20/05/10 08:34:20 5atT9fBZ0.net
性の欲求が他のいかなる欲求ともはなはだ異なる性格をもつのはなぜか。これは以上の考察から明ら
かになる。この欲求は最も強いばかりでなく、他のいかなるものに比べても格別に威力にみちている。
それはいたるところ必然不可避のものとして、改めていうまでもない前提であり、他の願望のごとく
趣味や気分の問題ではない。というのもこれこそ人間の本質そのものをなす願望だからである。だか
らこの欲求と戦う場合には、勝利が確実ということよりも強い動機は存在しない。かくてそれは肝心要
のことであるから、その満足がえられぬときは他のいかなる快楽をもってしてもこれを補うことはでき
ない。また動物も人間もこのためには危険を冒し戦いを挑むものである。この天然自然な類の意識を率
直に表現するが、かの有名な看板、ポンペイの妓楼(ポルニクス)の、男根(パロス)の装飾をつけた
戸口にかかげられていた「ここに幸あり」(Heic habitat felicitas)である。この看板は登楼する男には
率直な感じのものであり、帰りの嫖客に皮肉、またそれ自身はユーモアたっぷりだった。―真剣さと
威厳に満ちたところでいえば、生殖欲の圧倒的な力には、オシリス(1)が永遠の神々のために記念柱
を建立して刻みこんだ碑文に表われている(スミルナのテオン(2)『音楽について』第四七章)。
「精神にして天空、太陽にして太陰、大地たるとともに夜と昼、有りかつ有るであろう万物の父、愛
(エロス)に」。―ルクレティウスの開巻劈頭にある美しい呼びかけの詩行についても同様のことが
いえる。
アエネアスの子ら(ローマ人)を生みし者、人間と神々の快楽(けらく)
実り多き美神(ウエヌス)よ……