20/07/08 07:57:32.66 p4SkPyB5r.net
「サリン事件後に、藤原氏は麻原の視覚障害が、あの水俣病の結果ではないかという仮説を立てた。麻原が熊本県八代市の出身で、水俣病の被害地域であること、そして麻原の撒いたサリンが、水俣病と同じように視覚障害をもたらすものだったからだ。つまり、麻原は『目には目を』の精神で、多くの人を自分と同じ視覚障害に導こうとした、というのだ」
そして、藤原氏は、麻原の長兄との面会に成功します。麻原は幼少から弱視でしたが、長兄は全盲でした。
「藤原氏は、自身の仮説を長兄にぶつけた。すると長兄は、『よくそこに気づかれましたな』と答えたという。そして、自分と麻原のために、水俣病の被害者認定の申請をしたが認められなかったこと、認定を求めて闘いを続けると共産主義者と見られて非難されるので諦めたこと、自分たち兄弟は初めは目がちゃんと見えていたこと、自分が捕ってきた、水銀に汚染された魚介類を麻原が好んで食べたので責任を感じていること、水俣病特有の症状である手足のしびれが当時はあったこと、などをいろいろと語ってくれたという」
藤原氏は、長兄が亡くなるまで発表できなかったのですが、僕はこの「仮説」を知りませんでした。
上祐氏が書くように、この仮説が事実かどうかよりも、長兄に強い影響を受けていた麻原が、「これが麻原の国家や社会に対する不信や反感を抱く原点になった可能性」があると思えるのです。
URLリンク(nikkan-spa.jp)