18/01/29 21:13:42.79 BdtTryWp0.net
入口に石鳥居が建てられている。・富士塚狛犬楼門前参道の両
側に、富士塚が築かれ、その上に狛犬が置かれている。・富士
講講碑群明治より昭和にかけて、各地の富士講より寄進された
記念碑が多くエムゾネ残されている。多くは、数多く富士登山が成
就されたことを感謝し、先達や講名を高く掲げ信仰の証とした
もので、境内地の西側部分裏参道周辺に、多くの碑塔が建てら
れている。写真富士講講碑群の写真図富士講講碑群の配置図B
6河口浅間神社図以下エムゾネに示す要素が点在している平面図河
口浅間神社は、864~866年に北麓で起こった噴火を契機
に、北麓でも浅間神社が建てられることになったが、その神社
である可能性が高い。現在も富士山と密接に結びついた宗教行
事を行っており、歴史的背景とエムゾネ相俟って、富士山信仰を語
る上で欠かすことのできない資産である。顕著な普遍的価値を
構成する諸要素として、富士信仰の拠点でもある本殿などの建
造物群や境内地などがある。・社殿、鳥居河口浅間神社創建は
、平安時代の865年に遡る可能性があエムゾネる。建立目的は富
士山の噴火を鎮めるためであり、当時の富士山及び噴火という
ことに対する当時の考え方を理解することができる。鳥居は1
697年に谷村藩主秋本喬知の再建。銅製の扁額に記された「
三国第一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆とされエムゾネる。写真
社殿の写真図社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以下に示す要
素が点在している平面図-58-冨士御室浅間神社は、8世紀
初めに吉田口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ
、富士山中に祀られた最初の神社であるとする文献もあるエムゾネ
。二合目本宮(もとみや)へは冬季の参拝に苦渋するため、9
58年、河口湖畔に現在の里宮が建立されたという。現在は二
合目にあった社殿も里宮の広い境内に敷地内に移設されている
。修行や登拝といった様々な富士信仰の拠点として位置
251:底名無し沼さん
18/01/29 21:14:10.85 BdtTryWp0.net
全体として幅広く、奥に入ると広々として平坦な空間となってい
る。最奥部までは約80mで、そのまま閉塞してエムゾネいると考
えられる。写真溶岩洞穴の写真図洞穴の図面・社叢(周辺の植生
)人穴集落では主に製炭と農業を中心とした生活が営まれたため
、薪炭材のコナラ・クヌギ等を中心に育林していた。しかし、昭
和30年代に薪炭の消費が減少し、境内地とその周エムゾネ辺は建
材としてのヒノキ・スギに改植された。御神木に相当する大樹等
は存在しない。・碑塔群人穴浅間神社の境内地には、富士講信者
が建立した232基の碑塔が存在する。そのうち碑塔に建立年が
刻まれたもの89基についてみると、一番古い碑塔はエムゾネ寛文
4年(1664)建立のものである。建立目的によって大きく分
類すると、個人の戒名や行名を記した墓碑・供養碑である「墓碑
供養碑」、修行による大願成就を祈願する「祈願奉納碑」、個人
の富士登拝や講の人穴参拝を記念する「顕彰記念碑」のエムゾネ3
種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑」が最も多い。-6�
252:P -写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・参道洞穴入口や浅間神社 社殿のある平場へ至る参道が、境内地内を南から北へ伸びている 。現在はコンクリートで覆われている。・建物跡大小2つエムゾネ の建物跡が人穴洞穴直上の平場で検出されている。西側に規模の 大きな1棟と、その東側にやや小規模の1棟があり、大規模なも のの方がより古い遺構とみられる。また建物跡の周辺には石積み が施されている。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡エムゾ ネ南側の平場から斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで約34 m続いている。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して21段の 石段が構築されている。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道 跡の上り口、石垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群なエム ゾネどを結ぶ機能を有していたと考えられる。・炭焼窯跡指定地 の北側を通る林道に沿って、5箇所の炭焼窯跡が検出され
253:底名無し沼さん
18/01/29 21:20:03.42 BdtTryWp0.net
れるエムゾネ二合目の本宮と、土地の産土神としての里宮が一体と
なって機能してきた。顕著な普遍的価値を構成する諸要素とし
ては、信仰拠点である二合目や本殿などがある。・吉田口二合
目吉田口登山道二合目に御室浅間名字(本宮)が鎮座した。御
室浅間神社はエムゾネ木花開耶姫を祭神とし、創立年代は詳らかで
ないが、社殿には和銅元年(708)に祭場をしつらえたのが
最初とされる。冨士山中最初の社という。なお、平安末期には
浅間神の信仰に修験道が習合して、富士山が霊験所の一として
広く知られていた。冨エムゾネ士修験の信仰拠点は南口の村山であ
るが、北口の二合目、御室の地にも山内の信仰拠点として行者
堂が設置されていた。・本殿本殿は、1612年に当時の甲斐
国都留郡領主であった鳥居土佐守成次によって桃山時代建築様
式の神社建物に再建されたことエムゾネが棟札から明らかにされて
いる。大規模な入母屋造りの一間社で棟の高さは9.3m、屋
根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐破風妻などにも彫刻
を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。内部の色彩も当
初のものを良く残しており、建築年代のエムゾネ確実なこの時期の
遺構としては大変貴重な建造物である。写真本殿の写真図本殿
の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は、富士講徒
の案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼宿坊であ
る。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面エムゾネして引き
込み路を設け、敷地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普
遍的価値を構成する諸要素として、最古の部類に入る旧外川家
住宅などがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入り
形式の典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建エムゾネ
設されたものであることが判明している。また、主屋は「平面
座敷型」をとっており、近世になって御師住宅の様式が確立さ
れる以前の御師住宅として最古の部類の建築物である。
254:底名無し沼さん
18/01/29 21:20:29.36 BdtTryWp0.net
。昭和初期まで使用されていたものであるが、富士講に関わる遺
構は検出されていない。・井戸跡参道跡の南側に位置する。内部
エムゾネが溶岩角礫や土砂によって埋没し、涸れ井戸となっている
。B15白糸ノ滝図以下に示す要素が点在している平面図・古富
士泥流堆積物山体が崩壊した際に崩れた土砂が堆積した地層であ
り、古富士火山の一部を形成するものである。この地層は、塊状
礫エムゾネ岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互層しているもので
ある。写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土台となっている溶岩
流のひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キロメートル程度に
ある。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考えられており、
白糸エムゾネノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる。溶岩流層の境
目にはマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー)が発達
している。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった際の収
縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する。白
糸ノ滝エムゾネは、地質の特徴上、次のようなメカニズムで崩落を
繰り返していると考えられている。白糸の滝は、最近10年間の
平均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、この
多量の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な古富士泥流堆積物
を次第にエムゾネ浸食する。やがて、下部が抉り取られることで上
部の溶岩流はオーバーハング状態となり、自重に耐えられなくな
った時点で自然崩落する。この作用が繰り返され、崖線が後退し
続けていると考えられる。また、白糸溶岩流内の柱状節理は浸食
に弱く、滝エムゾネの後退を早める一因と指摘されている。白糸ノ
滝は、1年に約2センチメートルの割合で北側に後退していると
いう計算もある。音止の滝も、白糸ノ滝と同様の地質であり、同
様のメカニズムで崩落-62-を繰り返していると考えられてい
る。写真溶岩エムゾネ流の写真図溶岩流の拡散図・白糸ノ滝白糸の
滝は、高さ約20メートル、長さ約120メートルに渡り
255:底名無し沼さん
18/01/29 21:25:47.24 BdtTryWp0.net
は、富士講が盛んになるととともに主屋だけでは収容人数に限
りがエムゾネあ
256:るなどの理由から主屋の東側に増設されたとみられ る。ただし、御神殿が上段・下段の続きの手前に配置され、上 吉田の一般的な御師住宅に比して独自の構成を有している。写 真主屋等の写真図旧外川家住宅現状平面図等・小佐野家主屋、 蔵主屋は一部エムゾネ二階、切妻造、妻入の居室及び座敷部の前面 北寄りに台所部を背面南寄りに神殿部を付設した形式に
257:底名無し沼さん
18/01/29 21:26:17.33 BdtTryWp0.net
に広がる崖面の各所から湧出した水が、数多の白い糸を垂らした
ように流れ落ち、滝となったものである。白糸ノ滝周辺の地質は
、下部に不透水エムゾネ層である古富士泥流堆積物があり、上部に
透水性のある白糸溶岩流があると考えられている。富士山麓に降
った雨水は、上部の溶岩流を透過し、下部の不透水層との境目を
流れ下っていると考えられている。白糸の滝は、両層が崖面とし
て露出しており、エムゾネ両層の境目や上部の溶岩流の間から水が
湧出している様子が確認できる。写真滝の写真(音止の滝も同時
に掲載)・音止の滝音止の滝は、「音無の滝」とも呼ばれ、白糸
の滝と台地を隔てた東側に位置する。主瀑は落差約25メートル
を流れ落ちる芝川のエムゾネ本流であり、轟音を轟かせている。崖
面では、白糸の滝同様の地層が観察され、湧水が見られるが、白
糸の滝に比して水量は少ない。・鬢撫水鬢撫水は、「お鬢水」と
も呼ばれ、白糸の滝の崖上にある。鬢撫水は、湧水が池となった
ものであり、その水はエムゾネ白糸の滝の一部として流れ落ちてい
る。また、ここには「駒繋石」、「弁当(行厨)石」、「杓子石
」等の名前のついた石があったとされるが、現在は不詳である。
・植物白糸の滝の両岸の崖上には樹木が生い茂っている。また指
定地内には、メヤブソテエムゾネツ、ユリワサビ等特色ある植物相
がある。・富士講「白糸ノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆
盛した富士講の祖長谷川角行にまつわる伝承がある。角行は白糸
の滝で垢離をとり修行を行ったとされ、富士講の信者の中には白
糸の滝を訪れる者や、白糸エムゾネの滝で修行を行う者がいたこと
が知られている。幕末の資料には、白糸の滝で垢離をとり修行を
行った富士講の信者の記録がある。指定地内には富士講の信者が
建てた石碑があり、「仙元大神」と記されたもの(市道沿い)や
、「食行身禄」と記されたもエムゾネの(白糸の滝滝つぼ右岸)等
がある。・白糸の滝の勝景白糸の滝の、数多の白い糸を垂
258:底名無し沼さん
18/01/29 21:31:34.20 BdtTryWp0.net
居室及び座敷部は間口11.8m、奥行き15.5m、正面南
寄りに式台、背面北寄りに庇、北側面には下屋を設ける。蔵は
主屋台所の前方に建つエムゾネ。土蔵造りであるが、東西に庇を付
けた切妻造、板張りの覆屋をかけてい-59-る。この住宅は
、部分的な改変や増設がみられるほか保存がよく、富士講御師
の住宅としての形態を、屋敷地も含めてそのまま残している。
全国でも比較的少ない社家の一エムゾネ遺例として重要である。写
真主屋外観写真図小佐野家住宅現状平面図B9山中湖図以下に
示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行す
る内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時
代も変わらず巡拝の対象として数えられエムゾネている。また、景
勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍
的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある
。写真山中湖の写真B10河口湖図以下に示す要素が点在して
いる平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八エムゾネ海巡りが
多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡
拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多
くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸
要素として、自然地形(湖水)などがある。写真河口湖のエムゾネ
写真B11忍野八海図以下に示す要素が点在している平面図忍
野八海は、富士山の伏流水による八つの湧水地で、それぞれに
八大竜王を祀る冨士信仰に関わる巡拝地(霊場)であった。顕
著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湧水)が
あるエムゾネ。B12船津胎内樹型図以下に示す要素が点在してい
る平面図船津胎内樹型は、1673年に富士講の指導者である
村上光清により発見され、富士講の開祖である長谷川角行が洞
穴に祀った浅間明神が遷宮された溶岩樹型である。顕著な普遍
的価値を構成エムゾネする諸要素には、宗教的な意義付けが
259:底名無し沼さん
18/01/29 21:32:00.26 BdtTryWp0.net
ように落ちる優美な勝景がある。写真景勝の写真・音止の勝景音
止の滝の、轟音をたてて落ちる雄大な勝景がある。写真景勝の写
真・富士山の展望指定地では、エムゾネ白糸の滝と音止の滝の勝景
とともに、見事な富士山が望まれる。写真展望の写真・富士の巻
狩の伝承「白糸ノ滝」には、建久4年(1193)に源頼朝が行
ったいわゆる富士の巻狩にまつわる伝承がある。音止の滝の名前
は、富士の巻狩に関係する曽我兄エムゾネ弟の仇討ち伝承に
260:底名無し沼さん
18/01/29 21:38:03.11 BdtTryWp0.net
いる地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型船津胎内樹
型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾第1溶岩流の西縁
に所在する。本穴自体も大小様々な樹型が複雑に交叉して形作
られている。本穴の側エムゾネ面では垂れ下がった溶岩が肋骨のよ
うに見え、そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あたかも内
臓を摘出したあとの胸控の如く見える。胎内の名称はこれに基
づくものであり、極めて貴重な形態と言える。・無戸室浅間神
社・石造物群1673年、富士エムゾネ講道者村上光清により現船
津胎内樹型が発見され、開祖が祀った焼入の地の浅間明神が遷
宮された。浅間明神誕生の地ともいわれ、無戸室(むつむろ)
に火を放ち、無事に御子を出産したという故事に倣い社号を無
戸室浅間神社と名付けた。-60-B1エムゾネ3吉田胎内樹型図
以下に示す要素が点在している平面図吉田胎内樹型は、189
2年に富士道者によって整備された「お胎内」(溶岩樹型)で
ある。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義
付けがされている地形空間(溶岩樹型)などがあエムゾネる。・胎
内樹型吉田胎内樹型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾
第1溶岩流の東縁に所在する。本穴の側面では垂れ下がった溶
岩が肋骨のように見え、母の胎内に似ているため、浅間大菩薩
(木花開耶姫)出世の御胎内として信仰の対象となった。エムゾネ
・洞内の石祠、石造物群吉田胎内の本穴の奥には、石祠があっ
て富士講にとっての富士山の祭神である木花開耶姫が祀られて
いる。樹型内に入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠が
ある。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)図以下に示す要
261: 素がエムゾネ点在している平面図・犬涼み溶岩流人穴付近は、新富 士火山旧期溶岩(約11,000年前から約5,000年前) に属する犬涼み溶岩流の末端部近くに位置している。犬涼み溶 岩流は、標高1,206mの犬涼み山から噴出し、西方
262:底名無し沼さん
18/01/29 21:38:30.00 BdtTryWp0.net
るもので、兄弟が仇討ちの相-63-談をしている間は水音を止
めたことから名づけられたという。また、鬢撫水には、富士の巻
狩の折に源頼朝がここで鬢のほつれを直したという伝承がある。
・歌碑「白糸ノ滝」の勝景は古くかエムゾネら詩歌に詠まれてきて
おり、白糸の滝滝つぼ右岸には白糸の滝の勝景を詠んだ歌碑があ
る。・標識名勝及び天然記念物であることを明示する標識がある
。③眺望C三保松原図以下に示す要素が点在している平面図三保
松原は、静岡市清水区南東部に位置すエムゾネる三保半島にあり、
半島の東岸真崎から海岸線に沿い、南北に約4キロメートルに及
ぶ松林と内陸部に散在する松林が主体をなしている。真崎から海
岸線に沿う松林は、国有地又は市有地が大半を占めているが、内
陸部の松林と松林の景観を維持しているエムゾネ背後地については
、ほとんどが民有地となっている。松林には、300年を経た老
木から幼令木が約54,000本、幅広く分布している。図三保
松原の地区区分図表地区区分詳細表地区境界①特別規制A地区真
崎灯台の内海側の第2種規制地区との境界エムゾネは、隣接する特
別規制B地区と第2種規制地区との境界(松が途切れる所)の延
長線上とする。②特別規制B地区特別規制A地区との境界は防潮
堤外側とし、その他の規制地区との境界は、羽衣参道は道路外側
、それ以外は平成元年4月1日現在においてエムゾネ松原を形成し
ている地区、ただし、真崎先端の境界は真崎灯台と建設省財産、
運輸省財産及び民地側の境界を結んだ線とする。③第1種規制地
区真崎付近の第2種規制地区及び第3種規制地区との境界は、都
市計画道路の中心線とし、字広道の第2種規制エムゾネ地区との境
界、字羽衣脇の三保第一小学校を中心とする第2種規制地区との
境界及び大字折戸地区における第2種規制地区との境界は、隣接
する道路の中心を境界とする。ただし、羽衣参道西側の第2種規
制地区との境界は、羽衣参道中心より25mの位エムゾネ置
263:底名無し沼さん
18/01/29 21:43:32.75 BdtTryWp0.net
㎞、標高差にエムゾネして約700mの扇状地をつくる溶岩流であ
る。写真溶岩流の写真図溶岩流の詳細図・溶岩洞穴人穴溶岩洞
穴は、天正年間に富士講の開祖、長谷川角行が千日の行を行っ
たとされる洞穴である。犬涼み溶岩流の中に存在する19箇所
の溶岩洞穴のうち、西エムゾネ端部の最も低い位置にあり、溶岩が
流れ下るとき溶岩表面が冷やされて固化した後、内部の溶けた
溶岩が抜けて空洞ができたものである。洞穴の南西の端が進入
口となり、洞穴中央部でくの字型に曲がっている。入口から約
30mの屈曲部手前中央には、エムゾネ直径約5mの溶岩柱がある
。全体として幅広く、奥に入ると広々として平坦な空間となっ
ている。最奥部までは約80mで、そのまま閉塞していると考
えられる。写真溶岩洞穴の写真図洞穴の図面・社叢(周辺の植
生)人穴集落では主に製炭と農業を中心エムゾネとした生活が営ま
れたため、薪炭材のコナラ・クヌギ等を中心に育林していた。
しかし、昭和30年代に薪炭の消費が減少し、境内地とその周
辺は建材としてのヒノキ・スギに改植された。御神木に相当す
る大樹等は存在しない。・碑塔群人穴浅間神社のエムゾネ境内地に
は、富士講信者が建立した232基の碑塔が存在する。そのう
ち碑塔に建立年が刻まれたもの89基についてみると、一番古
い碑塔は寛文4年(1664)建立のものである。建立目的に
よって大きく分類すると、個人の戒名や行名を記した墓碑エムゾネ
・供養碑である「墓碑供養碑」、修行による大願成就を祈願す
る「祈願奉納碑」、個人の富士登拝や講の人穴参拝を記念する
「顕彰記念碑」の3種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑
」が最も多い。-61-写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・
参道エムゾネ洞穴入口や浅間神社社殿のある平場へ至る参道が、境
内地内を南から北へ伸びている。現在はコンクリートで覆われ
ている。・建物跡大小2つの建物跡が人穴洞穴直上の平
264:底名無し沼さん
18/01/29 21:49:37.67 BdtTryWp0.net
出されている。西側に規模の大きな1棟と、その東側にやや小
規模の1棟がエムゾネあり、大規模なものの方がより古い遺構とみ
られる。また建物跡の周辺には石積みが施されている。・参道
跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡南側の平場から斜面を下り
、井戸跡の所在する平地まで約34m続いている。溶岩角礫や
露出している溶岩を利エムゾネ用して21段の石段が構築されてい
る。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道跡の上り口
265:底名無し沼さん
18/01/29 21:50:06.52 BdtTryWp0.net
エムゾネいる。A5吉田口登山道二合目から三合目にかけて見られ
る古富士火山からの泥流堆積物、二合目付近で見られる玄武岩溶
岩の滑床及び縄状溶岩など様々な地質・地形が火山活動により形
成されている。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A
9エムゾネ本栖湖地質学的にみると湖の北側、西側、南側は御坂基
盤層により構成されているが、東側新富士火山の旧期の溶岩、さ
らにそれらを覆う形で青木ヶ原溶岩が分布している。この溶岩流
については水中に流入して形成された水底溶岩の可能性も指摘さ
れてエムゾネいる。(久野久(1968)水中自破砕溶岩)また本
栖湖畔のボーリング調査において43mより上位は新富士火山の
特徴が示され、それより深いところは古富士火山の特徴を示して
いる。その時期は概ね30,000年前以降の溶岩主体の富士山
起源のエムゾネ火山活動が確認-65-されている。イ信仰B1富
士山本宮浅間大社・鏡池楼門前の池で一名眼鏡池とも言われる。
参道を挟んで両側に丸く池が広がっている。寛文10年(167
0)の絵図では、ここから流れる水が御手洗川に流れ込んでいる
。写真鏡エムゾネ池の写真B2山宮浅間神社構成資産の土地には丘
陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な
要素となって存在しているものがある。B3村山浅間神社構成資
産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成
立させる重エムゾネ要な要素となって存在しているものがある。B
4須山浅間神社構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が
見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって存在している
ものがある。B5須走浅間神社・信しげの滝(清めの滝)境内地
の池で汲み上エムゾネげた水が、石鳥居南側の「信しげの滝」まで
流れている。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住
宅中門をくぐると川(水路)が流れており、かつては当家に宿泊
する富士講の禊ぎの場となっていた。B9山中湖B10河
266:底名無し沼さん
18/01/29 21:54:59.17 BdtTryWp0.net
の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ機能を有
していたと考えられる。・炭焼窯跡指定地の北側を通る林道に
沿って、5箇所の炭焼窯跡が検エムゾネ出されている。昭和初期ま
で使用されていたものであるが、富士講に関わる遺構は検出さ
れていない。・井戸跡参道跡の南側に位置する。内部が溶岩角
礫や土砂によって埋没し、涸れ井戸となっている。B15白糸
ノ滝図以下に示す要素が点在している平エムゾネ面図・古富士泥流
堆積物山体が崩壊した際に崩れた土砂が堆積した地層であり、
古富士火山の一部を形成するものである。この地層は、塊状礫
岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互層しているものである。
写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土台となってエムゾネいる溶岩
流のひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キロメートル程度
にある。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考えられてお
り、白糸ノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる。溶岩流層の境
目にはマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー)エムゾネ
が発達している。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まっ
た際の収縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存
在する。白糸ノ滝は、地質の特徴上、次のようなメカニズムで
崩落を繰り返していると考えられている。白糸の滝は、最近1
0年エムゾネ間の平均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もら
れており、この多量の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な
古富士泥流堆積物を次第に浸食する。やがて、下部が抉り取ら
れることで上部の溶岩流はオーバーハング状態となり、自重に
耐えられなくエムゾネなった時点で自然崩落する。この作用が繰り
返され、崖線が後退し続けていると考えられる。また、白糸溶
岩流内の柱状節理は浸食に弱く、滝の後退を早める一因と指摘
されている。白糸ノ滝は、1年に約2センチメートルの割合で
北側に後退しているとエムゾネいう計算もある。音止の滝も
267:底名無し沼さん
18/01/29 21:55:27.97 BdtTryWp0.net
11忍野八海Bエムゾネ12船津胎内樹型・構成岩石質、地質学的
形状(平面的、立体的)等B13吉田胎内樹型溶岩流の流出時の
表面の状態がほぼ保たれている。地域を覆う玄武岩溶岩流をはじ
め、スコリアなどの火山活動に伴う噴出物が顕著に見られる。B
14人穴富士講遺エムゾネ跡(人穴浅間神社)-66-構成資産の
土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立さ
せる重要な要素となって存在しているものがある。B15
268:底名無し沼さん
18/01/29 22:01:27.80 BdtTryWp0.net
ノ滝と同様の地質であり、同様のメカニズムで崩落-62-を
繰り返していると考えられている。写真溶岩流の写真図溶岩流
の拡散図・白糸ノ滝白糸の滝は、高さ約20メートル、長さ約
120メートルに渡り馬蹄状にエムゾネ広がる崖面の各所から湧出
した水が、数多の白い糸を垂らしたように流れ落ち、滝となっ
たものである。白糸ノ滝周辺の地質は、下部に不透水層である
古富士泥流堆積物があり、上部に透水性のある白糸溶岩流があ
ると考えられている。富士山麓に降ったエムゾネ雨水は、上部の溶
岩流を透過し、下部の不透水層との境目を流れ下っていると考
えられている。白糸の滝は、両層が崖面として露出しており、
両層の境目や上部の溶岩流の間から水が湧出している様子が確
認できる。写真滝の写真(音止の滝も同時に掲載エムゾネ)・音止
の滝音止の滝は、「音無の滝」とも呼ばれ、白糸の滝と台地を
隔てた東側に位置する。主瀑は落差約25メートルを流れ落ち
る芝川の本流であり、轟音を轟かせている。崖面では、白糸の
滝同様の地層が観察され、湧水が見られるが、白糸の滝にエムゾネ
比して水量は少ない。・鬢撫水鬢撫水は、「お鬢水」とも呼ば
れ、白糸の滝の崖上にある。鬢撫水は、湧水が池となったもの
であり、その水は白糸の滝の一部として流れ落ちている。また
、ここには「駒繋石」、「弁当(行厨)石」、「杓子石」等の
名前エムゾネのついた石があったとされるが、現在は不詳である。
・植物白糸の滝の両岸の崖上には樹木が生い茂っている。また
指定地内には、メヤブソテツ、ユリワサビ等特色ある植物相が
ある。・富士講「白糸ノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆
盛した富士講エムゾネの祖長谷川角行にまつわる伝承がある。角行
は白糸の滝で垢離をとり修行を行ったとされ、富士講の信者の
中には白糸の滝を訪れる者や、白糸の滝で修行を行う者がいた
ことが知られている。幕末の資料には、白糸の滝で垢離
269:底名無し沼さん
18/01/29 22:01:55.88 BdtTryWp0.net
滝構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成
資産を成立させる重エムゾネ要な要素となって存在しているものが
ある。ウ眺望C三保松原なし②森林、植栽樹木構成資産の土地に
は、富士山の景観を構成している天然林、富士山原始林及び青木
ヶ原樹海、人工林などからなる森林が存在しているほか、社叢林
・境内林などが存在しエムゾネている。ア富士山山体及び登山道A
富士山標高3,300m付近より上方の地域にコケ類・地衣類が
生育している。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・
草山部分の植物村山浅間神社から中宮八幡堂跡の下までにあたり
、植物の垂直分布では、エムゾネ丘陵帯から山地帯にあたる。戦後
、スギ・ヒノキ・モミなどの植林が行われ、道沿いはほとんどが
人工林であるが、天照教社から富士山麓山の村を経て中宮八幡堂
跡に至る道沿いには、ブナ・ミズナラ・カエデなどの落葉広葉樹
の自然林が残っている。林エムゾネの下にはササ(スズタケ)が視
界を遮るほど生い茂っている。・木山部分の植物中宮八幡堂跡付
近から新5合目の森林限界(2,400m付近)までにあたり、
植物の垂直分布では、山地帯から亜高山帯にあたる。高所に上が
るにつれてブナ・カエデなどエムゾネの広葉樹からウラジロモミ・
シラビソなどの針葉樹に変わり、標高1,600m付近で落葉樹
とササがなくなる。・焼山部分の植物森林限界である標高2,4
00m付近から上で、植物の垂直分布では高山帯にあたる。この
付近の植物は7月下旬から9月エムゾネ上旬にかけていっせいに花
を咲かせる。オンタデ、ムラサキモメンヅル、ミヤマオトコヨモ
ギなどが見られる。A3須山口登山道・木山部分の植物植物の垂
直分布では、須山御胎内(標高1,440m付近)付近は夏緑樹
林帯(ブナ・ミズナラ・カエデ類エムゾネ)にあたり、林床にはサ
サ類が密生している。幕岩上部(標高1,680m付近)付近は
、針葉樹のシラビソ・-67-オオシラビソ・コメツガな
270:底名無し沼さん
18/01/29 22:07:13.61 BdtTryWp0.net
修行を行った富士講のエムゾネ信者の記録がある。指定地内には富
士講の信者が建てた石碑があり、「仙元大神」と記されたもの
(市道沿い)や、「食行身禄」と記されたもの(白糸の滝滝つ
ぼ右岸)等がある。・白糸の滝の勝景白糸の滝の、数多の白い
糸を垂らしたように落ちる優美エムゾネな勝景がある。写真景勝の
写真・音止の勝景音止の滝の、轟音をたてて落ちる雄大な勝景
がある。写真景勝の写真・富士山の展望指定地では、白糸の滝
と音止の滝の勝景とともに、見事な富士山が望まれる。写真展
望の写真・富士の巻狩の伝承「白糸ノ滝エムゾネ」には、建久4年
(1193)に源頼朝が行ったいわゆる富士の巻狩にまつわる
伝承がある。音止の滝の名前は、富士の巻狩に関係する曽我兄
弟の仇討ち伝承に由来するもので、兄弟が仇討ちの相-63-
談をしている間は水音を止
271:めたことから名づけらエムゾネれたとい う。また、鬢撫水には、富士の巻狩の折に源頼朝がここで鬢の ほつれを直したという伝承がある。・歌碑「白糸ノ滝」の勝景 は古くから詩歌に詠まれてきており、白糸の滝滝つぼ右岸には 白糸の滝の勝景を詠んだ歌碑がある。・標識名勝及び天然エムゾネ 記念物であることを明示する標識がある。③眺望C三保松原図 以下に示す要素が点在している平面図三保松原は、静岡市清水 区南東部に位置する三保半島にあり、半島の東岸真崎から海岸 線に沿い、南北に約4キロメートルに及ぶ松林と内陸部に散在 するエムゾネ松林が主体をなしている。真崎から海岸線に沿う松林 は、国有地又は市有地が大半を占めているが、内陸部の松林と 松林の景観を維持している背後地については、ほとんどが民有 地となっている。松林には、300年を経た老木から幼令木が 約54,00エムゾネ0本、幅広く分布している。図三保松原の地 区区分図表地区区分詳細表地区境界①特別規制A地区真崎灯台 の内海側の第2種規制地区との境界は、隣接する特別規
272:底名無し沼さん
18/01/29 22:07:40.59 BdtTryWp0.net
くなるが、森林限界(標高1,700~1,750m)に近くな
るにつれて樹高が低くまばらになるエムゾネ。宝永噴火の際に噴出
したスコリアが厚く堆積しているため、須山口登山道付近の森林
限界は、他の登山道よりもかなり低い。・焼山部分の植物須山口
登山道2合8勺(標高2,050m付近)から頂上までは、植物
の垂直分布で高山帯にあたる。オンタエムゾネデ、イタドリ、フジ
ハタザオ、フジアザミなどが、まばらに分布する。A4須走口登
山道・木山部分の植物植物の垂直分布では、須走口登山道5合目
(標高2,000m)付近は、亜高山針葉樹林帯でシラビソ・オ
オシラビソ・コメツガなどが分布する。エムゾネ須走口登山道の森
林限界は約2,700mで、他の登山道よりも高い。・焼山部分
の植物森林限界を過ぎると高山帯となり、オンタデ、イタドリ、
フジハタザオ、フジアザミなどが、まばらに分布する。A5吉田
口登山道標高1600m付近より下方の区エムゾネ域は、山地帯に
属する。自然林はごく少なく、ほとんどがアカマツ・カラマツな
どの植林地である。わずかに残る自然林では、ミズナラ・ウラジ
ロモミや自生のアカマツ等が生えている。天然記念物「躑躅原の
レンゲツツジ及びフジザクラ群落」が存在すエムゾネるのもこの地
域である。標高1600mから2500m付近までの区域が亜高
山帯にあたり、コメツガ・シラベ・オオシラビソの森林を形成し
ている。火山礫の露出した日当たりの良いところには、ダケカン
バが生えている。・焼山部分の植物標高250エムゾネ0m付近か
ら上の区域は高山帯に当たり、森林は形成されない。植物はほと
んどみられない地域であることから、かつては「焼山」と呼ばれ
た。植物の遷移の過程を見ることが出来る場所としても、学術的
価値が高い。ここには、カラマツが匍匐状に生育エムゾネし、乾燥
に強いミヤマハンノキ・オンタデ・メゲツソウ・フジアザミ・ム
ラサキモメンズルなどが生育する。A6北口本宮冨士浅間
273:底名無し沼さん
18/01/29 22:13:00.51 BdtTryWp0.net
区と第2種規制地区との境界(松が途切れる所)の延長線上と
する。②特別規制B地エムゾネ区特別規制A地区との境界は防潮堤
外側とし、その他の規制地区との境界は、羽衣参道は道路外側
、それ以外は平成元年4月1日現在において松原を形成してい
る地区、ただし、真崎先端の境界は真崎灯台と建設省財産、運
輸省財産及び民地側の境界を結エムゾネんだ線とする。③第1種規
制地区真崎付近の第2種規制地区及び第3種規制地区と
274:底名無し沼さん
18/01/29 22:13:30.65 BdtTryWp0.net
7西湖A8精進湖A9本栖湖水辺植物群、沈水植物群にそれぞれ
特徴が挙げられる。イ信仰B1富士山本宮浅間大社エムゾネ構成資
産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地
内において植栽された樹木等が存在している。-68-B2山宮
浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林な
どのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在しエムゾネてい
る。B3村山浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢
林・境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在
している。B4須山浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成す
る社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽されエムゾネた
樹木等が存在している。B5須走浅間神社構成資産の土地には、
丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽
された樹木等が存在している。B6河口浅間神社B7冨士御室浅
間神社B8御師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八エムゾネ
海B12船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺跡
(人穴浅間神社)構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・
境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在して
いる。B15白糸の滝イロハカエデ、ヤブツバキ等の自然林エムゾ
ネや植栽等の植物がある。ウ眺望C三保松原松の生立木が植栽及
び自然植生している。③保存管理又は公開活用を目的とした建造
物構成資産の土地には、保存管理、公開活用のための各種展示施
設・管理棟・防災施設のほか、解説板・誘導案内板等が存在しエム
ゾネている。ア富士山山体及び登山道A富士山-69-富士山に
おける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案
内標識等の整備が進められている。A1山頂信仰遺跡富士山にお
ける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内
エムゾネ標識等の整備が進められている。A2大宮・村山口登山道
富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザイン
275:底名無し沼さん
18/01/29 22:18:08.60 BdtTryWp0.net
は、都市計画道路の中心線とし、字広道の第2種規制地区との
境界、字羽衣脇の三保第一小学校を中心とする第2種規制地区
との境界及び大字折戸地区における第2エムゾネ種規制地区との境
界は、隣接する道路の中心を境界とする。ただし、羽衣参道西
側の第2種規制地区との境界は、羽衣参道中心より25mの位
置とする。④第2種規制地区真崎付近第3種規制地区との境界
は、市道本村海岸58号線の中心の延長を境界とエムゾネする。そ
の他の地区との境界は、①②③を参照。⑤第3種規制地区各地
区との境界は②③④を参照。(2)顕著な普遍的価値を構成す
る諸要素と密接に関わる諸要素①自然地形構成資産の土地には
、山並み、湧水や富士山及び側火山の噴火等の火山活動にエムゾネ
よって形成された溶岩樹型などの自然地形が見られ、構成資産
を成立させる重要な要素となって存在しているものもある。ア
富士山山体及び登山道A富士山-64-・テフラ噴火の際、山
頂火口から粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰り返し多
量にエムゾネ噴出したため、山頂付近はテフラに覆われている。・
大沢崩れ「八百八沢」と呼ばれる多くの浸食谷の中で最も大き
なもので、富士山西斜面の山梨県との県境に位置する。山頂直
下から標高2,200m付近まで延長2.1㎞、最大幅約50
0m、最大深エムゾネさ約150mに渡る。崩壊は現在も進行中で
年平均約15万~の岩石・土砂を流出し、大沢川流域に扇状地
を形成している。写真大沢崩れの写真図大沢崩れの図面A1山
頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・日沢(浸食谷)日沢
は富士山の浸食谷の1エムゾネつで、村山口登山道跡とほぼ並行に
山腹を南下していく。村山口登山道跡とは、中宮八幡堂跡の東
側(標高1,280m付近)及び、6号建物跡と7号建物跡の
間(標高2,015m付近)で交差する。2,015m付近に
は、日沢の上に巨石があり、自エムゾネ然の橋のような地形
276:底名無し沼さん
18/01/29 22:18:38.64 BdtTryWp0.net
された案内標識等の整備が進められている。A3須山口登山道な
しA4須走口登山道富士山における標識類総合ガイドラインに沿
っエムゾネたデザインで統一された案内標識等の整備が進められて
いる。A5吉田口登山道富士山における標識類総合ガイドライン
に沿ったデザインで統一された案内標識等の整備が進められてい
る。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖・
20エムゾネ06年3月22日より、自然環境や適切な利用
277:底名無し沼さん
18/01/29 22:23:26.02 BdtTryWp0.net
ており、横渡と呼ばれる。登山道はここで日沢の左岸から右岸
に渡る。写真日沢の写真A3須山口登山道起伏に富んだ自然地
形をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰り返し多
量に噴出したため、テフラに覆われていエムゾネる。A4須走口登
山道起伏に富んだ自然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質のテ
フラと溶岩を繰り返し多量に噴出したため、テフラに覆われて
いる。A5吉田口登山道二合目から三合目にかけて見られる古
富士火山からの泥流堆積物、二合目付近で見られエムゾネる玄武岩
溶岩の滑床及び縄状溶岩など様々な地質・地形が火山活動によ
り形成されている。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精
進湖A9本栖湖地質学的にみると湖の北側、西側、南側は御坂
基盤層により構成されているが、東側新富士火山の旧期のエムゾネ
溶岩、さらにそれらを覆う形で青木ヶ原溶岩が分布している。
この溶岩流については水中に流入して形成された水底溶岩の可
能性も指摘されている。(久野久(1968)水中自破砕溶岩
)また本栖湖畔のボーリング調査において43mより上位は新
富士エムゾネ火山の特徴が示され、それより深いところは古富士火
山の特徴を示している。その時期は概ね30,000年前以降
の溶岩主体の富士山起源の火山活動が確認-65-されている
。イ信仰B1富士山本宮浅間大社・鏡池楼門前の池で一名眼鏡
池とも言われエムゾネる。参道を挟んで両側に丸く池が広がってい
る。寛文10年(1670)の絵図では、ここから流れる水が
御手洗川に流れ込んでいる。写真鏡池の写真B2山宮浅間神社
構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成
資産を成立させる重要エムゾネな要素となって存在しているものが
ある。B3村山浅間神社構成資産の土地には丘陵や河川などの
自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって
存在しているものがある。B4須山浅間神社構成資産の
278:底名無し沼さん
18/01/29 22:23:54.14 BdtTryWp0.net
保全を図るため、本栖湖水面は動力船の乗り入れ禁止区域に指定
された。こうした規制内容を説明するための説明板や水上バイク
等動力船乗り入れ禁止看板が湖畔の川尻地区などに設置されてい
る。・エムゾネ中之倉トンネル脇の山腹は旧五千円札(現千円札)
の裏面に使用されている富士山と本栖湖のイラストのモデルとな
った岡田紅陽の写真の撮影地である。国道300号線沿いの中之
倉トンネル脇には四阿を有する展望地がある。自然公園法の第2
種特別地エムゾネ域として、観光施設等も景観に配慮されている。
イ信仰B1富士山本宮浅間大社・渋沢用水(横溝川)神立山の北
側部を流れる渋沢用水(横溝川)は、淀師地区渋沢の湧水地に源
を発し、神立山の北半部を蛇行しながら南東方向へ流れ、富士宮
市中心部をエムゾネ灌漑する用水路である。開削時期は不明である
が水田開発を目的として開削されたと考えられ、開発が進むにつ
れ生活用水や防火用水として使われるようになった。現在は水質
悪化により生活用水としては利用されなくなっている。・社務所
-70-楼門エムゾネから続く東廻廊の東側に、神社を管理し神社
の社務を取り扱う社務所が建てられている。・祈祷殿楼門から続
く西廻廊の西側に、各種祈祷や御祓いを行うための祈祷殿が建て
られている。・浅間大社参集所現在の参集所は昭和53年(19
78)に建てらエムゾネれたもので、直会や各種会合に利用されて
いる。・神田川ふれあい広場施設昭和39年に富士宮市が浅間大
社境内地の一部を児童公園として整備され、さらに平成6年から
7年にかけて親水広場を備えた「神田川ふれあい広場」として再
整備された。現在エムゾネは、同時期に改修された神田川護岸も含
め、中心市街地の親水空間として市民の憩いの場となっている。
広場内には、トイレ、各種遊具、ベンチ、時計、水飲み場等の施
設・設備が設置されている。・御手洗橋神田川ふれあい広場の南
東側には、長さ7.エムゾネ3m、幅11.5mの御手洗橋
279:底名無し沼さん
18/01/29 22:29:05.79 BdtTryWp0.net
は丘陵や河川などの自然地形がエムゾネ見られ、構成資産を成立さ
せる重要な要素となって存在しているものがある。B5須走浅
間神社・信しげの滝(清めの滝)境内地の池で汲み上げた水が
、石鳥居南側の「信しげの滝」まで流れている。B6河口浅間
神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅エムゾネ中門をくぐると川
(水路)が流れており、かつては当家に宿泊する富士講の禊ぎ
の場となっていた。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B
12船津胎内樹型・構成岩石質、地質学的形状(平面的、立体
的)等B13吉田胎内樹型溶岩流の流出時の表面エムゾネの状態が
ほぼ保たれている。地域を覆う玄武岩溶岩流をはじめ、スコリ
アなどの火山活動に伴う噴出物が顕著に見られる。B14人穴
富士講遺跡(人穴浅間神社)-66-構成資産の土地には丘陵
や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重エムゾネ
要な要素となって存在しているものがある。B15白糸の滝構
成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資
産を成立させる重要な要素となって存在しているものがある。
ウ眺望C三保松原なし②森林、植栽樹木構成資産の土地には、
富士エムゾネ山の景観を構成している天然林、富士山原始林及び青
木ヶ原樹海、人工林などからなる森林が存在しているほか、社
叢林・境内林などが存在している。ア富士山山体及び登山道A
富士山標高3,300m付近より上方の地域にコケ類・地衣類
が生育していエムゾネる。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口
登山道・草山部分の植物村山浅間神社から中宮八幡堂跡の下ま
でにあたり、植物の垂直分布では、丘陵帯から山地帯にあたる
。戦後、スギ・ヒノキ・モミなどの植林が行われ、道沿いはほ
とんどが人工林であるエムゾネが、天照教社から富士山麓山の村を
経て中宮八幡堂跡に至る道沿いには、ブナ・ミズナラ・カエデ
などの落葉広葉樹の自然林が残っている。林の下にはサ
280:底名無し沼さん
18/01/29 22:29:35.81 BdtTryWp0.net
られている。『大宮町誌』には、明治26年(1893)に架け
られたとの記述がある。・弓道場第1駐車場西側に、弓道場が整
備されている。・消防団詰所鉄骨2階立ての富士宮市消防団第1
方面隊第3分団の詰所エムゾネが、神立山南西の端に建てられてい
る。・案内板・説明板本殿や湧玉池などが、文化財に指定されて
いることを案内・説明する高札が建てられている。・古神札納所
拝殿東側に、古い神札を納めるための屋根付きの箱が置かれてい
る。・大金剛杖古神札納エムゾネ所西側に、大金剛杖が置かれてい
る。開山祭に使用されていた。・藤棚水屋神社の南側に、藤棚が
設けられている。・駐車場指定地の南西部分には、自動発券機(
料金収受機)を設置した第1駐車場が整備されている。B2山宮
浅間神社・案内板・説明板エムゾネ籠屋の南側に、案内板等が建て
られている。山宮浅間神社の由緒を記したもの、山宮浅間神社の
概要と、市指定文化財であることを記したもの、山宮浅間神社の
概要と、富士宮市「歩く博物館」のコースであることを示すもの
の3本である。・手すり籠屋エムゾネから遥拝所へ向かう石段の脇
に、手すりが設置されている。・鉄柱籠屋から遥拝所へ向かう参
道と石段の両脇に、祭祀で利用する鉄柱が設置されている。・ト
イレ籠屋西側に、水洗トイレが設置されている。・水道籠屋南側
に、コンクリート製の水道施設エムゾネが設置されている。-71
-・水飲み場水道施設の南側に、コンクリート製の水飲み場が設
置されている。・ベンチ休憩用のベンチが設置されている。・鳥
居駐車場横の参道に、コンクリート製の鳥居が建てられている。
・燈篭コンクリート製の鳥居からエムゾネ籠屋へ至る参道の両側に
氏子等が奉納した燈篭が並んで設置されている。また、籠屋北側
鉾立石の左右にも1基ずつ設置されている。・駐車場乗用車3台
程を駐車できる駐車場が、県道から入って境内地を横切る道沿い
に設けられている。・石碑山宮浅間エムゾネ神社の由緒を記
281:底名無し沼さん
18/01/29 22:35:34.53 BdtTryWp0.net
ズタケ)が視界を遮るほど生い茂っている。・木山部分の植物
中宮八幡堂跡付近から新5合目エムゾネの森林限界(2,400m
付近)までにあたり、植物の垂直分布では、山地帯から亜高山
帯にあたる。高所に上がるにつれてブナ・カエデなどの広葉樹
からウラジロモミ・シラビソなどの針葉樹に変わり、標高1,
600m付近で落葉樹とササがなくなるエムゾネ。・焼山部分の植
物森林限界である標高2,400m付近から上で、植物
282:底名無し沼さん
18/01/29 22:36:01.57 BdtTryWp0.net
碑が、駐車場の北側に設置されている。・石造物参道沿いには、
道祖神、青面金剛、観音等の石造物が置かれている。B3村山浅
間神社・社務所境内西側に、社務所が建てられている。・宝物殿
社殿の南西側に、宝物殿が建てられてエムゾネいる。・村山公会堂
社務所の西側には、元村山地区の住民が、会合等で利用する公会
堂が建てられている。・トイレ社務所北側に、トイレが設置され
ている。・参道手すり氏神社へと登る参道脇には、アルミ製の手
すりが設置されている。・御神木柵県指エムゾネ定天然記念物のイ
チョウの周囲には、樹木保護のための柵が設置されている。・御
神木指定証県天然記念物に指定されているイチョウと大スギが、
御神木に指定された旨を示す札が、イチョウ周囲の柵と大スギの
幹に掲げられている。・石柱村山浅間神社エムゾネが、大正14年
(1925)に縣社に昇格したことを示す石柱が、参道入口左側
に設置されている。また、昭和62年(1987)に寄贈された
「富士根本宮村山浅間神社」と刻まれた石柱が、参道入口右側に
設置されている。・児童公園六道坂入り口付エムゾネ近に、すべり
台等の遊具を備え、またプールを併設した児童公園が整備されて
いる。・駐車場境内地西端に、参詣者用の駐車場が整備されてい
る。-72-・村山水道完成記念碑社務所裏側に、村山水道の完
成を記念する碑が建てられている。昭和33年エムゾネに建立され
た。・説明板(富士山表口真面之図)麓の吉原から山頂へ至る登
山道と、途中のポイントとなる地名、集落を繋ぐ道等を示した地
図が、村山公会堂の北側に設置されている。B4須山浅間神社・
御胎内説明板須山口御胎内の由緒等についての説エムゾネ明版が、
富士山須山口登山道保存会により、鳥居脇に設置されている。・
洞窟内説明板「須山胎内」と書かれた金属板が、洞穴内部壁面に
設置されている。・梯子須山御胎内の北西側入口に、ジュラルミ
ン製の梯子が架けられている。・ベンチ・テーブルエムゾネ
283:底名無し沼さん
18/01/29 22:41:53.58 BdtTryWp0.net
胎内から登山道を80mほど進んだ場所に、木製のベンチ2脚と
テーブル1台が設置されている。・蝋燭台須山御胎内の南東側入
口に、木製の蝋燭台が設けられている。・標識須山御胎内から幕
岩までの登山道脇に、須山口登山道及び須山御胎内をエムゾネ示す
標識が設置されている。木製と金属製のものがある。御殿場口と
の合流点より上部については、茶色と緑色の地に白い文字
284:で統一 された登山道案内標識が設置されている。この標識は富士
285:底名無し沼さん
18/01/29 22:48:11.86 BdtTryWp0.net
ける標識類総合ガイドライン(仮称)に沿ったデザインエムゾネ案
で統一されている。B5須走浅間神社・神馬舎楼門の西側に神馬
舎が建てられている。・神輿庫恵比寿大黒社の東側には、例大祭
で使用される神輿の格納庫が建てられている。・あずまや祖霊社
の北側には、あずま屋が建てられている。・神橋(太鼓橋エムゾネ
)県道138号線から、川を渡って参道へと通じる橋が架けられ
ている。・説明板・案内板浅間神社の由緒、天然記念物の樹木の
概要等を記した説明板、参拝路を表示した案内板等が立てられて
いる。・駐車場社務所東側には、参拝者用の駐車場乗用車6エムゾ
ネ台分が設けられている。・トイレ神輿庫の東側には、参拝者用
のトイレが建てられている。・ベンチ-73-浅間の杜内には、
散策する際に休憩するためのベンチが、6基置かれている。・社
務所・記念資料館参道入口脇に、神社を管理し社務を取り扱うエム
ゾネ社務所と、冨士浅間神社や須走地区の歴史的な資料を保管す
る記念資料館が併設されている。・須走護国神社西南の役から太
平洋戦争に至る間の、須走の戦没者24名が祀られている。B6
河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅旧外川家住宅は
エムゾネ、主屋や離座敷などに旧外川家が有する民俗資料等を展示
し、定期的に入れ替えながら御師や御師住宅、富士講などに関す
る理解を深めるよう活用されている。B9山中湖B10河口湖B
11忍野八海B12船津胎内樹型船津胎内樹型の管理を行う施設
とエムゾネして河口湖フィールドセンターがある。溶岩樹型に関わ
る資料や自然、生物等の展示施設をもち自然共生室という研究機
関も兼ね備え、洞穴や周辺環境の価値の普及、洞内環境の保護、
入洞者の安全確保に寄与している。B13吉田胎内樹型吉田胎内
樹型エムゾネに関する解説板が山梨県・富士吉田市教育委員会によ
り設置されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)・説
明板、案内板洞穴の入口に、人穴の由緒や市指定文化財で
286:底名無し沼さん
18/01/29 22:53:23.63 BdtTryWp0.net
生している。③保存管理又は公開活用をエムゾネ目的とした建造物
構成資産の土地には、保存管理、公開活用のための各種展示施
設・管理棟・防災施設のほか、解説板・誘導案内板等が存在し
ている。ア富士山山体及び登山道A富士山-69-富士山にお
ける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインでエムゾネ統一され
た案内標識等の整備が進められている。A1山頂信仰遺跡富士
山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一さ
れた案内標識等の整備が進められている。A2大宮・村山口登
山道富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザエムゾネ
インで統一された案内標識等の整備が進められている。A3須
山口登山道なしA4須走口登山道富士山における標識類総合ガ
イドラインに沿ったデザインで統一された案内標識等の整備が
進められている。A5吉田口登山道富士山における標識類総合
ガイエムゾネドラインに沿ったデザインで統一された案内標識等の
整備が進められている。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A
8精進湖A9本栖湖・2006年3月22日より、自然環境や
適切な利用環境の保全を図るため、本栖湖水面は動力船の乗り
入れ禁止区域エムゾネに指定された。こうした規制内容を説明する
ための説明板や水上バイク等動力船乗り入れ禁止看板が湖畔の
川尻地区などに設置されている。・中之倉トンネル脇の山腹は
旧五千円札(現千円札)の裏面に使用されている富士山と本栖
湖のイラストのモデルエムゾネとなった岡田紅陽の写真の撮影地で
ある。国道300号線沿いの中之倉トンネル脇には四阿を有す
る展望地がある。自然公園法の第2種特別地域として、観光施
設等も景観に配慮されている。イ信仰B1富士山本宮浅間大社
・渋沢用水(横溝川)神立山のエムゾネ北側部を流れる渋沢用水(
横溝川)は、淀師地区渋沢の湧水地に源を発し、神立山の北半
部を蛇行しながら南東方向へ流れ、富士宮市中心部を灌
287:底名無し沼さん
18/01/29 22:53:49.57 BdtTryWp0.net
とを記した説明板、碑塔群や洞穴内の危険に対して注意を促す旨
の案内エムゾネ板が4本建てられている。B15白糸ノ滝なしウ眺
望C三保松原なし④道路とその他人工物構成資産の土地には、日
常生活を営む地域住民が使用する生活道路や、富士スバルライン
や富士山スカイラインなどの観光道路をはじめてとして、電柱、
看板、誘エムゾネ導標識などをはじめとする各種の建築物及び工作
物が存在している-74-ア富士山山体及び登山道A富士山・救
急搬送・荷物搬送区域救急用・緊急避難道としての役割を持つ道
路等の施設である。搬送には、ブルドーザーが使われる。歩道と
の交差部にエムゾネは、進入禁止柵・注意表示板が設置されている
。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道6合目以上では
、登山者の安全確保のため、登山道に沿って鉄杭、ロープ等が設
置されている。A3須山口登山道須山御胎内から幕岩までの登山
道脇に、須山エムゾネ口登山道及び須山御胎内を示す標識が設置さ
れている。木製と金属製のものがある。御殿場口との合流点より
上部については、茶色と緑色の地に白い文字で統一された登山道
案内標識が設置されている。この標識は富士山における標識類総
合ガイドラインエムゾネに沿ったデザインで統一されている。A4
須走口登山道登山者の安全確保のため、登山道に沿って鉄杭、ロ
ープ等が設置されている。須走口登山道は、茶色地に赤色の帯が
入り、白い文字で統一された登山道案内標識が設置されている。
この標識は富士山エムゾネにおける標識類総合ガイドラインに沿っ
たデザインで統一されている。
288:吉田口登山道が合流する八合目よ り上部は、さらに黄色の帯が加わる。A5吉田口登山道富士山に おける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案 内標識等の整備が進エムゾネめられている。A6北口本宮冨士浅間 神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖湖西側に位置する水力発電用 取水口は、(株)日本軽金属蒲原製造所の工場群に電力を
289:底名無し沼さん
18/01/29 22:58:33.93 BdtTryWp0.net
用水路である。開削時期は不明であるが水田開発を目的として
開削されたと考えられ、開発が進むにつエムゾネれ生活用水や防火
用水として使われるようになった。現在は水質悪化により生活
用水としては利用されなくなっている。・社務所-70-楼門
から続く東廻廊の東側に、神社を管理し神社の社務を取り扱う
社務所が建てられている。・祈祷殿楼門から続くエムゾネ西廻廊の
西側に、各種祈祷や御祓いを行うための祈祷殿が建てら
290:底名無し沼さん
18/01/29 22:59:02.12 BdtTryWp0.net
る自家用水力発電所の一つ、本栖発電所のものである。イ信仰B
1富士山本宮浅間大社エムゾネ指定地の南西部分には、自動発券機
(料金収受機)を設置した第1駐車場が整備されている。B2山
宮浅間神社乗用車3台程を駐車できる駐車場が、県道から入って
境内地を横切る道沿いに設けられている。-75-B3村山浅間
神社境内地西端に、参詣エムゾネ者用の駐車場が整備されている。
B4須山浅間神社裾野市と須山振興会によって、須山口からの登
山道の案内図が設置されている。B5須走浅間神社社務所東側に
は、参拝者用の駐車場乗用車6台分が設けられている。B6河口
浅間神社B7冨士御室浅間エムゾネ神社B8御師住宅国道139号
に面した敷地入口には、御師住宅(旧外川家住宅、小佐野家住宅
)の内容を示す解説板が設置されている。B9山中湖B10河口
湖B11忍野八海B12船津胎内樹型河口湖フィールドセンター
の開設に伴い整備されたトレエムゾネイル(遊歩道)が設けられて
いる。遊歩道には石造物の分布が確認でき、自然散策路としての
要素以外に歴史散策路的要素も兼ね備えている。B13吉田胎内
樹型・参詣道吉田口登山道の「中ノ茶屋」から、吉田胎内本穴に
向かうものである。古くから富エムゾネ士講の信者等に利用され、
「甲斐国誌」には「胎内道」として記述されている。B14人穴
富士講遺跡(人穴浅間神社)2本の道跡と思われる石列が参道跡
の上り口、石垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群などを
結ぶ機能を有していたと考えられエムゾネる。B15白糸ノ滝市道
・私道等の道路、階段、曽我橋、滝見橋等がある。また、それら
の付属施設がある。危険を伴う区域には、護岸や落石防護ネット
が整備され、また、立入禁止の札が立てられている。県道沿い及
び芝川本流左岸等には駐車場がありエムゾネ、管理小屋等の付帯施
設がある。また、県道沿いの駐車場には公衆トイレがある。ウ眺
望C三保松原-76-なし(3)周辺環境を構成する諸要
291:底名無し沼さん
18/01/29 23:04:47.52 BdtTryWp0.net
る。・浅間大社参集所現在の参集所は昭和53年(1978)
に建てられたもので、直会や各種会合に利用されている。・神
田川ふれあい広場施設昭和39年に富士宮市が浅間大社境エムゾネ
内地の一部を児童公園として整備され、さらに平成6年から7
年にかけて親水広場を備えた「神田川ふれあい広場」として再
整備された。現在は、同時期に改修された神田川護岸も含め、
中心市街地の親水空間として市民の憩いの場となっている。広
場内エムゾネには、トイレ、各種遊具、ベンチ、時計、水飲み場等
の施設・設備が設置されている。・御手洗橋神田川ふれあい広
場の南東側には、長さ7.3m、幅11.5mの御手洗橋が架
けられている。『大宮町誌』には、明治26年(1893)に
架けられたとエムゾネの記述がある。・弓道場第1駐車場西側に、
弓道場が整備されている。・消防団詰所鉄骨2階立ての富士宮
市消防団第1方面隊第3分団の詰所が、神立山南西の端に建て
られている。・案内板・説明板本殿や湧玉池などが、文化財に
指定されていることをエムゾネ案内・説明する高札が建てられてい
る。・古神札納所拝殿東側に、古い神札を納めるための屋根付
きの箱が置かれている。・大金剛杖古神札納所西側に、大金剛
杖が置かれている。開山祭に使用されていた。・藤棚水屋神社
の南側に、藤棚が設けられていエムゾネる。・駐車場指定地の南西
部分には、自動発券機(料金収受機)を設置した第1駐車場が
整備されている。B2山宮浅間神社・案内板・説明板籠屋の南
側に、案内板等が建てられている。山宮浅間神社の由緒を記し
たもの、山宮浅間神社の概要と、市指定エムゾネ文化財であること
を記したもの、山宮浅間神社の概要と、富士宮市「歩く博物館
」のコースであることを示すものの3本である。・手すり籠屋
から遥拝所へ向かう石段の脇に、手すりが設置されている。・
鉄柱籠屋から遥拝所へ向かう参道と石段の両脇にエムゾネ、
292:底名無し沼さん
18/01/29 23:05:17.43 BdtTryWp0.net
然的要素構成資産の周辺には、山並み、河川をはじめとする各種
自然地形が存在している。また、統一エムゾネ感のある山並み景観
を構成している天然林及び施業林からなる森林が存在している。
ア富士山山体及び登山道A富士山・宝永火口静岡県側からの富士
山の景観を特色付ける噴火口で山頂信仰遺跡の南東側にある。宝
永4年(1707)に発生したテフラのエムゾネ爆発的噴火により
、白い灰のデイサイト質軽石・黒曜石(烏石)・凝灰石な
293:底名無し沼さん
18/01/29 23:10:25.08 BdtTryWp0.net
利用する鉄柱が設置されている。・トイレ籠屋西側に、水洗ト
イレが設置されている。・水道籠屋南側に、コンクリート製の
水道施設が設置されている。-71-・水飲み場水道施設の南
側に、コンクリート製の水飲み場が設置されている。・ベエムゾネ
ンチ休憩用のベンチが設置されている。・鳥居駐車場横の参道
に、コンクリート製の鳥居が建てられている。・燈篭コンクリ
ート製の鳥居から籠屋へ至る参道の両側に氏子等が奉納した燈
篭が並んで設置されている。また、籠屋北側鉾立石の左右にも
1基エムゾネずつ設置されている。・駐車場乗用車3台程を駐車で
きる駐車場が、県道から入って境内地を横切る道沿いに設けら
れている。・石碑山宮浅間神社の由緒を記した石碑が、駐車場
の北側に設置されている。・石造物参道沿いには、道祖神、青
面金剛、観音エムゾネ等の石造物が置かれている。B3村山浅間神
社・社務所境内西側に、社務所が建てられている。・宝物殿社
殿の南西側に、宝物殿が建てられている。・村山公会堂社務所
の西側には、元村山地区の住民が、会合等で利用する公会堂が
建てられている。・トエムゾネイレ社務所北側に、トイレが設置さ
れている。・参道手すり氏神社へと登る参道脇には、アルミ製
の手すりが設置されている。・御神木柵県指定天然記念物のイ
チョウの周囲には、樹木保護のための柵が設置されている。・
御神木指定証県天然記念物に指エムゾネ定されているイチョウと大
スギが、御神木に指定された旨を示す札が、イチョウ周囲の柵
と大スギの幹に掲げられている。・石柱村山浅間神社が、大正
14年(1925)に縣社に昇格したことを示す石柱が、参道
294: 入口左側に設置されている。また、昭和エムゾネ62年(1987 )に寄贈された「富士根本宮村山浅間神社」と刻まれた石柱が 、参道入口右側に設置されている。・児童公園六道坂入り口付 近に、すべり台等の遊具を備え、またプールを併設した
295:底名無し沼さん
18/01/29 23:10:51.06 BdtTryWp0.net
三紀の基盤岩類、斑レイ岩、黒い玄武岩質スコリアなどを降らせ
た。記録によれば約100㎞離れた江戸にまで火山灰が到達した
が、溶岩の流下はなかった。活火山でありエムゾネ、今後も噴火活
動の可能性がある。・富士山特定地理等保護林8合目から標高約
2,400m付近にかけて展開する約927haの保護林である
。富士山の国有林においては第3次国有林野施業実施計画、自然
環境の維持、動植物の保護が図られ、あわせエムゾネて遺伝資源の
保存を図ることを目的として設定されている。富士山独特の地形
・地質を持つ区域の植生として貴重な区域である。・富士箱根伊
豆国立公園富士山管理計画区自然公園法の特別保護地区あたる概
ね5合目以上の火山高原を主体とした山頂部まエムゾネでの区域で
ある。富士山の火山景観の核心部を呈する区域であり、富士山の
秀麗な山容、植物の遷移過程等が保全の対象となっている。A1
山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・鳥類相富士山域で観
察された鳥類は約160種である。固有種は存在エムゾネしない。
・陸生哺乳類富士山の山域には、6目14科35種程の陸生哺乳
類が生息する。その中には、特別天然記念物に指定されているニ
ホンカモシカや天然記念物に指定されているヤマネが含まれる。
また、ツキノワグマも生息するが、落葉広葉樹林がエムゾネ少なく
、生息できる環境が限られ、生息数は少ない。A3須山口登山道
・幕岩登山道の東側50m、標高1,650m付近にあり、新富
士火山の中期溶岩の切り立った岩壁で、比高は15mを超える。
岩肌には樹木が生い茂り、崖の下には直径1~2cmエムゾネのス
コリアが一面に堆積している。その存在は宝永噴火前の古絵図に
も記録されている。古絵図には「まこ岩」「孫岩」の名で記述さ
れることもある。役行者が7世紀後半に伊豆に流された折、この
地で修行したという言い伝えが残っている-77-(日エムゾネ本
霊異記)。登山道から幕岩の直下に降りる道がある。・側
296:底名無し沼さん
18/01/29 23:16:44.92 BdtTryWp0.net
園が整備されている。・駐車場境内地西端に、参エムゾネ詣者用の
駐車場が整備されている。-72-・村山水道完成記念碑社務
所裏側に、村山水道の完成を記念する碑が建てられている。昭
和33年に建立された。・説明板(富士山表口真面之図)麓の
吉原から山頂へ至る登山道と、途中のポイントとなる地名エムゾネ
、集落を繋ぐ道等を示した地図が、村山公会堂の北側に設置さ
れている。B4須山浅間神社・御胎内説明板須山口御胎内の由
緒等についての説明版が、富士山須山口登山道保存会により、
鳥居脇に設置されている。・洞窟内説明板「須山胎内」と書か
れたエムゾネ金属板が、洞穴内部壁面に設置されている。・梯子須
山御胎内の北西側入口に、ジュラルミン製の梯子が架けられて
いる。・ベンチ・テーブル須山御胎内から登山道を80mほど
進んだ場所に、木製のベンチ2脚とテーブル1台が設置されて
いる。・蝋燭エムゾネ台須山御胎内の南東側入口に、木製の蝋燭台
が設けられている。・標識須山御胎内から幕岩までの登山道脇
に、須山口登山道及び須山御胎内を示す標識が設置されている
。木製と金属製のものがある。御殿場口との合流点より上部に
ついては、茶色と緑色エムゾネの地に白い文字で統一された登山道
案内標識が設置されている。この標識は富士山における標識類
総合ガイドライン(仮称)に沿ったデザイン案で統一されてい
る。B5須走浅間神社・神馬舎楼門の西側に神馬舎が建てられ
ている。・神輿庫恵比寿大黒社エムゾネの東側には、例大祭で使用
される神輿の格納庫が建てられている。・あずまや祖霊社の北
側には、あずま屋が建てられている。・神橋(太鼓橋)県道1
38号線から、川を渡って参道へと通じる橋が架けられている
。・説明板・案内板浅間神社の由緒、天エムゾネ然記念物の樹木の
概要等を記した説明板、参拝路を表示した案内板等が立てられ
ている。・駐車場社務所東側には、参拝者用の駐車場乗
297:底名無し沼さん
18/01/29 23:17:11.77 BdtTryWp0.net
山道沿いには宝永山(標高2,698m)、二ツ塚(標高1,9
26m、1,804m)、アザミ塚(1,626m)などの側火
山が見られる。宝永4年(1707)の宝永の噴火によりエムゾネ
須山口旧登山道は崩壊し、その後、宝永山を東に迂回する形で復
興した。・鳥類相富士山域で観察された鳥類は約160種である
。固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山域には、6目1
4科35種程の陸生哺乳類が生息する。その中には、特別天エムゾ
ネ然記念物に指定されているニホンカモシカや天然記念物に指定
されているヤマネが含まれる。また、ツキノワグマも生息するが
、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が限られ、生息数は少
ない。A4須走口登山道・御胎内(溶岩洞穴)須走口登山道6エム
ゾネ合目の北側(標高2,630m付近)にある溶岩洞穴。開口
部は腰をかがめなければ進めないほど狭いが、内部は数名が立つ
ことのできる空間が広がっている。・小富士標高1,959mの
側火山で、須走口登山道5合目から
298:ほぼ北に600mほど離れた エムゾネ場所にある。延暦19年(800)とそれに続く噴火によ り形成されたとされている。須走口5合目から高低差の少ない小 富士遊歩道が整備され、気軽に訪れることができる。周辺は針葉 樹林(シラビソ・コメツガ・トウヒ)に覆われているが、頂上部 分エムゾネはスコリアに覆われて樹木がなく、山中湖・箱根など東 の眺望が楽しめる。小山町観光協会によるコンクリート製の標識 と、大正13年(1924)に扶桑教によって建立された祠があ る。祠内部に仏像が三体あったというが、現在は残っていない。 ・鳥エムゾネ類相富士山域で観察された鳥類は約160種である。 固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山域には、6目14 科35種程の陸生哺乳類が生息する。その中には、特別天然記念 物に指定されているニホンカモシカや天然記念物に指定されてい るヤマエムゾネネが含まれる。また、ツキノワグマも生息す
299:底名無し沼さん
18/01/29 23:22:41.09 BdtTryWp0.net
台分が設けられている。・トイレ神輿庫の東側には、参拝者用
のトイレが建てられている。・ベンチ-73-浅エムゾネ間の杜内
には、散策する際に休憩するためのベンチが、6基置かれてい
る。・社務所・記念資料館参道入口脇に、神社を管理し社務を
取り扱う社務所と、冨士浅間神社や須走地区の歴史的な資料を
保管する記念資料館が併設されている。・須走護国神社西エムゾネ
南の役から太平洋戦争に至る間の、須走の戦没者24名
300:底名無し沼さん
18/01/29 23:23:10.31 BdtTryWp0.net
落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が限られ、生息数は少な
い。A5吉田口登山道A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精
進湖A9本栖湖北側・西側・南側の山は御坂層基盤により構成さ
れているエムゾネ。北側から西側にかけては、標高1100m~1
300m前後の山が連なっている。また南側には標高1485m
の竜ヶ岳が位置している。イ信仰B1富士山本宮浅間大社・神田
川-78-湧玉池の湧水を水源とする神田川が、約1,000m
を流れ潤井エムゾネ川に注いでいる。かつては禊所より下流(下池
)の部分も含めて御手洗川と呼ばれていた。現在、護岸の一部は
、神田川ふれあい広場から下りる親水護岸として整備されている
。B2山宮浅間神社なしB3村山浅間神社なしB4須山浅間神社
なしB5須走エムゾネ浅間神社なしB6河口浅間神社B7冨士御室
浅間神社B8御師住宅なしB9山中湖B10河口湖B11忍野八
海B12船津胎内樹型・溶岩洞穴等の主体となる地形・溶岩洞穴
等を構成する地質(剣丸尾溶岩流と火砕物により構成)B13吉
田胎内樹型・溶エムゾネ岩洞穴等の主体となる地形・溶岩洞穴等を
構成する地質(剣丸尾溶岩流と火砕物により構成)B14人穴富
士講遺跡(人穴浅間神社)なしB15白糸ノ滝なしウ眺望C三保
松原なし②歴史的要素構成資産の周辺地域の地下には、関連の遺
構、遺物が良好にエムゾネ残されている区域があり、それらは文化
財保護法に基づき埋蔵文化財包蔵地として周知されている。また
、かつて登山者に利用された御師の家並みなど、文献史料に記載
された多数の伝承地や名所等が存在している。ア富士山山体及び
登山道-79-A富エムゾネ士山なしA1山頂信仰遺跡なしA2大
宮・村山口登山道・馬頭観音1村山浅間神社脇の舗装された道を
登って南西から北東に進んでいくと、舗装道が大きく北西方向に
それていく。村山口登山道跡はここを北西に行かずに、直進し北
東方向へ進む。その交エムゾネ差点に馬頭観音の碑が建って
301:底名無し沼さん
18/01/29 23:28:06.55 BdtTryWp0.net
れている。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住
宅旧外川家住宅は、主屋や離座敷などに旧外川家が有する民俗
資料等を展示し、定期的に入れ替えながら御師や御師住宅、富
士講エムゾネなどに関する理解を深めるよう活用されている。B9
山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型船津胎
内樹型の管理を行う施設として河口湖フィールドセンターがあ
る。溶岩樹型に関わる資料や自然、生物等の展示施設をもち自
然共生室といエムゾネう研究機関も兼ね備え、洞穴や周辺環境の価
値の普及、洞内環境の保護、入洞者の安全確保に寄与している
。B13吉田胎内樹型吉田胎内樹型に関する解説板が山梨県・
富士吉田市教育委員会により設置されている。B14人穴富士
講遺跡(人穴浅間神社エムゾネ)・説明板、案内板洞穴の入口に、
人穴の由緒や市指定文化財であることを記した説明板、碑塔群
や洞穴内の危険に対して注意を促す旨の案内板が4本建てられ
ている。B15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なし④道路とそ
の他人工物構成資産の土地にはエムゾネ、日常生活を営む地域住民
が使用する生活道路や、富士スバルラインや富士山スカイライ
ンなどの観光道路をはじめてとして、電柱、看板、誘導標識な
どをはじめとする各種の建築物及び工作物が存在している-7
4-ア富士山山体及び登山道A富士山・エムゾネ救急搬送・荷物搬
送区域救急用・緊急避難道としての役割を持つ道路等の施設で
ある。搬送には、ブルドーザーが使われる。歩道との交差部に
は、進入禁止柵・注意表示板が設置されている。A1山頂信仰
遺跡なしA2大宮・村山口登山道6合目以上ではエムゾネ、登山者
の安全確保のため、登山道に沿って鉄杭、ロープ等が設置され
ている。A3須山口登山道須山御胎内から幕岩までの登山道脇
に、須山口登山道及び須山御胎内を示す標識が設置されている
。木製と金属製のものがある。御殿場口との合流点より上エム
302:底名無し沼さん
18/01/29 23:28:33.60 BdtTryWp0.net
標高約590m)。昭和8年(1933)に上原伸郎によって建
てられたものである。・馬頭観音2静岡県立富士山麓山の村を抜
けた場所にある。ここはやや道幅が広い、比較的直伸している経
路と、屈曲した経路の2エムゾネつが存在する。前者については明
治以降に木材の切り出し・運搬に使われた木馬道であると推測さ
れる。ここで以前に馬が死んだので、供養のために馬頭観音を建
てたと伝えられている。・2号建物跡平成5年の富士宮市
303:底名無し沼さん
18/01/29 23:33:47.46 BdtTryWp0.net
部については、茶色と緑色の地に白い文字で統一された登山道
案内標識が設置されている。この標識は富士山における標識類
総合ガイドラインに沿ったデザインで統一されている。A4須
走口登山道登山者の安全確保のため、登山道に沿って鉄杭、ロ
ープエムゾネ等が設置されている。須走口登山道は、茶色地に赤色
の帯が入り、白い文字で統一された登山道案内標識が設置され
ている。この標識は富士山における標識類総合ガイドラインに
沿ったデザインで統一されている。吉田口登山道が合流する八
合目より上部エムゾネは、さらに黄色の帯が加わる。A5吉田口登
山道富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザイン
で統一された案内標識等の整備が進められている。A6北口本
宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖湖西側に位置す
る水力発電用取水口はエムゾネ、(株)日本軽金属蒲原製造所の工
場群に電力を供給する自家用水力発電所の一つ、本栖発電所の
ものである。イ信仰B1富士山本宮浅間大社指定地の南西部分
には、自動発券機(料金収受機)を設置した第1駐車場が整備
されている。B2山宮浅間神社エムゾネ乗用車3台程を駐車できる
駐車場が、県道から入って境内地を横切る道沿いに設けられて
いる。-75-B3村山浅間神社境内地西端に、参詣者用の駐
車場が整備されている。B4須山浅間神社裾野市と須山振興会
によって、須山口からの登山道の案内図エムゾネが設置されている
。B5須走浅間神社社務所東側には、参拝者用の駐車場乗用車
6台分が設けられている。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間
神社B8御師住宅国道139号に面した敷地入口には、御師住
宅(旧外川家住宅、小佐野家住宅)の内容を示すエムゾネ解説板が
設置されている。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B1
2船津胎内樹型河口湖フィールドセンターの開設に伴い整備さ
れたトレイル(遊歩道)が設けられている。遊歩道には
304:底名無し沼さん
18/01/29 23:34:17.49 BdtTryWp0.net
では、中宮八幡堂跡手前でエムゾネ日沢を渡り、50mほど登った
ところに2号建物跡があるとされる。『富士山村山口登山道遺跡
調査報告書』では、「道の南側に12m×8mの平坦面があり、
道の北側にも平らな場所がある」と報告している。平成20年の
調査では平場らしき地形を確エムゾネ認したが、平成5年当時の景
観と著しく異なっており、両者が同一のものか判断できない。写
真建物跡の写真図建物跡の図面・3号建物跡登山道跡と県道富士
宮富士公園線が交差する地点から約60m南に下りた位置にある
。周囲はなだらかな傾斜の天然エムゾネ林で、地面は落葉に覆われ
ている。むき出しになった岩石には一面に苔がむしている。東西
4m弱・南北6m弱の方形の石列があり、その北東側に小さなく
ぼみを確認した。『富士山村山口登山道遺跡調査報告書』は、こ
のくぼみを便所跡としている。写エムゾネ真建物跡の写真図建物跡
の図面・4号建物跡富士山スカイラインと村山登山道が交差する
地点から北北東の方角に約600mの位置にある。登山道の西側
には日沢が南北に走っており、北側と東側には斜面が迫る。周辺
は天然林で、下草にスズタケが生いエムゾネ茂っている。平場は東
西約8m、南北は約6mで、南側の縁には一部石組が確認された
。南側中央部には石段が確認された。『富士山村山口登山道遺跡
調査報告書』はここを「矢立・新小屋」にあたるとしているが、
後世まで木の切り出しなどの休憩小屋エムゾネとして使われていた
可能性をも指摘している。・6号建物跡5号建物跡から北北東に
約450mの位置(標高約1,985m)にある。周囲は西向き
に傾斜するやや急な斜面である。登山道の西側は、日沢に向けて
急激に落ち込んでいる。登山道の東側にエムゾネは、東西約12m
、南北約10mの平場がある。平場の南縁には石組が見られ、登
山道を挟んで東西12mにわたって延びている。平場の北側の斜
面にも石組が確認できる。・岩屋不動岩屋不動は、役行者
305:底名無し沼さん
18/01/29 23:40:33.85 BdtTryWp0.net
伝法で村山三坊が毎年年番で行っていた札エムゾネ打ちや勤行等を
行う富士峯修行の修行所の1つであった。江戸時代の絵図には、
高所にある洞穴と、その脇を流れる滝の情景で描かれ-80-る
ことが多い。洞穴内には不動明王が安置されていたという。慶長
7年(1602)に書かれた「富士山持場之エムゾネ事」に記述が
あるが、宝永4年(1707)の宝永噴火で堂室が消失したと言
われている。また、文化13年(1816)~天保5年(183
4)に執筆された『修訂駿河国新風土記』には、岩屋不動に、家
のような板葺きの建物があり、登山者の休憩所エムゾネであったこ
とが記されているが、嘉永7年(1854)の「富士山室小屋建
立古帳面写」では「堂室無之」と記載され、この時点では再び堂
室が消失していると推測される。その後、岩屋不動の所在は不明
となっていたが、平成19年に候補地たりうる洞エムゾネ穴の存在
を確認した。不動沢を標高約1,820mの地点まで登りつめ、
地上から7mほどの高さの場所にある。洞穴の内部は、高さ2m
、幅6.4m(最奥)、奥行9mを測る。洞穴内は人が立つこと
のできる程度の高さがあり、内壁は全体的に赤みがエムゾネかって
いる。中央部向かって右側から入口付近に向けて崩落した大岩が
多く転がり、入口は半ば塞がれたような状態である。最奥の向か
って左側については人工的に開削された可能性が残る。写真岩屋
不動の写真図岩屋不動の図面A3須山口登山道なしAエムゾネ4須
走口登山道・御室浅間神社跡ふじあざみライン沿いの標高1,8
30m付近にある。冨士浅間神社の末社で、かつては中宮小室社
と呼ばれた。女人禁制の時代には、須走口登山道で女性が登山で
きるのはこの場所までであった。祭神は瓊々杵命と木花エムゾネ開
耶姫命である。昭和54年に古御岳神社に合祀された。国土地理
院の地形図に記載があるものの、社殿は昭和50年代に倒壊し、
廃屋となっている。鳥居、灯籠等、神社に関連する工作物
306:底名無し沼さん
18/01/29 23:52:54.98 BdtTryWp0.net
宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖・中道往還と関連
遺跡中道エムゾネ往還は甲斐と駿河との交通路のうち、若彦路と河
内路の中間に発達したので「中道」と呼ばた。甲府市から国道3
58号線を経て精進湖赤池交差点より国道139号に入り、静岡
県の富士宮市・富士市に至る道である。こうした交通の要地であ
ることからエムゾネ本栖湖周辺には中道往還に関連する遺跡が複数
確認できる。イ信仰B1富士山本宮浅間大社・浅間大社遺
307:底名無し沼さん
18/01/29 23:59:03.07 BdtTryWp0.net
蔵文化財包蔵地)浅間大社周辺の南北500m・東西200mの
範囲は、縄文時代から近世にかけての複合遺跡として埋蔵文化財
包蔵地となっエムゾネており、遺構や遺物等が発見されている。写
真出土遺物の写真・大宮城跡浅間神社大宮司の居館としての大宮
城が、現在の県道富士宮富士公園線の東側に位置していた。・神
田宮第2駐車場から100mほど南にある水田を備えた神社であ
る。五穀豊穣をエムゾネ祈願して米を作り奉納する「御田植祭」が
毎年7月7日に行われる。・大鳥居昭和30年(1955)に寄
進された大鳥居が、第2駐車場に設置されている。・大灯籠昭和
35年(1960)に奉納された大灯籠2基が、第2駐車場南側
入口に設置されてエムゾネいる。B2山宮浅間神社なしB3村山浅
間神社なしB4須山浅間神社なしB5須走浅間神社・須走護国神
社-82-西南の役から太平洋戦争に至る期間の、須走地区の戦
没者24名が祀られている。・鎌倉往還指定地南側には、相模か
ら駿河、甲斐への連エムゾネ絡路であった鎌倉往還が通っていた。
中世の幕府所在地鎌倉から放射状に存在した複数のルートの一つ
で、当時の御家人らが鎌倉と自領との往還に利用した道である。
また、生活必需品を運ぶ商人や各国々に旅する人も多く、須走地
区が、古くから富士北エムゾネ麓地域と静岡県駿東部を結ぶ交通の
要衝として利用されていたことがわかる。写真鎌倉往還の写真B
6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅なしB9山中
湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型・社寺等溶岩
洞穴等については、洞穴エムゾネ本体あるいは富士山の関連として
信仰の対象と位置づけられたものが多く見られ、周辺には社寺等
の宗教的施設がみられ、船津胎内樹型に伴う無戸室浅間神社など
の設置形態は、洞穴と一体になって信仰が行われている事例であ
る。・信仰的意味を付されエムゾネた地形・空間B13吉田胎内樹
型・参詣道吉田口登山道の「中ノ茶屋」から、吉田胎内本
308:底名無し沼さん
18/01/30 00:04:31.32 DLdGqTeU0.net
浅間神社B8御師住宅なしB9山中湖B10河口湖B11忍野
八海エムゾネB12船津胎内樹型・溶岩洞穴等の主体となる地形・
溶岩洞穴等を構成する地質(剣丸尾溶岩流と火砕物により構成
)B13吉田胎内樹型・溶岩洞穴等の主体となる地形・溶岩洞
穴等を構成する地質(剣丸尾溶岩流と火砕物により構成)B1
4人穴富士講エムゾネ遺跡(人穴浅間神社)なしB15白糸ノ滝な
しウ眺望C三保松原なし②歴史的要素構成資産の周辺地域の地
下には、関連の遺構、遺物が良好に残されている区域があり、
それらは文化財保護法に基づき埋蔵文化財包蔵地として周知さ
れている。また、かつエムゾネて登山者に利用された御師の家並み
など、文献史料に記載された多数の伝承地や名所等が存在して
いる。ア富士山山体及び登山道-79-A富士山なしA1山頂
信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・馬頭観音1村山浅間神
社脇の舗装された道を登って南エムゾネ西から北東に進んでいくと
、舗装道が大きく北西方向にそれていく。村山口登山道跡はこ
こを北西に行かずに、直進し北東方向へ進む。その交差点に馬
頭観音の碑が建っている(標高約590m)。昭和8年(19
33)に上原伸郎によって建てられたもエムゾネのである。・馬頭
観音2静岡県立富士山麓山の村を抜けた場所にある。ここはや
や道幅が広い、比較的直伸している経路と、屈曲した経路の2
つが存在する。前者については明治以降に木材の切り出し・運
搬に使われた木馬道であると推測される。ここでエムゾネ以前に馬
が死んだので、供養のために馬頭観音を建てたと伝えられてい
る。・2号建物跡平成5年の富士宮市の調査では、中宮八幡堂
跡手前で日沢を渡り、50mほど登ったところに2号建物跡が
あるとされる。『富士山村山口登山道遺跡調査報告書』でエムゾネ
は、「道の南側に12m×8mの平坦面があり、道の北側にも
平らな場所がある」と報告している。平成20年の調査
309:底名無し沼さん
18/01/30 00:05:00.33 DLdGqTeU0.net
かうものである。古くから富士講の信者等に利用され、「甲斐国
誌」には「胎内道」として記述されている。B14人穴富士講遺
跡(人穴浅間神社)・中道往エムゾネ還かつて甲斐と駿河を結んだ
街道のひとつである。富士講信者は、富士参詣に合わせて人穴参
拝をする習慣があり、富士山北口の吉田と人穴を結ぶ巡礼道とし
て中道往還を通っていた。写真中道往還の写真・赤池家跡境内地
から南へ下ったところに、人穴エムゾネで修行する行者の食事や宿
泊の世話、洞穴や周辺の碑塔の建立や管理等を代々行ってきた赤
池家の跡地がある。・石鳥居県道脇の参道への入口に石鳥居が建
てられている。額束には「富士人穴」と刻まれている。・参道参
道は、県道清水富士宮線から石鳥エムゾネ居をくぐって進み、浄土
門と刻まれた石碑を右折して、境内地内の参道へ続いている。石
碑から階段までの参道はかつての中道往還と重複する。-83-
B15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なし③人文的要素富士山山
体においては、登山道沿いに登下山エムゾネ者の緊急避難や遭難者
の救助、応急処置の機能を兼ね備えた山小屋が立地している。富
士山麓における構成資産の周辺については、山林、農耕地のほか
市街地となっており、日常生活に関連する各種施設等をはじめと
して、道路、橋、線路、電柱、看板等エムゾネの各種人工物が存在
している。また、構成資産の公開活用を目的した資料館等の施設
が存在している。ア富士山山体及び登山道A富士山なしA1山頂
信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・岩屋不動山小屋とその関
連施設標高の低い地点から順に、表富士エムゾネ宮5合目、雲海荘
(6合目)、宝永山荘(6合目)、御来光山荘(新7合目)、山
口山荘(元祖7合目)、池田館(8合目)、万年雪山荘(9合目
)、胸突山荘(9合5勺)がある。山小屋周辺にはバイオトイレ
、自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置エムゾネされている。・
緊急・救急施設富士山は、高山であり気候も急変すること
310:底名無し沼さん
18/01/30 00:10:58.99 DLdGqTeU0.net
場らしき地形を確認したが、平成5年当時の景観と著しく異な
っており、両者が同一のものか判断できない。写真建物跡の写
真図エムゾネ建物跡の図面・3号建物跡登山道跡と県道富士宮富士
公園線が交差する地点から約60m南に下りた位置にある。周
囲はなだらかな傾斜の天然林で、地面は落葉に覆われている。
むき出しになった岩石には一面に苔がむしている。東西4m弱
・南北6m弱エムゾネの方形の石列があり、その北東側に小
311:底名無し沼さん
18/01/30 00:11:26.97 DLdGqTeU0.net
登山客の安全確保を目的として、富士山登山指導センター(山頂
、富士宮口登山道新5合目)と富士山衛生センター(富士宮口登
山道8合目)が設けられている。写真救急施エムゾネ設の写真・救
急搬送・荷物搬送区域登山道にほぼ並行して、救急用・緊急用避
難道としての役割を持つ道路等の施設が設けられている。搬送に
はブルドーザーが使われる。歩道との交差部には、進入禁止柵・
注意看板等が設置されている。・県道180号エムゾネ線富士宮富
士公園線浅間大社前交差点を起点とする「県道180号富士宮富
士公園線」が、村山口登山道跡と2箇所で交差している。交差す
る地点は、西臼塚駐車場から山頂方面へ約1.5㎞進んだ地点と
、高鉢山駐車場から約700m下った地点であるエムゾネが、道路
沿いには特別な表示等はない。また、この道路は富士山スカイラ
イン、富士宮口登山道を経て6合目から旧村山口登山道と合流し
、富士山山頂まで続いている。・宝永遊歩道富士宮口新5合目駐
車場の東端から宝永第二火口の西縁までほぼ等高線エムゾネに沿っ
て東西に通じる遊歩道で、旧村山口登山道と11号建物付近で交
差する。写真遊歩道の写真-84-・駐車場・附属施設450台
収容の駐車場が5合目に設置されている。付属施設として、レス
トハウス、宿舎、トイレ、バス乗車券販売所、登山シエムゾネーズ
ンの夏季のみ在番の交番がある。工作物としての広告物、広告旗
、バス停留所などがある。・林道富士山麓には多くの林道があり
、そのうち、大渕林道・吉原林道が、旧村山口登山道と交差する
。A3須山口登山道・山小屋登山道沿いに、山小屋が建エムゾネて
られている。標高の高い地点から順に、赤岩八合館(7合9勺)
、砂走館(7合5勺)、わらじ館(7合4勺)、日ノ出館(7合
目)、(※休館:見晴館(8合目)6合目小屋)がある。山小屋
周辺にはトイレ、自動販売機、ベンチ、椅子等が設置されエムゾネ
ている。・避難小屋登山道沿いの2箇所(7合8勺、2合
312:底名無し沼さん
18/01/30 00:16:51.06 DLdGqTeU0.net
ぼみを確認した。『富士山村山口登山道遺跡調査報告書』は、
このくぼみを便所跡としている。写真建物跡の写真図建物跡の
図面・4号建物跡富士山スカイラインと村山登山道が交差する
地点から北北東の方角エムゾネに約600mの位置にある。登山道
の西側には日沢が南北に走っており、北側と東側には斜面が迫
る。周辺は天然林で、下草にスズタケが生い茂っている。平場
は東西約8m、南北は約6mで、南側の縁には一部石組が確認
された。南側中央部には石段がエムゾネ確認された。『富士山村山
口登山道遺跡調査報告書』はここを「矢立・新小屋」にあたる
としているが、後世まで木の切り出しなどの休憩小屋として使
われていた可能性をも指摘している。・6号建物跡5号建物跡
から北北東に約450mの位置(標高約エムゾネ1,985m)に
ある。周囲は西向きに傾斜するやや急な斜面である。登山道の
西側は、日沢に向けて急激に落ち込んでいる。登山道の東側に
は、東西約12m、南北約10mの平場がある。平場の南縁に
は石組が見られ、登山道を挟んで東西12mにわエムゾネたって延
びている。平場の北側の斜面にも石組が確認できる。・岩屋不
動岩屋不動は、役行者からの伝法で村山三坊が毎年年番で行っ
ていた札打ちや勤行等を行う富士峯修行の修行所の1つであっ
た。江戸時代の絵図には、高所にある洞穴と、その脇を流エムゾネ
れる滝の情景で描かれ-80-ることが多い。洞穴内には不動
明王が安置されていたという。慶長7年(1602)に書かれ
た「富士山持場之事」に記述があるが、宝永4年(1707)
の宝永噴火で堂室が消失したと言われている。また、文化13
年(エムゾネ1816)~天保5年(1834)に執筆された『修
訂駿河国新風土記』には、岩屋不動に、家のような板葺きの建
物があり、登山者の休憩所であったことが記されているが、嘉
永7年(1854)の「富士山室小屋建立古帳面写」で
313:底名無し沼さん
18/01/30 00:17:19.11 DLdGqTeU0.net
に、気象庁の避難小屋が建てられている。富士山頂測候所に勤務
する職員用の施設であったが、測候所廃止に伴い現在は使用され
ていない。・救急搬送・荷物搬送区域登山道の南西側に、救エムゾ
ネ急用・緊急用避難道としての役割を持つ道路等の施設が設けら
れている。搬送にはブルドーザーが使われる。歩道との交差部に
は、進入禁止柵・注意看板等が設置されている。・下山道(大砂
走)登山道の南西側に、下山道(大砂走り)がある。標高約
314:底名無し沼さん
18/01/30 00:22:49.23 DLdGqTeU0.net
室無之」と記エムゾネ載され、この時点では再び堂室が消失してい
ると推測される。その後、岩屋不動の所在は不明となっていた
が、平成19年に候補地たりうる洞穴の存在を確認した。不動
沢を標高約1,820mの地点まで登りつめ、地上から7mほ
どの高さの場所にあるエムゾネ。洞穴の内部は、高さ2m、幅6.
4m(最奥)、奥行9mを測る。洞穴内は人が立つことのでき
る程度の高さがあり、内壁は全体的に赤みがかっている。中央
部向かって右側から入口付近に向けて崩落した大岩が多く転が
り、入口は半ば塞がれたようなエムゾネ状態である。最奥の向かっ
て左側については人工的に開削された可能性が残る。写真岩屋
不動の写真図岩屋不動の図面A3須山口登山道なしA4須走口
登山道・御室浅間神社跡ふじあざみライン沿いの標高1,83
0m付近にある。冨士浅間神社の末社でエムゾネ、かつては中宮小
室社と呼ばれた。女人禁制の時代には、須走口登山道で女性が
登山できるのはこの場所までであった。祭神は瓊々杵命と木花
開耶姫命である。昭和54年に古御岳神社に合祀された。国土
地理院の地形図に記載があるものの、社殿は昭和エムゾネ50年代
に倒壊し、廃屋となっている。鳥居、灯籠等、神社に関連する
工作物はなく、かつては石仏が多くあったが、現在は1体も残
っていない。写真神社跡の写真・大日堂(野中神社)冨士浅間
神社の末社で、富士あざみラインから南側の脇道を入ったエムゾネ
自衛隊東富士演習場内の標高1050m付近にある。演習場内
のため、許可なく立ち入ることはできない。明治7年に野中神
社と改名されたが、それ以前は大日堂と呼ばれ、水源地に祀ら
れていることから雨乞いの神として地元の信仰を集めた。元禄
3年エムゾネ(1690)の冨士浅間神社の古文書に記述が見られ
、成立年代は江戸時代前期まで遡る。宝永4年(1707)の
噴火によって被害を受けたが、宝暦14年(1764)
315:底名無し沼さん
18/01/30 00:23:16.19 DLdGqTeU0.net
ゾネ,000mの日の出館(7合目)付近で登山道と分岐する。
宝永山脇のスコリアで覆われた斜面を一気に下り、御殿場口新5
合目(標高1,450m付近)に至る。写真下山道の写真・御殿
場口登山道明治5年(1872)に女性の富士登山が許可された
エムゾネ後、手軽に登れる登山道をめざし、御殿場在住の伴野佐吉
らが中心となって明治16年(1883)に完成した。同地の浅
間神社から滝ヶ原、馬返、太郎坊を経て、須山口登山道2合8勺
に接続する経路であった。明治22年、東海道線(現JR御殿場
線エムゾネ)が開通し御殿場駅が設置されたことにより、登山道が
富士山東表口新道本社浅間神社を通る現在の経路に変更された。
御殿場口登山道は須山口よりも距離が短い上に道も良く、関東方
面からの登山客の多くが同登山道を利用し、須山口登山道衰退の
契機エムゾネとなった。現在は、須山口登山道と接続する2合8勺
から頂上までの部分も、御殿場口登山道と呼ばれている。写真御
殿場口登山道の写真・須山口登山歩道須山浅間神社を起点とし、
弁当場、水ヶ塚水源地、水ヶ塚駐車場、御殿庭を通り、宝永火口
の西側エムゾネ火口壁を抜けて富士宮口登山道六合目に通じる登山
道である。平成9年に富士山須山口登山歩道保存会が中心となっ
て復興した。道筋の一部は裾野市と御殿場市の市境に沿っている
。宝永噴火後から明治時代までの須山口登山道とはルートが異な
るため、エムゾネ区別する意味で須山口登山歩道と呼ばれる。・須
山口下山歩道須山口2合8勺から二ツ塚の西側を下り、四辻分岐
、幕岩上部、須山御胎内上部を通り、水ヶ塚駐車場に至る道で、
平成11年に富士山須山口登山歩道保存会が中心となって復興し
た。道筋のエムゾネ一部(幕岩上部~須山御胎内上部)は宝永噴火
後~明治時代の須山口登山道と一致する。-85-写真須山口登
山歩道の写真A4須走口登山道・山小屋とその関連施設登山道沿
いに、山小屋が建てられている。上から順に、御来光館(
316:底名無し沼さん
18/01/30 00:29:03.59 DLdGqTeU0.net
された。祭神は大日要命(大日如来)で、建物は本殿・拝殿合
わせて間口二エムゾネ間、奥行き二間三尺、それに四間と二間の籠
舎が付いていたとされる。古絵図(小山町史)では、須走口登
山道から脇道にそれた場所に描かれている。江戸時代には、大
日堂に立ち寄ってから山頂を目指したとされる。建物は現存し
ないが、二重の石組みエムゾネに囲まれた建物跡に一対の灯篭(江
戸時代)と不動明王像が置かれ、敷地脇には地蔵菩薩像と石碑
がある。昭和58年(1979)に石の祠が建てられ、毎年9
月に祭礼が行われている。写真神社跡の写真・下山道(砂走り
)登山道の南側に、下山道(砂エムゾネ走り)がある。須走口では
江戸時代から登山道と下山道が別々に存在していた。下山道は
標高約2,900mの7合目付近で登山道と分岐し、登山道南
側の砂礫地を直線的に降りる。御殿場口(須山口)の「大砂走
り」と区別して、「砂走り」と呼ばれるエムゾネ。-81-A5吉
田口登山道北口本宮冨士浅間神社を起点とする登山道で、本8
合目で須走口登山道に合流する。合流地点は古くから「大行合
」と呼ばれた。ここから上は頂上奥宮の神域で、小屋を建てる
ことが許されなかったことから、登山道最後の小エムゾネ屋場とし
て多くの小屋が建てられていた。写真小屋の写真A6北口本宮
冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖・中道往還と関連
遺跡中道往還は甲斐と駿河との交通路のうち、若彦路と河内路
の中間に発達したので「中道」と呼ばた。甲府市から国道エムゾネ
358号線を経て精進湖赤池交差点より国道139号に入り、
静岡県の富士宮市・富士市に至る道である。こうした交通の要
地であることから本栖湖周辺には中道往還に関連する遺跡が複
数確認できる。イ信仰B1富士山本宮浅間大社・浅間大社遺跡
(埋エムゾネ蔵文化財包蔵地)浅間大社周辺の南北500m・東西
200mの範囲は、縄文時代から近世にかけての複合遺
317:底名無し沼さん
18/01/30 00:29:31.52 DLdGqTeU0.net
勺)、胸突江エムゾネ戸屋(本8合目)、江戸屋(8合目)、見晴
館(本7合目)、大陽館(7合目)、瀬戸館(本6合目)、長田
山荘(6合目)、東富士山荘(5合目)、菊屋(5合目)、吉野
屋(砂払い5合目)がある。山小屋周辺にはトイレ、自動販売機
、ベンチ、テーエムゾネブル等が設置されている。山小屋周辺には
バイオトイレ、自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置されてい
る。・避難小屋下山道からブルドーザー道に入った2,120m
付近に地元山岳会による避難小屋が設けられている。・救急搬送
・荷物搬送区域登エムゾネ山道とほぼ並行して、救急用・緊急用避
難道としての役割を持つ道路等の施設が設けられている。昭和4
0年(1965)の開通で、搬送にはブルドーザーが使われる。
歩道との交差部には、進入禁止柵・注意看板等が設置されている
。須走口登山道は、エムゾネ特に吉田口登山道と合流する8合目か
ら上部の混雑が激しいため、頂上部から8合目までのブルドーザ
ー道が下山道として利用されている。写真ブルドーザー道の写真
・駐車場・附属施設200台収容の駐車場が5合目に設けられて
いる。付属施設としてエムゾネ、登山シーズンの夏季のみ在番の交
番と観光案内所、小山町により設置・管理されている公衆トイレ
がある。写真駐車場(交番・観光案内所)の写真A5吉田口登山
道A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖・建
築物及び工作物本栖地区エムゾネ集落の人口は156人(2008
年4月1日現在)国道139号線と300号線が分岐する本栖交
差点周辺を中心に集落が形成されている。その他湖畔にキャンプ
場などの観光施設及び管理施設が存在する。自然公園法第2種特
別地域に指定されているこエムゾネとから、建築物等の高さ規制を
受けているので、景観上良好な状況が保たれている。湖南東側に
ある本栖青少年スポーツセンターやキャンプ場などの管理施設等
も同様である。その他の工作物として、電柱やアンテナな
318:底名無し沼さん
18/01/30 00:34:24.96 DLdGqTeU0.net
て埋蔵文化財包蔵地となっており、遺構や遺物等が発見されて
いる。写真出土遺物の写真・大宮城跡浅間神社大宮司の居館と
しての大宮城エムゾネが、現在の県道富士宮富士公園線の東側に位
置していた。・神田宮第2駐車場から100mほど南にある水
田を備えた神社である。五穀豊穣を祈願して米を作り奉納する
「御田植祭」が毎年7月7日に行われる。・大鳥居昭和30年
(1955)に寄進さエムゾネれた大鳥居が、第2駐車場に
319:底名無し沼さん
18/01/30 00:34:50.75 DLdGqTeU0.net
在する。イ信仰B1富士山本エムゾネ宮浅間大社・駐車場神田川ふ
れあい広場の南側には第2駐車場が整備されている。南北に仕切
られ、北側が普通車用、南側がバス専用となっている。トイレも
併設されている。・宮町交番-86-第2駐車場バス専用入口の
東側に宮町交番が建てられていエムゾネる。・売店協同組合富士山
特産品振興会」が、第2駐車場内に、富士宮の特産品を取り扱う
販売所「ここずらよ」を設置し営業している。・富士山せせらぎ
広場第2駐車場から200mほど南に富士山せせらぎ広場がある
。入口には大鳥居が建てられておエムゾネり、神田川に沿って散策
できる遊歩道をはじめ、トイレ、無料駐車場などの施設が整備さ
れている。写真広場の写真・道路神田川東側には、浅間大社前交
差点を起点とし神田川に沿って北へ向かう県道180号富士宮富
士公園線が通っている。この道路はエムゾネ富士山スカイライン、
富士宮口登山道を経て富士山山頂まで続いている。また、湧玉橋
から約130m北上する区間が、山宮御神幸の経路である「御神
幸道」と重複している。第2駐車場南側には、県道76号富士富
士宮由比線が東西に伸びている。このエムゾネ道路はかつて「甲州
街道(中道往還)」と呼ばれ、駿河と甲斐を結ぶ主要街道であっ
た。B2山宮浅間神社・御神幸道御神幸道は、祭儀「山宮御神幸
」で浅間大社と山宮浅間神社を往来した道である。石鳥居から南
方向へと伸びていたが、区画整理や道のエムゾネ付け替えのため当
時の道はところどころ途絶え、正確にたどる事はできない。・御
神幸道標石御神幸道沿いに、一丁(約109m)毎に標石が建て
られていた。現在ではそのほとんどが失われたが、山宮浅間神社
周辺には四十七丁目石、四十九丁目石が残エムゾネっている。写真
道標石の写真・東山宮二区区民館山宮二区の住民が、会合等で利
用する区民館が建てられている。・県道180号富士宮富士公園
線山宮浅間神社東南側には、浅間大社前交差点を起点とし
320:底名無し沼さん
18/01/30 00:40:23.11 DLdGqTeU0.net
山山頂が終点の「県道180号富士宮富士公エムゾネ園線」が通っ
ている。B3村山浅間神社・宿坊跡(大鏡坊、池西坊、辻之坊)
江戸時代には、村山三坊のうち「辻之坊」は東屋敷跡が現在の児
童公園付近に、西屋敷跡が北西に300m離れた酪農用牛舎付近
に、「大鏡坊」は辻之坊東屋敷のさらに西側にエムゾネ、「池西坊
」は現在の児童公園の南側にあったとされる。児童公園から西へ
道沿いに宿坊跡のものとされる石垣が残り、大鏡坊の入口
321:底名無し沼さん
18/01/30 00:46:13.22 DLdGqTeU0.net
えられる痕跡を見ることができる。写真宿坊跡の写真・見付跡(
東見付、西見付)集落の出入り口となる東西のはエムゾネずれに「
東見付」「西見付」と呼ばれる、村山に入る不審者を取り締まる
関所があった。-87-西見付跡は村山浅間神社門前から西へ約
550m、東見付跡は神社門前より南に約200mのところにあ
る。B4須山浅間神社・浅間橋朱塗りの欄干を持つエムゾネ橋が境
内地の南側に架けられている。B5冨士浅間神社・駐車場(トイ
レ)境内地の南西側、裏参道を出たところに、参拝者用の駐車場
が設けられている。また駐車場東端には、トイレも建てられてい
る。・国道138号線及び県道150号線足柄停車場エムゾネ富士
公園線境内地の西側には、国道138号線が、また東側には県道
150号線足柄停車場富士公園線が通っている。県道の終点は富
士山頂となっている。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B
8御師住宅来訪者のための駐車場として、また緊急時やエムゾネ災
害時の緊急車両の配置ができるよう駐車場敷地が整備されている
。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型・
産業関連施設・その他の人工物B13吉田胎内樹型富士スバルラ
イン料金所付近から、吉田胎内本穴方面に向かう、林業施エムゾネ
業のための物資搬出路がある。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間
神社)・県道75号清水富士宮線指定地に隣接する西側に、県道
75号線清水富士宮線が通っている。B15白糸ノ滝なしウ眺望
C三保松原なし2保存管理計画の基本方針-88-山梨県・エムゾ
ネ静岡県に分布する構成資産について、将来にわたり確実に保存
管理していくために、各構成資産の保存管理計画の調整事項や、
資産全体として考慮すべき周辺環境保全のあり方など、保存管理
の目標を踏まえ、保存管理計画の基本方針を以下の5項目とすエム
ゾネる。(1)構成資産の適切な保存管理各構成資産が、現在も
人々と関わり続けている点や、構成資産総体が、生きた文
322:底名無し沼さん
18/01/30 00:51:34.08 DLdGqTeU0.net
社前交差点を起点とする「県道180号富士宮富士公園線」が
、村山口登山道跡と2エムゾネ箇所で交差している。交差する地点
は、西臼塚駐車場から山頂方面へ約1.5㎞進んだ地点と、高
鉢山駐車場から約700m下った地点であるが、道路沿いには
特別な表示等はない。また、この道路は富士山スカイライン、
富士宮口登山道を経て6合目かエムゾネら旧村山口登山道と合流し
、富士山山頂まで続いている。・宝永遊歩道富士宮口新5合目
駐車場の東端から宝永第二火口の西縁までほぼ等高線に沿って
東西に通じる遊歩道で、旧村山口登山道と11号建物付近で交
差する。写真遊歩道の写真-84-・駐エムゾネ車場・附属施設4
50台収容の駐車場が5合目に設置されている。付属施設とし
て、レストハウス、宿舎、トイレ、バス乗車券販売所、登山シ
ーズンの夏季のみ在番の交番がある。工作物としての広告物、
広告旗、バス停留所などがある。・林道富士山麓エムゾネには多く
の林道があり、そのうち、大渕林道・吉原林道が、旧村山口登
山道と交差する。A3須山口登山道・山小屋登山道沿いに、山
小屋が建てられている。標高の高い地点から順に、赤岩八合館
(7合9勺)、砂走館(7合5勺)、わらじ館(7合4勺エムゾネ
)、日ノ出館(7合目)、(※休館:見晴館(8合目)6合目
小屋)がある。山小屋周辺にはトイレ、自動販売機、ベンチ、
椅子等が設置されている。・避難小屋登山道沿いの2箇所(7
合8勺、2合8勺)に、気象庁の避難小屋が建てられている。
富士エムゾネ山頂測候所に勤務する職員用の施設であったが、測候
所廃止に伴い現在は使用されていない。・救急搬送・荷物搬送
区域登山道の南西側に、救急用・緊急用避難道としての役割を
持つ道路等の施設が設けられている。搬送にはブルドーザーが
使われる。歩エムゾネ道との交差部には、進入禁止柵・注意看板等
が設置されている。・下山道(大砂走)登山道の南西側
323:底名無し沼さん
18/01/30 00:52:03.17 DLdGqTeU0.net
統の物証であり、人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観
の傑出した類型であることに十分配慮し、山梨県・静岡県に分布
エムゾネする具体的な構成要素の規模・性質・立地条件等に応じて
、以下の視点により適切な保存管理をおこなう。①各構成要素の
歴史的・文化的価値の継承と自然的要素の維持②構成資産により
形成される文化的景観の保全③地域住民の生活、生業への配慮④
登エムゾネ山客、観光客等の来訪者への配慮⑤防災面における安全
確保への配慮(2)緩衝地帯等の適切な保存管理構成資産保護の
ための適切な範囲の緩衝地帯等(保全管理区域)を定めるととも
に、その保全の方策を講ずる。緩衝地帯等(保全管理区域)に存
在すエムゾネる諸要素の規模・性質・立地条件などを把握し保存管
理の基礎とする。(3)経過観察の実施顕著な普遍的価値に対し
て与える負の影響の可能性について、様々な角度から検討を行い
、その原因となる可能性のある諸要素について確実に把握すると
ともにエムゾネ、それらに対する監視及び適切な対応を行う。(4
)整備・公開・活用推進資産の顕著な普遍的価値を確実に保存す
るとともに、総合的な理解を深めることができるよう、適切な整
備・公開・活用の施策を推進する。①多様な構成資産からなる富
士山総体エムゾネとしての価値の理解が深められるように、山梨県
・静岡県の関係市町村が一体となった適切な整備活用をおこなう
。a富士山の価値の持続的な利用b適切な公開範囲の設定②都市
計画、観光計画、防災計画等との調整を図り、資産の価値の保存
と来訪者のエムゾネ安全に配慮した施策を推進する。③適切な整備
活用を推進する。(5)保存管理体制の整備と運営確実な保存管
理を推進するために、各々の構成資産を管理する山梨県・静岡県
や関係市町村、所有者や環境省、林
324:野庁、国道交通省などの関係 諸機関を中心エムゾネとして組織体制を整備する。その際には、地 域住民が資産の資産の適切な保存管理と整備活用の施策に
325:底名無し沼さん
18/01/30 00:56:41.32 DLdGqTeU0.net
山道(大砂走り)がある。標高約3,000mの日の出館(7
合目)付近で登山道と分岐する。宝永山脇のスコリアで覆われ
た斜面を一気に下り、エムゾネ御殿場口新5合目(標高1,450
m付近)に至る。写真下山道の写真・御殿場口登山道明治5年
(1872)に女性の富士登山が許可された後、手軽に登れる
登山道をめざし、御殿場在住の伴野佐吉らが中心となって明治
16年(1883)に完成したエムゾネ。同地の浅間神社か
326:底名無し沼さん
18/01/30 00:57:11.48 DLdGqTeU0.net
に参加できるよう配慮するとともに、関係諸機関との連携を強化
し保存管理の運営に関する方法・体制の整備を図る。-89-第
4章構成資産のエムゾネ保存管理1現状の把握(1)富士山山体及
び登山道A富士山登録範囲における自然的環境については、おお
むね良好な状態である。資産範囲の上部は文化財保護法(特別名
勝)及び自然公園法(特別保護地区及び第1種~2種特別地域)
により厳密に保全エムゾネされ、下部(標高1600~2000m
以下、特別名勝範囲外)は自然公園法(特別保護地区、第1~3
種特別地域、普通地域)及び森林法(保安林)、山梨県及び静岡
県有林管理計画により重層的に保護されているため、資産に影響
を及ぼす行為は基本エムゾネ的に発生しない。ただし、山体西側に
は山頂部付近から標高2200m付近までを源頭部とする土砂崩
れが約1000年前より継続して発生し、これは「大沢崩れ」と
呼称されている。この土砂崩れのため山体西側の一部でかつての
信仰に関わる道であるエムゾネ「御中道」の通行等が禁止されてい
る区域がある。山頂部付近では登山者に起因する廃棄物・し尿が
発生するが、山小屋組合などによりバイオトイレが設置され、適
切に管理・除去されている。一部過去の廃棄物が堆積している箇
所があるが、将来的に撤エムゾネ去が予定されている。なお、山腹
において、急病人の搬送や山小屋の維持・廃棄物の撤去のために
必要最小限使用されるブルドーザーが通行する道路がある。アお
鉢巡り八葉及び大内院の現時点における保全状況は良好である。
ただし、降雪・強風等に常エムゾネ時さらされ、年々増加する登山
者の影響により、土砂の崩落が一部で認められる。また、トイレ
やゴミの問題なども年々改善されているが、一部有識者にさらな
る改善を指摘されている。イ御中道巡り御中道は大沢崩れ部分の
通行止めの他に、通行量の減エムゾネ少と表土の流失に伴い道の存
在が不明になった箇所があるが、その他の保全状況は良好
327:底名無し沼さん
18/01/30 01:02:34.39 DLdGqTeU0.net
原、馬返、太郎坊を経て、須山口登山道2合8勺に接続する経
路であった。明治22年、東海道線(現JR御殿場線)が開通
し御殿場駅が設置されたことにより、登山道が富士山東表口新
道本社浅間神社を通る現在の経路に変更エムゾネされた。御殿場口
登山道は須山口よりも距離が短い上に道も良く、関東方面から
の登山客の多くが同登山道を利用し、須山口登山道衰退の契機
となった。現在は、須山口登山道と接続する2合8勺から頂上
までの部分も、御殿場口登山道と呼ばれている。エムゾネ写真御殿
場口登山道の写真・須山口登山歩道須山浅間神社を起点とし、
弁当場、水ヶ塚水源地、水ヶ塚駐車場、御殿庭を通り、宝永火
口の西側火口壁を抜けて富士宮口登山道六合目に通じる登山道
である。平成9年に富士山須山口登山歩道保存会が中心とエムゾネ
なって復興した。道筋の一部は裾野市と御殿場市の市境に沿っ
ている。宝永噴火後から明治時代までの須山口登山道とはルー
トが異なるため、区別する意味で須山口登山歩道と呼ばれる。
・須山口下山歩道須山口2合8勺から二ツ塚の西側を下り、四
辻分エムゾネ岐、幕岩上部、須山御胎内上部を通り、水ヶ塚駐車場
に至る道で、平成11年に富士山須山口登山歩道保存会が中心
となって復興した。道筋の一部(幕岩上部~須山御胎内上部)
は宝永噴火後~明治時代の須山口登山道と一致する。-85-
写真須山口登エムゾネ山歩道の写真A4須走口登山道・山小屋とそ
の関連施設登山道沿いに、山小屋が建てられている。上から順
に、御来光館(8合5勺)、胸突江戸屋(本8合目)、江戸屋
(8合目)、見晴館(本7合目)、大陽館(7合目)、瀬戸館
(本6合目)、長田山エムゾネ荘(6合目)、東富士山荘(5合目
)、菊屋(5合目)、吉野屋(砂払い5合目)がある。山小屋
周辺にはトイレ、自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置され
ている。山小屋周辺にはバイオトイレ、自動販売機、ベ