【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その20at SENGOKU
【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その20 - 暇つぶし2ch350:人間七七四年
16/10/01 19:58:20.95 S34OA4Nv.net
>>348
ということは
>>1の人はただ身の程を知れ~~
は辞世の句ではないということですね

351:人間七七四年
16/10/01 20:24:04.92 d3zFTrox.net
>>350
テンプレ作った人が間違えたものと思われる

352:人間七七四年
16/10/01 20:36:07.37 drMk5Wtx.net
とりあえずここ数年の岡崎城には
URLリンク(www.dotup.org)
があるが
久能山東照宮で日替わりな
URLリンク(www.dotup.org)
は俺は知らなかったが、もっと知りたい。

353:人間七七四年
16/10/01 20:46:24.85 1yUBlirB.net
>>351
次スレからテンプレ修正した方がよさそうですね。

354:人間七七四年
16/10/01 21:40:06.23 NZqM0TcX.net
>>352
くだらねー

355:人間七七四年
16/10/01 21:51:56.18 EueUmrqG.net
>>352
勝って兜の緒を締めよ

356:人間七七四年
16/10/01 22:06:57.10 no2im89h.net
岡崎城に掲示すべき
時世よりも大事な遺訓って具体的に何だよw

357:人間七七四年
16/10/01 22:56:01.35 XaX9JcfC.net
家康の遺した言葉はどれも名言

358:人間七七四年
16/10/02 02:40:14.16 JJVok+Vq.net
ご老体で江戸から大坂まで合戦に行くの大変だったろうね
自分なら大垣夜行でいくのも嫌になるくらい。
輿で暗殺の恐怖に怯えながら何日も掛けて行くとか
発狂するレベルじゃないの?

359:人間七七四年
16/10/02 02:50:51.80 i6AWlmos.net
それなのに若者は城に籠もりっきり。
大阪の陣の頃には攻城の道具の作り方を知ってるのが家康だけだったとか。

360:人間七七四年
16/10/02 08:11:18.83 FZKrxlQ/.net
真田丸ではお前らの大好きな徳川家康が、いよいよ悪の権化全開でw

361:人間七七四年
16/10/02 08:19:04.28 6A9f9+dX.net
信繁に共感する人が少ないから家康のキャラ変更したんだろうなあ三谷

362:人間七七四年
16/10/02 11:37:48.28 8U+ZKC7o.net
信繁はキャラ作りが講談幸村と差別化しようとして失敗した典型例だな

363:人間七七四年
16/10/02 11:57:34.64 iQHqt/2Z.net
そもそも幸村人気もあてにならんよな
まあ近年ここまで現実の姿が研究されるとコウモリ一家のどっちつかずの負け物語だとバレバレだもんなあ

364:人間七七四年
16/10/02 16:54:20.05 k8eVJODj.net
来年も、井伊直政のカーチャンなら家康いっぱい出てくるだろうなあ

365:人間七七四年
16/10/02 17:13:54.20 i6AWlmos.net
竹千代時代から出るみたいだな

366:人間七七四年
16/10/02 17:56:46.96 IsWFFIgx.net
>>364
こんどは家康が善役になるんだろうか。
天下人も色々忙しいことやで。

367:人間七七四年
16/10/02 18:18:43.76 i6AWlmos.net
>>366
直虎だと直政の主君を悪役にはできんだろう

368:人間七七四年
16/10/02 18:55:20.50 lssXAfYt.net
直虎の代での井伊家内紛による滅亡寸前状態は家康が解決してやったのだが、
近年の陪臣主役の大河傾向からすると、
逆に徳川家の諸問題を直虎が解決してやるファンタジーになると見た

369:人間七七四年
16/10/03 00:19:01.72 AVTxCz/d.net
地獄に落ちろタヌキ野郎が

370:人間七七四年
16/10/03 02:54:19.26 PrHniamC.net
>>369
秀吉成仏しろ
15代264年に渡り武家政権の頂点として君臨し現代に至るまで子孫繁栄している一族の開祖に地獄に落ちろと念じても虚しいだけやで

371:人間七七四年
16/10/03 03:03:18.31 N1o4k+36.net
>>370
秀吉の成仏は無理だろう。
秀次事件の犠牲者たちが許さない。

372:人間七七四年
16/10/03 03:06:03.69 PrHniamC.net
>>371
せやな
北条氏照や千利休にも呪われているから地獄行きや

373:人間七七四年
16/10/03 07:24:39.77 epnoXP69.net
家康は息子と嫁さんに.死んでから地獄でリンチされてるだろw

374:人間七七四年
16/10/03 08:28:19.15 5lei7UfC.net
>>373
息子と嫁はその前に三河武士にイビられているかと

375:人間七七四年
16/10/03 10:05:04.50 2WXq5LrS.net
嫁はともかくとして息子は完全に自業自得っぽいからなあ

376:人間七七四年
16/10/03 13:50:28.83 enTMG+34.net
日本国王だったらしいが・・・w 家康

377:人間七七四年
16/10/03 15:45:54.47 v8nPgd+M.net
今の日本の原型を作ったのは家康だから間違いはない

378:人間七七四年
16/10/03 16:38:56.74 xVYGAiCE.net
外交上で日本国王の肩書を使ったのは家康に限ったことじゃないからな
大したことじゃない
外国からも国王と呼んでくれた方が都合がいいだろ
天皇より下ということになるから

379:人間七七四年
16/10/03 16:48:11.03 enTMG+34.net
三河一向一揆で出奔した本多正信は帰参したけども一族の末路は哀れだな
石川数正も出奔してるが三河武士団は離反が多い

380:人間七七四年
16/10/03 17:04:09.90 VCUwvM26.net
>>369-375
鳥居元忠はどうしてますかね
家康公を恭しくお迎えしたのかな

381:人間七七四年
16/10/03 17:25:31.42 eKx5AjRv.net
>>378
中国あたりからすると日本の天皇ってのはもろに自国の天子とかぶるよな
どう折り合いつけてたのやら
つか皇帝ってのも曖昧というかいい加減なもんではあるのが歴史的にもわかっているわけだけれど。

382:人間七七四年
16/10/03 18:28:47.21 5lei7UfC.net
>>379
ちゃんと他家と比較検討した?

383:人間七七四年
16/10/03 18:43:03.84 dUQMWIWr.net
>>379
正信の二男政重の子孫は、加賀藩筆頭家老五万石で、明治に男爵

384:人間七七四年
16/10/03 20:45:20.93 cPqEk07w.net
・わざわざ小山から離反した
・てこずりまくりだった真田を
・初陣級の秀忠(徳川本隊)に通過させ
わざとって説は無いの?

385:人間七七四年
16/10/04 01:06:37.99 Jlmw/R5G.net
>>381
奈良平安までは遣唐使などで国書を普通に出していたが、隋唐は時代により班位は異なるが日本も朝貢国扱いにしてた上に
のちの日本国王に配当される権力者から書を呈されなかったので問題無しになってた。揉めたのは例の日出る処の天子云々の隋の時と幕末明治の時だけ。
それ以外の平安末期から幕末まで、天皇・朝廷が歴代中華王朝に国書を呈する事が無く
権力者(日本国王扱いされた人物)が中心に書を呈したので、事実上天皇の存在はスルー状態だったので問題無し。

386:人間七七四年
16/10/04 08:05:33.27 3cb0wvWd.net
いや、問題はあったよ
日本国王に関しては足利義満以来、大日本帝国が発足するまで内外において揉めに揉めた
朝廷と幕府という二重構造が対外的にどう扱うが非常に難しく、幕府側としても日本国王を使用する事の是非が何度となく議論の対象となり
使用されたり廃止されたり代替わりの度に繰り返されていた
結局、秀忠以降は基本的に日本国王は廃止されたが(家宣は一時期使用した)

387:人間七七四年
16/10/04 23:32:36.39 QNOs2RIb.net
本能寺の時さ、いくらなんでも重臣側近引き連れすぎだろ。やっぱそんだけ信長が怖かったんかな。国許には信康死んで子どもの秀康しかいないしやばすぎだろ

388:人間七七四年
16/10/05 15:43:00.64 DmhQ8zgC.net
信長が怖かったのではなくて、信長の支配領域内の旅だからと安心しきってったんだろ
秀康については後継者候補と考えた時期は無かったし、秀忠は生まれていたけど幼児
血統上の後継者候補はどうせ皆無。家康自身が死んだら徳川体制は終わりかねない期間だったかな
まさか織田領内滞在のタイミングで事変に巻き込まれるとは全く予想してなかったのだから、
後から考えると危ない橋だったように見えるのは当然

389:人間七七四年
16/10/05 18:32:41.18 Dg8N/aXj.net
お前ら毎回爺さん父さんの事例忘れて
そういう反論するけど、全く納得できんわ。

390:人間七七四年
16/10/05 19:11:56.88 DmhQ8zgC.net
織田と敵対中に抹殺された祖父や父と、
同盟関係中にあった家康という
状況が逆の状態間の比較が何だって?

391:人間七七四年
16/10/05 19:20:30.26 VGHLJ9vg.net
さすがに、さすがに酒井忠次、石川数正のどっちか一人でよかったじゃん連れてくの。井伊や榊原あたりはどうでもいいけど

392:人間七七四年
16/10/05 19:32:45.06 aF484xcg.net
子は一行に入っているけど、大久保忠世・石川家成が在国で、
大須賀康高・本多重次・天野康景等も在国

393:人間七七四年
16/10/05 19:33:49.58 EttM+487.net
>>390
簡単にやられるって例えだろw

394:人間七七四年
16/10/05 19:46:57.55 7LTljim3.net
>>391
まあ安土城見学ツアーに全社をあげてふるくからの社員連れて慰労したつもりなんだよ

395:人間七七四年
16/10/05 20:37:06.00 m4O5zmLj.net
本田忠勝、服部半蔵みたいに連れて行って良かったメンバーも少なくない。

396:人間七七四年
16/10/05 20:46:45.40 DmhQ8zgC.net
>>391
どうでもいいというか、この時期の井伊直政は
家康の護衛も兼ねてるから外せない
その分、大身ではなかったけど

397:人間七七四年
16/10/06 08:03:31.14 bnRyC17q.net
一門総出で出ていったらおかしいけど、家臣は連れていってもおかしくはない
家臣だけが国許で生き残っても意味がないし
そもそも留守居役は大概決まったメンツだからな
上洛より遥かに危険な合戦でも、主だったメンツはみんな出陣する訳だし

398:人間七七四年
16/10/06 11:46:19.98 +9zzdGVo.net
>>390
それは大変だ。念のために信頼できる家臣いっぱい連れて行かないとな

399:人間七七四年
16/10/06 11:47:14.08 +9zzdGVo.net
間違えた>>389

400:人間七七四年
16/10/06 15:07:27.74 LuLFby2X.net
平岩親吉、鳥居元忠の過大評価つーか厚遇っぷりがムカつく

401:人間七七四年
16/10/06 15:37:43.32 bnRyC17q.net
元忠はあれだけ長年仕えたのに最後は捨て殺しにされたし割りを食っただろう

402:人間七七四年
16/10/06 23:07:24.40 f2EgvB1C.net
>>401
んなあことはない。あの功績が大きすぎて江戸時代鳥居家が不正をやっても元忠の功績に免じて罪は問わないってのが何度もある。

403:人間七七四年
16/10/07 01:49:03.15 hY7W1JHx.net
井伊家に次ぐ24万石の出世頭やでな
内藤家も2万石から3万石に、松平家忠の子は加増を断った代わりに故郷に復帰
伏見組はみんな優遇されてる

404:人間七七四年
16/10/07 17:36:35.06 ygKI22Y4.net
>>392
石川家成は引退済みじゃなかった?
御一行に入ってる息子の康通の方が当主だと思った

405:人間七七四年
16/10/07 17:59:33.77 QaIsQxcM.net
>>404
確かに、失礼

406:人間七七四年
16/10/07 21:03:20.46 s5VcWq1N.net
>>401
老死のが恥じただけだろ?

407:人間七七四年
16/10/08 10:58:57.02 yC5SOz01.net
家康は元忠に酷いことをしたよね(´・ω・`)

408:人間七七四年
16/10/08 11:34:49.11 5BMa7yDJ.net
「島津なしで2倍も持ちこたえて、
三成ごとき東軍勝利間違いなかろう」とか思ってて
元忠はしてやったりだったと思うが
ほかに伏見城死守させる適材居たなら出せば?

409:人間七七四年
16/10/08 12:20:11.50 0aANz9Sr.net
元忠爺さん、畳の上でなんか死なずに死に花咲かせられて嬉しかったんじゃないか。

410:人間七七四年
16/10/08 12:29:16.02 mfpLTxX3.net
武将たるもの、って気持ちじゃないと死んでくれって言われても困るわな
まあ戦国時代の死生観は現代人からしたら厳しいな

411:人間七七四年
16/10/08 12:42:33.87 gjh241B3.net
長年忠節を尽くしてきたのに報いるどころか捨て石にするなんて酷すぎるよね(´;ω;`)
鬼!悪魔!家康!

412:人間七七四年
16/10/08 12:51:59.32 +hvwbx+s.net
しつけーよ

413:人間七七四年
16/10/08 13:05:49.65 gjh241B3.net
。・゜゜(ノД`)カワウソー

414:人間七七四年
16/10/08 14:29:20.46 RYEY9nm8.net
家康を悪者に仕立て上げるために
わざわざ捻じ曲がった解釈をしてみせなくてもいーよ

415:人間七七四年
16/10/08 14:53:18.67 RYEY9nm8.net
家康贔屓にとって最も触れられたくない事件・堀川城の撫で斬り
これは井伊領のすぐ傍で起きたから、来年の大河で扱われる可能性は非常に高い
直虎は止めようとした、なんてファンタジー展開にでもするのだろうか

416:人間七七四年
16/10/08 15:07:17.85 FNsMUk9v.net
別に騙し打ちにしたわけでもないしそこまで触れられたくないわけでもない

417:人間七七四年
16/10/08 15:16:33.91 +hvwbx+s.net
触れられたくないという印象はないな。慈愛の人で売ってるわけでもないだろうし

418:人間七七四年
16/10/08 17:02:03.94 mfpLTxX3.net
撫で切り=残虐ってのもな
戦国時代じゃ当たり前にあった話だし、示威的なことをやらんと見せしめにもならん
必要悪。

419:人間七七四年
16/10/08 18:02:35.68 x6tG1QMH.net
信長秀吉に比べたらかなり優しいと思うよ家康公は

420:人間七七四年
16/10/08 20:12:57.68 Y3KDa6Hh.net
>>419
アホか
大阪の陣で大坂の町民を虐殺したのが神君徳川家康w
三代目の家光が大阪城を再建して、大坂の地租を免除すると宣言

421:人間七七四年
16/10/08 20:33:35.79 +hvwbx+s.net
つまんね

422:人間七七四年
16/10/08 20:44:34.84 mfpLTxX3.net
>>420
そりゃゲリラ的なテロリストは殲滅しておかないとあとで問題おきるからな
あの大阪時点で堺にのこってるのは一般人じゃねえから

423:人間七七四年
16/10/08 23:07:41.68 x6tG1QMH.net
それに大阪の陣の時の将軍は秀忠やし。
信長秀吉が関ヶ原の時の総大将なら西軍に与した大名たち皆殺しだよね?

424:人間七七四年
16/10/09 11:29:01.92 gK58Y1Zk.net
>>418
当たり前にあったからと言って許される事ではない
当時も撫で斬りは当たり前のように批判の対象になった

425:人間七七四年
16/10/09 11:36:06.24 xBdHcHvE.net
>>419
信長は忍耐強くて優しいよ
信長が残忍なんて大昔のファンタジーでしかない
秀吉は元々人格者だし
最近は朝鮮人が必死に秀吉残虐説という虚構を流布しているけど

426:人間七七四年
16/10/09 11:56:57.33 cN+SnEP0.net
>>425
甥の妻妾、娘を30人以上公開処刑で穴に埋める人格者

427:人間七七四年
16/10/09 12:23:18.83 5Gin1vta.net
>>424
で、堀川の件は批判されたの?

428:人間七七四年
16/10/09 12:42:08.51 eCvsjHC1.net
>>424
現代人が批判する必要はないよ

429:人間七七四年
16/10/09 13:01:37.61 4RAoGjoZ.net
堀川城を落とした後、武装解除済みの捕虜700人を皆殺しにしたのは愚策
今川から徳川に乗り替えても良いと考え始めていた遠江の諸勢力の態度を硬直させ、
天方氏のように非協力的に転じた者、武藤氏のように反徳川感情を固める者などを続出させ、
勢力拡大の足枷になった
捕虜の大量惨殺は結局のところ、マイナス面だけが見出され、プラス面は特に挙げられていない

430:人間七七四年
16/10/09 13:11:48.93 eCvsjHC1.net
まあ項羽と劉邦の攻め方の差みたいなもんもあるかもね
ただそれは徳川の進攻が無敵で無血開城、臣従がまず見込めてたのに、って前提があった場合のデメリットだよね
実際は徳川も磐石ではない状態、示威行動をしてまわりからなめられないようにしていくのも方策としてはあり
攻めるばかりでなく攻められることも頭にいれておかないと。

431:人間七七四年
16/10/09 13:33:42.76 NHNwm2mm.net
>>426
たった30人で騒いでいたら家康や秀忠など悪鬼ですわ

432:人間七七四年
16/10/09 13:43:56.01 BDsdqznq.net
>>425
ほんそれ
天下泥棒の徳川家康を崇めてる奴なんて、絶対に友達にしたくないよな
いつ寝首をかかれるかわからん

433:人間七七四年
16/10/09 14:02:31.44 eCvsjHC1.net
家康がどうとかで人間関係いいだすお前がむしろ避けられる側だわ

434:人間七七四年
16/10/09 14:31:09.83 4RAoGjoZ.net
天下泥棒は秀吉なのだが

435:人間七七四年
16/10/09 14:43:41.98 43k8nblN.net
家康というか安祥松平の血統は病的に短気で癇癪持ちであるが、何故か忍耐の人などという真逆の事を自称している
前田なども利家は大恩ある親父殿を卑劣な裏切りによって敗死させている訳だが、律儀者などと真逆の事を自称している
昔から言うが、人間は己に無いものや都合の悪い事は真逆の言動で覆い隠そうとするという
彼等の人気のなさはその辺りに起因しているのだろう

436:人間七七四年
16/10/09 15:02:17.45 4RAoGjoZ.net
家康が忍耐の人だの苦労人だのの虚構を広めたのは山岡荘八じゃないのかと思ってる
松平宗家の逆境が著しいのは広忠現役~竹千代の身柄が織田信秀の手許にあった頃で、
今川の下では大変に優遇されている
家康と近い世代の三河本籍武将たちが苦労時代を回顧したのも、前述の逆境時代のこと
勝手に拡大解釈して、家康の人生が忍耐の連続だったなんて言い出したのは
はるか後の世代の者で、家康本人の責任じゃないだろ

437:人間七七四年
16/10/09 15:10:34.40 43k8nblN.net
その通りだと思う
家康に限った事ではないが本人の意図せぬところで虚構が流布されて
その虚構ばかりを信奉して本人そのものを見ようとしない人が多い
これでは存在を否定されているのと同じであろう

438:人間七七四年
16/10/09 17:50:47.29 ROJDP1Bo.net
>>425
優しいかどうかはともかく、忍耐強かったのは信玄と謙信への対応だけだろ。裏切った奴らは皆殺し

439:人間七七四年
16/10/09 20:22:28.94 vdUhZbUWD
家康は嫌いというかそもそも戦国武将というものに興味がない。
歴史の主役はあくまでも農民と労働者であり
武将や貴族は歴史の付け足しでありファンタジーの住人に過ぎない。

440:人間七七四年
16/10/09 21:11:13.38 s3oQeNqT.net
>>438
信長は裏切ったり怠慢な相手にも何度も弁明の機会を与えて、長いときは何十年も我慢し続けた挙げ句に処分している
信長ほど忍耐強い人物は他に聞いたことがない
普通だったら直ぐに追放か打ち首になっているよ

441:人間七七四年
16/10/09 21:31:05.84 dV9q5OlY.net
家康公のデフォを今さらwww

442:人間七七四年
16/10/09 22:03:40.38 u/qDkPCg.net
>>425
城兵を助ける約束で城主が切腹したのに
その約束を破り城兵を皆殺しにした上
それを書状で自慢げに書く秀吉が人格者ねぇ
まあ小説程度の知識しかなく秀吉を批判する奴は
半島人や在日扱いする豊臣贔屓らしい反応だけど

443:人間七七四年
16/10/09 22:51:46.71 7EW1go6j.net
>>440
それで最後は殺されているのだからお話しにならない

444:人間七七四年
16/10/09 23:46:46.81 T+e4g/Yw.net
>>440
佐久間に弁明の機会を与えたら勝手に出家するし
浅井・松永・荒木にも許すから戻れと説得しても無視されるし
確かに信長は忍耐強く説得しようとするが根本的に相手から信用されていない
それで信長が激怒→周囲はますます恐怖するの悪循環で
最後は明智がトドメを刺した

445:人間七七四年
16/10/10 06:16:22.95 Cj71Ls5S.net
>>442
え?撫で斬りは当たり前の事じゃないの?>>418
徳川信者は二枚舌の朝鮮人気質ですなぁ

446:人間七七四年
16/10/10 06:50:16.06 qGNqeYEp.net
つか若い時の家康は負け戦ばかりだったから人質時代も含めて我慢強くなっても不思議じゃない。

447:人間七七四年
16/10/10 07:02:31.43 HFd1cIAP.net
>>443
正に信長のお人好しを示すものだね
世の中お人好しは絶対に損をする
家康みたいに冷酷で姑息で疑り深く他人を信用しない徹底した自分本位な人間だったら失敗しなかったけど
秀吉にしてもそんな人間を手放しに信頼していたのだから話にならない
猫に魚の番をさせるようなものだ

448:人間七七四年
16/10/10 08:16:28.10 rPSAMQim.net
>>445
なで斬りと騙し打ちの区別もつかない馬鹿?

449:人間七七四年
16/10/10 09:26:10.23 6nWaf7yW.net
>>447
信長は人の情が分からないし、物事の深いところが見えていない
それでよく人に騙されるし、人を騙すこともよくある
個人的に、嫌いではないがそれほど好きでもないな

450:人間七七四年
16/10/10 09:37:18.60 DlpjOZTV.net
>>448
殺される側からしたら全く同じです
突発的な殺人は悪くないと思っているキチガイですか?

451:人間七七四年
16/10/10 09:42:24.29 ZArQ/kU+.net
現実主義者だから成上れたのもあるけどな。

452:人間七七四年
16/10/10 09:43:20.69 ZArQ/kU+.net
アンチには、本多忠勝が
本当に傷負った事ないのか聞きたいな♪
さすがに勝者の歴史だと思うが、、、

453:人間七七四年
16/10/10 09:57:25.37 rPSAMQim.net
>>450
戦国時代に何言ってんだキチガイ

454:人間七七四年
16/10/10 10:41:54.28 diSPeUYA.net
家康には湿地帯の江戸じゃなくて関東北部の平野地帯を拠点にしてほしかった
竹村公太郎が関東平野は縄文時代は全部海で家康当時も湿地帯だったとか暴論言ってたけど
岩宿遺跡など関東北部の平野地帯は大昔からまともな土地だったし古墳時代は関東の中心で巨大古墳が大量にあるのにね
今の東京一極集中はなかったろうしそうなってほしかった

455:人間七七四年
16/10/10 11:04:31.83 eBSX9lPg.net
>>454
それだと、近くに海がないじゃん
今の皇居があるあたりがベストポジションだよ
さすがだと思うよ、家康は。

456:人間七七四年
16/10/10 11:11:04.75 DlpjOZTV.net
>>453
どっちなんだよw

457:人間七七四年
16/10/10 11:21:24.12 V0+j2DB2.net
日比谷公園付近は入江だったのを、神田の山を崩して埋め立てて両方を平地にして活用。
掘り割りを作って、湿地の排水と水運で活用。
吉祥寺の弁天池から神田上水引いて水道整備。
そして利根川東遷工事に着手。
今の東京というか関東全域を整備したのは家康。かなり先見の明。

458:人間七七四年
16/10/10 12:12:25.09 UOa/0LdK.net
>>445
示威行動として当たり前、はい論破

459:人間七七四年
16/10/10 12:14:36.93 UOa/0LdK.net
>>447
人材管理ができてないってことだな
能力主義のようにみせていたが途中から身内主義にもどった信長
臣下もなんくせつけられて排斥されるようでは反旗をひるがえされるわな
信長は上役としてはダメってことだ

460:人間七七四年
16/10/10 12:15:40.46 UOa/0LdK.net
>>450
殺される側にいるからいけない
そういう世情の時代
いまの倫理観でかたるなよバカ

461:人間七七四年
16/10/10 12:16:25.76 UOa/0LdK.net
>>456
おまえが無理矢理わからないようにしてるだけで皆わかってるんだが。
情け無いな

462:人間七七四年
16/10/10 14:19:26.19 DlpjOZTV.net
病気かこいつ
気持ち悪いな
ちょっと引いたわ

463:人間七七四年
16/10/10 14:49:07.87 HiWqEgK/.net
ファビョりすぎてIDも顔も紫になってるよ
家康信者はほんとキチガイですわ~

464:人間七七四年
16/10/10 14:54:15.70 4KAbr2F1.net
>>454
北部はそうだったかも知れんが古文書にも江戸は大湿地帯で簡素な藁葺き屋根の家が2、3軒の寂れた土地だと書いてある

465:人間七七四年
16/10/10 15:05:44.02 bUnfN3Wg.net
江戸は鎌倉時代には関東の一大貿易港として隆盛を極めていたし拠点を置くなら江戸しかないでしょう
江戸湾は港をおくには絶好の地形だし、漁業にも最適
巨大都市を置くにはこれほど優れた場所は滅多にない
ただ、唯一の欠点としてあまりに河川や池沼がが多く水害が避けられなかった
だから利根川の変遷という巨大事業によってそれを克服した訳で
江戸の発展はやはりあの場所でなくてはならなかった

466:人間七七四年
16/10/10 15:15:48.09 eI5ik3z0.net
湿地を埋め立てたんだが

467:人間七七四年
16/10/10 16:24:58.90 yLCYtx08.net
利根川を東に曲げる河川工事をやって水害を無くし米の取れる土地にしたと同時に江戸の町は出たゴミを埋め立てに使った超リサイクル都市であった。
河川工事には家臣を駆り出して兵士の鍛練にも役立てた。

468:人間七七四年
16/10/10 17:46:24.38 bZMXuULo.net
1579年に行われた武田領駿河への侵攻はかなり大規模だったようだけど、
固有の名称は無いの?

469:人間七七四年
16/10/10 17:57:59.10 sBrYRU85.net
兵の鍛練にはならなかったな
幕臣は酷い腰抜けで何の役にも立たなかったし
二百数十年も禄を食みながら、いざ御家の一大事にみんなで知らんふりとはどういう事だ
正に穀潰しとは幕臣はの為にある言葉だわ
まあ、主家を裏切ってみんなでリンチして殺してしまった徳川幕府の最期としては因果応報な結末だったのかもしれないが

470:人間七七四年
16/10/10 18:01:47.21 A6baOJZX.net
>>468
特にはないんじゃない

471:人間七七四年
16/10/10 18:17:15.50 jjtT+Fmg.net
逆ギレして被害者の孕石さんをSATUGAIするなんて家康は孕石さんに酷いことをしたよね(´・ω・`)

472:人間七七四年
16/10/10 21:03:25.57 UOa/0LdK.net
家康嫌いなのは別に個人の勝手だけど戦国時代の心情もかんがえないばかは歴史ものを読む資格はねえな

473:人間七七四年
16/10/10 22:09:59.44 eI5ik3z0.net
江戸の土木工事といえば伊奈忠次。図書じゃないほうね。
孕石は切腹したやろ。

474:人間七七四年
16/10/10 22:57:58.95 +tMNic9Z.net
。・゜゜(ノД`)はらみんカワウソー

475:人間七七四年
16/10/10 23:02:36.21 S/jaRJEm.net
>>457
それをそのまま乗っ取ったのが薩長連合w

476:人間七七四年
16/10/10 23:14:00.34 NCNyZRiJ.net
茨城の人間としては伊奈忠次は馴染み深い
水戸では忠次の指揮で造られた備前堀が親しまれ水戸八景にも選ばれているし
南部には忠次から名付けられた伊奈町があった
埼玉にもあるけど

477:人間七七四年
16/10/11 02:22:32.07 NGtc0sHW.net
>>473
あー高天神城攻めの時の孕石さんかあの時の家康は大人げないような。
因みに処刑?切腹?した場所の地名が孕石として残っとるな

478:人間七七四年
16/10/11 05:34:59.02 XCuYs3ZD.net
今川の人質時代は、そんなに苦労してないって説もあるって聞いた
ものすごく厚遇されてたって 

479:人間七七四年
16/10/11 07:01:54.91 Qs/BWy/z.net
>>478
厚遇されてると思うよ
武田でいう穴山あたりの立場になるのかね、
将来は今川の有力武将の一人になるよう教育されているしね。
まあ、どんな立場でも気苦労は有りそうだけどね。
朝比奈とか岡部とかに比べれば新参ものだし、お気楽な坊っちゃん暮らしとはいかなさそうな

480:人間七七四年
16/10/11 07:59:11.78 TNIjl6pd.net
孕石の件も家康が優遇されていた事の表れだよな
今川一門として厚遇されていたから孕石の敷地も我が物顔で踏み荒らしていたのだろう
度々入り込んでいたそうだし
それで我慢の限界になって注意したら
「あの野郎、ただの家臣の分際で生意気な」と逆恨みした訳で
孕石にしてみれば泣きっ面に蜂

481:人間七七四年
16/10/11 13:51:56.41 shzi1CLO.net
本人は優遇されていたといっても、松平家臣を有効活用するための方策だからな
後に今川と織田のどちらにつくかという話になったとき、
家臣や領民が酷い目にあわされたという理由で織田につくことを決めた

482:人間七七四年
16/10/11 15:46:39.93 XhnuGYAt.net
松平の勢力は大きなものだし、三河は織田と今川の係争地であって極めて重要な土地だ
その松平家が今川を頼って転がり込んで来たのだから今川にとっては喜ばしき事この上ない
丁重に扱う事はあっても酷い扱いをする理由などない
酷い扱い云々は今川から離反した後ろめたさから創り出された虚構であろう

483:人間七七四年
16/10/11 16:12:27.24 9YO67QPj.net
世の中厚遇と冷遇のどっちかしか無いのかね?
どんな立場でも苦労は有るだろう、戦国大名だってそれなりに苦労してるのに。
人質でも奴隷でもなかったが、
従属勢力の若殿だ、大事にされることもあれば、
反りの合わないやつに苛められることもあったろだろうな。

484:人間七七四年
16/10/11 16:41:15.56 3OBwwBrw.net
竹千代が三河支配のキーマンだったのは間違いない。わざわざ織田と戦争して捕虜交換で織田から奪還したくらいに大事。
ただし、植民地として搾り取ったのも事実だろう。

485:人間七七四年
16/10/11 17:19:57.74 c3gAtCgf.net
そんなの俗説でしょ
租税の資料なんて一切ないし
そもそもこの時代は大名とて直轄地以外は手を出せないのが鉄則だし
松平家やその臣下の領地で高い税を取っていたのだとしたら、それは松平家やその臣下が搾り取っていたと言う事になる

486:人間七七四年
16/10/11 18:11:18.06 g+WRqL5S.net
>>477
違うよ
孕石という地名の土地を本貫にした氏族だから、
孕石という苗字を使った
切腹させられたことに因んで
地名に名が残ったのではない

487:人間七七四年
16/10/11 18:18:44.80 9YO67QPj.net
今川家の支配体制って文書なんかからはっきり分かってるのかな
三河の様子はよく知らないんだけど、岡崎城代を駿府から派遣してるんだよね?

488:人間七七四年
16/10/11 18:26:51.62 c3gAtCgf.net
山田なんちゃら言う人が城代だったんだっけ
城代が何をしていたのかは分からないが

489:人間七七四年
16/10/11 19:08:59.44 E1RuHdY6.net
>>487
文書からの考察からかは知らんが平野明夫がそれに関する論考を書いてたと思う

490:人間七七四年
16/10/11 20:10:55.40 6QwdHj8o.net
竹千代は厚遇されたとは思うけど代わりに西三河衆は最前線でこき使われたよね

491:人間七七四年
16/10/11 20:28:02.94 shzi1CLO.net
いつも最前線で戦わされたことは自分の能力を認めてくれたのだから恨みには思わない
しかし、三河の民が苦しめられたことは自分が深く恨むところである
だっけ? 泣かせるね
もし創作なら、最前線で戦わされたことも恨んていることにするだろうな

492:人間七七四年
16/10/11 21:18:46.70 ECy10KxU.net
先鋒を仰せつかるのは名誉であって感謝こそすれ恨む理由なんてないだろw
根本的におかしいわ
一体誰がそんなトンチンカンな話を垂れ流しているのだ

493:人間七七四年
16/10/11 23:01:59.72 lZmGiUEK.net
豊臣信者は豊臣総合スレで好きなだけ豊臣賛美してれば良いのに
なんで嫌いな徳川総合スレでムキになって発狂しているんだ
アンチもファンの内とはよく言ったものだね

494:人間七七四年
16/10/11 23:30:12.11 qC241u5f.net
リアルが報われなさ過ぎる日本社会の
原型作ったから怨んでるんだろうよ。
真面目にコツコツ求める徳川家で生きられないゴミ何て
余計に織豊で生き残れるワケがないのになwww

495:人間七七四年
16/10/11 23:44:26.08 cFCKleVV.net
>>493
家康勝利で幸村討ち死に大阪城落城→日本から正義が消えた日、そして徳川の暗黒時代へ
幸村家康を見事に十文字槍で刺し殺し昌幸の無念を晴らし豊臣家を死守→天下泰平日本の将来は光に満ちている

496:人間七七四年
16/10/12 01:54:13.98 K9mUuMKX.net
真田や豊臣が正義とかどこを見たらそう思えるんだよ負け犬どもは

497:人間七七四年
16/10/12 02:03:18.96 kzroX62y.net
誰かが言ってたけど結局豊臣信者なるものは実は存在しないんだろうね
真田贔屓とか三成贔屓が形式的に豊臣を持ち上げているだけで
贔屓の武将を賞賛する為なら家康だけではなく平気で秀吉や秀頼を貶めることだってするから

498:人間七七四年
16/10/12 04:34:48.28 8Fe9zrpY.net
そうそう真田やら豊臣やらのファンというより太閤記やら真田丸のファンでしかない
だから基本ファンタジー

499:人間七七四年
16/10/12 06:51:33.76 bwPpAUsG.net
昨今流行りの豊臣を貶める為に徳川を持ち上げる連中と同じと言うことか

500:人間七七四年
16/10/12 08:06:11.86 1Gc2wz2d.net
徳川信者って、江戸城が関西人の天皇に乗っ取られている現状を、どう考えているのかな?

501:人間七七四年
16/10/12 08:58:45.94 8YlHrU6j.net
そもそも天皇陛下を関西人なんて括りで考えたこともないしなんとも思わない
むしろ大坂から江戸に政治の中心都市が移ったのがそんなに悔しかったのか

502:人間七七四年
16/10/12 09:13:20.71 N5qMyl+d.net
豊臣信者からすると歴史をただしく見てるだけの人間が徳川信者に見えてしまうんだな
とんだ被害妄想だ

503:人間七七四年
16/10/12 09:40:14.16 +E/wWb3b.net
秀吉信者の共通のアイデンティティは「家康嫌い」だから、
家康スレで暗躍し続けるのは彼らの本能みたいなもの

504:人間七七四年
16/10/12 10:07:31.06 OC0BT5Zj.net
>>500
天皇が関西人とか言ってるのはアホな朝鮮人ぐらいだろ

505:人間七七四年
16/10/12 11:32:33.33 hPN9wDhe.net
>>491
最前線なんて使い捨てだよ
今の社会でいう派遣社員と同じ
キツイことをやらせて、いざ問題発生時は責任を押し付けて切り捨てる
使い捨てだが、必要な人材だし誰かにやってもらわないといけない
だから、そういう意味で竹千代を重要に扱っていたのだろう

506:人間七七四年
16/10/12 12:00:04.90 u1SKTqpX.net
三国同盟下では、三河、尾張が作戦正面だから、三河勢がこき使われる。

507:人間七七四年
16/10/12 12:35:19.45 5DXGEyna.net
豊臣の暗黒時代を終わらせた家康
…というのは過大評価じゃなかろうか
家康がどうこうしなくても、豊臣政権は勝手に自滅した
もしも、次に武家を統率するのが徳川家じゃなくて
例えば伊達家だったとしても、
それはそれで社会がまとまり、運営されただろう

508:人間七七四年
16/10/12 12:52:39.46 qkalSdTD.net
 
 太平記 part.24 『新政』
スレリンク(nhkdrama板)
407 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2015/08/25(火) 21:29:52.37 ID:S387u/ft
尊氏が真面目に政治やってれば足利直義も高師直も死なずにすんだよね
409 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2015/08/25(火) 22:44:55.43 ID:wgJHc82h
>> 407
何が言いたいのかよく分からないが、尊氏は自分の職務は十分真面目にやっていたと思うけど。
無論、直義も真面目にやっていた。
双方とも真面目にやっていたのに、ああいう結末になったのは、初期の室町幕府の制度的な問題と時代背景によるところが大きいよ。
410 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2015/08/25(火) 23:19:10.70 ID:Ado+LcQJ
 
【『逆説の日本史7・中世王権編:太平記と南北朝の謎』(著・井沢元彦/刊・小学館)】
・・・なぜ、こんなことになってしまったのか? もちろん、責任の一端は□にある。自分を支持した層への配慮に抜けがあり、ただひたすら自分の理想を実現しようとして挫折した。この事態の原因を作ったという政治責任はある。だが責任の半分は尊氏にある。
戦前の教育では確かに尊氏を大悪人としていた。しかしそれは■■に反抗したからという■国史観による不当な評価であった。ではその偏見を振り払って、あくまで客観的に公平に尊氏という人物像を見たらどうなるか?
やはり、半世紀に及ぶ戦乱を押さえきれなかった人物というしかない。政治家失格、そこまでは厳しすぎるとしても二流という評価は動かし難い。・・・では『嫌な奴』だったのかというと、これが全く違う。
禅僧・夢窓疎石によると尊氏には三徳があるという。第一に合戦で命が終わりそうになっても怖畏の様子が全く無かったこと、第二に慈悲深く人を憎むことが無く多くの敵を赦したこと、第三に心が広く物惜しみせず、諸人からの献上品を皆人にあげてしまうことであったという。
公人としては失格でも、私人としては『いい人』であり『優しく』て『気前のイイ奴』なのだ。しかしここで肝心なのは『いい人』なるが故に失格になってしまうという政治社会の厳然性である。
友人として付き合うなら『いい人』『気前のイイ奴』がいいに決まってる。誰も好き好んで『嫌な奴』『渋い奴』と付き合いたくなどないだろう。ところが中世政治ではこれが単純とはいかない。最大の逆説の一つかもしれない。
  

509:人間七七四年
16/10/12 13:01:11.65 u1SKTqpX.net
伊達政宗は真正DQN

510:人間七七四年
16/10/12 14:07:04.94 Wghfm3qs.net
>>507
徳川好き、くらいの人間はそんなこと言わない
徳川信者とか揶揄される人間は豊臣信者の妄想でそもそもいない
豊臣信者が勝手に徳川だったらこうするに違いないと決めつけてるだけだし。

511:人間七七四年
16/10/12 16:06:51.39 M48s7ORe.net
逆説の日本史〈6〉中世神風編/井沢元彦  続き
・・・では、頼朝や家康に比べて尊氏には何が欠けているのか? ここで気が付くことは、頼朝・家康にあって尊氏に無いものは「非情さ」だということだ。
 頼朝が「非情の人」とされるのは弟義経を死に追いやったからであり、家康が「非情の人」とされるのは、豊臣家を完全に滅亡させたからだ。
特に非難されるのは、かつての「主君」であった豊臣秀吉の孫を幼児であるにもかかわらず、京の六条河原で処刑したことである。もちろん何の罪もない。ただ、豊臣の血筋を断つためにそうしたのである。
読者の皆さんにも思うところがあるかもしれない。
「頼朝は義経を殺さずに助けてやればよかったのに―」
「家康は豊臣家を滅亡させないで一大名として残してやればよかったのに―」
こうした「If」に対する答えは何だろう。
頼朝は弟義経を暗殺しようとして失敗すると、奥州藤原氏に圧力をかけて殺させた。なぜ義経を許せなかったのか?
簡単に言えば義経の行動を認めてしまえば幕府そのものが崩壊する危険性があったからだ。
弟義経は殺さざるをえなかったのである。
そして家康の場合はどうだろう?
豊臣家は家康以前に天下の主であった。その直属の家来であった大名も大勢いる。
しかも家康は老齢で豊臣家の秀頼は若い。
家康が死んでしまえば、豊臣家に味方する大名も多く出るだろう。
おそらく全国が、また関ヶ原の合戦の時のように真っ二つに分かれ、戦国の世に逆戻りとなっただろう。
だから、秀頼も殺されざるをえなかった。つまり、本当の指導者は非情さを兼ね備えていなければならないということである。
私情に流されて決断をしないことはかえって状況を悪化させる。
足利尊氏は「いい人」であったが故に、南北朝という不安定かつ大混乱の時代を招いたといえる。
中近世の封建社会においては逆に絶対権力さえ確立されれば、社会の秩序が整備され恒久の平和が訪れるのである。
ここまで歴史を見ればよく分かる。それでも、日本人はなかなかそういう評価はしたくない。
日本人は独裁者を嫌う。逆に言えば、日本人は歴史に学ぶことの下手な民族だといえるのではないだろうか。
 

512:人間七七四年
16/10/12 17:30:24.40 kfWwUaj/.net
ごめん、俺信者だがそこまで詳しくないw

513:人間七七四年
16/10/12 19:10:25.47 8YlHrU6j.net
井沢みたいなトンデモ作家の本引用して、説得力あると思う

514:人間七七四年
16/10/12 21:11:08.67 ktSFSVBB.net
>>500
日本の象徴である天皇家を関西人なんて
狭小なカテゴリーで考えている奴初めて見た

515:人間七七四年
16/10/12 21:37:11.86 OKkJ/EoV.net
関西人は東京に劣等感もってるからね

516:人間七七四年
16/10/12 21:38:48.58 36N5duKQ.net
地獄に落ちろ、脱糞タヌキ野郎。
卑怯なことばっかりやりやがって、マジで人間のゴミだぞ、こいつは。

517:人間七七四年
16/10/12 21:59:21.81 g2N7q+iK.net
はいはい

518:人間七七四年
16/10/12 22:12:41.75 vldJLf3b.net
前田利家や加藤清正を毒殺したのはこいつの謀略だろ。

519:人間七七四年
16/10/12 22:14:04.59 1Gc2wz2d.net
>>514
天皇は関西人に決まってるやろ
ずーっと畿内に住んでたし、畿内には数多くノ天皇陵があるんよ
そんなことも知らんで日本人ヅラするなよバ~カ

520:人間七七四年
16/10/12 22:24:48.65 V4YBx3lt.net
実際に家康を見てきたのかなw

521:人間七七四年
16/10/12 22:32:14.04 ktSFSVBB.net
>>519
豊臣ファンが頭おかしいのは分かった。政権を関東に取られ、天皇まで
関東にとられて発狂しているのか。単純に徳川アンチ認識だったので
豊臣好きも同じ日本人だと自分は思っていたけど、豊臣ファンは
半島が南北に分かれている様に日本も東西に分かれているのか
関東の人間をまるで別国扱いするほど憎んでるとは流石に思わなかった

522:人間七七四年
16/10/13 00:38:39.44 cSIcDA7t.net
もともと日本においての西とは中国・四国・九州であり
畿内は日本の中央だったので関西という概念も言葉もなかった
ところが日本の中央が関東になったことで畿内は日本の中央から西という一地方に格下げになり
これによって関西という言葉が誕生し畿内人は関西人にされてしまった
関西人が発狂するのも仕方がないだろう

523:人間七七四年
16/10/13 00:54:53.31 whBRvlW4.net
もう面倒くさいから天皇陛下に岐阜に御幸していただこう

524:人間七七四年
16/10/13 01:26:31.30 whBRvlW4.net
御幸だと旅行だな、御動座いただこう

525:人間七七四年
16/10/13 02:35:01.32 IhHRyzlf.net
井沢「天皇は朝鮮人ですが何か?」

526:人間七七四年
16/10/13 06:55:14.78 FhdjXViR.net
争いのタネになるから天皇はもういらんだろ 

527:人間七七四年
16/10/13 07:08:52.97 A7egBwwB.net
>>521
何で天皇の話をしているのに豊臣の話になるんだ
アイツもキチガイだけどお前もキチガイだわ
普通ではない

528:人間七七四年
16/10/13 11:22:21.98 tcMDyVLV.net
天皇も豊臣も関西人だった、は正直いって言ってることが小さい

529:人間七七四年
16/10/13 11:51:52.05 V9tHoHtq.net
つうか豊臣が関西人なら徳川も関西人だろw

530:人間七七四年
16/10/13 12:15:30.84 1FdoFqB3.net
尾張三河人を関西人にまぜちゃいかん

531:人間七七四年
16/10/13 13:47:46.75 tcMDyVLV.net
秀吉も本来中部圏

532:人間七七四年
16/10/13 14:19:24.99 2KZmo6SK.net
昨日は久し振りに徳川埋蔵金やっていたなw
家光の代あたりに滅びていれば豊臣みたいに金銀がたくさん残っていただろうが
幕末に残っている訳がない
そんなに大金があったら幕府も潰れていないって

533:人間七七四年
16/10/13 17:33:37.30 ms4NyWAo.net
朝鮮人は徳川ファン

534:人間七七四年
16/10/13 17:42:49.05 AbIu3fRk.net
大阪人以外の全世界人類が徳川ファンかもな

535:人間七七四年
16/10/13 18:20:21.63 ms4NyWAo.net
徳川好きは朝鮮人

536:人間七七四年
16/10/13 18:24:40.98 ms4NyWAo.net
日本中から嫌われて政権から引きずり降ろされた徳チョン

537:人間七七四年
16/10/13 18:45:55.51 oZ4ZxUNd.net
アンチも地に落ちたものだ

538:人間七七四年
16/10/13 19:27:20.84 Iz6ygv/D.net
>>536
まあ時の施政者が嫌われるのは当たり前

539:人間七七四年
16/10/13 20:35:29.29 FhdjXViR.net
徳川家康は朝鮮人どもから尊敬されている
朝鮮では太閤殿下の朝鮮征伐をやめさせたのは徳川家康、朝鮮からの使節団を手厚くもてなしたのは徳川家康ということになっている

540:人間七七四年
16/10/13 22:09:47.97 cSIcDA7t.net
秀吉を偽講和で朝鮮家臣に陥れた小西の方が尊敬されているだろ

541:人間七七四年
16/10/14 07:53:16.65 fowo4qFF.net
秀吉って韓国や中国では意外にも好意的だよ
戦争も大昔のことだし、海を超えて侵略に来た昔の外国人をヒーロー視している
日本人がチンギス・ハーンを英雄視してるみたいな感じかな
大阪城で喜んで記念撮影してるし

542:人間七七四年
16/10/14 09:43:42.20 oKQB2vIl.net
>>475
明治維新の実態は江戸の三河武士か長州の三河武士への国譲り

実は明治政府というは三河国宝飯郡萩に隠れ住んだ南朝落人の政権で、同じく南朝系を称した徳川政権から禅譲されただけ
譲られただけだからこそ江戸城は無血開城され、今までどおり東京が首都になった
徳川幕府は崩壊していないわな
URLリンク(books.google.co.jp)
=tYDHrH7uuT&sig=fBVt13JJ3pGPoJN1o7c5a6G4XE8&hl=ja&sa=X&ei=bHggU5HHKImgkgWuoYD4Bg&ved=0CDkQ6AEwAw#v=onepage&q=%E4%B8%89%E6%B5%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E8%90%A9&f=false
>三河の萩の南朝の末裔が、大江氏に連れられ長州に移り住み、三河の萩を忘れない為に萩と名づけた

三河国宝飯郡萩と大江広元(毛利氏の祖)
大江忠成(海東忠成)
・鎌倉幕府評定衆
・大江広元の五男
・三河の藤姓熱田大宮司家に養子入り
・熱田大宮司
藤原実範(三河守)→季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→範忠→忠季→忠兼→海東忠成(養子入り)→萩忠茂(三河国宝飯郡萩、萩大宮司))、

543:人間七七四年
16/10/14 11:52:35.05 PEeTnMGG.net
大御所時代の家康が水練で往復してみせた川とは、
瀬名川、今で言う巴川だった
安倍川は泳げるような川じゃないから、
安倍川で泳いだという話はおかしいと思っていたら、
案の定、安倍川は間違い
瀬名川という呼び名は、若い頃の正室の婚前期の通称とも関係ある

544:人間七七四年
16/10/14 13:00:35.32 J3EA29FA.net
築山御前の昔の呼び名か
なんか悲しいな

545:人間七七四年
16/10/14 14:47:23.03 CgzlsKdb.net
築山御前が瀬名と呼ばれていた事実はないぞ?

546:人間七七四年
16/10/14 17:59:16.20 if58DGMf.net
あ、そうなんだ
また山岡荘八の創作なのかね
確かに武家の娘の名前が後世に伝わるのは希な話だもんな

547:人間七七四年
16/10/14 18:07:02.59 PEeTnMGG.net
いや、名前じゃないし
瀬名の家系出身の姫様という婉曲表現以上の意味は無いよ

548:人間七七四年
16/10/14 18:31:00.16 Q8X/Ecve.net
家康は築山殿に酷いことをしたよね(´・ω・`)

549:人間七七四年
16/10/14 20:33:40.06 R3AZpkC+.net
推参なり徳川家康
不忠者徳川秀忠
今こそ天誅を下さん

550:人間七七四年
16/10/14 21:22:47.06 CgzlsKdb.net
>>547
そういう意味で築山殿が瀬名姫と呼ばれたという史料も存在しない
過去に磯田氏が言経卿記に瀬名御新造とあると言ったが、これは瀬名氏の正室の事で磯田氏の誤読

551:人間七七四年
16/10/14 22:29:13.09 24WmSCXh.net
 
◆健康指向
家康は健康に関する指向が強く、当時としては長寿の75歳(満73歳4ヵ月)まで生きた。
これは少しでも長く生きることで天下取りの機会を得ようとした物と言われ、実際に関ヶ原の合戦は家康59歳、豊臣家滅亡は74歳のときであり、長寿ゆえに手にした天下であった。
その食事は質素で、戦国武将として戦場にいたころの食生活を崩さなかった。麦飯と魚を好み、野菜の煮付けや納豆もよく食べていた。決して過食することのないようにも留意していたといわれる。
酒は強かったようだが、これも飲みすぎないようにしていた。生薬にも精通し、その知識は専門家も驚くほどであった。海外の薬学書である本草綱目や和剤局方を読破し、慶長12年(1607年)から、本格的な本草研究に踏みだした[63]。
◆寡黙な苦労人
幼少のころから、十数年もの人質生活をおくり、譜代家臣の裏切りにより祖父と父を殺されており、そもそも織田家の人質になったのも家臣の裏切りによってともいわれている。
家督相続後は三河一向一揆において後の腹心・本多正信らにも裏切られている。また、小牧・長久手の戦い後には重臣・石川数正にも裏切られている。
働き者で律儀者・忠義者が多く、結束が固い強兵と賞賛される三河国人だが反面、頑固で融通が利かず内向的で自負心が高い。結束も縁故関係による所が大きい。
こうした家臣たちを統御していくには日ごろからかなり慎重な態度が求められたようで、自然言葉数が少なくなったものと推察され、家臣たちの家康評には「なにを考えているかわからない」、「言葉数が非常に少ない」といった表現が多い。
◆吝嗇
家康の吝嗇(けち・りんしょく)にまつわる逸話は多い。 ふんどしは薄黄色のものを使用した。しかしこれは薄黄色だと汚れが目立たないため洗濯の回数が減るという理由からである。
家来にもこれを強いたが、武骨な三河武士は下帯は白を好み、この下知にだけは従わなかったとされる。
手洗いから出て懐紙で手を拭こうとした、懐紙が風に飛ばされたので庭まで追っていって取り返した(それを見て思わず笑ってしまった小姓に対し、「わしはこれで天下を取ったのだ!」と言い返している)[67]。
新しい服もあまり買わず、洗濯して使っていたため、洗濯させられる侍女から新しい服を着てほしいと苦情が出たとき、天下のため倹約するのだと逆に説教した。
また、侍女から料理の漬物がしょっぱいという苦情が出たので料理人に問いただしたところ、今でも侍女たちはたくさんおかわりしているのに、おいし漬物を出したら何杯おかわりするかわからないと答えられ、笑ってそのままにした。
侍が座敷で相撲をしているときに畳を裏返すように言った[21]。駿府の銭鋳所跡地を掘り返して、3年で運上金千両分の銅を回収した[68]。
商人より献上された蒔絵装飾を施した御虎子(便器)の不必要な豪華さに激怒し、直ちに壊させた[69]。
代官からの金銀納入報告を直に聞き、貫目単位までは蔵に収め、残りの匁・分単位を私用分として女房衆を集めて計算させた[70]。三河にいたとき、夏に家康は麦飯を食べていた。
ある時部下が米飯の上に麦をのせ出した所、戦国の時代において百姓にばかり苦労させて(夏は最も食料がなくなる時期)自分だけ飽食できるかと言った[71]。
厩が壊れても、そちらのほうが頑強な馬が育つと言い、そのままにした[72]。家臣が華美な屋敷を作らないよう与える敷地は小さくし、自身の屋敷も質素であった[73]。
蒲生氏郷は秀吉の後に天下を取れる人物として前田利家をあげ、家康については人に知行を多く与えないので人心を得られず、天下人にはなれないだろうといった[74]。この結果、家康は莫大な財を次代に残している。
『落穂集追加』では家康のは吝嗇でなく倹約と評している。普段は質素な生活に努めたが、必要な際には必要な出費を惜しむことはなかった。
例えば『信長公記』に記された織田信長の接待においては京から長谷川秀一を招いて巨費を投じ、趣向を凝らした接待を行っている。大井川の舟橋などは信長を感動させるものだったと記されている。
 

552:人間七七四年
16/10/15 07:55:13.24 ywRilkdY.net
>>548
あれは信康の嫁、信長の娘の濃姫が築山と犬猿の仲で
例えば築山が勧めた女を信康が側室に迎えたり
現代で言うならばマザコン息子と嫁姑の骨肉の争いであって
濃姫が逐一信康にあることないことチクっていた(笑)

553:人間七七四年
16/10/15 07:56:45.31 ywRilkdY.net
>>552
信長にチクっていたに訂正

554:人間七七四年
16/10/15 08:06:36.03 zelawCXD.net
濃姫ェ…。

555:人間七七四年
16/10/15 08:25:21.19 grCuJ6QF.net
松坂慶子の濃姫綺麗だったな。

556:人間七七四年
16/10/15 08:32:30.44 /yiib+3h.net
>>548
築山殿に家康がした酷いことは他の女とやりまくったことかな
殺されたのは武田と通じていたのが信長にバレたからどうしようもない

557:人間七七四年
16/10/15 10:32:41.74 szOY6xf5.net
実際問題正室が敵の武田と内通なんてどうやってやるんだよ

558:人間七七四年
16/10/15 11:49:56.25 nop1tjk9.net
>>557
まあグレーゾーンなんだろうが織田徳川連合軍と今川や武田の勢力図の中で築山は今川家臣の娘で築山→今川寄り、今川と武田との内通を疑われてた。
実際に家康と築山の夫婦仲は最悪だったと聞くから。

559:人間七七四年
16/10/15 12:03:39.98 szOY6xf5.net
なんかやるにして書状をだすだの、ひとを遣わせるだの、そんなのすぐにバレるだろうし、
疑われていたならなおさら目が光ってるだろうに。

560:人間七七四年
16/10/15 12:18:52.08 1n6MYXGJ.net
>>552
ほう
濃姫は信長の正室から娘になっていたのか
その後、濃姫は消息不明になっているけど信康の嫁になっていたと言うわけか

561:人間七七四年
16/10/15 12:22:40.50 nop1tjk9.net
>>560
俺信康の正室の名前を勘違いしてたかな?
間違っていたらスマヌ。

562:人間七七四年
16/10/15 12:24:24.77 nop1tjk9.net
>>560
すまん。今調べたら徳姫の間違いだった

563:人間七七四年
16/10/15 12:28:27.71 szOY6xf5.net
徳姫は知らなくてもまあ不思議でもないけど、濃姫だの帰蝶だのは信長嫁と連想するものだと思ってた

564:人間七七四年
16/10/15 13:02:18.32 SkGrZcUy.net
築山御前と信康を一緒の城に住まわせたのが失敗だな

565:人間七七四年
16/10/15 16:05:37.90 IXCZfxH7.net
。・゜゜(ノД`) つっきーカワウソー

566:人間七七四年
16/10/15 16:15:05.75 szOY6xf5.net
死にとうない、わらわは死にとうないのじゃ

567:人間七七四年
16/10/15 16:49:32.53 BUIaPNRN.net
武田との内通を疑われたのは信康
事績が息子と母親で混同されてるから、
築山殿が武田と内通なんておかしな話になってる
幽閉された信康は粛清される気配が濃厚と感じて、
築山殿は息子の助命嘆願のため、岡崎から浜松に向かう途上、殺害された
殺したのは反信康派の三河武士で、家康の命令でやったことではない
家康の責任は、下からの圧力に屈して築山殿と別居した点にある
勢力指導者の正妻でありながら、邪魔な存在なら家臣が独断で殺しても咎められないと、
侮られるような立場に追いやったと言える

568:人間七七四年
16/10/15 17:20:42.71 HqcfvkV1.net
>>567
でも今川家の血統を継ぐ築山に徳川家は相当好き勝手されて家康は手を焼いたみたいよ。
だからその後、愛妾となった後家だが器量よしの阿茶を寵愛した。
家康の子供を生んでいないのに家康始め徳川家は相当阿茶を信頼していて
大蔵卿が駿府城に訪ねてきたときも家康と共に面談しているし大阪の陣のときも和議の交渉者として活躍している。
最後には従一位を贈られてるから別格だったんだが
やはり痛い目あってるからお家の為に働いてくれる女性は大切にされるよねぇ。

569:人間七七四年
16/10/15 18:13:54.23 RLaFeyDO.net
家臣が主君の正室を勝手に殺害してただで済むわけないだろw
トンデモ説にも程があるわ
誰がそんな事を言っているんだ

570:人間七七四年
16/10/15 19:59:35.07 kXdgZrOP.net
孫武も同じ事したよなw

571:人間七七四年
16/10/15 20:12:44.30 dVrDVXTC.net
>>558
最悪だった嫁との間に何人子供作ってんだよ糞タヌキ家康はw

572:人間七七四年
16/10/15 20:15:44.49 grCuJ6QF.net
>>571
男女各1人じゃないか。
娘の亀姫は長篠の奥平家に嫁いだ。

573:人間七七四年
16/10/15 20:45:37.58 szOY6xf5.net
家康こづくりうらやましい、だろ?オマエラノ本音は

574:人間七七四年
16/10/15 20:53:58.11 BUIaPNRN.net
>>569
ただでは済んでいない
「何も殺さなくても、女なのだから寺にでも入れておけば良かった
 (そうすればもう何も干渉きなくなる)」と、
家康に嫌味を言われた
主君と言ってるが、家康は独裁者ではなく、
三河豪族連合の盟主に過ぎない弱い立場だと知っていれば、
そんな発言は無いはずだがな

575:人間七七四年
16/10/15 21:01:50.33 RLaFeyDO.net
>>574
主君の正室を殺して嫌味で済むのかよ糞ワロタw
主君の正室殺してそんなものなら誰でも殺し放題だな

576:人間七七四年
16/10/15 21:20:55.07 btrizO8w.net
家康は門奈くんに酷いことをしたよね(´・ω・`)

577:人間七七四年
16/10/15 21:36:42.19 4TKJKnUL.net
側室囲いまくってたのもお家存続がためだから当時の価値観では仕方ない
励んだ分が元禄以後に生きてくる。

578:人間七七四年
16/10/15 22:15:15.96 KZCM4Ngx.net
秀忠誕生時点ですでに孫がいる家康

579:人間七七四年
16/10/15 23:31:48.14 +5bfSY1b.net
>>575
息子が主君殺したのにそのまま重臣続けられる阿部大蔵という男がいてな

580:人間七七四年
16/10/15 23:36:26.22 DDB0N46D.net
>>574
いつから独裁者になったんだろうか。
まさか今際の際まで盟主ってこたあないだろうしな

581:人間七七四年
16/10/16 02:31:08.41 W1oYciQL.net
関東に移封したあたりじゃない

582:人間七七四年
16/10/16 05:57:18.48 vwfK8gkC.net
>>574
この事件の時、信長が酒井忠次を持ち上げてるのが嫌らしいよね。
家康が逆らうなら、酒井氏を引き抜くって脅しだろうしね。
元々は、家臣と言うより同盟者だったらしいしね。

583:人間七七四年
16/10/16 08:29:25.22 r9eW9fu9.net
>>581
四天王筆頭だった酒井に3万石しかやらなかったからな
忠次がかつての盟主にクレーム付けに行ったら、
「お前でも子がかわいいか」と嫌味を言われたとか

584:人間七七四年
16/10/16 10:18:03.61 /a4pjtcF.net
財力だけな大大名成っても、
権力ある小大名に浪費させられるだけじゃね?

585:人間七七四年
16/10/16 10:36:01.64 jeEiTxzT.net
>>582
ないない

586:人間七七四年
16/10/16 11:04:26.51 m/u5HKjC.net
な~んだ家康てしょぼかったんだな

587:人間七七四年
16/10/16 11:51:56.52 oP1qnh5P.net
築山ー家康不仲説は伝説でしかない。
よく築山の侍女お万に手を付けた件で嫉妬深いって言われるが
本当に気に入ってたら、家康が事件前にお万を正式に側室にしてるわな。
ちょっと手を付けたら妊娠しちゃったってだけで、築山視点で見れば侍女
が妊娠したんで不義を疑って尋問したのが真相だろう。
家康からみれば築山は自分のせいで実家を失った正妻だから、無碍な
取り扱いをしたくないから最前線の浜松より本拠の岡崎に息子とともに
置いたのが失敗のもとだな。

588:人間七七四年
16/10/16 12:02:36.69 sQevA3/x.net
>>586
国人に手を焼いてたのはどこも同じ。
毛利も図体はでかいが内情は複雑だった。
家康は、関東移封で絶対権力確立したから、家臣はぶーたれてたが本人的には悪くなかったんじゃないか。

589:人間七七四年
16/10/16 12:06:51.62 HYyxajiI.net
徳川は戦国大名への飛躍が出来なかったのか

590:人間七七四年
16/10/16 13:29:34.11 4f0ycDAx.net
毛利の場合、その複雑な内情を一新するために井上元兼を粛清したが
今川を無力化して当面の敵が武田だった頃の徳川が
権力の集中を図るには、酒井忠次あたりを殺しておけば体制の刷新が成っただろう
その方がベターだったとも言い切れないけど

591:人間七七四年
16/10/16 13:52:00.80 jatjPbdn.net
>>589
三河一向一揆鎮圧と三河統一で戦国大名の要件は満たしている

592:人間七七四年
16/10/16 14:12:20.63 jiUwxL5F.net
>>583
酒井の陣太鼓と言って三方原じゃ大活躍したのにな

593:人間七七四年
16/10/16 15:01:50.16 jeEiTxzT.net
>>587
秀康母が築山殿の侍女だというのは俗説だよ

594:人間七七四年
16/10/16 15:06:03.50 fYxCZYJx.net
>>591
どっちやねん

595:人間七七四年
16/10/17 15:47:43.63 cl8pi5yl.net
家康が村正禁止令を出したというのは作り話ぽいな
追究したところで、いつ、何の法令発布の際に
村正一門制作の刀剣の所持を禁じたという具体情報が出てこない
家康自身は村正作刀を特別視していなかったようだし
(村正コレクターだったという逆の話も嘘で、他派と同等の扱い)
江戸時代に生まれた都市伝説か

596:人間七七四年
16/10/17 16:00:27.71 3+wXyaBn.net
そもそと禁止したと言う話は聞いたことがない
周囲が気を遣って所持しない又は隠してしたという話だったと思うが

597:人間七七四年
16/10/17 17:30:59.98 cl8pi5yl.net
家康が全く気にしていなかったのだから、周囲が気を遣う意味すら無い
周囲の自発的行動というのも、それが既に都市伝説だろう

598:人間七七四年
16/10/17 18:26:12.48 3+wXyaBn.net
武士は物凄く縁起を担ぐから本人が気にしていなくても周りが気にするのは不思議ではない
実際、金春(だっけ?)も振り付けで手の位置に配慮がなかった為に家康の不興を買って追放されたし
些細な事でもよくよく配慮しないとどうなるか分からない

599:人間七七四年
16/10/17 20:17:28.15 e08wZqaA.net
>>595
後世のあとづけでしょ
刀のブランドひとつでどうこうとかね

600:人間七七四年
16/10/17 22:16:29.88 WIitryN9.net
21世紀だって おせち料理食ったり、
色んな風習残ってるだろうに、、、

601:人間七七四年
16/10/18 12:10:32.73 2HH4jTEP.net
A.家康の生前には、村正の刀についてのジンクスは存在していなかった
 従って、家康が村正の刀を特別扱いした痕跡が無いこととは辻褄も合う
B.家康はそれなりに験担ぎに従った
 従って、家康の生前に村正の刀についてのジンクスが存在していたならば、
 村正の刀を忌避したとしても不思議は無い
A.とB.とでは、論旨が全く異なるわけだが

602:人間七七四年
16/10/18 20:46:57.08 nqxwu8Vq.net
そもそも引っ張るような話じゃないから
家康自身の考えが残されていない以上、事の正否など分かる訳がない
こんな逸話もあったな~
ぐらいの考えで十分な取るに足らない話

603:人間七七四年
16/10/18 21:28:36.70 wZp4OVPZ.net
>>601
村正って当時凄い量産品と聞いたことある

604:人間七七四年
16/10/19 12:28:09.18 dnfv8rlF.net
地方にもよる
東海地方では村正が普及していた
美術工芸品としての価値は低く、
大名がわざわざコレクションするほどのものでもない

605:人間七七四年
16/10/19 12:32:42.73 y4zLeNRD.net
村正、徳川家に忌まわしい刀ってのは講談オカルトだわな

606:人間七七四年
16/10/19 13:43:51.11 Hl3ZOYNJ.net
新井白石言及以来の由緒正しいオカルトかな

607:人間七七四年
16/10/19 14:31:43.26 8RjIwNJ3.net
徳川実記にも書かれてるし公認オカルトだな

608:人間七七四年
16/10/20 13:02:32.94 mlQSVwUs.net
家康に取材して書かれたわけではない柏崎物語からの引用か

609:人間七七四年
16/10/20 16:45:22.30 czXJp68N.net
この時代に取材して書いたものなどないだろ

610:人間七七四年
16/10/21 14:01:53.83 TzzzHG2B.net
新井白石なら藩翰譜編纂にあたり、門人たちを動員して
幕府創設者たちの子孫に取材したけどね
その際の取材内容に法螺話も含まれれば、
軍記物語からの引用もある
そこから100年前の個人事業となると、
取材力に限界があるか

611:人間七七四年
16/10/21 21:35:30.58 wQsKa9Q3.net
徳富蘇峰の徳川家康は?

612:人間七七四年
16/10/21 21:50:07.56 EdsGRopz.net
なにが?

613:人間七七四年
16/10/22 20:45:28.32 V16NK2Z3.net
徳富蘇峰は、事実関係をいろいろと捩じ曲げた強引な解釈で、
徳川に対するネガティブな史観を創り上げた

614:人間七七四年
16/10/23 09:29:06.47 eLXNtrPZ.net
家康は三度も主家を滅ぼしている下剋上の権化だから仕方ない
下剋上でのしあがった道三とか直家とか松永とかみんなポジティブには書きようがないし

615:人間七七四年
16/10/23 11:01:20.95 eT94abWs.net
二回じゃねえか?
あと滅ぼしたというか自滅した

616:人間七七四年
16/10/23 13:57:11.55 HED3ZzLK.net
かつての主家を滅ぼした(被官を辞めた後なので下剋上ではない)
 → 豊臣秀頼家の一例のみ
下剋上をした(滅ぼしてはおらず、保護下に置いた)
 → 今川氏真家の一例のみ
織田信雄家はどちらにも該当しない
織田秀信家は主君だったことすらない
話が噛み合わんな

617:人間七七四年
16/10/23 14:14:09.80 FYB/Z+FB.net
本能寺の変の時点で徳川は織田に臣従したんだろ?
当主が本拠地へ挨拶に行った訳だし、何より家康が信長を上様と呼んでいる
とすると織田は主筋に当たり織田宗家の岐阜中納言家を滅ぼして当主の秀信を追放したのは主家潰しと言えるね

618:人間七七四年
16/10/23 15:02:17.33 uRu6lEQp.net
その時は主家じゃないし秀信は織田の本家でもない

619:人間七七四年
16/10/23 16:00:51.45 E7vA9PMq.net
>>617
あくまで同盟国なんだけどな
上様とか呼んだとしても敬意をはらったにすぎない
あと織田信長を攻めたのもあくまで明智だし。

620:人間七七四年
16/10/23 17:37:20.26 FYB/Z+FB.net
>>619
同盟相手を上様なんて呼んだ例があるの?
自分は見たことも聞いたこともない

621:人間七七四年
16/10/23 18:46:36.93 hN7lB2ix.net
>>617
秀信は位階も官職も家康の下
過去のことを持ち出してももはや主筋には当たらない

622:人間七七四年
16/10/23 20:05:56.65 68/KIM/2.net
最終的に天下を取ったのが家康だから、かつて自分より上の立場にいた人を超えなければならない
そういう場合、超えるほうと超えられるほうの兼ね合いでスムーズにいくかどうかが決まる
一番頑強に抵抗したのは豊臣秀頼

623:人間七七四年
16/10/23 20:46:57.03 jG8z3/X4.net
織田氏との関係では、小牧長久手で家康は義理を果たした。
それなのに無断で講和した信雄が阿呆。

624:人間七七四年
16/10/23 22:05:08.20 RxcqyQOE.net
>>617
家康の二枚舌は有名でしょ
上様と呼ぼうが殿下と呼ぼうが腹黒い家康の考えていたことは、たったの一つだけ
それは自分が主家を滅ぼしてでも自分が天下人になる
このおぞましき上昇志向

625:人間七七四年
16/10/23 22:07:18.06 E7vA9PMq.net
>>620
同盟国って言っても純然たる同格でなくたっておかしくないと思うが。
かといって家臣というほど下でもない
信長が実力者で目上とあれば敬意をはらうくらいするだろ

626:人間七七四年
16/10/23 22:20:16.39 OlfOBSY9.net
>>624
それだと秀吉こそが最もおぞましき上昇志向の持ち主になるわけだが

627:人間七七四年
16/10/23 22:23:44.07 uRu6lEQp.net
通常払うべき以上の敬意やけどな

628:人間七七四年
16/10/23 22:54:46.49 TsNh7YHk.net
>>624
> このおぞましき上昇志向
まるで忘恩の輩、猿のようだなww

629:人間七七四年
16/10/23 23:08:33.82 qMaBkyo0.net
戦国時代に現代の倫理はあてはまらない

630:人間七七四年
16/10/24 01:20:03.30 98DUjZhw.net
>>617
秀信はどう見ても秀吉の天下取りの為の傀儡やろ
既に成人した信孝や信雄を口封じする為に織田家を継がせた様なもの
それにその理屈なら主筋を出し抜いて関白になった奴も謀反人やん
なお、その傀儡が無能過ぎたせいで関ヶ原での敗戦を決定付けた模様

631:人間七七四年
16/10/24 01:56:22.26 9xfS3kdW.net
傀儡というほど上に置いてない

632:人間七七四年
16/10/24 06:25:58.37 HJOd6Lvc.net
信孝が三法師を手離さないんで、丹羽と謀って信雄を新たな織田家の家督として担ぎ上げているしな

633:人間七七四年
16/10/24 07:36:02.99 zZuR4PMF.net
信雄の家督は家康も承認してたな。
それゆえに小牧・長久手では信雄が対立軸として成立する訳でな

634:人間七七四年
16/10/24 09:11:42.72 A54ceQ90.net
織田家当主は信雄やでな。三法師の家督は半年もしないうちに秀吉に?奪された

635:人間七七四年
16/10/24 11:41:31.98 zYyRuzU9.net
でも信雄は直ぐに没落しているから宗家は美濃中納言家でしょう
で、関ヶ原で中納言家が滅ぼされてからはまた信雄に

636:人間七七四年
16/10/24 18:12:16.00 oR3jSPSw.net
真田丸で信繁は幸村になったし久しぶりに家康を討ち取る展開になるかな(´・ω・`)

637:人間七七四年
16/10/24 19:53:24.81 9swzeoQI.net
ならねえよ馬鹿

638:人間七七四年
16/10/24 19:55:51.88 A54ceQ90.net
>>635
へぇ家督が移動した史料あるの?

639:人間七七四年
16/10/24 20:40:49.91 iX0CieLM.net
>通常払うべき以上の敬意やけどな
キチガイ信長だからしゃあ無いだろw

640:人間七七四年
16/10/24 20:49:45.42 1re/Gaw4.net
>>635
信雄が改易されたのは1590年でそれまでに正二位の内大臣にまでなってるから
すぐ没落したとは言えんだろう

641:人間七七四年
16/10/25 08:03:49.30 XCQUX0Dr.net
>>640
数年が長いのか短いのかは置いてくとして、信雄の正二位って没収されたのかな
それとも最後まで正二位は保持してきたのだろうか

642:人間七七四年
16/10/25 21:57:28.28 Ynf2MViT.net
除名されてたらwikiぐらいには載ってるのでは?

643:人間七七四年
16/10/25 22:04:47.30 pl1Cq+G1.net
なんだかんだで織田の一族は名誉だけ残して実権は奪い去られてただけだろ

644:人間七七四年
16/10/25 22:15:34.06 fDmKp2m5.net
信雄の最終官位は正二位内大臣、秀信の最終官位は正三位中納言で
織田一族で血筋遺しているのは信雄の子孫か
色々あったにせよ、信雄さんなんだかんだで世を乗り切っって
宗家の地位を掴んだわけだな

645:人間七七四年
16/10/26 00:50:13.64 K3GE2lSH.net
信雄と有楽斎はしぶといよなw

646:人間七七四年
16/10/26 01:27:39.63 ySCjJeNR.net
>>619
あの時代だと、臣従と同盟の境は結講曖昧ですしね。
毛利は、本来対等の筈の国人一揆の頭から、何時の間にか主君に成り替わった訳だしね。
徳川家における酒井氏も本来対等の同盟者みたいな物だったらしいし?
織田信長の織田家も、本来下半国守護代の織田家の分家の織田らしいんだよね。
つまり、親父の代までは、林や佐久間なんかの尾張の土豪は本来同盟者じゃないのかな?
前田利家だって、本来四男なんだから同盟相手に出した人質ですよね。
あの時代の人なら、織田が近畿の覇者に成った時点で、臣従したって解釈でしょう。
織田信長が佐久間家を粛正しても、同盟相手を騙し討ちしたって言う人いないじゃん。
でも、若い時はそれなりに気を使ってるんよね。
駿河は明らかに織田家からの恩賞なんで、もう家臣だと思う。

647:人間七七四年
16/10/26 09:59:03.05 tmDvsZJC.net
武田征伐が大きな転換期だったよな
徳川の臣従もその一環だし、北条も従来の徳川のように極めて従属的な同盟関係になった
九州から東北までの諸大名も同様
もうあの時点で織田の覇権はほぼ確定的になったから、対等な関係が成立し得なくなった
臣従か敵対か迫られるような状況になっていった

648:人間七七四年
16/10/26 14:07:13.32 bqKjs2d4.net
「臣従」を、君臣関係になることと勘違いする者がいるから、
話が噛み合わなくてややこしいことになる場合がある
ヤクザの世界で言うところの兄弟関係における席次の順位付けであって、
親子関係ではない
連合政権が設立される暁には織田家が首班でいいですよ
(もう当家は、織田家とトップを争うつもりはありません)
という立場を示すのが臣従
織田家の家来になるのでもないし、織田家の惣領を主君にするのでもない
秀吉が家康に対して妹のみならず母親まで差し出したため、
家康が臣従してみせるという譲歩をしたのも、それ

649:人間七七四年
16/10/26 15:55:48.30 K3GE2lSH.net
分かりにくい例えだな

650:人間七七四年
16/10/26 16:12:43.01 Dr6mr7x+.net
武家関白制の建前は、大名は形式的には天皇を主君と仰ぎ、天皇が任命した関白の命令に服するという構造なんだろうね。

651:人間七七四年
16/10/26 18:39:52.64 hzLGB0bI.net
>>649
馬鹿に限って妙な例えを使いたがるからな。

652:人間七七四年
16/10/26 19:30:46.52 NPgDcLYL.net
>>648
ああ、まさにこれだな
オタクとは戦争しませんよ、下風につきますよってだけだよな
だいたいどの武家も基本的には朝廷の臣下なだけだしさ
そういうのとは別にそれぞれの武家の下に家臣がいる
それと混同するのはおかしいわな

653:人間七七四年
16/10/26 21:25:02.15 ySCjJeNR.net
>>648
その説明だと、国衆「その土地の地付き豪族」は家臣じゃない事になるし、外様大名も将軍家に
臣従してるけど家臣じゃない事になるよね?
徳川家にも、三河遠江の国衆が沢山いますよ?
まあ、秀吉が大名の転封をやたらしたのは、完全に家臣って位置付けにしたかったからでしょうね。
転封されてない毛利なんて、今で言うコンビニのチェーンだもんね。
看板は何であれ、俺は店のオーナーで店は俺の物状態です。

654:人間七七四年
16/10/26 21:28:57.14 hEnJHkZV.net
>>648
詐欺師野郎は死ね

655:人間七七四年
16/10/26 21:46:58.40 4HUagCCV.net
徳川は、関東移封で国衆を土地から引き剥がして家臣団再編ができたから、家康にとっては悪くなかった。

656:人間七七四年
16/10/26 22:06:29.44 kqz2MB/j.net
恩賞あたえてたら家臣

657:人間七七四年
16/10/26 22:35:37.84 sZgcB2zZ.net
義元が討たれたあと、氏真を見限って織田についた家康は大企業の2代目にたてつくベンチャー企業の若手集団みたいな感覚はあったんじゃないか

658:人間七七四年
16/10/26 22:51:29.28 XGMMTqkr.net
おかしな例え話大会の会場かよここは

659:人間七七四年
16/10/26 22:54:48.95 Hak7YZBE.net
ただの火事場泥棒
初めの火事場泥棒は上手くいったから、次は自分で火をつけちゃった的な

660:人間七七四年
16/10/26 22:55:09.96 kqz2MB/j.net
ウジザネが動いてくれねーと織田に攻められちまうからな

661:人間七七四年
16/10/27 05:03:25.09 mC3++SMj.net
結局>>648の言う「臣従」とは彼が勝手に考えた俺ルールってことでいいの?

662:人間七七四年
16/10/27 14:25:46.42 7Ue6cwB1.net
>>653
>その説明だと、国衆「その土地の地付き豪族」は家臣じゃない事になるし、外様大名も将軍家に
>臣従してるけど家臣じゃない事になるよね?
当たり前

663:人間七七四年
16/10/27 14:50:51.38 4AOFFsEL.net
将軍家への臣従はそれだけが独立して成立することではないよね
朝廷への臣従あっての将軍家へ下ってるだけで。
武家で臣下とよべるのはやはり俸禄関係があるときだけだろ

664:人間七七四年
16/10/27 17:06:02.85 PfH8pukC.net
しっかりしてると思うわ 跡継ぎもよくよく考えていいのを決めた
戦国覇者にふさわしい、最高能力の武将

665:人間七七四年
16/10/27 19:15:58.75 FVUkYP+s.net
>>663
大名(武家)は将軍家から禄を受けているんやで
だから将軍は武家の棟梁なのだ
もっとも必ずしも将軍である必要はないけど
秀吉みたいに関白で武家の棟梁となった例もあるから

666:人間七七四年
16/10/27 20:04:21.08 PtwMSuPl.net
>>665
公家の知行安堵まで将軍がしてたがな

667:人間七七四年
16/10/27 21:14:00.32 9H/86znN.net
>>665
将軍家は本来治世者じゃねえんだけどな

668:人間七七四年
16/10/28 08:48:56.67 Z/sxzPhI.net
>>640
あれは、もし素直に転封命令に従った場合、改易されずに済んだんでしょうかね?
確か、家康の旧領の東海道五ヶ国への転封ですよね?
尾張と伊勢で約100万石から家康の旧領約130万石ですか。
秀吉の本音は、秀信以外の織田一族は改易したいだと思うんよね?
難癖つけられそうですけど?

669:人間七七四年
16/10/28 10:26:18.04 RH2qaauk.net
新領土の開発にカネを使わせたあげく、またすぐに別のとこへ転封だな
これを破産するまで繰り返す

670:人間七七四年
16/10/28 10:40:47.85 8hb4DbsM.net
>>669
大封すぎて移し先探しが難しい。

671:人間七七四年
16/10/28 11:22:53.76 p1FMXC6l.net
逆に二カ国ぐらい辞退する程度に頭が回れば大威張りでいられたのにな
信雄自身が自分の価値をよく理解していなかったのだわ

672:人間七七四年
16/10/28 12:13:25.80 Z/sxzPhI.net
>>671
つまり、甲信辞退で駿遠三の三ヶ国ですか。
旧領とほぼ同じだし、これで追い詰めたら逆に秀吉の評判悪くなりそうですね。

673:人間七七四年
16/10/28 21:27:15.54 R/Apbp3n.net
>>668
なんだか行幸を画策したからって説もあるとかないとか。

674:人間七七四年
16/10/29 07:41:45.65 qtMgJPo1.net
自分の事より子供のためと思うのが親心というものなのに
自分のために子供を殺すなんて家康はとんでもないド畜生だよね(´・ω・`)

675:人間七七四年
16/10/29 08:25:59.93 wmMfomFC.net
御家の為だろバーカw

676:人間七七四年
16/10/29 10:15:19.96 LE2t61gY.net
子供のためを思って甥の関白を殺したけど
その後で子供のことよりも自分の誇大妄想を優先して海外遠征を再会した人もいるし
人間の心理は複雑だな

677:人間七七四年
16/10/29 13:44:37.64 2dHkOyw+.net
畜生どころか虫ですら子供を守る為には牙を剥くものですからね(´・ω・`)
家康は虫以下ですね(´・ω・`)

678:人間七七四年
16/10/29 14:05:44.68 URIQ9m4U.net
家康に嫉妬すんなよ

679:人間七七四年
16/10/29 14:20:29.60 gj8TAzhp.net
>>677
家康は加族を見殺しにした卑怯者である
決して許されることではない

680:人間七七四年
16/10/29 14:46:00.04 2dHkOyw+.net
>>679
我が子を見殺しにするような卑怯者にはなりなくないものです(´・ω・`)ネー

681:人間七七四年
16/10/29 16:36:02.13 Rg46Ti7O.net
家族を守って家を潰したら意味無いw
ま、後世こんな汚名をかぶることになるんだから、
酒井に3万石しかやらないのもうなずける

682:人間七七四年
16/10/29 18:02:22.05 0PvyuLaH.net
国民あっての国と同じで、家族があっての家なのです(´・ω・`)
家族を殺してしまったら本末転倒です(´・ω・`)

683:人間七七四年
16/10/29 18:28:42.71 QS7UFvbQ.net
家というのは、家臣も含むのが近世までの認識
家のためなら主君も殺す

684:人間七七四年
16/10/29 18:46:15.56 7FWogxBl.net
三方ヶ原での敗戦撤退時、主な武将の戦死者は
成瀬正義も本多忠真も夏目吉信も、
武田軍の追撃を足止めするために留まった結果、
討ち取られたようだ
石川数正のような重鎮まで足止めで踏み留まっていた
数正は生還したが、もし死んでたら、
また何か言われただろうなぁ

685:人間七七四年
16/10/29 20:42:47.70 gj8TAzhp.net
石川数正は豊臣秀吉の人間性に惹かれてタヌキ家康を見限った
そして豊臣秀吉の家臣となった

686:人間七七四年
16/10/29 21:04:52.01 7FWogxBl.net
羽柴秀吉の卑劣な策略にかかったんだろ
※当時は豊臣創氏前だろうに

687:人間七七四年
16/10/29 22:34:05.65 T9yL+Cl0.net
関ヶ原では家康の卑劣な策略にかかった武将が山盛り
家康は卑劣キングだよね(´・ω・`)

688:人間七七四年
16/10/29 22:54:19.70 +XOz+nvK.net
城兵を助けるために切腹したのに、約束を破って城兵を皆殺しにした上
それを書状で自慢げに報告したり、主君の仇討ちを知らしめる記録の中で
実はその主君を貶めたり、諸大名を海外に派兵しておいて
その隙にその細君を寝取ろうとしたり、甥一族を妻妾含めて皆殺しにして
畜生呼ばわりする外道な男もいるからな
まあその男に支持者は史料を都合良く解釈し自殺した事にして一族皆殺しを
正当化するくらいだしね

689:人間七七四年
16/10/30 01:48:57.82 zzdrWrNg.net
家康の凄さが解らない奴は根本的に日本史への理解力に欠けてる

690:人間七七四年
16/10/30 02:15:19.73 txEWJwaf.net
>>685
単純に買収されただけじゃねえか
そしてそれは別にあの時代珍しくもないし悪いことでもない

691:人間七七四年
16/10/30 07:08:51.83 qtaGHkdf.net
幼少時からの腹心が買収されて裏切る程度の主君

692:人間七七四年
16/10/30 09:21:26.46 aER//mnB.net
幼少から育てた子飼いの大名に見捨てられた家だってあるわけだし

693:人間七七四年
16/10/30 09:58:52.50 SLjwyz9n.net
当主が死んだ途端家臣達が派閥争いを始めた挙げ句
最期には皆から見捨てられて暴発同然で滅んだ家もあるしね

694:人間七七四年
16/10/30 12:44:20.53 KPCKKfE5.net
幼少時からの家臣が上様を殺すのが戦国下剋上、当たり前の時代

695:人間七七四年
16/10/30 12:56:20.48 XOu06u+7.net
妻を寝取られた大名もいるが、
家康の場合、妻女より家臣が魅力的に見えたということだろ

696:人間七七四年
16/10/30 15:18:11.18 OmP3nbF5.net
>>677
まあ、漢の高祖が敗走中に馬車から子供を投げ捨てた話も有りますからね。
親父を殺して羹にするって項羽に脅されて、お前さんとは以前義兄弟に成った事が有るから
俺の親父はあんたの義父なんだけどwwwwwwwとかね。
それで良いなら、俺にも一つくれって開き直ったとかね。
まあ、子供を殺す親父を殺す嫁を殺すで狼狽える人には、天下は取れんのでしょう。
まあ、酒井に復讐せず三万石やった所とかも常人じゃないですよね。
あの時の信長は、家康が逆らうなら酒井を引き抜き徳川を攻めるつもりだったんでしょう
からね。普通なら後で理由付けて改易してる気がします。
晩年、孫娘の嫁ぎ先を攻め滅ぼしたのも、まあそれくらい笑って実行出来ないと天下は
取れないと言う事で......
なんかリアル、猿の手だよなあ......確かに本当に大きな望みがかなったけど、その
代償は常人なら気が狂う程の物だし?
人の一生は、
重荷を負いて遠き道をゆくが如し、急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
って、実は自分でも疑問に思ってないかね?俺幸せなのか?本当に成功者なのか????

697:人間七七四年
16/10/30 16:59:19.95 GF6j9OXy.net
これだけ耐えて耐えて、勝ち取った勝利だから、
非常な長かった人生マラソンのような一生だったよな。
常人には真似できない。
天才ではないのだろうが、凄まじい人間力があった人だよ。
俺は素直に尊敬できる人物。

698:人間七七四年
16/10/30 18:46:00.80 aGGc0MGP.net
食い物の米さえおさえときゃどうでもなるだろwww
で商人から税を取らない制度にしたか間抜け
貨幣経済が定着した元禄以降、特に享保以後商業弾圧で正常進化発展から背を向けることに
田沼時代とか中共解放軍国策企業ですかという腐敗と癒着構造ができあがり

699:人間七七四年
16/10/30 18:50:44.32 AnIstf9K.net
運上の無い異世界の住人か?

700:人間七七四年
16/10/30 19:06:35.54 aGGc0MGP.net
ワイロのタカリだろ

701:人間七七四年
16/10/30 22:45:08.74 PKBtllye.net
>>685
実際に人間性があったのは秀長やぞ
その秀長が死んだ後はお察し

702:人間七七四年
16/10/31 07:11:07.74 ebIrqvvL.net
>>696
家康の、人の一生は…は山岡荘八の作り話なんだよね

703:人間七七四年
16/10/31 07:26:34.82 DwkiIJQs.net
でも他でも引用されてるよ

704:人間七七四年
16/10/31 11:35:44.31 5R/0q4dI.net
たとえ、作り話だとしても、それと同様の重みのある人生を送ってきたのだから間違ってない

705:人間七七四年
16/10/31 16:45:44.76 ebIrqvvL.net
>>704
家康の人生のどこに重みかあるのか?
詐欺師のくせに!

706:人間七七四年
16/10/31 17:50:55.58 aOh3VUKZ.net
家康の人生の重みって…
同じように地位ある者は同じような重みを負っていたけどね
家康だけが特別なわけでもないだろ

707:人間七七四年
16/10/31 18:41:32.53 CZ5mOAmA.net
大器晩成の鏡じゃん
相当の苦労人なのは確かなのに、なぜディスる?
詐欺っつーても、戦国時代だからな。騙して当然でしょ。

708:人間七七四年
16/10/31 18:53:36.64 RyFT9lnH.net
>>707
家康は、真田昌幸よりましだろう。

709:人間七七四年
16/10/31 19:03:57.02 rjpy+Swz.net
家康はなしとげるおとこ

710:人間七七四年
16/10/31 19:05:53.05 3tp6gRMc.net
やはり結果は大事だよな。
これで桶狭間の後や武田が侵攻して来たときに選択肢を間違えたり
小牧長久手、関ヶ原、大坂の陣で負けてたりしてたら、
後者に行けば行くほど間抜け、悪人扱いされてるだろうしね。

711:人間七七四年
16/10/31 21:50:13.23 LKBp0s1p.net
つか他の武家も結局ろくなことしてねえ

712:人間七七四年
16/10/31 22:47:52.92 LRPio2RU.net
戦国時代は有力大名は皆天下統一を目指してたわけだから
最後に残った大物実力者が家康だっただけ。
家康が駄目なら戦乱はまだ続いてただろうし
戦国末期は皆戦争はうんざりだった。
家康だって若い頃は負け戦ばかりだからね。
運と実力だろう

713:人間七七四年
16/10/31 23:04:41.69 3tp6gRMc.net
本当に目指していたのかね

714:人間七七四年
16/10/31 23:07:25.06 LKBp0s1p.net
>>712
目指してねえよ

715:人間七七四年
16/10/31 23:39:24.10 4YhbgYDs.net
>>712
今川義元、武田信玄も上洛目指してたかは怪しい。
殆どの大名は、勢力の維持、拡大で汲々。

716:人間七七四年
16/10/31 23:44:03.86 LRPio2RU.net
>>715
だけど家康がいる遠州を素通りしようとしてんだから上洛でしょ?
東海を攻略目的なら浜松を絶対に抑えたハズ

717:人間七七四年
16/11/01 00:00:53.98 R/gcHsJy.net
>>716
浜松城から家康を野戦に引きずり出す罠じゃないのか。
同じ手を家康が関ヶ原で使った。佐和山攻めと見せかけて、大垣から石田をあぶり出した。
信玄が一気に上洛なんて無理。補給線がもたない。

718:人間七七四年
16/11/01 00:32:53.92 vWD+Hzo0.net
>>710
特に関ケ原で負けたら普通に謀反人扱いですよね。
それに、西軍の鶴翼の中に自分から攻め込んでますから、負けたら...扱いですよね。
兵法で言う死地に進んで入ってる訳ですし。
いくら調略してると言っても、あそこまで有利な陣形ならその場で気が変わる可能性も?
そもそも会津征伐自体が反対派の挙兵を誘う為の陽動作戦だと思いますからね。
異様にゆっくり進軍してるしね。
しかし、反対派の挙兵規模が多き過ぎて負けましたに成る可能性もそれなりに...

719:人間七七四年
16/11/01 09:36:44.92 ohC+u2L4.net
勝っても謀反人扱いですが(´・ω・`)

720:人間七七四年
16/11/01 17:19:36.21 aSxCWfd6.net
まあ確かに、
石田三成らが勝ったとしても謀反人扱いなのは仕方ない
現実に上役の豊臣家に無許可で挙兵して、
豊臣家の任務を遂行中の徳川に喧嘩売ったのだから

721:人間七七四年
16/11/01 19:03:49.00 gGpo/dVK.net
信玄のアレは美濃伐り取りじゃない

722:人間七七四年
16/11/01 19:12:09.63 7xtDXl81.net
>>720
豊臣に無許可ってのがあるかないかはわからんが
関ヶ原の時点で豊臣家軽んじすぎ

723:人間七七四年
16/11/01 21:47:39.49 ywQG31S0.net
相変わらず天下までの道のりが遠過ぎるって単なる現実的原因を、
天下目指して無かったって置換しちゃうバカが居るが
55州くらい安定領有してたとしても
そのすぐ先にある天下統一目指さないであろう
ボンクラ大名って具体的に誰?

居るワケ無いから答えられるワケが無いのだがwww

724:人間七七四年
16/11/02 01:21:12.98 ci0eycYL.net
>>723
どの武将も天下をめざす、ってのを否定してるだけだろ

725:人間七七四年
16/11/02 10:56:33.00 o58dE7Au.net
勝てば官軍と申しますが家康ぐらい道義から逸脱してしまうと400年を経ても裏切り者の極悪人という認識は消えませんね(´・ω・`)
もっとも家康は官軍ですらありませんが(´・ω・`)

726:人間七七四年
16/11/02 11:27:57.79 IO3NK2tS.net
官軍そのものだし偉大すぎてねたむバカが多いだけ

727:人間七七四年
16/11/02 11:31:39.34 6y/Vcxr1.net
会津征伐軍は豊臣公儀の官軍だし、幕府正規軍も官軍だろう。

728:人間七七四年
16/11/02 11:44:20.06 QRCQLTZi.net
まずは官軍が何なのか理解した方がいい

729:人間七七四年
16/11/02 12:34:24.59 f4Ce1xqH.net
賊軍の対義として使用しとるな

730:人間七七四年
16/11/02 14:44:17.56 OmHctW0a.net
徳川が賊軍となったことは一度もない

731:人間七七四年
16/11/02 15:08:24.45 xxqwznKb.net
関ヶ原や大坂の陣で天皇は関与しておらず、あれらは私戦であり公的な戦いではない
従って官軍も賊軍もなく徳川軍が官軍になった事実はない
ちなみに徳川は賊軍になっている
慶応4年に有栖川宮が天皇より徳川討伐を命じられ、慣例通り天皇から刀と錦旗を授けられ官軍を率いて出陣した

732:人間七七四年
16/11/02 15:26:25.39 x0Tmpz5j.net
>>725
徳川家康は完全無欠の逆臣であり逆賊国賊
これほど絵に描いたような悪人を好む人間がいることが不思議にでならない
ま、今の日本は狂ってるからなw

733:人間七七四年
16/11/02 15:32:34.44 xxqwznKb.net
>>731は徳川じゃなくて家康の間違い
徳川軍は官軍になった事実はある
禁門の変から長州征伐にかけて
まあ、負けたけどw
あと慶喜が孝明天皇から攘夷の命を受けた時も官軍になったと言えなくもないが
結局すっぽかして出陣しなかったので実際のところはどうなのか分からない

734:人間七七四年
16/11/02 18:55:58.36 OmHctW0a.net
>>731
秀頼に無礼を働いた上杉討伐なわけで。
あの時点で豊臣家の天下なのだから徳川は官軍だよ
まあ朝廷の、または天皇の兵ではないから厳密な意味では官軍ではないが、公の軍だ、な

735:人間七七四年
16/11/02 18:58:07.58 OmHctW0a.net
>>731
幕末のすったもんだはかなり価値観が行ったりきたりしてるから
天皇がやれもしない攘夷とか言ってるから徳川が一概にわるいとはいえない

736:人間七七四年
16/11/02 21:09:30.74 +aZhx6fr.net
北条義時は賊軍なのに、天皇島流し。テンコロを討伐したすごいやつ

737:人間七七四年
16/11/03 00:41:02.45 xG9C9cUy.net
>>734
そういう建前だけど、実際は逆だよなあ...
五奉行五大老の合議制のはずなのに、前田家を脅して当主の生母を人質に取るは、奉行の浅野を脅して
隠居させしかも武蔵の自分の領地に連れてきたりやりたい放題ですしね。
上杉も、会津征伐を止めて貰うなら、私的に人質出すくらいする必要有るしね。
普通、人質は主君に出す訳だから、此れ程豊臣家を馬鹿にした話は無いです。
前田も浅野も俺の家来だし、上杉も俺に臣従しなけりゃ攻めるってんだしね。
更に、自分一人の署名で、豊臣家の領地を恩賞に出したりしてます。
建前は恩賞でも、実際は豊臣家の領地の山分けですからね。
まあ現代に例えると、取締役全員の同意が必要な事を、専務が自分一人の署名で
どんどんやってるみたいな物です。
しかも、会社の資産を勝手に自分の派閥の連中にばら撒いてる訳ですね。
現代なら刑事告発ですが、昔は軍事力による実力行使しかない訳です。

738:人間七七四年
16/11/03 00:46:53.05 G7+oWbE+.net
>>737
秀吉の遺言では家康一人で政務を見ることが求められてるんだけどなー

739:人間七七四年
16/11/03 00:50:58.37 YKf8N39m.net
>>736
せやな

740:人間七七四年
16/11/03 01:59:15.61 gZJ8bbdX.net
>>737
秀頼に人質預けてもなんにもならないのだから仕方がない

741:人間七七四年
16/11/03 07:21:42.46 pH32On2P.net
>>734
全然官軍ちゃうやん

742:人間七七四年
16/11/03 09:18:07.70 tIKJnpfG.net
>>738
秀吉の遺言は具体的な内容については書面化されてない部分が多いから何とも言い難い。
直筆のヤツなんか「いさい五人の物に申しわたし候」で済ませちゃってるからな。
覚書などでも慶長4年頃に問題になる「東国大名は在大坂、西国大名は在伏見」なんてのも見られない。
浅野家伝来の覚書も豊臣家中を運営するのは五奉行なのは確定なのだが「家康・利家」に課された責務は解釈がビミョー。
秀家・輝元・景勝に至っては具体的な責務もなさげで空気そのものといった感じ。
・御法度
 奉行衆が担当。違反行為というより相論を想定しているようで仲裁せよとの指示。
・算用
 奉行衆が担当。家康と利家がチェックして請状を出す。
・何たる儀
 奉行衆が家康・利家に相談して、その意見次第で決定する。
・伏見
 城の在番は奉行衆。
 家康は伏見で諸職の肝煎。ただし在城はしない模様。
・大坂
 城の在番は奉行衆。
 利家は大坂で惣廻の肝煎。やはり在城はしない模様。
むしろ秀吉死後に十人衆による合議になったのが良く判らない展開だ。

743:人間七七四年
16/11/03 09:32:10.65 POxspc14.net
現存する覚書で景勝が在国であったり、奉行が輪番であったりすることから秀吉の遺言の時点で
10人での合議制は想定されて無いんじゃないかな

744:人間七七四年
16/11/03 10:16:04.61 xpRZYTLZ.net
秀吉死亡時の豊臣政権の政庁は伏見城。そこに詰めてろと言えば、意味は明らかなんだろうがな。

745:人間七七四年
16/11/03 12:34:06.67 GRUJhNoK.net
家康一人に政務を執らせるなんて秀吉は言っていないのに朝鮮徳川は息を吐くように嘘を吐く

746:人間七七四年
16/11/03 13:32:05.43 acZb0YVt.net
徳川が治めないとまとまりのない豊臣家

747:人間七七四年
16/11/03 13:58:10.86 5l2BkwkI.net
10人の合議なんて唐入りと同じくらいの妄想レベルの話だろ

748:人間七七四年
16/11/03 15:28:47.80 bhZ7o53+.net
信頼を逆手にとって裏切るなんて家康は人でなしだよね(´・ω・`)

749:人間七七四年
16/11/03 15:42:46.41 tIKJnpfG.net
秀吉遺言から十人衆の合議に至るまでの流れは早いね。
この間にも朝鮮の戦の問題を処理しながらって事を考えるとなおさら早い。
秀吉遺言の日付が8月5日。
8月10日の時点で秀吉はすっかり錯乱していたようで家康、利家、秀家、輝元による下記の条々が発給された。
一 上様長々御煩付而、御失念も在之様ニ御座候間、御知行方其外御仕置之事、最前被 仰定をくたるへき事、
一 自今以後之儀者、如何様之儀被 仰出候共、御請ハ先申上、以御本復之上、慥得御諚、可随其之事、
一 御知行方并御仕置等之事、今後重畳被 仰出、以誓紙相定候通、不可有相違候事
8月18日には秀吉が死去。
8月28日には輝元が浅野長政を除く四奉行へと提出する起請文案文を作成。この時点で奉行衆は多数派工作を行っている。
9月3日に十人衆による合議を謳う起請文が取り交わされる。

750:人間七七四年
16/11/03 16:56:43.03 BklHTPLm.net
>>748
そりゃ秀頼無能すぎてまた世があれるのを放ってはおけないよな

751:人間七七四年
16/11/03 17:41:16.63 X6FGTf83.net
共犯の秀吉が後見人始末してくれてたから♪

>どの武将も天下をめざす、ってのを否定してるだけだろ
誇大妄想じゃないから、具体的な行動起こさないだけで
大名なくらいプロの運動選手で、天下目指さないほうがおかしいだろ?

>普通、人質は主君に出す訳だから、此れ程豊臣家を馬鹿にした話は無いです。
全国千単位の人質の面倒は、豊臣家が見てたのか?w

752:人間七七四年
16/11/03 21:31:30.20 sI+pLKpx.net
>>751
おかしくねえよ
自国領だけで満足してる武将がほとんど
せいぜい隣国の領土を犯して臣下に配分するくらいで終わりの武家がほとんどだ
天下なんて言ってたのは信長くらいだがあれも近畿圏だけを見てたって話だけどな

753:人間七七四年
16/11/03 22:31:28.80 6h6dzqPc.net
その自領が55州あっても天下統一目指さない大名を
具体的に明示しろって言ってんだろバーカw

754:人間七七四年
16/11/03 23:35:38.14 5l2BkwkI.net
信長のように最初から天下布武とか喚いている奴は大抵途中でコケるw
信長がコケたのをこれ幸いとのし上がってきた秀吉
家康が出てきたのは他の誰よりも自分が上手く天下を治められるということが分かりすぎるほど分かったからで、
一番野心的な意図は少なかった
秀吉が黒田官兵衛は警戒していたが、家康をあまり警戒していなかったのはそのため

755:人間七七四年
16/11/03 23:47:56.76 kspuN1zU.net
>>753
どの武将も天下目指すとかいう妄言を否定してんだよバーカ

756:人間七七四年
16/11/04 05:35:33.39 qvdkR5LK.net
家康をいろいろと叩くけど、
あの時代に日本という国をまとめることが出来たのは徳川だけだろ
他の大名だと、徳川ほどの卓越した管理能力は無いよ。
ましてや、豊臣に国の運営を任せるのか?
あの淀姫に?
足利政権のように、グダグタになるに決まってる。
今の時代にも続く日本という国の土台をしっかりとつくりあげたのは家康。
福沢諭吉に代わる次の一万円札は家康がいいよ。

757:人間七七四年
16/11/04 07:51:29.29 LSZQN2mA.net
>>756
何を根拠に?
全部お前の妄想ソースで語られてもな

758:人間七七四年
16/11/04 08:29:59.98 riQToLAU.net
>どの武将も天下目指すとかいう妄言を否定してんだよバーカ
大名すら挙げられないほど否定に成ってねーんだよバーカw

759:人間七七四年
16/11/04 09:08:55.78 SSNol6I2.net
<<757
大友、竜造寺、宇都宮、秋月、島津
毛利、宇喜多、十河、長曾我部
朝倉、北条、芦名、佐竹
鮭様こと最上、津軽、南部
こいつらは天下を目指してたのか?
天下(当時の概念で近畿だな)を目指してたのは
上杉や武田、織田くらいだろ。
徳川なんぞ、信長死後の絶好機ですら甲斐、信濃
みたいな田舎しか狙ってなかったじゃないか。
日本全国は「日の本」っていう概念だろ。
まあ無学なので適当なこと言うが「日の本」概念を
再発見したか発明したのは秀吉じゃないのか?

760:人間七七四年
16/11/04 11:06:48.04 T+d4d/w7.net
家康は本能寺の後に一応明智討伐の兵を挙げて上方へ向かっていたよ
尾張美濃伊勢で味方を増やそうと工作したけど思いの外誰にも相手にして貰えず
そのうちに秀吉が光秀を瞬殺して、火事場泥棒しようたってそうはいかねえぞと釘を刺されてしまったので
すごすごと引き揚げるしかなかったけど

761:人間七七四年
16/11/04 12:43:34.52 ag9GzNqH.net
>>756
それだな
戦国をしっかり終わらせられたのは家康以外になかった
でなければいつまでもグダグダとした世が続いていたわな

762:人間七七四年
16/11/04 12:43:58.80 ag9GzNqH.net
>>758
論点ずらしてごまかしたつもりになってんなバーカ

763:人間七七四年
16/11/04 15:40:41.65 OLYyEcNI.net
>>761
それを、豊臣家の家老でも、実行可能だろ?っ話に成るんでね。
まあ秀吉が考えた、大大名が相互牽制してバランス取るのは、常に微調整必要だしね。
普通に考えると、会津の蒲生氏郷より徳川家康が先に死ぬんでその後一族や重臣で分割とか
考えてたんでしょう。
丹羽長秀の死後、家老で豊臣家直参大名成った人いるし、家康死後もたぶん同じ事やるつもり
だったんでしょうね。
酒井や井伊、榊原、大久保あたり独立大名にするんじゃないかな?
そして、本家も秀忠と秀康で分割みたいな感じかな。
老年で天下取り考えると、死後に遺族が悲惨な目に合う話って意外と多いんよね。
家康も、関ケ原の翌年辺り死去だと、逆に憎悪が集中してお家滅亡だと思う。

764:人間七七四年
16/11/04 16:20:19.64 zBmOKPBg.net
その豊臣家の家老という家康の立場を否定した連中がこともあろうに豊臣政権の中枢にいて戦乱が起きたから
いっそのこと家康に直接天下の政務を任せたほうがよくね?っていう話になったんだよなあ

765:人間七七四年
16/11/04 17:19:58.95 riQToLAU.net
>>759 >>762
1州だから表だって天下を目指せないのと、
55州領有してても目指さないのとでは
全然次元が違うんだぞ ( ´,_ゝ`)

766:人間七七四年
16/11/04 18:14:49.90 o4xrUqYV.net
うつけ、猿、糞漏らしだったら糞漏らしが一番嫌だよね(´・ω・`)

767:人間七七四年
16/11/04 20:35:04.80 VoIC2DY1.net
>>763
豊臣家の家老って誰?五奉行のこと?
そしてその連中では無理だったから関ヶ原が起きたわけで

768:人間七七四年
16/11/04 20:36:11.18 VoIC2DY1.net
>>765
だからさあ
武家が全部天下ねらってた、なんて無いって話してるだけなんだがな

769:人間七七四年
16/11/04 20:41:26.56 HC6EgW1U.net
お前と同じで、逃げてばかりじゃ潰れるだけなのだが( ´,_ゝ`)?

770:人間七七四年
16/11/04 23:17:33.21 M1HtpnEw.net
>>748
よくぞ申した、よう言うた

771:人間七七四年
16/11/04 23:25:25.82 +qJhjEsQ.net
>>764
家康が豊臣家の家老ってのは無いよ。
豊臣家中に包摂された存在ではなく、従属してるとは言え独立した大名だな。

772:人間七七四年
16/11/04 23:32:58.71 o4xrUqYV.net
>>771
その理屈だと日本に主従関係自体が存在しない事になるわ

773:人間七七四年
16/11/05 07:37:26.48 GV2OjwcZ.net
>>772
いやいやお前さんの主従関係についての理解がおかしいだろ
例えて言えば江戸時代の大名は将軍家の家中ですと言ってるようなもんだ。


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