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自分の事は全力で否定する美智子さん
皇后としての活動が香淳皇后の活動とは違っていると書かれたら、「香淳皇后もやってました!!!!」と長文で3回も否定
1回目 平成21年12月4日 昭和時代における香淳皇后の御活動について
2回目 平成25年4月3日 昭和時代(戦後)における昭和天皇・香淳皇后の御活動状況について
3回目 平成28年9月23日 昭和時代(戦後)における昭和天皇・香淳皇后の御活動状況について
昭和時代(戦後)における昭和天皇・香淳皇后の御活動状況について 平成28年9月23日
平成28年8月27日付け毎日新聞朝刊の「危機の20年」と題する記事の中で,原武史氏は「平成になると,宮中祭祀に天皇と皇后がそろって出席するようになったばかりか,
行幸も皇后が同伴する行幸啓となり,」と述べています。
昭和時代(戦後)における昭和天皇・香淳皇后の御活動状況については,これまでも宮内庁ホームページで事実関係を説明してきたところでありますが,
こうした事実と異なる認識が依然として見られることから,改めてこの点についての事実関係を説明します。
香淳皇后は,ご晩年の20年近くは,ご高齢とご健康上の理由により,行事への御臨席が困難となられましたが,
昭和52年に腰を痛められるまでの戦後約30年間の長きにわたり,昭和天皇と共に多くの宮中祭祀にお出ましになり,また,行幸啓を共になさっています。
宮中祭祀について見ますと,昭和21年から51年までの恒例の祭祀で,かつ,天皇皇后両陛下のお出ましが予定された364件のうち,
昭和天皇とお揃いでのお出ましは213件(58.5%)を占めています。ちなみに,昭和30年以降で見ますと66.7%となります。
昭和24年に東京都で開催された第4回国体以降は,昭和51年まで毎年,昭和天皇は香淳皇后とご一緒に御臨席になっています
また,植樹祭には,十勝沖地震のため御臨席を取りやめた昭和43年の第19回を除き,昭和25年の第1回から御不例となった昭和52年まで毎年春,
昭和天皇とご一緒に御臨席になりました。
なお,昭和21年から昭和29年までにわたる戦災復興状況御視察のための御巡幸は,当時,香淳皇后をお迎えできるような宿泊施設等が整っていなかったこともあり,
…
(長いので続きは以下で)
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