17/11/07 23:58:12.81 vUV2AIQN.net
>>776
いやいやいや、別に遠回りをしたわけではなく、堂々と素通りしたようなのですけれどねえ。
宇佐山城の城兵には、朝倉浅井を出撃して攻撃するような余裕はなく、
逆に出てくれば、朝倉浅井にしてみれば幸い、という感じなのでございますしねえ。
>防衛に成功した坂本
とはおっしゃいますが、朝倉側は森可成との戦いを下坂本合戦、と呼称しており、
「防衛しようとした」のが森可成、であり、「それを攻撃して勝利した」のが朝倉浅井であるのは
極めて明らかなように思われるわけですしねえ。
近江の一揆は普通にその後も戦いを続けておりますし、秀吉と丹羽は通路を確保しただけのように思われる次第なのではございますけれどねえ。
で、その六角などが和睦した状況の朝倉浅井に対して、信長は攻略する事が非常に苦しくなり、
比叡山を味方にしようとしても拒否され、(元々比叡山の領土を奪って困窮させたのが織田なので、これは自然な流れに思われますかねえ。)
堅田に坂井を送って封鎖をしようとしたら、朝倉浅井側の反撃を受けて、坂井及び堅田豪族衆の軍勢は、
文字通り壊滅寸前とも言える程の被害を受けての、大敗北をする事になり、
信長は朝倉浅井に対して、「将軍様の政道に異論があったらどんどん言ってください!相互に相談しましょう!
畿内の寺社・公家の政道に関しては、そちら側から沙汰される事に異論などありません!」
的なほとんど土下座降伏宣言に近い書状を送って、和睦を要請する事になっている次第なのでございますから、
そのように申されますのは、逆に信長を貴方が叩いているような論旨となってしまうのではないかと
思われてしまう次第なのでございますが、如何なものなのでございましょうかねえ。