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牧野富太郎は熊楠の粘菌研究の成果を認めようとせず、熊楠が亡くなってのちにこんな文章を、それも『文芸春秋』(1942年2月号)という大衆雑誌に掲載する。
…南方君は往々新聞などでは世界の植物学界に巨大な足跡を印した大植物学者だと書かれまた世人の多くもそう信じているようだが、実は同君は大なる文学者でこそあったが決して大なる植物学者では無かった。
植物ことに粘菌についてはそれはかなり研究せられたことはあったようだが、しからばそれについて刊行せられた一の成書かあるいは論文かがあるかというと私はまったくそれが存在しているかを知らない。
…(中略)…南方君が不断あまり邦文では書かずその代りこれを欧文でつづり、断えず西洋で我が文章を発表しつつあ�