 daPoZyN8.net
相変わらず徳川アンチは自己完結して一人で満足しているよね

176:人間七七四年
16/09/25 19:13:00.66 s7R1Sdx4.net
そもそも家康が自分が死んだら、秀忠が秀頼に権力奪われると恐れていたなんて、何の史料的根拠もない話だろう

177:人間七七四年
16/09/25 21:26:44.80 i27EhkZi.net
それは小説や講談が根拠の連中だから

178:人間七七四年
16/09/26 07:43:49.66 w/riWfW2.net
>>172
権力を奪われるかどうかはともかく
権力基盤が不安定になることは危惧してただろう

179:人間七七四年
16/09/26 07:44:11.37 w/riWfW2.net
アンカミス

180:人間七七四年
16/09/29 09:20:20.48 xu+4jpZG.net
例えば江戸城普請に秀頼も奉行を出してるとは言っても
あくまで徳川が主体として行ってる事業に派遣してる形だからな
関ヶ原後公儀の仕事として、徳川ではなく秀頼が主体になって
行った事業がどれ程あったのかって事だな

181:age
16/09/29 11:34:49.26 d7zRq0Hr.net
>>180
将軍の城の普請を管理監督することが公儀としての仕事では

182:人間七七四年
16/09/29 13:02:15.95 jUbbutnI.net
>>181
あれは額面上ではなく、権勢が移ったことを見せ付ける証人じゃない?

183:人間七七四年
16/09/29 16:00:42.41 Xf4ORt56.net
見せつけたいなら、見せるだけていいのでは。
奉行という正式の監督として、入ってくる説明にはならない。

184:人間七七四年
16/09/29 16:12:54.89 jUbbutnI.net
>>183
そういう見せるだけの職は無いし
それに実際に何かしたとは思えん
その豊臣家の家臣二人がその後の豊臣家中で何かしたとも思えんし

185:人間七七四年
16/09/29 20:33:38.88 VSN5zlDo.net
>>184
江戸城の工事現場を見回って監督することが何よりの仕事。

186:人間七七四年
16/09/29 21:17:02.86 jUbbutnI.net
>>185
いやいや、普請奉行というのはそういう役割ではない
ちゃんと縄張を考え、大名に配置と作るべきモノを指示し、それを納期まで実現させるように監督するのが仕事で、
そういう能力があれば、豊臣家でも何らかの仕事をしているはずだが、とんと聞かない
というか、関ヶ原合戦後の豊臣家は、そういう仕事について片桐一族以外の者の活躍を聞かないのだが

187:人間七七四年
16/09/29 21:35:42.13 jZ/dHXST.net
家康から派遣された普請奉行だって工事現場を見て回って監督するだけだろう

188:人間七七四年
16/09/29 21:55:16.23 9TxmgvL5.net
豊臣から派遣された水原義勝と伏屋貞元の二人は摂津、和泉の慶長国絵図の作成に関与した人物らしいから、
おそらく測量の仕事に携わっていたと思うけど、徳川にだって測量家はいるだろうし、豊臣の顔を立てただけじゃないかな

189:人間七七四年
16/09/29 22:22:22.32 lHoTXbVM.net
将軍の城を造るという時に、普請奉行をわざわざ呼んで、顔をたてなければならない豊臣家って、いったい何よ。

190:人間七七四年
16/09/29 22:29:51.42 jUbbutnI.net
>>188
なる程、そういう活動実績がある人なのですね
家康が将軍を秀忠に譲った翌年の話だから、徳川家の権勢誇示だと思うのだけどね

191:人間七七四年
16/09/30 16:54:02.35 oeES65Mc.net
二人の家臣を派遣したことの解釈も見る人次第だしねぇ
駿府城普請の際の五百石夫の解釈も研究者によって意見は様々だし

192:人間七七四年
16/09/30 21:38:03.66 jEjZ3nsr.net
江戸城以外の天下普請、例えば名古屋城とか駿府城や彦根城などの普請には関わっていたのかな

193:人間七七四年
16/10/01 09:50:52.76 JXXTffnu.net
>>191
渡邊あたりは豊臣も江戸城普請に奉行を出して協力してますよ
駿府城普請では賦役を負ってますよって実績つくりって
「大坂落城」で書いてなかったか

194:人間七七四年
16/10/01 13:55:51.15 FJorgRmi.net
アンチ二重公儀説の側から出てくるのは、へ理屈ばっか。
何か目新しい事実をもってきて、反論できないの。

195:人間七七四年
16/10/01 15:09:26.93 SDe91BKR.net
>>194
大坂城下の行政支配が、実質的には板倉勝重の指示で行われていたとか

196:人間七七四年
16/10/01 16:00:04.17 FJorgRmi.net
>>195
具体的には?

197:人間七七四年
16/10/01 17:08:06.95 SDe91BKR.net
>>196
大坂で行われている米の積み出し制限について、浅野長晟が差し押さえに苦情し、
その件を板倉勝重が片桐且元へ申し入れた所、且元が指令書の原案を作成し板倉勝重へ送り、
勝重と米津親勝が署名をしている
なお、大阪城天守閣はこの積み出し制限を、江戸幕府の指示で行われたとしている

198:人間七七四年
16/10/01 17:09:21.93 DjAAnCeE.net
大坂城下の徴税、治安に携わったは、豊臣家執権の片桐か、それとも板倉勝重か、はたまた堺政所か、

199:人間七七四年
16/10/01 17:38:05.16 SDe91BKR.net
大坂の陣時の大坂町奉行は、例の水原石見守・布施屋(伏屋)飛騨守だそうで

200:人間七七四年
16/10/01 20:24:45.29 cQfemeFb.net
>>197
俺はどちらかと言えば二重公儀派だけど、197みたいな反論は生産的だと思うよ。
何の新しい事実関係を明らかにすることなく、ただ屁理屈ばかりこねまわしてイチャモン付けやってるやつがいるだろう。
研究者と称するやつの中にもいるな、そういうヤカラが。

201:人間七七四年
16/10/01 20:33:03.03 SDe91BKR.net
水原石見守・布施屋(伏屋)飛騨守が慶長国絵図作成・江戸城普請奉行・大坂町奉行を歴任したとなると、
むしろ江戸幕府が豊臣家が自立できるように彼らを鍛えようとしたとも考えられるし

202:人間七七四年
16/10/01 20:50:49.13 cQfemeFb.net
>>201
屁理屈体質は相変わらずだな。屁理屈と言われたくなかったら、そう考えられる証拠を挙げることだ。

203:人間七七四年
16/10/01 21:19:51.60 whRp0ZRc.net
江戸時代の初期までは中世と近世の過渡期といって差し支えないわけで
中世的な公儀ってのはかなーり基準が緩いよね
どっちから見るかで評価が分かれるのは当然のことだと思う
自分は豊臣家にも公儀としての権能は十分にあったんじゃないかと思ってるけど

204:人間七七四年
16/10/02 00:05:03.45 hRtE6LZL.net
徳川と豊臣による異なる指図や干渉で大名、朝廷、外国などがどうしたらいいか困惑するのが二重公儀だろ
日本語を豊臣に甘く使う方が屁理屈に過ぎない

205:人間七七四年
16/10/02 01:43:18.57 3o64XhFY.net
>>204
笠谷先生の二重公儀論というのは、京都を境にする東西分有の棲み分け論。
東は徳川将軍家、西は豊臣関白家をそれぞれ頂点とする、相互不介入の体制のこと。
国家権力がタテに二重にかぶるように受け止めてる人が多いようだけど、それは誤解。

206:人間七七四年
16/10/02 02:04:12.07 1cQiC8BD.net
鎌倉幕府執権北条氏(天皇家に任命された事実上の東国支配者)と後鳥羽上皇(権威的・名目上の全国支配者+事実上の西国支配者)の関係が二重公儀←幕府劣勢だがそうとも言える
江戸幕府徳川将軍家(豊臣氏以外の全国諸大名の事実上の支配者+正統摂関家を含む公家を掌握済)と後付摂関家豊臣氏(ただし関白職には正統摂関家が就任=名目上の支配力もなし)の関係が二重公儀←は?
二重公儀を証明するなら豊臣氏がどれだけ地方の諸大名に影響を与えていたか吟味する必要がある
AがBにBのやりたくないことを強制的に遂行させる力・命令することが可能な立場にあることが公儀とすると徳川対豊臣は名実ともに徳川が支配者=二重公儀ではないと言える

207:人間七七四年
16/10/02 02:41:43.59 3o64XhFY.net
やりたくない事とは城普請?
江戸城の普請に諸大名を動員しているのは、豊臣から普請奉行を派遣して、豊臣の承認の下に行われている動員という態勢をとることで調和がはかられている。
そのための、豊臣奉行の参加では。

208:人間七七四年
16/10/02 07:58:10.06 hxfAb+d5.net
>>207
豊臣からの普請命令があったとする記録は無い

209:人間七七四年
16/10/02 16:31:14.33 hxfAb+d5.net
江戸城普請奉行の件は、言い出しっぺは白峰氏で、豊臣家臣の出典は『山内家史料』から

210:人間七七四年
16/10/02 21:19:35.76 FrhMlrF+.net
関白継承権を持っている秀頼の権威や影響力を恐れたとかいう話もあるが
慶長5年に九条兼孝が関白に就いたのち大坂の陣までの間に
近衛信尹→鷹司信房→九条忠栄→鷹司信尚と継いでいってる実績があるわけだし
0ではないに知り秀頼が関白位に就ける可能性は低かったんじゃないか

211:人間七七四年
16/10/02 21:41:06.55 h+pyrgcB.net
>>210
家康が存命の限りはなさそう。
でも逆に言えば、家康が亡くなればありそう。

212:人間七七四年
16/10/02 21:51:50.90 nOET/cqF.net
家康より秀忠の方が朝廷や公家に対して強圧的だし、どうだろう

213:人間七七四年
16/10/02 22:40:42.52 dDVl9ADk.net
それも豊臣家が消えてればの話しだからね

214:人間七七四年
16/10/02 23:48:00.60 +mx+7Fqq.net
かつて摂関家だった松殿家だと
基房、師家が失脚した後も師家の弟の忠房までは摂関候補になったよね
つまり秀頼は生きてる限りは関白になり得たのでは

215:人間七七四年
16/10/03 10:44:38.63 VTSnJEY1.net
秀頼の子供は秀頼の一存で大大名の子とでも皇室の人間とでも結婚させられて相手も幕府に相談しなくていい
いつか千姫との子が生まれようがそれを押しのけて後継者に指名、いやそもそも千姫と子作りする気なんてねえ幕府は口出しすんなってできたんか

216:人間七七四年
16/10/03 15:25:19.31 JI9WoqYO.net
秀頼が西国大名の婚姻や世子の承認、家督の相続や官位の任官などに関わっていたのなら
西国を統治していたと言えるけどそういう判断は幕府がしてたんでしょ
それなら徳川家の権威と並び立つようなものではなく昔の誼から一定の配慮がある位の話じゃないの

217:人間七七四年
16/10/03 18:55:07.40 Ah5oDmxh.net
それも家康あっての話しなのでは。
家康死んだあと、西国の豊臣大名たちが秀忠の指図をいちいち聞くなんていうのは、とても想像できそうにない。その頃には、秀頼も
関白についてることだろうし。

218:人間七七四年
16/10/03 19:45:28.18 CXJ8OAqq.net
その芸風飽きた

219:人間七七四年
16/10/03 20:31:05.88 DOykFsRW.net
つか家康存命中に二重公儀状態ではなかったのなら、もうそれで二重公儀論が否定されたことになるような。

220:人間七七四年
16/10/03 20:46:31.51 dBnX/a8K.net
>>217
家康が死ねば秀頼は関白について諸大名が従うって前提がまず根拠が無い
朝鮮征伐などで散々苦労させられたり、秀次事件で処罰されそうになったりして
豊臣に嫌気や恨みを持っている大名家も多々いるのに比べて、秀吉の時の様に
城普請に駆り出されるししても、十五年近く安定した政治を行ってきた政権と
どちらを選ぶのが普通か
関ヶ原の恨みと言うが改易された大名を別にすると生き残った大名家の中で
減封処分の大名家は毛利、上杉、佐竹、秋田の四家で、あとは増封か
現状維持だ。改易された大名でも立花や丹羽みたいに復帰させて貰った大名もいるし

221:人間七七四年
16/10/03 20:53:27.75 ZT7/cYRL.net
毛利輝元はまだ諦めず、佐野道可を入城させ、墓穴を掘っている

222:人間七七四年
16/10/03 20:59:23.27 DOykFsRW.net
歴史にIFを持ち込んでまで二重公儀論を擁護するとか、頭がおかしすぎるだろう

223:人間七七四年
16/10/03 21:35:04.49 5lei7UfC.net
>>221
彼は天正17年に出奔したので、唯の浪人

224:人間七七四年
16/10/03 22:06:06.97 r2S/LamS.net
>>219
家康の支配力がそれほど強いのなら、関ケ原合戦のあと京都から西に徳川系大名をいっさい入れてないことをどう説明する?

225:人間七七四年
16/10/03 22:18:29.79 oNdKZH0s.net
>>224
入れる必要がなかったからだろ。関ヶ原後の戦後処理に関して豊臣に遠慮したわけでも何でもないし。

226:人間七七四年
16/10/03 22:24:53.86 r2S/LamS.net
入れる必要がなかったということは、家康は京都から西を支配する必要がなかったということ

227:人間七七四年
16/10/03 22:38:35.07 2WXq5LrS.net
>>224
関東近辺の豊臣大名を他に移そうと考えたとき、とりあえず空いている領地は西にしか無かった

228:人間七七四年
16/10/04 04:43:18.54 WoscLRP7.net
誰かを持ち上げるのに他人の行動を根拠にする奴はその他人がどんなことをしても結論に合わせた解釈をする
そいつ自身は何も大したことしてないからそのような卑怯な手法を取らざるを得ない

229:人間七七四年
16/10/04 08:22:54.17 +2F3TT4m.net
>>224
先ず、京―江戸間を制圧することを最優先としたから

230:人間七七四年
16/10/04 21:55:11.50 OwWF5Qyd.net
西国豊臣大名配置したと言っても、養女を含めて娘婿の池田や蜂須賀、黒田などもいれば
秀吉時代増封が全くなく、秀次事件で連座になりそうだったところを家康に助けられた
細川もいるし、家康にべったりな藤堂など親徳川の大名もいるわけだし

231:人間七七四年
16/10/04 22:03:09.13 qhYza+5Q.net
家康に恩義を感じてる諸侯も
家康死後に秀忠にそこまで義理立てしたかなってのもあるよね
秀頼は唸るほど金を持ってるんで野心があれば工作資金に使うよ
家康は秀吉死後のどさくさに豊臣家の交易利権や鉱山利権を横領してるのを
秀頼が返還を求める権利はあるんだし

232:人間七七四年
16/10/04 22:50:09.75 C3OgAb3G.net
ないない
そもそも二代目として秀頼は何の実績も才能の片鱗を見せ付けたことすら無いんだから
今の安定した地位を捨ててまで秀頼に賭けようかなと思わせる要素が無い
工作を仕掛けて当主が応じたとしても重臣の誰かに幕府に報告されて終わり

233:人間七七四年
16/10/04 23:14:18.26 7QBaePxS.net
つまんねIFを延々と垂れ流して白痴か

234:人間七七四年
16/10/04 23:27:33.42 qhYza+5Q.net
>>232
安定した地位を捨てて戦してるじゃん

235:人間七七四年
16/10/04 23:31:24.74 C3OgAb3G.net
>>234
誰が?

236:人間七七四年
16/10/04 23:45:31.35 qhYza+5Q.net
>>235
勘違いしたすまない
この時代はまだ公儀ってのが曖昧で
パワーバランスで引っ繰り返る可能性が十分あったんではないの?
日本全国敵にまわしても戦をできる財力って十分過ぎるほど脅威だよ
大戦の後でもまだ大量に金銀の備蓄があったってんだから

237:人間七七四年
16/10/04 23:57:07.51 Tx8cAxkh.net
>>231
豊臣家の交易利権や鉱山利権は三成の謀反を鎮圧した恩賞として豊臣が徳川に払ったものだから
横領なんて言いがかりもはなはだしい
そもそも子飼家臣の謀反を防げなかった豊臣家に一番の責任があるのだから
秀頼に返還を求める権利なんかあるわけがない

238:人間七七四年
16/10/05 00:05:15.90 i2ZgPCkK.net
>>236
財力があるのは認めるけどそれだけじゃ無理だよ
兵士が足らなければ糧食も足らないし矢弾も足りない、それらを集めだしたら即座に警戒され
大名を味方に付けようとすれば前田家のように幕府に通報される
十分な戦の準備ができなかったら結局大坂の陣みたいな結末が待っている
かといってじっくり取り掛かるとなると秀吉の記憶は徐々に薄れていって
豊臣家に心寄せる人間は減る一方で徳川の支配体制は強固になっていく

239:人間七七四年
16/10/05 00:15:34.65 1AgBGvQQ.net
天下を乱す力と天下を治める力は別だからな
豊臣には金で浪人どもを暴れさせて天下を乱す力はあるだろうけど
天下を治める力はもう豊臣にはない
二重公儀とか主張している人間はこの2つの違いが分からない(というより意図的に無視している)

240:人間七七四年
16/10/05 00:16:16.13 QLhNukpA.net
>>237
いやその前から銀山利権を毛利と折半したりしてる
金は貸せば増えるんだよ
確かに時間がたてば秀吉の栄光も風化するけど
家康死んだら戦のまともな実績のない秀忠が跡継ぎだよ
強権で諸侯に圧迫を加えたら
秀頼を頼る大名も出てきかねないよ

241:人間七七四年
16/10/05 00:18:15.74 i2ZgPCkK.net
>>240
秀頼に戦の実績が皆無だということを無視してはいけない

242:人間七七四年
16/10/05 00:27:32.06 QLhNukpA.net
>>241
でも豊臣家を滅ぼす前に家康が死んでたら
徳川家の求心力は一時的には確実に落ちるよね
家康が偉大で長命だったから
豊臣家を滅ぼして江戸幕府を盤石にできたけど
豊臣家に必ずしも徳川家に対抗する実力がなかったとも言えないんじゃないの?

243:人間七七四年
16/10/05 00:41:37.07 i2ZgPCkK.net
>>242
徳川家は親族譜代が多く彼らが外様の有力大名とのつながりを何らかの形で持っているので
秀頼はそれらの親徳川の家から奪わない限り自分に味方してくれる大名に土地を与えることができない
秀頼が徳川家につくより豊臣家を支持したほうがいいという展望を見せることができなければ無理

244:人間七七四年
16/10/05 00:45:09.38 Ko8fDlSD.net
関ヶ原が終わってすぐに徳川の権威が確立されたわけではないし
その移行期間の説明として二重公儀論があるんでしょ

245:人間七七四年
16/10/05 01:01:17.38 QLhNukpA.net
>>243
どこの藩でも主流派と反主流派がいるし
改易された浪人も世に溢れかえってたんだし
まだまだ流動性はあったかと
IFの話をしたいんじゃなくて
豊臣家にも状況次第ではまだ
天下を二分する実力が残されていたんじゃないのってことね

246:人間七七四年
16/10/05 01:05:06.28 Vbb9WTrn.net
秀忠は家康が死んだらその威光すら残されず自身の将軍実績も全て否定されて、秀頼はいつまでも上書きされた秀吉の威光を当てに出来る
なんの根拠があってこんなこと言えるのか

247:人間七七四年
16/10/05 01:15:02.98 QLhNukpA.net
>>246
何でもそんな極論に持ってく必要ある?
どっちが勝つかとか強いかを決めたいんじゃなくて
大坂の陣の直前でも両者の力の差が
挽回不可能なほど広がってなかったんじゃないかなってこと

248:人間七七四年
16/10/05 01:19:08.76 i2ZgPCkK.net
>>245
派閥争いが存在するような藩はどちらかが必ず徳川に報告するから即座に対応される
徳川の詰問から親豊臣の派閥を守ることのできる実力(兵力)が秀頼には無い
というかそういう実力を秀頼が蓄えだしたら当然企みが露見して討伐対象になる
秀頼は戦以外の手段で挙藩体制で豊臣を支持するに足る何かしらの資質を見せなければならない

249:人間七七四年
16/10/05 01:30:09.53 r+x1Vjxz.net
>>246
秀忠は天下分け目の関ケ原合戦で大失態をしでかしたという、「負の実績」がある。
家康亡きのちの政治情勢の中で、諸大名が秀忠と徳川から離れていくだろうというのは決してifの話とは言えない。

250:人間七七四年
16/10/05 01:31:30.38 QLhNukpA.net
>>248
近代じゃないんだからそんな簡単なことじゃないって
例えば福島家でお家騒動が起こって討伐軍が来る前に
親豊臣派が藩を牛耳って挙兵したら
各地に動乱が飛び火する可能性は十分にあるし

251:人間七七四年
16/10/05 01:42:18.53 HWLZFjb6.net
>>249
げんに史実で起こっていないことはすべてifの話だよ

252:人間七七四年
16/10/05 01:52:41.40 i2ZgPCkK.net
>>250
それこそ『簡単』に豊臣派の重臣を勝つのはおかしいし、『簡単』に戦火を飛び火させないでくれという話

253:人間七七四年
16/10/05 01:59:39.09 r+x1Vjxz.net
>>251
秀忠は天下分け目の関ケ原合戦で大失態をしでかしたという、「負の実績」があるは、ifの話?
    

254:人間七七四年
16/10/05 02:07:02.52 HWLZFjb6.net
>>253
家康亡きのちの政治情勢の中で、諸大名が秀忠と徳川から離れていくだろうというのがifの話

255:人間七七四年
16/10/05 02:12:20.61 QLhNukpA.net
>>252
前近代だから普通に有り得るんだってば
後醍醐なんて厳重に監視されてても反乱起こして
遠島されても逃げ出して再起までしてるし

256:人間七七四年
16/10/05 02:21:13.90 unuAc1od.net
>>254
当日の武将たちは、運の悪い奴にはついていかないもの。今でもそうだけど。

257:人間七七四年
16/10/05 02:24:02.92 HWLZFjb6.net
>>256
確かにそうかもね。
それはそれとして、家康亡きのちの政治情勢の中で、諸大名が秀忠と徳川から離れていくだろうというのはifの話以外の何物でもないよ。

258:人間七七四年
16/10/05 02:30:07.67 Vbb9WTrn.net
>>249
実際家康が死んでも離れなかったんだけど
諸大名は秀忠が将軍としていくら頑張ろうが家康が死んで秀頼が生きている場合に限って関ヶ原は取り返しがつかない負の実績と思っていて
普通の大名の仕事も出来てないのに不相応な地位を求める秀頼に負の実績はないと思っている根拠は?

259:人間七七四年
16/10/05 02:30:23.30 i2ZgPCkK.net
>>255
秀頼は皇族じゃないし
後水尾天皇かそれに比する皇族を味方につける算段でもあるの?

260:人間七七四年
16/10/05 03:11:36.16 3lIeYomz.net
>>258
秀忠は関ケ原合戦で大失態やって「負の実績」を残した。これは厳然たる現実。
秀頼は政治的には未知数の状態。しかし二条城会見では京都の市民から大歓迎され、
二条城では「お成り」の待遇で迎えられ、「御成りの間」に通されている。
これらの「現実」に目をつぶらなければ、それが根拠

261:人間七七四年
16/10/05 03:25:34.27 HWLZFjb6.net
厳然たる現実をもとifを語り始めちゃうのが、なんともこっぱずかしいと言いますか

262:人間七七四年
16/10/05 03:49:45.25 3lIeYomz.net
>>261
この現実もifと言い張るつもり?

263:人間七七四年
16/10/05 03:53:25.04 HWLZFjb6.net
>>262
何度もいうように、家康亡きのちの政治情勢の中で、諸大名が秀忠と徳川から離れていくだろうというのがifだよ

264:人間七七四年
16/10/05 03:56:56.30 HWLZFjb6.net
歴史でifを語っちゃう輩って、見てる方も結構恥ずかしいんだよ。
居たたまれないっていうのはまさにこういう感覚なんだろうね。
もう前を向いて歩けない的な。

265:人間七七四年
16/10/05 04:11:20.54 3lIeYomz.net
>>264
ここのスレ的にはイエロー・カード(笑)

266:人間七七四年
16/10/05 06:31:51.68 QLhNukpA.net
>>259
近世の天皇家の権威なんて秀吉が作った様なもんだよ
それでも強くなった徳川家に靡くんだから
豊臣家が強くなったらそっちに傾くよ

267:人間七七四年
16/10/05 06:54:01.00 D2n35819.net
~たら
~れば
こんなんばっかじゃねえか
しかもろくに根拠もないときた
妄想で都合の良いをたられば垂れ流すとか痛いだけやで

268:人間七七四年
16/10/05 07:00:30.07 QLhNukpA.net
当時の社会情勢を考察するためのたらればまで否定したら
歴史学なんて成り立たん

269:人間七七四年
16/10/05 08:58:20.70 aF484xcg.net
秀忠が関ヶ原合戦で犯した失態は、上洛中に無理な行軍をして軍列を乱した「だけ」だよ

270:人間七七四年
16/10/05 09:21:33.74 Vbb9WTrn.net
>>260
大名が秀忠排斥・秀頼擁立を望んでいたという「現実」を持って来いって
ここでお前らが負の実績と連呼しようが大名もそう思っていた「現実」がなければ見当外れにすぎないんだよ
>>268
当時の社会情勢じゃなくてお前が豊臣に都合良く動かす架空の世界の情勢だろ?

271:人間七七四年
16/10/05 09:22:54.08 z3Fi8Qmp.net
>>267
まあ恥ずかしいやね。
こんなのが実社会で隣に座って語ってたら、俺だったら速攻で席変えて他人のフリをする。

272:人間七七四年
16/10/05 09:45:12.27 0Anu1vDf.net
>>269 リプレイだけど
遅いのは峠道だからではない、真田の追撃を恐れてう回路を使ってウネウネ進んでいるから。
3万の軍勢があって、真田の追撃を恐れるか、フツー
それも秀忠が馬鹿にされている理由なんだが、実は最後にきわめつけのアホが待っている。
これが家康の怒りをかった最大理由
ちんたら行軍の秀忠部隊だったけれど、赤坂方面にいる藤堂高虎あたりから、
「何やってるの、戦いが始まっちゃうよ」という知らせを9月14日頃に受けて、
ようやく現状が理解できて(ここまで理解できていなかったというのが無能の証明)
青ざめて、険しい木曽路に入る頃から特急行進に転換する。
急げ急げ! 遅れたらお父ちゃんに怒られるよとばかりに、ふっとばしてやってくるのだが、
当然、合戦は終わったあとの祭り。 で、家康の怒りを買って、ついてくるな顔も見たくないをやられるのだが理由はこうだ。
後先考えずに、木曽路を特急でふっとばしてきたから3万の軍勢の大半は置き去りだ。
自分の他には側近の少勢だろう。そんなんでやって来て、関ケ原合戦がもし西軍勝利となっていたらどうなる。
家康がアウトだけでなく、秀忠までがおあつらえむきの餌食になってしまっただろう。
このアホさ加減を、こっぴどく叱られたというわけ。
これで秀忠は、グズ、ドジ、アホの無能三冠王を達成してしまった。
こんな人間についていこうという武将なんかいると思う?
         

273:人間七七四年
16/10/05 09:47:24.15 D2n35819.net
架空戦記なみの自分勝手なたらればを考察とは言わんし
根拠の無いただの妄想が歴史学として扱われる事などあり得ない
あまり歴史学を馬鹿にしない方がいいんじゃないの

274:人間七七四年
16/10/05 09:57:17.55 0Anu1vDf.net
>>273
豊臣秀頼の家臣が、工事監督官として江戸城に乗り込んでいるという現実は、率直に認めるということ?

275:人間七七四年
16/10/05 10:04:42.75 aF484xcg.net
>>272
同じことを延々と繰り返すのは嫌なので、その手の話はスルーします
秀忠の行動に致命的なものは存在しません

276:人間七七四年
16/10/05 10:25:59.81 0Anu1vDf.net
>>275
聞きたいけど、下記のことは事実として認めるの、認めないの?
「後先考えずに、木曽路を特急でふっとばしてきたから3万の軍勢の大半は置き去りだ。
自分の他には側近の少勢だろう。そんなんでやって来て、関ケ原合戦がもし西軍勝利となっていたらどうなる。
家康がアウトだけでなく、秀忠までがおあつらえむきの餌食になってしまっただろう。
このアホさ加減を、こっぴどく叱られたというわけ。」

277:人間七七四年
16/10/05 11:09:34.13 z3Fi8Qmp.net
>>273
馬鹿だからしょうがないんじゃないでしょうか。

278:人間七七四年
16/10/05 11:09:36.31 aF484xcg.net
>>276
出典の『板坂卜斎覚書』には次のようにある
「十月日を忘れ申候、秀忠公眞田を捨、木曾路を日夜御急御上り大津にて御対面候、
今度合戦に勝候、万一負候ハヾ吊合戦すべしと人数を揃へ上て能候ハんに、
道を急候迚まはらに被上候と御機嫌あしく、榊原式部大輔ハ御機嫌あしきを承り、
御前へも不出直に旗を立、人数を連て伏見へ通り候、」
これを見る限り、家康は概ね同様の発言をしているが、対面はしておらず、当然叱られていない

279:人間七七四年
16/10/05 11:53:33.15 0Anu1vDf.net
>>278
「御機嫌あしく」というのが怒られたということ

280:人間七七四年
16/10/05 11:54:48.20 2s27oiw6.net
信忠や秀次は生きていたら政権は長持ちしたと言われるのに、実際に生きて政権を長持ちさせた秀忠の扱いの悪さときたら・・・

281:人間七七四年
16/10/05 12:36:04.26 aF484xcg.net
>>279
怒ったのなら、「叱り」になる

282:人間七七四年
16/10/05 12:57:16.45 EP6e+TQI.net
ところで秀忠が諸大名から馬鹿にされていたというソースは?

283:人間七七四年
16/10/05 13:47:06.21 wVm2JG4Y.net
>>281
『板坂覚書』は人に見せるために書かれている覚書。
いやしくも将軍様が、ひどく叱られたとは書けないのでは。
これでも、ずいぶんと控えめな表現

284:人間七七四年
16/10/05 14:40:56.42 z3Fi8Qmp.net
痛々しい二重公儀論者はまだ諦めていないのな

285:人間七七四年
16/10/05 14:41:36.96 aF484xcg.net
>>283
当時の秀忠側近が江戸留守居に宛てた書状でも、秀忠は草津からそのまま伏見へ向かうとある
つまり秀忠が大津で諸将のいる中で家康に叱責された事実はない

286:人間七七四年
16/10/05 14:46:40.30 Z2vg5x2b.net
>>285
『板坂卜斎覚書』の記述は?

287:人間七七四年
16/10/05 14:49:44.35 z3Fi8Qmp.net
>>286
それが>>278なんじゃ?

288:人間七七四年
16/10/05 15:01:44.23 aF484xcg.net
『板坂卜斎覚書』の記述は前半面会したようにも読めるが、榊原康政が取次しており、後半の記述からも結局は会ってなさそう

289:人間七七四年
16/10/05 15:09:06.58 Z2vg5x2b.net
会ってないでしょう。面会拒絶状態

290:人間七七四年
16/10/05 16:00:10.79 aF484xcg.net
つまり大名がいる前で叱責はされなかった
ならば悪評も立たない、実際にそのような記録も無い
秀忠は特に悪評も無く、家康の後継者として征夷大将軍として
江戸幕府を運営していた訳だ

291:人間七七四年
16/10/05 16:11:33.75 n0qBjtYy.net
>>290
面会拒絶状態というのは誰が見ても明らかなのでは
叱られるより、もっと深刻そう

292:人間七七四年
16/10/05 16:51:33.46 aF484xcg.net
>>291
別にそれで何らかの噂が立った事実は無い

293:人間七七四年
16/10/05 16:57:37.27 6ACZMv66.net
忠興が淀を御袋専制、秀頼を乳呑み子と言った史料ならあるね

294:人間七七四年
16/10/05 17:52:42.77 0Anu1vDf.net
>>292
いちいち語る必要もないほど明白だから。
いちいち語るというのは、一般的には常識とはなってないから。
面会拒絶の状態を見たら、それが最大のメッセージ

295:人間七七四年
16/10/05 17:57:34.56 aF484xcg.net
>>294
以前から不仲ならそうだろうが、突然不仲と認識されれば噂になるし
不仲ではなくなったのなら、それついても話が出て来る
そういう家康・秀忠間の不仲に関する当時の噂・話は一切、確認できない

296:人間七七四年
16/10/05 18:15:54.71 z3Fi8Qmp.net
結局、家康亡きのちの政治情勢の中で、諸大名が秀忠と徳川から離れていくだろうことを示す材料は何一つ出てこなかったね。

297:人間七七四年
16/10/05 18:29:11.95 aF484xcg.net
10年以上の「徳川の平和」という武器

298:人間七七四年
16/10/05 18:30:01.89 i2ZgPCkK.net
結局、秀頼に天下の輿望に応えるに足る要素が見つからないから秀忠を貶すことで終わってしまうんだよな

299:人間七七四年
16/10/05 19:04:05.63 DwhxKG2A.net
秀忠を堕とすような、まるで乳呑み子あしらいのようなことを申されるが、たとい秀頼が主筋であろうが頭を撫でて貰いにいくことは、秀忠はせぬ。

300:人間七七四年
16/10/05 20:26:04.92 UJqeXw/1.net
>>295
板坂の覚書に家康は「御機嫌あしく」と書いてあるのが理解できないの。
榊原康正が、家康が怒っていて、会うとまずいと判断して会わずに伏見まで直行したと書いてあるのが理解できないの。
史料を無視してあれこれ言っても無価値ということが分からないの。

301:人間七七四年
16/10/05 20:28:57.69 EP6e+TQI.net
>>300
で、諸大名が秀忠を侮っていたという話のソースはいつ出すのお前

302:人間七七四年
16/10/05 20:31:36.90 aF484xcg.net
>>300
会えば、公的な叱責になるから、会わずに康政から家康が自身の行いで機嫌を悪くしたと伝えられ、
その上で伏見へ直行した
深いを表すにも色々と方法があり、この場合は表に出ず、後に凝りを残さないものであるということ

303:人間七七四年
16/10/05 20:55:32.46 UJqeXw/1.net
>>302
支離滅裂な古文解読(笑)
アンチ二重公儀論者でも理解不能では。
誰か別の人、助け船を出して

304:人間七七四年
16/10/05 21:03:56.50 HWLZFjb6.net
>>300
まあいいんだけど、それと家康亡きのちの政治情勢の中で、諸大名が秀忠と徳川から離れていくだろうことがまったくもって繋がらないのですよ。

305:人間七七四年
16/10/05 21:06:05.29 gOIwRA7i.net
ゴミみたい議論が延々と続いてるな

306:人間七七四年
16/10/05 21:09:20.02 HWLZFjb6.net
もはや何を目的に議論していたのか分からなくなっている馬鹿が一匹混じっているからな。

307:人間七七四年
16/10/05 21:54:14.39 UJqeXw/1.net
史料の正確な解読を求めているのに、それをゴミみたいな議論だって。
そんなレベルの人しかアンチ側にはいないの

308:人間七七四年
16/10/05 22:15:02.33 gOIwRA7i.net
アンチ()
程度が知れる

309:人間七七四年
16/10/05 22:35:48.14 jkbXjDLV.net
秀忠が関ヶ原で家康に叱責を受けていたとしても
家康の死後、諸大名が秀忠を見限って秀頼に付くなんて
根拠が無いって話をしているのに、自分に賛同してくれる
意見しか求めていないからおかしな返事しか返ってこないんだよ
秀吉の晩年失策続きで、政治も軍事も実績皆無で恩賞すら貰った事の無い
秀頼に諸大名が従うと思う根拠を示せって言っているんだよ
秀忠をいくら貶めたところでそれが秀頼に諸大名が付く根拠にはならないって事が
なんで分からないかなぁ

310:人間七七四年
16/10/05 22:45:13.94 QLhNukpA.net
二重公儀論は流石に過大評価だとは思うけど
いわゆる上方で豊臣家の権威や公儀性を否定したり過小評価することには
どうしても無理があると思うんだよなー
京・大坂を作ったのも天皇家の権威を最創造したのも豊臣家なんだし
当時隔絶した大都会の京大坂を押さえる場所に巨大城郭を構えて
天文学的な数字の巨万の富を抱え
豊国神社には秀吉が神として祀られてるし
一応摂政関白任官の資格は保持してたし
秀頼の代でも寺社の造営や寄進を盛んに行って庶民人気もある
ここではなんか変な方向に脱線しちゃうけど

311:人間七七四年
16/10/05 22:50:54.32 aF484xcg.net
>>310
ガワは良くても内実が伴わない

312:人間七七四年
16/10/05 22:51:23.56 hTcdjtVG.net
>>309
それを一番深刻に感じていたのが実は家康。
自分が死んだあと、秀忠では到底もたない。徳川はつぶされる。
だから、反徳川の結集核となる可能性の高い豊臣を滅ぼさなければならない。
これは大坂の陣の発生理由を研究するうえで必要なんだよ。

313:人間七七四年
16/10/05 23:02:31.70 DwhxKG2A.net
片諱付与とか津田、羽柴、松平の姓付与は政治的な意味で重要であり、従って、諱を勝手に銘に用いるは不束の謗りを免れない

314:人間七七四年
16/10/05 23:17:13.79 i2ZgPCkK.net
>>310
例えば代表的な豊臣恩顧武将である福島正則なんかは実子の忠勝は秀忠から偏諱を賜っているし
一時は跡継ぎだった正之には家康の養女を娶わせてるし自身も後添えに家康の養女を迎えてる
福島正則でさえそうなんだから他の恩顧武将も徳川家の有縁の女性を嫁に貰ったり
城の普請、世子の御目見、隠居願といった申請を秀頼にではなく幕府に対して出している
これらは全て家康の徳川家に対する媚態だったとしても御家安泰の為の投資でもあるわけだから
家康が死んだからといって秀忠の徳川家がこの投資を評価しないということにはならない
そういう諸々の投資を擲ってまで秀忠の徳川に反抗して秀頼の豊臣に尽くす価値があるかというとないだろうということ

315:人間七七四年
16/10/05 23:53:59.95 EP6e+TQI.net
>>312
家康がそう思っていたことを証明する史料は?

316:人間七七四年
16/10/06 00:05:07.52 6RCZO5IT.net
>>314
でも大坂の陣で福島家から豊臣方に離反者を出してるし
弟の大坂方への内通疑惑もあったよね?
どの組織も一枚岩ではないんだよ
徳川家中だって熾烈な権力闘争をしていたし
権力ってのは流動的なもんだっての
だから反主流派の受け皿となり得る豊臣家を
ムチャ筋で追い込んで滅ぼしたんでしょ
秀忠のやった強権政治って豊臣家が健在では難しかったと思わない?
それはともかくとして
豊臣家にもすくなくとも京大坂では権威や公儀性はあったし
限定的だはあっても公儀としての機能も担っていたことも認められない?

317:人間七七四年
16/10/06 00:30:04.25 +9zzdGVo.net
無い

318:人間七七四年
16/10/06 00:35:33.62 KMmychFB.net
>>314
それほどに秀忠の時代になっても徳川の支配体制が盤石であるならば、
なぜ家康は豊臣に対して全国の諸大名を総動員した大戦争を始めなければならないかの
説明ができなくなってしまう。

319:人間七七四年
16/10/06 00:38:07.23 GwfFbJKp.net
>>316
組織が一枚板では無いからといって反主流派が必ず勝つとは限らない
反主流派は主流派が余程のヘマをして風向きが変わらない限りお鉢が回ってくることは無いの
だからこそ反主流派に甘んじてるわけだからね
秀頼の苦しい点は色々あるだろうけど、本人に政治的軍事的な実績がない点、頼るべき親族譜代の大名も居ない点
徳川家を相手取るには直轄の領地が少なく兵力に不安があり、有り余る資金で浪人を集めても統率できそうな大将が居ない点
大坂の陣でも分かるように、優秀な人材が居ても彼らを信用することができないからね
これらの点で全国的に見て主流派である徳川家との差が有り過ぎて
秀忠がそれこそ秀次事件並の大ポカをして親族全滅譜代も半壊して
外様の反感を買うような事態にでもならない限り非主流派である秀頼に勝ち目は無いと思う
で、秀忠がそんなミスを犯すとかというとないだろうなあと
そもそも敵失に期待しなきゃいけない時点で望みはほぼ無い状態だからね
公儀性に関しては>>216も自分だからそれを見てもらえれば

320:人間七七四年
16/10/06 00:47:34.24 L3PLK5M7.net
>>307
どう正確に解読したところで、家康亡きのちの政治情勢の中で、諸大名が秀忠と徳川から離れていくだろうことを示す材料にはなりえないので、
はっきり言って意味のない議論だよ。

321:人間七七四年
16/10/06 00:48:43.81 WCK59lqH.net
二重公儀論はどこいったんだ?

322:人間七七四年
16/10/06 00:51:21.85 6RCZO5IT.net
>>319
豊臣家が健在で秀忠が強権政治を取りえたと考えられるかって質問に簡潔に答えてくれないかな?

323:人間七七四年
16/10/06 00:55:36.34 GwfFbJKp.net
>>322
取れたか取れないかという意味で言うなら取れたと思う
それで秀頼が反乱を起こすなら秀忠としては望むところなのでは
でも強権政治を具体的に説明して欲しいな
案件によっては是々非々というものがあるから

324:人間七七四年
16/10/06 00:56:00.12 L3PLK5M7.net
>>321
馬鹿だから忘れている

325:人間七七四年
16/10/06 01:03:42.09 6RCZO5IT.net
繰り返すけど
当時はまだ複数の権力主体が相互補完的に公儀を担うのが普通の社会だったと考えられるんだよね
その幾分かを上方においては相当な権威と富を握っていた豊臣家が分担していたと考えるのが自然なんじゃないの?

326:人間七七四年
16/10/06 01:04:00.35 fS+xBYty.net
初心に帰ろう、二重公儀論の根拠としては
一、秀頼に対する諸大名の伺候の礼
二、勅使・公家衆の大坂参向
三、慶長期の伊勢国絵図の記載
四、大坂方給人知行地の西国広域分布
五、秀頼への普請役賦課の回避
六、慶長十一年の江戸城普請における豊臣奉行人の介在
七、二条城の会見における礼遇
八、慶長十六年の三ヵ条誓詞
これらの現実にある問題をどう捉えるかだ

327:人間七七四年
16/10/06 01:08:22.61 fS+xBYty.net
326に加えて
関ケ原合戦のあとの領地配分で、京都から西には徳川系大名の領地が皆無という問題もありそうと。
    

328:人間七七四年
16/10/06 01:18:03.14 6RCZO5IT.net
>>323
たとえば坂崎改易、福島家改易、本多正純改易、どれも理不尽な理由で強行してるよね
はっきりいって正義がないと、当時でも批判されてるけど強権で押し通すことで幕府の権威を絶対的に高めていったんだけど
豊臣家が健在でもやれたかなと
まあ考えてみるのも嫌みたいだから回答は求めないよ

329:人間七七四年
16/10/06 01:21:51.12 GwfFbJKp.net
>>328
それできない理由がどこかにあるかな?
坂崎だけは千姫の遺恨が原因だろうから無いと思うが
てっきり皇室に対しての圧迫のことを言ってるのかと思ったけどそうじゃないんだね

330:人間七七四年
16/10/06 01:39:52.13 L3PLK5M7.net
>>327
1605年から長崎は幕府天領だったような。

331:人間七七四年
16/10/06 01:49:25.42 qU5m46tX.net
この幕府天領というのが問題だ。
正しくは公儀の領地だろう(豊臣でも徳川でもなく)。
それを家康が取り込んで徳川の私物にしてしまった。

332:人間七七四年
16/10/06 01:52:22.10 L3PLK5M7.net
長崎も石見銀山もそうだが、徳川家から奉行が出てるぞ。

333:人間七七四年
16/10/06 01:58:11.58 qU5m46tX.net
家康が美味しい所をとりこんだからだろう

334:人間七七四年
16/10/06 02:04:20.41 L3PLK5M7.net
そうだよね。関ヶ原の直後に思いっきり西国の長崎石見に徳川支配の天領を作っちゃってる。

335:人間七七四年
16/10/06 02:16:37.25 6RCZO5IT.net
家康は関ヶ原以前に毛利から豊臣家への銀の運上を横領してるし
豊臣家の外交権を乗っ取るかたちで交易利権にも手を突っ込んでるけどね
例えば豊臣家が持っている真壺の専売権を横領したり

336:人間七七四年
16/10/06 02:22:26.37 L3PLK5M7.net
いやまあ、「京都から西には徳川系大名の領地が皆無」どころか天領があって代官送ってるじゃないかということ。

337:人間七七四年
16/10/06 03:11:09.24 GFmoNa5e.net
秀頼を関白にしたいのに家康のせいで出来なかった非力な自分が憎いという朝廷の史料はあるの

338:人間七七四年
16/10/06 07:42:30.42 6UZ7vPji.net
西国に領地があったかどうかではなく、単純に諸大名に対して賦役や軍事の動員の下命の権限があったかどうかだ。
関ヶ原後の豊臣家には最早なく、実際に下命しても諸大名は動かなかった。
よって、二重公儀体制は否定される

339:人間七七四年
16/10/06 08:55:12.59 cqArrdjs.net
なんか実権ばりばりの家老がいて、全部藩の運営を仕切っていて、家臣たちを脅しつけて、殿様の言う事は聞くな、俺様のいう事だけに服従すればいいんだみたいにして藩を支配している状態かな。

340:人間七七四年
16/10/06 08:58:30.38 dFRuoXHC.net
昔誰かが言っていた、豊臣家は公儀になりうる存在ではあったが、公儀ではなかったというのが一番的を得ている

341:人間七七四年
16/10/06 09:09:29.88 bE3J91Wn.net
>>339
豊臣を殿、徳川を家老に例えているあたり
豊臣が主、徳川を従と見做しているみたいだけど
それが通じたのはせいぜい秀忠将軍就任の時期くらいまでだろう

342:人間七七四年
16/10/06 09:33:25.41 f6J2wa+i.net
>>339
多分、実権ばりばりの家老が幕府に申し出て、殿様の代わりに自分が殿様になっちゃった状態だと思う。

343:人間七七四年
16/10/06 09:36:06.88 +W7b2nrn.net
>>342
龍造寺と鍋島ですね

344:人間七七四年
16/10/06 11:03:28.73 cqArrdjs.net
どの時点で乗っ取り成功?

345:人間七七四年
16/10/06 11:46:11.09 6UZ7vPji.net
九州征伐で鍋島が秀吉の窓口になって、色々交渉する課程で結び付きを深め、鍋島をもって肥前佐賀35万石の朱印状が発せられたタイミング、であろうか
あと、わたりとか言う大名も家臣の有馬が引き継いだんだってな

346:人間七七四年
16/10/06 12:47:38.58 LF9qOIhN.net
豊臣秀頼の殿様の地位を家老家康が奪って、殿様の地位についたのは、鍋島との比較で言うと、どの段階になるだろうか。

347:人間七七四年
16/10/06 23:12:16.27 G1U/H3YM.net
豊臣から関白の地位を奪ったのは秀吉だし
家康が就任したのは豊臣とはまったく関係ない征夷大将軍だろ
そもそも関ヶ原の時点で家康は内大臣として秀頼よりも高い地位にあった
豊臣秀頼の殿様の地位を家老家康が奪ったなんて事実誤認も甚だしい

348:人間七七四年
16/10/07 00:09:51.70 E1om0sKG.net
秀吉と織田家との主従関係が逆転したことを是とするなら
家康と豊臣家とのそれも是とせざるを得ないだろう
結局は頼るべき身内を粛清した挙句統治能力の無い秀頼を一人遺して死んだ秀吉が悪い

349:人間七七四年
16/10/07 00:28:43.73 mki2ffAy.net
大恩人の秀吉死後に幼い秀頼の後見人の地位を利用して
豊臣政権を乗っ取った手腕は確かに素晴らしいけれど
卑賤な身分から実力で成り上がり織田家の興隆を支え
華々しい大勝利の連続の末に
全国統一政権樹立という未曾有の大偉業を成し遂げ
唐朝鮮との大戦を戦い
全国に豪奢な寺社城郭を残し
勇壮な桃山文化を演出した秀吉に比べたら
どうしても見劣りするよね

350:人間七七四年
16/10/07 03:06:06.73 ZKBgTsWH.net
>>347
第一行目は意味不明。
それはともあれ、関ケ原合戦の前は言うまでもないことだけれど、合戦の後でも「太閤様御置目の如く」と言って太閤秀吉の制定した政治秩序が持続しているというのが、当時の通念だった。だから家康の官位がいくら高くても、秀頼の家老・家臣であることに変わりなかった。
だから、家康は実力者で、合戦後の領地配分も家康の判断で行っているけれど、家康の名前で領地朱印状は出せなかった。これは将軍になっからでも一部例外はあるが出してない。外交の朱印状は山のようにあるが、内政ではほとんど見られない。
合戦後の和睦の盃事でも、淀殿と秀頼が上座、家康が下座で主従関係は合戦前と変わってない。
将軍になると主従関係が逆転するかというと、これも難しい。秀頼は同時に正二位内大臣に昇進しているので関白任官資格を獲得しているので、イーブンではないかな。

351:人間七七四年
16/10/07 04:06:08.82 usfOpP6p.net
豊臣の領地を豊臣の家臣に分けるのに徳川の名前出すのはおかしくね?
それで権威に限界がある!っていうのは少し違うような
徳川領に徳川の家臣を豊臣の名前で領地与えるとかありえないでしょ
在職2年の家康の内政書状が無いのはわかったけど、秀忠名義の書状も無いの?
名目は秀忠が将軍な訳で、秀忠が出しててもおかしく無いような?

352:人間七七四年
16/10/07 07:36:11.03 c/5Rtm6N.net
だから350はそう説明している

353:人間七七四年
16/10/07 08:15:43.91 yrs2K9lJ.net
何処が?

354:人間七七四年
16/10/07 09:12:49.76 QaIsQxcM.net
家康が別系統の征夷大将軍になったことで豊臣政権は御破算に願いますなのだが、
それを理解しない人が昔も今もいるということ

355:人間七七四年
16/10/07 10:58:33.80 9HrcGs2P.net
昔は家康が征夷大将軍になったらオールマイティーみたいに考えていたけど、そうではなかったということが最近の研究で明らかになってきた。

356:人間七七四年
16/10/07 11:27:41.16 QaIsQxcM.net
それは昔の理解していない人を、今の理解していない人が取り上げているということ

357:人間七七四年
16/10/07 12:26:14.47 PmjGt9rR.net
>>349
家康は秀吉を大恩人という程の恩受けてないだろう

358:人間七七四年
16/10/07 13:37:01.68 3Sd/2rim.net
>>356
昔の理解していた人とは?
今の理解している人とは?

359:人間七七四年
16/10/07 16:22:56.26 QaIsQxcM.net
>>358
そりゃ家康征夷大将軍=豊臣政権終焉と考えている人

360:人間七七四年
16/10/07 16:33:35.30 4KyP+qLs.net
>>359
「何物をも学ばず、何物をも忘れず」(笑

361:人間七七四年
16/10/07 20:31:21.78 H1viBAiC.net
>>349
家康が秀吉から受けた大恩とやらを教えて欲しいんですが

362:人間七七四年
16/10/07 21:00:02.68 c/5Rtm6N.net
同志よ、君は家康が東海五ヶ国から関東に移封したおかげで、地方国人の土着性を切断し、必要な家臣を必要な場所に、かつ必要な禄高で封ずる契機をひめていたのだ。
かつ、家康が豊臣政府の最高会議幹部会議長に起用され、政治局員候補の石田三成が謀反を起こしても、充分に太刀打ちできる力を蓄えたのだ

363:人間七七四年
16/10/07 21:02:33.35 327lZG2S.net
東海甲信150万石から関東250万石に加増されたのは大恩になるか・・・

364:人間七七四年
16/10/07 21:40:39.13 mki2ffAy.net
>>361
362氏がほぼ指摘された通りだと思ってるけど
付け加えると当時の東海南信地方は開発余地が少なくて余り美味しい土地ではなかった
対して関八州は武家の聖地鎌倉があり江戸も北条時代には既に都市化が始まっていて決して田舎ではなかったらしい

365:人間七七四年
16/10/07 21:49:44.78 mki2ffAy.net
別にアンチ家康ではなくて秀吉と同じぐらい偉大な政治家だったと思ってます、念の為
家康は秀吉がなしえなかった戦国時代を終わらせるという
大偉業を成し遂げたんだから

366:人間七七四年
16/10/07 22:10:43.51 mki2ffAy.net
>>361
スレチなんでもう終わりにするけど
上杉・真田・木曽が秀吉についた時点で
家康には戦って滅ぶか従属かのにどちらかしかなかった
討伐令もすでに準備されていた
それでも秀吉は最大限の譲歩をして家康を政権に迎えたんだから
大恩人と言っても言い過ぎではないんじゃない?

367:人間七七四年
16/10/07 23:41:24.72 sfO+Y+il.net
>>366
スレチなら最初から書き込まないで欲しいんだけど
秀次を抹殺して政権を不安定にし、徳川政権の礎を築いたんだからある意味大恩人だね

368:人間七七四年
16/10/08 10:21:23.95 kE+/RVpt.net
豊臣関白を粛清して空位にしてくれたうえに
誇大妄想の赴くままに死ぬまで海外遠征に入り浸ってくれたおかげで
西国大名を疲弊させて豊臣恩顧も仲違いさせてくれた
秀秋に対しても領地没収を言い渡して家康に取り消させたことで徳川恩顧に返させた
さらに自分が死ねば家康が唯一の大臣になるほど厚遇して筆頭大老として政権に招聘した
秀吉ほど徳川の天下のために尽くしてくれた人間はいないだろう
むしろ江戸幕府の創設こそ秀吉の奉公に最大限の返礼をした結果といえる

369:人間七七四年
16/10/09 22:12:30.58 u/qDkPCg.net
結果論から見て大恩人とか言われてもな
関ヶ原後、形式的には豊臣家の面目が立つ様にしてたけど
親父の七回忌にも十三回忌にも大坂城に引き籠もりで
結局諸大名に見捨てられた豊臣家が公儀だったと言われてもなぁ

370:人間七七四年
16/10/09 22:15:54.63 y5dPu0LS.net
そういうわけのわからないこと書いてても話にならないから。

371:人間七七四年
16/10/09 22:24:53.92 T+e4g/Yw.net
親父の回忌に顔を出したら全然似ていないと思われて逆にピンチになるからな
秀吉が強く思い起こされる場所には逆に秀頼は出て行けないというのが豊臣の弱点だろう


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