18/07/07 13:13:02.54 FehoyDPL0.net
>>736
トドが政治力で右團次みたいに名前を持ってきそう
URLリンク(gendai.ismedia.jp)
一方、今月の右團次襲名の口上で海老蔵は「9年前、自分の結婚披露宴の折に右團次を復活しようという話を、右近さんと父の團十郎と話したことがあり、それがようやく今日、こうした形で叶い、このように嬉しいことはありません」と述べている。
海老蔵が結婚したのは2010年なので「9年前」ではないが、右團次によると、9年前の2008年に海老蔵から右團次を襲名してはどうかと言われていたという(URLリンク(www.daily.co.jp))。
2008年に海老蔵と右近の間でこの話が出て、それを海老蔵が父・團十郎と相談し、内定したのが10年の結婚披露宴の場だったのだろうか。
猿之助と中車の襲名は12年なので、逆算すれば、10年時点では、水面下での話がかなり進んでいたはずだ。
いったんは一門を出た亀治郎が猿之助になり、香川照之という「外にいた息子」が参入するとなると、それまでナンバー2のポジションにいた右近が微妙な立場になるのは誰の眼にもわかる。
猿之助一門と親しくなっていた海老蔵としては、市川宗家の立場からも、右近をどう処遇するか考えていたのである。さらにはもっと大きなスケールで、歌舞伎界全体の将来を考えているとも言える。
そこで、右近に大きな名跡を与えることで、劇界でのポジションを強くさせた。
祖父11代目團十郎は、政治センスには欠けるところがあり、悲劇を招いたが、海老蔵は、なかなか政治センスがある。
右近がふっきれたのは、猿之助にはならないと決まったのと同時に、右團次襲名という具体的な目標が出来たからでもあったのだろう。