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1973年秋、階下の3畳間に26万円のピアノが運び込まれた。
小学2年の長女がピアノを習い始めたからである。
本来、ピアノは30畳以上の空間を前提に作られたものだ。
その後、毎日学校が終わる午後3時頃から大浜家にピアノ
の練習曲が響き始めるようになった。
大浜は階下の会社員宅を訪れて、
「親が日曜大工でガタガタさせるから、子供も遠慮しないんだ。
親の教育が悪い」と苦情を言ったが、変人扱いされ、
話がこじれただけだった。
またある日には大浜が回覧板を持って行った時、長女が
「おじちゃん、人間生きているんだから、音は出るのよ」
と言ったことがあった。無論、これは長女の考えた言葉ではなく、
彼女の両親が繰り返し言っていたことだった。