暇つぶし2chat OUT - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト200:底名無し沼さん 18/01/10 10:05:15.67 He8C3ID40.net 財とともに史跡富士山として指定される予定。B6.河口浅間神社説明古くから富 士山に関わる祭祀は南麓の浅間神社が執り行っていたが、864~866年に北麓 で起こった噴火を契機に、北麓にも浅間神社が建てられることとなった。それが、 富士山を望む河口湖の北岸にあり、溶岩の届かなかった河口浅間神社である可能性 が高い。浅間神社を中心とした河口の地は、甲府盆地から続く官道の宿駅という役 割に加え、富士登拝が大衆化した中世後半から御師集落として発展を遂げた。しか し、江戸における富士講の大流行と、それに伴う吉田御師の隆盛により、河口の御 師集落としての機能は、19世紀以降衰退してしまった。ただし、河口浅間神社は 、現在も富士山と密接に結びついた宗教行事を行っており、歴史的背景と相俟って 、富士山信仰を語る上で欠かすことのできない資産である。法的保護、修理・整備 の経緯文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定される予定。 B7.冨士御室浅間神社説明冨士御室浅間神社は、8世紀初めに吉田口登山道二合 目に祭場をしつらえたのが最初とされ、富士山中に祀られた最初の神社であるとす る文献もある。富士修験の信仰拠点は南西の村山であるが、北面の二合目、御室浅 間神社が鎮座する御室の地にも山内の信仰拠点として役行者堂が整備されたようで ある。山中という厳しい条件の下に所在するためたびたび破損し、1189、12 75、1475、1525年と加修され、1564には地元領主による大修理が行 われている。現在の本殿は1612年建立と認められ、その後も1698年、18 67年に修復が行われていた。1973-74年には里宮の地にそのままの形で移 設された。里宮は、二合目の本宮(もとみや)が冬季の参拝に苦渋するために河口 湖畔に建てられたとされる。修験や登拝といった様々な富士信仰の拠点として位置 づけられる二合目の本宮と、土地の産土神としての里宮が一体となって機能してき た神社である。法的保護、修理・整備の経緯1973~74年に吉田口登山道二合 目にあった本殿が里宮の地に移築された。151985年に移築された二合目本殿 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch