【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その20at SENGOKU
【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その20 - 暇つぶし2ch1:人間七七四年
16/08/15 17:20:03.88 Ot2ogyn2.net
徳川家・松平家とその家臣団まで包括する総合スレです。
炎上して無い関連スレは、過疎回避にこちらへ誘導願います。

【辞世の句】
人はただ身の程を知れ 草の葉の
露も重きは落つるものかな

人の一生は、
重荷を負いて遠き道をゆくが如し、急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし

前スレ
【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その19 [無断転載禁止]c2ch.net
スレリンク(sengoku板)

2:人間七七四年
16/08/15 17:38:15.92 3ZsqP27q.net
落ちないように書き込みしとくか。
徳川のそつのなさが勝ち
三成のぬるさが負けた

3:人間七七四年
16/08/15 22:13:41.52 gTxp9CRV.net
毎回スクロールさせられるテンプレが冗長何だわ <`ヘ´>

4:人間七七四年
16/08/16 01:11:22.27 5HeX7iJm.net
戦なき世を創るのも骨の折れることよ

5:人間七七四年
16/08/16 09:02:03.35 H8swdFJY.net
三英傑で、一番現代社会に適応できそうと言うか、
人間性が安定しているのは家康だよな。

6:人間七七四年
16/08/16 09:34:20.78 hKdkyk1o.net
話せばわかってくれる感が半端ない

7:人間七七四年
16/08/16 10:27:00.42 850kdcz0.net
とりあえず、話は何でも聞いてくれる。そうしないと情報が集まらないことを分かってる賢い男。

8:人間七七四年
16/08/16 14:53:35.34 SJNZfwzC.net
城の落書き以外の逸話あるの?

9:人間七七四年
16/08/16 15:24:21.37 Wlyom3nx.net
家康が浜松城にいたころの話。
家臣の一人が
「常々思っていたことをお諌めしたいと思い、書き連ねました。」
と言って家康に書を渡した。これを読んだ家康は大変喜んで
家康「その志、感心である。これからも諌めたいと思ったら
    遠慮なく申すがよい。」
と言ってその者を下がらせた。すると近くにいた本多正信が
正信「私もその諫言を見ましたが、取るに足らないことしか書かれておりません。
    殿が気にするようなことではないのではありませんか?」
と言ったところ家康は次のように述べた。
家康「それは違うぞ正信。過ちとは自分の知らぬ間に生じるものだ。
    私のような国主には諌める者が少なく、媚びへつらう者ばかりで過ちを正してはくれない。
    用いるかはともかく、私はあ奴の忠心が嬉しいのだ。」
その後、正信は嬉し涙を流しながら息子の正純にこの出来事を話したという。

10:人間七七四年
16/08/16 17:25:58.84 4tj1AD5T.net
>>9
くだらねえ作り話書いてんじゃねえぞボケ

11:人間七七四年
16/08/16 18:06:14.25 8KnFUTg5.net
>>10
新井白石「ぶっ殺すぞ」

12:人間七七四年
16/08/17 21:57:15.27 0++EmVGk.net
秀吉って3日普請とか墨俣一夜城とか中国大返しとか、数々の華々しい逸話があるのに、家康ってな~んにもないよねw

13:人間七七四年
16/08/17 22:06:53.23 tLNZ6F1M.net
あるけど地道が超長期安定政権の近道だっただけw

14:人間七七四年
16/08/17 22:12:01.45 wODYVF/f.net
>>12
×なにもない
○司馬遼が採用しなかった

15:人間七七四年
16/08/17 23:02:09.14 ZAShE7Bs.net
>>12
平凡な家康軍1万(+信雄軍1万)相手に10万の兵を率いながら土をつけられた秀吉www
政権を確立してから僅か30年で滅ぼされる秀吉www

16:人間七七四年
16/08/17 23:30:04.42 inRaBNcC.net
>>14
司馬遼って魏の軍師ですか?

17:人間七七四年
16/08/18 08:42:29.67 CL7y8Q8T.net
>>12
家康の逸話ならたくさんあるよ
おのれが生き残るためだけに、信長に命じられて最愛の妻と息子を手打ちにした冷酷非情さ
言ってることと腹の中がまったく違うという二枚舌のタヌキっぷり
豊臣を滅ぼした後は、百姓支配のために檀家制度を考案。武家諸法度、公家諸法度などを乱発して権力の一極集中をはかり、

18:人間七七四年
16/08/18 08:49:40.53 AUUbaDGS.net
釣り針デカいなwwwwww

19:人間七七四年
16/08/18 08:54:52.89 MYeBHbL5.net
結果>>17 みたいな社会の汚物まで生存できる社会なのになw

20:人間七七四年
16/08/18 10:26:45.24 CL7y8Q8T.net
>>18
>>19
涙ふけよw

21:人間七七四年
16/08/18 12:35:09.53 /13c5e40.net
>>20
笑い涙ですな

22:人間七七四年
16/08/18 12:42:15.46 INrMxzmL.net
家康に嫉妬か
大権現さまは心が広いからそれも許される

23:人間七七四年
16/08/18 13:07:32.92 SCOS96EI.net
甥っ子とその妻妾、子女皆殺しの猿に比べれば、権現様は人格者。
男子処刑は武家のならいでしょうがないが、妻妾と娘は尼にして許してやるべきだった。天秀尼みたいに。

24:人間七七四年
16/08/18 13:54:31.97 Vh6P5v2P.net
>>23
家臣が気を利かせて逃がしてくれたら・・・とは期待していたみたいだね、築山殿

25:人間七七四年
16/08/18 14:10:13.42 Vh6P5v2P.net
>>17
「信長に命じられて」というだけまだ好意的ですなw

26:人間七七四年
16/08/18 14:24:59.90 INrMxzmL.net
鶴殿不憫

27:人間七七四年
16/08/18 14:39:59.60 /gdFKX+c.net
秀吉みたいに功績を捏造する必要が無いから、
実在しなかった逸話が創られなかっただけか

28:人間七七四年
16/08/18 18:46:31.43 CL7y8Q8T.net
家康好きを公言しているアホは絶対に信用してはいけない。
必ずや寝首をかきにくる。
後々に禍根を残すことになる。
企業経営者どもは心しておけ

家康厨は絶対に信用するな

29:人間七七四年
16/08/18 20:06:24.01 8t35mA4o.net
家康がねつ造の自画自賛をやらなくてよかったは納得
たしかに自力すぎて秀吉の七本槍みたいにムリクリにでっちあげるネタは必要ない

30:人間七七四年
16/08/19 07:52:26.51 2FmivxxU.net
入社試験での面接
面接官  話は変わりますが、戦国武将で一番好きなのは誰ですか?
学生A  豊臣秀吉です
面接官  ほう、どんなところが好きなの?
学生A  底辺からグングンとのし上がって行ったバイタリティーです。僕も見習いたいです
面接官  Bさんは?
学生B   徳川家康です
面接官  それはなぜ?
学生B   どれだけ虐げられようが、いつか天下を取るためにじっと我慢して耐えてきたからです。僕もいつか社長になって僕を馬鹿にしてきた連中を粛清してやります。皆殺しにしてやりまふ
面接官  ………

31:人間七七四年
16/08/19 09:11:15.12 tjDRuOnZ.net
信康処断は家康の独断、むしろ家康の方から信長に
『信長さんにとっては婿だけど始末するよ、宜しくね』的な確認を入れてると。

32:人間七七四年
16/08/19 13:04:19.33 yKMm/VEB.net
>>30
完全に、虚構を史実だと信じ切ってるね
粛清しまくりは秀吉の特性だ
洗脳って怖いわ

築山殿粛清は家康の命令じゃなかったことが史実だしな
反岡崎派の家臣が、飽くまで信康擁護を主張する築山殿が障害になると判断し、
気を回し過ぎて独断で殺害した
家康は報告を受けて、何も殺さなくても、尼にでもすれば良かったと愚痴ることになった
あらかじめ出家させると公言しておかなった落ち度があり、後の祭りだが

33:人間七七四年
16/08/19 14:52:37.33 /mYCQ4Ji.net
秀吉好きって例の無知な愛国防衛論の人やアンチ徳川史観(を建前にした秀吉ageの似非)学者のせいで歴史をオモチャか何かと勘違いしている節がある
誰とは言わんがこのスレにも常駐している奴とか
そうで無ければ秀吉の唐入りがスペインからの防衛戦争であるという説や秀次粛清が秀吉の本意でなくて秀次自ら切腹したという学術を冒涜した説は出さない

34:人間七七四年
16/08/19 15:08:32.34 3G/j4tne.net
>>30
こんな無知が連続したら、
そりゃ面接官も絶句するわ

35:人間七七四年
16/08/19 16:37:06.46 2FmivxxU.net
>>34
無知は家康厨のほうなんだがな

36:人間七七四年
16/08/19 16:41:19.22 YWBRQCXj.net
秀吉信者は必死だな
つか面接でこんなつまらん質問する面接官は解雇だな

37:人間七七四年
16/08/19 17:50:26.88 iGiceh2b.net
>>33
万が一、自ら切腹したとして追い込んだのは秀吉と周りの連中である事に変わりはない。
妻子に至るまで惨殺刑だしな。

38:人間七七四年
16/08/19 18:32:21.32 3G/j4tne.net
日本の朱元璋、日本のスターリンとも言われる秀吉だからね、
そらもう連座の名目で殺すのは息をするよりた易い

39:人間七七四年
16/08/19 19:10:38.02 2xjj6PbA.net
もう一声、日本の毛沢東!

40:人間七七四年
16/08/19 19:12:43.31 YWBRQCXj.net
秀吉がよくもまあ秀次を殺生関白と言えたもんだよな
あ、もしかして摂政関白と言いたかったのか

41:人間七七四年
16/08/19 20:39:20.71 +7CNqKxm.net
豊臣好きならわざわざ徳川スレで無知晒してないで
こっちで語ってくれないかな
【秀吉】豊臣家総合スレ【秀頼】
スレリンク(sengoku板)l50

42:人間七七四年
16/08/19 20:52:31.79 2FmivxxU.net
日光東照宮に豊臣秀吉が祀られるようになったのは明治になってからです。

元々秀吉は、その死後、豊国大名神として豊国神社(京都東山の阿弥陀ヶ峰)に祀られましたが、大阪夏の陣で豊臣家が滅亡した後、家康の命で、豊国神社は廃されました。
それが、明治になって豊国神社が再興されたときに、東照宮にも配祀されるようになったそうです。
(残念ながら理由まではわかりませんが)
多分、ご存知だとは思いますが、日光東照宮にはもう一人、源頼朝公も配祀されています。

43:人間七七四年
16/08/19 20:53:26.45 2FmivxxU.net
秀吉と頼朝に踏んづけられている家康www

44:人間七七四年
16/08/19 21:11:42.04 hbqvHqDT.net
東照大権現の三位一体の残りの二柱は山王権現と摩多羅神だが、
秀吉を山王権現、頼朝を摩多羅神とすることは、江戸時代に行われている
URLリンク(crd.ndl.go.jp)

45:人間七七四年
16/08/19 21:43:20.30 VNJfi+Nv.net
>>10
ほんまの話だ

46:人間七七四年
16/08/19 21:44:36.71 VNJfi+Nv.net
>>12
堅実で派手さがないからこそあんな長期政権が出来た

47:人間七七四年
16/08/19 21:45:48.26 VNJfi+Nv.net
>>17
武家諸法度は自分の身内にも厳しかったんだぜ?忠隣しかり忠長しかりね

48:人間七七四年
16/08/19 22:03:40.58 N+Dh2SYJ.net
身内に優しい法とか崩壊するからw

49:人間七七四年
16/08/19 23:16:57.64 tjDRuOnZ.net
>>44
へえ、知らなかった。

50:人間七七四年
16/08/19 23:29:16.77 /mYCQ4Ji.net
>>42
家康公・源頼朝公と来たなら残り1枠は足利尊氏公だろ
征夷大将軍開祖専門にして欲しいわ
我が子(托卵っ子)可愛さで関白殿下を切腹に追い込む山猿は六条河原にでも晒してどうぞ

51:人間七七四年
16/08/20 06:30:07.92 lSOohiR2.net
家康は東照宮で草履取りでもやらせるのがいいだろう
信長、秀吉、秀頼を祀るべき

52:人間七七四年
16/08/20 06:48:58.83 SOankVY2.net
方広寺に再度祀られてたんだろう?

53:人間七七四年
16/08/20 07:53:08.84 kF7Trxk9.net
山王権現を秀吉に比定する行為は、秀吉の幼名が日吉丸とか猿に似ているという
江戸時代の認識が影響していると思われる

54:人間七七四年
16/08/20 09:54:25.72 bWnE/cWY.net
信長も草履取りの禿げネズミなんかと一緒に祀られるとか拷問の屈辱だろうな

55:人間七七四年
16/08/20 10:17:12.20 adQBhkDf.net
むしろ秀吉と秀次を一緒に祀るべきだろう
それか秀吉を鼻塚に祀るのもいい

56:人間七七四年
16/08/20 10:20:44.98 /WXxl6qe.net
秀次公が可哀想

57:人間七七四年
16/08/20 13:05:31.72 RHg9bSyl.net
捕虜になった孕石元泰を家康が切腹させた理由を
古い怨恨とするのは、何が初出?
何か別の理由があって切腹を命じたのに、
後世の執筆者が古い怨恨にこじつけた可能性を疑ってみたのだが

58:人間七七四年
16/08/21 15:28:15.46 NVtsDHxU.net
俺もちんこは勃たないが乳首はすぐ勃つんだが…
そんなにやばいのか?

59:人間七七四年
16/08/21 15:29:09.10 NVtsDHxU.net
誤爆したすまん

60:人間七七四年
16/08/21 16:14:16.14 wopxAADX.net
晩年をエビ食って死んで汚したウンコジジイw
日本人に人気がないウンコジジイw
デブで陰湿でウンコ漏らしなウンコジジイww

61:人間七七四年
16/08/21 16:57:34.33 BvrlQgAz.net
>>60
それ全て間違ってるんだが

62:人間七七四年
16/08/21 17:34:16.94 zeTild0l.net
>>60
家康公にご先祖の誰かがやられたんだろう。

63:人間七七四年
16/08/21 18:27:17.24 zVvswoIe.net
家康と浜松に関する虚実
・浜松という地名を創ったのが家康とする謬説
平安時代には既に浜津(はまのつ)という地名があり、鎌倉時代には浜松に変化していた
家康が「曳馬城」を基に「浜松城」を築城したため、城の名前が改名されたに近い状況が起きた
そこから「城名の改名」→「地名の改名」にすり替わったと考えられる
世俗の者たちによる単純な勘違いが原因であろう
元々は曳馬という領域の中に浜松という限定的地域が含まれていたようだが、
家康の影響で浜松の城名が有名になり、「浜松」がより広範囲を指すようになった
後に浜松と呼ばれる領域の中に曳馬という限定的地域が含まれるという、逆転現象が起きている
・遠江の支配拠点の計画変更についてのおかしな説明
家康が遠江の過半を手に入れ、本拠移転を計画した際、
遠江国の政治経済の中枢である見付の至近地点に築城を始めたことくらいは広く知られている
しかしその築城は間もなく放棄され、曳馬城を基に浜松城を建て、こちらを本拠にした
その理由として、天竜川より西を本拠にすることで、武田軍が東から侵攻して来た場合に孤立し難い、
などといった理由になっていない説が出回っている
これでは単に、見付付近の予定地に対し、浜松を本拠にした場合の利点を述べただけだ
見付付近の予定地で、水の手の確保に失敗したことに触れないことがおかしい
井戸を掘ってみたものの、水が出なかった。籠城戦に使えないという致命的問題で放棄したのだ
・浜松城が出世城と呼ばれる所以
浜松を本拠にした家康が出世したから、という謬説が出回っている
「浜松城は出世城という異名を持っている」という話だけを聞いて、
家康が浜松で出世したのだと、実に単純に誤解したものと考えられる
実際には江戸幕府時代、浜松城主を務めた経験がある大名は幕府において
高い地位に昇進することが多かったことが、異名を得た理由だ

64:人間七七四年
16/08/21 20:52:16.98 0LIES4n3.net
屁理屈野郎が

65:人間七七四年
16/08/21 21:19:07.65 3hHwNWo5.net
>>63
天竜川より東の磐田見付に築城すると甲州より武田軍から攻められた時に背水の陣になってしまうんだが。
天竜川より西の浜松を居城にするは至極当然。

66:人間七七四年
16/08/22 02:15:28.12 jxPIR2rY.net
>>42
頼朝は、三河にあった自身の母方の菩提寺の僧を日光に送り込んだ

■日光山
源頼朝がその母方の従兄弟を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた

源頼朝
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→娘(由良御前)→源頼朝

母方の従兄弟
寛伝
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝

67:人間七七四年
16/08/22 12:25:03.24 corbc9/J.net
高野山 弘法大師
比叡山 伝教大師
日光山 ?

68:人間七七四年
16/08/22 12:54:23.27 BWW0WHQr.net
東照大権現。
大権現って仏教由来なんだってな。
家康を神道由来か仏教由来の神様にするか迷った時、秀吉は神道由来の神様になって豊臣家が滅亡したんで縁起悪いと天海の鶴の一声で大権現に決まった

69:人間七七四年
16/08/22 13:01:32.19 MD379cLQ.net
>>67
勝道上人

70:人間七七四年
16/08/22 13:30:23.78 corbc9/J.net
>>69
聞いたことねえな
無名だろ

71:人間七七四年
16/08/22 13:31:38.71 corbc9/J.net
>>68
天海て天台宗のクソ坊主だろ
比叡山が廃れてるのはあいつが徳川の味方したからだぞ

72:人間七七四年
16/08/22 15:38:16.51 KAO7sp0v.net
酒飲んで肉と女食いながら
政治に口出す坊主とか、
滅ぼされて当然だけどなw

73:人間七七四年
16/08/22 15:41:12.70 I0BqWN3I.net
>>65
お前さんは背水の陣の意味を知らないだろ
見付は天竜川の川岸にあるわけではなく、背水の陣にはならない
そもそも家康には、天竜川を勢力境界線にする意図はない
高天神の小笠原や掛川の石川家成は捨て石ではない
三方ヶ原の敗戦時、浜松城の城門を閉じさせなかった酒井忠次の方針を
空城の計などと寝惚けたことを言う抜作がいるが、
熟語の意味を知らずに誤用する輩にはほとほと呆れ果てる

74:人間七七四年
16/08/22 16:28:48.93 KAO7sp0v.net
収容するだけなら開いとく必要無いだろ?

75:人間七七四年
16/08/22 16:32:13.05 MD379cLQ.net
>>70
そりゃ奈良・平安時代の人だが、畿内には一度も出向いていない関東の僧だから、
殆ど当時の記録が無い
URLリンク(renbutsuken.org)

76:人間七七四年
16/08/22 21:31:42.61 HkeZL+UY.net
>>73
いやいや川岸にあるわけじゃないが同盟を結んでる織田が援軍で来るにも見付にあったじゃ天竜川は邪魔になるし
浜松に居城を構えてれば信濃から攻めるしかなく織田の援軍が対応出来るだろ?
援軍が来ればの話だが。
掛川、高天神が重要拠点ってのも知ってる。
ただ浜松に居城するのと磐田見付に居城を構えるのじゃ全然意味合いが違ってくる。
掛川→高天神→横須賀城と北から南の海まで一直線に繋がってるからな。
そこから海路を使って浜松まで行く。浜松に居城すれば天然の外堀みたいにならないか?
だけどいずれも織田の援軍が来なきゃ話にならない。

77:人間七七四年
16/08/22 21:37:18.46 OKxsNoJt.net
>>75
そういうのを捏造と言いますよ

78:人間七七四年
16/08/22 22:01:44.43 MD379cLQ.net
>>77
まぁ日光の信仰は古すぎて具体的に誰がとは言えないのは事実
ただし勝道上人が中禅寺(山号:日光山)を創建したのは、当時の空海の記述から確認できる

79:人間七七四年
16/08/23 07:57:12.49 WPf8Kvn5.net
>>71
確かに
高野山はすごい人だったけど、比叡山はそうでもなかったな。
お堂も比叡山は手入れがされてないというか。
豊臣に肩入れした高野山、徳川についた比叡山。

80:人間七七四年
16/08/23 13:28:46.75 95yPYncj.net
>>76
横須賀に城を築いたのは、高天神を武田に獲られた後だ
前提が成り立っていない
>(天竜川が)天然の外堀みたいにならないか?
ならない
東方からの渡河を妨げる防衛施設の建設もしていない
そんな構想も意図もない
見付を本拠にした場合にもメリットとデメリットがある
浜松を本拠にした場合にもメリットとデメリットがある
家康本人が見付から浜松に計画変更した理由を述べたわけでもないのに、
後世の素人が見付のデメリットと浜松のメリットだけを並べて、
家康には戦略観が欠けるとバカにするのは許し難い
当時の技術では実際に掘ってみなければ判らない、
井戸が確保できるかの問題を無視して大衆を騙そうとする意図も気に食わん

81:人間七七四年
16/08/23 20:41:39.98 dr4YNI6M.net
>>80
史実であるんだぜ?小和田さんが言っているが元々見付は今川の国府があった所。
その頃信玄と同盟を結んでいた家康は見付に国府を置こうとするが同盟がきな臭くなってきた。
当時の天竜川は暴れ天竜と言われしょっちゅう氾濫していた天然の外堀みたいなもんで天竜川の東に国府を置けば必然的に背水の陣になるが西に置けばやは何もしなくても天然の外堀になるよ。
同盟の織田も対応出来る。
至極常識だと思うが?
三方原の戦いじゃ援軍が来なかったんで大敗を喫したが命までは取られなかった。
それは信玄は信長と家康が同盟を結んでいるのを知っていたから深追いをせず上洛しようとしたからだよ。
とにかく家康が見付から浜松に築城をやり直してるのは事実だからな。

82:人間七七四年
16/08/23 22:55:40.86 Hblj3r7Q.net
大河の「内府だいふ」ってのがすげー違和感あるんだけど
この数年で読み方の定説変わったの?

83:人間七七四年
16/08/24 00:03:45.22 OYFCgZRS.net
家康が「大府」と署名してる書状があるから「だいふ」で確定だとか

84:人間七七四年
16/08/24 00:09:55.05 OYFCgZRS.net
追記すると慶長5年8月26日付け村井長頼宛て家康自筆書状に「大ふ」と見える

85:人間七七四年
16/08/24 04:21:32.42 GHYX6uy6.net
内裏をダイリと発音するからかね

86:人間七七四年
16/08/24 05:34:34.71 Ps/Sw077.net
内府をダイフと発音するのはいいんだけど、
内大臣をダイダイジンって発音してたの?

87:人間七七四年
16/08/24 05:57:10.90 339TqZpi.net
ずっとナイフドノと思ってたんだが。

88:人間七七四年
16/08/24 06:20:55.82 2mxy2j/0.net
内大臣はナイダイジン
内府になるとダイフ

89:人間七七四年
16/08/24 06:42:16.54 Ps/Sw077.net
>>88
なるほど、分かったよ。

90:人間七七四年
16/08/24 08:37:17.12 C0WmTAfr.net
バカヤロー、タヌキ野郎でいいんだよ

91:人間七七四年
16/08/24 09:22:51.85 BWDgNDr1.net
アレって太政大臣の事じゃないの?

92:人間七七四年
16/08/24 10:54:57.45 346ZwJRT.net
律令制度下の内大臣の唐名が内府(ダイフ)
明治憲法下の内大臣の通称が内府(ナイフ)
ってウィキペディア先生に書いてあった

93:人間七七四年
16/08/24 12:29:07.46 6QiDoKJl.net
ダジョー大臣は最高位だろ

94:人間七七四年
16/08/24 17:46:16.44 TAKJ9Z0M.net
デジョーデージンよりも偉い人は、居る

95:人間七七四年
16/08/26 17:42:23.89 /AvsMyk1.net
制度上はともかく実質的には折檻やshow軍はダジョーデージンよりエローなってしまったな

96:人間七七四年
16/08/26 18:00:47.66 o/2HysKZ.net
徳川家康は、信州松代に酒井家次、伊勢桑名に本多忠政、上州館林に榊原忠次、江州彦根に井伊直孝、磐城平に鳥居忠政、
大坂に松平忠明、大和郡山に水野勝成を配し、主に西国と伊達、忠輝に絶対の睨みを利かせた状態で、安堵して冥府に参ったのであった

97:人間七七四年
16/08/26 18:07:34.18 zvmz17GA.net
官位は正とか従とか増やしすぎだよな

98:人間七七四年
16/08/26 21:57:51.21 /d3rWC2q.net
古地図何て見てても
石高が10倍とか違う大名と旗本が
同じサイズの屋敷ばっかが不思議でしゃあ無い。

99:人間七七四年
16/08/27 09:26:00.95 s/JW/Jrr.net
家格としては同格ですし

100:人間七七四年
16/08/27 10:19:47.13 f2tb6Bj6.net
つまり財力的にも数倍とかだから、
旗本屋敷は人もまばらで
大名屋敷は窮屈って事?

あと飛び地だらけなのもデフラグしろと思う。
薩長土肥何て、10万石ずつくらいで東西北に分けるべきだった

101:人間七七四年
16/08/27 11:20:43.75 5VHbxWqX.net
>>100
最果ての薩摩は無理だろうが、毛利は関ヶ原後の減封で飛び地にできたかもな。

102:人間七七四年
16/08/27 13:37:54.46 9+1uck01.net
>>100
「土」の土佐は、関ヶ原時に東軍に属した山内に与えた領地
分割する理由はない

103:人間七七四年
16/08/27 19:25:21.61 7vilr8mP.net
>>81
あんたの文章力が低すぎるため、小和田さんが何を言ったと言いたいのか判断がつかないが、
反論の前提となる知識があやふやで、いろいろ間違っている
もともと見付は”今川とは無関係に”遠江国の国府だった
飛鳥時代に律令制が固まり始めた時からだ
街自体は更に古く、少なくとも古墳時代には成立していた
今川が遠江を実効支配した折、今川分流の堀越家を見付に派遣し、
一時的に遠江支配の中継拠点にしたことがある
が、花倉の乱で堀越家が支持した玄広恵探が敗れ、堀越家は没落する
乱に勝利した義元は堀越家を信用せず、遠江支配の中継拠点を二俣に移した
この後しばらく見付の政治的重要性は下がり、見付の経済を司る町衆は自治を行なうことになる
家康が遠江の過半を手に入れた時には見付の近くの丘に築城を試みているため、
見付を直接統治下に置きたかったのかもしれないが、結局放棄し、見付は町衆自治が続く
で、天竜川は見付にとって背水の陣にはならないと既に説明されているし、
浜松にとって天然の外堀にもならないと既に説明されている
まるっきり理解できずに間違った主張を繰り返すのは、あんたの知能が足りないからだろう
三方原の戦いでは武田軍は「深追い」し、追撃部隊は浜松城の堀まで迫った
家康が命を落とさなかったのはギリギリの事態を切り抜けることに辛うじて成功したためで、
武田軍が深追いしなかったからではない
前提となる知識も無く理解力も無いあんたが、知識量がはるかに上の相手に向かって
反論を試みようとするのは非常に滑稽だ
普通に言えば、あんたがしゃしゃり出る幕じゃないということになるが、
つべこべ言う度に恥の上塗りをしたい願望があるのかもしれないため、一概には言えない

104:人間七七四年
16/08/27 19:57:20.00 0UlwKN3/.net
>ギリギリの事態を切り抜けることに辛うじて成功したためで
これ何の事?

105:人間七七四年
16/08/27 21:22:16.64 7vilr8mP.net
>>104
武田軍の追い討ちから逃げ切ったこと
家康自身に馬術や騎射の技量があったことで、
至近に迫った敵将兵の何人かは自分で退けた
大将自ら武器を振るわざるを得ないのは、結構屈辱な状況
家康の身辺警護に付いていた成瀬正義、
退路確保のためにやや後方で待機していた夏目吉信らが
追撃隊を足止めするために踏み止まり、討ち死にしている
石川数正みたいな分隊司令官級の重臣まで踏み止まった(石川は生還した)

106:人間七七四年
16/08/27 21:48:33.30 iQaknCsh.net
そもそも話が噛み合っていないと思われる
>>63から論点になっているのは
「家康が遠江を手に入れてからの拠点移動計画を見付から浜松に変更した理由として、
 天竜川の都合が挙がっていることがおかしい。
 見付だと天竜川が背水の陣になるという事実はないし、
 浜松だと天竜川が天然の外堀になるという事実もない」
であることに対し、>>81は論点を
「家康が拠点移動計画を見付から浜松に変更した事実は無い」と
まるっきり読み間違え、的外れな主張をしているのだろう
>とにかく家康が見付から浜松に築城をやり直してるのは事実だからな
この文は、論点が何であるかを完全に読み間違えたとすることで説明がつく
>史実であるんだぜ?
これも、家康が拠点移動計画を見付から浜松に変更した史実を、疑義提唱者である>>63を含めて
当たり前に知っている事実だが、>>81>>63らがそれを知らないと勘違いして、
得意気に教えているつもりになっていると思われる
>>63を読めば、その常識レベルの前提は抑えていることが判るはずだが、
>>81は読解力に欠けるため、それすら判らなかったことが明らかだ
小和田さんが言った内容も、家康が拠点移動計画を見付から浜松に変更した件のことだろう

107:人間七七四年
16/08/28 17:54:27.63 z2fyv2aE.net
556 人間七七四年 sage 2014/08/27(水) 03:30:11.00 ID:zytWZCIy.net
この人は最終的に天下とった人だから悪い逸話が少ないよな

108:人間七七四年
16/08/28 17:55:24.29 z2fyv2aE.net
37 人間七七四年 2012/06/02(土) 23:37:40.97 ID:4ynoTn2B
信長:自分を甘えさせてくれる女性を好む
秀吉:名家の娘などブランド志向
家康:手間のかからない健康な女性を好む
44 人間七七四年 2012/06/14(木) 18:52:11.62 ID:BQ1uAtf3
信長:いやし系
秀吉:ブランド志向
家康:健康派タイプ
「功名が辻」の説明より

109:人間七七四年
16/08/28 17:55:51.14 z2fyv2aE.net
お梶 1590(13才) 家康(49才)の側室となる
お万 1594(15才) 家康(53才)の側室となる
お夏 1597(17才) 家康(56才)の側室となる
お梅 1600(15才) 家康(59才)の側室となる、のち本多正純に譲られる
お六 1609(13才) 家康の側室・お梶の方の部屋子となる、のち家康の側室となる
--------------------------------------------------
高台院
豊臣秀吉の正室。名は一般的に「ねね」とされる。
永禄4年(1561年)8月
織田信長の家臣・木下藤吉郎(豊臣秀吉)に嫁ぐ(通説では14歳)
--------------------------------------------------
芳春院(ほうしゅんいん、1547年 - 1617年)
加賀国(石川県)の大名前田利家の正室。
名はまつ
1558年(永禄元)、12歳で利家に嫁ぐ。

12 ななしのいるせいかつ 2010/01/28(木) 09:15:11
むかしの殿様の気持ちがよくわかる。
14,15で側室にし、20過ぎればお払い箱。家康の周囲には常に15,6の女性がいた。

110:人間七七四年
16/08/28 18:23:59.69 tLDbQvG1.net
秀吉は出自があれなんで品がないというか常にバカにされてないか劣等感の塊だった。
家康はねぇ。家臣のいうことに耳を傾け反抗勢力の首謀者は処刑したけどその子供まで殺すことはなかった。
戦国時代じゃ甘いというか優しいというか。

111:人間七七四年
16/08/28 21:14:37.15 wuavMm7q.net
普通に取込んで忠臣化したのとか多そうなのに
目立つ重臣居ないのが不思議。
さすがに譜代重視なのか?

112:人間七七四年
16/08/28 21:17:59.26 4TXFd7Vy.net
真田丸のクソ家康がいよいよ本性発揮してきたなw

113:人間七七四年
16/08/29 11:12:40.57 t9Hholya.net
>>109
お梶(13歳)、お六(13歳)は、就労した年齢だぞ
側室になった年齢は分かってないのか?

114:人間七七四年
16/08/29 15:56:59.27 fumJUwUm.net
真田丸は役者が良いだけで、脚本は天地人や江レベルだから

115:人間七七四年
16/08/29 20:45:36.85 RFVVUrlw.net
ぶっちゃけ戦国「風」ドラマだったら
暇潰しに2度見するわw

116:人間七七四年
16/08/31 14:51:37.85 JCxHWAr8.net
>>111
取込まれて忠臣化した重臣として目立つのは藤堂くらいか
関東時代までに得た人材や、その子孫たちで地方政権のスタッフが揃い、
それを全国政権運営版にまで拡大可能な行政機構へと整備していたからな
はっきり言って、関ヶ原以降に従った外様は抜きでも動くシステム

117:人間七七四年
16/08/31 15:11:51.52 VLN40qRm.net
三河家臣団に、今川、武田、北条の遺臣でほとんどまかなえたな。

118:人間七七四年
16/08/31 16:09:58.70 ZiHhzPMV.net
側室の実家くらいしか思い付かない
太田や三浦とか?

119:人間七七四年
16/08/31 16:26:44.96 JCxHWAr8.net
北条旧臣からの最大手は北条氏勝の家系だろう
関東再編時に一万石の(徳川麾下)大名として再スタートしている
他は旗本級か

120:人間七七四年
16/08/31 19:56:14.41 J082zMAk.net
皆川氏も1万石スタートやね。北条旧臣つか半独立国人だけど
大名や大名まで出世した旗本で今川武田北条旧臣だとぱっと思い浮かぶのは
井伊
奥平、菅沼、依田、諏訪、真田、伊那小笠原、保科、岡部、土屋、屋代、木曾、柳沢、八王子大久保
玉縄北条、皆川、太田、秋元、加々爪

121:人間七七四年
16/08/31 20:16:26.08 J082zMAk.net
穴山武田、紀州附家老久野家、水戸附家老中山家とかも大名クラスか
高家今川品川武田なんてのもいるし

122:人間七七四年
16/08/31 20:33:06.75 63u07Kd6.net
北条系は陪臣が多かったので、結果的に関が原後の大拡張にも対応できた

123:人間七七四年
16/08/31 21:03:55.07 ZiHhzPMV.net
秀吉晩年の政治は万人恐怖

124:人間七七四年
16/08/31 21:45:03.20 EhhAGkZM.net
伏見の徳川屋敷って、
どのくらいの兵が常駐?
250万石と50万石が同程度とか無いよね?

125:人間七七四年
16/08/31 21:57:56.09 JCxHWAr8.net
そりゃあ250万石と言っても、そこから部下に分与してるのだから
徳川家自身の取り分は100万石あるか?くらい
大名の格で警備兵の数が違うだろうという話かな?
伏見の徳川屋敷の警備は本多忠勝とか平岩親吉といった
大身譜代の兵が交代で務めてた
一定しないものと思われるが

126:人間七七四年
16/09/01 11:13:55.63 jeDD6Xdg.net
伏見の徳川屋敷の警護担当は、
井伊直政、本多忠勝、榊原康政、平岩親吉、石川康通の
持ち回りだったようだ

127:人間七七四年
16/09/01 11:43:01.37 yhFF5Kg1.net
で、榊原康政が大谷刑部と協力して宇喜多家騒動の調停に携わり始めたらと知るや、
もっと騒動を煽りたい家康は交代名目で康政を江戸に戻してしまったと

128:人間七七四年
16/09/01 12:02:54.63 jeDD6Xdg.net
>>127
とても悪意を込めた見方ですな
宇喜多家の調停が済んでいないことを口実に、
任期を過ぎても伏見に残留していた康政は、
自領の政務に支障を来たしていた
家康は、領地での仕事に早く進めろと、康政を国許に帰した

129:人間七七四年
16/09/01 12:08:50.29 3ZvXW/gj.net
宇喜多は、大老のくせに自国で内紛起こして調停して貰う時点で情けない。

130:人間七七四年
16/09/01 12:42:09.99 jeDD6Xdg.net
>>129
自国でというか、「宇喜多家」という組織内での揉め事という意味ならば、その通りだが
緊急を要する事件の発生場所は大坂
秀家寵臣・中村次郎兵衛に反感を抱く連中が、
次郎兵衛が拠点にしていた大坂の宇喜多屋敷を占拠。次郎兵衛は脱出する
秀家がカウンターアタックを仕掛けるべく備前から自軍を大坂へ出動させようとする
という、かなり物騒なことになった事件だ
自分では事態を収拾できないと判断した大谷刑部(榊原康政の協力が継続していても無理だろう)は、
家康に調停の引き継ぎを依頼し、結局家康が収めた
調停に着手した康政が途中で手を引いたのは家康の陰謀だとか、
康政は事態を収めた場合に貰える謝礼が欲しくて関わっていると風聞を流したといった、
家康に対して悪意を持った俗説が創られたが、史実ではない
司馬遼太郎は家康に対して悪意があるため、嘘と知っていながらも、
わざわざこういった俗説を小説に採用している

131:人間七七四年
16/09/01 14:59:36.97 q/D8BtBY.net
先祖が家康みたいなキモ豚ペド腹黒ジャンキーの家臣だったという恥ずべき過去を隠滅したいです(´・ω・`)

132:人間七七四年
16/09/01 15:03:01.69 yhFF5Kg1.net
>>130
申し訳ない。まさに「覇王の家」の説を鵜のみにしていた

133:人間七七四年
16/09/01 15:06:49.65 CL0LzVRD.net
秀家の能力不足が招いた、大坂が市街戦に巻き込まれかねない緊張を家康が解決してやっても、
宇喜多家の弱体化を狙って騒動を煽りたかったとか、捻じ曲がった解釈をしてみせるのが
アンチ家康のクオリティ

134:人間七七四年
16/09/01 15:23:22.21 r6zezRbW.net
家臣を切腹させず他家預かりに留めたのが秀家を抑えようとする家康の姦計とか言われるけど、
切腹レベルの大事になったら秀家ちゃん五大老追放モノだってことわかってるのかなあ……

135:人間七七四年
16/09/01 15:54:34.45 BPl2mksk.net
大老の中でも最も豊臣家に近い秀家公を追放なんて出来るわけないっしょ
それこそ家康の専横と叩かれて自分の方が追放されますわ
だから腹黒タヌキは宇喜多家を潰したくても出来ずに緩い処分に甘んじるしかなかったのです

136:人間七七四年
16/09/01 15:58:03.40 3ZvXW/gj.net
大老で最も豊臣家に近いのは徳川家だな。
家康が秀吉の妹婿、秀忠が淀の妹婿、千姫が秀頼の婚約者

137:人間七七四年
16/09/01 16:23:58.42 KCPF+x/1.net
所詮泳いでくるなんてできもしなかった甘ちゃん秀家
叶わずとも本当に山を越えて参った佐々の根性を見習え

138:人間七七四年
16/09/01 16:41:48.85 3ZvXW/gj.net
秀家、泳いでとは言わんが、後醍醐帝のように脱出する手だてもあったろう。

139:人間七七四年
16/09/01 19:24:51.35 r6zezRbW.net
>>135
秀家ちゃんにそんな権威があったら秀家の主張した謀反人全員厳罰が通ってるわ

140:人間七七四年
16/09/01 19:46:56.08 CL0LzVRD.net
事件当事者への処分が甘いか厳しいかの問題を、
宇喜多家の権威やら家格とかに転嫁しすぎじゃないの?
中村次郎兵衛などの至極限定的家臣に利権を集中させすぎた秀家に対する憤懣とか、
当事者の言い分にどれほどの正当性が認められるかの判定が重要でしょうよ

141:人間七七四年
16/09/01 22:13:09.07 SGMQD09s.net
>>130
なんで嘘やとわかるん?
見てきたんか?

142:人間七七四年
16/09/01 22:24:02.32 lJuDHG6N.net
どや顔でwiki丸写しw

143:人間七七四年
16/09/02 13:33:01.11 qyz+zbho.net
>>141
大阪史観丸出しの発想だから100%純粋な嘘だと確定

144:人間七七四年
16/09/02 16:01:34.74 TcJiLSQY.net
>>143
司馬遼太郎とお前みたいなアホのどっちが正しいか、聞かれるまでもないわなw

145:人間七七四年
16/09/02 16:14:05.98 ymNpt+TW.net
必死やね

146:人間七七四年
16/09/02 17:30:16.98 wX+NtGat.net
シバリョーが言ってるんだから、だからホントにキマってるんだから
とでも言ってろ

147:人間七七四年
16/09/02 20:13:19.07 qyz+zbho.net
大阪人を喜ばすためなら嘘逸話でも採り入れて小説という虚構エンターテイメントを製作する司馬
各逸話を分析して真偽を明らかにしたいだけの2ちゃねらー、という
特定の逸話に対するスタンスの違いのはずが
どっちが正しくてどっちが間違ってるかの問題に、
いつの間にかすり替えるとは…
論点がどこにあるのかをまるっきり理解できない阿保だったようだ

148:人間七七四年
16/09/02 20:41:39.24 dKSbma+C.net
司馬リョーは池波のようなエンターテイメントにならなかったよな
単に史実であるかのように誤解されてしまった
創作としてはむしろ残念な部類

149:人間七七四年
16/09/02 21:56:03.76 TcJiLSQY.net
徳川家康は太閤殿下の遺命を踏みにじる大悪人と成り果てましたw

150:人間七七四年
16/09/02 22:04:37.35 lNejkM96.net
>>149
太閤殿下が死んですぐに遺言無視した大老と奉行衆が5名程いるらしいですね

151:人間七七四年
16/09/03 10:25:19.62 kc4pl+SA.net
誰も守れないような遺命をのこした秀吉が悪いだろ
いつまでも自分の思い通りにしたかったら、
いつまでも生きているしかない

152:人間七七四年
16/09/03 10:55:54.77 C8UO59QV.net
猿が総見公様の後子孫にした仕打ちに比べれば可愛いもの。

153:人間七七四年
16/09/03 14:31:26.17 tnQrrXe/.net
>>151
ほんそれ
遺勅として守るほどの義理もない

154:人間七七四年
16/09/03 15:04:40.68 UD80X1xW.net
そもそも秀吉自体が織田家を騙して乗っ取ってつかんだ天下だからな。
こんな奴の遺言なんて守る義理は無いw

155:人間七七四年
16/09/03 16:20:35.45 tvXmdHy7.net
三法子が成人した暁には全政権を返上すると、
秀吉自ら言ってのけた約束は守ったんかね?

156:人間七七四年
16/09/03 16:57:49.59 0d2QYlSy.net
5万石(上位2割?)くらいの大名としてなら残したわけだしな♪

157:人間七七四年
16/09/03 17:47:38.04 UD80X1xW.net
本能寺の変で一番得をした奴が犯人w

158:人間七七四年
16/09/03 17:56:42.64 ISDjbk3r.net
秀信には故信長の拠点だった岐阜に13万石を与え、中納言に進めた。
信雄、信包は改易。

159:人間七七四年
16/09/03 18:57:29.37 RRXJd4fI.net
信雄やら信長弟は最終的にうまくたちまわったと思う
へたに秀吉に反目しても普通につぶされる
そこはもう自分の立ち位置をよく理解して御伽衆としてまっとうするのも一手
秀頼はそういう頭がなかったのが信雄より落ちるよな

160:人間七七四年
16/09/03 20:13:34.82 hwtv2LL/.net
例え信長が生き延びてて
前田にでも保護されても
消してたんだろうなw

161:人間七七四年
16/09/03 22:20:33.18 9ueIluXB.net
秀頼と信雄は全く立場が違うだろ
立場的には秀信と同じ

162:人間七七四年
16/09/04 01:48:42.77 //z2PEWC.net
秀信が岐阜城にこもって浪人集め始めたなら一緒かもね

163:人間七七四年
16/09/04 05:20:31.18 ZVCWTPBO.net
秀吉がいちゃもん付けて潰しにかかったら秀信でもやったろうな

164:人間七七四年
16/09/04 09:20:49.56 Z7bf4yUp.net
>>159
嫡流と傍流だから立場が全然違うだろ
尾張を領してた頃は本気で自分が嫡流だと勘違いしてそうだが。

165:人間七七四年
16/09/04 09:36:36.69 MkZEsz3u.net
信雄は嫡流じゃん
織田の正当な跡継ぎだが秀吉との実力さを思い知らされて御伽衆として我慢した
秀頼はできなかった

166:人間七七四年
16/09/04 11:22:23.74 kXJNDkmX.net
大阪城から一歩も出ずに甘やかされて育ったのがいかん。
伏見から大阪へ移転後、城を出たのは二条城会見だけじゃないのか。
江戸時代の天皇が現役中は御所出れなかったのに似てるが、武士がそれじゃだめだろう。

167:人間七七四年
16/09/04 11:36:28.13 cHklRORT.net
従いましてですね、茶々が何と言おうと、おひろいは大坂城と大坂藩版籍を幕府に明け渡し、京都で公家として五摂家同様、禁裏の近くに屋敷でも作って暮らすべきだったのです

168:人間七七四年
16/09/04 12:09:48.92 MkZEsz3u.net
テロリストの巣窟大坂城はさすがに明け渡さないとな
天下泰平の敵だな豊臣

169:人間七七四年
16/09/04 12:34:28.66 UTmUYFwy.net
未だに淀のせいにするなんてw秀頼が拒否して自滅しただけだろうが

170:人間七七四年
16/09/04 12:49:32.43 kXJNDkmX.net
裸城にしときゃ刃向かわないだろうと思ってたら、それでも刃向かった基地外テロリスト集団だから、滅亡もしょうがない。

171:人間七七四年
16/09/04 13:16:14.62 MkZEsz3u.net
>>170
戦略もなにもないよね
ただの楽観主義者

172:人間七七四年
16/09/04 14:12:13.76 naMDgrzc.net
越前の「はまな味噌」製造業者の間では、
はまな味噌のルーツを徳川家康ということにしているようだが、
そいつは誤解
浜納豆(別名:浜名納豆)を結城秀康が越前に持ち込んだのが由来とするのはまあいいが、
浜納豆を開発したのは家康ではない
室町時代初期には製造法が確立していた浜納豆は、
大豆発酵食品を好む家康が生産を奨励した程度のこと
越前では妙な拡大解釈が起きてしまったか、誤伝されたようだ

173:人間七七四年
16/09/04 14:14:25.43 wFF09irV.net
お嬢様育ちの淀姫と、幼い頃から我慢の連続だった海千山千の家康とでは兵力以前に人間力でも大きく見劣りしてしまう豊臣軍。
勝ち目なんて100%無かった。

174:人間七七四年
16/09/04 15:12:48.95 CetMxc3E.net
でも防衛用の本隊が必死に奮戦する歴史は見てみたかった(′・_・`)

175:人間七七四年
16/09/04 17:12:50.89 ZVCWTPBO.net
>>165
信雄は嫡流じゃないし跡継ぎであった事もない

176:人間七七四年
16/09/04 17:29:37.20 6sihjxMw.net
実は信雄は織田の家督を継いでいる。意外に知られてないな

177:人間七七四年
16/09/04 18:26:40.43 S4MG7gQ3.net
>>176
秀吉が担いで家康も承認したのにな
小説やドラマで使われないからかな

178:人間七七四年
16/09/04 18:32:07.95 kXJNDkmX.net
信雄は戦国随一の盆暗息子扱いだからな。それでも子孫が大名として明治まで残ったからよしとするかだ。

179:人間七七四年
16/09/04 18:42:54.86 cHklRORT.net
しかも2万石でありながら国主待遇(のち剥奪)だからな

180:人間七七四年
16/09/04 19:19:16.49 3pdz3cv3.net
信雄は嫡流じゃないなどとおかしなことを言い張るのが湧いてるが、
信長は、信忠と信雄、信孝の三子息を嫡流に定めている
この三人以外は庶流で、織田家継承権は与えられていない
三人だけが継承権を有していた
実質、信忠が宗家を既に継いでいたため、
信雄と信孝はそろそろ分家を立てる予定だったが、
二条城で信忠が横死したために宗家ががら空きになった
生存している継承権保有者、信雄と信孝のどちらが宗家を継ぐかを
決めるはずだったのが清洲会議…なのだが、
幼過ぎて未だ嫡子認定されていなかった三法師が、
急遽嫡子ということにして据えられるというぶっ飛んだ展開になった
三法師を信忠嫡子と決めたのは秀吉であって、信忠ではない

181:人間七七四年
16/09/04 19:25:30.94 YGHv23EY.net
その三法師を信孝が手離さないから、秀吉が丹波と組んでクーデターを起こし、
信雄を家督に就けたんだっけ?

182:人間七七四年
16/09/04 19:33:41.26 MkZEsz3u.net
まあ信忠→信秀の線はあの時代の価値観からして間違いではない
単に信雄、信孝が欲をかきすぎ、秀吉につけこまれたのがまず間違い
信雄、信孝が信秀路線でがっちり固めたら柴田もふくめて秀吉はやりにくかったはず
それを信孝ははねっかえるし、信雄はいいように使われた
織田の嫡流はあの時点もっと自重してたらな
歴史は変わったかも。

183:人間七七四年
16/09/04 19:44:48.89 kXJNDkmX.net
そうやって織田家の内紛につけ込んだのが秀吉。
秀頼を守れと言われても、臍が茶をわかす。

184:人間七七四年
16/09/04 19:59:12.53 3pdz3cv3.net
>まあ信忠→信秀の線はあの時代の価値観からして間違いではない
丹羽長秀もそう思ったし、信孝に継がせたかった柴田勝家もまあ仕方ないと考えた
三法師も順当に育てば、信忠の嫡子になったであろうことは予測できる
信忠の横死で棚から落ちたぼた餅を掴んだのは信雄でも信孝でもなく、
三法師を脇に抱えた秀吉だった
三法師なら仕方ない。餅を食う権限が無いことはない、と織田宿老は納得したが…
餅は秀吉が食っちまった

185:人間七七四年
16/09/05 05:22:55.51 8hnmVErX.net
嫡流が3つもあるわけないだろw
それはもう別家だわ
信忠は織田宗家の当主になっているのだから嫡流は信忠系以外に有り得ない
嫡流の秀信が世継ぎなくして死んだから、後に信雄系が嫡流を名乗ったに過ぎない

186:人間七七四年
16/09/05 06:06:18.81 qeZfS4yh.net
名乗ってその後誰がそれを認めるか、だけの話だわな
信雄が最後に残ってるなら結局信雄が嫡流なんだよ

187:人間七七四年
16/09/05 07:23:24.94 EB0SSSTT.net
>>185
秀吉が信雄を織田宗家だと認めた件については?

188:人間七七四年
16/09/05 08:30:49.39 LZUzXuOD.net
>>186
それは河内源氏の嫡流は源家じゃなくて足利家だと言ってるのと同じで意味不明な主張だわ

189:人間七七四年
16/09/05 11:28:11.87 ZIlf1aMY.net
徳川18代恒孝さんがOKなら信雄もOKやろう。

190:人間七七四年
16/09/05 11:51:32.45 mZC4t/UB.net
>>188
他に主張するのが居なければそれが正義

191:人間七七四年
16/09/05 12:38:20.68 Q3tC1yZO.net
>>185
お前、無知だな
嫡流は一つでも、信忠に不測の事態が起きた場合、
信雄と信孝には継承する資格があった
秀信には無かった
無理矢理秀信にも継承する資格があるということに仕立て上げたのが秀吉

192:人間七七四年
16/09/05 14:00:49.48 mZC4t/UB.net
>>191
信雄信孝に権利あるのは同意だがあくまで基本線は信秀だろ
織田家督は信忠だったんだからその嫡子が第一候補なのは当然
ただ幼齢なのが難だがそこは織田一団でしっかり団結すべきだった

193:人間七七四年
16/09/05 15:13:07.57 W2Olmex1.net
>>191
嫡流が三つとか言ってた癖にw

194:人間七七四年
16/09/05 15:21:56.83 ZIlf1aMY.net
信秀と秀信ぐらいちゃんと書けや

195:人間七七四年
16/09/05 16:08:31.79 EB0SSSTT.net
>>192
三法師って嫡子じゃなく庶子だろ

196:人間七七四年
16/09/05 19:06:12.70 Oo1DZM8E.net
>>195
それは知らなかった。
というか信忠の正室自体知らない
側室の子だとして、正室には子ができなかったのかね
それがいないなら長子が側室の子もしても嫡男となるのは問題ないのでは?

197:人間七七四年
16/09/05 19:34:06.48 Q/0iu7EM.net
信忠は信玄の娘と婚約したけど、織田と武田の関係悪化で棚上げになり、正室貰わないうちに本能寺の変になった感じだな。

198:人間七七四年
16/09/05 20:29:23.64 qeZfS4yh.net
それならその時点で信秀うんだのが正室扱いでいいんじゃないの

199:人間七七四年
16/09/05 20:37:36.63 Wc5Yrd2t.net
秀信だって何回言われたら分かるんだお前は

200:人間七七四年
16/09/05 20:54:13.52 BfT3h7QR.net
三法師は信忠と信玄の娘の子だろうが

201:人間七七四年
16/09/05 21:00:50.61 if7KkE5C.net
織田は別スレでやれ

202:人間七七四年
16/09/05 22:09:21.59 IwVkvbL4.net
>>199
ごまん

203:人間七七四年
16/09/05 22:31:27.68 Q/0iu7EM.net
信玄の娘の信松尼(信忠婚約者)と見性院たちが家康の孫の保科正之をかくまって育ててるから、スレ的に話がつながらんでもない。

204:人間七七四年
16/09/05 22:46:29.17 oc6t2eSf.net
>>203
保科正之は異母兄弟だけど優秀で家光が可愛がったんだよなあ。
家光いいやつじゃん

205:人間七七四年
16/09/06 13:03:28.21 o72ipGvV.net
>>200
それはない
三谷脚本の映画ではそういうことにしたが、
あの映画にいくつかある無理な考証の一つだぞ

206:人間七七四年
16/09/06 13:58:43.60 WqkewqDJ.net
>>193
>嫡流が三つとか言ってた癖にw
>>185が、嫡流とは何かを理解していないだけでなく、
秀信が元から嫡流だと重大な勘違いに基づいておかしな理論展開を進めていたため、
詳細な説明を省いて基本に立ち返らせた、いわば方便だ
嫡流には二種類ある。宗家と分家
信忠は宗家、信雄と信孝は分家(予定)
信忠、信雄、信孝以外の男児は庶流で、
織田の苗字を名乗らせない予定だった

207:人間七七四年
16/09/06 14:09:55.26 5WnAvD2+.net
徳川と松平の区別みたいなもんだな。松平に相当するのが津田だな。

208:人間七七四年
16/09/06 14:14:37.88 nWhoR6jF.net
だから織田の話はもう要らんというのに
しかも的外れだし

209:人間七七四年
16/09/06 15:59:31.19 J3lgrzmv.net
>>206
なにトンチンカンな事いってんだコイツ

210:人間七七四年
16/09/06 16:08:05.50 FxL2MKvN.net
中臣と藤原、 藤原と恵美 津田と織田 松平と徳川
というように一族が増えれば差別化の動き是有

211:人間七七四年
16/09/07 14:27:38.78 +kiIhtOp.net
信雄が織田嫡流じゃないと言うような無知が、
間違いを指摘されても認めずにつべこべ言い出すから、
よってたかって丁寧に基礎知識を叩き込もうとする流れになった
そんな無知が戦国板に進出を果たしていたというのが
なかなかの怪現象

212:人間七七四年
16/09/07 23:01:46.35 UJWJf2rg.net
まずは織田スレじゃないことに気付け

213:人間七七四年
16/09/08 15:28:46.80 r7I1jqY2.net
秀吉の織田政権簒奪に正当性が無いことを棚に上げて、
徳川政権が豊臣政権にトドメを刺したことを誹謗する
破綻論理の足元を崩す基本的前提であり、
ここが織田スレでないという負け惜しみは認められるものではない

214:人間七七四年
16/09/08 15:38:37.54 RU5dAhwg.net
負け惜しみというか、完全に論点のすり替えで誤魔化そうとしてるな
信雄は嫡流じゃないなんて妄言が完膚なきまでに論破されてからだろ、
スレ違い呼ばわりが始まったのがさ

215:人間七七四年
16/09/08 16:54:39.52 RwobqZtO.net
とにかく織田家臣団は秀吉に油断しすぎたな
まあ秀吉も織田家臣団なわけだが。

216:人間七七四年
16/09/08 23:39:08.44 +GzQhGTO.net
スレ違いからマジキチへと加速中だな

217:人間七七四年
16/09/09 14:59:53.40 uYMzP+be.net
織田と深い関係にあった徳川、
小牧の陣長久手の戦いでは当事者になった家康のスレで
織田嫡流についての誤認を指摘するのがスレ違い呼ばわりとは、
どこまで知能障害なのか
あるいは恥の上塗りを重ねたいのかもな

218:人間七七四年
16/09/10 20:03:17.66 p3dzVrAe.net
天下の大悪人、その名は徳川家康

219:人間七七四年
16/09/10 20:17:25.18 bsbaLaE3.net
家康か秀吉か、に行き着くのが戦国末期の人気投票だよな
ま、そんなもん単なる好きか嫌いかだけ、なんだよな
各人の趣味嗜好、そんだけの話

220:人間七七四年
16/09/10 22:02:12.12 p3dzVrAe.net
>>219
詐欺師家康ワロタ

221:人間七七四年
16/09/11 14:14:55.65 fB/q0sca.net
ガタガタになった豊臣政権を建て直すだけの能力を持ちながら放置
豊臣政権の建て直しよりも、
一地方政権にすぎない徳川政権を全国政権へと拡張する選択を採った家康
もしそこで豊臣政権の建て直しに尽力していたら、後世には
史上最大の「才能の無駄使い」と呼ばれたかもしれん

222:人間七七四年
16/09/11 14:19:09.71 j9pydBVQ.net
秀頼はたてなおせるレベルじゃない

223:人間七七四年
16/09/11 14:21:15.66 iDURFe5V.net
>>221
放置というより、クーデター起こされたわけだが。

224:人間七七四年
16/09/11 14:50:21.70 fB/q0sca.net
>>223
石田三成らが起こしたクーデターは家康が鎮圧して致命傷にはなってないし、
家康が豊臣政権を見限るのは、その後だ
前後関係の把握がおかしいぞ

225:人間七七四年
16/09/11 15:02:23.48 r9qhbwfH.net
真っ二つに国割っての内戦されて収拾できずに収めたのは別家の人
軍事政権にとって普通に致命傷。豊臣にはもう誰もついてこんよ

226:人間七七四年
16/09/11 19:17:05.11 5lBUIUVV.net
まぁ野人の天下とか続いちゃ困るわなw

227:人間七七四年
16/09/11 19:23:32.68 80NWO2CM.net
>>226
なんと秀頼はぴくるであったか。

228:人間七七四年
16/09/12 16:30:49.99 5XoErlKB.net
百姓の子孫の天下の次は乞食坊主の子孫の天下とか
朝廷はさぞかし嫌な顔をしたろうな

229:人間七七四年
16/09/12 17:07:29.08 vDhRedmE.net
そういう意味の分からないことを言っていても話にならないから

230:人間七七四年
16/09/12 17:21:28.84 F1B/CQ9q.net
当時から十何代も遡ったら、
天皇だって修行僧レベルだろw

231:人間七七四年
16/09/12 17:45:34.98 /jew+sE8.net
は?
何いってんだこの馬鹿

232:人間七七四年
16/09/12 19:32:41.26 mta1tkL5.net
>>231
母方を遡ればそういう人物はいるだろう

233:人間七七四年
16/09/12 19:48:30.74 hCAgo4xb.net
天皇さかのぼるまでもなく、出自なんてもともとそういうもんだろ
世間がそれを認めてるかどうか、そんだけの話

234:人間七七四年
16/09/12 20:21:20.02 hzSVyZSY.net
家康は、三河松平家の9代目。
結構家が続いたので、三河ではそれなりの名門になってた。
叔母は本物の名門の吉良家に嫁いでる。

235:人間七七四年
16/09/12 20:42:44.90 hCAgo4xb.net
キラーヨシカゲ

236:人間七七四年
16/09/12 21:02:30.07 F1B/CQ9q.net
>>231
自覚できたかリアル馬鹿 ( ´,_ゝ`)?

237:人間七七四年
16/09/12 21:25:37.14 fEFyPfox.net
>>234
松平も宗家扱いされる家がいれかわってるし、家康は安祥松平の6代目じゃないかな

238:人間七七四年
16/09/12 21:49:17.41 NZiXz2ru.net
>>234
伯母じゃなくて妹の可能性が高い >吉良に嫁いだ松平氏女

239:人間七七四年
16/09/12 22:09:29.64 m6pEGiWV.net
おまえらアホみたいなこと良く知ってんなw

240:人間七七四年
16/09/12 22:13:35.98 vDhRedmE.net
親阿弥という遊行僧が松平郷に現れ、松平家と酒井家の両方に子を作ったことがそもそもの発端で、
酒井正親が西尾城主になったのもその縁故から、徳川家のオトナとして重用されていた証左であった

241:人間七七四年
16/09/12 22:33:51.85 NZiXz2ru.net
どうも酒井家は松平親氏の子ではなく相婿みたいだけどな

242:人間七七四年
16/09/14 09:19:37.60 FjXXIypV.net
徳川も乞食から数代で三河の有力大名になったのだから下剋上の観点では北条などに引けをとらないと思うのだがね
その辺り全く評価されていないよな

243:人間七七四年
16/09/14 13:43:57.69 IhGZh6SV.net
北条は、室町幕府政所執事の家系で名門。
だから、今川家に正妻を出せた。

244:人間七七四年
16/09/14 13:44:22.74 IhGZh6SV.net
>>243
伊勢氏ね

245:人間七七四年
16/09/14 13:51:07.49 WTMvoAZi.net
松平家はかつて伊勢家の部下として働いていたことがある
それが天正壬午の乱の後の徳川北条同盟につながった
ということは特にない

246:人間七七四年
16/09/15 18:31:34.18 WmtPhwTd.net
大賀弥四郎が重臣だった説がある割りに、
諱すら伝わっていないのは不自然だな

247:人間七七四年
16/09/15 18:40:05.78 xElO37f2.net
重臣つっても用人の出頭人で大身になる前に討たれて死んだらそんなもんでしょ

248:人間七七四年
16/09/15 18:51:55.37 WmtPhwTd.net
不祥事の末に粛清されたのだから、
その息子を取り立てて家臣としての家系がつながったということはないのは判るが、
結局のところは大した地位でもなく、重臣とは言えないのではないか

249:人間七七四年
16/09/15 19:10:35.91 xElO37f2.net
そんなのは重臣の定義によるね。
大きな領地をもつ大身だけを重臣とするなら外れるし
側近官僚みたいに権限の大きさで重臣とするなら入るし
上の上クラスだけか上の下クラスまで入れるかの足切りでも変わる

250:人間七七四年
16/09/15 19:28:30.02 ptoKOVO/.net
本多佐渡守正信は年寄からワンランクあげて大老のような地位を与えられたとか書いてあるが…

251:人間七七四年
16/09/15 23:07:34.65 fZL//BDj.net
>>250
秀忠政権付きの待遇が大老級ってことでしょうか?
家康付きの時は、年寄というより側用人扱いだったんでしょうか?

252:人間七七四年
16/09/16 17:44:17.21 82ePJtdi.net
伊勢氏の初代は、鎌倉期に三河にいたが?

伊勢氏(藤原俊経→藤原俊継(伊勢俊継、初代伊勢氏)→伊勢盛継→伊勢貞継)
■藤原俊経(****~1238):初代伊勢氏・伊勢俊継の父
・肥前前司
・法名願仏
・弟の相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は三河国滝山寺僧侶
・三河国滝山寺に持仏堂を造営する(後に持仏堂は、甥の大進法眼増恵に譲られる)
・三河国滝山寺に古市場御油畠を寄進する
・歴仁元年(1238)5月13日、京都東山一切経の谷で死去
■藤原俊継(1217~1274):初代伊勢氏
・藤原俊経の息
・伊勢前司
・建長7年(1255)、三河国滝山寺に、足利義氏追善の法華堂(宝幢寺)を造営、この堂に田畠3町8段を寄進、足利家氏に働きかけ、家氏の三河国碧海荘青野、宇祢部の料田畠を寄進させる
・天照大神のお告げで姓を伊勢に変える
・文永11年(1274)6月23日、鎌倉で死去
■円辰(****~****):初代伊勢氏・藤原俊継の叔父
・藤原俊経の弟
・相模法橋
■増恵(1209~1283):初代伊勢氏・藤原俊継の従兄弟
・円辰の息
・聖蓮坊大進法眼
・叔父藤原俊経の持仏堂を譲られ、自身の持仏堂とする
・吉良荘の奉行として、吉良氏の所領経営をする
・建長6年(1254)、本堂屋根瓦替工事の大勧進を勤め、同年、温室を改造する
・正嘉元年(1257)、一切経蔵を造営する
・文応2年(1261)、山王社の宝殿を改築する
・弘安6年(1283)2月13日、鎌倉滞在中に死去

253:人間七七四年
16/09/16 22:52:07.13 bhhV6PGg.net
家康って征夷大将軍になるために清和源氏の出身に変えたんだっけ?

254:人間七七四年
16/09/16 23:44:16.24 Rbakh1Hk.net
信光の時代から源姓だ

255:人間七七四年
16/09/17 00:22:10.63 Idg7TRpN.net
>>253
源氏じゃないと将軍になれないってのは江戸時代に作られたちゅうで
田村麻呂、藤原将軍、宮家将軍なんて源氏じゃないしな

256:人間七七四年
16/09/17 00:46:08.28 brSUPTbA.net
でも当時は源平交代論がどーたらこーたら
しかし猿は藤原、豊臣であーだらこーたら

257:人間七七四年
16/09/17 02:25:10.99 ABIwGUvN.net
由緒あるお家の名前をほしがるし、その名前が領地統制の大義名分にもなってたよな

258:人間七七四年
16/09/17 06:34:36.01 EF6Y+Dlu.net
三河守になるのに藤姓じゃだめで源姓にしたんじゃなかった?

259:人間七七四年
16/09/17 11:04:47.60 NLPHzVv7.net
三河は吉良の支配下だったんだっけ
で、将軍家に書状出したら無視されたんだよな
まあ、足利にしてみれば縁戚の吉良家の領地乗っ取った上に、今日から源氏になりまーすとか言われても
ふざけんなボケって気持ちだったろうな

260:人間七七四年
16/09/17 11:14:52.20 uslKzycw.net
>>258
多分それ違う
「三河守護」の地位を朝廷に要求したときに藤原氏として申請
「得川の家系」認定を朝廷に要求したとき、以前の申請に使った藤原氏じゃだめで、源氏に変更した

261:人間七七四年
16/09/17 14:47:39.89 dgQRTeDU.net
>>259
家康の三河守任官運動の当時は足利家は義輝が殺されて機能停止状態
無視されたんじゃなくて、家康から連絡を取る術がなかった
>>260
三河守護と三河守は違う
「得川源氏」として三河守任官を願い出て前例がないという理由で正親町天皇に却下されたのが一度目の申請
「徳川藤原氏」なら前例があるということで、三河守任官が許可されたのが二度目の申請

262:人間七七四年
16/09/17 15:45:32.24 uslKzycw.net
いや、「三河守」という官位の申請の話じゃなくて、
「三河守護」という地位を求めた時点では松平の苗字のままで得川には触れず、
藤原氏を名乗ったのではなかったかと言っている

263:人間七七四年
16/09/17 15:46:09.55 oNuk9+b6.net
家康は、三河守任官を近衛家に頼んだので、藤原氏になったと思われる(氏長者の権限で藤原氏認定)。

264:人間七七四年
16/09/17 16:03:34.75 +PsSPKFY.net
家康って三河守護求めてたっけ?
そもそも幕府の役職である守護を朝廷に申請するものなの?

265:人間七七四年
16/09/17 17:30:43.91 dgQRTeDU.net
>>262
家康が三河守護職を求めた事実はない
そもそも守護職は国司以上に家格制限があるので藤原氏を名乗れば通るかもしれないという話ではない
というか室町幕府の歴代三河守護に藤原氏いないし

266:人間七七四年
16/09/17 17:30:46.69 kBIEcNIB.net
話が混乱している。まず三河守を朝廷に貰い、その後、幕府の役職である三河守護職を貰うのである

267:人間七七四年
16/09/17 18:28:43.16 2B5hsjwW.net
まあお墨付きは無いよりあったほうがよかったんだろうよ
朝敵とか言われて困るようなはめにならないためにも。

268:人間七七四年
16/09/17 22:05:40.12 m8LXc+iC.net
>>267
最後はそうなっただろw

269:人間七七四年
16/09/17 22:21:04.44 Idg7TRpN.net


270:人間七七四年
16/09/17 22:56:30.08 HCXk61FF.net
家康の幼少期に、高月院で坊さんやっていた親戚は天皇と御友達
家康自身は、自分の出自が悪いとは、これっぽっちも思っていない

271:人間七七四年
16/09/17 23:08:16.86 dgQRTeDU.net
超誉存牛は家康が7歳まで生きてたのか
幼少期の家康と会ったことがあるって寺伝があったような

272:人間七七四年
16/09/17 23:26:04.12 t6xf2MAm.net
そもそもサルの後だしw

273:人間七七四年
16/09/17 23:53:23.07 oNuk9+b6.net
家康は松平家九代目。これくらい続けば、地元じゃ名門扱いだろうからな。
ご先祖様が源氏を称してたから、そう思い込んでたんじゃないか。

274:人間七七四年
16/09/18 22:05:56.12 8RB388JB.net
世良田が全く縁もゆかりないのなら、作り話なんだろうが
初代の頼氏が、三河守、三河守護代だっただけでなく、三河の古族、三河物部氏の血を引くという表に出ていない所縁もある

URLリンク(www.myj7000.jp-biz.net)
三河国造家の系図に新田義重あり

興原敏久
URLリンク(ja.wikipedia.org)
先代先代旧事本紀
URLリンク(ja.wikipedia.org)

275:人間七七四年
16/09/19 11:34:26.81 6T3ta/MC.net
詐欺師家康あの世逝ったあw

276:人間七七四年
16/09/20 14:11:58.52 EvLojYEr.net
桶狭間の戦い後に無断で岡崎に留まり、織田の侵攻に備えるという名目で独自に軍備を整えておきながら、
結局その軍備を行使する相手が織田ではなくて今川になったあたりが詐欺

277:人間七七四年
16/09/20 18:30:49.15 pFEy8S+6.net
隙あらば奪われるのが乱世の常。

278:人間七七四年
16/09/20 19:04:42.58 +mRAGyEf.net
信長と氏真では両天秤にかけるまでもないからな
一応今川に弔い合戦を勧めているところはさすが律儀な家康w

279:人間七七四年
16/09/20 20:38:21.10 L/hYOg3Z.net
弔い合戦つうか、勝手に岡崎に居座ったはいいけど前線で織田の矢面に立つ形になってしまったから
必死に今川を引きずり込もうとしていたんでしょ
で、結局無視されたから従属先を今川から織田に鞍替えしただけの話

280:人間七七四年
16/09/20 21:25:44.87 FepfZtaj.net
当時の家康は、三河国人領主の親玉、自立するだけの力はないから、織田か今川のどちらかに付かないとやっていけない。
今川が頼りなければ、織田に付くのが当然。譜代じゃないんだから。

281:人間七七四年
16/09/20 21:41:08.04 pIXycJzy.net
譜代どころか身内だろw

282:人間七七四年
16/09/20 21:50:37.90 ZrQBeXMH.net
意味わからん

283:人間七七四年
16/09/20 23:17:17.39 kdY6VTDB.net
三河政権だる室町幕府の中の人にして、ラスボスの家康が、何で縁もゆかりもない尾張のドン百姓と組まなあかんのか?

室町幕府の支配層一覧(三河繋がり優遇)
■将軍御一家
【三代将軍足利義満時代】(3家)
・西条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・今川氏(三河国幡豆郡今川、三河県西尾市)
・渋川氏(上野国群馬郡渋川)
【八代将軍足利義政時代】(4家)
・西条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・東条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・石橋氏(三河国設楽郡石橋、三河県新城市)
・渋川氏(上野国群馬郡渋川)
■三管領(将軍に次ぐ最高の役職、将軍を補佐して幕政を統括)
幕府執事(管領の前身)(3家)
・高氏(三河国額田郡菅生、三河県岡崎市)
・仁木氏(三河国額田郡仁木、三河県岡崎市)
・細川氏(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
管領(3家)
・細川氏(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
・斯波氏(三河国碧海郡矢作、三河県岡崎市)←初代足利家氏は、祖父より三河国碧海郡碧海荘を相伝し本拠とした
・畠山氏(武蔵国男衾郡畠山)←初代畠山義純は三河国生まれ
■七頭(管領家とともに幕政に参加できた七家)(7家)
・一色氏(三河国幡豆郡一色、三河県西尾市)(四職)
・山名氏(上野国多胡郡山名)(四職)←初代山名義範の実父は、矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・京極氏(山城国葛野郡京極)(四職)←京極高秀(佐々木道誉の嫡男)親子は三河国額田郡下和田郷(三河県岡崎市)の領主
・赤松氏(播磨国播磨郡赤松)(四職)←善住寺(三河県豊川市)に赤松円心親子の墓あり、赤松円心は一時、赤田和城(三河県岡崎市)に隠れ住む
・土岐氏(美濃国土岐郡)(五職)
・上杉氏(丹波郡何鹿郡上杉)(関東管領)←事実上の初代上杉頼重の屋敷あり(日名屋敷、三河県岡崎市)
・伊勢氏(出自不明)(政所執事)←活動を記録した最古の資料では、初代伊勢俊継は父、叔父、従兄弟と共に三河国額田郡賀茂郡(三河県岡崎市・豊田市)で活動

284:人間七七四年
16/09/21 00:37:20.37 uY+2QmeT.net
信玄に穫られる前に駿河奪っときゃよかった。そしたら信長にも舐められずにすんだかな

285:人間七七四年
16/09/21 00:56:38.79 FB3DIFMn.net
なかなか簡単には行かんでしょ。
北条も信玄と手打ちしてしまったしね

286:人間七七四年
16/09/21 05:40:08.97 v299LKA8.net
信玄が遠州にまで食指をのばす勢いなのに、駿河侵攻は無理

287:人間七七四年
16/09/21 08:36:16.77 6WPEzRPc.net
そもそも武田が動かなきゃ今川との戦いは相当に厳しい
しばしば織田に援軍求めなくてはならず、かえってお荷物に思われてしまう

288:人間七七四年
16/09/21 09:00:41.14 tLG1ByBH.net
ポーランド分割みたいなもんだ。

289:人間七七四年
16/09/21 09:25:53.78 lgjtDw1Z.net
>>287
この時点の織田、徳川は互いに軍勢の融通はしてないから、そもそも援軍なんて見込めないだろう。
後の上洛なども義昭の要請で参加してるだけだし。

290:人間七七四年
16/09/21 14:39:48.23 BDJBruWG.net
家康の対今川戦では、織田の援軍が投入されたことは無かったような

291:人間七七四年
16/09/21 15:13:19.20 msILbWOD.net
武田が動かなかったら援軍を要請するしかなくなると言っている

292:人間七七四年
16/09/21 15:57:11.00 NuhV1etL.net
武田戦すら援軍だししぶるノブさんヒドイ

293:人間七七四年
16/09/21 16:04:55.35 BDJBruWG.net
織田は織田で、対面している敵が多い
いつでも援軍を出せる余裕があるわけじゃないだろ

294:人間七七四年
16/09/21 16:08:48.30 tHBPXEBD.net
平手汎秀「」

295:人間七七四年
16/09/21 17:30:45.39 NuhV1etL.net
>>293
それはわかるが同盟国の援軍依頼にもったいぶってたのはちょっとな
わずかな手勢を送っただけなのは都合よすぎる
あれもう少しでも尾張から武田を挟撃できるあたりまで虚実おりまぜて出陣してたら三方原の惨敗は少しは違っただろうよ
高天神城攻めの勝頼迎撃もギリギリすぎる

296:人間七七四年
16/09/21 17:45:39.25 pLdzbUaf.net
平野が活動の主たる場にしている勢力は山がちな部分はバッサリ捨てて優位な位置まで下がる

297:人間七七四年
16/09/21 23:13:21.67 2VXJvSI7.net
>>291
織田・徳川の同盟は信長の上洛船までは互いに援軍は送りあってないからな。
同盟と言っても境目を定めて不可侵にする程度で軍事同盟にまで至ってなかったのだろう。

298:人間七七四年
16/09/22 01:55:26.68 p9Pu3eTT.net
いやそんな同盟なのに徳川は援軍要請するのかよ
おかしいだろ

299:人間七七四年
16/09/22 02:56:46.54 bAJPnzmc.net
一応頼んでみるって感じじゃない。来たらラッキーみたいな

300:人間七七四年
16/09/22 10:46:04.99 BJHFhk2+.net
徳川が対武田の防御壁として有用な限りにおいて、織田は援軍を送る意味あるだろうな

301:人間七七四年
16/09/22 15:51:59.35 4AuCKFKM.net
>>283
縁もゆかりもないどころか、織田は先祖伝来の宿敵なのだが

302:人間七七四年
16/09/23 17:14:49.36 x3MMDb2O.net
信長と氏真では両天秤にかけるまでもない
先祖伝来の宿敵勢力の継承者と、父の代から大恩ある勢力の継承者とでは
較べるまでもないはず
なのに何だ、このウルトラCみたいな展開は

303:人間七七四年
16/09/23 17:21:43.10 LBfIF/cl.net
氏真に将器なしと見切ったんじゃないのか。それを支えるはずの重臣も死んじゃったし。

304:人間七七四年
16/09/23 18:57:06.26 cOIsDt4J.net
>>297
だからそれは史実の話だろ
もし単独で今川と戦ったら、と言う仮定の話をしているんだよ
武田が今川を攻めないという事は武田と今川の同盟が継続していると言う事でもある
当時の徳川がその状況で戦えるのかと

305:人間七七四年
16/09/23 19:16:14.69 x3MMDb2O.net
1560年、桶狭間の戦い
1561年、家康が今川からの離反を明確にする。東三河で紛争勃発
1562年、織田と同盟。遠江で紛争勃発
1563年、遠江まで侵攻。三河一向一揆で撤退。氏真も信虎の不穏な動きで撤退
1567年、武田義信粛清される
1568年、武田が今川との同盟を破棄
武田-今川間の同盟が有効な時期から、散々今川と戦ってる
(織田との同盟が成立する前から戦い始めてる)
東遠江から駿河にかけての侵攻には、武田が今川の背後を突く必要があるという意味だろうか

306:人間七七四年
16/09/23 20:37:00.04 /cKHwCAa.net
北条と即座に結んで駿河を挟み撃ちに

307:人間七七四年
16/09/23 22:10:30.61 fKEk71xS.net
北条は最後まで今川を助けて氏真を受け入れたりしてる
なかなか参戦までは厳しいだろう

308:人間七七四年
16/09/24 12:11:21.85 RIidruzu.net
いや信玄に駿河穫られた後ね

309:人間七七四年
16/09/24 16:19:42.70 nS/DqAls.net
KOEIの歴史ゲームではイベント描写に手抜きがあって、
桶狭間の後すぐに家康が今川から離反し、同時に織田と同盟を結んだと錯覚しかねない
この不正確な描写を丸ごと信じてしまうと、桶狭間の段階から家康は信長に内通していたといった
トンキチな仮説を打ち立てる者が出現する可能性が生じる

310:人間七七四年
16/09/24 17:58:17.99 b45gyD3j.net
家康の出生地の複雑な立場が色々創作をうむよな
松平としては基本的に今川臣従があるのに親類は織田にくだってたりするし、今川との信頼増加のために今川に人質にだされたら家臣がうらぎって織田につれてくしグダグダすぎる
織田との仲がそこではぐくまれたなんてのもな、そんな単純でもねえだろと。
織田からしたら丸根砦攻めやら兵糧運搬やら明らかに松平信康は敵対的なのにちいさな竹千代というように甘くみたりはしないだろうに。
同盟はあくまで織田からしたら尾張統一までの保険くらいだったかもな

311:人間七七四年
16/09/24 17:58:32.65 0e/YifF3.net
>>309
元康の桶狭間後即時離反説に関しては平野明夫らが真面目に主張してるぞ

312:人間七七四年
16/09/24 18:10:10.46 b45gyD3j.net
オレ間違えた、元康でしたな
今川撤兵のさいに岡崎城空城となったすきに松平元康は帰城したわけだけど
その選択からして桶狭間から即時今川裏切りとみてもあながち間違いでもないような。
そんな織田との境に単独で残るなんてとても怪しいよな

313:人間七七四年
16/09/24 19:30:17.78 0e/YifF3.net
流石に空城をそのまま放置して駿河に帰ったら岡崎が織田の餌にされるの目に見えてるからそこを疑うのは違うような
まあ、本当に岡崎城代が撤退してたなら、だがな

314:人間七七四年
16/09/24 20:17:14.49 meimMD2P.net
岡崎城城代が撤退してたかどうか、たしかにそこは判断のしどころだな
それを追い払うだけの兵力が元康にあったのか、あったとして織田との兼ね合いはどうなのか、今川との離反にメリットはあったのか
ちょっと判断しようがないな

315:人間七七四年
16/09/25 20:18:09.83 i27EhkZi.net
>>311
松平、今川間の抗争開始について平野明夫らが主張しているのが永禄三年からで
永禄四年が妥当と反論しているのが本多隆成や柴裕之だっけ

316:人間七七四年
16/09/26 07:43:58.25 Z8pfqrvI.net
秀頼様、お久しゅうございまするぅ

(゚∀゚)ひゃひゃひゃ

317:人間七七四年
16/09/27 18:20:26.87 nCUwK8LH.net
詐欺師家康について、二通りの話が伝わる
秀吉が「刀狩り」によって無対価で奪い取った大量の刀から無銘の良品を選別し、
「正宗」に仕立て上げて諸武将への褒美として配った
結果、豊臣時代には正宗ブランドが急騰した
これを前置きとして、
関ヶ原前の派閥対立時、三成が贋作正宗を大量生産させてバラまき、
三方陣営に引き込んだ
ここで家康に関する伝承が二通りに分かれる
1.家康も三成に対抗して、贋作正宗を大量生産させてバラまいた
2.関ヶ原終戦後、功績があった外様大名の一部に正宗を贈ったところ、
 他の大名多数も正宗が欲しいと要求して来たので、贋作正宗を作らせて贈った
さて、どちらが本当なのか
それとも、どちらも本当なのか、
あるいはどちらも嘘なのか

318:人間七七四年
16/09/27 18:21:25.33 nCUwK8LH.net
誤変換
× 三方陣営に引き込んだ
○ 味方陣営に引き込んだ

319:人間七七四年
16/09/28 18:03:56.56 mHl0mqJG.net
正宗詐欺流行に先鞭を付けたのは秀吉だったのか
さすがは戦国最大の英傑だな

320:人間七七四年
16/09/28 22:34:15.36 Wrg1L7qA.net
>>316
ご無沙汰いたしておりまするう、だろ
家康タヌキの狼狽した顔ワロタ

321:人間七七四年
16/09/29 07:15:14.19 tqUCOPqf.net
でも上座は譲らん

322:人間七七四年
16/09/29 07:19:42.04 Tcp4e+84.net
>>321
加藤清正が逆向きに座ったことで家康が下座になった

323:人間七七四年
16/09/29 07:55:09.01 BxGNRCgZ.net
逆じゃないの?
家康や正信も満足そうな顔をしていたし

324:人間七七四年
16/09/30 00:06:55.81 Aw69zDtK.net
満足しているのに暗殺を企てる腹黒い徳川家康w

325:人間七七四年
16/09/30 05:10:08.20 CENBZ4IA.net
>>322
あれは、そういう意味だヅダのか

326:人間七七四年
16/09/30 08:27:04.17 E0MSMC7D.net
あれは秀頼の護衛ではなく徳川の家臣として同席するという態度を示したんでしょ
だから正信もホッとした顔をして、家康も同席を認めた

327:人間七七四年
16/09/30 12:53:38.11 g4msAktO.net
>>322
史実でもそうだったのですか

328:人間七七四年
16/09/30 13:09:33.40 opPTayS3.net
マエダケイジの漫画じゃあるまいし公の場でそんなことやれないよな
まして家康の実力と立場をよく知ってるならなおさら

329:人間七七四年
16/09/30 17:24:47.30 oRvx00x7.net
>>327
史実では、清正は最初から徳川方の要人として会見に立ち合ってる
秀頼の護衛ではない
家康は(秀忠とは違って)なるべく穏便に豊臣家の惣領たる秀頼が臣従するよう粘る方針をとり、
加藤清正や浅野幸長のような、豊臣に縁が深い外様大名に仲介してもらっていた

330:人間七七四年
16/09/30 19:55:26.67 Xxkk5DwO.net
>>329
なるほど。そうなると家康による加藤清正暗殺説は信ぴょう性に欠けるか。
さすがに席次とか身体の向きまでは記録がなさそうですね。

331:人間七七四年
16/09/30 21:40:37.24 rhBBYCut.net
>>329
嘘つくなよ
清正は秀頼の護衛、正則は二日酔いで欠席したのはウソで二条城に続く街道に徳川方の軍団が進撃してこないように街道沿いを固めていた

332:人間七七四年
16/09/30 21:49:02.12 W6DbsYrZ.net
って小説に書いてあった

333:人間七七四年
16/09/30 21:51:44.41 uTJjJy7X.net
秀頼さまーっていうほど福島も加藤も豊臣に肩入れする理由がないよな

334:人間七七四年
16/09/30 22:35:37.40 rhBBYCut.net
>>333
アホかw
ふたりとも太閤殿下の親戚だぞ
秀頼にとっては叔父に当たる

335:人間七七四年
16/09/30 22:51:28.47 uTJjJy7X.net
>>334
それだけで恩義とかあまちゃんすぎる

336:人間七七四年
16/10/01 07:21:49.59 cBEoCcdV.net
どちらかと言うとあの二人は縁者なのに地位が低かったので不満があったのではなかろうか

337:人間七七四年
16/10/01 08:07:02.17 xZxZRwZd.net
生え抜きの家臣としては身代大きい方じゃない?

338:人間七七四年
16/10/01 10:20:40.74 iPHVJ9ap.net
福島はともかく加藤なんかは肥後の方に20万石だからな
秀吉も案外親族に厳しい

339:人間七七四年
16/10/01 11:48:04.02 V8JfPz+X.net
親族に大盤振る舞いした大名っている?

340:人間七七四年
16/10/01 12:04:11.61 iPHVJ9ap.net
普通は一門一族で固めてるでしょ
特に古い家なんて殆ど一族だし

341:人間七七四年
16/10/01 14:34:59.45 MMBpnzm4.net
>>330
いや、信憑性に欠けるということではない
信憑性は皆無。暗殺説をまともに受け止める学者なんていない
清正は既に健康を害していた
会見が実現すれば秀頼が徳川家に臣従し、豊臣家の安全が保障されると考え、
最後の力を振り絞ったとも考えられる
暗殺説は、何が何でも家康を極悪人に仕立て上げたい者の願望に過ぎない
>>331
会見に反対した淀殿の出方を警戒して、正則は警備を担当した
大坂史観は、物事の解釈を真逆に捻じ曲げることすら平気でやるから恐ろしいわ
>>338
清正を肥後に封じた際に切腹させた佐々成政を引き合いに出し、
当地に失敗したら同じ目に遭わせるぞと脅している
清正を優遇していたかと言うと、少々微妙

342:人間七七四年
16/10/01 14:50:06.79 OLShtTCB.net
暗殺説を学者が無視するのは
一次史料に書いてない、というだけで
それはそれで別の話にはなると思うけどね。

343:人間七七四年
16/10/01 14:58:00.86 xWvRcvKp.net
そら小説は話が別だろうけど他所でやれよ

344:人間七七四年
16/10/01 15:08:42.46 noi90Xz/.net
頭から否定するのも妄言と変わらないけど
そもそも論として成立する根拠がないものは否定以前に議論の対象にすらならない

345:人間七七四年
16/10/01 16:25:15.39 NZqM0TcX.net
関東人の大好きな池波正太郎が清正暗殺で小説を書いてるだろうが

346:人間七七四年
16/10/01 16:33:40.07 dyQX25SU.net
>>1
家康公の辞世の句ですが、
嬉しやと~~~
先にゆき~~~
の2つは知っていたのですが、>>1にあるのも含めて3つあるということですか?

347:人間七七四年
16/10/01 16:45:22.28 yhCe9+R+.net
>>341
まあそもそも清正や福島が、秀頼さまガーとやったとしてなにができるってことだよね
家康からしても赤子の手をひねるがごとし。
清正、福島が結託しようが小戦で終わる。だがあえてもめ事を起こす必要もない。
そこで清正、福島を刺激する必要もない。
暗殺も同様。せっかく相手が落ち着いてるのに刺激しても仕方ないよね

348:人間七七四年
16/10/01 17:40:23.99 d3zFTrox.net
>>346
訓戒の句であって辞世ではない

349:人間七七四年
16/10/01 19:36:11.58 91JuR45R.net
清正や幸長を淀殿の手の者が暗殺したという俗説もあるけど、
自分は全く信じていない

350:人間七七四年
16/10/01 19:58:20.95 S34OA4Nv.net
>>348
ということは
>>1の人はただ身の程を知れ~~
は辞世の句ではないということですね

351:人間七七四年
16/10/01 20:24:04.92 d3zFTrox.net
>>350
テンプレ作った人が間違えたものと思われる

352:人間七七四年
16/10/01 20:36:07.37 drMk5Wtx.net
とりあえずここ数年の岡崎城には
URLリンク(www.dotup.org)
があるが
久能山東照宮で日替わりな
URLリンク(www.dotup.org)
は俺は知らなかったが、もっと知りたい。

353:人間七七四年
16/10/01 20:46:24.85 1yUBlirB.net
>>351
次スレからテンプレ修正した方がよさそうですね。

354:人間七七四年
16/10/01 21:40:06.23 NZqM0TcX.net
>>352
くだらねー

355:人間七七四年
16/10/01 21:51:56.18 EueUmrqG.net
>>352
勝って兜の緒を締めよ

356:人間七七四年
16/10/01 22:06:57.10 no2im89h.net
岡崎城に掲示すべき
時世よりも大事な遺訓って具体的に何だよw

357:人間七七四年
16/10/01 22:56:01.35 XaX9JcfC.net
家康の遺した言葉はどれも名言

358:人間七七四年
16/10/02 02:40:14.16 JJVok+Vq.net
ご老体で江戸から大坂まで合戦に行くの大変だったろうね
自分なら大垣夜行でいくのも嫌になるくらい。
輿で暗殺の恐怖に怯えながら何日も掛けて行くとか
発狂するレベルじゃないの?

359:人間七七四年
16/10/02 02:50:51.80 i6AWlmos.net
それなのに若者は城に籠もりっきり。
大阪の陣の頃には攻城の道具の作り方を知ってるのが家康だけだったとか。

360:人間七七四年
16/10/02 08:11:18.83 FZKrxlQ/.net
真田丸ではお前らの大好きな徳川家康が、いよいよ悪の権化全開でw

361:人間七七四年
16/10/02 08:19:04.28 6A9f9+dX.net
信繁に共感する人が少ないから家康のキャラ変更したんだろうなあ三谷

362:人間七七四年
16/10/02 11:37:48.28 8U+ZKC7o.net
信繁はキャラ作りが講談幸村と差別化しようとして失敗した典型例だな

363:人間七七四年
16/10/02 11:57:34.64 iQHqt/2Z.net
そもそも幸村人気もあてにならんよな
まあ近年ここまで現実の姿が研究されるとコウモリ一家のどっちつかずの負け物語だとバレバレだもんなあ

364:人間七七四年
16/10/02 16:54:20.05 k8eVJODj.net
来年も、井伊直政のカーチャンなら家康いっぱい出てくるだろうなあ

365:人間七七四年
16/10/02 17:13:54.20 i6AWlmos.net
竹千代時代から出るみたいだな

366:人間七七四年
16/10/02 17:56:46.96 IsWFFIgx.net
>>364
こんどは家康が善役になるんだろうか。
天下人も色々忙しいことやで。

367:人間七七四年
16/10/02 18:18:43.76 i6AWlmos.net
>>366
直虎だと直政の主君を悪役にはできんだろう

368:人間七七四年
16/10/02 18:55:20.50 lssXAfYt.net
直虎の代での井伊家内紛による滅亡寸前状態は家康が解決してやったのだが、
近年の陪臣主役の大河傾向からすると、
逆に徳川家の諸問題を直虎が解決してやるファンタジーになると見た

369:人間七七四年
16/10/03 00:19:01.72 AVTxCz/d.net
地獄に落ちろタヌキ野郎が

370:人間七七四年
16/10/03 02:54:19.26 PrHniamC.net
>>369
秀吉成仏しろ
15代264年に渡り武家政権の頂点として君臨し現代に至るまで子孫繁栄している一族の開祖に地獄に落ちろと念じても虚しいだけやで

371:人間七七四年
16/10/03 03:03:18.31 N1o4k+36.net
>>370
秀吉の成仏は無理だろう。
秀次事件の犠牲者たちが許さない。

372:人間七七四年
16/10/03 03:06:03.69 PrHniamC.net
>>371
せやな
北条氏照や千利休にも呪われているから地獄行きや

373:人間七七四年
16/10/03 07:24:39.77 epnoXP69.net
家康は息子と嫁さんに.死んでから地獄でリンチされてるだろw

374:人間七七四年
16/10/03 08:28:19.15 5lei7UfC.net
>>373
息子と嫁はその前に三河武士にイビられているかと

375:人間七七四年
16/10/03 10:05:04.50 2WXq5LrS.net
嫁はともかくとして息子は完全に自業自得っぽいからなあ

376:人間七七四年
16/10/03 13:50:28.83 enTMG+34.net
日本国王だったらしいが・・・w 家康

377:人間七七四年
16/10/03 15:45:54.47 v8nPgd+M.net
今の日本の原型を作ったのは家康だから間違いはない

378:人間七七四年
16/10/03 16:38:56.74 xVYGAiCE.net
外交上で日本国王の肩書を使ったのは家康に限ったことじゃないからな
大したことじゃない
外国からも国王と呼んでくれた方が都合がいいだろ
天皇より下ということになるから

379:人間七七四年
16/10/03 16:48:11.03 enTMG+34.net
三河一向一揆で出奔した本多正信は帰参したけども一族の末路は哀れだな
石川数正も出奔してるが三河武士団は離反が多い

380:人間七七四年
16/10/03 17:04:09.90 VCUwvM26.net
>>369-375
鳥居元忠はどうしてますかね
家康公を恭しくお迎えしたのかな

381:人間七七四年
16/10/03 17:25:31.42 eKx5AjRv.net
>>378
中国あたりからすると日本の天皇ってのはもろに自国の天子とかぶるよな
どう折り合いつけてたのやら
つか皇帝ってのも曖昧というかいい加減なもんではあるのが歴史的にもわかっているわけだけれど。

382:人間七七四年
16/10/03 18:28:47.21 5lei7UfC.net
>>379
ちゃんと他家と比較検討した?

383:人間七七四年
16/10/03 18:43:03.84 dUQMWIWr.net
>>379
正信の二男政重の子孫は、加賀藩筆頭家老五万石で、明治に男爵

384:人間七七四年
16/10/03 20:45:20.93 cPqEk07w.net
・わざわざ小山から離反した
・てこずりまくりだった真田を
・初陣級の秀忠(徳川本隊)に通過させ
わざとって説は無いの?

385:人間七七四年
16/10/04 01:06:37.99 Jlmw/R5G.net
>>381
奈良平安までは遣唐使などで国書を普通に出していたが、隋唐は時代により班位は異なるが日本も朝貢国扱いにしてた上に
のちの日本国王に配当される権力者から書を呈されなかったので問題無しになってた。揉めたのは例の日出る処の天子云々の隋の時と幕末明治の時だけ。
それ以外の平安末期から幕末まで、天皇・朝廷が歴代中華王朝に国書を呈する事が無く
権力者(日本国王扱いされた人物)が中心に書を呈したので、事実上天皇の存在はスルー状態だったので問題無し。

386:人間七七四年
16/10/04 08:05:33.27 3cb0wvWd.net
いや、問題はあったよ
日本国王に関しては足利義満以来、大日本帝国が発足するまで内外において揉めに揉めた
朝廷と幕府という二重構造が対外的にどう扱うが非常に難しく、幕府側としても日本国王を使用する事の是非が何度となく議論の対象となり
使用されたり廃止されたり代替わりの度に繰り返されていた
結局、秀忠以降は基本的に日本国王は廃止されたが(家宣は一時期使用した)

387:人間七七四年
16/10/04 23:32:36.39 QNOs2RIb.net
本能寺の時さ、いくらなんでも重臣側近引き連れすぎだろ。やっぱそんだけ信長が怖かったんかな。国許には信康死んで子どもの秀康しかいないしやばすぎだろ

388:人間七七四年
16/10/05 15:43:00.64 DmhQ8zgC.net
信長が怖かったのではなくて、信長の支配領域内の旅だからと安心しきってったんだろ
秀康については後継者候補と考えた時期は無かったし、秀忠は生まれていたけど幼児
血統上の後継者候補はどうせ皆無。家康自身が死んだら徳川体制は終わりかねない期間だったかな
まさか織田領内滞在のタイミングで事変に巻き込まれるとは全く予想してなかったのだから、
後から考えると危ない橋だったように見えるのは当然

389:人間七七四年
16/10/05 18:32:41.18 Dg8N/aXj.net
お前ら毎回爺さん父さんの事例忘れて
そういう反論するけど、全く納得できんわ。

390:人間七七四年
16/10/05 19:11:56.88 DmhQ8zgC.net
織田と敵対中に抹殺された祖父や父と、
同盟関係中にあった家康という
状況が逆の状態間の比較が何だって?

391:人間七七四年
16/10/05 19:20:30.26 VGHLJ9vg.net
さすがに、さすがに酒井忠次、石川数正のどっちか一人でよかったじゃん連れてくの。井伊や榊原あたりはどうでもいいけど

392:人間七七四年
16/10/05 19:32:45.06 aF484xcg.net
子は一行に入っているけど、大久保忠世・石川家成が在国で、
大須賀康高・本多重次・天野康景等も在国

393:人間七七四年
16/10/05 19:33:49.58 EttM+487.net
>>390
簡単にやられるって例えだろw

394:人間七七四年
16/10/05 19:46:57.55 7LTljim3.net
>>391
まあ安土城見学ツアーに全社をあげてふるくからの社員連れて慰労したつもりなんだよ

395:人間七七四年
16/10/05 20:37:06.00 m4O5zmLj.net
本田忠勝、服部半蔵みたいに連れて行って良かったメンバーも少なくない。

396:人間七七四年
16/10/05 20:46:45.40 DmhQ8zgC.net
>>391
どうでもいいというか、この時期の井伊直政は
家康の護衛も兼ねてるから外せない
その分、大身ではなかったけど

397:人間七七四年
16/10/06 08:03:31.14 bnRyC17q.net
一門総出で出ていったらおかしいけど、家臣は連れていってもおかしくはない
家臣だけが国許で生き残っても意味がないし
そもそも留守居役は大概決まったメンツだからな
上洛より遥かに危険な合戦でも、主だったメンツはみんな出陣する訳だし

398:人間七七四年
16/10/06 11:46:19.98 +9zzdGVo.net
>>390
それは大変だ。念のために信頼できる家臣いっぱい連れて行かないとな

399:人間七七四年
16/10/06 11:47:14.08 +9zzdGVo.net
間違えた>>389

400:人間七七四年
16/10/06 15:07:27.74 LuLFby2X.net
平岩親吉、鳥居元忠の過大評価つーか厚遇っぷりがムカつく

401:人間七七四年
16/10/06 15:37:43.32 bnRyC17q.net
元忠はあれだけ長年仕えたのに最後は捨て殺しにされたし割りを食っただろう

402:人間七七四年
16/10/06 23:07:24.40 f2EgvB1C.net
>>401
んなあことはない。あの功績が大きすぎて江戸時代鳥居家が不正をやっても元忠の功績に免じて罪は問わないってのが何度もある。

403:人間七七四年
16/10/07 01:49:03.15 hY7W1JHx.net
井伊家に次ぐ24万石の出世頭やでな
内藤家も2万石から3万石に、松平家忠の子は加増を断った代わりに故郷に復帰
伏見組はみんな優遇されてる

404:人間七七四年
16/10/07 17:36:35.06 ygKI22Y4.net
>>392
石川家成は引退済みじゃなかった?
御一行に入ってる息子の康通の方が当主だと思った

405:人間七七四年
16/10/07 17:59:33.77 QaIsQxcM.net
>>404
確かに、失礼

406:人間七七四年
16/10/07 21:03:20.46 s5VcWq1N.net
>>401
老死のが恥じただけだろ?

407:人間七七四年
16/10/08 10:58:57.02 yC5SOz01.net
家康は元忠に酷いことをしたよね(´・ω・`)

408:人間七七四年
16/10/08 11:34:49.11 5BMa7yDJ.net
「島津なしで2倍も持ちこたえて、
三成ごとき東軍勝利間違いなかろう」とか思ってて
元忠はしてやったりだったと思うが
ほかに伏見城死守させる適材居たなら出せば?

409:人間七七四年
16/10/08 12:20:11.50 0aANz9Sr.net
元忠爺さん、畳の上でなんか死なずに死に花咲かせられて嬉しかったんじゃないか。

410:人間七七四年
16/10/08 12:29:16.02 mfpLTxX3.net
武将たるもの、って気持ちじゃないと死んでくれって言われても困るわな
まあ戦国時代の死生観は現代人からしたら厳しいな

411:人間七七四年
16/10/08 12:42:33.87 gjh241B3.net
長年忠節を尽くしてきたのに報いるどころか捨て石にするなんて酷すぎるよね(´;ω;`)
鬼!悪魔!家康!

412:人間七七四年
16/10/08 12:51:59.32 +hvwbx+s.net
しつけーよ

413:人間七七四年
16/10/08 13:05:49.65 gjh241B3.net
。・゜゜(ノД`)カワウソー

414:人間七七四年
16/10/08 14:29:20.46 RYEY9nm8.net
家康を悪者に仕立て上げるために
わざわざ捻じ曲がった解釈をしてみせなくてもいーよ

415:人間七七四年
16/10/08 14:53:18.67 RYEY9nm8.net
家康贔屓にとって最も触れられたくない事件・堀川城の撫で斬り
これは井伊領のすぐ傍で起きたから、来年の大河で扱われる可能性は非常に高い
直虎は止めようとした、なんてファンタジー展開にでもするのだろうか

416:人間七七四年
16/10/08 15:07:17.85 FNsMUk9v.net
別に騙し打ちにしたわけでもないしそこまで触れられたくないわけでもない

417:人間七七四年
16/10/08 15:16:33.91 +hvwbx+s.net
触れられたくないという印象はないな。慈愛の人で売ってるわけでもないだろうし

418:人間七七四年
16/10/08 17:02:03.94 mfpLTxX3.net
撫で切り=残虐ってのもな
戦国時代じゃ当たり前にあった話だし、示威的なことをやらんと見せしめにもならん
必要悪。

419:人間七七四年
16/10/08 18:02:35.68 x6tG1QMH.net
信長秀吉に比べたらかなり優しいと思うよ家康公は

420:人間七七四年
16/10/08 20:12:57.68 Y3KDa6Hh.net
>>419
アホか
大阪の陣で大坂の町民を虐殺したのが神君徳川家康w
三代目の家光が大阪城を再建して、大坂の地租を免除すると宣言

421:人間七七四年
16/10/08 20:33:35.79 +hvwbx+s.net
つまんね

422:人間七七四年
16/10/08 20:44:34.84 mfpLTxX3.net
>>420
そりゃゲリラ的なテロリストは殲滅しておかないとあとで問題おきるからな
あの大阪時点で堺にのこってるのは一般人じゃねえから

423:人間七七四年
16/10/08 23:07:41.68 x6tG1QMH.net
それに大阪の陣の時の将軍は秀忠やし。
信長秀吉が関ヶ原の時の総大将なら西軍に与した大名たち皆殺しだよね?

424:人間七七四年
16/10/09 11:29:01.92 gK58Y1Zk.net
>>418
当たり前にあったからと言って許される事ではない
当時も撫で斬りは当たり前のように批判の対象になった

425:人間七七四年
16/10/09 11:36:06.24 xBdHcHvE.net
>>419
信長は忍耐強くて優しいよ
信長が残忍なんて大昔のファンタジーでしかない
秀吉は元々人格者だし
最近は朝鮮人が必死に秀吉残虐説という虚構を流布しているけど

426:人間七七四年
16/10/09 11:56:57.33 cN+SnEP0.net
>>425
甥の妻妾、娘を30人以上公開処刑で穴に埋める人格者

427:人間七七四年
16/10/09 12:23:18.83 5Gin1vta.net
>>424
で、堀川の件は批判されたの?

428:人間七七四年
16/10/09 12:42:08.51 eCvsjHC1.net
>>424
現代人が批判する必要はないよ

429:人間七七四年
16/10/09 13:01:37.61 4RAoGjoZ.net
堀川城を落とした後、武装解除済みの捕虜700人を皆殺しにしたのは愚策
今川から徳川に乗り替えても良いと考え始めていた遠江の諸勢力の態度を硬直させ、
天方氏のように非協力的に転じた者、武藤氏のように反徳川感情を固める者などを続出させ、
勢力拡大の足枷になった
捕虜の大量惨殺は結局のところ、マイナス面だけが見出され、プラス面は特に挙げられていない

430:人間七七四年
16/10/09 13:11:48.93 eCvsjHC1.net
まあ項羽と劉邦の攻め方の差みたいなもんもあるかもね
ただそれは徳川の進攻が無敵で無血開城、臣従がまず見込めてたのに、って前提があった場合のデメリットだよね
実際は徳川も磐石ではない状態、示威行動をしてまわりからなめられないようにしていくのも方策としてはあり
攻めるばかりでなく攻められることも頭にいれておかないと。

431:人間七七四年
16/10/09 13:33:42.76 NHNwm2mm.net
>>426
たった30人で騒いでいたら家康や秀忠など悪鬼ですわ

432:人間七七四年
16/10/09 13:43:56.01 BDsdqznq.net
>>425
ほんそれ
天下泥棒の徳川家康を崇めてる奴なんて、絶対に友達にしたくないよな
いつ寝首をかかれるかわからん

433:人間七七四年
16/10/09 14:02:31.44 eCvsjHC1.net
家康がどうとかで人間関係いいだすお前がむしろ避けられる側だわ

434:人間七七四年
16/10/09 14:31:09.83 4RAoGjoZ.net
天下泥棒は秀吉なのだが

435:人間七七四年
16/10/09 14:43:41.98 43k8nblN.net
家康というか安祥松平の血統は病的に短気で癇癪持ちであるが、何故か忍耐の人などという真逆の事を自称している
前田なども利家は大恩ある親父殿を卑劣な裏切りによって敗死させている訳だが、律儀者などと真逆の事を自称している
昔から言うが、人間は己に無いものや都合の悪い事は真逆の言動で覆い隠そうとするという
彼等の人気のなさはその辺りに起因しているのだろう

436:人間七七四年
16/10/09 15:02:17.45 4RAoGjoZ.net
家康が忍耐の人だの苦労人だのの虚構を広めたのは山岡荘八じゃないのかと思ってる
松平宗家の逆境が著しいのは広忠現役~竹千代の身柄が織田信秀の手許にあった頃で、
今川の下では大変に優遇されている
家康と近い世代の三河本籍武将たちが苦労時代を回顧したのも、前述の逆境時代のこと
勝手に拡大解釈して、家康の人生が忍耐の連続だったなんて言い出したのは
はるか後の世代の者で、家康本人の責任じゃないだろ

437:人間七七四年
16/10/09 15:10:34.40 43k8nblN.net
その通りだと思う
家康に限った事ではないが本人の意図せぬところで虚構が流布されて
その虚構ばかりを信奉して本人そのものを見ようとしない人が多い
これでは存在を否定されているのと同じであろう

438:人間七七四年
16/10/09 17:50:47.29 ROJDP1Bo.net
>>425
優しいかどうかはともかく、忍耐強かったのは信玄と謙信への対応だけだろ。裏切った奴らは皆殺し

439:人間七七四年
16/10/09 20:22:28.94 vdUhZbUWD
家康は嫌いというかそもそも戦国武将というものに興味がない。
歴史の主役はあくまでも農民と労働者であり
武将や貴族は歴史の付け足しでありファンタジーの住人に過ぎない。

440:人間七七四年
16/10/09 21:11:13.38 s3oQeNqT.net
>>438
信長は裏切ったり怠慢な相手にも何度も弁明の機会を与えて、長いときは何十年も我慢し続けた挙げ句に処分している
信長ほど忍耐強い人物は他に聞いたことがない
普通だったら直ぐに追放か打ち首になっているよ

441:人間七七四年
16/10/09 21:31:05.84 dV9q5OlY.net
家康公のデフォを今さらwww

442:人間七七四年
16/10/09 22:03:40.38 u/qDkPCg.net
>>425
城兵を助ける約束で城主が切腹したのに
その約束を破り城兵を皆殺しにした上
それを書状で自慢げに書く秀吉が人格者ねぇ
まあ小説程度の知識しかなく秀吉を批判する奴は
半島人や在日扱いする豊臣贔屓らしい反応だけど

443:人間七七四年
16/10/09 22:51:46.71 7EW1go6j.net
>>440
それで最後は殺されているのだからお話しにならない


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