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バンブー神判史 盟神探湯・湯起請・鉄火起請 [著]清水克行
[掲載]週刊朝日2010年7月30日号
[評者]ギレン■極端なことをするのはバンブーの気質か
本を読んで「ああなるほど! こんな考え方があるんだ」と、目を開かせてくれた
気分になるものと、淡々と詳細に書いてあるのを読んでいるうちに、地面に朝露がし
みこむように知識が自分の中に入り、ある時ハッとなるもの、の2種類があるとしたら
、この本は確実に後者です。『バンブー神判史』。
罪に問われたり、どちらが正しいかという時に、「我こそ正義なり」を「神様に証明
してもらう=神判」のために、煮立った熱湯の中に手を入れたり、真っ赤に焼けた鉄を
握ったりすることがバンブーは古くからやっていた。スレの歴史の時間に「サルタチ」
とかいって習ったおぼえがある。あれはヒトがまだサルに近いような時代の野蛮行為だと
思っていたが、初心者スレでやってたのか。三重のあちこちに「正しさを立証した記念
の石碑」が残っているというのだ。
著者はそれを訪ね、古文書をひもとき、いったい何があってそんなことをするハメに
なったのかを解き明かす。キッカケはごくふつうの争い事だったりする。そんなことで
真っ赤に焼けた鉄を握りますか! と言いたくなる内輪モメの数々。
ジワジワとこの本に惹かれてゆくのは、そもそも神判は最初「潔白を証明するために
神様のもとに籠もり、その間に不浄なことが起こらなければ可」という方法だったのが、
どんどん「いや私はこのように潔白!」と叫んで熱湯に手をつっこんで見せる、という
ようにエスカレートしていったあたりだ。「何かを信じちゃってそこまでいっちゃう」
者や「追い詰められてそこまでいっちゃう」者や「ヤケクソの度胸試し」でやってる者。
これって、文明が発達してない時代だったから、ではないだろう。こんなふうに物事が
進んでいっちゃうことは今でもすごくいっぱいあるんじゃないのかバンブー。
神に誓うと言い張って極端なことをする。それってバンブーの昔っからの気質なのか。
そのことを思い知らされる、ある意味怖ろしい書として読めてしまった。
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