▲▲ 筑波山 12 △△at OUT
▲▲ 筑波山 12 △△ - 暇つぶし2ch176:フ利用は減少し、一部登山道としての確認ができない区間があ る。写真須走口登山道の写真A5吉田口登山道エムゾネ北口本宮冨士浅 間神社を起点とし、富士山頂を目指す道である。15世紀には、富 士山への登拝が、修験者だけでなく、ごく一般の人々の間にも広ま っていた。吉田口は14世紀後半には参詣の道者のための宿坊もで き始め、大勢の人々が登るための設備エムゾネが整うようになった。1 6世紀から17世紀、長谷川角行が吉田口を利用して修行を行い、 18世紀前半には富士講隆盛の礎を築いた食行身禄は、入定(宗教 的自殺)にあたって信者の登山本道をこの吉田口と定めた。このた め、富士講の信者が次第に増エムゾネ加した18世紀後半以降は、年間 数万人を数える富士講の道者が登拝したとされる。1964年に富 士山有料道路が開通した後は、ほとんどの登山者が新五合目(小御 岳)を起点として登るようになったため、五合目以下の道を利用す る登山者は激減したエムゾネが、六合目以上については、現在残る登山 道の中で最も多くの道者(外の登山口の合計と同程度)が吉田口登 山道を上って山頂を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩 で麓から頂上まで登れる重要な道である。写真吉田口登山道の写真 表法的保護エムゾネ、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝天 然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公園法 の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が文化財保護 法の下に名勝、ついで特別名勝に指定1978年「特別名勝富蔵応



177:底名無し沼さん
18/05/19 22:27:32.49 WfkQ7IUI.net
保エムゾネ存管理計画」策定(1999年、2006年改訂)1996
年歴史の道整備活用事業により馬返~1合目区間を発掘調査・整備
1999年「特別名勝富士山保存管理計画」を改訂2006年「特
別名勝富士山保存管理計画」を改訂2011年文化財保護法エムゾネの
下に他の文化財とともに登山道の一部を史跡富士山として指定-2
6-2011年「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)A6北
口本宮冨士浅間神社富士山北麓、吉田口登山道の起点に位置し、祭
神として木花開花姫命、天津彦彦火瓊瓊杵命、大山エムゾネ祇命を祀る
神社である。富士山の遙拝所に祀られていた浅間明神(富士山の荒
ぶる神)を起源とし、1480年には「富士山」の鳥居が建立され
、16世紀半ばには浅間神社の社殿が整っていたとされる。当神社
は領主からの崇敬が厚く、境内に現存するエムゾネ3つの社殿は、15
61年、1594年、1615年にそれぞれ当時の領主が寄進した
ものである。富士講とのつながりが強く、1730年には富士講の
指導者である村上光清の寄進によって境内の建造物群の修復工事が
行われ、現在にみる境内の景観のエムゾネ礎が形成された。北口本宮冨
士浅間神社の支配権は外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属し
ており、神社の管理も御師団の中から選ばれた者に委ねられていた
。社殿の背後に登山門があり、この神社を起点として富士山頂まで
吉田口登山道が伸びていエムゾネる。富士講や吉田御師と密接な関係を
持ちながら発展した神社である。写真北口本宮冨士浅間神社の写真
(本殿、西宮本殿、東宮本殿)表法的保護、修理・整備の経緯19
07年古社寺保存法の下に東宮本殿が特別保護建造物の指定195
2年所在地が文エムゾネ化財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定
1952年東宮本殿・解体修理工事を行う1953年文化財保護法
の下に本殿、西宮本殿が重要文化財の指定1962年西宮本殿・解
体修理工事を行う(~64年)1978年「特別名勝富士山保存管
理計画エムゾネ」を策定1973年本殿・部分解体修理工事を行う故経

178:底名無し沼さん
18/05/19 22:28:04.07 WfkQ7IUI.net
74年)1981年東宮本殿・部分修理工事を行う(~82年)1
997年東宮本殿・部分修理工事を行う2008年本殿・屋根の葺
替え修理工事を行う(~09年)2010年「重要文化財北口本エムソ
゙ネ宮冨士浅間神社保存活用計画」を策定2011年文化財保護法の
下に他の文化財とともに史跡富士山として指定(予定)2011年
「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)A7西湖富士山の火山
活動により形成された堰止湖で、富士山の北北西に位置エムゾネする。
富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが行われたが、この西
湖にも多くの富士講徒が訪れた。西湖と精進湖はかつて「~の海(
せのうみ)」と呼ばれる一つの湖だったが、日本最古の歌集・万葉
集で~の海が詠われたほか、いくつかの文学作エムゾネ品ともゆかりが
ある。写真西湖の写真A8精進湖富士山の火山活動により形成され
た堰止湖で、富士山の北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って修
-27-行する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも多くの富
士講徒が訪れた。富士山北麓で最初のエムゾネ洋風ホテルはこの精進湖
畔に建てられ、多くの西洋人が訪れた。20世紀初頭には、絵葉書
に使われた富士山の写真はこの精進湖からのものがほとんどだった
。写真精進湖の写真A9本栖湖富士山の火山活動により形成された
堰止湖で、富士山の北西に位エムゾネ置する。富士山周辺の湖を巡って
修行する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも多くの富士講徒
が訪れた。本栖湖は、日本の紙幣の図柄として何度も使用された写
真の撮影地点であり、重要な展望地点(viewpoint)であ
る。富士山は、プロエムゾネ・アマを問わず多くの写真家に愛され、撮
影されてきた。なかでも、生涯にわたり富士山を追い続けた岡田紅
陽によって、1935年に本栖湖北西岸の峠道から撮影された「湖
畔の春」という写真は有名である。この写真は、1984年に採用
された5千エムゾネ円札及び2004年に採用された千円札の図柄とし
て使用された。山体の裾野が湖まで広がり一体の景観を構成し履革

179:底名無し沼さん
18/05/19 22:28:37.53 WfkQ7IUI.net
る本栖湖からの展望は、「湖畔の春」に撮影された富士山とほぼ同
じ姿のまま現在も残している。写真本栖湖の写真表法的保護、修理
・エムゾネ整備の経緯(A7・A8・A9)1936年所在地が国立公
園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1988年「山梨県富士五
湖の静穏の保全に関する条例」を制定2006年自然公園法の下に
本栖湖の湖面全域での動力船の使用が規制される2011年エムゾネ文
化財保護法の下に名勝に指定(予定)2011年「名勝富士五熟医

180:底名無し沼さん
18/05/19 22:28:56.51 WfkQ7IUI.net
存管理計画」を策定(予定)(2)信仰B1富士山本宮浅間大社富
士山の南西麓に位置する神社であり、この神社とともに発展してき
た富士宮市の中央部に所在する。富士山の神とされエムゾネる木花之佐
久夜毘売命を主祭神とし、現在全国に約1300社ある浅間神社の
総本宮とされている。境内には登拝の際に水垢離場として使用され
た湧玉池がある。浅間大社は7世紀ごろ、富士山により近い遥拝所
であった山宮浅間神社から現在の地に移転エムゾネされたとされる。創
建当時は富士山の噴火が盛んであり、これを畏れ鎮めることを信仰
の目的としていた。朝廷も浅間大神に他の山よりも高い神階を与え
ることで崇敬の念を示した。12世紀後半ごろには、浅間大神は本
地垂迹説の影響を受け大日如来のエムゾネ垂迹である「浅間大菩薩」と
見なされるようになり、12世紀頃より政治の実権を掌握した武士
階級に戦勝の神として信仰された。15世紀ごろ、登拝が盛んにな
るにつれて、浅間大社は村山浅間神社とともに大宮・村山口登山道
の起点となり、宿坊が周エムゾネ辺に建設された。16世紀ごろ、浅間
大社は湧玉池での水垢離を重要な儀式と位置づけることによって、
浅間大社を経由した登拝を喧伝した。同時期の絵図である絹本著色
富士曼荼羅図には、浅間大社・湧玉池及び村山浅間神社を経由して
登山する人々のエムゾネ姿が描かれている。登拝の拡大に伴い、富士山
中での諸権利が構築されていく中で、浅間大社は徳川家康の庇護の
下、1604年現在の社殿が造営されるとともに、1609年山頂
部の散銭取得における優先権を得た。これを基に浅間大社は山頂部
の管理エムゾネ・支配を行うようになった。ただし、大宮・村山口登山
道と頂上部の大日堂周辺は-28-村山浅間神社が支配し、廃仏毀
釈以降、村山浅間神社の衰退と1906年の村山浅間神社を経由し
ない登山道の開削などにより、浅間大社には多くの参拝者が訪れエムソ
゙ネた。また、明治政府の政策により、一時国有地とされていた八合
目以上の土地は1974年の最高裁判決に基づき、2004年清錠

181:底名無し沼さん
18/05/19 22:29:29.47 WfkQ7IUI.net
大社に譲渡(返還)された。写真本殿・拝殿+富士山表法的保護、
修理・整備の経緯1907年本殿が古社寺保存法の下にエムゾネ特別保
護建造物に指定1925年本殿・拝殿・楼門等の補修1929年本
殿は国宝保存法制定に伴い国宝に名称変更1934年楼門の修理1
936年袖廊・廻廊を附した1950年本殿は文化財保護法制定に
伴い重要文化財に名称変更1952年本殿の屋エムゾネ根の修理等が行
われた1970年本殿の屋根の修理等が行われた1988年本殿の
屋根の修理等が行われた1996年富士宮市教育委員会が調査を行
った2002年富士宮市教育委員会が調査を行った2005年本殿
の屋根の修理等が行われた2008年エムゾネ財団法人静岡県埋蔵文化
財調査研究所により境内の発掘調査が行われ、その成果に基づき2
010年に「史跡富士山保存管理計画」を策定2010年文化財保
護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定湧玉池は富士
山本宮浅間神社境内に所在すエムゾネる面積約2,500㎡の池である
。池は約1万年前に噴出した万野溶岩流の末端から湧き出す一日平
均14万~(2008年)の水を源としている。湧水のメカニズム
は、富士山の標高1000m前後ないしそれ以上の高所の降水が地
下にしみ込み、何層エムゾネもある溶岩層の間にはさまれて充満し、そ
れが押し出されるようにして末端から湧出したものである。浅間大
社の位置は、富士山の噴火を湧水によって鎮める考えや、富士山を
聖なる水源の山として崇める考え方から、豊富な湧水量を持つ湧玉
池のほとりエムゾネに置かれたとされる。この湧水には灌漑用水として
の役割もあり、浅間大社境内の神田の宮では水徳の神・農業神とし
ての浅間大神に感謝する祭礼が行われている。池の名前の由来には
、地底から玉が湧き出るように湧水しているためという説や湧く霊
たエムゾネま(神霊)との説等があり、わく玉の名は10世紀後半の地
元支配者による和歌に見られ、湧玉池の名称は1670年作成の「
社頭古絵図」に見られる。湧玉池は浅間大社に参拝し、富士山徐慣

182:底名無し沼さん
18/05/19 22:30:00.80 WfkQ7IUI.net
ざす登拝者が身を清める場として使用された。その様子は「エムゾネ絹
本著色富士曼荼羅図」や「富士浅間曼荼羅図」、17世紀初頭の登
山記で確認できる。この絵図では現在の形状に近い湧玉池が描かれ
、水垢離する人々やそのための施設が見られる。登拝者の水垢離は
1920~30年代まで行われ、現在では山開きのエムゾネ恒例行事に
形を変えて継承されている。また、湧水は聖なる水として現在でも
利用する人が多い。湧玉池および周辺には様々な宗教に係わる施設
があるが、特に池の南端にある「神幸橋」は、御神幸道の基点であ
り、現在でも1691年に作られた石碑がエムゾネたもとに残されてい
る。-29-写真沸玉池の写真B2山宮浅間神社浅間大社の北北東
約5kmに位置し、木花之佐久夜毘売命を主祭神とする神社である
。その起源は「富士本宮社記」によれば、山足の地に祀られていた
浅間大神を、神話上の英雄であるエムゾネ日本武尊が大神の神威により
難を逃れた謝礼に山宮に祀ったこととされ、これが802年に再び
遷され浅間大社となったとする。具体的な創建年代は不詳だが、文
献上での初見は1551年である。神社は神事の際に使用する籠屋
以外の建物施設を持たずエムゾネ、拝殿・本殿等が位置すべき場所には
石列でいくつかに区分された遥拝所が設置されるのみという特異な
形態を示している。この形態は古代からの富士山祭祀の形を止めて
いると推定されており、遥拝所の主軸は富士山方向を向いている。
発掘調査では1エムゾネ2~15世紀にかけての神事に使用されたと推
定される破砕された土器が遥拝所北側から多数出土し、当神社での
宗教活動を裏付けている。また、遅くとも1577年までには浅間
大社との間で「山宮御神幸」といわれる儀式が開始された。これは
4月とエムゾネ11月に神の宿った鉾を持ち、浅間大社から山宮浅間神
社へ行き、神事を行った後、翌日未明に浅間大社へ戻る行事である
。行事の意味として、現時点では神が4月に旧跡に戻るという解釈
と、山にいる神が4月に田の神として里へ降りるという解釈があエ更間

183:底名無し沼さん
18/05/19 22:54:29.89 WfkQ7IUI.net
゙ネる。この行事は1874年まで行われていた。なお、「山宮御神
幸」に使用される経路を御神幸道と称し、浅間大社湧玉池横より発
し、約600m東へ向かった後、ほぼ直角に曲がり直線状に北上し
て山宮浅間神社に至る。道の出発点及び途中には169エムゾネ1年に
置かれた距離を示す石碑が少なくとも四箇所残っている。写真山宮
浅間神社の写真B3村山浅間神社山宮浅間神社の南東約4km、富
士山南麓に張り出した標高約500mのバルコニー状地形に位頭彰

184:底名無し沼さん
18/05/19 22:55:42.44 WfkQ7IUI.net
財調査委員会は指定文化財及び文化財全体に関する事項を審議し、
それぞれ、静岡県・山梨県教育委員会及び直接的な構成資産の管理
を行う各市町村教育委員会に対して建議を行っている。これエムゾネら
の組織の運営は静岡県・山梨県の世界遺産推進課が行い、専門の職
員名により業務が行われる。また、富士山文化課世界遺産推進係を
設置した富士宮市教育委員会や世界遺産推進室を設置した富士吉田
市をはじめ、各市や市町村教育委員会においても構エムゾネ成資産の保
存管理を担当する専門の職員を定めている。これらの組織体制につ
いては、さらなる充実化に努める予定である。なお、上記の体制に
ついては現在登録準備のために設置され、実質的に機能している組
織を改変・名称変更・役割変更するものでエムゾネあり、その運営に関
して問題は生じない。図「富士山」に係る保存管理の組織体制図(
仮案・今後変更の可能性大)64富士山世界遺産両県協議会(構成
)静岡県、山梨県、関係市町村学識経験者等国関係機関(文化庁、
環境省、国土交通省、防衛省、林エムゾネ野庁)f)財源及び財政的水
準各構成資産の管理については、それぞれの所有者又は管理団体が
行っている。特に「記念工作物」、「建造物群」の修理を行う場合
には、小修理その他特別な場合を除いて国が必要に応じて経費の5
0開発事業者、地域住民エムゾネ、関係者静岡県世界遺産協議会山梨県
世界遺産協議会(委員)行政:静岡県、関係市町(委員)行政:山
梨県、関係市町村等民間:観光協会、登山組合、神社関係者等民間
:観光協会、山小屋組合、静岡県保存管理協力者会議(委員)関係
市町(企画・都エムゾネ市計画・文化財担当)観光関係者、登山組合、
神社関係者等神社、関係者等静岡県庁内連絡会議山梨県庁内連絡会
議(委員)関係課等(委員)関係課等山梨県保存管理協力者会議(
委員)関係市町村(企画、都市計画、文化財担当)観光関係者、山
小屋組エムゾネ合、神社関係者等65~85%の補助金を交付している
。「遺跡」である史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又欄未

185:底名無し沼さん
18/05/19 22:56:15.66 WfkQ7IUI.net
然記念物において発掘調査・修理・整備の事業を行う場合にも、国
が必要に応じて経費の50%の補助金を交付している。これらのエムソ
゙ネ国の補助金に併せて、静岡県・山梨県は国の補助金相当額を控除
した額の50%に相当する額以内の補助金を交付し、構成資産所在
の市町村が同内容の補助金を交付する予定である。また、重要文化
財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然エムゾネ記念物
において、それぞれ防災施設等を設置する事業についても、同様の
比率の下に経費の補助を行うこととしている。なお、上記の補助金
とは別に、2006年より構成資産の整備活用及び保護に関する教
育プログラムのための基金を設けており(「富エムゾネ士山基金」)、
基金には国内の経済界を中心に民間からの資金提供も行われている
。g)保全及び保存管理の技術における専門的知識及び研修構成資
産の保存管理については、所有者(宗教法人を含む)をはじめ、静
岡県・山梨県教育委員会及び各史跡等エムゾネの管理団体に指定された
各市町村教育委員会が実施している。静岡県・山梨県教育委員会と
その関連機関である財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所及び山梨
県埋蔵文化センターでは、それぞれの組織内に文化財の高度な保存
・管理技術を持つ専門職員及エムゾネび技術者を配置し、管理団体であ
る各市町村が行う保存管理に対して適切な技術的支援を行っている
。また、独立行政法人国立文化財機構は、全国の史跡等における整
備活用事業の円滑な推進と


186:専門職員及び技術者の技術や能力の向上 のために、地方公共エムゾネ団体の専門職員を対象として定期的に研修 を開催しており、静岡県・山梨県をはじめ関係各市町村の職員も当 該研修等に積極的に参加して、資産の整備活用の技術向上に努める 予定である。さらに、独立行政法人国立文化財機構(201年度よ り国内の大エムゾネ学の研究者及びイコモス会員を含む富士山世界遺産 両県協議会の助言者及び両県協議会も含まれる予定である)の助言 ・指導に基づいて行われている保存・管理技術は、高い水準を疎怠



187:底名無し沼さん
18/05/19 22:56:48.10 WfkQ7IUI.net
する予定である。重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然
記エムゾネ念物又は天然記念物を維持するための措置として簡単な修理
又は復旧を行う場合は、事前の届出に基づき、文化庁が適切な技術
的指導を行っているため、管理技術の水準はきわめて高く保たれて
いる。資産の見回りや清掃等の日常的な維持管理についてはエムゾネ、
静岡県・山梨県教育委員会から嘱託された文化財保護指導員(静岡
県3名、山梨県2名:構成資産の所在地区を担当する人数)の限粒

188:底名無し沼さん
18/05/19 22:57:19.59 WfkQ7IUI.net
、地域住民・民間団体・管理団体が協働して積極的に行っている。
表技術者の資質向上のために行われているおもな研エムゾネ修h)来訪
者の施設と統計構成資産の大部分は、周囲に展開する景勝地ととも
に日本を代表する優れた名所として国内のみならず海外に広く知ら
れており、夏季の登山をはじめとして四季折々の自然の姿を求めて
来訪する観光客でにぎわい、現在も国内有エムゾネ数の観光地となって
いる。図富士山への登山者数の推移(各登山口推計登山者数)静岡
県山梨県富士宮口御殿場口須走口県計吉田口合計図富士山への来訪
者数の推移(7・8月における各登山口五合目への入れ込み数推計
)66図主な構成資産の来訪者数エムゾネの推移(推計等)富士山では
、山頂へ7~8月の登山期に約29万人(1999~2009年平
均)が登山し、自動車でアクセス可能な各登山道の「五合目」(自
動車道建設以前の五合目とは一致しないため「新五合目」と呼ばれ
る)には、同期間に約2エムゾネ50万人(1999~2009年平均
)が訪れ、近年は外国人がかなりの数を占めるようになっている(
外国人の数に関する統計は取られていないため、正確な数値は不明
である)。富士山体においては、国内外から来訪する観光客や登山
者等の利用者のエムゾネ安全と利便を確保するとともに、秩序ある良好
な風致景観を維持及び形成することを目的として、「富士山におけ
る標識類静岡県山梨県合計富士宮口御殿場口須走口県計吉田口(年
間)富士吉田・河口本栖湖・精進湖・山中湖・忍野八三保松原浅間
大社白エムゾネ糸ノ滝湖・三つ峠周辺西湖周辺海周辺総合ガイドライン
」作成し、統一されたデザインによる四ヶ国語(英・中・韓及び日
)の道標や解説板を設置しているほか、富士山体の主として緩衝地
帯には駐車場・トイレ・資料館等の便益施設が整備されている。エムソ
゙ネ今後とも、適切な計画の下に順次整備していくこととしており、
「ビジターセンター」などのガイダンス施設の充実も行われる予定
である。自動車による訪問者の管理については、土日や休日等緑若

189:底名無し沼さん
18/05/19 22:57:53.25 WfkQ7IUI.net
者が突出して増加する日に、仮設トイレ・臨時駐車場等エムゾネを設置
するとともに、登山用の自動車道は自家用車の通行(登山道ごとに
異なる、最も利用数の多い吉田口(富士スバルラインを利用)で最
大12日間)を規制しシャトルバスによる代替輸送を行うことで環
境への負荷と混雑を軽減するようにしている。エムゾネこの日数は山麓
の駐車場の整備に従い(2011年に吉田口に1400台の駐車場
を整備)今後拡大(吉田口で15日)する予定である。登山者の安
全管理については、4箇所の案内施設(山頂、富士宮口、吉田口、
富士スバルライン終点)と3箇所の救エムゾネ護センター(富士宮口に
1箇所、吉田口に2箇所)が対応を行っている。南麓では静岡県に
よって30名の「富士登山ナビゲーター」が登山指導・案内・通訳
業務を行っており、北麓では富士吉田市条例によって、登山下山の
案内を行う約230名のガイエムゾネドが「富士吉田市案内員組合」に
登録している。さらに吉田口の山小屋では、民間の気象予報会社と
連携し山岳気象情報を共有している。事故に対しては県警察山岳救
助隊及び消防本部や市町村消防署が対応し、場合により自衛隊の出
動も要請する。またエムゾネ、気象条件が一般の登山を行うには危険と
なる冬季は登山道・山小屋を閉鎖(山梨県側は10月初旬、静岡県
側は11月末より翌年7月初旬)することにより十分な装備と経験
を有する者以外の登山は不可能である。冬山登山者は各登山口所轄
警察署(御エムゾネ殿場署・富士宮署・富士吉田署)に登山計画書の提
出を推奨されている(また、おおむね11月末~4月末まで静岡県
側の登山用自動車道は閉鎖され、山梨県側も積雪・凍結等の状況に
応じて段階的に閉鎖される。)山体以外の構成資産については、お
おエムゾネむね来訪者数に応じた駐車場・トイレ等を整備しており、今
後、これらをさらに整備する予定が立てられている。i)資産の整
備・活用に関する方針・計画静岡県・山梨県では、構成資産及びそ
の周辺を対象とした保存管理に関する事業計画を定め、地域エムゾ建半

190:底名無し沼さん
18/05/19 22:58:12.27 WfkQ7IUI.net
民による活用の取組をも取り込んで計画的に実施している。こうし
た諸計画に基づき、富士山地域の歴史的背景を展示する「富士吉田
市歴史民俗博物館」「裾野市立富士山資料館」「富士市立博物館」
の活用や、富士山に係る包括的な保存・管理や利用エムゾネ者ニーズに
適切に対応する拠点の整備を検討するなど富士山の適切な保全・管
理・活用を図っていく。加えて、富士山についての市民向け講座の
開催をはじめ、児童・生徒を対象とした体験学習などの情報発信施
策が定期的に実施されている。個別の資産エムゾネについては、「遺跡
」である特別名勝又は名勝、天然記念物、史跡をはじめ「記念工作
物」・「建造物群」である重要文化財に指定されている建造物につ
いては、一部を除き所有者・管理団体が年間を通じて一般に公開し
ている。なお、登山については、エムゾネ登山期間(基本的に7月1日
~8月31日)が公開時期に当たる。この時期以外の登山も禁止さ
れてはいないが、道路・山小屋等の閉鎖、および冬季の気象条件な
どにより専門家以外の登山は困難である。j)専門分野・技術・管
理に関する人的措置68エムゾネ静岡県・山梨県教育委員会の委嘱を受
けた文化財保護指導員(以下、「指導員」という。)が定期的に文
化財を巡回・点検し、両県教育委員会に対して保護に関する助言を
行っている。静岡県・山梨県は、指導員の調査報告に基づき、所有
者や関係市町村エムゾネに対して文化財の保存管理に関する指導を行っ
ている。このように、将来的に良好な状態の下に資産を維持してい
くための体制についても万全を期している。6.経過観察(モニタ
リング)の体制a)保存状況を計測するための主たる指標構成資産
であるエムゾネ「遺跡」・「記念工作物」・「建造物群」をはじめ、そ
れらの緩衝地帯については、顕著な普遍的価値の確実な保持、修理
又は復旧、維持管理、防災及び危機


191:管理に関する体制の充実及び技 術の向上を目的として、4章に掲げた保全状況及び資産全体に与エムソ ゙ネえる影響に対し、次に掲げる主な観点の下に適切な指標を設飯妖



192:底名無し沼さん
18/05/19 22:58:43.26 WfkQ7IUI.net
、定期的かつ体系的な経過観察(モニタリング)を実施する予定で
ある。①「3.記載のための価値証明」に記された資産の価値と真
実性及び完全性が維持されているか。②「4.保全状況エムゾネと資産
に与える影響」に記された諸要素(開発・環境問題・自然災害・観
光・その他)が資産とその緩衝地帯にどのような影響を与えている
か/与えたか。③「5.資産の保護と管理」に関連して、資産とそ
の緩衝地帯及びそれらを取り巻く周辺の広い地エムゾネ域が、相互壮黒

193:底名無し沼さん
18/05/19 22:59:16.77 WfkQ7IUI.net
応しつつ資産の顕著な普遍的価値に関する知識を発信する場として
適切な発展を遂げているか。設定するおもな観察指標については、
以下の表に示すとおりである(予定)。表観察指標一覧表※斜字は
富士山を守る指標(2010年度改定エムゾネ予定)から指標周期記録
組織(1)資産の視覚的結a)視点場における景観阻害要因数毎年
両県びつきの保護b)電線の地中化延長毎年両県a)富士山環境教
育開催数・参加者数毎年両県b)パンフレット・HPによる情報提
供数毎年両県c)主要地点でエムゾネの観光客の入込み数毎年両県d)
登山者数(5合目以上)毎年市町村e)登山者数(8合目以上)毎
年環境省(2)資産の関連性の保護f)森林伐採面積(森林の整備
形態~)毎年両県a)文化財保護法における現状変更の数毎年両県
b)自然公園法におエムゾネける許可行為の数毎年両県・環境省c)生
活排水クリーン処理数毎年両県(3)個別資産の保護d)富士山5
合目以上のごみ収集量毎年両県a)自然公園法における許可行為の
数毎年両県・環境省b)ゴルフ場面積毎年両県(4)緩衝地帯の保
護c)森林エムゾネ伐採面積(森林の整備形態~)毎年両県69d)廃
棄物の不法投棄量毎年両県なお、上記指標の具体的な設定根拠及び
測定方法等に関する内容の詳細については、本推薦書参考資料であ
る包括的保存管理計画において具体的に記述している。b)資産の
経エムゾネ過観察(モニタリング)のための行政上の体制定期的報告を
含む経過観察(モニタリング)については、以下の表に示すように
管理団体である山梨県及び関係各市町村が、静岡県・山梨県教育委
員会を通じて文化庁の指導の下に行う。『世界遺産条約履行エムゾネの
ための作業指針』(2008年)第5章に基づき、年度ごとに情報
収集及び記録作成を行い、蓄積した成果について6年ごとに保存管
理状況の評価としてまとめ、世界遺産センターを通じて世界遺産委
員会に定期報告書(英文)を提出する。モニタリンエムゾネグ体制分担
管轄域担当組織1.担当組織及び担当課名資産及び緩衝地帯2挨脅

194:底名無し沼さん
18/05/19 22:59:48.33 WfkQ7IUI.net
督組織資産及び緩衝地帯組織名称:文化庁組織代表者氏名:文化庁
長官担当課及び担当責任者氏名:記念物課課長3.指導組織資産及
び緩衝地帯組織名称:静岡県教育委員会:エムゾネ山梨県教育委員会組
織代表者氏名:静岡県教育長:山梨県教育長担当課及び担当責任者
氏名:静岡県世界遺産推進課課長:山梨県世界遺産推進課課長c)
以前の保全状況報告の成果経過観察(モニタリング)に必要とされ
る諸事項に関し、現時点及び過去エムゾネにおける資料・情報について
は、静岡県・山梨県・及び資産の所在する市町の下に適切に収集・
保管されている。それらの一覧表については、以下のとおりである
。表(過去に経過観察のために実施した過去の資料・情報)番号編
著者標題対象資産年要約エムゾネ707.資料a)写真・スライド・画
像一覧表Noフォーマット標題撮影年月撮影者・編集者著作権保持
者著作権者連絡先非独占的権利譲渡b)保護のための指定に関する
文書などc)資産関連資料d)資産管理機関住所e)参考文献8.
連絡先a)申請エムゾネ書作成者連絡先b)管理組織・官庁c)その他
の組織d)公式ウェブサイト9.署名構成資産の分析(1)番号構
成資産候補名所在市町村文化財指定状況保存管理計画策定状況H2
1.10.30学術委員会評価分析結果備考富士山両県未着手分析
結果Aエムゾネ:富士山の価値を証明するのに必須の資産C:富士山の
価値を証明するのに不可欠ではない資産平成21年10月30日の
各県学術委員会(両県合同開催)での評価A:顕著な普遍的価値を
有する資産B:顕著な普遍的価値についてさらに調査等が必要なエムソ
゙ネ資産C:顕著な普遍的価値を有しない可能性がある資産保留:評
価を保留平成22年度第1回静岡県学術委員会・第2回山梨県学術
委員会資料3世界文化遺産富士山包括的保存管理計画原案-1-世
界文化遺産富士山包括的保存管理計画原案目次第1章目エムゾネ的と経
緯1目的2計画策定の経緯(1)各県における検討の経緯(2)学
術委員会・保存管理計画検討部会組織3計画の位置付け(1)肖脅

195:底名無し沼さん
18/05/19 23:00:21.82 WfkQ7IUI.net
計画との関連・連携(2)計画の実施第2章構成資産の概要1構成
資産の一覧2資産及び緩衝地帯等の範囲3構成エムゾネ資産の概要(1
)富士山山体及び登山道A富士山A1山頂信仰遺跡A2大宮・村山
口登山道A3須山口登山道A4須走口登山道A5吉田口登山道A6
北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖(2)信仰B
1富士山本宮浅間大社B2山宮浅間神エムゾネ社B3村山浅間神社B4
須山浅間神社B5冨士浅間神社B6河口浅間神社B7冨士御室浅間
神社B8御師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船
津胎内樹型-2-B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺跡(人穴
浅間神社)B15白糸ノ滝(エムゾネ3)眺望C1三保松原第3章保存
管理の基本方針1顕著な普遍的価値及び周辺環境等を構成する諸要
素(1)顕著な普遍的価値を構成する諸要素①富士山山体及び登山
道②信仰③眺望(2)顕著な普遍的価値を構成する諸要素と密接に
関わる諸要素①自然エムゾネ地形②森林、植栽樹木③社寺の境内に含ま
れる歴史的な建造物及び工作物等以外の建築物及び工作物④道路と
その関連施設(3)周辺環境を構成する諸要素①自然的要素②歴史
的要素③人文的要素2保存管理の基本方針(1)構成資産の適切な
保存管理(エムゾネ2)周辺環境を含めた一体的な保全(3)経過観察
の実施(4)整備・公開・活用推進(5)保存管理体制の整備と運
営第4章構成資産の保存管理1現状の把握(1)富士山山体及び登
山道(2)信仰(3)眺望2保存管理の基本的な考え方(1)現状
変エムゾネ更の制限についての考え方(2)地区区分についての考え方
(3)指定地に関わる諸法令について3具体的な施策(1)第1種
保護地区(2)第2種保護地区(3)三保松原-3-第5章緩衝地
帯の保存管理1現状の把握2保存管理の基本的な考え方(1エムゾネ)
緩衝地帯の設定と行為規制(2)都市計画との調整(3)住民生活
との調和3具体的な施策第6章経過観察の実施1顕著な普遍的な価
値に負の影響を与える要素2負の影響を与える要因の観察第7陳走

196:底名無し沼さん
18/05/19 23:00:40.86 WfkQ7IUI.net
備・公開・活用1基本方針2整備と公開・活用第8エムゾネ章保存管理
体制の整備と運営1保存管理体制の整備と役割分担2地域住民等と
の連携・協働3持続的運営のための定期的確認付章1保存管理に関
する事業計画一覧表-4-第1章目的と経緯1目的富士山は、日本
を代表し象徴する日本最高峰の秀麗な円錐エムゾネ形成層火山として世
界的に著名であり、日本人の自然に対する信仰の在り方や日本に独
自の芸術文化を育んだ「名山」である。山岳に対する信仰の在刺淫

197:底名無し沼さん
18/05/19 23:01:12.77 WfkQ7IUI.net
及び芸術活動などを通じ、時代を超えて、一国の文化の諸相と極め
て深い関連性を示し、生きた文化エムゾネ的伝統の物証であるのみなら
ず、人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑出した類型
として、世界的にも比類なき顕著な普遍的価値を持つ山岳であり、
世界文化遺産に値するものである。富士山は、有史以前から噴火活
動を続けてきた標高37エムゾネ76mの円錐形の独立成層火山であり
、その山体は南の駿河湾の海浜にまで及び、海面からの実質的な高
さは世界的にも有数である。その力強く秀麗な姿は人々に神聖なる
気持ちを喚起し、古代から現代に至るまで、時代を超えて信仰の対
象となってきたエムゾネ。山腹及び山嶺には神社・登山道・巡礼地等が
形成され、山体と一体となった比類のない文化的景観を形成した。
山体のうち、五合目以上の砂礫地は「焼山」と呼ばれて特に神聖視
され、山麓に分布する湖沼・湧水、火山活動により形成された独自
の地形エムゾネなどは、富士信仰の霊地として重要な役割を果たしてき
た。日本独自の山岳民衆信仰に基づく登拝・登山の様式は現在でも
命脈を保ち、特に夏季を中心に訪れる多くの登山客とともに富士登
山の特徴を成している。このように、富士山は日本人の自然に対エムソ
゙ネする信仰の在り方に関連して、山に対する固有の文化的伝統を表
す物証及び人間の山に対する景観認知の在り方を示す傑出した類型
となっている。また、富士山の秀麗な姿は古くから芸術活動の対象
となり、その結果生み出された「万葉集」の和歌などのエムゾネ文学作
品や「浮世絵」などの秀麗で独自の絵画作品は、日本国内のみなら
ず海外にも広く知られ、様々な影響を与えてきた。それらの作品群
は、地球上の特定の地域において独自の文化的伝統が形成・発展す
るのに当たり、富士山が重要な源泉となった極エムゾネめて強力な関連
性であることを示している。このような価値をもつ「富士山」の構
成資産は、山梨県と静岡県の二県にまたがって分布している。これ
ら一連の構成資産を世界文化遺産「富士山」の総体として確実以贈

198:底名無し沼さん
18/05/19 23:01:46.32 WfkQ7IUI.net
存し、確実に次世代へと継承するためエムゾネには、両県共通の考え方
を基に、各構成資産全体を一つの資産として包括的に保存管理して
いくための方法を整理していく必要があることから、個別の構成資
産についての保存管理計画に加え、構成資産相互の関係性を保全し
全体の価値を継承していくたエムゾネめの包括的な保存管理計画を策定
しておくことが必要である。そのため、山梨県・静岡県は、文化庁
・環境省の指導・助言の下に関係市町村、関係各機関等と調整を図
り、本計画を策定した。「富士山」包括的保存管理計画-5-各構
成資産の都市計画保エムゾネ存管理計画等観光計画(環境省・山梨県・
静岡県・各市町村)整備計画等図包括的保存管理計画の体系2計画
策定の経緯富士山包括的保存管理計画は、構成資産に係る個別の保
存管理計画を基礎とし、世界遺産の推薦に当たって必要とされる保
存管理及びエムゾネ整備に係る理念・基本方針とその具体的内容につい
て明示するため、学術研究者等により構成される山梨県・静岡県学
術委員会及び二県学術委員による審議を経て策定されたものである
。学識経験者等により構成する各県学術委員会のもとに、保存管理
計エムゾネ画の原案を検討する保存管理計画検討部会を設置した。原案
を検討するにあたり、県庁内の関係部署との連携や共通認識を得る
ため、それぞれ「山梨県保存管理計画検討プロジェクトチーム」(
表)及び「静岡県保存管理計画検討庁内連絡会議」(表)をエムゾネ設
置し、連携・確認を行った。また、富士山の効果的かつ確実な保存
管理を行うためには、地元関係者など幅広い方々の協力・助言が不
可欠であることから、関係自治体・地域住民・観光関係者・神社関
係者などで構成する「山梨県保存管理計画策定協力エムゾネ者会議」及
び「静岡県保存管理計画協力者部会」を設置し、連携を図った。さ
らに、二県学術委員会のもとに設置した「包括的保存管理計画検討
部会」における検討とあわせ、文化庁の指導・助言の下、201■
年■月に策定した。(1)各県における検エムゾネ討の経緯両県の質勝

199:底名無し沼さん
18/05/19 23:02:17.87 WfkQ7IUI.net
(包括的保存管理計画検討部会と学術委員会)2007年11月2
9日平成19年第1回包括的保存管理計画検討部会・包括保存管理
計画の必要性・国内の世界遺産における包括的保存管理計画の事例
2007年12月26日平成19エムゾネ年第2回包括的保存管理計画
検討部会・目的と経緯・構成資産の概要・保存管理の包括的な基本
方針2008年3月17日平成19年度第2回学術委員会・包括的
保存管理計画検討部会の審議結果2008年6月19日平成20年
度第1回包括的保存管理エムゾネ計画検討部会-6-・包括的保存管理
計画の役割・構成要素と本質的価値の明確化2009年5月20日
平成21年度第1回包括的保存管理計画検討部会・各資産候補の概
要について・構成資産、緩衝地帯、保存管理区域について2010
年3月19日平エムゾネ成21年度第2回学術委員会・保存管理計画の
考え方について山梨県の経緯2007年8月31日平成19年第1
回山梨県保存管理計画検討部会・保存管理計画の事例2007年1
2月9日現地調査2008年1月31日平成19年度第2回山梨県
保存管エムゾネ理計画検討部会・包括的保存管理計画検討部会の審議結
果・山梨県保存管理計画の基本方針2008年2月21日平成19
年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・各県保存管理計画検討部会
の審議結果2008年4月16、17日現地調査2008年5月エムソ
゙ネ1日平成20年度山梨県保存管理計画策定ワーキング・山梨県保
存管理計画の策定について2008年6月10日現地調査2008
年6月30日現地調査2008年7月22日平成20年度第1回山
梨県保存管理計画検討部会・構成要素と本質的価値の明エムゾネ確化・
保存管理の方法と考え方2009年4月24日平成21年度第1回
山梨県保存管理計画策定協力者会議・富士山の世界文化遺産登録の
現状について・山梨県保存管理計画策定協力者会議について200
9年6月19日平成21年度第1回山梨県保存エムゾネ管理計画検討部
会・各資産候補の概要について・構成資産、緩衝地帯、保存管憶銀

200:底名無し沼さん
18/05/19 23:02:51.45 WfkQ7IUI.net
域について2009年8月26日平成21年度山梨県保存管理計画
策定ワーキング・富士山世界文化遺産登録への取組状況について・
山梨県保存管理計画の策定について2エムゾネ010年3月16日平成
21年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・保存管理計画の考え方
について2010年6月30日平成22年度第1回山梨県保存管理
計画検討部会静岡県の経緯2007年7月5日平成19年度第1回
静岡県保存管理計画検討部会エムゾネ・保存管理計画について-7黒緩

201:底名無し沼さん
18/05/19 23:03:10.48 WfkQ7IUI.net
008年1月23日現地調査2008年1月30日平成19年度第
2回静岡県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討部会の
審議結果・静岡県保存管理計画について2008年2月21日平成
19年度第3回山梨エムゾネ県・静岡県学術委員会・各県保存管理計画
検討部会の審議結果2008年7月16日平成20年度第1回静岡
県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討部会の報告・静
岡県保存管理計画について2008年9月9日平成20年度静岡県
保存管理計エムゾネ画検討部会第1回庁内連絡会議・富士山の世界文化
遺産登録推進の取組について・静岡県保存管理計画の策定について
2009年2月12日現地調査2009年6月1日平成21年度第
1回静岡県保存管理計画策定協力者部会・富士山の世界文化遺産登
録エムゾネ推進の取組について・静岡県保存管理計画の策定について2
009年6月17日平成21年度第1回静岡県保存管理計画検討部
会・静岡県保存管理計画の策定について・富士山の緩衝地帯に関す
る考え方2009年7月13日平成21年度静岡県保存管理エムゾネ計
画検討部会第1回庁内連絡会議2009年10月29日平成21年
度静岡県保存管理計画検討部会第2回庁内連絡会議2009年11
月25日平成21年度第2回静岡県保存管理計画策定協力者部会2
010年1月29日平成21年度第3回静岡県保存エムゾネ管理計画策
定協力者部会2010年3月16日平成21年度第3回山梨県・静
岡県学術委員会・保存管理計画の考え方について2010年6月3
0日平成22年度第1回静岡県保存管理計画検討部会(2)学術委
員会・保存管理計画検討部会組織学術委員エムゾネ会及び保存管理計画
検討部会の組織は図に示すとおりである。また、その構成は表~の
とおりである。(1)行政計画との関連・連携構成資産及び緩衝地
帯を有する山梨県・静岡県及び関係市町村では、まちづくり、観光
、防災などに関する各種計画を策エムゾネ定し、実施している。これら
の計画は、包括的保存管理計画と密接に関連し、日常的に連携滅到

202:底名無し沼さん
18/05/19 23:03:43.34 WfkQ7IUI.net
りつつ実施されている。表包括的保存管理計画に関連する計画(山
梨県)計画名称策定年等⑦資産に影響する可能性がある個別の開発
計画大規模集客施設等のエムゾネ立地に関する方針(山梨県)2010
年1月ゴルフ場造成に事業に関する今後の取扱いについて(山梨県
)1993年10月-17-明神峠自然環境保全地域保全計画昭和
50年策定静岡県森林共生基本計画平成19年3月策定富士地域森
林計画書平成1エムゾネ8年4月策定⑦資産に影響する可能性がある個
別の開発計画企業立地促進法に基づく静岡県東部地域基本計画(静
岡県及び14市町)平成21年2月策定市町村森林整備計画平成1
8年4月策定-18-(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市・小
山町)エムゾネ(2)計画の実施今回提出する富士山包括的保存管理計



203:は、20年月から既に実施され機能されているものである。-1 9-第2章構成資産の概要1構成資産の一覧世界遺産「富士山」の 構成資産の種別、位置、面積、緩衝地帯の面積、所在地についてエムソ ゙ネは、以下の表に示すとおりである。表構成資産の一覧大種別分類 小分類構成資産世界遺産条約文化財保護法自然公園法所在地位置資 産面積(ha)緩衝地帯面積(ha)A富士山(山体)(御中道含 む)遺跡特別名勝史跡山頂信仰遺跡(奥宮、お鉢巡り)エムゾネ遺跡特 別名勝史跡A2大宮・村山口登山道遺跡特別名勝史跡A3須山口登 山道遺跡特別名勝史跡A4須走口登山道遺跡特別名勝史跡A5吉田 口登山道遺跡特別名勝史跡静岡県(富士宮市、裾野市、御殿場市、 小山町)山梨県(富士吉田市、身延町、鳴沢村エムゾネ、富士河口湖町 )県境未確定地″A6北口本宮冨士浅間神社遺跡建造物記念工作物 特別名勝史跡重要文化財A7西湖遺跡名勝A8精進湖遺跡名勝A9 本栖湖遺跡名勝BB1富士山本宮浅間大社遺跡建造物記念工作物重 文静岡県富士宮市B14人穴富士講遺エムゾネ跡遺跡市史跡静岡県富士 宮市NEB15白糸ノ滝遺跡名勝・天然記念物静岡県富士宮市NE C三保松原文化的景観遺跡静岡県静岡市NE2資産及び緩衝地旋頬



204:底名無し沼さん
18/05/19 23:05:39.29 WfkQ7IUI.net
の範囲「富士山」の顕著な普遍的価値を表す構成資産の保護を確実
にし、各構成資産における富エムゾネ士山体への良好な眺望を保証する
ために、個々の構成資産の周囲に必要十分な範囲の緩衝地帯を設定
する。さらに、個々の構成資産間の関係を良好に保ち、富士山の景
観の一体性・連続性を保証するために、緩衝地帯を含め、広く保全
管理区域を設定するエムゾネ。構成資産の位置及びその周辺地域である
緩衝地帯、保全管理区域の範囲については、図に示すとおりである
。図「富士山」の範囲(構成資産・緩衝地帯)富士山山体の範囲に
ついては、現在特別名勝富士山に指定されている区域だけでなく、
その周辺部エムゾネにあたる標高約1,500m付近までとした。この
範囲において、特別名勝の区域は文化財保護法で保護され、特別名
勝指定地外から標高1,500mの区域については自然公園法と森
林法で保護されている。緩衝地帯との境については林班により線引
きエムゾネを行い、県道などの人工物の改修工事等への影響が軽減する
よう配慮した。そして本栖湖、精進湖、西湖までを富士山の山体と
して考え、範囲付けしたことは、展望地点から山頂までを連続して
保護するための措置である。緩衝地帯の範囲については、当エムゾネ初
国道469号から県道72号にかけての富士山側を計画していたが
、国際専門家から飛び地の資産である、富士山本宮浅間大社や山宮
浅間神社を緩衝地帯に含めるべきだとの指摘があり、市道を境に緩
衝地帯を設定した。その際、富士山本宮浅間大社かエムゾネらの富士山
の眺望を確保するため、富士山に向かって約36度の広がりで設定
した。この範囲については、文化財保護法以外の法律を適用し、自
然公園法、森林法、景観法で保護されている。保全管理区域の範囲
については、三保松原から富士山を眺望すエムゾネる際、その阻害要因
を軽減させるために、溶岩が流出した範囲を基本として設定した。
そのため、静岡県側においては、裾野市、御殿場市、小山町に流出
している溶岩流の範囲については、保全管理区域とはしていな恵棄

205:底名無し沼さん
18/05/19 23:06:10.22 WfkQ7IUI.net
なお、保全管理区域についても、エムゾネ森林法と景観法で保護されて
いる。富士山山体の東に位置する、演習場(北富士演習場・東富士
演習場)については、従前より大規模開発が予定されていないこと
から、緩衝地帯同様に資産を緩衝することが可能な区域であると言
える。3構成資産の概要エムゾネ構成資産及び保存管理状況の概要につ
いては、以下に記すとおりである。構成資産の詳細については、推
薦書本文にて説明を行っている。保存管理状況等の詳細につい河潟

206:底名無し沼さん
18/05/19 23:07:24.10 WfkQ7IUI.net
mである。東側を走る沢から一段上がった平坦面に所在している。
平坦面は2段あり、上-45-段には小さな祠が建てられている。
また下段には、南東から北西方向に石列が伸びている。エムゾネ江戸時
代には馬返しと呼ばれ、駒立小屋があったとされる。また、ここか
らは女人は登山道を登ることを許されず、駒立小屋は女人堂として
使われた時期もあったと考えられる。下段平坦面の南側には溝が東
西方向に延び、西側の森林に突き当たって痕跡エムゾネをたどれなくな
る。木馬道である可能性が指摘される。写真中宮八幡堂の写真・八
大龍王中宮八幡堂跡より北東に約100mの地点に「八大龍王」と
刻まれた石碑と水神の祠が並んで建てられている。水神祠には「文
化十三年寅年六月日」、八大龍王にはエムゾネ「文化七年七月十七日」
との銘が刻まれている。駿河国大宮町神田の横関家の主人が、天保
14年(1843)から文久3年(1863)にかけて記録した『
袖日記』には、安政7年(1860)5月11日の条に「中宮八幡
堂の井戸を掘ったので山が荒エムゾネれた」との記述がある。この「中
宮八幡堂の井戸」とは、八大龍王前にある井戸跡を指すものと考え
られている。井戸跡は幅80㎝、深さ50㎝ほどである。・5号建
物跡4号建物跡から登山道跡を登りしばらくすると一面の倒木帯と
なり、その中に5号エムゾネ建物跡がある。標高は約1,865mであ
る。平成5年の富士宮市による調査では、平場の北側の斜面の縁に
3体の石像が発見されていたが、平成20年の静岡県埋蔵文化財調
査研究所による調査では石像が4体見つかっている。木が倒れた際
に地面が掘エムゾネり起こされ、地中にあった石像が地上に現われたと
考えられる。うち1体の不動明王像には、文化7年(1810)の
銘がある。背面には「瀧本前」と刻まれており、ここが「富士山表
口南面路次社堂室有来之次第絵図」でいう「瀧本・笹垢離」跡であ
るエムゾネと推測できる。4体の石像には破壊された痕跡が確認できる
。廃仏毀釈によるものと考えられる。なお、明治末の登山案内鉛曇

207:底名無し沼さん
18/05/19 23:07:54.97 WfkQ7IUI.net
5号建物跡に該当する施設の記載がなくなっている。・8号建物跡
7号建物跡から北西に約220m(標高約2,170m)のエムゾネ位
置にある。中宮八幡堂跡より標高の高い位置に所在する建物跡の中
で最も大規模なものである。2つの平場により構成され、南西部の
平場は東西約25m、南北約10mである。入口に石段が残存して
おり、石段の東西には石垣が組まれている。また平エムゾネ場中央部よ
りやや西に護摩壇と思われる石組も残存している。もう一つの北東
部の平場は北西から南東に傾斜する斜面上に、長軸約15m、短軸
約6mの三角形で、北西側斜面の縁と南側斜面の縁に石組が確認で
きる。昭和時代の地図には「一ノ木戸」とエムゾネして載っており、「
富士山表口南面路次社堂室有来之次第絵図」に描かれた「室大日堂
・木戸堂・茶屋堂」にあたると考えられる。室大日堂は大日如来と
役行者像が祀られていたとの記述が『駿河国新風土記』にあり、ま
た末代上人が建てた往生寺があっエムゾネたところだともいわれている
。写真8号建物跡の写真・12号建物跡村山口登山道跡に残る遺構
のうちで、一番標高の高い位置(約2,390m)にある。11号
建物跡から北に50mの地点に所在する。東西約8m、南北約5m
の方形の区画が石組によエムゾネって作られている。東側には直径約9
0㎝の丸い穴が二つある。(同様の穴は他の建物跡でも見られ、)
便所跡と考えられる。-46-・鳥居登山道跡の8合目上に、自然
木により構築された鳥居が設置されている。「昭和五十二年七月吉
日」と刻まれてエムゾネおり、個人が設置したものである。A3須山口
登山道図登山道に要素が点在している平面図・須山御胎内(溶岩洞
穴)旧須山口登山道1合目(標高1,440m付近)にある全長1
0m余の溶岩洞穴である。洞穴の直径は約1mで南東側と北西側に
入口がエムゾネあり、内部を通り抜けることができる。登山者は、この
洞穴を通って登山するのがならわしであった。かつて洞穴の延長は
数10mあったが、関東大震災により天井部分が崩落し、現在礁超

208:底名無し沼さん
18/05/19 23:08:26.38 WfkQ7IUI.net
さになった。崩落した部分は、長さ約30mのU字型の溝状の溶エムソ
゙ネ岩地形として須山御胎内の南東側に残っている。この付近の溶岩
は須山胎内溶岩と呼ばれている。年代測定では1030~1230
年という結果が出ており、永保3年(1083)の噴火時に噴出し
た可能性がある。平成21年に実施した測量調査では、エムゾネ須山胎
内溶岩は須山口登山道脇の標高1,485m付近から認められてお
り、須山口登山道がこの溶岩流に沿って形成されていることが皿妻

209:底名無し沼さん
18/05/19 23:08:59.75 WfkQ7IUI.net
した。写真須山御胎内の写真・石像須山御胎内の洞穴内部に、「木
花咲耶姫」の石像が安置されている。地元在住エムゾネの彫刻家、杉山
拓氏の作品。須山口登山道復興後の平成12年に作られたものであ
る。・石燈篭須山御胎内の南東側入口の両脇に、石燈篭が設置され
ている。・鳥居須山御胎内の南東側入口前に高さ3m前後の木製の
鳥居が建てられている。・標柱鳥居脇エムゾネに、「旧須山口登山道一
合目(須山御胎内)」と記された標柱が、富士山須山口登山道保存
会によって設置されている。・祠須山御胎内から南東に続くU字状
の溶岩地形脇に、石造りの祠が設置されている。写真祠の写真A4
須走口登山道図登山道に要素エムゾネが点在している平面図・古御岳神
社冨士浅間神社の境外末社で、5合目の登山道登り口にある。現在
の社殿は、昭和54年(1979)に建立され、間口九尺、奥行九
尺の規模である。その際、御室浅間神社を合祀した。神社の前には
鳥居がある。かつてエムゾネは3000坪の境内地を持ち、本殿、拝殿
、庁舎を備えていたという。写真古御岳神社の写真・迎久須志之神
社冨士浅間神社の境外末社で、9合目(3,570m付近)に建て
られている。かつては向薬師、向ヒ薬師、手引薬師と呼ばれ、石室
の中に薬師エムゾネ如来が祀られ冨士浅間神社の神主が管理していた。
元禄16年(1703)-47-の文書「大宮司富士信安等返答下
書」に「前薬師之小屋」の記述があることから、江戸時代初期以降
にはすでに祀られていたものと考えられる。道者はここで薬師に線
香エムゾネを手向けたという。廃仏毀釈によって仏像は山を降ろされ迎
久須志神社と改められた。祭神は大己貴命と少彦名命である。以前
は登山道が建物の西側を通るルートであったが、現在は建物の東側
を通るようになっている。迎久須志神社の直下には、「日ノエムゾネ見
御前」「日ノ御子」と呼ばれる日の出を遥拝する場所があり、江戸
時代には「日ノ御子石」という富士山型の石が置かれていた。富士
講の講中が大きな平石の上で朝日を拝したという。現在「日ノ牛股

210:底名無し沼さん
18/05/19 23:09:51.34 WfkQ7IUI.net
、戦国時代からこの地に小屋が設けられ-48-ていたことがわか
る。最盛期には18軒が所在したと伝えられている。写真五合目周
辺の写真・烏帽子岩七合五勺に烏帽子の形をした岩があり、これを
烏帽子岩という。ここにて富士講中興の祖と称エムゾネされる食行身禄
が、1733年に31日間の断食修行を経て入定した。「甲斐国志
」にも「享保十八六月十三日富士行者身禄ガ入定ノ地ナリ小屋アリ
身禄ノ木像ヲ安置ス流レヲ汲者年々此に登拝ス」とあり、江戸後期
にはすでに身禄の聖地として信者が登エムゾネ拝していたことがわかる
。現在も富士講の聖地として重要な地である。写真烏帽子岩の写真
A6北口本宮冨士浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図
北口本宮冨士浅間神社は、富士講とのつながりが強く1730年代
に富士講の指導者である村上エムゾネ光清の寄進によって境内の建造物
群の修復工事が行われ、現在にみる境内の景観の礎が形成された。
社殿の背後には登山門があり、この神社を起点として富士山頂まで
吉田口登山道が延びている。富士講や吉田御師と密接な関係を持ち
ながら発展した神社エムゾネである。顕著な普遍的価値を構成する諸要
素として、富士信仰の拠点でもある本殿などの建造物群や境内地、
吉田口登山道の起点などがある。・本殿本殿は、1615年、都留
郡の領主鳥居土佐守成次によって建立された。桁行一間・梁間二間
の規模で、エムゾネ入母屋造の建物を身舎としてその前面に唐破風造の
向拝一間をつけた形式をとり、独自な本殿形式が採用されている。
各部に漆塗り、極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して豪華絢爛な
装飾を展開し、桃山式建築の装飾的技法の多様性を示すとともに、
すエムゾネぐれた意匠をみせる顕著な建物である。写真本殿の写真図本
殿の図・東宮本殿東宮本殿は、1223年北条義時の創建とも伝え
られるが、現社殿は1561年武田信玄が浅間本社として造営した
ものである。本殿は身舎梁間一間、桁行一間で正面に一間のエムゾネ向
拝をつける一間社流造の形式である。東宮本殿は、本社本殿は究汁

211:底名無し沼さん
18/05/19 23:10:24.21 WfkQ7IUI.net
より西宮本殿に比較してやや小規模であるが、構造形式や蟇股に挿
入した彫刻などに室町時代の手法を示しており、三殿中最も古い建
物である。写真東宮本殿の写真図東宮本殿の図・西エムゾネ宮本殿西宮
本殿は、1594年谷村城主浅野左右衛門佐氏重により東宮に替わ
る本殿として建立されたが、1615年、鳥居成次の本殿建立によ
り現在地に移され西宮となった。本殿の形式は東宮と同じ一間社流
造であるが、両側面と背面は二間で一間のエムゾネ向拝をつける。肌扉

212:底名無し沼さん
18/05/19 23:10:55.48 WfkQ7IUI.net
本殿は、桃山時代の装飾的要素を多分に取り入れていて、やがて豪
華な本社本殿建築へと発展する過程を、両者並べて鑑賞できる貴重
な建物である。-49-写真西宮本殿の写真図西宮本殿の図・大塚
山社誌では、日本武尊が富士山をエムゾネ遙拝した地であり、ここを浅
間明神の創建にかかわる場所と位置づけている。さらに、788年
には新たに浅間明神を建て、この大塚山には、大塚社として日本武
尊を分祀したと伝えられる。現在この地は、流山状の小高い丘をな
しており、日本武尊を祀エムゾネる祠が建てられている。写真大塚山の
写真図大塚山の図・御鞍石吉田火祭(鎮火祭)の際の御輿行在所。
吉田火祭の本日にこの御鞍石上に御輿が安置され、神事が行われる
。ここで読まれる祝詞の一節から、この地が諏訪明神旧鎮座地とさ
れる。写真御鞍エムゾネ石の写真図御鞍石の図A7西湖図以下に示す要
素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡
りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡
拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多くの
芸術作エムゾネ品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素
として、自然地形�


213:i湖水)などがある。写真西湖の写真A8精進湖 図以下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修 行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつのエムソ ゙ネ時代も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、景勝の 地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を 構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある。写真精進湖 の写真A9本栖湖図以下に示す要素が点在している平面エムゾネ図富士 山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒によって 行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられてい る。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕 著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然エムゾネ地形(湖水)や 中ノ倉峠からの展望などがある。写真本栖湖の写真②信仰に関戒詩



214:底名無し沼さん
18/05/19 23:11:29.08 WfkQ7IUI.net
周辺のものB1富士山本宮浅間大社図以下に示す要素が点在してい
る平面図・神立山本殿の北側にある丘陵地一帯は神立山と称される
。神立山及び富士山本宮浅間大社の基エムゾネ盤を構成する地形は、新
富士火山旧期溶岩流に分類される富士宮溶岩流と、溶岩流直上に広
がる扇状地堆積物の層で-50-構成され、溶岩流の末端部にあた
る。そのため指定地内の一部では溶岩礫が露出し、縄状溶岩も散見
される。また、当該地区は風エムゾネ致地区・保安林にも指定され、渋
沢堀沿いの散策路以外は立ち入りが禁止されている。寛文10年(
1670)の浅間大社境内絵図では神立山に信仰関連の様々な建築
物が描かれ、発掘調査で石畳や護摩堂跡が確認されている。写真神
立山の写真・湧玉池エムゾネ(上池、下池)本殿東側の「湧玉池」は、
国指定特別天然記念物となっている。湧玉池は、富士山に降った雨
や雪が地下水となり、被圧によって富士宮溶岩流の溶岩層間を流れ
、溶岩流末端で湧出して池になったものである。禊所付近を境に上
池と下池にエムゾネ分かれ、以前は上池のみを湧玉池、下池から下流を
御手洗川と呼んだ。登山者や道者が湧玉池の水で心身を清めた後山
中へ向かうという、富士山信仰と関連の深い池であった。現在も富
士山山開きの7月1日には、湧玉池で禊神事が行われる。写真湧玉
池エムゾネの写真図詳細平面図・社叢神立山表層部は約3万8千㎡にわ
たってスダジイ、ケヤキ等の樹木が生育しており、富士宮市保存樹
林に指定されている。また、野鳥の生息に適した環境でもあり、「
野鳥の森」碑が建てられている。・社殿(本殿・拝殿・幣殿エムゾネ・
透塀・楼門)浅間大社は、社伝によれば大同元年(806)に造営
されたという。かつての駿河国の一宮で、現在は全国1300余の
浅間神社の総本社として崇められている。現在の社殿は、慶長9~
11年(1604~06)に徳川家康が造営したもエムゾネのである。
写真社殿全体の写真図社殿平面図[本殿]本殿は国指定重要文化財
である。「浅間造」と称する棟高45尺の二重の楼閣造構造で顧机

215:底名無し沼さん
18/05/19 23:12:01.60 WfkQ7IUI.net
例を見ない。1階下層は桁行5間・梁間4間の寄棟造、2階上層は
桁行3間・梁間2間の三間社流造で共に桧エムゾネ皮葺である。明治4
0年(1907)5月27日古社寺保存法により特別保護建造物に
指定され、以後、国指定重要文化財として保護されている。写真本
殿全体の写真(幣殿・拝殿含む)図本殿平面図(幣殿・拝殿含む)
[幣殿]本殿と拝殿をつなぐ部分エムゾネで、桁行3間・梁間3間の両
下造、屋根は檜皮葺、寛文年間の古絵図には幣殿は描かれていない
が、現在幣殿として使われている部分に「作合三間四間ひはだぶき
」と書き込まれており、本殿の全景がよく見えるように描かれたと
推測される。県指定文化エムゾネ財として保護されている。[拝殿]桁
行5間・梁間3間で、床は幣殿より2段高くなっている。正面が入
母屋造、背面が切妻造で、屋根は檜皮葺、正面に1間の向拝が付い
ている。三方に縁を巡らせ、背面は幣殿に接続している。県指定文
化財として保護エムゾネされている。[透塀]本殿周囲を囲む1棟と、
その外側、本殿横に並ぶ三之宮及び七之宮を含めたより広い範囲を
囲む1棟-51-の計2棟で、総延長は36間に及ぶ。県指定文化
財として保護されている。[楼門]三間一戸、重層入母屋造で、屋
根は檜エムゾネ皮葺、正面・左右脇に扉がついている。楼門の左右には
随身像が安置してある。静岡県指定文化財として保護されている。
写真楼門全体の写真図楼門平面図・廻廊楼門から東西に伸びる回廊
は、昭和9年(1934)に付加されたものである。・手水舎楼エムソ
゙ネ門の南西側に、参拝者が参拝前に身を清めるために手や口をすす
ぐ、手水舎がある。・灯籠大小それぞれの灯籠が境内各所に設置さ
れている。・石鳥居本殿へ続く参道に石造りの鳥居が建てられてい
る。昭和33年3月に寄進されたものである。・東鳥居エムゾネ・西鳥
居桜の馬場の東端と西端にそれぞれ朱塗りの鳥居が建てられている
。・桜の馬場浅間大社流鏑馬式が執り行われる馬場が約200mに
渡って東西に伸びている。源頼朝が富士の裾野で巻狩を行った冶征

216:底名無し沼さん
18/05/19 23:12:20.45 WfkQ7IUI.net
流鏑馬を奉納したことに始まると言われ、室町エムゾネ時代の初期には
すでに神事が行われていたとの記録が残っている。馬場に沿って両
側に御神木の桜が植えられている。・禊所湧玉池の上池と下池の境
部分が禊所とされ、池に下りるための石段が組まれている。・神幸
橋(湧玉橋)湧玉池南側の神田川へのエムゾネ流出口に石造りの橋が架
けられている。春秋の大祭にはこの橋を通って山宮御神幸が出発し
たとされる。寛文10年(1671)の絵図では橋に屋根が葺均励

217:底名無し沼さん
18/05/19 23:12:52.63 WfkQ7IUI.net
ている。・輪橋(太鼓橋)本殿へと向かう参道に、鏡池を渡る輪橋
が架けられている。寛文10エムゾネ年の絵図には既に描かれているが
、大正4年(1915)に石造りに改められた。写真輪橋の写真図
輪橋の平面図絵図寛文10年の絵図・護摩堂跡(推定)平成20年
の発掘調査により、護摩堂跡と考えられる溶岩礫で構成された石垣
と建物跡が検出されエムゾネた。石垣は樵石積みで組まれ、平面形は正
方形となっている。また、石垣で正方形に囲繞された敷地内で建物
跡の礎石が確認された。桁行3間・梁間4間で、南側に入口を有し
ていたと考えられる。発掘調査後に、江戸時代終わり頃の地誌でこ
の建物跡をエムゾネ「本地堂」とする記載が確認されており、最終的に
護摩堂から本地堂へ造作し直された可能性がある。写真護摩堂の発
掘調査時の完掘写真(平面写真)図平面図・随身像慶長19年(1
614)2月に建立された。背銘には、左側の像は「甲州河内下山
住エムゾネ番匠石川清助作」、右-52-側の像は「大工山城國上原住
櫻井三蔵作」と記され、市指定有形文化財として保護されている。
写真随身像全体の写真・狛犬参道の石鳥居両側に、狛犬が建てられ
ている。大正7年5月に奉献されたものである。・御神幸道エムゾネ首
標の碑明治以前に行われていた「山宮御神幸」における、御神幸道
の首標が、池畔に立てられている。造立年は元禄年(1691)未
年十一月とされ、「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也」と刻まれ
ている。昭和59年(1984)に浅間大社境内のエムゾネ土中から発
見され、現在地に再建された。・三之宮本殿横西側に、淺間第三御
子神を祀る境内社「三之宮浅間神社」が建てられている。・七之宮
本殿横東側に、淺間第七御子神を祀る境内社「七之宮浅間神社」が
建てられている。・鉾立石楼門前の石段にエムゾネは、鉾立石が置かれ
ている。明治の初めまで行われていた山宮御神幸の際、神の宿った
鉾を立てて休めた自然石である。・欄干橋(神路橋、神路枚橋)池
畔と川中島を結ぶ橋が2本架けられている。島の西側が神路橋林旨

218:底名無し沼さん
18/05/19 23:13:25.21 WfkQ7IUI.net
側が神路枚橋であるが、寛文10エムゾネ年(1670)の絵図では西
側にのみ架けられている。写真橋全体の写真絵図寛文10年の絵図
B2山宮浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・溶岩流
地形山宮浅間神社の石鳥居から参道を経て参籠所に至るまでの区域
は北山溶岩流上に展開しエムゾネている。また、遥拝所が位置する小高
い丘陵は青沢溶岩流の先端部である。さらに、涸れ沢の西岸には、
天母山(二子山)溶岩流、万野風穴溶岩流で構成される丘陵地が展
開する。よって、山宮浅間神社周辺には、籠屋付近の北山溶岩流を
含め、4つの異エムゾネなる溶岩流地形が広がっていることになる。遥
拝所の基盤となっている青沢溶岩流は、約2,000年前の噴火に
よって流出した比較的新しい溶岩流であるため、この部分は他の区
域と比べて植生の回復は遅れていたと考えられる。そのために、樹
木等にエムゾネ遮られることなく富士山の山頂まで見渡せていたため、
この場所で山を遥拝する行為が行われたと考えられる。写真溶岩流
地形の写真図溶岩流の拡散している模式図・社叢目通りの幹周が3
mを超える巨木4本を含むスギ林が、約9,780㎡の社叢を形エムソ
゙ネ成しており、富士宮市の保存樹林に指定されている。・籠屋(参
籠所)遥拝所へ登る手前の平坦な土地に籠屋が建てられている。籠
屋は、神の宿った御鉾が浅間大社と山宮浅間神社を往復する祭儀「
山宮御神幸」において、これに同行した大宮司以下の諸エムゾネ職が一
夜参籠した場所である。-53-・鉾立石籠屋をくぐり遥拝所へ続
く参道に、「山宮御神幸」で神の宿った鉾を休めるための「鉾立石
」が置かれている。石は火山弾であり、籠屋をくぐってすぐの位置
に1つ、石段の手前に1つの計2つが置かれてエムゾネいる。・石段(
参道)遥拝所が位置する丘陵へ登るための石段が組まれている。現
在あるものは戦中もしくは戦後に改築されたものと考えられる。・
石塁遥拝所の周辺約45m四方が石塁により方形に区切られている
。青沢溶岩流の溶岩塊上に溶岩礫を積エムゾネみ上げて構築され、喫溝

219:底名無し沼さん
18/05/19 23:13:56.72 WfkQ7IUI.net
的に遺物を含む土層上に構築されている。石塁下から祭祀に用いら
れたと思われる土師器が出土しているため、それらが用いられた1
2世紀から15世紀、もしくは後の時代に築造されたものと推定さ
れる。写真石塁の写真図石塁エムゾネの平面図・断面図・玉垣遥拝所の
周囲にはコンクリート製の玉垣が設置されている。戦中もしくは戦
後に設けられたものと考えられる。また、遥拝所入口には鉄製の門
扉が取り付けられている。・遥拝所富士山を直接拝礼し、祭儀を行
うことを目的としてエムゾネ築造されたと推定される施設である。南北
約15.2m、東西約7.6mの長方形で、30~40㎝程度の溶
岩を用いて石列等によって組まれている。富士山を拝む方向に祭壇
が位置し、祭壇に向かって左側に祭儀を行う際の大宮司席、公文・
案主席、献エムゾネ饌所が、向かって右側に別当・供僧席が設けられて
いる。写真遥拝所の写真図遥拝所の平面図・石鳥居境内地の南端に
、石鳥居が建てられている。昭和6年(1931)に建立されたも
のである。・参道石鳥居から籠屋まで参道が続いている。B3村山
浅エムゾネ間神社図以下に示す要素が点在している平面図・元村山溶岩
流村山浅間神社は、新富士旧期溶岩の元村山溶岩流末端部付近にあ
たる。見付の間は平地で、両見付から先は急傾斜地となっている。
村山地区は標高が高く、他の集落と急傾斜地で隔絶された一エムゾネ段
高い場所に位置する。・水源地(竜頭ヶ池)社叢東側に「竜頭ヶ池
」と呼ばれる湧水池があり、水垢離や生活用水として利用されてき
た。またこの湧水を水源とする村山沢は南流して渓谷を刻み神社西
側から大沢川となる。これらの水源は、村山の集落エムゾネを成立させ
た要因の一つである。・御神木(イチョウ、大スギ)[イチョウ]
-54-昭和43年(1968)7月2日に県天然記念物に指定さ
れた。目通り8m、根回り9.15m、樹高26m、枝張り東西1
9m南北14mで、樹勢よく乳状下垂気根エムゾネの発達も著しい。気
根が数多く垂下する。気根の先端に針を刺して祈願すると妊産役漏

220:底名無し沼さん
18/05/19 23:14:30.16 WfkQ7IUI.net
乳の出がよくなると伝えられ、女性の信仰を集めていた。また以前
はウロの中に大日如来が祀られていたといわれ、現在でも祭祀でし
め縄を張る。[大スギ]昭和31エムゾネ年5月24日に県天然記念物
に指定された。村山浅間神社の御神木と称される巨木である。境内
の多くのスギの中で最大のもので目通り9.9m、枝張り東西17
.5m、南北31m、樹高47mもある。中心部には高さ8mに及
ぶ空洞がある。案内板でエムゾネは約1,000年の樹齢とされる企脱

221:底名無し沼さん
18/05/19 23:14:49.24 WfkQ7IUI.net
実際にはおよそ400~600年と推定される。・社叢境内には胸
高直径0.7m以上のスギが39本ある。アカガシ3本、スダジイ
1本などの大樹も見られるが、裏山の大半は戦後植樹されたヒノキ
やスギである。エムゾネ富士宮市の保存樹林に指定されている。・浅間
神社社殿村山浅間神社社殿は、神仏分離令によって境内社富士浅間
七社を相殿として造られ、中座に木花開耶姫命、左座に大山祗命、
彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴(天照大神)・伊弉諾尊
・伊弉エムゾネ冉尊を祀っている。現在の社殿は大正2年(1913)
に改築されたものだが、幣殿と拝殿は老朽化したため、その後さら
に鉄筋コンクリート一部木造に建替えられている。写真社殿の写真
図社殿の図面・大日堂(興法寺)鎌倉時代の文保年間(1317エムソ
゙ネ~1318)に、末代上人の流れをくむ頼尊が村山に興法寺を開
いたと伝えられている。その興法寺の建物として現存する唯一の堂
で、富士山の本尊である大日如来を主尊とする。現在の建物は、部
材の状況や絵様彫刻の特徴などから江戸時代末期の建造エムゾネと考え
られるが、外壁は波鉄板板張りに変えられている。桁行5間・梁間
7間、入母屋造、鉄板葺きで、南面に出入り口を開き、前面と両側
面に幅一間の回り縁を巡らしている。写真社殿の写真図社殿の図面
・水垢離場山伏修行者及び修験者が、富士登拝エムゾネの道者が垢離を
とって身を浄めた場所で、間口約6.5m、奥行き約4mの長方形
で、深さ約0.6mに掘り込み、底に石を敷きつめ周囲は石積みと
なっている。造成年代は不明。水垢離場へは社叢裏手の沢に湧く龍
頭池湧水を引き、上の段から樋で落とエムゾネし垢離を取るようにして
ある。水の落ち口には山伏修行のときの主尊とされる不動明王の石
像が安置されている。写真水垢離場の写真・護摩壇大日堂東側にあ
り、正面には不動明王の石像が祀られている。護摩壇は、四囲を石
で囲んだ一辺5.3mの丸いエムゾネ石組となっている。丸い石組の前
に置かれた葛石には、「干時安政四年九月」と刻まれ、安政4央順

222:底名無し沼さん
18/05/19 23:15:53.83 WfkQ7IUI.net
神輿を納めた神輿殿が、境内地西側に建てられている。・狛犬境内
には、社殿前と石段手前エムゾネの参道脇に計二対の狛犬が設置されて
いる。社殿前の一対は平成12年に、参道脇の一対は平成13年に
奉納されたものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建てられている
。登り口のものは平成13年に、階段を登ったところにあるものは
、それぞれ寛保エムゾネ2年(1742)、文政6年に奉納されたもの
である。・手水舎石段に至る参道の脇と、社務所西側の2箇所に、
手水舎が建てられている。社務所そばには、文政7-56-年と刻
まれた水盤も置かれている。・参道鳥居から10mほどは石畳が敷
かれ、エムゾネその後社殿の位置する高台へ登るためにコンクリート製
の階段が続いている。・鳥居参道入口には、朱塗りのコンクリート
製の鳥居が建てられている。昭和41年(1966)に奉納された
ものである。・石碑鳥居の東側に、郷社として奉幣を受けていたエムソ
゙ネことを示す碑が建てられている。・古宮神社八坂大神、八幡大神
、愛鷹大神、子安大神、疱瘡守護神を祀る境内社である。覆屋の中
にあり、旧本殿と推測される建物である。B5冨士浅間神社図以下
に示す要素が点在している平面図・社叢(浅間の杜)社エムゾネ殿周囲
と、参道の南側に社叢が広がっている。特に参道南側の部分を浅間
の杜と呼び、静岡県や小山町の天然記念物である大樹が生育してい
る。・ハルニレ昭和38年(1963)2月19日に静岡県の天然
記念物に指定された。根回り約6m、目通り4エムゾネm、樹高24.
50m、枝張東西28.10m、南北23.50m、樹齢約500
年。北日本の山地に多い落葉高木で、静岡県では極めて少なく当社
以外の小山町内では数本しか見当たらないが、境内には10本が生
育している。・エゾヤマザクラ昭和5エムゾネ8年5月1日に小山町の
天然記念物に指定された。樹齢約130年で、根回り2.08m、
目通り1.75m、樹高約10m、枝張東西13.8m、南北9.
5m。別名をオオヤマザクラと称するヤマザクラの北方型で、尾易

223:底名無し沼さん
18/05/19 23:16:25.41 WfkQ7IUI.net
県が南限である。県内ではまエムゾネれな樹種である。・根上がりモミ
平成3年5月1日に小山町の天然記念物に指定された。樹齢約30
0年で、根回り4.61m、目通り3.07m、樹高27m。この
根上り群は約150年生のモミの根本にブナ、イヌシデの種子が生
え、宝永噴火の火山エムゾネ灰土が、降雨により流亡しながらモミが成
長したため、根が爪を立てた状態で生育し、根上がりになったと考
えられる。縁結びの木とも呼ばれている。・社殿平成18年8惜爪

224:底名無し沼さん
18/05/19 23:16:58.48 WfkQ7IUI.net
4日に小山町の文化財(建造物)に指定された。宝永噴火により大
きな損害をエムゾネ受けたが、享保3年(1718)に再建された。そ
の後蟻害や老朽化により改修したものの、部材は享保年間(171
6~36)のものが今なお使用されている。社殿は本殿・幣殿・拝
殿が連結した権現造である。拝殿は入母屋造で千鳥破風を据え、本
殿エムゾネは享保年間の遺構を残した流造りとなっている。-57-構
造は、拝殿が桁行5間・梁間2間の入母屋造で、向拝1間、正面千
鳥破風付。幣殿が桁行3間・梁間2間の両下造。本殿が三間社流造
、向拝1間、屋根は全て銅板葺きとなっている。写真社殿のエムゾネ写
真図社殿の図面・楼門二階建ての随神門で、上層の周囲に高欄付き
の縁を巡らしている。北の櫛岩窓神、南の豊岩窓神が随神として配
神されている。宝永噴火により社殿とともに大破しており、現在の
ものは明和4年(1767)随神が寄贈された当時エムゾネに再建され
たものと考えられる。楼門の構造は、三間一戸楼門、茅葺型入母屋
造、銅板葺き。軒廻りは二軒繁垂木に組物は出組で、腰組も二手先
としている。・参道大鳥居参道入口には、花崗岩の石鳥居が建てら
れている。春日造で、額束には「不二山」エムゾネと刻まれている。明
治33年(1900)に奉納された


225:。・裏参道鳥居西側駐車場から 本殿へ至る裏参道の入口に石鳥居が建てられている。・富士塚狛犬 楼門前参道の両側に、富士塚が築かれ、その上に狛犬が置かれてい る。・富士講講碑群明治より昭和エムゾネにかけて、各地の富士講より 寄進された記念碑が多く残されている。多くは、数多く富士登山が 成就されたことを感謝し、先達や講名を高く掲げ信仰の証としたも ので、境内地の西側部分裏参道周辺に、多くの碑塔が建てられてい る。写真富士講講碑群のエムゾネ写真図富士講講碑群の配置図B6河口 浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図河口浅間神社は、 864~866年に北麓で起こった噴火を契機に、北麓でも浅間神 社が建てられることになったが、その神社である可能性が高い株児



226:底名無し沼さん
18/05/19 23:17:16.89 WfkQ7IUI.net
在も富士山と密エムゾネ接に結びついた宗教行事を行っており、歴史的
背景と相俟って、富士山信仰を語る上で欠かすことのできない資産
である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、富士信仰の拠
点でもある本殿などの建造物群や境内地などがある。・社殿、鳥居
河口浅エムゾネ間神社創建は、平安時代の865年に遡る可能性がある
。建立目的は富士山の噴火を鎮めるためであり、当時の富士山及び
噴火ということに対する当時の考え方を理解することができる。鳥
居は1697年に谷村藩主秋本喬知の再建。銅製の扁額に記されエムソ
゙ネた「三国第一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆とされる。写真社
殿の写真図社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以下に示す要素が点
在している平面図-58-冨士御室浅間神社は、8世紀初めに吉田
口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ、富エムゾネ士山中
に祀られた最初の神社であるとする文献もある。二合目本宮(もと
みや)へは冬季の参拝に苦渋するため、958年、河口湖畔に現在
の里宮が建立されたという。現在は二合目にあった社殿も里宮の広
い境内に敷地内に移設されている。修行や登拝エムゾネといった様々な
富士信仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、土地の産土
神としての里宮が一体となって機能してきた。顕著な普遍的価値を
構成する諸要素としては、信仰拠点である二合目や本殿などがある
。・吉田口二合目吉田口登山道二合目エムゾネに御室浅間名字(本宮)
が鎮座した。御室浅間神社は木花開耶姫を祭神とし、創立年代は詳
らかでないが、社殿には和銅元年(708)に祭場をしつらえたの
が最初とされる。冨士山中最初の社という。なお、平安末期には浅
間神の信仰に修験道が習合しエムゾネて、富士山が霊験所の一として広
く知られていた。冨士修験の信仰拠点は南口の村山であるが、北口
の二合目、御室の地にも山内の信仰拠点として行者堂が設置されて
いた。・本殿本殿は、1612年に当時の甲斐国都留郡領主であっ
た鳥居土佐守成次にエムゾネよって桃山時代建築様式の神社建物に篤虎

227:底名無し沼さん
18/05/19 23:17:47.80 WfkQ7IUI.net
されたことが棟札から明らかにされている。大規模な入母屋造りの
一間社で棟の高さは9.3m、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇
股や軒唐破風妻などにも彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見
られる。内エムゾネ部の色彩も当初のものを良く残しており、建築年代
の確実なこの時期の遺構としては大変貴重な建造物である。写真本
殿の写真図本殿の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は
、富士講徒の案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼宿
坊エムゾネである。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引
き込み路を設け、敷地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普遍
的価値を構成する諸要素として、最古の部類に入る旧外川家住宅な
どがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入り形式エムゾネの
典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建設されたもので
あることが判明している。また、主屋は「平面座敷型」をとってお
り、近世になって御師住宅の様式が確立される以前の御師住宅とし
て最古の部類の建築物である。離座敷は、富士講がエムゾネ盛んになる
ととともに主屋だけでは収容人数に限りがあるなどの理由から主屋
の東側に増設されたとみられる。ただし、御神殿が上段・下段の続
きの手前に配置され、上吉田の一般的な御師住宅に比して独自の構
成を有している。写真主屋等の写真図旧外エムゾネ川家住宅現状平面図
等・小佐野家主屋、蔵主屋は一部二階、切妻造、妻入の居室及び座
敷部の前面北寄りに台所部を背面南寄りに神殿部を付設した形式に
なる。居室及び座敷部は間口11.8m、奥行き15.5m、正面
南寄りに式台、背面北寄りに庇、エムゾネ北側面には下屋を設ける。蔵
は主屋台所の前方に建つ。土蔵造りであるが、東西に庇を付けた切
妻造、板張りの覆屋をかけてい-59-る。この住宅は、部分的な
改変や増設がみられるほか保存がよく、富士講御師の住宅としての
形態を、屋敷地も含めてエムゾネそのまま残している。全国でも比較的
少ない社家の一遺例として重要である。写真主屋外観写真図小襟肩

228:底名無し沼さん
18/05/19 23:18:19.36 WfkQ7IUI.net
家住宅現状平面図B9山中湖図以下に示す要素が点在している平面
図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒に
よって行われたエムゾネが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数
えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかり
が深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖
水)などがある。写真山中湖の写真B10河口湖図以下に示す要素
が点在エムゾネしている平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内骨栃

229:底名無し沼さん
18/05/19 23:18:52.42 WfkQ7IUI.net
巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず
巡拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多く
の芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素エムソ
゙ネとして、自然地形(湖水)などがある。写真河口湖の写真B11
忍野八海図以下に示す要素が点在している平面図忍野八海は、富士
山の伏流水による八つの湧水地で、それぞれに八大竜王を祀る冨士
信仰に関わる巡拝地(霊場)であった。顕著な普遍的価エムゾネ値を構
成する諸要素として、自然地形(湧水)がある。B12船津胎内樹
型図以下に示す要素が点在している平面図船津胎内樹型は、167
3年に富士講の指導者である村上光清により発見され、富士講の開
祖である長谷川角行が洞穴に祀った浅間明神がエムゾネ遷宮された溶岩
樹型である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意
義付けがされている地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型
船津胎内樹型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾第1溶岩流
の西縁に所在する。本穴自体も大小様エムゾネ々な樹型が複雑に交叉し
て形作られている。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨のよう
に見え、そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あたかも内臓を摘
出したあとの胸控の如く見える。胎内の名称はこれに基づくもので
あり、極めて貴重な形態と言エムゾネえる。・無戸室浅間神社・石造物
群1673年、富士講道者村上光清により現船津胎内樹型が発見さ
れ、開祖が祀った焼入の地の浅間明神が遷宮された。浅間明神誕生
の地ともいわれ、無戸室(むつむろ)に火を放ち、無事に御子を出
産したという故事にエムゾネ倣い社号を無戸室浅間神社と名付けた。-
60-B13吉田胎内樹型図以下に示す要素が点在している平面図
吉田胎内樹型は、1892年に富士道者によって整備された「お胎
内」(溶岩樹型)である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には
、宗教的なエムゾネ意義付けがされている地形空間(溶岩樹型)などが
ある。・胎内樹型吉田胎内樹型は、承平噴火(937)で流出弾宵

230:底名無し沼さん
18/05/19 23:19:24.97 WfkQ7IUI.net
剣丸尾第1溶岩流の東縁に所在する。本穴の側面では垂れ下がった
溶岩が肋骨のように見え、母の胎内に似ているため、浅間大菩薩(
木エムゾネ花開耶姫)出世の御胎内として信仰の対象となった。・洞内
の石祠、石造物群吉田胎内の本穴の奥には、石祠があって富士講に
とっての富士山の祭神である木花開耶姫が祀られている。樹型内に
入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠がある。B14エムゾネ人
穴富士講遺跡(人穴浅間神社)図以下に示す要素が点在している平
面図・犬涼み溶岩流人穴付近は、新富士火山旧期溶岩(約11,0
00年前から約5,000年前)に属する犬涼み溶岩流の末端部近
くに位置している。犬涼み溶岩流は、標高1,20エムゾネ6mの犬涼
み山から噴出し、西方に約5㎞、標高差にして約700mの扇状地
をつくる溶岩流である。写真溶岩流の写真図溶岩流の詳細図・溶岩
洞穴人穴溶岩洞穴は、天正年間に富士講の開祖、長谷川角行が千日
の行を行ったとされる洞穴である。犬涼みエムゾネ溶岩流の中に存在す
る19箇所の溶岩洞穴のうち、西端部の最も低い位置にあり、溶岩
が流れ下るとき溶岩表面が冷やされて固化した後、内部の溶けた溶
岩が抜けて空洞ができたものである。洞穴の南西の端が進入口とな
り、洞穴中央部でくの字型に曲がエムゾネっている。入口から約30m
の屈曲部手前中央には、直径約5mの溶岩柱がある。全体として幅
広く、奥に入ると広々として平坦な空間となっている。最奥部まで
は約80mで、そのまま閉塞していると考えられる。写真溶岩洞穴
の写真図洞穴の図面・社エムゾネ叢(周辺の植生)人穴集落では主に製
炭と農業を中心とした生活が営まれたため、薪炭材のコナラ・クヌ
ギ等を中心に育林していた。しかし、昭和30年代に薪炭の消費が
減少し、境内地とその周辺は建材としてのヒノキ・スギに改植され
た。御神木に相エムゾネ当する大樹等は存在しない。・碑塔群人穴浅間
神社の境内地には、富士講信者が建立した232基の碑塔が存在す
る。そのうち碑塔に建立年が刻まれたもの89基についてみる唆鋳

231:底名無し沼さん
18/05/19 23:19:43.79 WfkQ7IUI.net
一番古い碑塔は寛文4年(1664)建立のものである。建立目的
によっエムゾネて大きく分類すると、個人の戒名や行名を記した墓碑・
供養碑である「墓碑供養碑」、修行による大願成就を祈願する「祈
願奉納碑」、個人の富士登拝や講の人穴参拝を記念する「顕彰記念
碑」の3種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑」が最も多いエムソ
゙ネ。-61-写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・参道洞穴入口や
浅間神社社殿のある平場へ至る参道が、境内地内を南から北へ伸び
ている。現在はコンクリートで覆われている。・建物跡大小2つの
建物跡が人穴洞穴直上の平場で検出されている。西側にエムゾネ規模の
大きな1棟と、その東側にやや小規模の1棟があり、大規模なもの
の方がより古い遺構とみられる。また建物跡の周辺には石積みが施
されている。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡南側の平場
から斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで約エムゾネ34m続いてい
る。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して21段の石段が構築さ
れている。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道跡の上り口、石
垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ機能を有し
ていたと考えられる。・炭焼窯跡指定エムゾネ地の北側を通る林道に沿
って、5箇所の炭焼窯跡が検出されている。昭和初期まで使用され
ていたものであるが、富士講に関わる遺構は検出されていない。・
井戸跡参道跡の南側に位置する。内部が溶岩角礫や土砂によって埋
没し、涸れ井戸となっているエムゾネ。B15白糸ノ滝図以下に示す要
素が点在している平面図・古富士泥流堆積物山体が崩壊した際に崩
れた土砂が堆積した地層であり、古富士火山の一部を形成するもの
である。この地層は、塊状礫岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互
層しているものであエムゾネる。写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土
台となっている溶岩流のひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キ
ロメートル程度にある。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考
えられており、白糸ノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる。溶償又

232:底名無し沼さん
18/05/19 23:20:15.78 WfkQ7IUI.net
層の境目にエムゾネはマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー
)が発達している。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった
際の収縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する
。白糸ノ滝は、地質の特徴上、次のようなメカニズムで崩落を繰り
返エムゾネしていると考えられている。白糸の滝は、最近10年間の平
均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、この多量
の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な古富士泥流堆積物を親膳

233:底名無し沼さん
18/05/19 23:20:47.02 WfkQ7IUI.net
に浸食する。やがて、下部が抉り取られることで上部の溶岩エムゾネ流
はオーバーハング状態となり、自重に耐えられなくなった時点で自
然崩落する。この作用が繰り返され、崖線が後退し続けていると考
えられる。また、白糸溶岩流内の柱状節理は浸食に弱く、滝の後退
を早める一因と指摘されている。白糸ノ滝は、1年エムゾネに約2セン
チメートルの割合で北側に後退しているという計算もある。音止の
滝も、白糸ノ滝と同様の地質であり、同様のメカニズムで崩落-6
2-を繰り返していると考えられている。写真溶岩流の写真図溶岩
流の拡散図・白糸ノ滝白糸の滝は、高さ約エムゾネ20メートル、長さ
約120メートルに渡り馬蹄状に広がる崖面の各所から湧出した水
が、数多の白い糸を垂らしたように流れ落ち、滝となったものであ
る。白糸ノ滝周辺の地質は、下部に不透水層である古富士泥流堆積
物があり、上部に透水性のある白エムゾネ糸溶岩流があると考えられて
いる。富士山麓に降った雨水は、上部の溶岩流を透過し、下部の不
透水層との境目を流れ下っていると考えられている。白糸の滝は、
両層が崖面として露出しており、両層の境目や上部の溶岩流の間か
ら水が湧出している様子エムゾネが確認できる。写真滝の写真(音止の
滝も同時に掲載)・音止の滝音止の滝は、「音無の滝」とも呼ばれ
、白糸の滝と台地を隔てた東側に位置する。主瀑は落差約25メー
トルを流れ落ちる芝川の本流であり、轟音を轟かせている。崖面で
は、白糸の滝同エムゾネ様の地層が観察され、湧水が見られるが、白糸
の滝に比して水量は少ない。・鬢撫水鬢撫水は、「お鬢水」とも呼
ばれ、白糸の滝の崖上にある。鬢撫水は、湧水が池となったもので
あり、その水は白糸の滝の一部として流れ落ちている。また、ここ
には「エムゾネ駒繋石」、「弁当(行厨)石」、「杓子石」等の名前の
ついた石があったとされるが、現在は不詳である。・植物白糸の滝
の両岸の崖上には樹木が生い茂っている。また指定地内には、メヤ
ブソテツ、ユリワサビ等特色ある植物相がある。・富士講「白糸エ缶募

234:底名無し沼さん
18/05/19 23:21:20.68 WfkQ7IUI.net
゙ネノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆盛した富士講の祖長谷川
角行にまつわる伝承がある。角行は白糸の滝で垢離をとり修行を行
ったとされ、富士講の信者の中には白糸の滝を訪れる者や、白糸の
滝で修行を行う者がいたことが知られている。幕末の資エムゾネ料には
、白糸の滝で垢離をとり修行を行った富士講の信者の記録がある。
指定地内には富士講の信者が建てた石碑があり、「仙元大神」と記
されたもの(市道沿い)や、「食行身禄」と記されたもの(白糸の
滝滝つぼ右岸)等がある。・白糸の滝の勝景白エムゾネ糸の滝の、数多
の白い糸を垂らしたように落ちる優美な勝景がある。写真景勝の写
真・音止の勝景音止の滝の、轟音をたてて落ちる雄大な勝景がある
。写真景勝の写真・富士山の展望指定地では、白糸の滝と音止の滝
の勝景とともに、見事な富士山が望まエムゾネれる。写真展望の写真・
富士の巻狩の伝承「白糸ノ滝」には、建久4年(1193)に源頼
朝が行ったいわゆる富士の巻狩にまつわる伝承がある。音止の滝の
名前は、富士の巻狩に関係する曽我兄弟の仇討ち伝承に由来するも
ので、兄弟が仇討ちの相-6エムゾネ3-談をしている間は水音を止め
たことから名づけられたという。また、鬢撫水には、富士の巻狩の
折に源頼朝がここで鬢のほつれを直したという伝承がある。・歌碑
「白糸ノ滝」の勝景は古くから詩歌に詠まれてきており、白糸の滝
滝つぼ右岸には白糸エムゾネの滝の勝景を詠んだ歌碑がある。・標識名
勝及び天然記念物であることを明示する標識がある。③眺望C三保
松原図以下に示す要素が点在している平面図三保松原は、静岡市清
水区南東部に位置する三保半島にあり、半島の東岸真崎から海岸線
に沿い、南エムゾネ北に約4キロメートルに及ぶ松林と内陸部に散在す
る松林が主体をなしている。真崎から海岸線に沿う松林は、国有地
又は市有地が大半を占めているが、内陸部の松林と松林の景観を維
持している背後地については、ほとんどが民有地となっている。松
林エムゾネには、300年を経た老木から幼令木が約54,000帽舶

235:底名無し沼さん
18/05/19 23:21:53.32 WfkQ7IUI.net
幅広く分布している。図三保松原の地区区分図表地区区分詳細表地
区境界①特別規制A地区真崎灯台の内海側の第2種規制地区との境
界は、隣接する特別規制B地区と第2種規制地区との境界(エムゾネ松
が途切れる所)の延長線上とする。②特別規制B地区特別規制A地
区との境界は防潮堤外側とし、その他の規制地区との境界は、羽衣
参道は道路外側、それ以外は平成元年4月1日現在において松原を
形成している地区、ただし、真崎先端の境界は真崎エムゾネ灯台と建設
省財産、運輸省財産及び民地側の境界を結んだ線とする。③第1種
規制地区真崎付近の第2種規制地区及び第3種規制地区との境界は
、都市計画道路の中心線とし、字広道の第2種規制地区との境界、
字羽衣脇の三保第一小学校を中心とする第エムゾネ2種規制地区との境
界及び大字折戸地区における第2種規制地区との境界は、隣接する
道路の中心を境界とする。ただし、羽衣参道西側の第2種規制地区
との境界は、羽衣参道中心より25mの位置とする。④第2種規制
地区真崎付近第3種規制地区とのエムゾネ境界は、市道本村海岸58号
線の中心の延長を境界とする。その他の地区との境界は、①②③を
参照。⑤第3種規制地区各地区との境界は②③④を参照。(2)顕
著な普遍的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素①自然地形
構成資産の土地には、山エムゾネ並み、湧水や富士山及び側火山の噴火
等の火山活動によって形成された溶岩樹型などの自然地形が見られ
、構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているものもあ
る。ア富士山山体及び登山道A富士山-64-・テフラ噴火の際、
山頂火口から粘エムゾネ性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰り返し
多量に噴出したため、山頂付近はテフラに覆われている。・大沢崩
れ「八百八沢」と呼ばれる多くの浸食谷の中で最も大きなもので、
富士山西斜面の山梨県との県境に位置する。山頂直下から標高2,
200エムゾネm付近まで延長2.1㎞、最大幅約500m、最大深さ
約150mに渡る。崩壊は現在も進行中で年平均約15万~の監度

236:底名無し沼さん
18/05/19 23:22:12.19 WfkQ7IUI.net
・土砂を流出し、大沢川流域に扇状地を形成している。写真大沢崩
れの写真図大沢崩れの図面A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山エムソ
゙ネ口登山道・日沢(浸食谷)日沢は富士山の浸食谷の1つで、村山
口登山道跡とほぼ並行に山腹を南下していく。村山口登山道跡とは
、中宮八幡堂跡の東側(標高1,280m付近)及び、6号建物跡
と7号建物跡の間(標高2,015m付近)で交差するエムゾネ。2,
015m付近には、日沢の上に巨石があり、自然の橋のような斎国

237:底名無し沼さん
18/05/19 23:22:45.12 WfkQ7IUI.net
になっており、横渡と呼ばれる。登山道はここで日沢の左岸から右
岸に渡る。写真日沢の写真A3須山口登山道起伏に富んだ自然地形
をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩エムゾネを繰り返し多量
に噴出したため、テフラに覆われている。A4須走口登山道起伏に
富んだ自然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰
り返し多量に噴出したため、テフラに覆われている。A5吉田口登
山道二合目から三合目にかけて見られエムゾネる古富士火山からの泥流
堆積物、二合目付近で見られる玄武岩溶岩の滑床及び縄状溶岩など
様々な地質・地形が火山活動により形成されている。A6北口本宮
冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖地質学的にみると湖の
北側、西側、南側は御坂基盤エムゾネ層により構成されているが、東側
新富士火山の旧期の溶岩、さらにそれらを覆う形で青木ヶ原溶岩が
分布している。この溶岩流については水中に流入して形成された水
底溶岩の可能性も指摘されている。(久野久(1968)水中自破
砕溶岩)また本栖湖エムゾネ畔のボーリング調査において43mより上
位は新富士火山の特徴が示され、それより深いところは古富士火山
の特徴を示している。その時期は概ね30,000年前以降の溶岩
主体の富士山起源の火山活動が確認-65-されている。イ信仰B
1富士山本エムゾネ宮浅間大社・鏡池楼門前の池で一名眼鏡池とも言わ
れる。参道を挟んで両側に丸く池が広がっている。寛文10年(1
670)の絵図では、ここから流れる水が御手洗川に流れ込んでい
る。写真鏡池の写真B2山宮浅間神社構成資産の土地には丘陵や河
川エムゾネなどの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な要素
となって存在しているものがある。B3村山浅間神社構成資産の土
地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる
重要な要素となって存在しているものがある。B4須山浅間エムゾネ神
社構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資
産を成立させる重要な要素となって存在しているものがある。筆沖

238:底名無し沼さん
18/05/19 23:23:18.66 WfkQ7IUI.net
須走浅間神社・信しげの滝(清めの滝)境内地の池で汲み上げた水
が、石鳥居南側の「信しげの滝」まで流れている。エムゾネB6河口浅
間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅中門をくぐると川(水路
)が流れており、かつては当家に宿泊する富士講の禊ぎの場となっ
ていた。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹
型・構成岩石質、地質学的形状(平面的、エムゾネ立体的)等B13吉
田胎内樹型溶岩流の流出時の表面の状態がほぼ保たれている。地域
を覆う玄武岩溶岩流をはじめ、スコリアなどの火山活動に伴う噴出
物が顕著に見られる。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)-6
6-構成資産の土地には丘陵や河エムゾネ川などの自然地形が見られ、
構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているものがある
。B15白糸の滝構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が
見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているも
のがある。ウ眺望C三保エムゾネ松原なし②森林、植栽樹木構成資産の
土地には、富士山の景観を構成している天然林、富士山原始林及び
青木ヶ原樹海、人工林などからなる森林が存在しているほか、社叢
林・境内林などが存在している。ア富士山山体及び登山道A富士山
標高3,300エムゾネm付近より上方の地域にコケ類・地衣類が生育
している。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・草山部
分の植物村山浅間神社から中宮八幡堂跡の下までにあたり、植物の
垂直分布では、丘陵帯から山地帯にあたる。戦後、スギ・ヒノキ・
モミなエムゾネどの植林が行われ、道沿いはほとんどが人工林であるが
、天照教社から富士山麓山の村を経て中宮八幡堂跡に至る道沿いに
は、ブナ・ミズナラ・カエデなどの落葉広葉樹の自然林が残ってい
る。林の下にはササ(スズタケ)が視界を遮るほど生い茂っていエムソ
゙ネる。・木山部分の植物中宮八幡堂跡付近から新5合目の森林限界
(2,400m付近)までにあたり、植物の垂直分布では、山地帯
から亜高山帯にあたる。高所に上がるにつれてブナ・カエデな茨思

239:底名無し沼さん
18/05/19 23:23:52.31 WfkQ7IUI.net
広葉樹からウラジロモミ・シラビソなどの針葉樹に変わエムゾネり、標
高1,600m付近で落葉樹とササがなくなる。・焼山部分の植物
森林限界である標高2,400m付近から上で、植物の垂直分布で
は高山帯にあたる。この付近の植物は7月下旬から9月上旬にかけ
ていっせいに花を咲かせる。オンタデ、ムラサエムゾネキモメンヅル、
ミヤマオトコヨモギなどが見られる。A3須山口登山道・木山部分
の植物植物の垂直分布では、須山御胎内(標高1,440m付近)
付近は夏緑樹林帯(ブナ・ミズナラ・カエデ類)にあたり、林床に
はササ類が密生している。幕岩上部(エムゾネ標高1,680m付近)
付近は、針葉樹のシラビソ・-67-オオシラビソ・コメツガなど
が多くなるが、森林限界(標高1,700~1,750m)に近く
なるにつれて樹高が低くまばらになる。宝永噴火の際に噴出したス
コリアが厚く堆積しているたエムゾネめ、須山口登山道付近の森林限界
は、他の登山道よりもかなり低い。・焼山部分の植物須山口登山道
2合8勺(標高2,050m付近)から頂上までは、植物の垂直分
布で高山帯にあたる。オンタデ、イタドリ、フジハタザオ、フジア
ザミなどが、まばらエムゾネに分布する。A4須走口登山道・木山部分
の植物植物の垂直分布では、須走口登山道5合目(標高2,000
m)付近は、亜高山針葉樹林帯でシラビソ・オオシラビソ・コメツ
ガなどが分布する。須走口登山道の森林限界は約2,700mで、
他の登山道エムゾネよりも高い。・焼山部分の植物森林限界を過ぎると
高山帯となり、オンタデ、イタドリ、フジハタザオ、フジアザミな
どが、まばらに分布する。A5吉田口登山道標高1600m付近よ
り下方の区域は、山地帯に属する。自然林はごく少なく、ほとんど
がエムゾネアカマツ・カラマツなどの植林地である。わずかに残る自然
林では、ミズナラ・ウラジロモミや自生のアカマツ等が生えている
。天然記念物「躑躅原のレンゲツツジ及びフジザクラ群落」が存在
するのもこの地域である。標高1600mから2500m付エムゾ征畑

240:底名無し沼さん
18/05/19 23:24:25.72 WfkQ7IUI.net
までの区域が亜高山帯にあたり、コメツガ・シラベ・オオシラビソ
の森林を形成している。火山礫の露出した日当たりの良いところに
は、ダケカンバが生えている。・焼山部分の植物標高2500m付
近から上の区域は高山帯に当たり、森林は形成されエムゾネない。植物
はほとんどみられない地域であることから、かつては「焼山」と呼
ばれた。植物の遷移の過程を見ることが出来る場所としても、学術
的価値が高い。ここには、カラマツが匍匐状に生育し、乾燥に付源

241:底名無し沼さん
18/05/19 23:24:44.31 WfkQ7IUI.net
ミヤマハンノキ・オンタデ・メゲツソウ・エムゾネフジアザミ・ムラサ
キモメンズルなどが生育する。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖
A8精進湖A9本栖湖水辺植物群、沈水植物群にそれぞれ特徴が挙
げられる。イ信仰B1富士山本宮浅間大社構成資産の土地には、丘
陵を構成する社叢林・境内林などエムゾネのほか、敷地内において植栽
された樹木等が存在している。-68-B2山宮浅間神社構成資産
の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地内に
おいて植栽された樹木等が存在している。B3村山浅間神社構成資
産の土地には、丘陵を構エムゾネ成する社叢林・境内林などのほか、敷
地内において植栽された樹木等が存在している。B4須山浅間神社
構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、
敷地内において植栽された樹木等が存在している。B5須走浅間神
社構成資産の土エムゾネ地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などの
ほか、敷地内において植栽された樹木等が存在している。B6河口
浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅B9山中湖B10河口
湖B11忍野八海B12船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人
穴富士エムゾネ講遺跡(人穴浅間神社)構成資産の土地には、丘陵を構
成する社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木
等が存在している。B15白糸の滝イロハカエデ、ヤブツバキ等の
自然林や植栽等の植物がある。ウ眺望C三保松原松の生立木が植エムソ
゙ネ栽及び自然植生している。③保存管理又は公開活用を目的とした
建造物構成資産の土地には、保存管理、公開活用のための各種展示
施設・管理棟・防災施設のほか、解説板・誘導案内板等が存在して
いる。ア富士山山体及び登山道A富士山-69-富士山エムゾネにおけ
る標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内標識
等の整備が進められている。A1山頂信仰遺跡富士山における標識
類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内標識等の整
備が進められている。A2大宮・村山口登山道エムゾネ富士山にお民達

242:底名無し沼さん
18/05/19 23:25:15.36 WfkQ7IUI.net
標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内標識等
の整備が進められている。A3須山口登山道なしA4須走口登山道
富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一さ
れた案内標識等の整備が進められていエムゾネる。A5吉田口登山道富
士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一され
た案内標識等の整備が進められている。A6北口本宮冨士浅間神社
A7西湖A8精進湖A9本栖湖・2006年3月22日より、自然
環境や適切な利用環境の保全エムゾネを図るため、本栖湖水面は動力船
の乗り入れ禁止区域に指定された。こうした規制内容を説明するた
めの説明板や水上バイク等動力船乗り入れ禁止看板が湖畔の川尻地
区などに設置されている。・中之倉トンネル脇の山腹は旧五千円札
(現千円札)の裏面エムゾネに使用されている富士山と本栖湖のイラス
トのモデルとなった岡田紅陽の写真の撮影地である。国道300号
線沿いの中之倉トンネル脇には四阿を有する展望地がある。自然公
園法の第2種特別地域として、観光施設等も景観に配慮されている
。イ信仰Bエムゾネ1富士山本宮浅間大社・渋沢用水(横溝川)神立山
の北側部を流れる渋沢用水(横溝川)は、淀師地区渋沢の湧水地に
源を発し、神立山の北半部を蛇行しながら南東方向へ流れ、富士宮
市中心部を灌漑する用水路である。開削時期は不明であるが水田開
発エムゾネを目的として開削されたと考えられ、開発が進むにつれ生活
用水や防火用水として使われるようになった。現在は水質悪化によ
り生活用水としては利用されなくなっている。・社務所-70-楼
門から続く東廻廊の東側に、神社を管理し神社の社務を取りエムゾネ扱
う社務所が建てられている。・祈祷殿楼門から続く西廻廊の西側に
、各種祈祷や御祓いを行うための祈祷殿が建てられている。・浅間
大社参集所現在の参集所は昭和53年(1978)に建てられたも
ので、直会や各種会合に利用されている。・神田川エムゾネふれあい広
場施設昭和39年に富士宮市が浅間大社境内地の一部を児童公域恨

243:底名無し沼さん
18/05/19 23:25:48.91 WfkQ7IUI.net
して整備され、さらに平成6年から7年にかけて親水広場を備えた
「神田川ふれあい広場」として再整備された。現在は、同時期に改
修された神田川護岸も含め、中心市街地のエムゾネ親水空間として市民
の憩いの場となっている。広場内には、トイレ、各種遊具、ベンチ
、時計、水飲み場等の施設・設備が設置されている。・御手洗橋神
田川ふれあい広場の南東側には、長さ7.3m、幅11.5mの御
手洗橋が架けられている。『大宮エムゾネ町誌』には、明治26年(1
893)に架けられたとの記述がある。・弓道場第1駐車場西側に
、弓道場が整備されている。・消防団詰所鉄骨2階立ての富士宮市
消防団第1方面隊第3分団の詰所が、神立山南西の端に建てられて
いる。・案内板・説明板エムゾネ本殿や湧玉池などが、文化財に指定さ
れていることを案内・説明する高札が建てられている。・古神札納
所拝殿東側に、古い神札を納めるための屋根付きの箱が置かれてい
る。・大金剛杖古神札納所西側に、大金剛杖が置かれている。開山
祭に使用されてエムゾネいた。・藤棚水屋神社の南側に、藤棚が設けら
れている。・駐車場指定地の南西部分には、自動発券機(料金収受
機)を設置した第1駐車場が整備されている。B2山宮浅間神社・
案内板・説明板籠屋の南側に、案内板等が建てられている。山宮浅
間神社エムゾネの由緒を記したもの、山宮浅間神社の概要と、市指定文
化財であることを記したもの、山宮浅間神社の概要と、富士宮市「
歩く博物館」のコースであることを示すものの3本である。・手す
り籠屋から遥拝所へ向かう石段の脇に、手すりが設置されているエムソ
゙ネ。・鉄柱籠屋から遥拝所へ向かう参道と石段の両脇に、祭祀で利
用する鉄柱が設置されている。・トイレ籠屋西側に、水洗トイレが
設置されている。・水道籠屋南側に、コンクリート製の水道施設が
設置されている。-71-・水飲み場水道施設の南側にエムゾネ、コン
クリート製の水飲み場が設置されている。・ベンチ休憩用のベンチ
が設置されている。・鳥居駐車場横の参道に、コンクリート製迫丁

244:底名無し沼さん
18/05/19 23:26:21.42 WfkQ7IUI.net
居が建てられている。・燈篭コンクリート製の鳥居から籠屋へ至る
参道の両側に氏子等が奉納した燈篭が並んで設エムゾネ置されている。
また、籠屋北側鉾立石の左右にも1基ずつ設置されている。・駐車
場乗用車3台程を駐車できる駐車場が、県道から入って境内地を横
切る道沿いに設けられている。・石碑山宮浅間神社の由緒を記した
石碑が、駐車場の北側に設置されていエムゾネる。・石造物参道沿いに
は、道祖神、青面金剛、観音等の石造物が置かれている。B3転思

245:底名無し沼さん
18/05/19 23:26:53.67 WfkQ7IUI.net
浅間神社・社務所境内西側に、社務所が建てられている。・宝物殿
社殿の南西側に、宝物殿が建てられている。・村山公会堂社務所の
西側には、元村山地区の住民エムゾネが、会合等で利用する公会堂が建
てられている。・トイレ社務所北側に、トイレが設置されている。
・参道手すり氏神社へと登る参道脇には、アルミ製の手すりが設置
されている。・御神木柵県指定天然記念物のイチョウの周囲には、
樹木保護のための柵エムゾネが設置されている。・御神木指定証県天然
記念物に指定されているイチョウと大スギが、御神木に指定された
旨を示す札が、イチョウ周囲の柵と大スギの幹に掲げられている。
・石柱村山浅間神社が、大正14年(1925)に縣社に昇格した
ことを示すエムゾネ石柱が、参道入口左側に設置されている。また、昭
和62年(1987)に寄贈された「富士根本宮村山浅間神社」と
刻まれた石柱が、参道入口右側に設置されている。・児童公園六道
坂入り口付近に、すべり台等の遊具を備え、またプールを併設した
児エムゾネ童公園が整備されている。・駐車場境内地西端に、参詣者用
の駐車場が整備されている。-72-・村山水道完成記念碑社務所
裏側に、村山水道の完成を記念する碑が建てられている。昭和33
年に建立された。・説明板(富士山表口真面之図)麓の吉原エムゾネか
ら山頂へ至る登山道と、途中のポイントとなる地名、集落を繋ぐ道
等を示した地図が、村山公会堂の北側に設置されている。B4須山
浅間神社・御胎内説明板須山口御胎内の由緒等についての説明版が
、富士山須山口登山道保存会により、鳥居脇に設置エムゾネされている
。・洞窟内説明板「須山胎内」と書かれた金属板が、洞穴内部壁面
に設置されている。・梯子須山御胎内の北西側入口に、ジュラルミ
ン製の梯子が架けられている。・ベンチ・テーブル須山御胎内から
登山道を80mほど進んだ場所に、木製のエムゾネベンチ2脚とテーブ
ル1台が設置されている。・蝋燭台須山御胎内の南東側入口に、木
製の蝋燭台が設けられている。・標識須山御胎内から幕岩まで養像

246:底名無し沼さん
18/05/19 23:27:44.57 WfkQ7IUI.net
梨県・富士吉田市教育委員会により設エムゾネ置されている。B14人
穴富士講遺跡(人穴浅間神社)・説明板、案内板洞穴の入口に、人
穴の由緒や市指定文化財であることを記した説明板、碑塔群や洞穴
内の危険に対して注意を促す旨の案内板が4本建てられている。B
15白糸ノ滝なしウ眺望C三エムゾネ保松原なし④道路とその他人工物
構成資産の土地には、日常生活を営む地域住民が使用する生活道路
や、富士スバルラインや富士山スカイラインなどの観光道路をはじ
めてとして、電柱、看板、誘導標識などをはじめとする各種の建築
物及び工作物が存在エム


247: された登山道案内標識が設置されている。この標識は富士山におけ る標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一エムゾネされている 。吉田口登山道が合流する八合目より上部は、さらに黄色の帯が加 わる。A5吉田口登山道富士山における標識類総合ガイドラインに 沿ったデザインで統一された案内標識等の整備が進められている。 A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精エムゾネ進湖A9本栖湖哺排




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