【信長のシェフ】戦国時代の食文化を議論するスレat SENGOKU
【信長のシェフ】戦国時代の食文化を議論するスレ - 暇つぶし2ch32:人間七七四年
14/08/16 18:24:16.56 zDCn1JD6.net
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)

大坂夏の陣について

「米五升、干鯛一枚、並びに糒樽、その外味噌、鰹節、香ノ物、右の通相応に持たせ参るべし。
此外は少も持参つかまつる間敷」(武辺咄聞書)

「今度は手間もいるまじく候間、惣軍小荷駄も無用につかまけり、
三日の腰兵糧ばかりにて罷り出づべし」(大坂御陣覚書)

前述した逸話を見ると徳川家康は大坂夏の陣は短期決戦と踏んで出陣しているようです。

33:人間七七四年
14/08/17 04:14:53.41 S+M53Loi.net
>>30
>>31
米や味噌だけど、
その量が半端じゃない。

もちろん長期戦で足りなくなって来る事もあるけど、
一日で玄米五合食うレベル。
大豆自体が貴重だから雑兵は戦さでもなければ味噌は食えない。
普段は塩汁、糠味噌汁。
戦場では塩分、ミネラル初め消費される大量のエネルギーを
大量の玄米と味噌で補給する。
ついでに言うと、大河の官兵衛でも中国大返しで
兵を走らせながら「味噌は必ず舐めよ」と絶叫してた。
経験上熱中症やエネルギー補給に関して何が必要か熟知してる。

すごーく大ざっぱに言うと、
ほぼ百姓の雑兵は米、味噌食えなきゃ戦さなんてしない。

34:人間七七四年
14/08/17 19:47:01.40 9i3r8aw5.net
>>33
末端の兵達には一度に米を配給すると直ぐに酒(濁酒)にしてしまうから
面倒でも一食分ずつ小分けして配れって言われてたけどな
なので実際は米を大食い出来る機会は戦に勝った後だけだった
多少餓えてる方が略奪にも身が入るしな

35:人間七七四年
14/08/17 21:47:50.00 VLUFKBwO.net
>>32
干鯛って美味しいのかな?聞いたことないがw

夏の陣で干鯛食って豊臣を滅ぼしたから、
翌年に鯛の天ぷらが当たったのか? すごい縁だなw

36:人間七七四年
14/08/17 22:03:55.97 TrSz7JO7.net
タイは身が締まって脂が少ないから
干物にすればカチカチになって日が経っても酸化する脂が少なく保存が利くんだよ

いま考えた説だけど

37:人間七七四年
14/08/18 00:31:03.14 kYV8dANv.net
>>36
それに近い事を海原雄山が言ってた。

もちろん美食対決だから
山岡さんがそれに近いの持って来て
だから食えたモンじゃないってな(実際は旨かった)

ついでに言うと、大久保彦左衛門が病床の井伊直政を見舞った時に
鰹節の欠片を持って行ったと言う逸話がある

鰹節は栄養価の高い機能的な戦場食だったから
実際に病気見舞いと
ともに鰹節をしゃぶって戦場を駆け回った仲の懐旧と
立身出世していいモン食い過ぎたんだろうと言う
彦佐らしい皮肉もあったのでは。

38:人間七七四年
14/08/18 07:25:35.39 t1Fi46Di.net
例の大名の弁当の逸話を見るに
鯛より鮭の方が高級だったかもしれないな

39:人間七七四年
14/08/18 23:31:01.66 kYV8dANv.net
産地が限定されてるって事もあるかな。

鎌倉殿の好物ってのでも有名だけど

豊臣秀吉が毛利輝元を歓待した時も
地理的に毛利には珍しい鮭を使ったのは
秀吉らしいやり方と言われてる

40:人間七七四年
14/08/19 07:34:55.42 pw91Mj0H.net
今も昔も鮭は人気なんだな
江戸中期には村上藩で放流が始まったし
戦国時代にも佐竹家中で鮭を巡って配下の額田氏と石神氏が戦になったという逸話もあるし
相当に高価のものであったようだ

41:人間七七四年
14/08/19 12:43:34.63 ja1NqZsR.net
>>40
内陸までやって来る海の魚だから各地で珍重された様だな
内陸に存在する鮭神社は昔はその地域まで鮭が遡上してきた証拠

42:人間七七四年
14/08/20 15:57:12.12 xfcQpAaF.net
官兵衛「吉川様のそのお命、この官兵衛にくだされえええ!!!」

鮭弁当を差し出す官兵衛

鮭弁当食べて体調悪化した吉川元春

ぜひ大河でこの流れを

43:人間七七四年
14/08/25 22:45:01.49 aZU5gYdW.net
結局鮭は出てこなかったな

44:人間七七四年
14/08/29 17:01:26.57 lKDFZpT0.net
信長のシェフで、義昭にすっぽん料理を食べさせたのは面白かった

義昭がこだわっていた年号の「元亀」へのあてつけだと思ってたのが

45:人間七七四年
14/08/29 19:40:33.93 GbgsLNKG.net
大河の利家とまつで
浅野長政がそうめんを食べるシーンがあったな

当時のめんつゆとかどうだったんだろ

46:人間七七四年
14/08/29 21:11:56.44 lKDFZpT0.net
ウィキペディア先生によると、
奈良時代の長屋王の屋敷から出土した木簡に、
そうめんの記載があるらしいが、
室町時代から今のそうめんになったらしい

結構歴史があるんですなあ

47:人間七七四年
14/08/29 22:27:10.12 7t0m7ntB.net
>>45
酢と塩だろうね

48:人間七七四年
14/08/29 23:58:49.58 nkb4W7SD.net
ねーよwww煮貫きだろww

49:人間七七四年
14/08/31 15:19:49.72 AGA0WYgK.net
大河ドラマの時代考証は何をやってるんだ?
信長のシェフを見習って、当時の食事をちゃんと再現せい

50:人間七七四年
14/08/31 16:00:15.54 o0XbFA8/.net
めんつゆ
こんぶだしや鰹だしはずっと後なのか

51:人間七七四年
14/09/01 07:17:03.87 8Raj6Hj0.net
少なくとも室町時代には確認されているようだから、戦国時代にはあったろうな

52:人間七七四年
14/09/03 09:27:50.80 tjRNVZyt.net
そもそも醤油が江戸時代中期からだろ
戦国時代はにゅうめんみたいに味噌汁に入れて食べるのは有ったかも

53:人間七七四年
14/09/03 23:26:25.27 +LSGJqJr.net
永正10年 1513 臥蛇島より種子島氏へカツオ節5連、カツオ煎汁の小桶、綿18把(実際は9把)を上納。

と言う記録が有るみたいだから、
カツオ煎汁=カツオだし

はあったんじゃないかな。

54:人間七七四年
14/09/04 10:33:46.66 /IvtprRM.net
>>50
出汁はあった。
すでに鰹節の原型はあったよ。

ただ江戸時代の初めごろまでは、醤油よりも味噌のほうがよく使われていた。
そんなわけで水戸黄門が若いころ町の屋台でうどんを食べたり、後に自分で
打って家臣にふるまったときの汁は味噌ダレ。

55:人間七七四年
14/09/04 22:30:38.70 Ou2Rj+7o.net
醤油は信長のシェフにも出てこないね
戦国時代にはなかったと説明していたはず

それにしても信長のシェフが最終回とは残念だ
面白かったのに

56:人間七七四年
14/09/05 00:56:23.05 ocTeY7Rt.net
戦国時代なんて味噌味噌アンド味噌の頃
とはいえ大豆の万能性には恐れ入る

57:人間七七四年
14/09/05 07:19:06.32 49Jtgl6I.net
現代でも大豆の万能性には驚くよ
最近は消滅に瀕しているけど、ご飯、味噌汁、納豆、焼き魚という定番朝食とか
味噌汁は味噌(大豆)、豆腐(大豆)、油揚げ(大豆)
納豆は納豆(大豆)、醤油(大豆)
とか大豆だらけ
大豆に大豆の具を入れて大豆の調味料で味付け
日本人と言えば米だけど、実際は米と大豆と言うべきだな
江戸時代には豆腐料理だけでも数百種類あったらしいが
戦国時代にもそれなりにあっただろうね

58:人間七七四年
14/09/05 07:55:06.82 7ox6pl5f.net
米と大豆製品があれば日本人は生きていけるな

59:人間七七四年
14/09/05 11:50:03.43 r5eBfNQH.net
>>6-7の宣教師の記録にも豆や豆腐が言及されている
空豆を食べていたというのに、ちょっと驚いたが

60:人間七七四年
14/09/06 04:49:20.65 c7etwC9X.net
実際味噌と玄米さえ食ってれば必要栄養素は摂取できるとか聞いた

61:人間七七四年
14/09/06 07:22:13.61 jhGBqF2Q.net
白米に替わってから脚気が急増した裏付けがあるからな
その他の雑穀を混ぜるのは栄養補完ではなくコスト削減のためだし
蕎麦も同じように安物穀物扱いだった

ところで大豆は少なとも平安から使われているのは知っているが
救荒作物であることが判明したのはいつ頃だろうな

62:人間七七四年
14/09/06 22:02:42.23 Cmwt5x2E.net
正月に黒豆を食べる理由は、まめまめしくなるためにとかいうよね

63:人間七七四年
14/09/07 04:34:40.74 WH222Ntd.net
>>57
大豆を腐らせた=納豆
大豆を箱に納めて固めた=豆腐
なのだが、どこかで名前が逆になった説があるよね

64:人間七七四年
14/09/07 05:59:25.96 G19ltSST.net
枝豆は未成熟な大豆

65:人間七七四年
14/09/07 10:20:00.11 RySLBVEI.net
納豆は、戦国時代に行軍中とかで偶然出来てから広まったイメージがあるけど、豆腐はどうなんだろう、中国から入って来たのかな?

66:人間七七四年
14/09/07 17:40:58.63 FT6x63qp.net
確かに、中華料理ではぷるぷるした状態を「腐」という。
それでも中国の麻婆豆腐が存外カチッとしてるのは、ご存知の方も多いと思う。

67:人間七七四年
14/09/07 17:50:13.89 FT6x63qp.net
中国では、「腐」という字は腐敗菌で分解された(つまり腐って危険な状態)ことを意味するんじゃなくて、
単に柔らかいことを言っていたのかも。都の肉だし。
「老」という字が、もともと年輪や経験を重ねて立派になったことを意味していたのが、
日本では、いつしか機能が低下してよれよれになったことを意味するようになったように。

68:人間七七四年
14/10/05 22:40:06.23 ybJzdxl3.net
レストランじゃ豆腐と言わずに豆富というメニュー名になってきてるね

69:人間七七四年
14/10/28 06:57:50.91 xdcoo2HP.net
醤油が無かった時代、刺し身はなんで食べていたんだろうか?

70:人間七七四年
14/10/28 11:24:02.23 uNruor42.net
煎り酒

71:人間七七四年
14/10/28 17:51:54.68 i0fPB//t.net


72:人間七七四年
14/10/30 03:38:33.23 NVCwm5xb.net
塩かな?

おむすびとかもどうせ具はなかっただろうし、塩くらいは振ってたのかな?
個人的には味噌のおむすびが好きだけど

73:人間七七四年
14/10/31 02:19:35.76 7couTZhp.net
安土桃山時代は取り敢えず味噌というイメージ

74:人間七七四年
14/11/02 21:09:30.67 a5918MXS.net
210 �� 439,583: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2014/11/02(日) 19:16:32.37 ID:ZWWSJUFb0
昔、ある田舎町にとっても繁盛しているホットドッグ屋があった。
経営しているのは老人だったが、いつも笑顔で愛想のいい店主であることも評判が良かった。

この老人が作るホットドッグは「全国一おいしい」と評判だった。
焼きたてのパンに具はボリューム満点で、申し分なかった。
店員の応対も感じがいい。
毎日たくさんのお客さんが来店した。

店内で1個ホットドックを注文して食べ、帰りにまた1個テイクアウトしていくお客さんも珍しくなかった。
毎日とても繁盛していた。

ところで、この老人には息子がいた。
ある有名な大学で経営学と経済学を学んでいた。

ある日、息子が帰ってきて老人の経営ぶりを見て言った。
「お父さん、今は景気が後退しているんです。経費の削減が必要です。
まず、従業員を減らしましょう。
店内の照明も明るすぎます。
広告もやめて宣伝費を浮かしましょう。
ホットドッグの具を減らし、安いパンとソーセージに変えるんです。」

老人は、学のある優秀な息子の言うことに従った。
あれほど美味しかったホットドッグはまずいものになった。
店内は暗くなり、従業員のサービスも行き届かなくなった。

次第に客足は減り、数ヵ月後、このホットドッグ屋は潰れた。

老人は言った。
「やっぱり息子の言う通りだった。確かに不況はやってきた」

75:人間七七四年
14/11/30 11:07:25.94 EyDwHNXh.net
>>74
まるで今の日本を見るような話。

76:人間七七四年
14/11/30 18:05:17.27 qP4w27BE.net
>>69
魚醤とかもなかったの?

77:人間七七四年
14/12/01 20:46:20.86 IUqGJzaW.net
時代は違うんだが御用牙で刺身を塩汁みたいなのにつけて食う話があったな

78:人間七七四年
14/12/01 21:01:58.42 N5JP6550.net
時々親戚から玄米が貰えるから、味噌つけて玄米だけ食べてみようかな。
それだけでいいなら、家計的に助かる。
ただ、頑張っても1日5合は食えん。

戦国時代は何から何でも人力だから戦のときでなくても今より運動量は多かった
だろうけど、よく5号も食べれたな。

79:人間七七四年
14/12/02 06:45:52.80 QQ6O/w83.net
おかずが少ないと食べられるものだよ

80:人間七七四年
14/12/02 12:17:58.64 lJVPFA+6.net
野菜も食わんとビタミンC不足で死ぬお

81:人間七七四年
14/12/02 12:58:55.81 hbaxEtCz.net
>>78
植物性食品だけで飯食ってるとすぐ腹が減るから
1日5合もいけそうな気がする

82:人間七七四年
14/12/26 10:22:21.63 NcTIcz0p.net
庶民が鉄の包丁や鍋を持っていたのかな?
貧乏人には錆びる金属包丁や鍋なんて維持するのも大変そう

83:人間七七四年
14/12/26 11:46:03.38 SfJuMxRa.net
>>82
室町時代には農具や包丁、鍋はたたら製の鉄のものが一般的になってたらしいから大変ってほどじゃないんじゃないかな?
砥石もあっただろうし

84:人間七七四年
14/12/26 14:04:34.85 XWwk4SsO.net
明の記録で、倭寇が好んで略奪していく物の一つとして鉄鍋が挙げられている。
まだ国内の需要に対して供給は不足ぎみだったんだろう。

85:人間七七四年
14/12/27 10:47:52.40 6J7Cy3nB.net
>>84
鉄鍋は大きい物が好まれたらしいから大きい物が不足してたんじゃね?
たたらの鉄で小型の物は広がってたけど、ふんだんに使った物は珍しかったんじゃね?

86:人間七七四年
15/01/10 10:09:42.72 nATNL8Yw.net
もてようとして鉄包丁を使っていた
男がいたんですよ
       / ∧__∧  
,,∧_∧  /  (-Д- ) 
( ´・ω) \/〇と_丿 
( つつ| ̄ ̄| Y 人  
し―(___)__| (__) J 

        な~に~!
         やっちまったな!
       / ∧ ∧  
,,∧_∧  /  (゚`□´゚)  
( ´・ω) \/〇と__丿  
( つつ| ̄ ̄| Y 人   
し―(___)__| (__) J  

         男は黙って!
          石包丁!!
     〃〃 ∧∧  
,,∧_∧ 〃/ ̄7(Д´ ) 
( ´・ω) 从从〇と_ 丿 
( つつ| ̄ ̄| Y 人 
し―(___)__| (__) J 

87:人間七七四年
15/01/24 20:33:43.63 5vxntBtJ.net
織田信長生誕の地 勝幡城推定復元模型
URLリンク(mirai660.net)

88:人間七七四年
15/04/21 09:48:08.87 r5ltiz8u.net
なにか手軽にできる戦国料理の料理を作ってみたいな

89:人間七七四年
15/04/21 10:46:21.27 SYRoUstL.net
焼き味噌と湯付け

90:人間七七四年
15/04/22 11:46:30.12 JHqUEsxy.net
食材自体が変わってるから
味を再現するのはなかなか難しいかもしれない

91:人間七七四年
15/06/04 18:47:31.54 4a2AsVbv.net
戦国時代、農民や下級武士は赤米や黒米、雑穀、麦飯あたりが主食だったという。
そこで気になったんだが、年貢として領主に収める米は、全部ジャポニカ米だったのか?
薩摩藩は赤米まじりと聞いたことがあるが、混合していたのか区別していたのかが気になる……
それとも、戦国時代で言う白米とは赤米とかを精米したものなのだろうか


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