19/07/11 13:07:40.53 9WA4YJm/0.net
>>23
[第一の神話]徳仁皇太子と結婚して、雅子は目もくらむようなキャリアを断念した。
[現実]雅子は日本の外交部門の普通の労働者で、そのために特別な功績はなかった。
※個人的に面白いと思った部分。
幼少時の多くの海外渡航により未来の皇后のパーソナリティは全く≪東洋的≫ではなく、むしろ≪西洋的≫に形成された。
日本人特有の謙虚さ、自制心、従順さは、雅子においては典型的な西洋人の特徴である個人主義、リーダーシップへの欲求、無遠慮に取って代わった。
例えば、学校で女子ソフトボールチームを結成したその決断力は、日本ではすべての意味で革命的だった。なにしろ当時はスポーツはもっぱら男の仕事と見なされていたからだ。
欧米ジャーナリストが雅子を気に入っているのは当然で、彼女のパーソナリティは、まばゆい海外の価値観のいきいきとした権化だ。
もちろん多くの人が、そのような女性が自らの見解をもって日本の君主制を近代化し、もっと世界へ開かれたものにするよう望んだ。雅子が成功した外交官で尊敬される知的な専門家だったことに、彼らは魅了された。
しかし、それは本当だろうか?
確かに1987年に小和田雅子は日本の外務省に採用された。合格率はわずか5%で、最初から成功者だった。
しかし現実を見よう:彼女の名字は幹部の間では皇帝の名のように有名だった。なぜなら彼女の父は長年外務省で働いていて国連大使でさえあったからだ。
日本人が家族との関係を尊重して取り扱うことを考慮すると、尊敬される職員の娘を不採用にすることなど不可能だと想像できる。
さらに娘はあっさりと研修生になったが、このポジションは目もくらむようなキャリアを約束するものではなく、その実現を控えているチャンスに過ぎなかった。
彼女の役割の一つは例えば、彼女の元上司の言葉によればゲストのもてなしで、様々な郷土料理で来客を喜ばせるためにわざわざ料理教室に行った。≪成功した外交官≫としては、あまり名誉ある役割ではない。
続く