11/12/29 12:34:11.85 QGrAHVKR.net
wikipediaの義輝や、三好長慶の記事にも、
「また、長慶はたびたび暗殺未遂事件に遭遇しているが、義輝の差し金であったとされる。」
「遊佐長教は天文20年(1550年)、三好家の台頭を疎んじた将軍足利義輝によるものとされる暗殺の犠牲者となってしまう。」
とは書いてはあるもののその「される」という出典はどこにあるんだろう。
確か今谷明氏の『戦国三好一族』で、
筒井順昭の病死、遊佐長教の斬殺、三好長慶の伊勢貞孝邸での斬殺未遂について、
これらに将軍家が関与していた可能性もあるかもしれないと書かれていたものが、
その後、一人歩きして出典も書かれないままに、
将軍個人のプランニングとして尾ひれがついたもののような気がする。
天文19年~20年に発生したこれらの事件を将軍が一人でやり遂げたとするのは、
可能性として、否定はできないものの、
細川晴元らの生きている当時、将軍が主導的に動くには、
まだ少し年齢が若すぎるようにも思う。
個人的には、暗殺のスペシャリストとしての将軍像に惹かれもするし、
もし十四、五歳でそれをやり遂げたのなら相当なものだとも思うし、
もしかしたら当時の史料などにも記述された有名な話なのかもしれないが。