12/07/21 22:19:34.95 4Y/C9SZK.net
>>388
太田党の有力な土豪は十ヶ郷や雑賀荘の境界争いになると、
太田氏の太田城や、堀内氏の秋月城などに集まって、戦を行っていたらしい
特に仲が悪かったのが、十ヶ郷の鈴木氏、雑賀荘の岡氏や湊衆
それとご指摘の通り、中郷や雑賀荘、南郷にも飛び地があり、
太田城を中心とする地域一帯は上宮といわれ太田氏の太田党がこれを治め、
雑賀荘の毛見、南郷の吉礼といった飛び地は下宮と呼ばれてそれぞれの在地の
土豪が神領鎮護の任務にあたっていた
太田党は岩出の根来衆とも関係が深く、鳴神氏や神前氏などが根来寺に氏人を
派遣していた関係もあるらしい
また、敵対する雑賀衆や湊衆からも、雑賀に反目する人々を受け入れていた
(湊衆の植松彦次郎、雑賀荘の嶋掃部、藤田六郎などの名が伝わっている)