雑賀衆・根来衆at SENGOKU
雑賀衆・根来衆 - 暇つぶし2ch183:人間七七四年
08/05/06 21:34:04 wRyOeG3Y.net
>>182
これも難しいところですが、元々一揆衆であり、一つのまとまった勢力ではない雑賀衆において、
鈴木家はさらに特殊な家の1つであったことは間違いないかと思います

その最たる例が石山本願寺支援であり、
根来衆やそれに近い雑賀衆勢力が軒並み織田方についていることと比べるとその違いが歴然としています
そして、その対応の違いが雑賀衆の分裂・内紛の引き金の一つであったことはこれまでにも書いてきたことです

さて、本願寺顕如の石山退去の際、その和睦交渉の中継ぎ役として実は雑賀衆が出てきます
どうやら、このことを境にして雑賀鈴木家は織田信長との繋がりを持つようになり、
その後は織田信長の勢力を後ろ盾に土橋家との抗争状態に入ります
しばらくは織田家の後ろ盾のある鈴木家が優位にことを進めたようですが、
本能寺の変で織田信長が死に、鈴木家の後ろ盾を失うと事態は一転し、
土橋氏が鈴木家の居城である鈴木城に放火するなど、鈴木家の勢力の後退と土橋氏の伸長が目立ちます

その後の根来・雑賀衆の一体となった反秀吉的行動をみる限り、
本能寺以降の雑賀衆の中心は根来寺に近い太田党であったとみるのが自然です

さて、ここで問題になるのは本能寺の変の後に織田家領へ逃れたという鈴木孫一の存在です
彼が鈴木家中の誰を指すかというところが最初の問題となりますが、
実のところは明確に誰という結論はなさそうです
というのは>>179にも書いたとおり、鈴木孫一が一人の人物である可能性は、
その名が長い期間にわたって史料に出てくること、
さらに石山における戦死者の名前にも同様の名乗りが表れることからも低いことが想定できます

ただ、本能寺後の鈴木家の人物を見ると、鈴木重秀が秀吉に重用されたことがうかがえ、
彼が本能寺以降秀吉に仕えたという孫一である可能性が高いのではないかと思われます
一方、その他の鈴木一族がその頃に秀吉に出仕した様子はまず見あたらないことから、
彼以外の鈴木氏のほとんどは以前同様、雑賀荘に残ったとみるのが自然ではないかなと思います


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