コロナだけど登山自粛するか迷うよねー。Part2at OUT
コロナだけど登山自粛するか迷うよねー。Part2 - 暇つぶし2ch935:底名無し沼さん
20/04/23 12:38:22 LVAF1TJj.net
南アルプス登山史年表(戦時中でも、安定のパンパカぶり。)
URLリンク(www.minamialps-net.jp)

1939年
7月16日、北岳で合宿中の神戸高商山岳部員4人が雷の直撃を受けて
朝田武彦、中村考一が死亡した。南アで初めての被雷遭難。
8月6日、岐阜農高山岳部が北岳で遭難死した仲間の慰霊登山。
「昭和十二年八月九日バットレスに眠る大橋君の立墓のために来る」の記録あり。
8月11日から、日川中の水口清雄教諭、生徒の大沢袈裟芳、萩原義路、小林道夫、
川久保正郎が荒川小屋―(白根三山)―広河原小屋―(鳳凰山)―青木鉱泉。

1940年
6月、荒川本谷を遡行した横浜の村松康夫が行方不明に。
10年後の昭和25年、農鳥岳東壁中央稜を登はん中の
山梨大生高室陽二郎らが遺体を発見した。

1941年
5月、南嶺会の遠藤武夫、石川、水口弥が池山吊尾根から北岳。
7月、県登山連盟主催の錬成登山が甲斐駒ケ岳、鳳凰山、金峰山で行われる。
10月、南嶺会の井上、遠藤、石川、水口、内藤が地蔵仏登はん。

1942年
7月29日、登歩渓流会の松涛明が北岳バットレス中央稜初登はん。
11月1日から3日、南嶺会の水口弥ら鳳凰山。
南嶺会の百瀬、今沢、井上が甲斐駒ケ岳へ。白州往復は自転車を使っての日帰り登山。

1943年
7月、松本の歯科医師父娘が甲斐駒の坊主尾根で迷い、父親は疲労死、
娘は尾白本谷を下降し助かる。
秋、東京の中学生添田春吉らが甲斐駒山頂で吹雪に遭いほこらに避難したが、
添田が死亡。


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