08/05/06 11:30:56 qDgfbdv0.net
すみません、追加で。
wikiなどを見ると
>本能寺の変によって信長が横死すると孫一は羽柴秀吉のもとに逃亡し、土橋派が主導権を握る。
とあるのですが
一方で、鈴木重意(佐太夫)が、1585年の紀州侵攻で抵抗して騙まし討ちされた、ともあります。
雑賀衆というか「鈴木氏」についての質問なのですが
彼らは本能寺以後、どういう行動を取っていたのでしょうか?
一度は秀吉(信孝)の領内に庇護を求めて逃げ込んでおいて
後に秀吉に抵抗して討伐されている。
いまいち、秀吉に対してどういう対応を取っていたのか
どこを拠点にしていたのかがわかりません。
(拠点を失い秀吉支領内にいたのか?雑賀に確固たる拠点を置いていたのか?)
また、鈴木氏が一度雑賀で勢力を失って
「土橋派」が勢力を盛り返していたようですが
この「土橋派」には、どのような人物が入っていたのでしょうか?
鈴木氏衰退後?の雑賀衆を率いた人物にはどのような人がいたのでしょうか?
太田党とかの事なんですかね?