16/10/12 08:06:11.86 1Gc2wz2d.net
徳川信者って、江戸城が関西人の天皇に乗っ取られている現状を、どう考えているのかな?
501:人間七七四年
16/10/12 08:58:45.94 8YlHrU6j.net
そもそも天皇陛下を関西人なんて括りで考えたこともないしなんとも思わない
むしろ大坂から江戸に政治の中心都市が移ったのがそんなに悔しかったのか
502:人間七七四年
16/10/12 09:13:20.71 N5qMyl+d.net
豊臣信者からすると歴史をただしく見てるだけの人間が徳川信者に見えてしまうんだな
とんだ被害妄想だ
503:人間七七四年
16/10/12 09:40:14.16 +E/wWb3b.net
秀吉信者の共通のアイデンティティは「家康嫌い」だから、
家康スレで暗躍し続けるのは彼らの本能みたいなもの
504:人間七七四年
16/10/12 10:07:31.06 OC0BT5Zj.net
>>500
天皇が関西人とか言ってるのはアホな朝鮮人ぐらいだろ
505:人間七七四年
16/10/12 11:32:33.33 hPN9wDhe.net
>>491
最前線なんて使い捨てだよ
今の社会でいう派遣社員と同じ
キツイことをやらせて、いざ問題発生時は責任を押し付けて切り捨てる
使い捨てだが、必要な人材だし誰かにやってもらわないといけない
だから、そういう意味で竹千代を重要に扱っていたのだろう
506:人間七七四年
16/10/12 12:00:04.90 u1SKTqpX.net
三国同盟下では、三河、尾張が作戦正面だから、三河勢がこき使われる。
507:人間七七四年
16/10/12 12:35:19.45 5DXGEyna.net
豊臣の暗黒時代を終わらせた家康
…というのは過大評価じゃなかろうか
家康がどうこうしなくても、豊臣政権は勝手に自滅した
もしも、次に武家を統率するのが徳川家じゃなくて
例えば伊達家だったとしても、
それはそれで社会がまとまり、運営されただろう
508:人間七七四年
16/10/12 12:52:39.46 qkalSdTD.net
太平記 part.24 『新政』
スレリンク(nhkdrama板)
407 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2015/08/25(火) 21:29:52.37 ID:S387u/ft
尊氏が真面目に政治やってれば足利直義も高師直も死なずにすんだよね
409 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2015/08/25(火) 22:44:55.43 ID:wgJHc82h
>> 407
何が言いたいのかよく分からないが、尊氏は自分の職務は十分真面目にやっていたと思うけど。
無論、直義も真面目にやっていた。
双方とも真面目にやっていたのに、ああいう結末になったのは、初期の室町幕府の制度的な問題と時代背景によるところが大きいよ。
410 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2015/08/25(火) 23:19:10.70 ID:Ado+LcQJ
【『逆説の日本史7・中世王権編:太平記と南北朝の謎』(著・井沢元彦/刊・小学館)】
・・・なぜ、こんなことになってしまったのか? もちろん、責任の一端は□にある。自分を支持した層への配慮に抜けがあり、ただひたすら自分の理想を実現しようとして挫折した。この事態の原因を作ったという政治責任はある。だが責任の半分は尊氏にある。
戦前の教育では確かに尊氏を大悪人としていた。しかしそれは■■に反抗したからという■国史観による不当な評価であった。ではその偏見を振り払って、あくまで客観的に公平に尊氏という人物像を見たらどうなるか?
やはり、半世紀に及ぶ戦乱を押さえきれなかった人物というしかない。政治家失格、そこまでは厳しすぎるとしても二流という評価は動かし難い。・・・では『嫌な奴』だったのかというと、これが全く違う。
禅僧・夢窓疎石によると尊氏には三徳があるという。第一に合戦で命が終わりそうになっても怖畏の様子が全く無かったこと、第二に慈悲深く人を憎むことが無く多くの敵を赦したこと、第三に心が広く物惜しみせず、諸人からの献上品を皆人にあげてしまうことであったという。
公人としては失格でも、私人としては『いい人』であり『優しく』て『気前のイイ奴』なのだ。しかしここで肝心なのは『いい人』なるが故に失格になってしまうという政治社会の厳然性である。
友人として付き合うなら『いい人』『気前のイイ奴』がいいに決まってる。誰も好き好んで『嫌な奴』『渋い奴』と付き合いたくなどないだろう。ところが中世政治ではこれが単純とはいかない。最大の逆説の一つかもしれない。
509:人間七七四年
16/10/12 13:01:11.65 u1SKTqpX.net
伊達政宗は真正DQN
510:人間七七四年
16/10/12 14:07:04.94 Wghfm3qs.net
>>507
徳川好き、くらいの人間はそんなこと言わない
徳川信者とか揶揄される人間は豊臣信者の妄想でそもそもいない
豊臣信者が勝手に徳川だったらこうするに違いないと決めつけてるだけだし。
511:人間七七四年
16/10/12 16:06:51.39 M48s7ORe.net
逆説の日本史〈6〉中世神風編/井沢元彦 続き
・・・では、頼朝や家康に比べて尊氏には何が欠けているのか? ここで気が付くことは、頼朝・家康にあって尊氏に無いものは「非情さ」だということだ。
頼朝が「非情の人」とされるのは弟義経を死に追いやったからであり、家康が「非情の人」とされるのは、豊臣家を完全に滅亡させたからだ。
特に非難されるのは、かつての「主君」であった豊臣秀吉の孫を幼児であるにもかかわらず、京の六条河原で処刑したことである。もちろん何の罪もない。ただ、豊臣の血筋を断つためにそうしたのである。
読者の皆さんにも思うところがあるかもしれない。
「頼朝は義経を殺さずに助けてやればよかったのに―」
「家康は豊臣家を滅亡させないで一大名として残してやればよかったのに―」
こうした「If」に対する答えは何だろう。
頼朝は弟義経を暗殺しようとして失敗すると、奥州藤原氏に圧力をかけて殺させた。なぜ義経を許せなかったのか?
簡単に言えば義経の行動を認めてしまえば幕府そのものが崩壊する危険性があったからだ。
弟義経は殺さざるをえなかったのである。
そして家康の場合はどうだろう?
豊臣家は家康以前に天下の主であった。その直属の家来であった大名も大勢いる。
しかも家康は老齢で豊臣家の秀頼は若い。
家康が死んでしまえば、豊臣家に味方する大名も多く出るだろう。
おそらく全国が、また関ヶ原の合戦の時のように真っ二つに分かれ、戦国の世に逆戻りとなっただろう。
だから、秀頼も殺されざるをえなかった。つまり、本当の指導者は非情さを兼ね備えていなければならないということである。
私情に流されて決断をしないことはかえって状況を悪化させる。
足利尊氏は「いい人」であったが故に、南北朝という不安定かつ大混乱の時代を招いたといえる。
中近世の封建社会においては逆に絶対権力さえ確立されれば、社会の秩序が整備され恒久の平和が訪れるのである。
ここまで歴史を見ればよく分かる。それでも、日本人はなかなかそういう評価はしたくない。
日本人は独裁者を嫌う。逆に言えば、日本人は歴史に学ぶことの下手な民族だといえるのではないだろうか。
512:人間七七四年
16/10/12 17:30:24.40 kfWwUaj/.net
ごめん、俺信者だがそこまで詳しくないw
513:人間七七四年
16/10/12 19:10:25.47 8YlHrU6j.net
井沢みたいなトンデモ作家の本引用して、説得力あると思う
514:人間七七四年
16/10/12 21:11:08.67 ktSFSVBB.net
>>500
日本の象徴である天皇家を関西人なんて
狭小なカテゴリーで考えている奴初めて見た
515:人間七七四年
16/10/12 21:37:11.86 OKkJ/EoV.net
関西人は東京に劣等感もってるからね
516:人間七七四年
16/10/12 21:38:48.58 36N5duKQ.net
地獄に落ちろ、脱糞タヌキ野郎。
卑怯なことばっかりやりやがって、マジで人間のゴミだぞ、こいつは。
517:人間七七四年
16/10/12 21:59:21.81 g2N7q+iK.net
はいはい
518:人間七七四年
16/10/12 22:12:41.75 vldJLf3b.net
前田利家や加藤清正を毒殺したのはこいつの謀略だろ。
519:人間七七四年
16/10/12 22:14:04.59 1Gc2wz2d.net
>>514
天皇は関西人に決まってるやろ
ずーっと畿内に住んでたし、畿内には数多くノ天皇陵があるんよ
そんなことも知らんで日本人ヅラするなよバ~カ
520:人間七七四年
16/10/12 22:24:48.65 V4YBx3lt.net
実際に家康を見てきたのかなw
521:人間七七四年
16/10/12 22:32:14.04 ktSFSVBB.net
>>519
豊臣ファンが頭おかしいのは分かった。政権を関東に取られ、天皇まで
関東にとられて発狂しているのか。単純に徳川アンチ認識だったので
豊臣好きも同じ日本人だと自分は思っていたけど、豊臣ファンは
半島が南北に分かれている様に日本も東西に分かれているのか
関東の人間をまるで別国扱いするほど憎んでるとは流石に思わなかった
522:人間七七四年
16/10/13 00:38:39.44 cSIcDA7t.net
もともと日本においての西とは中国・四国・九州であり
畿内は日本の中央だったので関西という概念も言葉もなかった
ところが日本の中央が関東になったことで畿内は日本の中央から西という一地方に格下げになり
これによって関西という言葉が誕生し畿内人は関西人にされてしまった
関西人が発狂するのも仕方がないだろう
523:人間七七四年
16/10/13 00:54:53.31 whBRvlW4.net
もう面倒くさいから天皇陛下に岐阜に御幸していただこう
524:人間七七四年
16/10/13 01:26:31.30 whBRvlW4.net
御幸だと旅行だな、御動座いただこう
525:人間七七四年
16/10/13 02:35:01.32 IhHRyzlf.net
井沢「天皇は朝鮮人ですが何か?」
526:人間七七四年
16/10/13 06:55:14.78 FhdjXViR.net
争いのタネになるから天皇はもういらんだろ
527:人間七七四年
16/10/13 07:08:52.97 A7egBwwB.net
>>521
何で天皇の話をしているのに豊臣の話になるんだ
アイツもキチガイだけどお前もキチガイだわ
普通ではない
528:人間七七四年
16/10/13 11:22:21.98 tcMDyVLV.net
天皇も豊臣も関西人だった、は正直いって言ってることが小さい
529:人間七七四年
16/10/13 11:51:52.05 V9tHoHtq.net
つうか豊臣が関西人なら徳川も関西人だろw
530:人間七七四年
16/10/13 12:15:30.84 1FdoFqB3.net
尾張三河人を関西人にまぜちゃいかん
531:人間七七四年
16/10/13 13:47:46.75 tcMDyVLV.net
秀吉も本来中部圏
532:人間七七四年
16/10/13 14:19:24.99 2KZmo6SK.net
昨日は久し振りに徳川埋蔵金やっていたなw
家光の代あたりに滅びていれば豊臣みたいに金銀がたくさん残っていただろうが
幕末に残っている訳がない
そんなに大金があったら幕府も潰れていないって
533:人間七七四年
16/10/13 17:33:37.30 ms4NyWAo.net
朝鮮人は徳川ファン
534:人間七七四年
16/10/13 17:42:49.05 AbIu3fRk.net
大阪人以外の全世界人類が徳川ファンかもな
535:人間七七四年
16/10/13 18:20:21.63 ms4NyWAo.net
徳川好きは朝鮮人
536:人間七七四年
16/10/13 18:24:40.98 ms4NyWAo.net
日本中から嫌われて政権から引きずり降ろされた徳チョン
537:人間七七四年
16/10/13 18:45:55.51 oZ4ZxUNd.net
アンチも地に落ちたものだ
538:人間七七四年
16/10/13 19:27:20.84 Iz6ygv/D.net
>>536
まあ時の施政者が嫌われるのは当たり前
539:人間七七四年
16/10/13 20:35:29.29 FhdjXViR.net
徳川家康は朝鮮人どもから尊敬されている
朝鮮では太閤殿下の朝鮮征伐をやめさせたのは徳川家康、朝鮮からの使節団を手厚くもてなしたのは徳川家康ということになっている
540:人間七七四年
16/10/13 22:09:47.97 cSIcDA7t.net
秀吉を偽講和で朝鮮家臣に陥れた小西の方が尊敬されているだろ
541:人間七七四年
16/10/14 07:53:16.65 fowo4qFF.net
秀吉って韓国や中国では意外にも好意的だよ
戦争も大昔のことだし、海を超えて侵略に来た昔の外国人をヒーロー視している
日本人がチンギス・ハーンを英雄視してるみたいな感じかな
大阪城で喜んで記念撮影してるし
542:人間七七四年
16/10/14 09:43:42.20 oKQB2vIl.net
>>475
明治維新の実態は江戸の三河武士か長州の三河武士への国譲り
実は明治政府というは三河国宝飯郡萩に隠れ住んだ南朝落人の政権で、同じく南朝系を称した徳川政権から禅譲されただけ
譲られただけだからこそ江戸城は無血開城され、今までどおり東京が首都になった
徳川幕府は崩壊していないわな
URLリンク(books.google.co.jp)
=tYDHrH7uuT&sig=fBVt13JJ3pGPoJN1o7c5a6G4XE8&hl=ja&sa=X&ei=bHggU5HHKImgkgWuoYD4Bg&ved=0CDkQ6AEwAw#v=onepage&q=%E4%B8%89%E6%B5%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E8%90%A9&f=false
>三河の萩の南朝の末裔が、大江氏に連れられ長州に移り住み、三河の萩を忘れない為に萩と名づけた
三河国宝飯郡萩と大江広元(毛利氏の祖)
大江忠成(海東忠成)
・鎌倉幕府評定衆
・大江広元の五男
・三河の藤姓熱田大宮司家に養子入り
・熱田大宮司
藤原実範(三河守)→季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→範忠→忠季→忠兼→海東忠成(養子入り)→萩忠茂(三河国宝飯郡萩、萩大宮司))、
543:人間七七四年
16/10/14 11:52:35.05 PEeTnMGG.net
大御所時代の家康が水練で往復してみせた川とは、
瀬名川、今で言う巴川だった
安倍川は泳げるような川じゃないから、
安倍川で泳いだという話はおかしいと思っていたら、
案の定、安倍川は間違い
瀬名川という呼び名は、若い頃の正室の婚前期の通称とも関係ある
544:人間七七四年
16/10/14 13:00:35.32 J3EA29FA.net
築山御前の昔の呼び名か
なんか悲しいな
545:人間七七四年
16/10/14 14:47:23.03 CgzlsKdb.net
築山御前が瀬名と呼ばれていた事実はないぞ?
546:人間七七四年
16/10/14 17:59:16.20 if58DGMf.net
あ、そうなんだ
また山岡荘八の創作なのかね
確かに武家の娘の名前が後世に伝わるのは希な話だもんな
547:人間七七四年
16/10/14 18:07:02.59 PEeTnMGG.net
いや、名前じゃないし
瀬名の家系出身の姫様という婉曲表現以上の意味は無いよ
548:人間七七四年
16/10/14 18:31:00.16 Q8X/Ecve.net
家康は築山殿に酷いことをしたよね(´・ω・`)
549:人間七七四年
16/10/14 20:33:40.06 R3AZpkC+.net
推参なり徳川家康
不忠者徳川秀忠
今こそ天誅を下さん
550:人間七七四年
16/10/14 21:22:47.06 CgzlsKdb.net
>>547
そういう意味で築山殿が瀬名姫と呼ばれたという史料も存在しない
過去に磯田氏が言経卿記に瀬名御新造とあると言ったが、これは瀬名氏の正室の事で磯田氏の誤読
551:人間七七四年
16/10/14 22:29:13.09 24WmSCXh.net
◆健康指向
家康は健康に関する指向が強く、当時としては長寿の75歳(満73歳4ヵ月)まで生きた。
これは少しでも長く生きることで天下取りの機会を得ようとした物と言われ、実際に関ヶ原の合戦は家康59歳、豊臣家滅亡は74歳のときであり、長寿ゆえに手にした天下であった。
その食事は質素で、戦国武将として戦場にいたころの食生活を崩さなかった。麦飯と魚を好み、野菜の煮付けや納豆もよく食べていた。決して過食することのないようにも留意していたといわれる。
酒は強かったようだが、これも飲みすぎないようにしていた。生薬にも精通し、その知識は専門家も驚くほどであった。海外の薬学書である本草綱目や和剤局方を読破し、慶長12年(1607年)から、本格的な本草研究に踏みだした[63]。
◆寡黙な苦労人
幼少のころから、十数年もの人質生活をおくり、譜代家臣の裏切りにより祖父と父を殺されており、そもそも織田家の人質になったのも家臣の裏切りによってともいわれている。
家督相続後は三河一向一揆において後の腹心・本多正信らにも裏切られている。また、小牧・長久手の戦い後には重臣・石川数正にも裏切られている。
働き者で律儀者・忠義者が多く、結束が固い強兵と賞賛される三河国人だが反面、頑固で融通が利かず内向的で自負心が高い。結束も縁故関係による所が大きい。
こうした家臣たちを統御していくには日ごろからかなり慎重な態度が求められたようで、自然言葉数が少なくなったものと推察され、家臣たちの家康評には「なにを考えているかわからない」、「言葉数が非常に少ない」といった表現が多い。
◆吝嗇
家康の吝嗇(けち・りんしょく)にまつわる逸話は多い。 ふんどしは薄黄色のものを使用した。しかしこれは薄黄色だと汚れが目立たないため洗濯の回数が減るという理由からである。
家来にもこれを強いたが、武骨な三河武士は下帯は白を好み、この下知にだけは従わなかったとされる。
手洗いから出て懐紙で手を拭こうとした、懐紙が風に飛ばされたので庭まで追っていって取り返した(それを見て思わず笑ってしまった小姓に対し、「わしはこれで天下を取ったのだ!」と言い返している)[67]。
新しい服もあまり買わず、洗濯して使っていたため、洗濯させられる侍女から新しい服を着てほしいと苦情が出たとき、天下のため倹約するのだと逆に説教した。
また、侍女から料理の漬物がしょっぱいという苦情が出たので料理人に問いただしたところ、今でも侍女たちはたくさんおかわりしているのに、おいし漬物を出したら何杯おかわりするかわからないと答えられ、笑ってそのままにした。
侍が座敷で相撲をしているときに畳を裏返すように言った[21]。駿府の銭鋳所跡地を掘り返して、3年で運上金千両分の銅を回収した[68]。
商人より献上された蒔絵装飾を施した御虎子(便器)の不必要な豪華さに激怒し、直ちに壊させた[69]。
代官からの金銀納入報告を直に聞き、貫目単位までは蔵に収め、残りの匁・分単位を私用分として女房衆を集めて計算させた[70]。三河にいたとき、夏に家康は麦飯を食べていた。
ある時部下が米飯の上に麦をのせ出した所、戦国の時代において百姓にばかり苦労させて(夏は最も食料がなくなる時期)自分だけ飽食できるかと言った[71]。
厩が壊れても、そちらのほうが頑強な馬が育つと言い、そのままにした[72]。家臣が華美な屋敷を作らないよう与える敷地は小さくし、自身の屋敷も質素であった[73]。
蒲生氏郷は秀吉の後に天下を取れる人物として前田利家をあげ、家康については人に知行を多く与えないので人心を得られず、天下人にはなれないだろうといった[74]。この結果、家康は莫大な財を次代に残している。
『落穂集追加』では家康のは吝嗇でなく倹約と評している。普段は質素な生活に努めたが、必要な際には必要な出費を惜しむことはなかった。
例えば『信長公記』に記された織田信長の接待においては京から長谷川秀一を招いて巨費を投じ、趣向を凝らした接待を行っている。大井川の舟橋などは信長を感動させるものだったと記されている。
552:人間七七四年
16/10/15 07:55:13.24 ywRilkdY.net
>>548
あれは信康の嫁、信長の娘の濃姫が築山と犬猿の仲で
例えば築山が勧めた女を信康が側室に迎えたり
現代で言うならばマザコン息子と嫁姑の骨肉の争いであって
濃姫が逐一信康にあることないことチクっていた(笑)
553:人間七七四年
16/10/15 07:56:45.31 ywRilkdY.net
>>552
信長にチクっていたに訂正
554:人間七七四年
16/10/15 08:06:36.03 zelawCXD.net
濃姫ェ…。
555:人間七七四年
16/10/15 08:25:21.19 grCuJ6QF.net
松坂慶子の濃姫綺麗だったな。
556:人間七七四年
16/10/15 08:32:30.44 /yiib+3h.net
>>548
築山殿に家康がした酷いことは他の女とやりまくったことかな
殺されたのは武田と通じていたのが信長にバレたからどうしようもない
557:人間七七四年
16/10/15 10:32:41.74 szOY6xf5.net
実際問題正室が敵の武田と内通なんてどうやってやるんだよ
558:人間七七四年
16/10/15 11:49:56.25 nop1tjk9.net
>>557
まあグレーゾーンなんだろうが織田徳川連合軍と今川や武田の勢力図の中で築山は今川家臣の娘で築山→今川寄り、今川と武田との内通を疑われてた。
実際に家康と築山の夫婦仲は最悪だったと聞くから。
559:人間七七四年
16/10/15 12:03:39.98 szOY6xf5.net
なんかやるにして書状をだすだの、ひとを遣わせるだの、そんなのすぐにバレるだろうし、
疑われていたならなおさら目が光ってるだろうに。
560:人間七七四年
16/10/15 12:18:52.08 1n6MYXGJ.net
>>552
ほう
濃姫は信長の正室から娘になっていたのか
その後、濃姫は消息不明になっているけど信康の嫁になっていたと言うわけか
561:人間七七四年
16/10/15 12:22:40.50 nop1tjk9.net
>>560
俺信康の正室の名前を勘違いしてたかな?
間違っていたらスマヌ。
562:人間七七四年
16/10/15 12:24:24.77 nop1tjk9.net
>>560
すまん。今調べたら徳姫の間違いだった
563:人間七七四年
16/10/15 12:28:27.71 szOY6xf5.net
徳姫は知らなくてもまあ不思議でもないけど、濃姫だの帰蝶だのは信長嫁と連想するものだと思ってた
564:人間七七四年
16/10/15 13:02:18.32 SkGrZcUy.net
築山御前と信康を一緒の城に住まわせたのが失敗だな
565:人間七七四年
16/10/15 16:05:37.90 IXCZfxH7.net
。・゜゜(ノД`) つっきーカワウソー
566:人間七七四年
16/10/15 16:15:05.75 szOY6xf5.net
死にとうない、わらわは死にとうないのじゃ
567:人間七七四年
16/10/15 16:49:32.53 BUIaPNRN.net
武田との内通を疑われたのは信康
事績が息子と母親で混同されてるから、
築山殿が武田と内通なんておかしな話になってる
幽閉された信康は粛清される気配が濃厚と感じて、
築山殿は息子の助命嘆願のため、岡崎から浜松に向かう途上、殺害された
殺したのは反信康派の三河武士で、家康の命令でやったことではない
家康の責任は、下からの圧力に屈して築山殿と別居した点にある
勢力指導者の正妻でありながら、邪魔な存在なら家臣が独断で殺しても咎められないと、
侮られるような立場に追いやったと言える
568:人間七七四年
16/10/15 17:20:42.71 HqcfvkV1.net
>>567
でも今川家の血統を継ぐ築山に徳川家は相当好き勝手されて家康は手を焼いたみたいよ。
だからその後、愛妾となった後家だが器量よしの阿茶を寵愛した。
家康の子供を生んでいないのに家康始め徳川家は相当阿茶を信頼していて
大蔵卿が駿府城に訪ねてきたときも家康と共に面談しているし大阪の陣のときも和議の交渉者として活躍している。
最後には従一位を贈られてるから別格だったんだが
やはり痛い目あってるからお家の為に働いてくれる女性は大切にされるよねぇ。
569:人間七七四年
16/10/15 18:13:54.23 RLaFeyDO.net
家臣が主君の正室を勝手に殺害してただで済むわけないだろw
トンデモ説にも程があるわ
誰がそんな事を言っているんだ
570:人間七七四年
16/10/15 19:59:35.07 kXdgZrOP.net
孫武も同じ事したよなw
571:人間七七四年
16/10/15 20:12:44.30 dVrDVXTC.net
>>558
最悪だった嫁との間に何人子供作ってんだよ糞タヌキ家康はw
572:人間七七四年
16/10/15 20:15:44.49 grCuJ6QF.net
>>571
男女各1人じゃないか。
娘の亀姫は長篠の奥平家に嫁いだ。
573:人間七七四年
16/10/15 20:45:37.58 szOY6xf5.net
家康こづくりうらやましい、だろ?オマエラノ本音は
574:人間七七四年
16/10/15 20:53:58.11 BUIaPNRN.net
>>569
ただでは済んでいない
「何も殺さなくても、女なのだから寺にでも入れておけば良かった
(そうすればもう何も干渉きなくなる)」と、
家康に嫌味を言われた
主君と言ってるが、家康は独裁者ではなく、
三河豪族連合の盟主に過ぎない弱い立場だと知っていれば、
そんな発言は無いはずだがな
575:人間七七四年
16/10/15 21:01:50.33 RLaFeyDO.net
>>574
主君の正室を殺して嫌味で済むのかよ糞ワロタw
主君の正室殺してそんなものなら誰でも殺し放題だな
576:人間七七四年
16/10/15 21:20:55.07 btrizO8w.net
家康は門奈くんに酷いことをしたよね(´・ω・`)
577:人間七七四年
16/10/15 21:36:42.19 4TKJKnUL.net
側室囲いまくってたのもお家存続がためだから当時の価値観では仕方ない
励んだ分が元禄以後に生きてくる。
578:人間七七四年
16/10/15 22:15:15.96 KZCM4Ngx.net
秀忠誕生時点ですでに孫がいる家康
579:人間七七四年
16/10/15 23:31:48.14 +5bfSY1b.net
>>575
息子が主君殺したのにそのまま重臣続けられる阿部大蔵という男がいてな
580:人間七七四年
16/10/15 23:36:26.22 DDB0N46D.net
>>574
いつから独裁者になったんだろうか。
まさか今際の際まで盟主ってこたあないだろうしな
581:人間七七四年
16/10/16 02:31:08.41 W1oYciQL.net
関東に移封したあたりじゃない
582:人間七七四年
16/10/16 05:57:18.48 vwfK8gkC.net
>>574
この事件の時、信長が酒井忠次を持ち上げてるのが嫌らしいよね。
家康が逆らうなら、酒井氏を引き抜くって脅しだろうしね。
元々は、家臣と言うより同盟者だったらしいしね。
583:人間七七四年
16/10/16 08:29:25.22 r9eW9fu9.net
>>581
四天王筆頭だった酒井に3万石しかやらなかったからな
忠次がかつての盟主にクレーム付けに行ったら、
「お前でも子がかわいいか」と嫌味を言われたとか
584:人間七七四年
16/10/16 10:18:03.61 /a4pjtcF.net
財力だけな大大名成っても、
権力ある小大名に浪費させられるだけじゃね?
585:人間七七四年
16/10/16 10:36:01.64 jeEiTxzT.net
>>582
ないない
586:人間七七四年
16/10/16 11:04:26.51 m/u5HKjC.net
な~んだ家康てしょぼかったんだな
587:人間七七四年
16/10/16 11:51:56.52 oP1qnh5P.net
築山ー家康不仲説は伝説でしかない。
よく築山の侍女お万に手を付けた件で嫉妬深いって言われるが
本当に気に入ってたら、家康が事件前にお万を正式に側室にしてるわな。
ちょっと手を付けたら妊娠しちゃったってだけで、築山視点で見れば侍女
が妊娠したんで不義を疑って尋問したのが真相だろう。
家康からみれば築山は自分のせいで実家を失った正妻だから、無碍な
取り扱いをしたくないから最前線の浜松より本拠の岡崎に息子とともに
置いたのが失敗のもとだな。
588:人間七七四年
16/10/16 12:02:36.69 sQevA3/x.net
>>586
国人に手を焼いてたのはどこも同じ。
毛利も図体はでかいが内情は複雑だった。
家康は、関東移封で絶対権力確立したから、家臣はぶーたれてたが本人的には悪くなかったんじゃないか。
589:人間七七四年
16/10/16 12:06:51.62 HYyxajiI.net
徳川は戦国大名への飛躍が出来なかったのか
590:人間七七四年
16/10/16 13:29:34.11 4f0ycDAx.net
毛利の場合、その複雑な内情を一新するために井上元兼を粛清したが
今川を無力化して当面の敵が武田だった頃の徳川が
権力の集中を図るには、酒井忠次あたりを殺しておけば体制の刷新が成っただろう
その方がベターだったとも言い切れないけど
591:人間七七四年
16/10/16 13:52:00.80 jatjPbdn.net
>>589
三河一向一揆鎮圧と三河統一で戦国大名の要件は満たしている
592:人間七七四年
16/10/16 14:12:20.63 jiUwxL5F.net
>>583
酒井の陣太鼓と言って三方原じゃ大活躍したのにな
593:人間七七四年
16/10/16 15:01:50.16 jeEiTxzT.net
>>587
秀康母が築山殿の侍女だというのは俗説だよ
594:人間七七四年
16/10/16 15:06:03.50 fYxCZYJx.net
>>591
どっちやねん
595:人間七七四年
16/10/17 15:47:43.63 cl8pi5yl.net
家康が村正禁止令を出したというのは作り話ぽいな
追究したところで、いつ、何の法令発布の際に
村正一門制作の刀剣の所持を禁じたという具体情報が出てこない
家康自身は村正作刀を特別視していなかったようだし
(村正コレクターだったという逆の話も嘘で、他派と同等の扱い)
江戸時代に生まれた都市伝説か
596:人間七七四年
16/10/17 16:00:27.71 3+wXyaBn.net
そもそと禁止したと言う話は聞いたことがない
周囲が気を遣って所持しない又は隠してしたという話だったと思うが
597:人間七七四年
16/10/17 17:30:59.98 cl8pi5yl.net
家康が全く気にしていなかったのだから、周囲が気を遣う意味すら無い
周囲の自発的行動というのも、それが既に都市伝説だろう
598:人間七七四年
16/10/17 18:26:12.48 3+wXyaBn.net
武士は物凄く縁起を担ぐから本人が気にしていなくても周りが気にするのは不思議ではない
実際、金春(だっけ?)も振り付けで手の位置に配慮がなかった為に家康の不興を買って追放されたし
些細な事でもよくよく配慮しないとどうなるか分からない
599:人間七七四年
16/10/17 20:17:28.15 e08wZqaA.net
>>595
後世のあとづけでしょ
刀のブランドひとつでどうこうとかね
600:人間七七四年
16/10/17 22:16:29.88 WIitryN9.net
21世紀だって おせち料理食ったり、
色んな風習残ってるだろうに、、、
601:人間七七四年
16/10/18 12:10:32.73 2HH4jTEP.net
A.家康の生前には、村正の刀についてのジンクスは存在していなかった
従って、家康が村正の刀を特別扱いした痕跡が無いこととは辻褄も合う
B.家康はそれなりに験担ぎに従った
従って、家康の生前に村正の刀についてのジンクスが存在していたならば、
村正の刀を忌避したとしても不思議は無い
A.とB.とでは、論旨が全く異なるわけだが
602:人間七七四年
16/10/18 20:46:57.08 nqxwu8Vq.net
そもそも引っ張るような話じゃないから
家康自身の考えが残されていない以上、事の正否など分かる訳がない
こんな逸話もあったな~
ぐらいの考えで十分な取るに足らない話
603:人間七七四年
16/10/18 21:28:36.70 wZp4OVPZ.net
>>601
村正って当時凄い量産品と聞いたことある
604:人間七七四年
16/10/19 12:28:09.18 dnfv8rlF.net
地方にもよる
東海地方では村正が普及していた
美術工芸品としての価値は低く、
大名がわざわざコレクションするほどのものでもない
605:人間七七四年
16/10/19 12:32:42.73 y4zLeNRD.net
村正、徳川家に忌まわしい刀ってのは講談オカルトだわな
606:人間七七四年
16/10/19 13:43:51.11 Hl3ZOYNJ.net
新井白石言及以来の由緒正しいオカルトかな
607:人間七七四年
16/10/19 14:31:43.26 8RjIwNJ3.net
徳川実記にも書かれてるし公認オカルトだな
608:人間七七四年
16/10/20 13:02:32.94 mlQSVwUs.net
家康に取材して書かれたわけではない柏崎物語からの引用か
609:人間七七四年
16/10/20 16:45:22.30 czXJp68N.net
この時代に取材して書いたものなどないだろ
610:人間七七四年
16/10/21 14:01:53.83 TzzzHG2B.net
新井白石なら藩翰譜編纂にあたり、門人たちを動員して
幕府創設者たちの子孫に取材したけどね
その際の取材内容に法螺話も含まれれば、
軍記物語からの引用もある
そこから100年前の個人事業となると、
取材力に限界があるか
611:人間七七四年
16/10/21 21:35:30.58 wQsKa9Q3.net
徳富蘇峰の徳川家康は?
612:人間七七四年
16/10/21 21:50:07.56 EdsGRopz.net
なにが?
613:人間七七四年
16/10/22 20:45:28.32 V16NK2Z3.net
徳富蘇峰は、事実関係をいろいろと捩じ曲げた強引な解釈で、
徳川に対するネガティブな史観を創り上げた
614:人間七七四年
16/10/23 09:29:06.47 eLXNtrPZ.net
家康は三度も主家を滅ぼしている下剋上の権化だから仕方ない
下剋上でのしあがった道三とか直家とか松永とかみんなポジティブには書きようがないし
615:人間七七四年
16/10/23 11:01:20.95 eT94abWs.net
二回じゃねえか?
あと滅ぼしたというか自滅した
616:人間七七四年
16/10/23 13:57:11.55 HED3ZzLK.net
かつての主家を滅ぼした(被官を辞めた後なので下剋上ではない)
→ 豊臣秀頼家の一例のみ
下剋上をした(滅ぼしてはおらず、保護下に置いた)
→ 今川氏真家の一例のみ
織田信雄家はどちらにも該当しない
織田秀信家は主君だったことすらない
話が噛み合わんな
617:人間七七四年
16/10/23 14:14:09.80 FYB/Z+FB.net
本能寺の変の時点で徳川は織田に臣従したんだろ?
当主が本拠地へ挨拶に行った訳だし、何より家康が信長を上様と呼んでいる
とすると織田は主筋に当たり織田宗家の岐阜中納言家を滅ぼして当主の秀信を追放したのは主家潰しと言えるね
618:人間七七四年
16/10/23 15:02:17.33 uRu6lEQp.net
その時は主家じゃないし秀信は織田の本家でもない
619:人間七七四年
16/10/23 16:00:51.45 E7vA9PMq.net
>>617
あくまで同盟国なんだけどな
上様とか呼んだとしても敬意をはらったにすぎない
あと織田信長を攻めたのもあくまで明智だし。
620:人間七七四年
16/10/23 17:37:20.26 FYB/Z+FB.net
>>619
同盟相手を上様なんて呼んだ例があるの?
自分は見たことも聞いたこともない
621:人間七七四年
16/10/23 18:46:36.93 hN7lB2ix.net
>>617
秀信は位階も官職も家康の下
過去のことを持ち出してももはや主筋には当たらない
622:人間七七四年
16/10/23 20:05:56.65 68/KIM/2.net
最終的に天下を取ったのが家康だから、かつて自分より上の立場にいた人を超えなければならない
そういう場合、超えるほうと超えられるほうの兼ね合いでスムーズにいくかどうかが決まる
一番頑強に抵抗したのは豊臣秀頼
623:人間七七四年
16/10/23 20:46:57.03 jG8z3/X4.net
織田氏との関係では、小牧長久手で家康は義理を果たした。
それなのに無断で講和した信雄が阿呆。
624:人間七七四年
16/10/23 22:05:08.20 RxcqyQOE.net
>>617
家康の二枚舌は有名でしょ
上様と呼ぼうが殿下と呼ぼうが腹黒い家康の考えていたことは、たったの一つだけ
それは自分が主家を滅ぼしてでも自分が天下人になる
このおぞましき上昇志向
625:人間七七四年
16/10/23 22:07:18.06 E7vA9PMq.net
>>620
同盟国って言っても純然たる同格でなくたっておかしくないと思うが。
かといって家臣というほど下でもない
信長が実力者で目上とあれば敬意をはらうくらいするだろ
626:人間七七四年
16/10/23 22:20:16.39 OlfOBSY9.net
>>624
それだと秀吉こそが最もおぞましき上昇志向の持ち主になるわけだが
627:人間七七四年
16/10/23 22:23:44.07 uRu6lEQp.net
通常払うべき以上の敬意やけどな
628:人間七七四年
16/10/23 22:54:46.49 TsNh7YHk.net
>>624
> このおぞましき上昇志向
まるで忘恩の輩、猿のようだなww
629:人間七七四年
16/10/23 23:08:33.82 qMaBkyo0.net
戦国時代に現代の倫理はあてはまらない
630:人間七七四年
16/10/24 01:20:03.30 98DUjZhw.net
>>617
秀信はどう見ても秀吉の天下取りの為の傀儡やろ
既に成人した信孝や信雄を口封じする為に織田家を継がせた様なもの
それにその理屈なら主筋を出し抜いて関白になった奴も謀反人やん
なお、その傀儡が無能過ぎたせいで関ヶ原での敗戦を決定付けた模様
631:人間七七四年
16/10/24 01:56:22.26 9xfS3kdW.net
傀儡というほど上に置いてない
632:人間七七四年
16/10/24 06:25:58.37 HJOd6Lvc.net
信孝が三法師を手離さないんで、丹羽と謀って信雄を新たな織田家の家督として担ぎ上げているしな
633:人間七七四年
16/10/24 07:36:02.99 zZuR4PMF.net
信雄の家督は家康も承認してたな。
それゆえに小牧・長久手では信雄が対立軸として成立する訳でな
634:人間七七四年
16/10/24 09:11:42.72 A54ceQ90.net
織田家当主は信雄やでな。三法師の家督は半年もしないうちに秀吉に?奪された
635:人間七七四年
16/10/24 11:41:31.98 zYyRuzU9.net
でも信雄は直ぐに没落しているから宗家は美濃中納言家でしょう
で、関ヶ原で中納言家が滅ぼされてからはまた信雄に
636:人間七七四年
16/10/24 18:12:16.00 oR3jSPSw.net
真田丸で信繁は幸村になったし久しぶりに家康を討ち取る展開になるかな(´・ω・`)
637:人間七七四年
16/10/24 19:53:24.81 9swzeoQI.net
ならねえよ馬鹿
638:人間七七四年
16/10/24 19:55:51.88 A54ceQ90.net
>>635
へぇ家督が移動した史料あるの?
639:人間七七四年
16/10/24 20:40:49.91 iX0CieLM.net
>通常払うべき以上の敬意やけどな
キチガイ信長だからしゃあ無いだろw
640:人間七七四年
16/10/24 20:49:45.42 1re/Gaw4.net
>>635
信雄が改易されたのは1590年でそれまでに正二位の内大臣にまでなってるから
すぐ没落したとは言えんだろう
641:人間七七四年
16/10/25 08:03:49.30 XCQUX0Dr.net
>>640
数年が長いのか短いのかは置いてくとして、信雄の正二位って没収されたのかな
それとも最後まで正二位は保持してきたのだろうか
642:人間七七四年
16/10/25 21:57:28.28 Ynf2MViT.net
除名されてたらwikiぐらいには載ってるのでは?
643:人間七七四年
16/10/25 22:04:47.30 pl1Cq+G1.net
なんだかんだで織田の一族は名誉だけ残して実権は奪い去られてただけだろ
644:人間七七四年
16/10/25 22:15:34.06 fDmKp2m5.net
信雄の最終官位は正二位内大臣、秀信の最終官位は正三位中納言で
織田一族で血筋遺しているのは信雄の子孫か
色々あったにせよ、信雄さんなんだかんだで世を乗り切っって
宗家の地位を掴んだわけだな
645:人間七七四年
16/10/26 00:50:13.64 K3GE2lSH.net
信雄と有楽斎はしぶといよなw
646:人間七七四年
16/10/26 01:27:39.63 ySCjJeNR.net
>>619
あの時代だと、臣従と同盟の境は結講曖昧ですしね。
毛利は、本来対等の筈の国人一揆の頭から、何時の間にか主君に成り替わった訳だしね。
徳川家における酒井氏も本来対等の同盟者みたいな物だったらしいし?
織田信長の織田家も、本来下半国守護代の織田家の分家の織田らしいんだよね。
つまり、親父の代までは、林や佐久間なんかの尾張の土豪は本来同盟者じゃないのかな?
前田利家だって、本来四男なんだから同盟相手に出した人質ですよね。
あの時代の人なら、織田が近畿の覇者に成った時点で、臣従したって解釈でしょう。
織田信長が佐久間家を粛正しても、同盟相手を騙し討ちしたって言う人いないじゃん。
でも、若い時はそれなりに気を使ってるんよね。
駿河は明らかに織田家からの恩賞なんで、もう家臣だと思う。
647:人間七七四年
16/10/26 09:59:03.05 tmDvsZJC.net
武田征伐が大きな転換期だったよな
徳川の臣従もその一環だし、北条も従来の徳川のように極めて従属的な同盟関係になった
九州から東北までの諸大名も同様
もうあの時点で織田の覇権はほぼ確定的になったから、対等な関係が成立し得なくなった
臣従か敵対か迫られるような状況になっていった
648:人間七七四年
16/10/26 14:07:13.32 bqKjs2d4.net
「臣従」を、君臣関係になることと勘違いする者がいるから、
話が噛み合わなくてややこしいことになる場合がある
ヤクザの世界で言うところの兄弟関係における席次の順位付けであって、
親子関係ではない
連合政権が設立される暁には織田家が首班でいいですよ
(もう当家は、織田家とトップを争うつもりはありません)
という立場を示すのが臣従
織田家の家来になるのでもないし、織田家の惣領を主君にするのでもない
秀吉が家康に対して妹のみならず母親まで差し出したため、
家康が臣従してみせるという譲歩をしたのも、それ
649:人間七七四年
16/10/26 15:55:48.30 K3GE2lSH.net
分かりにくい例えだな
650:人間七七四年
16/10/26 16:12:43.01 Dr6mr7x+.net
武家関白制の建前は、大名は形式的には天皇を主君と仰ぎ、天皇が任命した関白の命令に服するという構造なんだろうね。
651:人間七七四年
16/10/26 18:39:52.64 hzLGB0bI.net
>>649
馬鹿に限って妙な例えを使いたがるからな。
652:人間七七四年
16/10/26 19:30:46.52 NPgDcLYL.net
>>648
ああ、まさにこれだな
オタクとは戦争しませんよ、下風につきますよってだけだよな
だいたいどの武家も基本的には朝廷の臣下なだけだしさ
そういうのとは別にそれぞれの武家の下に家臣がいる
それと混同するのはおかしいわな
653:人間七七四年
16/10/26 21:25:02.15 ySCjJeNR.net
>>648
その説明だと、国衆「その土地の地付き豪族」は家臣じゃない事になるし、外様大名も将軍家に
臣従してるけど家臣じゃない事になるよね?
徳川家にも、三河遠江の国衆が沢山いますよ?
まあ、秀吉が大名の転封をやたらしたのは、完全に家臣って位置付けにしたかったからでしょうね。
転封されてない毛利なんて、今で言うコンビニのチェーンだもんね。
看板は何であれ、俺は店のオーナーで店は俺の物状態です。
654:人間七七四年
16/10/26 21:28:57.14 hEnJHkZV.net
>>648
詐欺師野郎は死ね
655:人間七七四年
16/10/26 21:46:58.40 4HUagCCV.net
徳川は、関東移封で国衆を土地から引き剥がして家臣団再編ができたから、家康にとっては悪くなかった。
656:人間七七四年
16/10/26 22:06:29.44 kqz2MB/j.net
恩賞あたえてたら家臣
657:人間七七四年
16/10/26 22:35:37.84 sZgcB2zZ.net
義元が討たれたあと、氏真を見限って織田についた家康は大企業の2代目にたてつくベンチャー企業の若手集団みたいな感覚はあったんじゃないか
658:人間七七四年
16/10/26 22:51:29.28 XGMMTqkr.net
おかしな例え話大会の会場かよここは
659:人間七七四年
16/10/26 22:54:48.95 Hak7YZBE.net
ただの火事場泥棒
初めの火事場泥棒は上手くいったから、次は自分で火をつけちゃった的な
660:人間七七四年
16/10/26 22:55:09.96 kqz2MB/j.net
ウジザネが動いてくれねーと織田に攻められちまうからな
661:人間七七四年
16/10/27 05:03:25.09 mC3++SMj.net
結局>>648の言う「臣従」とは彼が勝手に考えた俺ルールってことでいいの?
662:人間七七四年
16/10/27 14:25:46.42 7Ue6cwB1.net
>>653
>その説明だと、国衆「その土地の地付き豪族」は家臣じゃない事になるし、外様大名も将軍家に
>臣従してるけど家臣じゃない事になるよね?
当たり前
663:人間七七四年
16/10/27 14:50:51.38 4AOFFsEL.net
将軍家への臣従はそれだけが独立して成立することではないよね
朝廷への臣従あっての将軍家へ下ってるだけで。
武家で臣下とよべるのはやはり俸禄関係があるときだけだろ
664:人間七七四年
16/10/27 17:06:02.85 PfH8pukC.net
しっかりしてると思うわ 跡継ぎもよくよく考えていいのを決めた
戦国覇者にふさわしい、最高能力の武将
665:人間七七四年
16/10/27 19:15:58.75 FVUkYP+s.net
>>663
大名(武家)は将軍家から禄を受けているんやで
だから将軍は武家の棟梁なのだ
もっとも必ずしも将軍である必要はないけど
秀吉みたいに関白で武家の棟梁となった例もあるから
666:人間七七四年
16/10/27 20:04:21.08 PtwMSuPl.net
>>665
公家の知行安堵まで将軍がしてたがな
667:人間七七四年
16/10/27 21:14:00.32 9H/86znN.net
>>665
将軍家は本来治世者じゃねえんだけどな
668:人間七七四年
16/10/28 08:48:56.67 Z/sxzPhI.net
>>640
あれは、もし素直に転封命令に従った場合、改易されずに済んだんでしょうかね?
確か、家康の旧領の東海道五ヶ国への転封ですよね?
尾張と伊勢で約100万石から家康の旧領約130万石ですか。
秀吉の本音は、秀信以外の織田一族は改易したいだと思うんよね?
難癖つけられそうですけど?
669:人間七七四年
16/10/28 10:26:18.04 RH2qaauk.net
新領土の開発にカネを使わせたあげく、またすぐに別のとこへ転封だな
これを破産するまで繰り返す
670:人間七七四年
16/10/28 10:40:47.85 8hb4DbsM.net
>>669
大封すぎて移し先探しが難しい。
671:人間七七四年
16/10/28 11:22:53.76 p1FMXC6l.net
逆に二カ国ぐらい辞退する程度に頭が回れば大威張りでいられたのにな
信雄自身が自分の価値をよく理解していなかったのだわ
672:人間七七四年
16/10/28 12:13:25.80 Z/sxzPhI.net
>>671
つまり、甲信辞退で駿遠三の三ヶ国ですか。
旧領とほぼ同じだし、これで追い詰めたら逆に秀吉の評判悪くなりそうですね。
673:人間七七四年
16/10/28 21:27:15.54 R/Apbp3n.net
>>668
なんだか行幸を画策したからって説もあるとかないとか。
674:人間七七四年
16/10/29 07:41:45.65 qtMgJPo1.net
自分の事より子供のためと思うのが親心というものなのに
自分のために子供を殺すなんて家康はとんでもないド畜生だよね(´・ω・`)
675:人間七七四年
16/10/29 08:25:59.93 wmMfomFC.net
御家の為だろバーカw
676:人間七七四年
16/10/29 10:15:19.96 LE2t61gY.net
子供のためを思って甥の関白を殺したけど
その後で子供のことよりも自分の誇大妄想を優先して海外遠征を再会した人もいるし
人間の心理は複雑だな
677:人間七七四年
16/10/29 13:44:37.64 2dHkOyw+.net
畜生どころか虫ですら子供を守る為には牙を剥くものですからね(´・ω・`)
家康は虫以下ですね(´・ω・`)
678:人間七七四年
16/10/29 14:05:44.68 URIQ9m4U.net
家康に嫉妬すんなよ
679:人間七七四年
16/10/29 14:20:29.60 gj8TAzhp.net
>>677
家康は加族を見殺しにした卑怯者である
決して許されることではない
680:人間七七四年
16/10/29 14:46:00.04 2dHkOyw+.net
>>679
我が子を見殺しにするような卑怯者にはなりなくないものです(´・ω・`)ネー
681:人間七七四年
16/10/29 16:36:02.13 Rg46Ti7O.net
家族を守って家を潰したら意味無いw
ま、後世こんな汚名をかぶることになるんだから、
酒井に3万石しかやらないのもうなずける
682:人間七七四年
16/10/29 18:02:22.05 0PvyuLaH.net
国民あっての国と同じで、家族があっての家なのです(´・ω・`)
家族を殺してしまったら本末転倒です(´・ω・`)
683:人間七七四年
16/10/29 18:28:42.71 QS7UFvbQ.net
家というのは、家臣も含むのが近世までの認識
家のためなら主君も殺す
684:人間七七四年
16/10/29 18:46:15.56 7FWogxBl.net
三方ヶ原での敗戦撤退時、主な武将の戦死者は
成瀬正義も本多忠真も夏目吉信も、
武田軍の追撃を足止めするために留まった結果、
討ち取られたようだ
石川数正のような重鎮まで足止めで踏み留まっていた
数正は生還したが、もし死んでたら、
また何か言われただろうなぁ
685:人間七七四年
16/10/29 20:42:47.70 gj8TAzhp.net
石川数正は豊臣秀吉の人間性に惹かれてタヌキ家康を見限った
そして豊臣秀吉の家臣となった
686:人間七七四年
16/10/29 21:04:52.01 7FWogxBl.net
羽柴秀吉の卑劣な策略にかかったんだろ
※当時は豊臣創氏前だろうに
687:人間七七四年
16/10/29 22:34:05.65 T9yL+Cl0.net
関ヶ原では家康の卑劣な策略にかかった武将が山盛り
家康は卑劣キングだよね(´・ω・`)
688:人間七七四年
16/10/29 22:54:19.70 +XOz+nvK.net
城兵を助けるために切腹したのに、約束を破って城兵を皆殺しにした上
それを書状で自慢げに報告したり、主君の仇討ちを知らしめる記録の中で
実はその主君を貶めたり、諸大名を海外に派兵しておいて
その隙にその細君を寝取ろうとしたり、甥一族を妻妾含めて皆殺しにして
畜生呼ばわりする外道な男もいるからな
まあその男に支持者は史料を都合良く解釈し自殺した事にして一族皆殺しを
正当化するくらいだしね
689:人間七七四年
16/10/30 01:48:57.82 zzdrWrNg.net
家康の凄さが解らない奴は根本的に日本史への理解力に欠けてる
690:人間七七四年
16/10/30 02:15:19.73 txEWJwaf.net
>>685
単純に買収されただけじゃねえか
そしてそれは別にあの時代珍しくもないし悪いことでもない
691:人間七七四年
16/10/30 07:08:51.83 qtaGHkdf.net
幼少時からの腹心が買収されて裏切る程度の主君
692:人間七七四年
16/10/30 09:21:26.46 aER//mnB.net
幼少から育てた子飼いの大名に見捨てられた家だってあるわけだし
693:人間七七四年
16/10/30 09:58:52.50 SLjwyz9n.net
当主が死んだ途端家臣達が派閥争いを始めた挙げ句
最期には皆から見捨てられて暴発同然で滅んだ家もあるしね
694:人間七七四年
16/10/30 12:44:20.53 KPCKKfE5.net
幼少時からの家臣が上様を殺すのが戦国下剋上、当たり前の時代
695:人間七七四年
16/10/30 12:56:20.48 XOu06u+7.net
妻を寝取られた大名もいるが、
家康の場合、妻女より家臣が魅力的に見えたということだろ
696:人間七七四年
16/10/30 15:18:11.18 OmP3nbF5.net
>>677
まあ、漢の高祖が敗走中に馬車から子供を投げ捨てた話も有りますからね。
親父を殺して羹にするって項羽に脅されて、お前さんとは以前義兄弟に成った事が有るから
俺の親父はあんたの義父なんだけどwwwwwwwとかね。
それで良いなら、俺にも一つくれって開き直ったとかね。
まあ、子供を殺す親父を殺す嫁を殺すで狼狽える人には、天下は取れんのでしょう。
まあ、酒井に復讐せず三万石やった所とかも常人じゃないですよね。
あの時の信長は、家康が逆らうなら酒井を引き抜き徳川を攻めるつもりだったんでしょう
からね。普通なら後で理由付けて改易してる気がします。
晩年、孫娘の嫁ぎ先を攻め滅ぼしたのも、まあそれくらい笑って実行出来ないと天下は
取れないと言う事で......
なんかリアル、猿の手だよなあ......確かに本当に大きな望みがかなったけど、その
代償は常人なら気が狂う程の物だし?
人の一生は、
重荷を負いて遠き道をゆくが如し、急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
って、実は自分でも疑問に思ってないかね?俺幸せなのか?本当に成功者なのか????
697:人間七七四年
16/10/30 16:59:19.95 GF6j9OXy.net
これだけ耐えて耐えて、勝ち取った勝利だから、
非常な長かった人生マラソンのような一生だったよな。
常人には真似できない。
天才ではないのだろうが、凄まじい人間力があった人だよ。
俺は素直に尊敬できる人物。
698:人間七七四年
16/10/30 18:46:00.80 aGGc0MGP.net
食い物の米さえおさえときゃどうでもなるだろwww
で商人から税を取らない制度にしたか間抜け
貨幣経済が定着した元禄以降、特に享保以後商業弾圧で正常進化発展から背を向けることに
田沼時代とか中共解放軍国策企業ですかという腐敗と癒着構造ができあがり
699:人間七七四年
16/10/30 18:50:44.32 AnIstf9K.net
運上の無い異世界の住人か?
700:人間七七四年
16/10/30 19:06:35.54 aGGc0MGP.net
ワイロのタカリだろ
701:人間七七四年
16/10/30 22:45:08.74 PKBtllye.net
>>685
実際に人間性があったのは秀長やぞ
その秀長が死んだ後はお察し
702:人間七七四年
16/10/31 07:11:07.74 ebIrqvvL.net
>>696
家康の、人の一生は…は山岡荘八の作り話なんだよね
703:人間七七四年
16/10/31 07:26:34.82 DwkiIJQs.net
でも他でも引用されてるよ
704:人間七七四年
16/10/31 11:35:44.31 5R/0q4dI.net
たとえ、作り話だとしても、それと同様の重みのある人生を送ってきたのだから間違ってない
705:人間七七四年
16/10/31 16:45:44.76 ebIrqvvL.net
>>704
家康の人生のどこに重みかあるのか?
詐欺師のくせに!
706:人間七七四年
16/10/31 17:50:55.58 aOh3VUKZ.net
家康の人生の重みって…
同じように地位ある者は同じような重みを負っていたけどね
家康だけが特別なわけでもないだろ
707:人間七七四年
16/10/31 18:41:32.53 CZ5mOAmA.net
大器晩成の鏡じゃん
相当の苦労人なのは確かなのに、なぜディスる?
詐欺っつーても、戦国時代だからな。騙して当然でしょ。
708:人間七七四年
16/10/31 18:53:36.64 RyFT9lnH.net
>>707
家康は、真田昌幸よりましだろう。
709:人間七七四年
16/10/31 19:03:57.02 rjpy+Swz.net
家康はなしとげるおとこ
710:人間七七四年
16/10/31 19:05:53.05 3tp6gRMc.net
やはり結果は大事だよな。
これで桶狭間の後や武田が侵攻して来たときに選択肢を間違えたり
小牧長久手、関ヶ原、大坂の陣で負けてたりしてたら、
後者に行けば行くほど間抜け、悪人扱いされてるだろうしね。
711:人間七七四年
16/10/31 21:50:13.23 LKBp0s1p.net
つか他の武家も結局ろくなことしてねえ
712:人間七七四年
16/10/31 22:47:52.92 LRPio2RU.net
戦国時代は有力大名は皆天下統一を目指してたわけだから
最後に残った大物実力者が家康だっただけ。
家康が駄目なら戦乱はまだ続いてただろうし
戦国末期は皆戦争はうんざりだった。
家康だって若い頃は負け戦ばかりだからね。
運と実力だろう
713:人間七七四年
16/10/31 23:04:41.69 3tp6gRMc.net
本当に目指していたのかね
714:人間七七四年
16/10/31 23:07:25.06 LKBp0s1p.net
>>712
目指してねえよ
715:人間七七四年
16/10/31 23:39:24.10 4YhbgYDs.net
>>712
今川義元、武田信玄も上洛目指してたかは怪しい。
殆どの大名は、勢力の維持、拡大で汲々。
716:人間七七四年
16/10/31 23:44:03.86 LRPio2RU.net
>>715
だけど家康がいる遠州を素通りしようとしてんだから上洛でしょ?
東海を攻略目的なら浜松を絶対に抑えたハズ
717:人間七七四年
16/11/01 00:00:53.98 R/gcHsJy.net
>>716
浜松城から家康を野戦に引きずり出す罠じゃないのか。
同じ手を家康が関ヶ原で使った。佐和山攻めと見せかけて、大垣から石田をあぶり出した。
信玄が一気に上洛なんて無理。補給線がもたない。
718:人間七七四年
16/11/01 00:32:53.92 vWD+Hzo0.net
>>710
特に関ケ原で負けたら普通に謀反人扱いですよね。
それに、西軍の鶴翼の中に自分から攻め込んでますから、負けたら...扱いですよね。
兵法で言う死地に進んで入ってる訳ですし。
いくら調略してると言っても、あそこまで有利な陣形ならその場で気が変わる可能性も?
そもそも会津征伐自体が反対派の挙兵を誘う為の陽動作戦だと思いますからね。
異様にゆっくり進軍してるしね。
しかし、反対派の挙兵規模が多き過ぎて負けましたに成る可能性もそれなりに...
719:人間七七四年
16/11/01 09:36:44.92 ohC+u2L4.net
勝っても謀反人扱いですが(´・ω・`)
720:人間七七四年
16/11/01 17:19:36.21 aSxCWfd6.net
まあ確かに、
石田三成らが勝ったとしても謀反人扱いなのは仕方ない
現実に上役の豊臣家に無許可で挙兵して、
豊臣家の任務を遂行中の徳川に喧嘩売ったのだから
721:人間七七四年
16/11/01 19:03:49.00 gGpo/dVK.net
信玄のアレは美濃伐り取りじゃない
722:人間七七四年
16/11/01 19:12:09.63 7xtDXl81.net
>>720
豊臣に無許可ってのがあるかないかはわからんが
関ヶ原の時点で豊臣家軽んじすぎ
723:人間七七四年
16/11/01 21:47:39.49 ywQG31S0.net
相変わらず天下までの道のりが遠過ぎるって単なる現実的原因を、
天下目指して無かったって置換しちゃうバカが居るが
55州くらい安定領有してたとしても
そのすぐ先にある天下統一目指さないであろう
ボンクラ大名って具体的に誰?
居るワケ無いから答えられるワケが無いのだがwww
724:人間七七四年
16/11/02 01:21:12.98 ci0eycYL.net
>>723
どの武将も天下をめざす、ってのを否定してるだけだろ
725:人間七七四年
16/11/02 10:56:33.00 o58dE7Au.net
勝てば官軍と申しますが家康ぐらい道義から逸脱してしまうと400年を経ても裏切り者の極悪人という認識は消えませんね(´・ω・`)
もっとも家康は官軍ですらありませんが(´・ω・`)
726:人間七七四年
16/11/02 11:27:57.79 IO3NK2tS.net
官軍そのものだし偉大すぎてねたむバカが多いだけ
727:人間七七四年
16/11/02 11:31:39.34 6y/Vcxr1.net
会津征伐軍は豊臣公儀の官軍だし、幕府正規軍も官軍だろう。
728:人間七七四年
16/11/02 11:44:20.06 QRCQLTZi.net
まずは官軍が何なのか理解した方がいい
729:人間七七四年
16/11/02 12:34:24.59 f4Ce1xqH.net
賊軍の対義として使用しとるな
730:人間七七四年
16/11/02 14:44:17.56 OmHctW0a.net
徳川が賊軍となったことは一度もない
731:人間七七四年
16/11/02 15:08:24.45 xxqwznKb.net
関ヶ原や大坂の陣で天皇は関与しておらず、あれらは私戦であり公的な戦いではない
従って官軍も賊軍もなく徳川軍が官軍になった事実はない
ちなみに徳川は賊軍になっている
慶応4年に有栖川宮が天皇より徳川討伐を命じられ、慣例通り天皇から刀と錦旗を授けられ官軍を率いて出陣した
732:人間七七四年
16/11/02 15:26:25.39 x0Tmpz5j.net
>>725
徳川家康は完全無欠の逆臣であり逆賊国賊
これほど絵に描いたような悪人を好む人間がいることが不思議にでならない
ま、今の日本は狂ってるからなw
733:人間七七四年
16/11/02 15:32:34.44 xxqwznKb.net
>>731は徳川じゃなくて家康の間違い
徳川軍は官軍になった事実はある
禁門の変から長州征伐にかけて
まあ、負けたけどw
あと慶喜が孝明天皇から攘夷の命を受けた時も官軍になったと言えなくもないが
結局すっぽかして出陣しなかったので実際のところはどうなのか分からない
734:人間七七四年
16/11/02 18:55:58.36 OmHctW0a.net
>>731
秀頼に無礼を働いた上杉討伐なわけで。
あの時点で豊臣家の天下なのだから徳川は官軍だよ
まあ朝廷の、または天皇の兵ではないから厳密な意味では官軍ではないが、公の軍だ、な
735:人間七七四年
16/11/02 18:58:07.58 OmHctW0a.net
>>731
幕末のすったもんだはかなり価値観が行ったりきたりしてるから
天皇がやれもしない攘夷とか言ってるから徳川が一概にわるいとはいえない
736:人間七七四年
16/11/02 21:09:30.74 +aZhx6fr.net
北条義時は賊軍なのに、天皇島流し。テンコロを討伐したすごいやつ
737:人間七七四年
16/11/03 00:41:02.45 xG9C9cUy.net
>>734
そういう建前だけど、実際は逆だよなあ...
五奉行五大老の合議制のはずなのに、前田家を脅して当主の生母を人質に取るは、奉行の浅野を脅して
隠居させしかも武蔵の自分の領地に連れてきたりやりたい放題ですしね。
上杉も、会津征伐を止めて貰うなら、私的に人質出すくらいする必要有るしね。
普通、人質は主君に出す訳だから、此れ程豊臣家を馬鹿にした話は無いです。
前田も浅野も俺の家来だし、上杉も俺に臣従しなけりゃ攻めるってんだしね。
更に、自分一人の署名で、豊臣家の領地を恩賞に出したりしてます。
建前は恩賞でも、実際は豊臣家の領地の山分けですからね。
まあ現代に例えると、取締役全員の同意が必要な事を、専務が自分一人の署名で
どんどんやってるみたいな物です。
しかも、会社の資産を勝手に自分の派閥の連中にばら撒いてる訳ですね。
現代なら刑事告発ですが、昔は軍事力による実力行使しかない訳です。
738:人間七七四年
16/11/03 00:46:53.05 G7+oWbE+.net
>>737
秀吉の遺言では家康一人で政務を見ることが求められてるんだけどなー
739:人間七七四年
16/11/03 00:50:58.37 YKf8N39m.net
>>736
せやな
740:人間七七四年
16/11/03 01:59:15.61 gZJ8bbdX.net
>>737
秀頼に人質預けてもなんにもならないのだから仕方がない
741:人間七七四年
16/11/03 07:21:42.46 pH32On2P.net
>>734
全然官軍ちゃうやん
742:人間七七四年
16/11/03 09:18:07.70 tIKJnpfG.net
>>738
秀吉の遺言は具体的な内容については書面化されてない部分が多いから何とも言い難い。
直筆のヤツなんか「いさい五人の物に申しわたし候」で済ませちゃってるからな。
覚書などでも慶長4年頃に問題になる「東国大名は在大坂、西国大名は在伏見」なんてのも見られない。
浅野家伝来の覚書も豊臣家中を運営するのは五奉行なのは確定なのだが「家康・利家」に課された責務は解釈がビミョー。
秀家・輝元・景勝に至っては具体的な責務もなさげで空気そのものといった感じ。
・御法度
奉行衆が担当。違反行為というより相論を想定しているようで仲裁せよとの指示。
・算用
奉行衆が担当。家康と利家がチェックして請状を出す。
・何たる儀
奉行衆が家康・利家に相談して、その意見次第で決定する。
・伏見
城の在番は奉行衆。
家康は伏見で諸職の肝煎。ただし在城はしない模様。
・大坂
城の在番は奉行衆。
利家は大坂で惣廻の肝煎。やはり在城はしない模様。
むしろ秀吉死後に十人衆による合議になったのが良く判らない展開だ。
743:人間七七四年
16/11/03 09:32:10.65 POxspc14.net
現存する覚書で景勝が在国であったり、奉行が輪番であったりすることから秀吉の遺言の時点で
10人での合議制は想定されて無いんじゃないかな
744:人間七七四年
16/11/03 10:16:04.61 xpRZYTLZ.net
秀吉死亡時の豊臣政権の政庁は伏見城。そこに詰めてろと言えば、意味は明らかなんだろうがな。
745:人間七七四年
16/11/03 12:34:06.67 GRUJhNoK.net
家康一人に政務を執らせるなんて秀吉は言っていないのに朝鮮徳川は息を吐くように嘘を吐く
746:人間七七四年
16/11/03 13:32:05.43 acZb0YVt.net
徳川が治めないとまとまりのない豊臣家
747:人間七七四年
16/11/03 13:58:10.86 5l2BkwkI.net
10人の合議なんて唐入りと同じくらいの妄想レベルの話だろ
748:人間七七四年
16/11/03 15:28:47.80 bhZ7o53+.net
信頼を逆手にとって裏切るなんて家康は人でなしだよね(´・ω・`)
749:人間七七四年
16/11/03 15:42:46.41 tIKJnpfG.net
秀吉遺言から十人衆の合議に至るまでの流れは早いね。
この間にも朝鮮の戦の問題を処理しながらって事を考えるとなおさら早い。
秀吉遺言の日付が8月5日。
8月10日の時点で秀吉はすっかり錯乱していたようで家康、利家、秀家、輝元による下記の条々が発給された。
一 上様長々御煩付而、御失念も在之様ニ御座候間、御知行方其外御仕置之事、最前被 仰定をくたるへき事、
一 自今以後之儀者、如何様之儀被 仰出候共、御請ハ先申上、以御本復之上、慥得御諚、可随其之事、
一 御知行方并御仕置等之事、今後重畳被 仰出、以誓紙相定候通、不可有相違候事
8月18日には秀吉が死去。
8月28日には輝元が浅野長政を除く四奉行へと提出する起請文案文を作成。この時点で奉行衆は多数派工作を行っている。
9月3日に十人衆による合議を謳う起請文が取り交わされる。
750:人間七七四年
16/11/03 16:56:43.03 BklHTPLm.net
>>748
そりゃ秀頼無能すぎてまた世があれるのを放ってはおけないよな
751:人間七七四年
16/11/03 17:41:16.63 X6FGTf83.net
共犯の秀吉が後見人始末してくれてたから♪
>どの武将も天下をめざす、ってのを否定してるだけだろ
誇大妄想じゃないから、具体的な行動起こさないだけで
大名なくらいプロの運動選手で、天下目指さないほうがおかしいだろ?
>普通、人質は主君に出す訳だから、此れ程豊臣家を馬鹿にした話は無いです。
全国千単位の人質の面倒は、豊臣家が見てたのか?w
752:人間七七四年
16/11/03 21:31:30.20 sI+pLKpx.net
>>751
おかしくねえよ
自国領だけで満足してる武将がほとんど
せいぜい隣国の領土を犯して臣下に配分するくらいで終わりの武家がほとんどだ
天下なんて言ってたのは信長くらいだがあれも近畿圏だけを見てたって話だけどな
753:人間七七四年
16/11/03 22:31:28.80 6h6dzqPc.net
その自領が55州あっても天下統一目指さない大名を
具体的に明示しろって言ってんだろバーカw
754:人間七七四年
16/11/03 23:35:38.14 5l2BkwkI.net
信長のように最初から天下布武とか喚いている奴は大抵途中でコケるw
信長がコケたのをこれ幸いとのし上がってきた秀吉
家康が出てきたのは他の誰よりも自分が上手く天下を治められるということが分かりすぎるほど分かったからで、
一番野心的な意図は少なかった
秀吉が黒田官兵衛は警戒していたが、家康をあまり警戒していなかったのはそのため
755:人間七七四年
16/11/03 23:47:56.76 kspuN1zU.net
>>753
どの武将も天下目指すとかいう妄言を否定してんだよバーカ
756:人間七七四年
16/11/04 05:35:33.39 qvdkR5LK.net
家康をいろいろと叩くけど、
あの時代に日本という国をまとめることが出来たのは徳川だけだろ
他の大名だと、徳川ほどの卓越した管理能力は無いよ。
ましてや、豊臣に国の運営を任せるのか?
あの淀姫に?
足利政権のように、グダグタになるに決まってる。
今の時代にも続く日本という国の土台をしっかりとつくりあげたのは家康。
福沢諭吉に代わる次の一万円札は家康がいいよ。
757:人間七七四年
16/11/04 07:51:29.29 LSZQN2mA.net
>>756
何を根拠に?
全部お前の妄想ソースで語られてもな
758:人間七七四年
16/11/04 08:29:59.98 riQToLAU.net
>どの武将も天下目指すとかいう妄言を否定してんだよバーカ
大名すら挙げられないほど否定に成ってねーんだよバーカw
759:人間七七四年
16/11/04 09:08:55.78 SSNol6I2.net
<<757
大友、竜造寺、宇都宮、秋月、島津
毛利、宇喜多、十河、長曾我部
朝倉、北条、芦名、佐竹
鮭様こと最上、津軽、南部
こいつらは天下を目指してたのか?
天下(当時の概念で近畿だな)を目指してたのは
上杉や武田、織田くらいだろ。
徳川なんぞ、信長死後の絶好機ですら甲斐、信濃
みたいな田舎しか狙ってなかったじゃないか。
日本全国は「日の本」っていう概念だろ。
まあ無学なので適当なこと言うが「日の本」概念を
再発見したか発明したのは秀吉じゃないのか?
760:人間七七四年
16/11/04 11:06:48.04 T+d4d/w7.net
家康は本能寺の後に一応明智討伐の兵を挙げて上方へ向かっていたよ
尾張美濃伊勢で味方を増やそうと工作したけど思いの外誰にも相手にして貰えず
そのうちに秀吉が光秀を瞬殺して、火事場泥棒しようたってそうはいかねえぞと釘を刺されてしまったので
すごすごと引き揚げるしかなかったけど
761:人間七七四年
16/11/04 12:43:34.52 ag9GzNqH.net
>>756
それだな
戦国をしっかり終わらせられたのは家康以外になかった
でなければいつまでもグダグダとした世が続いていたわな
762:人間七七四年
16/11/04 12:43:58.80 ag9GzNqH.net
>>758
論点ずらしてごまかしたつもりになってんなバーカ
763:人間七七四年
16/11/04 15:40:41.65 OLYyEcNI.net
>>761
それを、豊臣家の家老でも、実行可能だろ?っ話に成るんでね。
まあ秀吉が考えた、大大名が相互牽制してバランス取るのは、常に微調整必要だしね。
普通に考えると、会津の蒲生氏郷より徳川家康が先に死ぬんでその後一族や重臣で分割とか
考えてたんでしょう。
丹羽長秀の死後、家老で豊臣家直参大名成った人いるし、家康死後もたぶん同じ事やるつもり
だったんでしょうね。
酒井や井伊、榊原、大久保あたり独立大名にするんじゃないかな?
そして、本家も秀忠と秀康で分割みたいな感じかな。
老年で天下取り考えると、死後に遺族が悲惨な目に合う話って意外と多いんよね。
家康も、関ケ原の翌年辺り死去だと、逆に憎悪が集中してお家滅亡だと思う。
764:人間七七四年
16/11/04 16:20:19.64 zBmOKPBg.net
その豊臣家の家老という家康の立場を否定した連中がこともあろうに豊臣政権の中枢にいて戦乱が起きたから
いっそのこと家康に直接天下の政務を任せたほうがよくね?っていう話になったんだよなあ
765:人間七七四年
16/11/04 17:19:58.95 riQToLAU.net
>>759 >>762
1州だから表だって天下を目指せないのと、
55州領有してても目指さないのとでは
全然次元が違うんだぞ ( ´,_ゝ`)
766:人間七七四年
16/11/04 18:14:49.90 o4xrUqYV.net
うつけ、猿、糞漏らしだったら糞漏らしが一番嫌だよね(´・ω・`)
767:人間七七四年
16/11/04 20:35:04.80 VoIC2DY1.net
>>763
豊臣家の家老って誰?五奉行のこと?
そしてその連中では無理だったから関ヶ原が起きたわけで
768:人間七七四年
16/11/04 20:36:11.18 VoIC2DY1.net
>>765
だからさあ
武家が全部天下ねらってた、なんて無いって話してるだけなんだがな
769:人間七七四年
16/11/04 20:41:26.56 HC6EgW1U.net
お前と同じで、逃げてばかりじゃ潰れるだけなのだが( ´,_ゝ`)?
770:人間七七四年
16/11/04 23:17:33.21 M1HtpnEw.net
>>748
よくぞ申した、よう言うた
771:人間七七四年
16/11/04 23:25:25.82 +qJhjEsQ.net
>>764
家康が豊臣家の家老ってのは無いよ。
豊臣家中に包摂された存在ではなく、従属してるとは言え独立した大名だな。
772:人間七七四年
16/11/04 23:32:58.71 o4xrUqYV.net
>>771
その理屈だと日本に主従関係自体が存在しない事になるわ
773:人間七七四年
16/11/05 07:37:26.48 GV2OjwcZ.net
>>772
いやいやお前さんの主従関係についての理解がおかしいだろ
例えて言えば江戸時代の大名は将軍家の家中ですと言ってるようなもんだ。
774:人間七七四年
16/11/05 09:42:13.65 45AYqkrO.net
江戸時代の外様譜代がわかりやすいが主従関係って種類があるからな。
775:人間七七四年
16/11/05 11:22:24.60 B8lbZJeW.net
豊臣家の事情だと外様でも身内のように考えないといけなかったということでは
776:人間七七四年
16/11/05 12:38:55.62 GV2OjwcZ.net
>>775
戦国期でも若年の当主がいる場合、近隣の有力者(大抵は縁辺で繋がってる)を頼るのは定番行動だが
外部勢力が家政へ介入する事はあっても、それらの家中へと取り込まれる訳では無い。
ようするに家康の立ち位置はあくまでも豊臣政権を支える有力大名であり、豊臣家の家老などと言ったポジションではない。
777:人間七七四年
16/11/05 12:44:58.03 45AYqkrO.net
たぶん江戸中期以降の強大な権力を持った家老がイメージにあるんだろうけど
本来の家老はそんな大したもんじゃないからな
家康じゃなくても上杉宇喜多が豊臣家の家老やれなんて言われたら普通にブチ切れる
778:人間七七四年
16/11/05 16:17:34.20 V5W8ZWrw.net
>>773
江戸時代の大名は将軍家の配下だけど
779:人間七七四年
16/11/05 17:26:11.21 i+SiLePZ.net
臣下と家中の違いを言ってるのでは
780:人間七七四年
16/11/05 17:42:28.87 V5W8ZWrw.net
大名家だってそれは同じだよ
将軍家と大名家の関係を小さくした組織
そもそも家老やら年寄やら大老やらは呼び名が違うだけで同じ意味だし
781:人間七七四年
16/11/05 17:55:42.84 GV2OjwcZ.net
>>780
ぜんぜん判ってないんじゃないか?
将軍-大名の関係と大名-家臣の関係はまったく違うものだぞ
家中とは何か少しは理解してくれよ
782:人間七七四年
16/11/05 19:21:32.62 Rs4bf7+9.net
A社とB社はそれぞれ別に事業を拡大してきた
A社の方が成長が著しく、B社を傘下に組み込んで子会社化した
つまりA社とB社との間に上下関係が生じた
としても、B社の役員や従業員がA社の従業員になった、
という意味では無い
783:人間七七四年
16/11/05 21:19:33.68 ruyENevk.net
>>778
違う
朝廷の配下だよ
784:人間七七四年
16/11/05 21:26:04.76 25fkEN1Z.net
家康は朝廷をないがしろにしてきた極悪人だからな。
明治天皇もそう言っている。
逆に豊臣秀吉は朝廷の権威を内外に知らしめてきた善人だともw
明治天皇が豊国神社と豊国廟の再建を指示したのは有名な話
785:人間七七四年
16/11/05 21:31:29.79 ruyENevk.net
家康が朝廷ないがしろにしてたらとっくに天皇なんて存在してないよ
それなりにたててたのが家康
786:人間七七四年
16/11/05 22:33:17.39 ilVthOQz.net
公家諸法度で朝廷をしめつけて天皇をやめたやつがいる
787:人間七七四年
16/11/05 22:50:57.30 jTAOqBHX.net
戦国期の朝廷は困窮しててたのを、御所、公家屋敷を整備し、経済基盤を与えて保護したのが、三英傑。
どれだけ世話したことか。
788:人間七七四年
16/11/06 02:01:44.11 Whe/5pXW.net
>>787
応仁の乱以降天皇なんてほとんど相手にされてなかったのをノブナガが保護したようなもんだよな
789:人間七七四年
16/11/06 05:42:44.32 /D28r6R3.net
>>781
分かっていないのは君だよ
明らかにドラマとかゲームのイメージで語ってるし
790:人間七七四年
16/11/06 07:34:53.60 zni4NdrQ.net
統治期間に平和な時期が長かったというのもあるが、実際には三英傑のうち最も朝廷を保護したのが家康。
むしろ争ってるのは天皇と堂上公家で、その度に調停に入ってるのが家康というパターンなのだが
最終的に家康の意向という事で奏上するので、家康のせいにされてたという。
791:人間七七四年
16/11/06 11:59:10.08 VE6guY7+.net
秀吉死亡直前の朝廷
摂関 空席(秀次切腹後の後任なし)
太政大臣 秀吉
左大臣 空席(秀次切腹後の後任なし)
右大臣 空席(晴季が秀次連座、後任なし)
内大臣 家康(秀次事件の翌年任官)
秀吉死去で家康が唯一の大臣(後に晴季が右大臣復帰)となり、朝廷の面倒まで見なきゃならなくなった。