08/06/26 21:27:58 .net
>>163
ある意味アルゼンチンは19世紀末の時点では日本より進んでいたかも知れません
アルゼンチンを劇的に変貌させたのは19世紀後期の冷凍船の発明と就航
それにより牛肉輸出は活発化、それに伴い国内鉄道網や電信通信網が物凄い勢い
で発達、それによりイタリアを中心に移民が来て商工業も発達し、19世紀末には
欧州の主要工業国とさほど差のない位まで一人あたり国民所得も増大しました
しかし政治支配していたのは少数の寡頭支配層でしたから当然の如く中間層の反
発や労働運動は激化
他の中南米諸国の多くは反動的な寡頭支配層の暴力支配に移行しますが、アルゼ
ンチンの寡頭支配層は妥協し1912年に男子普通選挙法を施行(日本と比較せよ)
1916年には中間層支持の急進市民同盟が組閣し一部労働者、公務員の年金導入、
労働法施行など社会政策を実施(日本より進んでいる)
だが世界恐慌はアルゼンチン経済を根底から崩し、寡頭支配層が政権奪回し、排
他的ブロック経済に入った英と英資本の特恵待遇などで妥協した寡頭支配政府は
第2次大戦で連合国として参戦しようとしたが、英に追随する事に反発したイタ
リア・ファッショの影響下の統一将校団のクーデタにより中立を守った