14/02/09 23:34:39.88 vGkFiuR4.net
もう止めようよ
どうせコピペ爆弾と自作自演で何がなんだかわからなくなる
3:人間七七四年
14/02/09 23:55:15.51 juWurMwE.net
雑談スレにしようか。
4:人間七七四年
14/02/10 08:07:36.92 zMGPp8Wb.net
また立てたのか
どうせコピペヤローに荒らされるだけなのに
5:人間七七四年
14/02/10 08:28:02.45 exDylL1R.net
平山優『長篠合戦と武田勝頼』(吉川弘文館、2014年発行)
6:人間七七四年
14/02/10 08:59:46.43 vU6SmeeK.net
・信長公記
・三河物語
・高柳光寿の「長篠の戦い」
これだけ読めばよい
7:人間七七四年
14/02/10 12:41:20.80 nFsZVcI1.net
うーん、前スレ終わりは中身のない事で結構荒れてたんだね。
今回はちゃんとした流れで行ってほしいなぁ。
8:人間七七四年
14/02/10 17:07:53.30 ulE7oiLK.net
長篠日記が無視される理由がわからない。
成立年代からいえば信長公記や三河物語、松平記よりも遥に信頼のおけるものとみるべきなのに
9:人間七七四年
14/02/10 20:43:34.56 8eVJoA0e.net
むしろ信長公記を一切読んだ事ない人の方がまともな判断が出来るのは間違いない。
10:人間七七四年
14/02/12 14:48:50.30 xoxVNcC9.net
>>5
軍記話もやたら採用しまくり、
本を分厚くするのに必死な本だったな。
11:人間七七四年
14/02/12 17:36:16.60 m/Nxm4U8.net
平山さんの三段撃ちの考察はわりと面白かった
12:人間七七四年
14/02/12 21:14:12.13 1E7aXOAv.net
>>10
菅沼さんこんばんは
13:人間七七四年
14/02/13 08:14:10.29 g3xyiXWS.net
>>11
今はなかったんじゃないか、と思われる三段撃ちが本当にあったかの考察は
面白いよね。
実際、現地行くと三段撃ちどうのより、騎馬の突撃が難しいのが解る。
14:人間七七四年
14/02/13 08:56:27.29 uMt1LNfG.net
>>10
軍記話が事実かどうかなどと長々と説明してるが、
それが完全に説得力が無いからね。
新しい話は全くなく、既読内容からはみ出した考察もなく正直ガッカリ本だわな。
15:人間七七四年
14/02/13 09:09:49.97 nah80G5H.net
何をそんなに平山氏に期待してたんだw
藤本著書にも大きく劣るだろう平山さんの本
16:人間七七四年
14/02/13 09:38:18.76 dRg2z3al.net
前スレみたいに一次史料じゃないから無意味、みたいな論争する人達は、
もうこのスレに書き込まないで欲しい。
仮定を積み重ねての総合的な判断も一つの説として考え、
多数の説を並行して検証すればいいと思う。
17:人間七七四年
14/02/13 09:58:31.45 uMt1LNfG.net
>>16
裏付けの無い話を語る意味なんてないだろ。
妄想で自慰したいならチラシ裏へ。
18:人間七七四年
14/02/13 10:34:08.05 rJbxFUEl.net
>>16
菅沼が自作自演で暴れるだけだからスレ続行自体諦めた方がいいよ
19:人間七七四年
14/02/13 11:46:44.48 YQlpjfqk.net
>>16
そういうの語りたいなら自分でスレ立てた方がいいよ
ここは今も昔も真実を語るスレだからさ
俺も二次創作とかするからそういう仮定を考えるのは楽しい
でもこのスレにはそういうの求めるのは違うと思うんだよね
20:人間七七四年
14/02/13 12:33:02.28 tbZDX6rP.net
小説講談軍記ifは、
大河板かゲーム板の歴史ゲームか、
歴史難民板か三戦板か一般書籍でやれよアホ織田チョン。
21:人間七七四年
14/02/13 13:02:32.56 NkZgspbo.net
・・・と妄想だがサンが提案しております
22:人間七七四年
14/02/13 16:14:34.28 KSkljrmU.net
菅沼遼太w
23:人間七七四年
14/02/13 20:17:30.50 8AvEz/Ma.net
成立年代から考えて同時代史料の長篠日記の資料的価値が
信長公記三河物語松平記大須賀記に劣るという事は絶対にないだろう。
後者が参考になるというなら長篠日記や甲陽軍艦の記述も当然採用すべきだし
無視するのは絶対おかしい。
24:人間七七四年
14/02/13 20:22:04.42 m0jvoI3X.net
高柳氏によれば長篠合戦での武田の動員兵力はわずか6000とかいてて局地戦レベルでしかないのがわかるし
多聞院日記には武田勢は1000戦死しただけと書いてる。
結局武田軍の中のごくごく一部が局地戦や小競り合いで負けただけでしょ。
25:人間七七四年
14/02/13 20:28:47.49 rJbxFUEl.net
我慢出来ず菅沼遼太が自作自演をまた始めましたw
26:人間七七四年
14/02/13 20:45:36.32 m91OA2Ho.net
>>23.24
だからお前さんが信じるんだったらそれで良いんじゃないの?
いちいち人に絡むなよ。
議論するなら構わないが、いつも人に絡んで自己主張押し付けて疑問を呈されたらコピペ爆弾の繰り返しじゃないか?
27:人間七七四年
14/02/13 21:12:52.71 tt6XjLyG.net
議論や意見の交換の場として
片方側の史料とか偏った意見だけではなく
双方の史料や意見を読んだり参考にすべきと言ってるんだよ
ましてや松平記や信長公記や三河物語や大須賀記なんて
成立年代からいっても長篠日記よりも遥かに後年で、信憑性に非常に疑いが残るものなのに
長篠日記は無視で信憑性微妙な三河物語信長公記など勝者側の史料しか読まないとか偏ってるにも程があるだろ。
多聞院日記とか織田分国内の史料でみても僅かな戦死者だと書かれてるし
合戦前後でも両者の勢力図にもほとんど影響を与えてないしな
28:人間七七四年
14/02/13 21:14:41.88 1b+ZMNp0.net
>>27
皆、菅沼が現れないことを望んでるだけ
29:人間七七四年
14/02/13 21:18:42.26 T1YouBDE.net
>>26
意見押し付けも糞も、最初から武田側の主張に耳を塞いで聞き入れようともせず
信長が兵を後方に隠しただの鳶巣山砦を奇襲されただのまともな史料にもない妄想垂れ流して
相手の意見を全く無視しまくって自演とレッテル貼りで議論から逃げまくってるの織田厨じゃんw
そんな一方的な虐殺が行われたなら、長篠直後で速攻で武田は滅ぼされてるっつーの。
武田100万石に対して織田500万石徳川40万石上杉120万石で武田が虐殺されまくったなら
瞬殺するには十分すぎる国力と兵力差だしな。岩村一城でもたついて上杉と協力しての信濃攻めに遅れるとかありえないし。
30:人間七七四年
14/02/13 21:18:59.20 gGIQKzWN.net
武田贔屓の平山氏でも信長公記は「歴史史料として信頼性は高い」「基本史料として使用する」と言ってる。
高柳氏も藤本氏も当然のように信長公記を重要視してる。
長篠日記は作り話が多く、おそらく江戸中期以降の作だろうってのが研究者の判断だろ
31:人間七七四年
14/02/13 22:32:54.66 aqt99v65.net
29
ならもっとお前の望む議論できるところに行けや
32:人間七七四年
14/02/13 22:47:51.37 8AvEz/Ma.net
>>31
君が行くべきだと思うよ
ここは双方の主張や意見の交換所であって
織田マンセーの妄想を垂れ流す織田厨の日記帳ではない。
33:人間七七四年
14/02/13 22:49:08.37 OQspznlx.net
>>31
お前のように気に入らない意見に耳を塞ぐだけの輩はこんな所くる必要ないだろ。
個人サイトでも作って引き篭もってろ。
34:人間七七四年
14/02/13 22:51:06.00 ENZIoCYx.net
長篠合戦の考察で信長公記が盲信される理由がわからん。
長篠日記や多聞院日記などの同時代史料と比べても矛盾とか反する内容ばかりじゃん。
35:人間七七四年
14/02/13 23:00:06.98 1b+ZMNp0.net
自作自演3連発w
住所洩れてるぞ
36:人間七七四年
14/02/14 00:49:07.10 rXtUVEbn.net
>>29
お前さんの珍説に設楽原決戦の前に武田の先陣が尾張の熱田まで攻め込んだという話があるが、どの武将がどのルートで熱田まで攻め込んだの?
37:人間七七四年
14/02/14 00:54:17.04 rXtUVEbn.net
>>29
あとお前さんの史料の意訳が全く信じられないんだが、お前さんの珍説の織田が武田に頭を下げて同盟をお願いしたという史料の原文を教えてくれない?
何月何日の書状によると・・・とかいう意訳のはいいから、何月何日の書状に何と書いてあるか原文示してくれない?
38:人間七七四年
14/02/14 07:56:05.72 p1TPDtdt.net
戦国遺文武田の天正6年が収録されてる巻の前書きの中で、
重要なことなのでわざわざ触れてるじゃん。
謙信の上洛開始を恐れた信長が勝頼に同盟して欲しいって土下座してんだよ。
甲江同盟交渉スタートは信長からの懇願で始まったことなのは明白で、
武田側から懇願して始まったことじゃない。
図書館で読んでこいよ。
39:人間七七四年
14/02/14 08:05:03.60 u5YQgjIo.net
まあ、そんな事は他のスレでやってくれ。
ここは長篠・設楽合戦のスレだ。
>>24
局地戦で御大将みずから出陣したという事でいいのかな?
6000自体は少なすぎる気がするけど、多くても10000いたかどうかじゃないか
と個人的には思う。
それより、その局地戦で3倍近い敵に通説どおりなら、何故突っ込む様な事を
したのかの方が本題じゃないか?
40:人間七七四年
14/02/14 08:28:37.77 U27ewZtS.net
高柳氏は局地戦なんて言ってないと思うよ
むしろ武田の惨敗でその後三河への影響力を消失したと評価してたような
41:人間七七四年
14/02/14 08:31:04.39 VX7/Zy18.net
勝頼は長篠に武田信豊、穴山信君、小山田、甘利くらいしか引き連れてきてないのだから6000くらいが妥当だろ。
42:人間七七四年
14/02/14 08:33:53.59 jghNmvPR.net
つか、信豊と信君は合戦すら参加してない。
43:人間七七四年
14/02/14 09:42:32.13 ikwUyspN.net
勝頼総大将なのに穴山のせいで命令系統を麻痺させてたんじゃなかったの?
44:人間七七四年
14/02/14 10:09:43.73 U1lIJ9jS.net
>>41
過去帳、供養帳は無視ですか?
45:人間七七四年
14/02/14 12:28:41.58 u5YQgjIo.net
>>44
自分の意見に固執している人に何を言っても無駄かもねぇ。
本題はそこじゃないと言っても解らないみたいだし。
46:人間七七四年
14/02/14 12:42:07.35 KSLswviq.net
>>44
あれはいつ誰が書いたか不明。
そもそも一次史料ですらない。
47:人間七七四年
14/02/14 13:43:59.23 ONtHKZrB.net
>>38
読んだ上で言うが
あれは断定するにはちょっと無理があるな
そんなことより
>勝頼が書状で今回の戦いを危ぶむ者がいる
これってソース何?
史料が分からないならせめて何の本に書いてあったかぐらい教えてほしい
48:人間七七四年
14/02/15 11:23:12.21 3GDKlspq.net
>>15
平山優というと武田贔屓の学者で菅沼がよく利用していたな、
いろいろ信用できない、公平じゃないとこあるのにそのまま信じ込んで
いろいろ間違っていると突っ込まれていたw
49:人間七七四年
14/02/16 23:12:14.25 Etkr9QmF.net
平山さんにまで信長公記は信憑性あると言われちゃった
このスレでの信長公記へのネガキャンも効果なかったぽい
50:人間七七四年
14/02/16 23:25:01.77 YULNgTb/.net
平山は元々軍記信者だからほとんどどんな軍記でもソースにしてるよ。
例えば天正壬午の乱とかだと
北条方軍記も徳川の軍記もくまなくならべて網羅してるし
51:人間七七四年
14/02/16 23:38:24.68 +hrmHrYY.net
一次史料は信憑性が高い傾向があるというだけなのに、神聖視までしてしまう宗教信者多すぎ。
どんな史料でも論理的に検証するべきだろう。平山氏はその点をよく理解してる。
52:人間七七四年
14/02/17 00:01:18.72 p2THHmWy.net
ただどちらを優先すべきかという話で
一次資料というか、実際に起こった事績の生の声とか
現場での軍令書に当たる物は、比較すれば信憑性に足りるし
日記と軍記では日記の方が、当然脚色や創作は除かれるわけで優先すべきなので
軍記なんて日記や覚書を下書きに書かれた家記や家譜をまた下書きにして脚色創作含めて作られたものだから信憑性に疑問がつくのは
当然だろう。
53:人間七七四年
14/02/17 01:16:44.99 /XnevPw1.net
信長公記も三河物語も当時のはっきりとした身柄の人が書いたもので
特に信長公記はその正確さから太田牛一が何かのメモを基にまとめたと言われている
もちろん伝聞の誤情報もあると思うが、それはどの一次資料にもあるものだしな
長篠の戦いに関しては京の公家とかの方が又聞きの可能性が高いだろう
54:人間七七四年
14/02/17 02:15:59.09 cMMmeqUP.net
冬休みして武装解除して織田に滅ぼされた?なんてマヌケなw
武田を庇ってるのか馬鹿にしてるのかわからない
55:人間七七四年
14/02/17 08:29:37.68 kS1rJ23y.net
そもそも太田本人が信長側大本営発表の戦時宣伝広報を盲信しているとしか思えないからな。
しかも松永久秀の降伏を一年前倒しにするなど操作しまくってる大罪っぷりで、
信用性皆無になってる。
56:人間七七四年
14/02/17 09:21:57.18 IX4ddELT.net
神奈川県 秦野市 鶴巻温泉 めっちゃいいよなー
神奈川県 秦野市 鶴巻 にあって 東海大学 にも近い
あそこチョーいきたい マジで マジマジ
ダチがその近くの 第3みどりハイツ ってとこに住んでてさ
チョー羨ましかったっす ワラ
年取ったら 神奈川県 秦野市 鶴巻温泉 が近くにある 鶴巻 に住むのが 老後の夢 さ
57:人間七七四年
14/02/17 13:10:43.05 DhUh0B4Y.net
大久保彦左衛門は徳川重臣
太田は丹羽配下のただの書記。
しかもかなり書記としても低い立場。
58:人間七七四年
14/02/17 18:32:37.53 Rz4YJbE8.net
長篠日記の伝聞ブログよりはマシだろう
59:人間七七四年
14/02/17 18:50:24.87 7lQ8f0BE.net
まぁ戦いの実相はよく分からんが
武田側が致命傷負ったのは確実だろう
これ以降西側では攻勢に出てないんだから
60:人間七七四年
14/02/17 19:35:57.36 V+gfdZFr.net
んだな
この戦いの後たった7年足らずで名門甲斐武田氏滅亡だからね~
今川でさえ当主義元討ち死にでも滅亡まで9年も持ったしな
(同盟国の武田にさえ裏切られなけばもっと持っただろうし)
長篠の戦は織田軍によるワンサイドゲームだったんだろう
この戦いで武田家臣達が重度の織田恐怖症に陥ったのは火を見るよりも明らか
甲州崩れでは織田が攻めてくると聞いた途端に武装解除して逃げ出すくらいだったからな
61:人間七七四年
14/02/17 21:06:25.70 lLpbfFsF.net
武田側の甲陽軍鑑始めあらゆる軍記は武田負けだし、縁者がせっかく供養してるのまで織田の捏造なわけがない
捏造なら武田家臣の子孫も黙っていない
たとえ織田の過大宣伝があったにせよ、それを含めて政治というもの
織田が騙したとか卑怯とか戦国時代に通用しない、やられた方が馬鹿
まあ長篠は惨敗しても1万は連れていかなかったわけで敗残兵集めれば合計2万はいくだろうから即滅亡ほどではなかったとは思う
62:人間七七四年
14/02/17 22:47:56.22 FvwiG09m.net
決戦に6000しか釣れていけなかったのに二万だのどこから持ってくるつもりだ
63:人間七七四年
14/02/18 02:08:53.95 tk3wgS2i.net
最初から長篠攻略と家康を釣り出す程度の兵力しか連れて行ってなかったんだろうね
その代わり精鋭を連れて行ったと
その精鋭が壊滅して指揮官連中も軒並み戦死
これじゃ兵数は揃えても軍としての能力はガタ落ちだわな
64:人間七七四年
14/02/18 11:05:50.85 Hjf1mwlQ.net
完全な憶測
65:人間七七四年
14/02/18 14:49:07.07 ZKSgcryU.net
武田は国力が110万石程度あるから一万石250人換算でも27000程度動員可能
その中の6000のみを連れて行った単なる局地戦が長篠
多聞院日記によると、武田方戦死者はわずか1000人とかいてて
大勢にほとんど影響しないレベルの敗戦なのがわかる。
だからこそ織田家500万石徳川家40万石上杉家120万石は、三者共同なら武田の6~7倍あるような規格外の国力でも
全くといっていいほど、勢力図が塗り換わらなかっただけ。
武田が主力を虐殺されまくったなら即効で伊那口駿河口木曽口飛騨口などから攻められて瞬殺されてる
66:人間七七四年
14/02/18 16:13:43.88 Q1+3onXC.net
残念ながら武田の惨敗です
67:人間七七四年
14/02/18 16:48:58.75 eJbiXEir.net
設楽が原に連合軍が着陣したタイミングで長篠城落としてしまえば
連合軍は退却するしかないんだよねぇ
よくある信長釣りだすために落城寸前の長篠城攻めに手加減加えてたってのはウソっぽいんだけどなぁ
68:人間七七四年
14/02/18 17:43:40.96 63aRqDjy.net
全滅に近い大惨敗だったのは間違いないな
一万のうち半分は敵前逃亡して無傷で生還
残った5千のうち生きて帰れたのは勝頼含めた数十人
こう考えるのが一番しっくりくるな
69:人間七七四年
14/02/18 19:26:08.93 IFBgFkST.net
歴史上、小勢力側が大勢力との決戦で大敗した場合は例外なく速攻で滅ぼされてる。
大勢力は決戦で負けても、国力のゴリ押しによる戦力の補充が可能だが
小勢力側は、一度決戦に負けると、大勢力側に対抗できるような戦力の構築はまず不可能だし
ましてや、通説で言われてるような武田軍の大半が戦死したみたいな話が本当なら、
武田領国は織田からみて空っぽに近い状態になるから
上杉120万石や徳川40万石織田500万石なら、壊滅的な損害を受けた武田110万石程度間違いなく一ヶ月程度で瞬殺できる
岩村一城で半年ももたついて自力で落とせず騙まし討ちに頼るとかありえない。
70:人間七七四年
14/02/18 20:12:55.85 9Ub/d7sw.net
織田や上杉に武田以外の敵がいないならそうかもな
71:人間七七四年
14/02/18 20:40:23.11 LM2KQoO9.net
織田が本願寺や毛利を優先してたんだろう
そんな変な判断とも思えないけどね
武田はその後、徳川単体にも押されてるし
長篠で重臣が大勢討ち取られたのは痛かった
72:人間七七四年
14/02/18 21:11:14.78 ZKSgcryU.net
本願寺なんて敵から積極的に攻めかかってこないから優先する必要はない。
摂津なんて石高もしょぼいし武田が弱ってるならそちらを速攻で攻め滅ぼしたほうが遥かにメリットが大きい。
というか、織田は信忠に大軍つけて岩村攻めさせてるわけで、放置したのではなく
実際に攻めかかって苦戦しまくってるのが実際の所。
73:人間七七四年
14/02/18 21:33:13.15 eBvT1dQs.net
対本願寺なんて2万も残せば十分すぎるだろ。
残り織田8万徳川8000上杉20000で武田20000程度(その中の大部分が長篠で戦死、負傷)瞬殺できる
74:人間七七四年
14/02/18 22:02:09.67 1qooCrtW.net
ねぇねぇ、信玄の葬儀は信玄が亡くなったといわれる3年後っていうのは不自然じゃあねぇか?普通葬儀ってもんは、亡くなったときにやるもんだろ。普通に考えると、信玄は長篠の戦い時にも生きていて、負けたんじゃねえかな。
75:人間七七四年
14/02/18 22:10:03.43 bc2L9nie.net
>65
6000の内戦死1000 損耗率16.6% 常識で考えると戦闘要員はほとんど
消耗 事実上の壊滅ですね。
さらに一次資料の甲陽軍鑑に優れた武士の100人中98人が死んだとあるから
中枢部の損害がより酷いのがわかるな。
76:人間七七四年
14/02/18 22:11:00.73 thw+OCEt.net
信玄長篠討ち死に説か
いろんな説があるな
77:人間七七四年
14/02/18 22:21:24.70 qwGKfBg8.net
ていうか過去帳をもっと尊重したらどうなの
78:人間七七四年
14/02/18 22:42:19.17 ZKSgcryU.net
一次資料の長篠日記によると
武田型はし城のような陣地に引き篭もって高性能鉄砲を持った織田方に対して突撃して
佐久間隊や前田隊を敗走させ織田方を6000も討ち取ったから
将官の指揮能力では圧倒的に武田が上だな
79:人間七七四年
14/02/18 22:44:04.61 LM2KQoO9.net
残念ですが長篠日記を一次資料と言っている学者はいません
80:人間七七四年
14/02/19 00:16:59.70 Wiq0wH5i.net
朝倉滅ぼした時の信長の動きを考えるとね
長篠はやはり局地戦で兵力的にはそれほどでもなかったと見るべき
6000程度失って指揮官級もかなり失ったが致命傷ではなかったということ
ただその後の武田は指揮官不足で西への攻勢能力を失った
北条と小競り合いする中で軍制改革や勝頼子飼いの武将の成長を狙ったが
その中でご親類衆や古い武将連中と対立して天正10年に領国崩壊
こんな感じだろうな
81:人間七七四年
14/02/19 00:34:56.47 R0LxM8AE.net
信長公記が信頼性高いってのが研究者達の総意なんでしょ
これを否定してる人って誰?
82:人間七七四年
14/02/19 01:09:27.25 UJfwcyLq.net
6000人てのは設楽原で決戦した人数がそれぐらいだろうって話。
実際は鳶ヶ巣の防衛や、周囲への索敵、陣夫など多勢いたんだろうね。
そういう意味では設楽原の6000人に有力武将が多かったのは当然だな。
まあ、その数字を提示した高柳さんが長篠は武田の大敗で、
大きな影響があったことを指摘してるんだけどね。
83:人間七七四年
14/02/19 01:29:34.10 QyiUEbJN.net
長篠は武田の敗北だろうが、それがよくドラマに出てくるような一方的な虐殺とか
殺戮というのは大いに間違いで、6対4くらいの負けでしょ。
何せ長篠前後でも勝頼は思いっきり軍を動かしてるし
ただでさえ国力差は大きいのに、全くといっていいほど勢力図は入れ替わってないし
そんな一方的に虐殺できる相手に信長が同盟申し入れて武装解除させた後に騙まし討ちして
その上警戒しまくって慎重に進軍するように重ね重ねいうほど、武田を警戒しまくってるからね。
84:人間七七四年
14/02/19 01:41:52.06 0Fi7nwqY.net
長篠日記は天正中期に成立してるから一次資料でしょ。
甲陽軍艦の元ネタも長篠日記からとされてるし
少なくとも信長公記松平記三河物語よりは遥かに信用できるだろ。
前者は日記だけど後者は軍記だしね。
学者の妄想なんぞ知らん
85:人間七七四年
14/02/19 01:48:47.44 SmU2+Ucx.net
これ以降国境の城をじわじわ奪回されてるし
その後反抗に移った事実もない
86:人間七七四年
14/02/19 03:17:00.05 8Y9PN5Ra.net
二俣城奪回されたくらいしか戦果がないし
織田に至っては岩村一城すら信康の援軍がありながら半年かかっても自力ではできず騙しうちにしただけじゃん。
87:人間七七四年
14/02/19 11:19:15.24 LZ2tVZrf.net
天正2年では信長に対してイケイケで明知城奪ってた勝頼が
天正3年では秋山を見捨てるほどになるまで追い詰められていた東美濃戦線
88:人間七七四年
14/02/19 11:36:05.29 jkiNRB+l.net
武田は、しばらく立ち直れないと判断したから織田は西に目を向けた
だけ。
89:人間七七四年
14/02/19 12:40:15.34 M0GsndWt.net
下伊那や木曽の方入るの山越えきついからそりゃ西行くよ
山越えして下伊那入って洪水、山崩れ、雪が起きて補給路や退路絶たれたら、たまったもんじゃないから
岩村と奥三河まで抑えとけば放置してなんの弊害もないし
90:人間七七四年
14/02/19 12:59:10.34 WV8toVW2.net
>>5
藤本さんと鈴木さんは論破されたの?
91:人間七七四年
14/02/19 14:32:53.72 3bZRBNSH.net
伊那口木曽口が使いにくいなら飛騨口駿河口使えばいいだけ。
そもそも信長は謙信に宛てて信濃にうちいる事肝要とか書いてて、上杉と共同で信濃攻めするつもり満々だったが
当の信忠が岩村一城に苦戦したため、木曽谷方面からの侵攻ができなくなり
信濃攻めは頓挫してる。
そのため謙信は信濃攻めをやめて上野方面に転進して、天正3年には武田は上野に出兵してるため
遠州方面への出陣もあり、岩村城は孤立無援になったが、半年かかっても自力では落とせなかったため
信濃攻めは実行されなかっただけ。
92:人間七七四年
14/02/19 14:34:10.00 gDMkSjcs.net
・織田厨の妄想 『信長は長篠以降西に目を向けたため、武田攻めは延長されただけ』
93:人間七七四年
14/02/19 14:38:16.70 tBDA/tsd.net
長篠で武田が大損外受けたなら
同盟者の上杉徳川と協力すれば武田を攻め滅ぼすまたとない機会。
駿河・伊那・飛騨・木曽と四方から侵攻かければ上杉や徳川の援軍も加わり
信長は留守居に2万程度残してもろくに出撃してこない本願寺や赤井程度なら防衛には十分すぎるし
残り8万で、攻め滅ぼすなんてどうみても余裕。
それができずに、武田攻めの入り口に当たる岩村一城でもたつくとかどう考えてもありえない。
結局多聞院日記に書かれてるように武田の戦死者は1000程度だったというのが実情でしょ。
落ちる気配のなかった岩村城と違って遠州や上野には勝頼ちゃんと出兵してるし
94:人間七七四年
14/02/19 16:55:26.37 KcLeWZVV.net
武田軍総兵力6万中で長篠出陣は6000で損害1000。
織田軍総兵力3万中、
長篠出陣は25000で損害が6000って結論に前々スレでなってたよな。
織田軍はロクに収入把握出来てないから軍役賦課も出来ず、
従って兵科事の集団編成など軍事改革すら出来てない一揆的結合の軍事国家にして内政放置の後進的組織。
95:人間七七四年
14/02/19 16:57:52.92 1SbsXghm.net
飛騨口駿河口は織田からするともっと使いにくくないか
96:人間七七四年
14/02/19 20:39:07.01 hy3xcqJr.net
飛騨木曽伊那駿河と四方から攻め入れば余裕でしょ。
織田軍は国力から考えて総兵力11万程度はないとおかしいし
2万~3万領内の抑えに残して上杉2万徳川8000で
武田20000(長篠で本当に虐殺してるなら大部分が戦死、戦傷)程度瞬殺するには十分すぎる。
駿河口なんて、攻められると滅法弱い地勢だし
駿河突破すれば本国甲斐なんて眼前だろ。
あるいは上杉と協力して木曽口伊那口飛騨口経由で信濃攻めしてもいいし。
97:人間七七四年
14/02/19 20:41:25.79 jtSTvhCD.net
信長は武田攻めの時も武田警戒しまくって先に進みすぎるなとか重ねて書いてるし
長篠では武田軍の強さをまざまざとみせ付けられたから長篠以降も織田方はほとんど武田領を切り取れなかったし
謙信との約束にあった信濃出陣も行えなくなって
謙信に愛想つかされる始末だもんな
98:人間七七四年
14/02/19 21:14:50.89 p3zGEmgI.net
妄想激しい奴多いな
99:人間七七四年
14/02/19 21:20:06.85 M0GsndWt.net
>>98
来るの初めて?妄想しているのは菅沼遼太1人だよ
自作自演しているから
ま、すぐわかるようになるよ
100:人間七七四年
14/02/19 21:30:31.89 yMsMH2q6.net
>>94
排便処理などの衛生管理問題と現地調達式軍隊の限界兵力が3万動員。
武田や北条や上杉は土地を把握し、
それに税賦課や軍役上限を設定し、
それに応じた軍政改革で新たな支配地の国人達を後方に転封させ、
変わりに最前線防衛に派遣組の領地を前線に転封させるなど、
国人から在地性を取り上げ官僚化させ、
兵は武田からかし与える形にすることで、
将の率いてきた兵を分解し、
兵種ごとに再編成することや、
陣立図の製作を通じた兵を手足のように把握し、
最前線の将ごとに勝手に対応せず武田当主による式系統を明白にする、
軍事内政の改革でその壁をぶち破ったって話が前にあったね。
1土地の正確な把握による税収把握→2内政改革が可能→3兵站確立→4軍政改革と進化していく為、
織田は1が全く出来ずに終わり、
武田は1が出来たから4まで達成できたって言う話だったはず
101:人間七七四年
14/02/19 21:32:36.59 p3zGEmgI.net
せめて言っている学者の名前を挙げてくれ
102:人間七七四年
14/02/19 22:08:56.80 l2zcLG0D.net
織田の動員兵力限界が3万とかありえんだろ。
織田は分国が広いから、一箇所に集中する兵力が減っただけで、一方面に集中すれば15万は余裕で動員可能でしょ。
103:人間七七四年
14/02/19 22:11:28.67 RPx6pj95.net
笹本正治
「武田氏の軍役と武士の知行高との関係を明確に規定した史料は伝わっていない」
これが現実
特に信玄は、勝頼と比べてなにもやってない
104:人間七七四年
14/02/19 22:12:29.95 tBDA/tsd.net
そもそも大軍なんて鎌倉や南北朝時代の戦争でも動員されてるだろ
織田の場合は戦線が複数あったから一箇所に超大規模の大軍が集結しなかったというだけだし
信長公記基準だとかなり大軍動員してるし島津も大友も動員してる
105:人間七七四年
14/02/19 23:22:34.69 Yg9JvvJd.net
やっぱり長篠戦のとき信玄が生存していた可能性がある
1 信長家康にとっては信玄死亡が都合がいいため虚偽の情報を流した
2 長篠戦のときに信玄が生きていたとなると信玄の晩節を汚すことになり、武田家子孫にとっても不都合
3 長篠戦時に信玄が隠居していた可能性を否定できない
4 信玄の葬儀が長篠戦後に営まれた
5 隠居せずに、3年間死を隠せなんていうのも不自然
106:人間七七四年
14/02/19 23:53:26.98 jkiNRB+l.net
面白いですね。でもそれなら信玄がヘタレになってしまいますぞ
107:人間七七四年
14/02/20 00:31:18.57 g32Im2RZ.net
信玄西上でたった1万しか動員出来なかった織田w
長篠の戦いで家康5000と合わせて3万しか動員出来なかった織田。
越前一向一揆討伐で北陸の織田方国人を合流させて限界3万動員するも維持できる兵糧が無いので越前で大量虐殺して物資略奪大会w
隣国信濃出兵で食料が足りるように人数調整した織田。
しかも武田滅亡を確認したら速攻で軍を解いて急いで帰ろうとするも諏訪で大量に栄養失調で兵が寒気に耐える熱量が体に無く死にまくる織田www
108:人間七七四年
14/02/20 00:38:17.44 fCPThMYz.net
それ滅ぼせなかった情けない反織田の方々含武田晴信
109:人間七七四年
14/02/20 01:20:43.36 NuEtvuV1.net
菅沼遼太理論によると武田信玄は6万の兵力を持ちながら
織田軍1万を討滅できずに撤退するという敗北をしているからね
菅沼遼太理論ではこれくらいの兵力差だと今川氏真レベルでも
余裕で勝てるそうだから武田信玄は今川氏真以下の愚将
実際駿河侵攻では今川が協力を取り付けた徳川や北条に負けてるから
戦国一の戦下手と言っても過言ではない、いい時期に死ねてよかった
もし信長と戦っていたら公家かぶれの暗君麻呂枠は武田信玄だっただろう
110:人間七七四年
14/02/20 08:27:40.69 61bLVGFk.net
菅沼君が好きな人が多いなw
論点がぶれるから、このスレではやめてほしいのだけど、まあしょうがないか。
一つ気になるのが、武田は6000だったので局地戦だったという人がいるけど、
総大将が出てきているに、それを局地戦って言うのか?
武田方の意見は、根拠の乏しい煽りとか、理想的なものが多い気がするね。
もうちょっと現実的な意見が欲しいかな。
111:人間七七四年
14/02/20 08:34:28.31 1eGYHac+.net
総大将どうこうというか動員兵力が武田110~120万石もあるのに
つれてきたのが6000程度で戦死者が多聞院によれば1000。
しかも長篠前後で見ても武田と織田徳川上杉でかなりの国力差なのにほとんど勢力図に影響なし。
どうみても局地戦でちょろっと負けただけでしょ。
112:人間七七四年
14/02/20 09:29:29.62 zidSV2mB.net
>>111
>長篠前後で見ても武田と織田徳川上杉でかなりの国力差なのにほとんど勢力図に影響なし。
これ、菅沼理論をはじめとして結構主張が多いけど、
徳川家単体と武田家の比較でいえば
長篠の戦いで国力・軍事力の差が大きく変わったということはないから
長篠以降に直ちに勢力図の影響がないことは不自然ではない
織田でいえば長篠については後詰だから
長篠に勝って城を救ったら役目は終わりと考えても不自然はない
織田家の当時の関心はむしろ畿内周辺、特に越前・摂津方面だとおもう
どちらにせよその後の勢力図や局地戦の状況のみから
長篠の戦いの規模や結果を推し量るのは乱暴すぎると思う
113:人間七七四年
14/02/20 10:16:51.52 z7c4IC2M.net
武田の歴戦のつわものが多数戦死しておいて
局地戦でちょろっと負けただけって
お前の頭の中が腐ってるのではないか
114:人間七七四年
14/02/20 11:15:22.88 c5cS7jwT.net
某
115:国の半島人は負けても勝ったと宣言するからね
116:人間七七四年
14/02/20 12:45:08.44 61bLVGFk.net
>>111
いや、そういう意味じゃなくてね、御大将が出てきているのを局地戦と言うのか
と。
局地戦って言う意味を知れば、別に兵数の対比どうのじゃないと言うのがわかるよ。
あと、6000と言う根拠がいまいちよくわからないし、出さなかったのか、出せ
なかったのかでも変わってくる。
兵数が全体の何割とかだからとか、単純なものじゃないでしょ。
逆に、大将がいて6000程度が主力なら、1000も討ち取られたらかなりの大打撃
じゃないか?
もう展開できる兵数がいないって事になる。
まさか大将がいる軍を、主力じゃないとか言わないよね・・・。
その後もどうのとか理由付けしてるけど、家康は攻勢に転じているし、信長に
いたってはしょせん後詰だし、戦後どういった行動をとったかはあまり重要じゃ
ないんじゃないかなぁ。
117:人間七七四年
14/02/20 13:44:19.98 9w7ZZAEr.net
勝頼さんがうるさい重臣どもを処分するために出張ってきただけなら
局地戦とも言えるかも
118:人間七七四年
14/02/20 14:06:23.86 1eGYHac+.net
>>112
>織田でいえば長篠については後詰だから長篠に勝って城を救ったら役目は終わりと考えても不自然はない
岩村攻囲戦においても信忠に大軍つけて送ったり謙信に信濃にうちいる事肝要とか書いてるからそれは絶対にない。
信長は上記のように武田を滅ぼす気満々だったが、木曽方面からの入り口に当たる岩村城が勝頼にも見捨てられたにもかかわらず
信忠が半年かかっても地力では落とせない醜態を演じたため、侵攻ができなくなり謙信は上野や越中に転進しただけ。
つうか毎回同じ事言わせるなよ
119:人間七七四年
14/02/20 14:11:33.74 2kOYf+37.net
>>115
総大将が出てきたとかでてきてないとかは全く関係ない。
総大将が出てこようが武田から見ればほんの一部の領国の端っこに
総動員兵力のうちの5分の1程度nお6000つれいてきただけだし戦死者も多聞院によれば1000だし完全に
局地戦での敗北。
ちなみに総大将どうこうの話するなら、織田・徳川方陣地に突撃していった部隊は、勝頼ではなく勝頼の家臣達ばかりなので
勝頼本隊は一切戦っていないから局地戦であるというような、屁理屈も可能。
家康が奪回したのは二俣城くらいしかないし
信長に至っては合戦の前後では一切なし(あえていうなら岩村城だが合戦から半年もかかってるし騙まし討ちで落としただけだから
長篠で武田の被害が大きかった根拠にはならない)
120:人間七七四年
14/02/20 14:49:29.77 c5cS7jwT.net
6月13日の織田信長→上杉謙信書状では信長が
信濃攻めを「今秋」からと明言していることを
毎回無視する朝鮮人菅沼w
当然この時点ではまだ岩村を包囲したばかり
ちなみに菅沼遼太史観によると上杉謙信は織田の侵攻の遅さに呆れ果てて
越中へ進軍したことになってるが
実際には1ヶ月持たずに越中へ転進していることが村上の書状から明らかになっている
そのまま謙信は翌天正4年に越中をほぼ平定
武田を直接滅ぼした信忠への恨みは深い菅沼遼太であった
121:人間七七四年
14/02/20 15:57:52.33 oQJB3zMh.net
秋に信濃攻めに取り掛かるには
それまでの間に岩村を奪回し美濃を統一するのは当然。
122:人間七七四年
14/02/20 16:05:16.82 OGUNJOkt.net
相手がダメージ負ってるなら、滅ぼすには最も好機だからな。
時間をかければ相手も戦力回復するだろうし実際北条との同盟決裂後関東に出兵しまくる程
戦力は戻ってる。
それなのに長篠合戦後の織田軍の行動が岩村奪回程度に終わっており、
その後は一寸たりとも、武田から領土を切り取っていないのが織田。
また、武田攻めの際の信長の武田への警戒心から見ても、相当長篠では武田の強さを見せ付けられたと思われる。
ちなみに当時の織田は徳川や上杉との対武田での協調や同盟があるため
123: 本願寺攻めに三万~4万ほどを割いても徳川上杉と結託して攻めれば 傷ついた武田ごとき滅ぼすには十分すぎる国力と兵力差だと思われる。 信濃口や飛騨口が地勢的に攻め入るのがキツイなら駿河口でも伊那口でもどこでもいいしな。
124:人間七七四年
14/02/20 16:08:06.72 BCse/FpC.net
信長の話どおり一方的に武田が虐殺されたのなら早朝から日没まで8時間も戦闘が続くわけがないし
戦闘が終わってからもしばらくの間全くといっていいほど勢力図が塗り換わってないからな。
国力的には織田+徳川+上杉で対武田に臨める(上杉は直接攻めてこなくても上野や信濃の後詰が必要)なので
長篠で武田が大損害受けたのならば織田徳川は片手間でも武田を瞬殺して滅ぼすには十分すぎる状況といっていいが
史実でが孤立無援の状態ですら岩村一城に半年かかっても攻め落とせず、最後は騙まし討ちで卑怯に陥落させただけだし
徳川も二俣城を取り返したくらいで、遠州の中部からは全く進めていない。
この事からいえるのは武田が織田よりも圧倒的に戦闘が強いか、あるいは長篠でほとんど損害がなかったかどちらかだろう。
信長は謙信に宛てて信濃にうちいる事肝要とか、上杉と協力して信濃攻めをしたがってたが、
謙信が上野に出兵してもそれと呼応して信濃攻めする事すら、岩村城など東美濃の拠点に手こずったせいで叶わなかったし。
125:人間七七四年
14/02/20 16:08:56.60 MluOVdSm.net
6/13の謙信への書状における信長の想定は、
岩村城が懇望してきても5、3日で落とせるので許さないと言っていたが、
実際の戦況は苦戦続きの信忠を見た家康が信康を派遣しようとしたので、
6/28に慌てて信忠は若年だからと補佐してくれって佐久間信盛を派遣していることがわかる。
天正10年の武田征伐でも信忠は若年だからと川尻や滝川が補佐させられるくらい信忠は無能。
しかし6/28の江馬から直江への書状で、
長篠の戦いについて、信長の注進を不能詳候などと書いて不信感丸出しの報告をしており、
江馬はいち早く信玄の死の風聞を察知して上杉に伝えたりと情報通である。
謙信も岩村の戦況も含めて、織田への不信感を高めた為に、
もはや信長は謙信幕僚に直接の書状が受け付けられなくなり、
7/20には信濃に旧領ある村上にしか出せなくなる。
しかも旧領回復を煽るために武田を攻めるのは今!謙信は相違ばかりで表裏野郎!と逆切れする小学生レベルw
8/10には勝頼が遠江出馬を宣言するなど、
全く戦力が衰えていないことが露呈。
信長はウソがばれないように8/18以前に謙信へ長篠の討ち取り注文を送り、ウソにウソを重ねるが(謙信は討ち取り注文を佐竹らに伝えた)
もはや呆れた謙信は織田との手切れをしてしまう。
上杉を怒らせてしまった信長は、
岩村は数日で落とせると6月に豪語して戦況は織田圧倒的を吹聴していたが、
11/26にやっと秋山を引き寄せて磔をするや、
11/28に佐竹や小山らに長篠の戦いの勝利を吹聴。
これは上杉が佐竹や小山らと織田を取り付いでいたが、
織田のウソに呆れた上杉と手切れになったので、
直接、小笠原貞慶を派遣して弁解してるマヌケっぷりw
126:人間七七四年
14/02/20 16:10:33.33 BCse/FpC.net
結局、あれだけの国力差と徳川上杉という共闘する味方までいる状況ですら
長篠以降でも岩村を奪回するだけの戦果しかなかったのが織田軍。
長篠合戦がなくても当時の織田徳川上杉なら武田相手にグイグイ攻め込んで滅ぼすくらいの国力差はあるだろうし、
長篠合戦で武田が大ダメージを負ったのなら尚更瞬殺するには十分すぎる兵力差と国力差。
それにもかかわらず、長篠合戦後でも全くといっていいほど戦果がなく
岩村奪回する程度でしかないんだから
武田が織田より圧倒的に強く信長が慎重になってたか、武田が長篠でほとんど被害を負っていなかったかどちらか。
石山本願寺は守りが堅いだけで外征能力が
127:ないから積極的に攻勢に出てこないからさして心配する必要もないし 赤井も国力でいえば全く心配する相手じゃない。 信長は謙信にあてて、信濃出兵を要請するなど、結託して滅ぼす気満々だったが 信忠が孤立無援の岩村一城に半年以上かかっても自力で落とせないアホっぷりを発揮してたため 信濃攻めが叶わなかったというのが正しい 織田領内から信濃に攻め入るには岩村の奪回が必須だが、それにもたついてるようでは到底無理だし 相手がダメージ負ってるなら、滅ぼすには最も好機だからな。 時間をかければ相手も戦力回復するだろうし実際北条との同盟決裂後関東に出兵しまくる程 戦力は戻ってる。 それなのに長篠合戦後の織田軍の行動が岩村奪回程度に終わっており、 その後は一寸たりとも、武田から領土を切り取っていないのが織田。 また、武田攻めの際の信長の武田への警戒心から見ても、相当長篠では武田の強さを見せ付けられたと思われる。 ちなみに当時の織田は徳川や上杉との対武田での協調や同盟があるため 本願寺攻めに三万~4万ほどを割いても徳川上杉と結託して攻めれば 傷ついた武田ごとき滅ぼすには十分すぎる国力と兵力差だと思われる。 信濃口や飛騨口が地勢的に攻め入るのがキツイなら駿河口でも伊那口でもどこでもいいしな。
128:人間七七四年
14/02/20 16:27:14.89 Eg65XW4y.net
奥平征伐が逆に思いっきり征伐されて以後徳川相手に苦戦続き
木曾征伐が逆に思いっきり征伐されて一か月後に滅亡
アホ過ぎだろ
129:人間七七四年
14/02/20 16:33:12.81 38c8xqaN.net
>>115
勝頼が率いてきたのは、
一次史料を見る限り、信豊や穴山や甘利や小山田らだけだから、6000の強い裏付けになるよね。
しかも武田は岡崎突入を目指していたのを中止してる為に、
本来作戦にない、ついでのオマケで長篠に来ただけ。
130:人間七七四年
14/02/20 16:53:46.20 38c8xqaN.net
しかも穴山と信豊は戦に参加しなかったし。
実際に戦をしたのは6000中で2000程度。
それで野戦に勝ち、家康の柵に逃げ込めない織田軍6000を血祭りにあげる。
131:人間七七四年
14/02/20 17:02:28.90 pI74a78c.net
>>110
>一つ気になるのが、武田は6000だったので
これも設楽原へ布陣した部分の兵力で6000から7000ぐらいじゃという推定であって
武田の総兵力とはまた別だし。
>>112
武田徳川間に絞っても
長篠後は、武田は三河に侵入することは無くなる、遠江では徳川との戦いを避けるようになるって変化は出ている。
>>115
一番激しかった第4次川中島でも戦死者は数百レベルと言われている
軍鑑によるなら武田の一方的な勝利と言われる三方ヶ原でも、
一番戦果をあげた右翼の討ち取り首でも100程度
本当に1000も討ち取れていたら大打撃だろうな
132:人間七七四年
14/02/20 17:19:37.51 oQJB3zMh.net
>>125
奥平征伐が逆に思いっきり征伐されて以後徳川相手に苦戦続き
→徳川に奪回されたのは二俣城くらいだしそれ以外は全くといっていいほど奪回されてない。
木曾征伐が逆に思いっきり征伐されて一か月後に滅亡
→そんな長篠から7年も経った全く繋がりのない事例あげるとかアホだろ。
武田攻めなんて武田が北条と徳川相手に長期戦繰り広げたあげく疲弊しきり弱りきった所を狙って
甲江同盟をちらつかせて、勝長を返還させた後に、武田が織田を信用して、領内の防衛体制を一切解除してる所を
騙まし討ち的にドロボウしただけだから、実力で勝ったわけでもなんでもないし長篠合戦とは全く関係ない。
長篠合戦の後も勝頼は直後すら軍を動かしたり上野や遠州に出兵したり出陣しまくってるし
織田は岩村に大軍と信忠を派遣した後自力では全く歯が立たなかったし
133:人間七七四年
14/02/20 17:21:45.60 BCse/FpC.net
>>125
長篠合戦から武田崩れまで7年も経過しており
その間に起きた武田周辺での事例(多方面作戦での疲弊や新府築城や甲江同盟による防衛解除)
を無視して
全く繋がっていない上に7年も間隔があいてる長篠合戦と武田崩れを無理矢理結びつけるとか相当馬鹿だな。
134:人間七七四年
14/02/20 17:23:04.69 r/xfQvh1.net
長篠が武田大敗織田圧勝なら岩村一城ごときに半年以上費やして自力では落とせず騙まし討ちでやっとおとすのが精一杯とか
二俣城取り戻すのがやっととか普通に考えてありえないからな。武田と織田+徳川なら
国力的にいえばダメージなしの状態でやりあっても織田徳川の攻勢一辺倒でなきゃおかしいくらいだし
長篠が織田の圧勝なら天正3年中に武田は一気に徳川と織田に攻め込まれて崩壊してる。
現実には信長は謙信にも信濃攻めを要請するなど完全に他力本願状態だったし普通に自力じゃどうやっても勝てないから
対北条戦や徳川戦で疲弊した所を甲江同盟詐欺で騙まし討ちかけたらなんとか勝てた�
135:セけ。
136:人間七七四年
14/02/20 17:23:54.54 OGUNJOkt.net
長篠で武田が大打撃を受け援軍出せないほどダメージを受けてるならさっさと滅ぼした方が得策
雑魚信忠が岩村一城にもたついたからそれができなくなっただけ。信長は謙信に信濃出兵を要請して武田相手に攻めたがっていたほどだし
武田が大ダメージ受けてるなら単体で侵略して攻略可能。時間をやって回復されるよりさっさと滅ぼした方が何倍もメリットあるからな。
謙信書状にみられるようにそれを信長が望んでいたが、結局雑魚信忠が岩村一城にもたついてそれもかなわなくなっただけ
137:人間七七四年
14/02/20 17:25:22.57 BCse/FpC.net
一方的に虐殺されたのなら早朝から日没まで8時間も戦闘が続くわけがないし
戦闘が終わってからもしばらくの間全くといっていいほど勢力図が塗り換わってないからな。
国力的には織田+徳川+上杉で対武田に臨める(上杉は直接攻めてこなくても上野や信濃の後詰が必要)なので
長篠で武田が大損害受けたのならば織田徳川は片手間でも武田を瞬殺して滅ぼすには十分すぎる状況といっていいが
史実でが孤立無援の状態ですら岩村一城に半年かかっても攻め落とせず、最後は騙まし討ちで卑怯に陥落させただけだし
徳川も二俣城を取り返したくらいで、遠州の中部からは全く進めていない。
この事からいえるのは武田が織田よりも圧倒的に戦闘が強いか、あるいは長篠でほとんど損害がなかったかどちらかだろう。
信長は謙信に宛てて信濃にうちいる事肝要とか、上杉と協力して信濃攻めをしたがってたが、
謙信が上野に出兵してもそれと呼応して信濃攻めする事すら、岩村城など東美濃の拠点に手こずったせいで叶わなかったし。
138:人間七七四年
14/02/20 17:26:09.05 CNuPVJaa.net
実際勢力図にほとんど影響をあたえていないのが長篠合戦。
長篠でもし武田が大損害蒙ったというなら国力的には上杉織田徳川なら謙信が積極的に討ってでなくても
織田徳川で武田を瞬殺するには十分すぎるからな。
なのに実際には岩村一城奪回するのすら、半年かかっても自力で落せず騙まし討ちに頼るアホっぷり。
これでは長篠合戦で武田が大損害蒙ったというのは無理がありすぎる。
信長は謙信に積極的に信濃攻めを要請してたから、織田厨が言うように武田戦線を軽視してたというのはありえないしな。
武田征伐の時もかなり警戒して勇んでどんどん先に進んではならんとか書いてるし
139:人間七七四年
14/02/20 18:41:04.37 2VRSYr1K.net
3月19日付けの書簡フロイス日本史に信玄は6万の兵を以て三遠に侵入し
軍兵をほとんど損する事なく占領した、という3月下旬の報告があるよ。
天正2年の武田軍も尋憲記2/17によるとこの時の武田軍は6万の大軍。
これに対応して謙信が上野国へ南下したために武田軍は撤退。
この時期、家康は2/12義昭の臣である一色藤長の来訪を歓迎する意を表し
3/20には義昭から家康・水野に武田との和睦要請がきてる。
家康が信長はもうダメだと考えはじめている事実。
実は信長とは違って家康は石山本願寺とは敵対していない事実。
家康の領国の三河からは、盛んに石山本願寺へ兵糧や兵員の輸送が
円滑に行われており天正6年になってさえ、
織田軍が本願寺に呼応した荒木によって大敗し12/12尾張知多郡の水野忠分が敗死するなどしてる裏で
10/13に上宮寺(岡崎市)や本證寺(安城市)や勝鬘寺(岡崎市)へ
石山本願寺が書状を出して支援要請してる。
10/28にも三河の浄妙寺・慈光寺・無量寿寺・願照寺にも支援要請してる。
家康は一向宗の叛乱を恐れ石山支援を事実上容認していたのがわかる。
武田軍は足助城を攻略しただけでなく
5/12付け多聞院日記では武田軍は尾張国へ侵攻し
先陣はすでに熱田まで進出してるし
4/16付け勝頼書状では22日出馬して参着次第、
その地に二重堀の普請すると書き(奥平信光のいる三河国設楽郡津具筋?)
遠江方面(光明行之儀)では天野藤秀を利用して
彼地の模様を見届け、調儀するのが肝要で(後回しの方便とも書いてる)
その地は幸い、久しく普請を続けていたので(穴山宛てなので穴山が)加勢望むに任せる。
小尾崎・八幡山之儀は案内者を以って
(尾崎権現山や郡上八幡だから両遠藤氏や安養寺や最勝寺か?)地形御見し、注進を頂くべく候
などと書いてる。
このことから当初案では石山本願寺救援のための出陣計画だが
岡崎内応策が露見した後、作戦変更して
穴山に任せている遠江方面を後回しに三河進出し
長篠で二重堀を作って対陣する予定だったのではないか?
そのために長期対陣に備えて武田軍は実数6000くらいの兵しか連れてこなかった。
しかも長篠後に謙信に出した信長書状では兵糧が足らないから織田は撤兵したと書いてるから
織田徳川は3万を維持する兵糧がなかったため対陣して兵糧攻めを通じて織田軍を崩壊させる。
(熱田方面で挑発され面目丸つぶれの信長が急いで出てこざる負えなくなった)
そしてこの対陣中に美濃の軍事的な予定戦場調査をして、
武田軍が残り5万4000の大兵力を率いて大挙、美濃へ侵攻して
伊勢長島の日根野や郡上八幡の遠藤氏や一揆軍の南下で織田を引き付けつつ
尾崎権現山(200メートルしかない小山)を武田本軍の陣所として
各務原市~岐阜市日野で織田と決戦して一気に岐阜城を奪い取る作戦だったはず。
長篠の戦・・・本作戦の目標は美濃への侵攻のための陽動作戦でしかなかった。
しかしあまりにも織田・徳川が弱すぎて、決戦で一気に勝負をつけようと考えてしまい、陣城攻撃を開始し優勢だったが陣城は落ちず
撤退をしたら殿が下手を打って1000討ち取られた。
義景もそうだが、敵前撤退の難しさを痛感する。
三増峠や三方ヶ原の撤退戦における軍の180度回頭し尻が頭になる陣形変えの瞬間妙技は信玄にしかできない芸当だな。
140:人間七七四年
14/02/20 20:41:20.40 +F3g0TnU.net
信玄生存説
長篠戦時に信玄は生きていたということを、みんなで考えよう。
普通に考えれば影武者が3年間も務まるわけないよな。あらかじめ白紙に信玄の花押を書いておくのも出来すぎた話だ。
141:人間七七四年
14/02/20 21:36:02.92 f/2PpEnw.net
長篠戦時に信玄は生きていた?
武田の歴戦のつわもの達を犬死させちまったのは信玄ってことでいいのか
142:人間七七四年
14/02/20 21:50:07.46 hmGpcqsr.net
>>112
>織田でいえば長篠については後詰だから(ry
まあそうだろうな、そもそも長篠前は河内攻めていたわけだし、
長篠後も主力は越前を攻め取っている。
甲斐信濃という山国は伊賀や飛騨同様後回しでよかったのだろう、
岩村に関しても信忠に丸投げだし、優先順位は低いと。
まあ山国だから攻めにくいってのも勿論あっただろうけど、
国境固められれば地形的に簡単には侵入出来ないだろうし、
それに木曽秋山小笠原武田信廉辺りの織田との国境を守る主な武将は
長篠の戦いに参加していなかったり、早期退却していたりで、被害は受けていないし。
143:人間七七四年
14/02/20 21:52:39.38 hmGpcqsr.net
>>115
>>128
長篠に限らず他の合戦も実際の兵力や死傷者はもっと少なかったと言われているが、
そんななかで1000も討ち取られていたら確かに大打撃だな。
144:人間七七四年
14/02/20 22:25:49.37 TthYq9iy.net
6/13の謙信への書状における信長の想定は、
岩村城が懇望してきても5、3日で落とせるので許さないと言っていたが、
実際の戦況は苦戦続きの信忠を見た家康が信康を派遣しようとしたので、
6/28に慌てて信忠は若年だからと補佐してくれって佐久間信盛を派遣していることがわかる。
天正10年の武田征伐でも信忠は若年だからと川尻や滝川が補佐させられるくらい信忠は無能。
しかし6/28の江馬から直江への書状で、
長篠の戦いについて、信長の注進を不能詳候などと書いて不信感丸出しの報告をしており、
江馬はいち早く信玄の死の風聞を察知して上杉に伝えたりと情報通である。
謙信も岩村の戦況も含めて、織田への不信感を高めた為に、
もはや信長は謙信幕僚に直接の書状が受け付けられなくなり、
7/20には信濃に旧領ある村上にしか出せなくなる。
しかも旧領回復を煽るために武田を攻めるのは今!謙信は相違ばかりで表裏野郎!と逆切れする小学生レベルw
8/10には勝頼が遠江出馬を宣言するなど、
全く戦力が衰えていないことが露呈。
信長はウソがばれないように8/18以前に謙信へ長篠の討ち取り注文を送り、ウソにウソを重ねるが(謙信は討ち取り注文を佐竹らに伝えた)
もはや呆れた謙信は織田との手切れをしてしまう。
上杉を怒らせてしまった信長は、
岩村は数日で落とせると6月に豪語して戦況は織田圧倒的を吹聴していたが、
11/26にやっと秋山を引き寄せて磔をするや、
11/28に佐竹や小山らに長篠の戦いの勝利を吹聴。
これは上杉が佐竹や小山らと織田を取り付いでいたが、
織田のウソに呆れた上杉と手切れになったので、
直接、小笠原貞慶を派遣して弁解してるマヌケっぷりw
145:人間七七四年
14/02/20 22:26:31.04 TthYq9iy.net
飛騨木曽伊那駿河と四方から攻め入れば余裕でしょ。
織田軍は国力から考えて総兵力11万程度はないとおかしいし
2万~3万領内の抑えに残して上杉2万徳川8000で
武田20000(長篠で本当に虐殺してるなら大部分が戦死、戦傷)程度瞬殺するには十分すぎる。
駿河口なんて、攻められると滅法弱い地勢だし
駿河突破すれば本国甲斐なんて眼前だろ。
あるいは上杉と協力して木曽口伊那口飛騨口経由で信濃攻めしてもいいし。
信長は武田攻めの時も武田警戒しまくって先に進みすぎるなとか重ねて書いてるし
長篠では武田軍の強さをまざまざとみせ付けられたから長篠以降も織田方はほとんど武田領を切り取れなかったし
謙信との約束にあった信濃出陣も行えなくなって
謙信に愛想つかされる始末だもんな
146:人間七七四年
14/02/20 22:32:17.45 BCse/FpC.net
・織田厨の妄想 『信長は長篠以降西に目を向けたため、武田攻めは延長されただけ』
→伊那口木曽口が使いにくいなら飛騨口駿河口使えばいいだけ。
そもそも信長は謙信に宛てて信濃にうちいる事肝要とか書いてて、上杉と共同で信濃攻めするつもり満々だったが
当の信忠が岩村一城に苦戦したため、木曽谷方面からの侵攻ができなくなり
信濃攻めは頓挫してる。
そのため謙信は信濃攻めをやめて上野方面に転進して、天正3年には武田は上野に出兵してるため
遠州方面への出陣もあり、岩村城は孤立無援になったが、半年かかっても自力では落とせなかったため
信濃攻めは実行されなかっただけ。
長篠で武田が大損外受けたなら
同盟者の上杉徳川と協力すれば武田を攻め滅ぼすまたとない機会。
駿河・伊那・飛騨・木曽と四方から侵攻かければ上杉や徳川の援軍も加わり
信長は留守居に2万程度残してもろくに出撃してこない本願寺や赤井程度なら防衛には十分すぎるし
残り8万で、攻め滅ぼすなんてどうみても余裕。
それができずに、武田攻めの入り口に当たる岩村一城でもたつくとかどう考えてもありえない。
結局多聞院日記に書かれてるように武田の戦死者は1000程度だったというのが実情でしょ。
落ちる気配のなかった岩村城と違って遠州や上野には勝頼ちゃんと出兵してるし
・織田厨の妄想 『武田領国は山国が多く生産力が低いので後回しにして先に本願寺などを相手にした』
→武田領国は合計120万石程度あり、武田領に攻め入るには上杉徳川という絶好の同盟者もいる上に
武田領攻め取れば、上杉北条など将来的な敵対候補の勢力へのにらみや圧迫にもなる
対して本願寺のいる摂津は石高が12万石程度の雑魚国力で、その割りに基地外堅城に篭もってて落とすのが非常に困難(実際本願寺攻めは5年余り費やして最後は朝廷への和睦斡旋で開城させただけ)
赤井の丹波も丹後も国力でいえば大した事ない。
武田が本当に大損外受けたなら、同盟者とともに滅ぼせばあっという間に武田を滅ぼして
織田領は大版図になるのは目に見えてる。
147:人間七七四年
14/02/20 22:36:27.87 Ctun60uH.net
国境固めるも糞も当の信忠が岩村一城でもたつきまくって半年かかっても自力で落とせない始末なのに
武田攻めなんてできるわけないだろ。
指揮官の能力が武田と織田じゃ違いすぎる。
織田が武田と同程度の将の指揮能力や采配能力持ってたら
あっという間に徳川と上杉と共同で岩村→木曽・伊那方面から攻めて落としてる。
木曽も伊那も信玄が雑魚国力時代でもあっさり陥落させたところだしな。
木曽や伊那よりも遥かに天嶮の並ぶ更科埴科安曇筑摩あたりでもあっさり城を落としまくってるのに。
148:人間七七四年
14/02/20 22:39:21.57 nX7XMb/2.net
織田は城攻めが弱過ぎるから
6回も簡単に落ちまくった捏造堅城の岐阜城とか
武田織田争奪戦の東美濃攻防戦で陥落しまくった岩村城とか
あっさり陥落しまくった拠点に馬鹿みたいに苦戦するのが取り柄。
149:人間七七四年
14/02/20 22:41:27.36 +g2iSZaC.net
長篠の戦いは『まるで城のようだ』というような堅固な陣地に雨でぬかるんだ地面と
高性能鉄砲と自軍の2.7倍程の大軍の織田徳川軍を相手に勝頼が突っ込んだ城攻めみたいなもんでしょ。
150:人間七七四年
14/02/21 00:48:38.79 RfIlT+Qv.net
織田が包囲網しいて攻めないー>織田に余力がない武田強い攻めれるのに責めない織田ヘタレ
武田が包囲しいて攻めないー>至上は戦わずに勝つ崩壊を待ってる
織田が禁制ー>金がないから恐喝貧乏織田
武田が禁制ー>領主が自発的にきた武田の権威の現れ
織田が武器調達の命令ー>軍備不足家臣にまで集る金不足貧乏織田
武田が武器調達ー>軍装整え準備万端軍事費に裂ける豊富な資金
こういうダブスタ
151:人間七七四年
14/02/21 00:50:33.82 RfIlT+Qv.net
そして始まる出だしが「ダブスタも何も(糞も)」のレスとコピペ爆撃
そして織田厨と煽るレス
152:人間七七四年
14/02/21 04:50:46.04 iyD4cBfU.net
>>146
やってることは朝鮮人と同レベルだからな
153:人間七七四年
14/02/21 07:40:38.86 lOLfPm+G.net
また菅沼がID変えて自作自演コピペ爆弾したのか
154:人間七七四年
14/02/21 08:31:01.38 ws+FoXbH.net
なんかよくわからない長文書いている人がいてレスする人を探すのが困る。
>>116
それは・・・w
>>118
いあや、だから局地戦と言う意味をね・・・。
言っても無駄な人?
大将どうのは、解りやすくする為に書いたのであって、そこが論点じゃないよ。
>>117
まず、設楽・長篠合戦での織田、徳川、武田の状況を整理した方が良いと思うよ。
長篠(城)は徳川配下であって、織田の城ではないし、後詰の主力はあくまで徳川
じゃないといけない。
援軍で来た織田はあくまで後詰の後詰なのよ。
織田の後詰が予想以上に多かったので、惑わされている感じに思う。
>>128
んん?
なんか勘違いさせてしまう書き方だったのかな?申し訳ない。
武田の動員力は3~4万ていどじゃないかなぁ。
長篠は、個人的には1000弱じゃないかと。
155:人間七七四年
14/02/21 11:22:42.39 pjYNyuDg.net
局地戦での敗北かどうか→その大名が、主力級をつれて来て、単なる局所での敗戦ではなく
主力級で挑んで敗れるような合戦だったかどうか。長篠の合戦は武田総兵力27000(推測)から6000をつれてきただけで
しかも戦死者はわずか1000だから、完全に局地戦(戦場も設楽が原という、長篠の後詰の一局面で敗れただけ)
総大将が出てきたとかでてきてないとかは全く関係ない。
総大将が出てこようが武田から見ればほんの一部の領国の端っこに
総動員兵力のうちの5分の1程度nお6000つれいてきただけだし戦死者も多聞院によれば1000だし完全に
局地戦での敗北。
ちなみに総大将どうこうの話するなら、織田・徳川方陣地に突撃していった部隊は、勝頼ではなく勝頼の家臣達ばかりなので
勝頼本隊は一切戦っていないから局地戦であるというような、屁理屈も可能。
家康が奪回したのは二俣城くらいしかないし
信長に至っては合戦の前後では一切なし(あえていうなら岩村城だが合戦から半年もかかってるし騙まし討ちで落としただけだから
長篠で武田の被害が大きかった根拠にはならない)
156:人間七七四年
14/02/21 11:28:03.27 /igUC6JM.net
>設楽・長篠合戦での織田、徳川、武田の状況
織田→長島一向一揆を滅ぼし、後は主たる敵は武田だけ。
本願寺は拠点が堅固なだけで、自分から打って出てこないから無視して問題なし
石高でいっても摂津よりも甲斐信濃上野奥三河遠州駿河を持つ武田の方が遥かに多いから攻め取るメリットは十分
合戦後の謙信への書状にあるように信長は上杉と共同で武田を滅ぼす気満々。
徳川→主たる敵は武田のみ。つうか領土が武田としか接してない
武田→上杉と国境を接し謙信にそなえて信濃や上野に大量に兵を残し
長篠での兵力はわずか6000の局地戦
6/13の謙信への書状における信長の想定は、
岩村城が懇望してきても5、3日で落とせるので許さないと言っていたが、
実際の戦況は苦戦続きの信忠を見た家康が信康を派遣しようとしたので、
6/28に慌てて信忠は若年だからと補佐してくれって佐久間信盛を派遣していることがわかる。
天正10年の武田征伐でも信忠は若年だからと川尻や滝川が補佐させられるくらい信忠は無能。
しかし6/28の江馬から直江への書状で、
長篠の戦いについて、信長の注進を不能詳候などと書いて不信感丸出しの報告をしており、
江馬はいち早く信玄の死の風聞を察知して上杉に伝えたりと情報通である。
謙信も岩村の戦況も含めて、織田への不信感を高めた為に、
もはや信長は謙信幕僚に直接の書状が受け付けられなくなり、
7/20には信濃に旧領ある村上にしか出せなくなる。
しかも旧領回復を煽るために武田を攻めるのは今!謙信は相違ばかりで表裏野郎!と逆切れする小学生レベルw
8/10には勝頼が遠江出馬を宣言するなど、
全く戦力が衰えていないことが露呈。
信長はウソがばれないように8/18以前に謙信へ長篠の討ち取り注文を送り、ウソにウソを重ねるが(謙信は討ち取り注文を佐竹らに伝えた)
もはや呆れた謙信は織田との手切れをしてしまう。
上杉を怒らせてしまった信長は、
岩村は数日で落とせると6月に豪語して戦況は織田圧倒的を吹聴していたが、
11/26にやっと秋山を引き寄せて磔をするや、
11/28に佐竹や小山らに長篠の戦いの勝利を吹聴。
これは上杉が佐竹や小山らと織田を取り付いでいたが、
織田のウソに呆れた上杉と手切れになったので、
直接、小笠原貞慶を派遣して弁解してるマヌケっぷりw
157:人間七七四年
14/02/21 11:31:36.59 pjYNyuDg.net
・織田厨の妄想 『信長は長篠以降西に目を向けたため、武田攻めは延長されただけ』
→伊那口木曽口が使いにくいなら飛騨口駿河口使えばいいだけ。
そもそも信長は謙信に宛てて信濃にうちいる事肝要とか書いてて、上杉と共同で信濃攻めするつもり満々だったが
当の信忠が岩村一城に苦戦したため、木曽谷方面からの侵攻ができなくなり
信濃攻めは頓挫してる。
そのため謙信は信濃攻めをやめて上野方面に転進して、天正3年には武田は上野に出兵してるため
遠州方面への出陣もあり、岩村城は孤立無援になったが、半年かかっても自力では落とせなかったため
信濃攻めは実行されなかっただけ。
長篠で武田が大損外受けたなら
同盟者の上杉徳川と協力すれば武田を攻め滅ぼすまたとない機会。
駿河・伊那・飛騨・木曽と四方から侵攻かければ上杉や徳川の援軍も加わり
信長は留守居に2万程度残してもろくに出撃してこない本願寺や赤井程度なら防衛には十分すぎるし
残り8万で、攻め滅ぼすなんてどうみても余裕。
それができずに、武田攻めの入り口に当たる岩村一城でもたつくとかどう考えてもありえない。
結局多聞院日記に書かれてるように武田の戦死者は1000程度だったというのが実情でしょ。
落ちる気配のなかった岩村城と違って遠州や上野には勝頼ちゃんと出兵してるし
・織田厨の妄想 『武田領国は山国が多く生産力が低いので後回しにして先に本願寺などを相手にした』
→武田領国は合計120万石程度あり、武田領に攻め入るには上杉徳川という絶好の同盟者もいる上に
武田領攻め取れば、上杉北条など将来的な敵対候補の勢力へのにらみや圧迫にもなる
対して本願寺のいる摂津は石高が12万石程度の雑魚国力で、その割りに基地外堅城に篭もってて落とすのが非常に困難(実際本願寺攻めは5年余り費やして最後は朝廷への和睦斡旋で開城させただけ)
赤井の丹波も丹後も国力でいえば大した事ない。
武田が本当に大損外受けたなら、同盟者とともに滅ぼせばあっという間に武田を滅ぼして
織田領は大版図になるのは目に見えてる。
158:人間七七四年
14/02/21 12:45:26.82 ws+FoXbH.net
>>128
あ、ごめん。
設楽・長篠合戦の武田兵力は、1000じゃなくて10000弱に訂正。
>>151
だめだこりゃw
人言う事をよく聞かないことが解ったよw
主張を要約すると、主力級をつれてきて、「これって、本気じゃないんだから!
局地戦なんだから!!まだ全然いけるうだよっ!!」って・・事か?w
うん、まあ、設楽・長篠の合戦がどういった経緯だったか真実に近づきたいだけ
で、局地戦かどうかなんて、単に気になっただけで、実はそれ自体はどうでも良
いんだけどねー。
159:人間七七四年
14/02/21 13:36:21.84 msULOAdP.net
戦いが武田にとって致命的な大惨敗だった事は通説通りで疑う余地はないね
120万石の大大名がこの戦いの後7年足らずであっけなく滅亡しているから当然だよね
決定的なのは長篠の戦い以前は徳川領内でやりたい放題やって奥三河まで進出出来た
武田軍が、この戦いの後は徳川に対して防戦一方で二度と三河に進出する事はなかったという事実だろうな
信長も長篠戦での武田軍の致命的な大損害を見るにつけ、徳川だけで十分と思っても無理もないのは
その後の武田がほぼ一か月そこそこで内部瓦解した史実が如実に証明している
徳川家康に高天神城を落とされた時点で武田は終わっていたのは誰の目にも明らかなように、武田は徳川が
滅ぼしたと言っても過言ではないだろう
それが故にその功績に報いて信長は家康に駿河一国を与えているしな
勿論金に目が眩んで同盟国北条を裏切ったのが仇となったのは言うまでもないが
結論から言うと、長篠の戦は信長もびっくりする程の武田の破局的大敗だったとい事だ
160:人間七七四年
14/02/21 14:21:33.40 f8wTjjQH.net
>>94>>100>>107>>135
三河物語で義昭を奉じて上洛した際に織田軍と徳川軍が京で略奪しているのがわかる。
言継卿記の元亀元年5/9六角入道の出張に浅井同心し信長は2万で出陣。
5/22六角入道と右衛門督(義治)2万で甲賀石部城出陣と元亀初期の織田の動員力は2万。
そして柴田勝家、蜂屋頼隆、森可成、坂井政尚と並び称された
坂井政尚と森可成が討死しただけでなく織田信治・蒲生定秀の弟の青地茂綱
161:らが討ち取られる志賀の陣で (青地氏も六角の重臣の1人で湖東草津方面の豪族で六角家中では山岡と並び称されていて、 その人物が討死の結果、長光寺城の柴田・安土の中川の領地支配も揺らいでる事態) 信長は次第に追い詰められていく織田の兵力が激減することはあっても3万も動員できるわけがない。 (三河物語にも信長が朝倉に負け宣言をして天下は朝倉殿が取りたまえ。私は2度と天下を望まないと発言) 公記で織田3万と記述されてるのは下記の2回。 長篠の戦いで織田徳川双方を合わせた連合軍が3万と 長篠の戦い後に一向衆に奪われた越前に織田が攻め入った時の記述において、 かき集めた牢人衆や朝倉旧臣や浅井旧臣らも織田軍配下として率いてた上でやっと3万に達してる。 しかし越前で史上最大の大虐殺で略奪しまくり兵糧の確保をしている。 ここからわかるのは越前侵攻の目的が財政崩壊した織田軍による物資調達だということ。 尾張伊勢長島一向一揆衆には朝倉滅亡前の段階で林道政以外にも 織田信興・氏家卜全・蜂須賀正勝の弟が殺され柴田勝家も負傷。 そんな状態で、ついに金も兵糧も鉄砲も足らず三条河原で軍列を整え 知恩院に陣した総兵力織田軍たった1万だけ(年代記抄節)しか動員できず (叡山焼討ちで言継卿記が伝聞から3000~4000人殺されたと驚いているのを 年代記抄節はおよそ1600余人と誇張に惑わされずに冷静に書いてる) 朝倉軍は浅井の援軍として25000(朝倉始末記)もしくは2万(信長公記)を動員しているわけだ。 そして織田軍が元亀3年末に朝倉軍に大敗しているのが山県書状に出てくる。 金も米もない織田軍は盗賊集団となって上京を焼き討ちし虐殺略奪をする暴力集団の顔を再び現しているし 各地で現地調達をしている織田軍の暴虐を一国亡国政策として興福寺が非難している。
162:人間七七四年
14/02/21 14:35:15.19 pjYNyuDg.net
>>154
6000しか連れてきてないのに主力級をつれてきた戦いなわけねーだろ
163:人間七七四年
14/02/21 15:12:34.71 QdoOUaii.net
>>155
長篠合戦から武田崩れまで7年も経過しており
その間に起きた武田周辺での事例(多方面作戦での疲弊や新府築城や甲江同盟による防衛解除)
を無視して
全く繋がっていない上に7年も間隔があいてる長篠合戦と武田崩れを無理矢理結びつけるとか相当馬鹿だな。
長篠が武田大敗織田圧勝なら岩村一城ごときに半年以上費やして自力では落とせず騙まし討ちでやっとおとすのが精一杯とか
二俣城取り戻すのがやっととか普通に考えてありえないからな。武田と織田+徳川なら
国力的にいえばダメージなしの状態でやりあっても織田徳川の攻勢一辺倒でなきゃおかしいくらいだし
長篠が織田の圧勝なら天正3年中に武田は一気に徳川と織田に攻め込まれて崩壊してる。
現実には信長は謙信にも信濃攻めを要請するなど完全に他力本願状態だったし普通に自力じゃどうやっても勝てないから
対北条戦や徳川戦で疲弊した所を甲江同盟詐欺で騙まし討ちかけたらなんとか勝てただけ。
長篠で武田が大打撃を受け援軍出せないほどダメージを受けてるならさっさと滅ぼした方が得策
雑魚信忠が岩村一城にもたついたからそれができなくなっただけ。信長は謙信に信濃出兵を要請して武田相手に攻めたがっていたほどだし
武田が大ダメージ受けてるなら単体で侵略して攻略可能。時間をやって回復されるよりさっさと滅ぼした方が何倍もメリットあるからな。
謙信書状にみられるようにそれを信長が望んでいたが、結局雑魚信忠が岩村一城にもたついてそれもかなわなくなっただけ
164:人間七七四年
14/02/21 15:13:10.64 pjYNyuDg.net
>設楽・長篠合戦での織田、徳川、武田の状況
織田→長島一向一揆を滅ぼし、後は主たる敵は武田だけ。
本願寺は拠点が堅固なだけで、自分から打って出てこないから無視して問題なし
石高でいっても摂津よりも甲斐信濃上野奥三河遠州駿河を持つ武田の方が遥かに多いから攻め取るメリットは十分
合戦後の謙信への書状にあるように信長は上杉と共同で武田を滅ぼす気満々。
徳川→主たる敵は武田のみ。つうか領土が武田としか接してない
武田→上杉と国境を接し謙信にそなえて信濃や上野に大量に兵を残し
長篠での兵力はわずか6000の局地戦
6/13の謙信への書状における信長の想定は、
岩村城が懇望してきても5、3日で落とせるので許さないと言っていたが、
実際の戦況は苦戦続きの信忠を見た家康が信康を派遣しようとしたので、
6/28に慌てて信忠は若年だからと補佐してくれって佐久間信盛を派遣していることがわかる。
天正10年の武田征伐でも信忠は若年だからと川尻や滝川が補佐させられるくらい信忠は無能。
しかし6/28の江馬から直江への書状で、
長篠の戦いについて、信長の注進を不能詳候などと書いて不信感丸出しの報告をしており、
江馬はいち早く信玄の死の風聞を察知して上杉に伝えたりと情報通である。
謙信も岩村の戦況も含めて、織田への不信感を高めた為に、
もはや信長は謙信幕僚に直接の書状が受け付けられなくなり、
7/20には信濃に旧領ある村上にしか出せなくなる。
しかも旧領回復を煽るために武田を攻めるのは今!謙信は相違ばかりで表裏野郎!と逆切れする小学生レベルw
8/10には勝頼が遠江出馬を宣言するなど、
全く戦力が衰えていないことが露呈。
信長はウソがばれないように8/18以前に謙信へ長篠の討ち取り注文を送り、ウソにウソを重ねるが(謙信は討ち取り注文を佐竹らに伝えた)
もはや呆れた謙信は織田との手切れをしてしまう。
上杉を怒らせてしまった信長は、
岩村は数日で落とせると6月に豪語して戦況は織田圧倒的を吹聴していたが、
11/26にやっと秋山を引き寄せて磔をするや、
11/28に佐竹や小山らに長篠の戦いの勝利を吹聴。
これは上杉が佐竹や小山らと織田を取り付いでいたが、
織田のウソに呆れた上杉と手切れになったので、
直接、小笠原貞慶を派遣して弁解してるマヌケっぷりw
165:人間七七四年
14/02/21 16:25:23.44 msULOAdP.net
>時間をやって回復されるよりさっさと滅ぼした方が何倍もメリットあるからな。
時間をやって回復した結果が甲州崩れですか
まぁ、おまえの理論でいくと、武田は長篠戦で再起不能の損害を被ったって事だな
166:人間七七四年
14/02/21 17:57:47.60 RfIlT+Qv.net
>>159
本願寺は動かないって根拠の無い確信してるけどその理由は?
その理由を織田が認識できてたと想う?
167:人間七七四年
14/02/21 18:23:57.88 PrcCO0O7.net
>>160
長篠合戦から武田崩れまで7年も経過しており
その間に起きた武田周辺での事例(北条徳川との多方面作戦での疲弊や新府築城や甲江同盟による防衛解除)
を無視して
全く繋がっていない上に7年も間隔があいてる長篠合戦と武田崩れを無理矢理結びつけるとか相当馬鹿だな。
長篠が武田大敗織田圧勝なら岩村一城ごときに半年以上費やして自力では落とせず騙まし討ちでやっとおとすのが精一杯とか
二俣城取り戻すのがやっととか普通に考えてありえないからな。武田と織田+徳川なら
国力的にいえばダメージなしの状態でやりあっても織田徳川の攻勢一辺倒でなきゃおかしいくらいだし
長篠が織田の圧勝なら天正3年中に武田は一気に徳川と織田に攻め込まれて崩壊してる。
現実には信長は謙信にも信濃攻めを要請するなど完全に他力本願状態だったし普通に自力じゃどうやっても勝てないから
対北条戦や徳川戦で疲弊した所を甲江同盟詐欺で騙まし討ちかけたらなんとか勝てただけ。
長篠で武田が大打撃を受け援軍出せないほどダメージを受けてるならさっさと滅ぼした方が得策
雑魚信忠が岩村一城にもたついたからそれができなくなっただけ。信長は謙信に信濃出兵を要請して武田相手に攻めたがっていたほどだし
武田が大ダメージ受けてるなら単体で侵略して攻略可能。時間をやって回復されるよりさっさと滅ぼした方が何倍もメリットあるからな。
謙信書状にみられるようにそれを信長が望んでいたが、結局雑魚信忠が岩村一城にもたついてそれもかなわなくなっただけ
一方的に虐殺されたのなら早朝から日没まで8時間も戦闘が続くわけがないし
戦闘が終わってからもしばらくの間全くといっていいほど勢力図が塗り換わってないからな。
国力的には織田+徳川+上杉で対武田に臨める(上杉は直接攻めてこなくても上野や信濃の後詰が必要)なので
長篠で武田が大損害受けたのならば織田徳川は片手間でも武田を瞬殺して滅ぼすには十分すぎる状況といっていいが
史実でが孤立無援の状態ですら岩村一城に半年かかっても攻め落とせず、最後は騙まし討ちで卑怯に陥落させただけだし
徳川も二俣城を取り返したくらいで、遠州の中部からは全く進めていない。
この事からいえるのは武田が織田よりも圧倒的に戦闘が強いか、あるいは長篠でほとんど損害がなかったかどちらかだろう。
信長は謙信に宛てて信濃にうちいる事肝要とか、上杉と協力して信濃攻めをしたがってたが、
謙信が上野に出兵してもそれと呼応して信濃攻めする事すら、岩村城など東美濃の拠点に手こずったせいで叶わなかったし。
実際勢力図にほとんど影響をあたえていないのが長篠合戦。
長篠でもし武田が大損害蒙ったというなら国力的には上杉織田徳川なら謙信が積極的に討ってでなくても
織田徳川で武田を瞬殺するには十分すぎるからな。
なのに実際には岩村一城奪回するのすら、半年かかっても自力で落せず騙まし討ちに頼るアホっぷり。
これでは長篠合戦で武田が大損害蒙ったというのは無理がありすぎる。
信長は謙信に積極的に信濃攻めを要請してたから、織田厨が言うように武田戦線を軽視してたというのはありえないしな。
武田征伐の時もかなり警戒して勇んでどんどん先に進んではならんとか書いてるし
168:人間七七四年
14/02/21 18:28:31.43 X/THL6S0.net
>>161
菅沼遼太の知識の根底は信長の野望だからな
同盟和睦関係結んでいれば絶対攻めてこないのは最近の同ゲームの特徴だし
169:人間七七四年
14/02/21 19:34:51.71 QNhC5SuF.net
>>138
そういえば織田との守りを担当するような武将は不参加だったり被害が無かったりするな
被害が多いのは駿河上野関係や深志の馬場、あとは甲斐北東系か?
>>150
>>128のいう武田の総兵力は別と言うのは
6千の中には長篠包囲勢は含まれないし、有海原に布陣している部隊も含まれていない
連合側もあくまで設楽原へ布陣した兵力が織田1万2千徳川4千で
後方の部隊の兵力はまた別
ってことを言っているんだと思う
170:人間七七四年
14/02/21 20:09:40.07 h7okQiVk.net
山だらけの甲信と京の周辺、どちらに戦略的価値があるかのう
171:人間七七四年
14/02/21 20:55:10.04 iIZrqqod.net
長篠は実際の武田の被害がどうであれ戦後の宣伝により信長の天下統一への重要な第一歩になった
この戦いの歴史的な意義はそこにある
武田が敗北したことを武田方の遺臣は誰も否定しておらず、供養帳も明らかに敗北を示しているから今更敗北否定するなど贔屓の引き倒しそのもの
甲州崩れを和睦により冬休みして武装解除してたから、なんてかえって武田を馬鹿にしてるレベル
172:人間七七四年
14/02/21 23:32:52.30 MmP4unVb.net
>>165
そりゃあ金山ある甲斐だろ。
173:人間七七四年
14/02/21 23:39:39.09 jSI1KPO7.net
本願寺は安定収入もないし一定期間の長期遠征は不可能だろ。実際織田領に自分から攻めて切り取った事例もないし
ただ拠点を守ってるだけだから放置して何も問題ない。
拠点がやたら堅固で鉄砲の装備が多く攻めるのに苦労する割に
摂津は10数万石程度しかなく攻め取っても旨みがないし
武田が弱体化してるなら東美濃西上野信濃駿河甲斐奥三河遠州で120万石そこそこある武田の方が遥かに切り取るメリット大きい
武田領切り取れば徳川の完全な属領化や上杉や北条への一層の圧迫にもなるしな
174:人間七七四年
14/02/21 23:52:31.42 RfIlT+Qv.net
>>167みたいなきめ付けは論外として
大名家の財政にドレだけの割りわいで金山(鉱山)が食い込んでるかだな
秀吉が長浜時代に人の流出を懸念していたように、結局金を使うのも人
人がいなければ需要も起こらず、富も産まないし、兵士も運用できない
濃尾の穀倉地帯を領する織田にとって金という財よりその米の運用先の方が魅力
>>168
それを織田が認識していたという根拠は?
175:人間七七四年
14/02/22 00:07:39.62 Z0Se+DNx.net
とりあえず菅沼君の脳内には翌年参戦してきた毛利上杉は存在しないらしい
武田なんか問題にならないほどの強敵だ
これを放置して信濃に攻め込めとか頭が完全におかしいよね?菅沼君
176:人間七七四年
14/02/22 00:29:04.93 Qfti0hP4.net
毛利なんて大友が圧倒していてるじゃん。
177:人間七七四年
14/02/22 01:23:37.01 wCfFic5R.net
本願寺が挙兵
波多野別所が叛乱
毛利上杉が参戦
これであまり得るところがない信濃に攻め込めとかアホ
つーか織田がこんな状態のときに武田は何をしていたんですか?菅沼君
損害軽微ならさっさと東美濃に攻め込むなり徳川潰すなりすれば良かったのでは?
178:人間七七四年
14/02/22 01:49:40.58
179:xEpEDcmk.net
180:人間七七四年
14/02/22 01:59:11.09 g4zEeQ6A.net
敵が参戦してくるなら尚更さっさと攻め込んで滅ぼした方がいいじゃん
対本願寺波多野赤井程度なら2万も残しておけば十分すぎるくらいだし
4万も残せば自分から侵攻できるくらいだよ。
残りの6~7万くらいで徳川上杉と共同で弱りきった武田領をさっさと滅ぼせばよかっただけ。
それができてないんだから長篠で武田がほとんどダメージ受けてないって事だろ
181:人間七七四年
14/02/22 02:04:53.26 EXeCTImK.net
武田信玄が朝倉に出兵の催促した、にもかかわらず自身は小城で一服
でも武田が攻めないから織田はまだまだ健在とは言わない
誰かさんによると一万しか動員出来ない軍勢で金欠で滅亡必死の織田のはずなのに
結局ダブスタ何だよね
182:人間七七四年
14/02/22 05:55:37.62 wnW65eS1.net
菅沼遼太理論だと武田信玄は6万の兵力を持ちながら
織田軍1万を潰すことができずに撤退敗北した
今川氏真以下の愚将だからなぁ
万が一信長と信玄が戦っていたら
信玄はその場で討ち取られ愚将の代名詞と言われていただろう
183:人間七七四年
14/02/22 08:37:17.47 JHaY743p.net
甲斐越後兵の弓矢は日本一と天正10年になっても織田軍は恐れまくっていたくらいだから、
余程、長篠や岩村で織田軍は武田軍に恐怖と強さを教育されまくったんだろうなあ。
それからは江甲同盟詐欺で騙しまくってたからなあ。
勝頼は御館の乱に勝った景勝が自立出来るように、
兵糧を援助して財政を悪化させたのが失敗だった。
しかも北条の甲斐侵入を許したので、
甲斐国人に武田の軍事的プレゼンスへの疑いが生まれ新府城を作ることで、
信玄以来の敵を領国に絶対に入れさせない安全保障を提供するという方針が崩れた。
武田に丸投げした氏政がさっさと越後侵攻してこなかった為に、
徳川の侵攻を座視出来ずに越後撤退する羽目になった勝頼には同情するが、
やはり甲相同盟崩壊を避けれなかったのが致命傷だった。
184:人間七七四年
14/02/22 08:47:45.76 EXeCTImK.net
いつの間にか奈良の坊主かた織田軍になっとるじゃあないかw
だがの捏造はこうやって行われるんだな
185:人間七七四年
14/02/22 08:49:30.04 MfhKoypb.net
久しぶりにスレ覗いてみたら菅沼君、設楽原の戦いで武田が負けと認めたんだな。(ちょこっとだけど)
だけど、コピペはまだ改修してないのな�
186:� まあ一人で複数のID使って菅沼論が多数の人に支持されているように見せかけるために自分の論を多少かえて書き込んでるみたいだけどバレバレだよw
187:人間七七四年
14/02/22 09:26:24.09 wCfFic5R.net
>>174
きちんと時系列を考えようね?菅沼君
まず長篠後に織田軍は越前と東美濃に向けて進軍している
一連の戦いが終わったのが冬近く
兵を休ませる必要もあるし何より冬の行軍は無謀
その後は本願寺が挙兵し波多野別所らが謀叛
さらに毛利上杉が参戦
まずは畿内の安定を最優先したい信長にとってどこに武田に構う暇があるんですか?菅沼君
あとこの信長のピンチに当の武田軍はいったい何をしていたんだね?菅沼君
大して損害ないなら徳川潰すくらい余裕で出来るはずだよね?菅沼君
浅間山大噴火のときと同じくまた逃げ回る気ですか?菅沼君
188:人間七七四年
14/02/22 09:43:02.43 OL/c9MKK.net
そもそも越前の行軍が終わった後で丹波攻略を企図している時点で
信長に武田攻めの考えがあったとはとても思えん
美濃岩村城はあくまで奪われた城の奪還にすぎないし
極論岩村落ちた後でそのまま武田領攻めようと思えば攻めることもできたが
それすら信長はしていない
長篠がレアケースなだけで基本信長は武田攻めに対して淡泊
徳川上杉が乗り気じゃない時点で無理にやる必要はないし
実際この後上杉謙信は信長と敵対しているわけだから
武田攻めなんぞしていればそのまま上杉と戦わなくちゃいけなかっただろうし
信長の判断は正しかったと言える
189:人間七七四年
14/02/22 09:59:50.00 OL/c9MKK.net
>>170
というか元亀天正年間の上杉謙信は対武田に超がつくほど消極的で
特に元亀年間に武田と北条が戦った際は同盟者の北条を見捨ててまで
武田と戦わなかったあたり半分近く武田の味方であると言っていい状況
だから「上杉をアテにして武田と戦う」なんてのははっきり言うと完全なる誤認識で
実際には「信用ならねーから上杉はどっちにつくのかさっさと決めてくれ」という最後通告に近い
だから信長も「表裏」と言う表現を使っているわけだ
信玄が死んだ時も長篠の時も武田領に攻めないなんてほぼ完全に武田の味方と宣言しているようなもんだしな
この後武田と反目した北条が織田徳川の対武田ラインにつくのは史実のとおり
190:人間七七四年
14/02/22 10:23:41.39 uXax4+eK.net
>>182
お前は本当に無知だな
謙信は天正時期には何回も武田同盟者の北条領の上野に年中行事のように毎年出兵しまくって
勝頼はそれに対応して繰り返し出兵してたんだが。
つうか信濃には必ず香坂などの留守居部隊を残す必要があったし
上野にも最低限の兵は残す必要があったわけで、謙信と勝頼は上野を巡って攻防を繰り返しまくってる
191:人間七七四年
14/02/22 10:36:52.11 C7BfuK2C.net
とりあえず長篠までの動向をまとめてみた
~1560年代後半 織田=徳川←→今川=武田=北条(三国同盟)←→上杉(川中島など)
~1571年 織田=徳川=武田(ただし徳川とは後に対立)←→今川=北条=上杉(三国同盟断交後、上杉を頼る。今川は1569年に滅亡)
~1572年9月 足利=織田=徳川←→武田(ただし織田とは同盟)=北条(武田と再同盟)←→上杉(北条とは断交、武田織田は甲越和与、濃越同盟で両天秤)
~1575年4月 織田=徳川←→武田(織田とも断交)=北条=足利(1573年に室町幕府滅亡、残党は鞆幕府へ) 上杉(越中で領土拡大、様子見)
1575年5月 長篠合戦 織田徳川が武田勝頼を破る ←このスレの議題
192:人間七七四年
14/02/22 10:49:33.60 xUGzyLyH.net
菅沼君は本当に日本語能力が拙いな
同盟者との北条と戦ったこと( >>183 )を
武田との戦争を避けたことに対する主張の否定に使うとはw
そもそも北条は上杉との越相同盟を破棄してまで武田に味方した連中なんだから
上杉が北条と戦うのは何の問題もない。
しかも北条方は越相同盟の断交理由に、
上杉家による武田への出兵がなかったことを理由に挙げるなど
完全に上杉謙信が武田に対する軍事行動を行わなかったことを理由にしている
天正年間に上杉謙信は何度か関東に遠征しているが
標的になるのは全て北条方の城で武田の城はほとんど攻撃されていない現実。
というか>>182では「半分近く武田の味方であると」とあるんだから
別に武田の同盟者と戦ったところでそんなもん否定にすらならんw
193:人間七七四年
14/02/22 11:19:35.23 uXax4+eK.net
そもそも謙信と信長は長期的に対武田で同盟結んでて長篠合戦後の信長の書状でもしきりに信濃攻めをやるとか書いてるし
謙信もそれに返書おくったりして本格的にやり取りしてるんだが。
謙信が対武田路線を考えていないのなら、対織田の外交なんて全く無意味で不要なんだけど。
謙信は織田に加えて徳川とも同盟してて、それが崩れるのは長篠合戦より1年も後の事なんだが
194:人間七七四年
14/02/22 11:27:27.55 uXax4+eK.net
それに確か信長は謙信に対して贈り物攻勢やってなかったか?
上杉織田外交に詳しい人求む。
家に上越市史や新潟県史がないので。
195:人間七七四年
14/02/22 13:05:11.14 Jo3YWDSm.net
武田が引きこもりになって東の脅威がなくなった時点で織田、徳川の勝利
設楽原合戦の真実
196:人間七七四年
14/02/22 13:32:00.56 THH0vbL1.net
>>186
だから北条の時と同じ手口なんだよ
北条の時も「一緒に武田を倒そう」「信濃から攻めるよ」って言っておいて
何かと理由をつけて武田と戦おうとしないのが元亀以降の上杉謙信
北条の時も信玄が大挙して小田原に向かって、逆に上杉は武田領を突く絶好のチャンスだったのに
攻撃することもなく、これが原因で上杉北条同盟は破たんしている。
よって当時の上杉謙信に武田攻めをやる気持ちなんてまずない、断言してもいい。
北条を武田の当て馬に使ったように、織田徳川を武田の当て馬に使っただけ
197:人間七七四年
14/02/22 13:33:05.56 THH0vbL1.net
厳密には永禄年間の最後あたりも入ってるけど
198:人間七七四年
14/02/22 13:58:48.51 Cru73Qkz.net
長篠の戦いが終わった後なぜ織田が信濃・甲斐方面に追撃しなかったか、
という疑問は結構あるようなんだけど、
常識的に考えて調略もなにもしていない土地にいきなり攻め入るとか
自殺行為以外の何物でもないと思うんだが
しかも徳川の主攻方面である三河・遠江方面から織田が切り取るとか
徳川家との関係で、考えられないほど無礼な行動だろうに
だから長篠終了後に織田家が武田を切り取らなかったのは
単にそんなことは考えもしなかったんだと思うよ
199:人間七七四年
14/02/22 14:03:17.70 THH0vbL1.net
単純に取っても維持できないしな
200:人間七七四年
14/02/22 14:24:33.40 Jo3YWDSm.net
他国の事よりも自国の事が優先だよね。一向一揆は上杉も徳川も
手を焼いた。
201:人間七七四年
14/02/22 14:55:18.11 zyZ+Coc+.net
謙信は信長のために北陸一向一揆が、
朝倉への援軍で近江へ行くのを阻止してやってたじゃん。
謙信が散々に北陸一向一揆を弱体化してやった事実は無視か?
石山本願寺と朝倉は婚姻関係にあり、
北陸一向一揆を弱体化させたから、
引きこもり石山本願寺は織田に対抗する術を失ったじゃん。
北陸一向一揆が兵や糧を石山本願寺に送っていたのがメインだったから、
石山本願寺弱体化は謙信の力によるところが大きい。
202:人間七七四年
14/02/22 15:28:34.04 Jo3YWDSm.net
武田の甲斐ひきこもりは信長、家康の力によるところが大きい
203:人間七七四年
14/02/22 15:37:50.78 wCfFic5R.net
謙信の一向一揆討伐は信長のためではなく自分のためにやったんだろ?菅沼君
あと相�
204:マわらず都合の悪いことから逃げ回っているね?菅沼君
205:人間七七四年
14/02/22 15:49:12.49 0qS8BbfX.net
第三次信長包囲網の間、長篠で受けた壊滅的大損害から立ち直れない武田はすっかり蚊帳の外
206:人間七七四年
14/02/22 16:12:41.40 UBXcjmZz.net
岩村攻めの信忠が大軍と言うが、大軍と言う根拠は?その兵力は?
越前攻めで主力は越前に言っているのだから、
岩村攻めの部隊は大軍といえるほどの兵力いるか?
もし大軍だったらそれはそれで越前攻めしているのに
それとは別に半年もその大軍を維持出来るような経済力あるのかってことになるが。
207:人間七七四年
14/02/22 16:39:09.28 THH0vbL1.net
勝頼がビビらなければ長篠合戦の織田徳川のそれと同様
岩村城の後詰に武田軍本隊がやってくるはずだから
織田が岩村城をガッチリ攻囲して長対陣するのは
本来なら理に適ってるはずなんだけどな
勝頼がビビッて来なかったから結果的におかしなことになっただけで
208:人間七七四年
14/02/22 17:42:19.64 uXax4+eK.net
越前一向一揆対策に3万の軍勢送っても残りの6万+徳川8000で大損外受けた武田なんぞ十分すぎるだろ。
上杉が仮に動かなくても武田は対上杉用の信濃方面や上野方面の兵を動かす事はできないし
実際に長篠のときもそのせいで6000程度しかつれてこなかったんだし
209:人間七七四年
14/02/22 18:24:42.48 UBXcjmZz.net
>上杉が仮に動かなくても武田は対上杉用の信濃方面や上野方面の兵を動かす事はできないし
その理論は織田には適用されないのかw
210:人間七七四年
14/02/22 19:15:46.41 uXax4+eK.net
本願寺なんて国力がしょぼいから10000程度残せば余裕だろ。
赤井も波多野もまだ挙兵してない
毛利ももたついてて全然出てこないし
領国全体でも18000程度残せば余裕過ぎる
30000で越前を攻めて残りの60000+徳川8000で武田が大損害受けたのなら
信濃攻めなんて余裕。
上杉対策で武田は北信や上野に10000は残さなきゃいけないし
211:人間七七四年
14/02/22 20:40:07.63 THH0vbL1.net
攻め取っても維持できないのが問題というのがわからんらしい
212:人間七七四年
14/02/22 20:55:54.52 UBXcjmZz.net
本願寺の国力がしょぼいとはとても思えんがな
まあそれ以前に兵站が続かんだろ
信濃は無駄に広い、信濃数郡で畿内一国の面積あるし、
それなりに準備しないと畿内のように大軍で遠征するというわけにはいかんだろ
213:人間七七四年
14/02/22 21:50:43.64 uXax4+eK.net
岐阜から信濃なんて近距離じゃん
甲斐から信濃や上野や遠州や奥三河に武田は遠征しまくってるし
上杉も越後からはるばる関東だの北陸だの遠征しまくってるよ
214:人間七七四年
14/02/22 22:00:16.90 wCfFic5R.net
>>202
だから岩村落とした時点でもう冬だということがわからんのかね?菅沼君
215:人間七七四年
14/02/22 22:09:37.41 THH0vbL1.net
そもそも武田の本国は甲斐で
この時点では甲州崩れ当時とは違い北条は武田の味方
武田を攻撃するということは北条も敵に回すことと同じ
そして上杉も信用できず越前一向一揆衆+石山本願寺+翌年から毛利参戦
この状況で例の人は信濃甲斐のような僻地に強行軍をかけろと言いたいらしい
ところで岐阜から信濃が近いのならどうして武田信玄は遠征しなかったんだろうね?
216:人間七七四年
14/02/22 22:10:47.35 cinrxHVI.net
>>205
ゲームじゃないんだから信濃に行って野戦で勝てばいいってもんじゃないだろ
そこに住む人、それを代表する国人衆を服属させないと支配は出来ないし
敵中孤立するのがオチ
そんなことよりまず、支配途中の摂津や越前の一円支配の方が先決だろ
優先順位つけられない指導者は現代でも戦国でも手当たり次第に手を出して失敗する
217:人間七七四年
14/02/22 22:28:02.16 UBXcjmZz.net
>>205
距離だけの問題じゃねーよ
人口密度が小さくて面積当たりの生産力が低い、流通もそれほどでもない甲斐信濃は
購入も含めた現地での調達が畿内とは違って困難
これが1万2万とかならそこまで問題は顕在化しないだろうけど <
218:br> 大軍であればあるほど乗数的に兵站への負担は増えるので それらを大きく上回る大軍となると問題続発となる だから当然逆に甲斐信濃から東海道や関東へ遠征する場合はそこまで問題とはならないし 越後からも関東や北陸共に生産力高い交通が発達している地域への遠征も同様
219:人間七七四年
14/02/22 22:54:22.75 0qS8BbfX.net
マジレスするとこの頃の武田領は金山枯渇で財政破綻寸前
信玄が嫡男殺して、血縁の氏真裏切ってまでやっとの思いで
手に入れた駿河まであっさり家康に与えちゃうぐらいどうでも良かった
勝頼が景勝の2万両に目が眩んで甥が嫡男の北条裏切っちゃうぐらいの酷さ
たまたま木曾が信長に武田領内の窮状を直訴して援助を求めてきたから
仕方なく挙兵したが、信長としては嫌々だったと思うわ
信濃の民は織田軍を解放軍扱いして熱烈歓迎したぐらいだから後は分かるよな
220:人間七七四年
14/02/23 08:19:22.43 2pYlrESt.net
金山枯渇なんて事実は無いし、
その根拠とされる2万量の話も軍記にしかない話なのも知らんとかwwwアホ過ぎるw
221:人間七七四年
14/02/23 14:31:34.66 ECNwx1Rw.net
>>白紙に信玄の花押を書いておくのも出来すぎた話だ
それ鴨川氏が大幅に書状の年代鑑定を変えた山梨県史において成立する話だからな。
愛知県史だと鴨川説を取らないから、死ぬ寸前の信玄が白紙に花押を書した書状を残した事実は無い。
どちらにしろ信玄の死を隠していたがバレて、ついには氏政が勝頼と同盟継続の約束を取り付けている。
またその時期には信長も信玄の死は確実と書状に書いており、この後に義昭の無抵抗降伏へ至る。
そして死去の混乱を安定化させるために武田が内治に集中している隙を狙って
家康が奥平貞能・貞昌親子を調略し長篠城を奪回できた。
勝頼は来年春の当家興亡の一戦による決戦をタイムスケジュールに入れていて
軍役定書を出していて天正3年後半はそのための準備期間だった。
しかも同時期に義昭を通しての上杉・武田・北条の和睦外交もあった。
さらに来年初頭には信玄の仏事を大々的にやる予定でもあり援軍派兵は控えていた。
その期間に二俣城が落城したとする妄想もあるそうだが、
その根拠は徳川実紀の出典一覧にまったく存在しない著者不明・成立年代不明の
明らかに鈴木肇氏の妄想で書いた偽書認定されている浜松御在城記にしかない。
デタラメ神君マンセー「大須賀記」にしか登場しない犬居城陥落物語w
長篠の戦いでは信長が一切、皆柵ノ内ニ引籠って出陣を禁止。
織田・徳川は徹底的に引きこもりを続けていたが
大須賀康高が柵の外への出馬が御法度なら馬に乗らずに歩行すれば御法度破りに
ならないじゃんwwwとトンチを利かせて一番合戦を開始し比類無き働きをする。
その後、遅ればせながら大久保忠世・忠佐・内藤家長も出てきて
彼らだけの独力でついには武田を敗走に追い込むことに成功。
大須賀・大久保・内藤連合が武田に勝利するまで織田軍は柵から一切出ずに
縮みあがってヒッキーだったが、追撃の時になってやっと出陣。
長篠の戦いは徳川の勝利であり、織田は単なる引きこもり無能だったというストーリーで
織田軍の�
222:wタレ具合が各軍記・家記でも随一の記述が「大須賀記」
223:人間七七四年
14/02/23 14:55:37.64 ECNwx1Rw.net
つうか信長は信忠に大軍をつけて武田攻めにあたる岩村攻めをやってて、これを信忠が思いっきり失敗したから
武田攻めができなくなっただけ。
武田を攻めなかったのはではなく謙信への書状にあるように武田攻める気満々で実際に大軍と信忠を派遣したが
信忠が醜態やらかして、武田攻めができなくなっただけ。それで謙信は愛想つかして上野や越中に出兵してる
敵が参戦してくるなら尚更さっさと攻め込んで滅ぼした方がいいじゃん
対本願寺波多野赤井程度なら2万も残しておけば十分すぎるくらいだし
4万も残せば自分から侵攻できるくらいだよ。
残りの6~7万くらいで徳川上杉と共同で弱りきった武田領をさっさと滅ぼせばよかっただけ。
それができてないんだから長篠で武田がほとんどダメージ受けてないって事だろ
224:人間七七四年
14/02/23 15:02:30.54 RgXjAnTu.net
皆が忘れたころに後出しで蒸し返す癖、やめた方がいいよ菅沼君w
225:人間七七四年
14/02/23 15:21:23.27 UVsj05vD.net
菅沼の汚い日本語は読むと気分悪くなるから読まないに限る
226:人間七七四年
14/02/23 15:53:06.00 OqS6367Z.net
発掘調査の結果と合わせて甲斐の一部の金山の採掘量が激減したというのはほぼ史実とみなされているがな
227:人間七七四年
14/02/23 17:41:37.58 EJ3t2Bvb.net
コピペの繰り返し厨は、反論できないから貼ってるのか?
228:人間七七四年
14/02/23 18:03:37.21 GX4NfWSn.net
>>216
発掘調査とかwwww
まーた大嘘言ってるwwww
229:人間七七四年
14/02/23 18:35:01.52 6/fGadZ2.net
>>213
たとえばさ、現在のアメリカと北朝鮮の関係でさ、アメリカの軍事力があれば北朝鮮を滅ぼすことはできるよね?
でもしないよね?なんでだろうね?
管沼理論だと、アメリカが北朝鮮との対話を求めたらアメリカが北朝鮮にビビりまくってオバマが金書記に土下座しまくったことになるんだよね?
230:人間七七四年
14/02/23 18:45:24.53 2bN1ncHh.net
とりあえず菅沼君は
・なぜ勝頼は秋山を見殺しにしたのか?
・なぜ第三次信長包囲網のとき武田は動かなかったのか?
の質問から逃げ回らずにちゃんと答えなさい
長篠で損害軽微だったなら動かない理由はないはずだよね?菅沼君
231:人間七七四年
14/02/23 18:51:19.49 w3aAiql7.net
アメリカと朝鮮は交戦してないし織田→武田領国の距離の何十万倍も距離があり
飛行機などで攻め込むにしろ爆撃にしろ規格外の費用が必要
だが武田と織田は隣国であり本拠地の岐阜からは一瞬で遠征できる圏内にある
実際に真田に苦戦したものの、遠征だけなら徳川秀忠でもやってる。
ちなみに摂津の石山本願寺は摂津12万石程度しか収入がない上に
拠点が堅固で史実では5年も費やし延々と兵糧攻めにするだけだったくらい
攻めるには苦労するだけで、無理にとってもメリットがほとんどない。
対して武田は110万石もあり、長篠が壊滅的損害だったという仮定なら、それこそ兵の動員なんて到底困難なはずだから全く苦労を要しないはず。
長篠合戦で武田が大損害受けたという仮定なら、武田は迎撃するための態勢の構築すら困難なはずで
越前侵攻に3万、それ以外の領国留守居に1万さいたとしても残りの兵力6万+徳川上杉の援軍が加われば
武田を瞬殺するには十分すぎる国力差と兵力差
武田は110万石程度だが、長篠で通説どおりの壊滅的損害受けたなら、動員兵力27000のうち1万~15000は戦死や戦傷で使い物にならず
仮に上杉が動かなかったとしても上杉と織田は一応対武田で同盟したり書状のやり取りしてるから
武田は北信濃や上野の兵を動かすわけにはいかない。だから武田が対織田に割ける兵力は7000程度って所。
これなら織田徳川70000がちゃんと地勢を考えた行軍進軍すれば余裕で2週間で滅ぼすことができる兵力比。
232:人間七七四年
14/02/23 19:00:20.49 f4USNMUt.net
飛騨木曽伊那駿河と四方から攻め入れば余裕でしょ。
織田軍は国力から考えて総兵力11万程度はないとおかしいし
2万~3万領内の抑えに残して上杉2万徳川8000で
武田20000(長篠で本当に虐殺してるなら大部分が戦死、戦傷)程度瞬殺するには十分すぎる。
駿河口なんて、攻められると滅法弱い地勢だし
駿河突破すれば本国甲斐なんて眼前だろ。
あるいは上杉と協力して木曽口伊那口飛騨口経由で信濃攻めしてもいいし。
信長は武田攻めの時も武田警戒しまくって先に進み
233:すぎるなとか重ねて書いてるし 長篠では武田軍の強さをまざまざとみせ付けられたから長篠以降も織田方はほとんど武田領を切り取れなかったし 謙信との約束にあった信濃出陣も行えなくなって 謙信に愛想つかされる始末だもんな
234:人間七七四年
14/02/23 19:01:37.27 4Yq1E0X0.net
6/13の謙信への書状における信長の想定は、
岩村城が懇望してきても5、3日で落とせるので許さないと言っていたが、
実際の戦況は苦戦続きの信忠を見た家康が信康を派遣しようとしたので、
6/28に慌てて信忠は若年だからと補佐してくれって佐久間信盛を派遣していることがわかる。
天正10年の武田征伐でも信忠は若年だからと川尻や滝川が補佐させられるくらい信忠は無能。
しかし6/28の江馬から直江への書状で、
長篠の戦いについて、信長の注進を不能詳候などと書いて不信感丸出しの報告をしており、
江馬はいち早く信玄の死の風聞を察知して上杉に伝えたりと情報通である。
謙信も岩村の戦況も含めて、織田への不信感を高めた為に、
もはや信長は謙信幕僚に直接の書状が受け付けられなくなり、
7/20には信濃に旧領ある村上にしか出せなくなる。
しかも旧領回復を煽るために武田を攻めるのは今!謙信は相違ばかりで表裏野郎!と逆切れする小学生レベルw
8/10には勝頼が遠江出馬を宣言するなど、
全く戦力が衰えていないことが露呈。
信長はウソがばれないように8/18以前に謙信へ長篠の討ち取り注文を送り、ウソにウソを重ねるが(謙信は討ち取り注文を佐竹らに伝えた)
もはや呆れた謙信は織田との手切れをしてしまう。
上杉を怒らせてしまった信長は、
岩村は数日で落とせると6月に豪語して戦況は織田圧倒的を吹聴していたが、
11/26にやっと秋山を引き寄せて磔をするや、
11/28に佐竹や小山らに長篠の戦いの勝利を吹聴。
これは上杉が佐竹や小山らと織田を取り付いでいたが、
織田のウソに呆れた上杉と手切れになったので、
直接、小笠原貞慶を派遣して弁解してる
235:人間七七四年
14/02/23 19:31:13.83 O5dhDyb1.net
菅沼遼太理論だと信濃から目と鼻の先にあった
岐阜を攻めようとしなかった
武田信玄は無能暴君ということになるなw
勝頼は秋山を見捨ててるし
2代揃って武田の当主は馬鹿ばかりw
236:人間七七四年
14/02/24 02:34:39.77 VtEmoIAQ.net
それは、ある意味包囲網敷いているのに、目と鼻の先にある岐阜を
攻めないチキンだということだな
237:人間七七四年
14/02/24 10:51:02.06 CUalFCCX.net
相変わらず突っ込みどころしかないが
>アメリカと朝鮮は交戦してないし織田→武田領国の距離の何十万倍も距離があり
こいつは地球が一周何キロかさえ知らんのかw
238:人間七七四年
14/02/24 16:13:14.59 HW/tglc3.net
アメリカから朝鮮半島は10000キロ以上離れていて陸続きでもない。
武田-織田領国間のわずか50~80キロ程度の距離と一緒くたにして語るとか相当馬鹿げている
239:人間七七四年
14/02/24 16:14:31.28 yA0pftJt.net
どうでもいいつまらんところに揚げ足取るような突っ込みいれるとか相当馬鹿だな
240:人間七七四年
14/02/24 16:50:00.09 ztofRaFz.net
>>224
241:人間七七四年
14/02/25 01:11:10.68 +bi+bD8k.net
ぶっちゃっけ兵が文字通り全滅していようとも動員そのものは可能だろ
動員兵力はあくまで国力に対してのものなんだから
国力人口がある限り動員は当然可能に決まっている
動員した兵がどれぐらい使い物になるかはまた別だけど
242:人間七七四年
14/02/25 01:34:39.44 J2FOUYi8.net
結局は224だね、無理に無理を重ねた論理じゃ結局武田はなんて無能なんだってなってしまう。
>>227
>>228
無視すればいいのに相当悔しかったみたいだね。
243:人間七七四年
14/02/25 01:42:26.82 J2FOUYi8.net
>>230
ゲームじゃないんだから兵が戦場で壊滅しようとも領国内の人口が消滅したわけじゃないんで、
国人領主等が軍役拒否しないなら動員そのものは可能だろうけど、
現実には惣村内とかでいろいろと手続きというか話し合い後処理などがあるだろうから、
ある程度の期間は動員出来ないってこともあるんじゃないか?
244:人間七七四年
14/02/25 08:26:59.34 6GVtfQvI.net
>>232
言っている事は間違っていないと思うけど、今と違って兵は専任じゃないし、
兵が戦場で壊滅=領国内の人口減少、軍事力・生産力の低下になるんじゃない
かな?
隣接地域の状況は不安定になるだろうし、消滅ではないが、相当な戦力ダウン
は免れない。
感謝状とか出して沈静化しないといけないだろうし、どっちにしても、しばら
くは動員出来ないってのは同意。
245:人間七七四年
14/02/25 09:29:55.12 ZbwvbdwC.net
兵が全滅したり半壊したら回復させるには相当の期間がいるんじゃね
特に国力あたりの動員力に対する割合で3分の1を越すような死者がでたら
それ以上の負傷者が出るだろうし
長篠直後でも勝頼が軍を動かしたり遠州だの上野だの出兵してるのはありえない。