23/12/05 22:03:12.32 Y2sAw1K10.net
>>125
1909年頃から視力低下、1911年に妻が亡くなり、1914年に長男が亡くなる。
1912年(71歳)でついに白内障と診断され、さらに視力は低下していく。絵具の色も判別できない程という絶望で、多数の絵を引き裂いたので1909年から1914年までの絵はほとんど残っていない。
そんな中、西洋美術館にある『睡蓮』は1916年制作。1918–19年の『睡蓮の池(マルモッタン・モネ美術館)』は抽象画とも白内障の影響とも論じられるほどに悪化していたよう。
1922年(81歳)に左目の視力0.1、右目はわずかに光と動きを感知するだけになりオペ。
1925年には、手紙で「私は元気です。嬉しい事にまた眼が見えるようになりました。それで夏中ずっと喜び勇んで、これまでにないほど熱意をこめて仕事をしました」と友人に伝えている。
1926年に86歳で永眠。