04/02/04 22:18 S3QTUGKH.net
名古屋では日テレの日本プロレス中継をメーテレが、テレ朝の「ワールドプロ
レスリング」を中京がそれぞれネットしていましたが、それが昭和47年に崩
れました。
まず5月に日テレの日プロ中継打ち切りによりメーテレのプロレス中継が消滅。
その後馬場の全日旗揚げにより、日テレのプロレス中継が「全日本プロレス中
継」として10月から土曜8時台で復活しましたが今度は日テレ・メーテレ間
で例の裁判ざたがぼっ発。これの和解協定によりこれまでメーテレで放送して
いた日テレの土曜8時枠が中京に移行し、中京はすでに金曜8時に移行してい
たNET(当時)の「ワールドプロレスリング」とともに金、土と2日連続で
プロレス中継を放送するということになりました。(ただ当時中京の土曜8時
は12ch(当時)の「大江戸捜査網」を遅れネットしていたため、3ヶ月ほ
ど全日の中継は月曜7時からの遅れネットだった)
メーテレのプロレス中継が復活するのは翌48年のテレ朝完全ネットになって
から。メーテレでの「ワールドプロレスリング」初回放送日の新聞広告には
「名古屋テレビの金曜8時にプロレスが帰ってきます」という字がおどってい
ます。(中日新聞縮刷版・昭和48年4月号参照)ある意味この当時のメーテ
レにとってはプロレス復活が悲願だったのかもしれません。