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読売新聞の報道で市側は態度を一変
2006年6月21日、遺族は、遺書や交換日記のコピーを市教委に提供した。交換日記には「自殺したい しにたい」「かなしい くやしい ムカつく バカバカしい くるしい つまらない」などと書かれていた。市教委はこの時点でもいじめの事実を公表しなかった。そのため、遺族は、遺書について取材を受け、10月1日、読売新聞が初めて報道をした。すると翌日、市教委は記者会見を開き、自殺の原因について「いじめではない」と述べていた。
しかし、市側は態度を一変させる。市教委は10月5日の会議で、自殺の原因について、委員の全員一致で「遺書の内容を踏まえ、いじめであると判断」するとの見解をまとめた。午後の市議会総務文教委員会でも、市議から、全国から批判が寄せられたことを踏まえた質問がなされた。そして、同日、市長や市教委幹部が遺族に謝罪した。10日には教育長が引責辞任をしている、さらに13日に、教育部長と指導室長を更迭。12月6日、市教委は調査報告書を公表した。