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戊辰で賊軍になった二本松藩の士族は家屋敷は没収され、
集団で未開墾の土地に移住して近所の寺などに住ませてもらって開墾して村を作っていったと聞くが
橘家は徳右衛門夫婦と彌七だけそれに参加して、明治23年の時点で家を持つまでになったのだろうか
それとも戊辰で没収されずに済んだのか、それを放置しておいてまた帰ってきたりできたのか
色々疑問が残るのだが、脚本家の出身校が二本松にあるという事に驚く
あの描写で合ってるということなのだろうか